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暗い部屋で、少女がふっと顔を上げる。
「……博士の意識が消えたわ」
Ilona・H・Creasy(
jc1867)は胸元のペンダントを握り締めた。
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メッセージが終わり、五分後。
ロックが外れ、隔離された部屋の扉が開く。
一瞬沈黙があった。
そこからそっと姿を現したのはSpica=Virgia=Azlight(
ja8786)だった。まだ状況を飲み込めないように周囲を見回す。兵士たちの姿はないが、じきに囲まれるだろう。
しかし、少女は冷静だった。というより、恐怖も混乱も感じていないという方が正しかった。
――十三歳でブレイカー狩りに合い、反抗した両親を殺された時、そんなものは崩壊したのかもしれない。中流家庭の罪なき少女はこの施設で、戦闘術を教え込まれた能力者に変えられた。
だが、その日々が終わろうとしている。
僅かな間を置いて、他の部屋の能力者たちも姿を現す。
猫のぬいぐるみを抱いた少女は、自己再生能力者の遺伝子を更に他の生物にも付与出来るよう調整されて誕生したクローン――レティシア・シャンテヒルト(
jb6767)。彼女はレティシアの九番目のクローンであり、NO.9とだけ名乗った。
「初めましてになるのかな? イローナよ、ヨロシクネ」
碧いペンダントをつけた少女は、Ilonaだ。
過去視と未来視の能力を持った盲目の男、ファーフナー(
jb7826)も扉の側に佇んでいる。
「おや、待ってみるもんだね♪」
もう一人、ひょこっと顔を出す。ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)だ。整った顔立ちで自信に溢れ、どこか野心家めいたところがある。
「いやぁ、みんながいて助かったよ☆ボク一人じゃ何にも出来ないし、困るところだった♪」
だが、物腰柔らかく微笑むんだ
そして最後に、四肢や内臓の一部までほとんどが人工物で人形めいた容姿のローニア レグルス(
jc1480)が部屋から出てくる。レティシアは少しだけ身構えた。彼は施設で生まれ育ち、境遇の近いレティシアは彼が何の感情も不満もなく命令に忠実に動く人物だと知っていたからだ。
だが逃げるのかと問うと、意外にもローニアは小さく頷く。
能力者たちは互いの顔を見つめた。
「それじゃあ、行くわよ!」
Ilonaが先陣を切り、ゲートに向かった。
Spicaの姿が光学迷彩で見えなくなる。
そして銀がかった半透明の結晶で出来た剣ビットと盾ビットが次々に浮かび上がり、彼女と味方の周囲に浮遊する。光の操作と、物質の創造と変換――即ち、ビットの召喚や変形、霧散が能力だった。
警報が鳴り響き、兵士が集まってくる。
Spicaは静かに正面を見据えた。
「生きるために、逃げる……だから、殲滅する……」
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物心ついた時、Ilonaはすでにこの施設にいた。
施設は家であり、博士は父に代わる存在だった。
Ilonaは人の意識を感じ、思考を読むことが出来る。能力を封じる特別な部屋に入れられていたが、その中でも何故か博士の意識だけは感じられる程、確かに親子の情めいたものがあったのだろう。
彼が死んだ今、その意思を、想いを必ず成就させる。そう、Ilonaは思い定めていた。
「悲しんでなんかいられない、でしょ? お父さん……」
ペンダントをそっと外す。それは、博士がIlonaの誕生日に贈ったもの。
強靭な身体能力こそないがIlonaの力は強大で、使いすぎると暴走し精神崩壊する恐れがある。それを封じるためのものだ。
