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軍手をした手にビールと空瓶を持ち、藤沖拓美(
jc1431)は雨雲を見上げてため息をついた。
「なんだってこんな雨降りに害虫駆除なんてしなくちゃいけないんだろうな……」
雨足は一向に弱まる気配を見せない。拓美の頬のニコニコマークさえ、どこか憂鬱そうだった。
「まぁ風情があるんはええんやけど……こんだけおったらさすがにきもいな」
ゼロ=シュバイツァー(
jb7501)が笑う。
アジサイが雨に打たれる様は確かに風情を感じるが、あとどれほどのカタツムリが隠れているやら。
資料を読む黒百合(
ja0422) はこの厄介な状況をもう一度確認する。少女の黒髪は濡れたように艶やかで、それが雨景色に馴染んでいた。
依頼を受けた仲間達と改めて話し合う。
「先に退治中の人達に話を聞いたけどぉ……邪魔が入ってるようねぇ……」
テリブル教授について聞かされた黒百合が彼に何があったのかを話すと、撃退士達は公園の奥で喚いている当該の生徒を発見した。
「鬱陶しい雨に、ディアボロの大量発生か。小さくて見つけにくいうえに、おまけに奇妙な学生の妨害つきとは面倒なことだ」
ファーフナー(
jb7826)が嫌そうに鋭利な青い目を細める。
「何考えてんだあいつは? 天魔が出たって時に悠長なこと言ってる場合かよ!?」
天王寺千里(
jc0392)も憤慨して眉をひそめた。既に気持ちは臨戦状態なのに出鼻を挫かれた思いだ。苛立ち混じりの真紅の目が色を深める。
「逃げたカタツムリの特徴はぁ……」
黒百合が言う。目視できる特徴は一つ、殻のふちの赤い模様だけらしい。この雨の中で見えるだろうか。
神宮陽人(
ja0157)はなるほど、と頷いた。
「わー、めんどくs……じゃなかった大変だね! カタツムリに罪はないしできるだけ助けてあげようか。カミヤくん超〜優しいからね!」
ちらりと漏れた本音があったが、彼の更なる本音としては降り頻る雨とぬかるんだ地面にテンションがだだ下がりだ。
(洋服汚れたら死んでしまうんですけど……)
「雨合羽と長靴持ってくればよかった……」
ぽそりと漏らし、一人顔を覆った。
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打ち付ける雨粒に、先に対応していた生徒達は体力と気力を削がれて効率が落ちてきた頃だろう。
黒百合はカルシウムの粉をカタツムリの集まりそうな場所へ撒いていた。敵はカタツムリと同じ習性を持つようだが、殻をカルシウムで形成してはいまい。恐らくここに集まるのは通常のカタツムリだろうと判断する。酸の噴霧を懸念して顔を覆うようなマスクを着け、黒百合は残りを捜索に動いた。
一方、拓美が辺りに撒くのはビールだった。
ビールはあっという間に雨と共に地面に染み込むが、その匂いは低くわだかまってるようだ。
「ほら、かたつむりってナメクジに殻がついてるやつだろ? ナメクジってよ、ビールに結構寄って来るらしいんだよな。そこら辺に撒いておびき寄せて見るか?」
ということらしい。一先ずはディアボロでもテリブル教授のカタツムリでもとにかく集めようというわけだ。
だが辺りに漂うのはビールの匂いばかりではない。青くフレッシュな匂いも雨粒をかいくぐって流れてくる。陽人がトマトジュースを開封したためだ。
襲いくる敵の攻撃……ではなく、跳ね返る泥水を気にしながら、彼はトマトジュースをアジサイを這うカタツムリに振りかけた。ディアボロであれば基本的に邪魔なものは透過するだろう。この天気では雨とジュースの区別もつくまい。
