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鉄くずに囚われた犬は、くぅんと鼻を鳴らした。
諦めているようで、それでも誰かに縋りたいとまだ思っている自分が情けない。でも、せめて、いつか子犬の頃に感じたあの温もりをまた感じられたなら――。
けれど、終わりの刻限は、じわじわと迫っていた。
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撃退士達は、周囲の様子を確認しながら作戦を立てていた。
「犬さんが居るみたいですし、なんとか救出したいです」
鑑夜 翠月(
jb0681)は資料を閉じた。
事前の情報は概ね現場と齟齬なく伝えられていたようだ。例の犬は今、ディアボロに覆われたくず山の中に落ち込んでしまっているらしい。
「さてと、見つけたからには放っておくのは後味悪いさね」
アサニエル(
jb5431)の紅の髪が靡き、荒涼とした廃棄場に色を点す。
「首輪なしという事は、野良犬なのか…捨て犬なのか。何れにしても助けられるかもしれない命を、みすみす見捨てるのは嫌ですね」
樒 和紗(
jb6970)の声に、鏑木愛梨沙(
jb3903)も頷いた。
「捨てられたワンコかぁ、ちゃんと助けてあげないとね」
「人里への被害を防ぐ為に殲滅も早急に必要ですが、この犬を助ける時間くらいはあるでしょう」
そんな会話に玉置 雪子(
jb8344)が唇を尖らす。
「助けるんですか? 野良で図太く生きてきたのなら、勝手に生き残って逃げると思うんですがそれは」
しょうがないにゃあ……と、渋々といった風を装いながら、雪子はどこか嬉しそうな様子を滲ませた。
では、とアサニエルが作戦を確認する。
「基本方針としては、犬の救助を優先して動くよ。序盤は鳥人の足止めと犬の救助に別れて行動し、鳥人担当が足止めしている間に救助担当が犬を拾って離脱。犬の安全が確保できたら合流し、鳥人、テツハウの順に倒していくさね」
「はい、それで問題ないと思います」
答える和紗の周りで、一瞬白銀の小雪が舞い、溶けるように消えた。
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「僕は救出の邪魔をされない様に鳥人さんの対応にまわりますね」
翠月はくず鉄の山々に向き直り、緑のリボンが翻る。不穏な影が、その視線の先で蠢いていた。仲間を信じ、厄介であろう鳥人の動きを止める。
アサニエルもまた、その役目を引き受けた。
「あいつらの関係性がいまいち分からないけど、まぁ見つかったが最後ってことでね」
軽く肩を廻しながら、翠月と同じ場所を見据える。二人が踏み込んだのが、作戦開始の合図となった。
<extension.exe>で透けた青白い翼を広げ、雪子が上空へ向かう。和紗も一際大きな山に向かって駆け出す。犬の救出を買って出たのは愛梨沙だ。二人は愛梨沙が救出のみに集中出来るよう、援護の態勢をとった。
「外野の邪魔は遠慮したいので」
障害はやはりテツハウの周囲を徘徊する鳥人か。早くも来訪者に敵意を剥き出しにする鳥人を和紗は見据える。
一方、サーティーン=ブロウニング(
jb9311)は空の術でその姿を鉄くずの間に紛れさせた。不測の事態に備え、愛梨沙達とは別方向からテツハウに接近する。
鳥人は早くも攻撃の態勢を取り、急襲を仕掛けようと鉄くずの山を舐めるように滑り降りる。
魔法書を構えた翠月がアウルの妖蝶を放つ。攻撃はもとより、朦朧の効果も狙ってのことだ。一度目は掠ったものの、鳥人を捉えきれなかった。だが、翠月は冷静に全体の状況を把握し、二度目の機会を狙う。