だが今、Ilonaは力を解放し敵にその能力を向けた。
「私にアンタ達をぶっ飛ばせる力がないとでも思った? 勿論馬鹿力はないわ。その代わりステキな夢を見させてあ・げ・る」
頭の中に介入し、干渉する。
すると兵士の一人が突然混乱し、同僚に向かって発砲した。
それを合図に、能力者たちは一斉に走り出す。
施設の見取り図はある。武器庫を経由し、外へ。
恐らく警備は厳重だろうと警戒するレティシアを追い越し、Spicaが多数の剣ビットを振り回して、そのまま無理に武器庫へと突き進んでいく。光学迷彩で狙い撃ちはされないが、盾ビット以外に防御を持たないSpicaを次々に銃弾が襲う。
その傷をレティシアが癒した。
別に、これは仲間意識ではないけれど、と思いながら。
彼女の目的は脱出ではない。
オリジナルのレティシアを見つけ、安らかな眠りを与えること。
オリジナルは生きている。だが、もう人の姿はしていない。NO.9もその再生能力ゆえに非道な実験や臓器移植を繰り返され、治癒マシンとして酷使されてきた。その酷使の果てがクリーチャーなのだろう。前のクローンたちも酷使の末、廃棄された。
これで、終わらせる。眠りこそ「彼女」がたった一つ望んだことだ。
だからこれはただ、成功率を上げるための手段なのだ。
けれど、Spicaがありがとうと呟く声は彼女の耳に届いていた。
その時、どこか遠くで爆発音が響いた。
そちらへ行ったか追っ手が減り、多数の逃げるような足音がしたと思うと、前方の兵士の数も減っている。
「今のうちに」
そう言ったのはローニアだった。彼は声帯すらも失っており、スピーカーとなるもので音を発している。それがまさに彼の能力で、音の変換や操作を出来た。対象の音や声を消音、増幅、また変化させられ、別の場所で再生することも出来る。
ただ、知らない音は作れず、発声器官を使いすぎれば物理的に疲弊、消耗する。
だが今は連続して爆発音で気を引き、こちらの足音は消して別の足音を追いかけさせる。
罠を回避するため過去と未来を見通していたファーフナーが、どこから敵が来るかを視て仲間たちに伝えた。盲目だが、能力ゆえに足取りが遅れることはない。出来るだけやり過ごし、追ってくるものはIlonaが頭に介入して行動不能にする。
そして倒した者の通信機を取り上げ、ファーフナーの未来視をもとに、ローニアが声帯模写をして誤情報を流した。
おかげで武器庫に辿り着いた時、武器を取る短い間を稼げていた。
あとは脱出するのみだ。
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走り続けねば。
いつまで。いくつのゲートを越えた?
また罠を探しながら、ファーフナーは時折疲れたように息を吐く。
肉体疲労ではない。
彼が拉致され、どれほど長い年月が経っただろう。共に捕まった恋人は、苛烈な実験の末にクリーチャーとなった。彼も人体実験により視力を失った。なのに、過去や未来を視る能力を得て、欠損すればサイボーグ化までされて今日まで無理矢理生かされ、すでにこの世にも人にも疲弊し絶望しきっていた。
だから、博士の言葉にも何を今更、と思った。
だが、自分のようなロートルはともかく、若い者は逃げ延びれば第二の人生を送れるかもしれない。外の世界を見せてやりたい、その思いだけがファーフナーを動かしていた。
自身の未来だけは視られないが、もしかするとブレイカーならドームの外に出て生きていけるかもしれない。
AIの指示で、混乱した兵士たちは秩序を取り戻して再び行く手を塞ぐ。
レーザーガンにエネルギーをチャージするSpicaに代わり、レティシアが先陣を切った。兵士に容赦はしない。人間が一番怖いのだと教えてくれたのは、他ならぬこの施設だ。彼女の手の中に使い慣れた魔具の雨傘が翻り、銀針を発射する。その圧倒的な力を見せつけ、再生する体で被弾を顧みず突き進んで兵士たちの注意を集めた。これも、仲間のためじゃない。はずだ。ぬいぐるみだけは傷つかぬよう抱きしめる。