念のためレインボーバンドを手に巻き、ジュースが付いた固体に触れる。陽人の纏う靄のような紫が、手だけ虹色に光っていた。万が一透過していない敵がいることも考え、防御の姿勢をとるが、無事普通のカタツムリだったようだ。
雨の中に小さな虹を描きながら、持参した虫カゴにカタツムリをしまった。
そんな陽人の横をヒリュウがすり抜けていく。
ゼロの召喚獣だ。
軍手を装着してトングまで持っており、カタツムリを探しに飛び回っている。
「数多いみたいやから一緒に頼むな♪」
というゼロの言葉に、ヒリュウは従順だ。
ゼロも同じ装備でカタツムリの捜索にあたる。そして見つけ次第長いトングでつまむと何重にも重ねて砂を入れた袋に次々と放り込む。
雨は気にせず、打たれるままだ。水も滴るいい男、とおどけて濡れた黒髪をかきあげる。
「まぁ雨は嫌いとちゃうしな。たまには濡れるんも悪くないやろ」
と、早速カタツムリを見つけてきたヒリュウに語りかけた。ヒリュウは緑の目で主人をきょとんと見つめる。
ヒリュウの収穫も袋に纏め、ゼロは中でディアボロが酸を吐かないことを祈りながら、次の獲物を探した。
「ちまちま潰しとってもしゃーないしな〜後で纏めてやってまう方が速そうやしな〜」
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黙々とディアボロ探しを続ける撃退士達。進行は順調に思われた。
だが、テリブル教授がそれを黙って見ているわけがない。自分が見舞われたこの理不尽にして不幸な事態を訴えても聞く耳を持たない他の生徒達を、彼は憎らしげに見つめていた。
黒百合は浮遊する盾を呼び出し、カタツムリを見つけては接触させて敵かどうかを地道に確かめていた。物質透過を使い、天魔だけに触れるようにして見つけていく。阻霊符を使おうとしていた陽人と目が合い、察した陽人は頷いて発動をやめた。
カタツムリに上手く接触させられない場合には白銀の槍を使いながら、黒百合は捜索を進める。酸を噴出されれば腕で素早く顔を防御し、そのまま槍で攻撃を加える。
それを繰り返していると、黒百合は不意に手を止めた。
「あらぁ……?」
殻のふちに赤い模様。例の特徴に合致する。すぐさま黒百合はカタツムリを摘み、かごの中に入れた。
ところが――。
「てやああ!」
そうとは知らないテリブル教授に虫取り網で襲い掛かられ、黒百合はすっと横に避けた。教授は喚きながら、なおも網を振り回してくる。妨害、か。黒百合は肩をすくめ、虫かごの中のカタツムリを見せた。
「保護に協力してるのにぃ……」
「……き、君はなかなかわかっているではないか」
振り上げた腕の下ろし場所に惑うテリブル教授に、後ろからファーフナーが声をかけた。
「そこの学生、怪我をしたくなければ下がっておけ」
「なっ……下がってられるか! 僕のカタツムリが……」
「また別のを捕まえろ。この中から見つけ出すなど、物理的に不可能だ」
あくまでも冷静にカタツムリに攻撃を加えようとするファーフナーに、テリブル教授は食ってかかる。
「よせ! 折角衛生的に管理して育てたんだぞ!」
知るか、と切り捨てたかったが、しがみつかんばかりの勢いでファーフナーの前に立ちはだかってくる血色の悪い男が鬱陶しい。静かに苛立っていると、千里がテリブルを力ずくで押さえつけた。痛い何をすると叫ぶテリブルに千里は声を荒げる。
「目の前に天魔がいるのに作戦妨害するバカいるかよ? てめーのせいで被害者出たら責任取れんのかよ?」
だが、と言いかける男を、千里はぴしゃりと遮った。
「下手に手出しゃてめー自身も危険だぞ。てめーのカタツムリぐらいアタシらが捜してやるから大人しくしてろや!」
ファーフナーはテリブルに余計な仕事が増やされたのを感じ、ため息をついた。しかし、このままうろつきまわられるのも煩いし、事が終わるまで拘束してあとで訴えられても厄介だ。仕方がない。