崩れやすく、また鋭利な金属片も多いこの場所で、アサニエルの方は極力無駄な移動を避け、自らを固定砲台とした。目の端にテツハウに向かう仲間が映る。目の前に現れた鳥人がそれに気付いたのを封じるように、アサニエルは虚空から聖なる鎖を射出する。
ギャアと叫んで、鳥人は地面に落ち、その場に縫いとめられた。
しかし、他の鳥人達も愛梨沙達がテツハウの元に向かっていることに気付き、怒りの声を上げている。彼らは何としてでも近付けさせないようにしようと、愛梨沙達の方へ体を向けた。
だが、そこで彼らの視界は次々に吹雪に覆われた。いや、正確には細かい氷の結晶が砂嵐の如く巻き上がっている。敵の上へ飛んだ雪子だ。目前だったはずの目標を見失い、一番愛梨沙に近付いていた鳥人は周囲の状況を把握出来ずに混乱する。
ザク、と軽く氷の粒を踏み締める音がした。
混乱の中で鳥人がそれに気付いた時、すでに和紗はイカロスバレットの射程内だった。対空射撃を放ち、鳥人を撃ち落とす。
その間にテツハウにある程度近付いた愛梨沙は、生命探知で犬の場所を把握する。テツハウは最初にその姿を確認した時より、だいぶ山を飲み込んでいるようだ。あまり猶予はない。
サーティーンの小柄な影が、くず鉄の山に身を隠しながらテツハウに接近する。無音歩行で、ほぼ敵の目は避けている。愛梨沙が間に合わなければ、強行となろうともサーティーンが犬の救出に走る考えだ。風雷をLeggeroC8に持ち替え、サーティーンはじり、とテツハウに更に迫った。
雪子が更に<snow-noise.exe>を重ねるのが見えて、上空が白く煙る。
だが、鳥人も翻弄されるばかりではなかった。最初の吹雪が過ぎ去った瞬間、まだ地を這っていない鳥人が雪子に襲い掛かる。予め回避の構えをとっていた雪子は間一髪でそれを避けるが、鳥人はそれを深追いせず、テツハウの元へ向かう。同じく、イカロスバレットで撃ち落された鳥人も少しよろめきながら和紗に爪を振りかざし、和紗がシールドで防御した隙にテツハウの元へ向かおうとした。
そこで光の玉が彼らの間を一直線に飛び、テツハウを撃った。テツハウの体に穴が開くが、液体が流れるように、すぐその穴は埋まる。だが、攻撃を放ったアサニエルにとっては、それで十分だった。何故なら、鳥人達はその瞬間、アサニエルを最も脅威だと見なしたからだ。向かってくる鳥人に、また鎖を投げかける。
「地に足付いてないと不安じゃないかい?」
くず鉄に叩きつける。
アサニエルの鎖が仲間を捕らえている隙をついて、もう一体が彼女に躍りかかった。その瞬間、翠月の妖蝶が敵の黒い羽根を捉える。今度は確実に攻撃を食らい、鳥人はもんどり打って地に伏した。翠月の緑の目が、鳥人をきっと見つめる。
その間にとうとう、愛梨沙がテツハウの元に到達し、翼を広げた。
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さっきから、妙に暑い。
荒く息をしながら、犬は見えない空を見上げていた。喉が渇いている。もう終わりだ、限界だ。鉄くずの隙間は外から圧迫されて随分狭くなってしまっていた。辛い、苦しい。犬は喘ぐ。
――ああ、こんなことならいっそはじめから……!
命を呪いかけた時。
犬の目に蒼と黄金の光が見えた。
「大丈夫、怖くないよ。あたしはキミを助けに来たの」
柔らかい声。犬は何が起こっているのかわからずに、物質透過で鉄くずをすり抜けてきた愛梨沙を見た。愛梨沙は犬にそっと手を伸ばし、抱え込む。
鉄くずの山がまたギシと音を立てて狭まる。
そこで、犬ははっとして愛梨沙の腕の中でもがいた。捕まったと思った。きっと、業を煮やして化け物の腹に放り込むために来たんだ。信じたってどうせ裏切られる!