ローニアがそれを援護して、機械の腕に格納した武器で淡々と自身のアウルを放つ。
「敵は排除と教わっている」
Spicaの剣と盾も浮遊し、彼らをサポートする。
だが、敵は次々に現れ、地図を確かめる間もない。ジェラルドが一人の兵士をじっと見た。
「ICチップごときで、ボクの命令に抗う事は出来ない。欲望はすべての行動の根源だ☆」
するとその兵士はうっとりとジェラルドに歩み寄った。まだ若く美しい女である。
「いい子だ☆さぁ、最適な順路を教えて?」
これが、ジェラルドの能力だった。人間の欲求のコントロール。Ilonaのように頭に介入は出来ないが、破壊欲を操作して攻撃させたり、性欲を操作して今のような愛の奴隷にしたり、襲わせることもできる。
今は兵士たちの睡眠欲を操って眠らせることで後方の障害物にして時間を稼ぎ、女兵士に案内させ進んでいく。
だが彼らの脱出を阻止しようとAIがまた兵士を集め、あるいは直接建物の警備システムを操り、銃口を向ける。Ilonaがジェラルドに叫んだ。
「ホストコンピュータのところに案内させて!」
了解、とジェラルドが言うと、女兵士は目的地に向けて迷いなく走り出す。
それを追って走る能力者たちの足音はない。その足音はローニアの視線の先、彼らとは別方向に遠ざかっていった。
『警報。緊急コードを実行、脱走者を排除します』
無機質な声が響く。メインフレームに辿り着いた瞬間、炎が扉から廊下に吹き込んだ。咄嗟にファーフナーが盾になり、炎を食い止める。
素早くジェラルドが人工知能の処理能力に負荷をかけた。その隙に光学迷彩で映像認識をかいくぐったSpicaが制御室に飛び込みビットをばらまく。
「チャージ解放……薙ぎ払う……ッ!」
凄まじい力が解き放たれ、レーザーが冷たい刃のようにビットに乱反射して、コンピュータのバリアを崩していく。
攻撃用サーバだけでも確実に壊さなくてはならない。その間警備システムはローニアがLimpide F5で作り出した衝撃波で食い止める。
「お父さんの敵よ、滅茶苦茶にしてあげる」
AIが自らを守るため集結させた兵士たちをIlonaが操る。ジェラルドもそれを手伝った。
「キミをそんな風にした、AIどもに復讐するチャンスを与えよう♪」
傀儡と化していた兵士たちの欲望が解放される。
彼らはAIに群がった。
「いいわ、攻撃用サーバはこれで破壊……」
Ilonaが言いかけた時、AIがクリーチャーの檻を開いたのがモニターでわかった。
外までもう近いが、最後のゲートはロックの解除に手間を要し、なおかつ短時間で閉じるよう設定されている。
「急ごう」
ファーフナーが促した。
すでにクリーチャーは暴走しながらこちらへ近付いてきている。
能力者たちはゲートに走った。
だが、レティシアが足を止める。――オリジナルが、いる。
「行かなきゃ」
引き返したレティシアに気付き、ファーフナーが仲間に待てと叫んだ。このままでは彼女だけ取り残される。その声に後方を走っていたジェラルドが気付き、振り返る。
「――時間稼ぎになってくれそうだね♪」
「なっ……」
そのまま去り行くジェラルドに呆然としながら、ファーフナーはレティシアを追った。
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レティシアの決着はすでに悲しいほどあっさりとついた。
オリジナルの再生能力はもう限界だったのだろう。傍らにぬいぐるみをそっと手向ける。無機物は再生できず、ぼろぼろだったそれは職員に隠れて少しずつ治したものだ。幸せしか知らなかった頃に家族に贈られた友達、たった一つ手元に残っていた大切なもの。
――彼女はクローンだ。だが、オリジナルや前のクローン達の記憶を引き継いでいる。幸せだった頃も嫌なことも、全て。それは誰も知らない秘密。