「まったく、ついていない」
仰いだ空が、また一段と強く雨を降らせた気がした。
千里に怒鳴りつけられたテリブル教授は次に、ビニール傘を手に屈む拓美に気付いた。
拓美はビールに集まってきたカタツムリを、今度は地道に選別の作業に入っていた。
「あーぁ、寄生虫とか付くと嫌だなァ……。うぇ……粘ってやがる……」
テリブル教授のカタツムリらしきものを見つけると瓶の中に放り込み、分けていく。
まぁ、テンションはガッツリ下がってるけど仕事だしな。そこそこ気合入れてやるか! と自分を元気付けたのも束の間。持ち上げられて滑る体をくねらせるカタツムリに鳥肌が立つ。
「……うわぁぁぁキモいキモい!!」
嫌そうな声を上げる拓美だが、テリブル教授には可愛いカタツムリだ。むっとして物申すべく肩を掴もうとすると、拓美はその瞬間素早く銃を構え、クイックショットを別のカタツムリに撃ち放った。嫌悪の表情から一転、汗一つない冷静な顔でディアボロを見下ろす。
テリブル教授が唖然としていると、拓美はそれに気付いて振り返った。
「あっ、邪魔するなら手伝えよ!? その方が俺にもあんたにもいいんだから!」
こ、こいつ多分不良だ! もやしっ子の習性か、テリブル教授は逃げを打って拓美から離れる。だが、後退していた教授は、また他の人にちょっかいを出す前に、背中を何かに、いや誰かにぶつけた。
「ん? 何してんの? 暇なんか?」
ゼロの赤い目がテリブル教授を見下ろす。
僕はカタツムリを、と言いかけたところで、ゼロはそらちょうどええわと持っていた袋を教授に渡した。
「ここに集めてあるから、自分で探してくれ」
「は!?」
「え〜一個一個見るんめんどいやん。あ、ディアボロ逃がしたら全部燃すからな」
冗談でもなさそうな笑顔を浮かべて去っていく。とはいえ、利害の一致は見ているので、何故あんな奴の言いなりに……と言いながらも教授は黙々と選別する。終わったら文句を言ってやる、と思っていると、ゼロは選別が終わる前にまた捕まえたカタツムリを持って教授のところに持っていった。
「おらおら早く選別せんと全部燃えてまうぞ。お前の友情はその程度なのか? 早くしろ早く。まだまだ持ってくるからな」
非常に楽しそうだ。何故なら彼はSなのだから。
「ま、待て。待ってくれ!」
追い込まれるにつれ、教授は涙目でゼロを睨む。
ともかく、結果的にゼロはテリブル教授の妨害を封じることに成功したのだった。
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このじっとりとした雨の中、悠長に待っていても仕方がない。
ファーフナーは辟易としながら、アジサイの群に歩み寄った。
雨に濡れて鮮やかだが、生憎とその趣に心を傾けるような暇はない。敵は触れると酸を出すという。砂や土をかけたら触れたと判断しないか、もしくは地に落ちた衝撃を受けて地面に攻撃しないか考えて、アジサイに手を伸ばす。早い動きで逃げ出すとか、とにかく何か反応があるだろうと、カタツムリを振り落とすべく強く揺さぶった。
幾つか、というには多いカタツムリが落下してくる。
ファーフナーの予想は的中した。激しい揺れからの地面への衝突に敵は次々に液体を噴出する。一瞬の間に敵を識別し、氷の夜想曲で凍てつかせていく。
全体の撃破数を確認して、残敵を探すべく入念に捜索していた黒百合が、そこへ通りがかった。距離をとって敵か判断するのが次第に難しくなり、ダメージ覚悟で直接接触しようとしていたが、揺すって振り落とせばリスクは軽減される。黒百合もそれを手分けする。
テリブル教授が大人しくしていることを確認し、千里も垂氷を手にディアボロ討伐に集中した。討伐が何より重要な項目だ。