だが愛梨沙は腕を放さない。犬は思い余ってその柔肌に歯を立てた。それでも愛梨沙は悲鳴を押して、落ち着かせるようにその背を撫でた。
「大丈夫、怖くない、怖くない……」
外では雪子の吹雪をようやく逃れた鳥人を、和紗がまたイカロスバレットで狙い、テツハウから引き離していた。すかさず接近していた翠月が引き受け、二人を愛梨沙が出てきた時に援護に回れるよう送り出す。周囲が凍て付き、その鳥人は意識を飛ばした。救出の邪魔はさせない。翠月は残りの鳥人の元へ走る。
その状況を犬は理解出来なかったが、愛梨沙の温もりに戸惑い口を離した。
彼女はもう一度犬を撫でると、活性化したルミナリィシールドと体の間に犬をかばって鉄くずの中から脱出を図る。物質透過を解いた愛梨沙に狭まる鉄くずが痛みを伴って迫るが、無理矢理に力を込めてその中を突破した。
音を立て、鉄くずの山が崩れる。
テツハウがそれに合わせて傾き、危機を察知したように蠢いた。抜け出した愛梨沙にテツハウがメタリックな体を広げ襲い掛かる。しかし、援護のために待ち構えていた和紗が回避射撃を放ち、それを僅かに横へ逸らした。
犬はまた恐慌をきたし、暴れ出す。愛梨沙が意思疎通で宥めようとするが、その前に体をくねらせて腕の中から逃れ出た。あっと思った瞬間、サーティーンが彼をキャッチした。パニックのまま犬が噛み付こうとすると、サーティーンは右手を差し出す。
「……諦めつきました」
犬は歯が通らないのに気付く。彼女の右手は義手だった。
サーティーンは愛梨沙に犬を返し、ばらばらに離脱を図る。
雪子が愛梨沙に付き添い、テツハウから距離をとったところで阻霊符を発動する。麻痺から脱した鳥人が手負いの凶暴さで爪を振り翳すのを、アサニエルの鎖が再び引き止めた。
和紗が二人に追いつく。愛梨沙は犬に怪我がないか素早く見回した。幸い毛のはげた部分と衰弱はあるが、大きな傷はないようだ。
雪子は愛梨沙の手から興奮させないようそっと犬を受け取り、両人に掌から氷のアウルを注入した。
和紗と愛梨沙は前線へ向け、踵を返す。愛梨沙は審判の鎖に入れ替え、和紗はバレットストームとピアスジャベリンを活性化させる。
雪子は二人を明るく送り出し、犬の安全を考えて戦闘区域から離れた。
時折もがく犬を大事にぎゅっと抱える。その横顔はどこか思いつめていたが、首輪の跡が目に入った瞬間、道化た表情がすっと消えた。
彼女の中で渦巻いていた疑問が確信に変わる。
――何故、首輪をしていないのでしょうか? こんなに綺麗な野良犬が居ますか? それにこの子、凄く怯えています。十中八九捨てられて間もない犬です。
犬の爪が雪子の胸元を掠る。雪子はそれでも宥めるように抱え続ける。
遠ざかっていくテツハウと、そこへ向かっていく撃退士達の背中を、犬は雪子の肩越しに不思議げな面持ちで見つめる。鉄くずの中で差し伸べられてから、暴れても噛み付いても決して離れないこの温もりの意味を、犬は今やっと考え始めていた。
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サーティーンは足音を消し、味方の範囲攻撃の射程外へ逃れる。
もはや遠慮はない。あとは纏めて敵を叩くのみだ。
鳥人はほとんど動きを制限されている。アサニエルが劫火を出現させ、鳥人を取り囲んだ。効果はテツハウにまで及び、テツハウの体が少し飛び散る。翠月もそれに加勢し、鳥人の動きを押さえた。
テツハウは守りを失ったのを知り、金属めいた不気味な体にさざなみを立てる。
「大型ですから、範囲攻撃が有効そうですよね」
翠月が射程距離を見極め、構える。
「それじゃあ、ちゃっちゃと終わらせてもらおうかね」