「おやすみなさい、よいゆめを」
これで、終わった。
追いついたファーフナーにはレティシアに起きたことが理解できていた。目的を達成し、抜け殻のようになった彼女を促し、仲間たちを追って走らせる。
「……俺には未来が視える。お前の未来はこれからだ」
ファーフナーは呟いた。
他のクリーチャーはまだいる。更に追ってくる。二人は走った。
仲間たちに追いついたのは、まさに扉が閉まろうという時だった。
「ああ、追いついて良かった☆」
明るい顔で振り返るジェラルドにそうかと答え、ファーフナーはレティシアを向こう側に押し出すと、代わりにジェラルドを扉の内側に引き込んだ。扉が閉まり、ファーフナー達は内側に取り残される。
先に行け、と彼は外のIlonaたちに叫んだ。
そして「何を」と驚くジェラルドに、静かに口を開いた。
「未来を視た。お前という人間を」
ジェラルドを取り押さえる。
「能力者を操り、王になるつもりなのか……」
ジェラルドはふっと笑った。
「……Ilonaの能力やICチップは所詮他人の命令。欲望はその人自身が持つものだ☆悪いけど、ボクには誰も抗えないよ♪」
ジェラルドは欲求の解放によって脳内麻薬を操作し、力を更に強化することが出来る。だが、今はそれをしなかった。勝算があったからだ。
クリーチャーが迫ってくる。
ジェラルドはファーフナーの生存欲を操作してもう一度ゲートを開けさせようとした。
だが、ファーフナーは動かない。戦闘はしたくないと、ただ無抵抗に待ち受ける。
ジェラルドの顔に初めて焦りが見えた。
「そんな……生存欲の『ない』生物なんていないはずだ!」
ファーフナーの盲いた目にはクリーチャーたちの中にかつての恋人がいるのが見えていた。微かに笑む。
ジェラルドが抵抗しようとした時にはもう遅かった。
「……まさかこんな結末なんてね☆」
二人の姿はそのまま、迫りくるクリーチャーたちの中に消えていった。
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――いくら待ってもファーフナーが追いつくことはなかった。
力を使い消耗した彼らが外に出ると、門番の兵士たちに取り囲まれる。
「私に……任せてね」
Ilonaが最後の力を使い、道を開けさせる。神話の武器のように変化させた槍を手にSpicaがその後を歩き、彼らの姿は神々しくすら見えた。
ようやく門を出る。世界は驚くほど静かだった。
「Ilona? ……Ilona、大丈夫?」
そこで浅く息をするIlonaに気付き、はっとしたSpicaが咄嗟にペンダントをつけさせる。
だが、手遅れだった。
「いろーな?」
精神が耐え切れず崩壊してしまったのだろう。無垢な笑顔で微笑むIlona。SpicaはIlonaを抱き寄せ、目を伏せて二人に首を振った。
六人いた仲間も四人になった。
初めて見る外の世界をローニアはゆっくりと見渡す。
「あなたが来るのは、意外でした」
とレティシアが言うと、ローニアは遠く聞こえる雑音交じりの『音』を再生した。
「……音楽?」
「……『歌』と云うモノらしい」
外から来たものが『歌』っているのを、ローニアはかつて聞いたことがあった。他にもあるのだろう。自分の知らない歌、そして音が。それを知りたかった。
「俺は自分の声で『歌』う事はできない。しかし歌のように音を鳴らすことはできるだろう」
「こんな曲を……?」
Spicaが尋ねると、ローニアは頷いた。
「『曲』と云うんだな……ならば俺はこれからいくつもの『曲』を作ろう。破壊や命令の為でなく、自分たちのための」
レティシアも頷き、ある決意と共に最後のデータを開いた。
目的の場所への地図が展開する。博士の言った、希望の地。
「目指しましょう……『クオンガハラ』を――」
見上げたドームの彼方、見たこともない太陽が見えた気がした。