それでもじっと観察して、赤い模様がないことを確信したものから攻撃を加えていく。事態をややこしくされて激怒はしていたが、挙動には寸分の狂いもない。
しかし、ディアボロの殻は石のように硬く、垂氷では心許ない。千里はバヨネット・ハンドガンに持ち替えると、一匹ずつ確実に処分していく。
途方もないように思えたディアボロ退治も、少しずつ見込みが出てきた。
選別を終えた拓美は、意外な硬度を持つ敵にスキルで強烈な一打を加える。いつの間にかビニール傘を手放し、頬が濡れるのもそのままに片付ける。
トマトジュース作戦が功を奏し、付近の通常のカタツムリを集め終えた陽人も攻撃に転じていた。辺りはだいぶ赤く染まったが、すぐに雨が洗い流してくれることだろう。フルフィウスチェーンを装備し、地道に潰していく。火や感想に弱いということなら、物理より魔法の方が効果を発揮するかもしれないという考えだ。もし駄目ならショットガンでと思っていたが、それも杞憂に終わったようだ。
「植物に傷はつけたくないけど、やむなし、かな」
と言いながらも、ストライクショットで確実に次々と敵を薙ぎ払う。
それも使い切ると、一度距離をとってスキルを入れ替えた。
ふと近くにいた千里が顔を上げると、陽人の放った無数の蝶が、アジサイの中へ閃いていく。ディアボロにはたまったものじゃないだろうが、アジサイに舞うアウルの蝶はどこか幻想的で美しいとさえ言えた。
雨音はまだ何もかもかき消すように響いている。
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撃退士たちがすっかり濡れ鼠になる頃、やっと終わりが近づいてきた。
残った敵はとうとう遁走を始める。
しかし色とりどりの炎がそれを阻んだ。ファーフナーだった。
「学生一人のために、外に逃がすわけにもいかんしな」
それでも随分識別はした。残りはまとめてファイアワークスの爆発で焼き尽くす。
しかしテリブル教授はそれに気付いて激昂している暇などなかった。何故なら今まさに目の前でゼロがカタツムリに炎陣球を放とうとしているからだ。
「まだ再確認してない! やめろ、やめたまえ!」
半泣きで叫ぶテリブル教授をよそに、ゼロは炎の球体を撃ち放つ。
「もーえろよもえろーよ♪ アウルでもーえーろー♪」
残念時間切れ、というわけだ。恨みを込めてテリブル教授はゼロを睨むがどこ吹く風、
「さ、体洗ってエスカルゴで一杯やりますかねぇ〜♪」
と濡れた体を洗うために銭湯へと去っていった。
それでも一度は確認出来たのだが、テリブル教授は茫然自失だ。
そこにディアボロ退治を終えた残りの仲間達が捕獲したカタツムリを持って集まってきた。
黒百合は虫かごを置くと、撤収の前に残敵がいないか、もう一度公園を見回りに行く。
「しかし美味そーなカタツムリだな。ちょっとばかり食わせてくれよ」
依頼を終えた千里が小気味良い笑みを見せた。テリブル教授は慌ててカタツムリを抱えて首を振る。
「ダ、ダメだ! 確かに食用に適しているが……!」
それを聞いた拓美が気持ち悪そうに呻いた。
「つか、一度は野に放たれたエスカルゴって食えんのか? お、俺は嫌だぜ?! 食うなら他の奴が食えよ!?」
だから食うなというに! と叫ぶ教授の声を聞きながら、陽人はふとファーフナーがこんがり焼けた赤い模様つきのカタツムリを隠して証拠隠滅しようとしているのに気付いた。陽人が寄っていくと、何も言うなと身振りで示す。騒がれると煩いのは目に見えている。
陽人は香ばしい匂いを放つカタツムリにそっと手を合わせた。
「こ、これは合掌であってイタダキマスじゃないんだからねっ!」
ファーフナーはそんな陽人を横目に、ずぶ濡れの服を着替えるべくさっさと公園を立ち去る。
――かくして公園のカタツムリ騒動は幕を閉じた。雨はまだやまない。