アサニエルは振りかぶると掌から攻撃を放った。くず鉄が吹き飛び、テツハウの一部が分断される。テツハウは少し縮まるような動作を見せると、熱い鉛の塊のようなものを吐き出した。それは低い鉄くずの山に立つサーティーンの方に照準を向けていたが、サーティーンは素早く山を飛び降り、宙返りで着地する。更に続けて何発か降り注ぐ鉛塊を、軽やかに体を躍らせ避ける。そのまま闇雲には敵に向かわず、十分距離をとってクラリネットに唇をつけた。そこから放たれる衝撃波がテツハウを襲う。
「大き過ぎる的は外しようがない、ですね」
呟きながら、和紗は雪子に与えられた力で弾丸を放った。ピアスジャベリンで放った弾丸は真っ直ぐにテツハウを捉え、貫通する。
そこに畳み掛けるように翠月が花火のような爆発を起こす。色とりどりの炎が輝き、打ち捨てられた金属がそれを反射してきらきらと光った。鉄くずの山が崩れてくるのに巻き込まれないよう気をつけながら、もう一度打ち込もうと身を翻した。
立て続けにアンタレスの劫火を使い、アサニエルは代わりにヴァルキリージャベリンを活性化させる。その時間を稼ぐかのように、和紗が暴風のような猛射撃を浴びせる。テツハウは少しずつ嵩を減らしていたが、怯む様子なく鉛を吐き出し、和紗がとっさに飛びのいた足元に落ちてぐずぐずと足元の金属を融かした。
愛梨沙がその攻撃を遮るように活性化させたコメットで無数の彗星をぶつける。
「お礼はたっぷりしないとね」
また体の飛び散ったテツハウは奇怪な声らしきものを上げると、彼らの方へ身を乗り出してきた。翠月もスキルを入れ替え、その間にサーティーンがまた衝撃波を放った。
アウルの槍がテツハウに突き刺さる。アサニエルのヴァルキリージャベリンはテツハウの動きを止めた。
そこへ翠月の放った闇色の逆十字が落とされる。金属を打ったような奇怪な声を一段と高く上げ、テツハウは地面に突っ伏す。
撃退士達はしばらく警戒してテツハウを見ていたが、金属質のアメーバはそれきり二度と動かなかった。
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奇妙な匂いはもうしない。助かった、のか。
犬は、雪子の腕から地面に下ろされても、逃げずにへたり込んでいた。仕事を終えた撃退士達が彼の元へ集まってくる。犬は警戒したが、彼らの持ち上げられた腕はきつく振り下ろされることなく、犬の毛を優しく撫でてくれた。
和紗がサンドイッチと水を差し出す。
「生憎、持合わせがこれくらいしかありませんが……食べますか?」
犬がまだ信じられない気持ちで呆然とそれを見ていると、愛梨沙が実は、といった風にドッグフードを出してきた。喉は渇いている。空腹もひどい。でも、いいのだろうか。
「これから如何するかは貴方が決めて下さい。立ち去るなら見送りますし、共に来るなら……大阪の実家で良ければ飼って貰えますが、俺の所では留守も多いですし寂しい想いをさせますので」
そっと撫でる。犬は和紗の言っている意味を、何となく理解した。選んでいいと、そう言われた気がした。
「一応、引き取り先を探すようにするつもりだよ」
アサニエルは逃げる様子のない犬を見て言う。
外で生きる術を身に付けた野良犬ならともかく、そうでないと確信したこの犬が行く先は保健所以外に有り得ないだろうと、雪子は寂しげに目を伏せた。かといって、こんな場所へ置き去りにした飼い主に返す、という選択肢もない。命を救う事は自己満足で行うことではない。雪子はしゃがみ、犬の背に手を置く。
「里親は私が探します、例え見つからなくとも私が育てます。それが命を拾う者の責任です」
そして、供養は命を零してしまった者の責任。また此処を訪れる時は献花を片手に――。
そんなことを考えていると、あのね……と愛梨沙が顔を上げた。
「出来るなら、風雲荘で飼いたいなって」
名付けるならそう――鉄を意味するアイゼン。
ぱた、ぱた、と音がした。
撃退士達が犬を見ると、彼はおずおずと尻尾を振っていた。
もう一度、信じさせてくれるのと、窺うように。
優しい手が伸ばされるのを感じながら、犬は鼻先を食べ物に埋めた。