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葉擦れの音を子守唄に目を閉じる。
明日の心配も、何もしなくていいの。
ずっと、ずっと、まどろんでいたい。
ねえ、おばあちゃん。
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アストリット・ベルンシュタイン(
jb6337)は冷静に依頼を受け入れた。
天魔の確証はなくとも、少なくとも派遣された人々が戻っていない事実がある。
「何かある、というつもりで挑みましょう」
彼女と同じように集まった撃退士は、他に五名。件の場所に辿り着くと、昼過ぎの空は悲しいほどに青く晴れていた。
眼前に広がる光景にアサニエル(
jb5431)は緑の目を細める。
「さて、ひまわりの季節にしては遅すぎるけどね……」
周囲の山々を見れば、紅葉に色付こうとしている。
宇田川 千鶴(
ja1613)は頷き、斡旋所に確認してきた情報に再び目を通した。
ナツミも目撃したらしいこのひまわり畑。調べたところ、とっくに更地になっていたという。仕事に疲れていたというナツミの郷愁を思えば、それを出迎えたのが天魔だというならあんまりだ。
――だが、残念ながら、これは天魔に間違いない。
「弱った人を狙うとかほんまムカつく……はよ救助せんとね」
千鶴の足元から白銀まじりの黒のオーラが湧き上がる。
情報共有出来るようにという千鶴の言に従って交換した連絡先を今一度確認しあい、彼らはひまわり畑に踏み込んだ。
ふと、最後尾を歩くヴァルヌス・ノーチェ(
jc0590)は胸に柔らかい疼きを覚えて周りを見回す。
「ひまわり畑か。これが田んぼだったらなあ……」
郷愁ではなく、単に感想を呟くような鐘田将太郎(
ja0114)の声がして、ヴァルヌスはその後を追った。
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周囲はどこまでも背の高いひまわりが埋め尽くすかのようだった。
「さてと、ちょっと探りを入れてみるかね」
アサニエルは目を閉じて周辺に手を翳した。生命探知で周囲を捜索する。
付近にいくつかの生物の反応。そしてどうやら――このひまわり畑は植物ではないようだ。
駆けつけると、制服を着た人間が数名、地面に飲み込まれかかっている。不自然に直立するひまわりに腕をとられている者もある。
「やっぱり天魔……この広大な全部がそうなんかな」
千鶴が呟く。
このひまわりが天魔であることは確定したが、どういうものかは不明だ。アストリットは被害者の救出を試みるべく、警戒しながらも彼らに近づいた。意識のない警察官の腕を引くが、僅かにひまわりが傾くだけで離せない。
川内 日菜子(
jb7813)は素早く敵の生態を観察した。踏みつけ、蹴飛ばすが、特に反撃はない。危険は少ないようだ。日菜子の視線を察し、無言で頷くと、アストリットが被害者を捕らえている地面や葉を素早く剣で斬り取る。
「!」
そこで彼らは息を飲んだ。
斬り離され、擬態が解けてスライム状の肉片と化したパーツが、地面に落ちるとみるみるうちに再び融合していく。斬り落とされた葉も、あっという間に再生した。
アサニエルはひまわりを根元から攻撃する。だが殲滅は出来ず、地面から再びひまわりを形作った。
彼らは理解する。
――敵は、ひまわり畑そのもの。高い再生能力と擬態能力を持った、一体のサーバントだ。
アストリットは助け出した被害者の様子を見ながら、口を開いた。
「毒などは受けていないようですね。しかし、この再生能力は……この広さを一気に薙ぎ払うのは無理ですし」
「キリないし、力の中心箇所があれば破壊できんやろか」
千鶴の言葉に、アサニエルも同意を示す。
「コアか何か、重要部位を破壊する必要があるようだね」
アストリットは頷く。
「中心を探さないといけませんか。ひまわり畑の真ん中にあるならいいのですが」
一先ず日菜子が縮地を使い、急いで一人目の被害者を安全圏に運び出した。外には千鶴の提案で設定された一時的な救助場所がある。彼女が要請した救急車両はすでにそこへ到着していた。
「私は取り込まれかけている方々の救出を続行します」
アストリットはそう言って、敵に捕らわれないよう足元に磁場を形成した。
ひまわり畑は広大だ。別れて行方不明者の救助と敵の撃破を行わなくてはならない。
救助場所で僅かに意識を取り戻した被害者によると、ナツミはどうやら畑の奥へ行ってしまっているらしい。
中心部へ向かった将太郎と日菜子に敵とナツミを任せ、撃退士たちは手分けして急ぎ救助を続行する。
取り込まれかけ急を要する被害者がいないか、アストリットと千鶴がまず捜索した。足元はアストリットの警戒した通り、じっとしているとじわじわ彼女たちを取り込もうと這い寄ってくる。千鶴も常に動くことを意識し、捕まらないよう移動する。
もう秋だというのに、ここは妙に暑い気がした。
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誰かが泣いている。
どうして花は枯れるのだろう。
どうしてずっと同じではいられないんだろう。
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いたる所を捕らわれて埋まりかけている被害者を見つけた千鶴が、傷付けないように注意して刀で引き剥がそうとする。だが引き剥がしたそばからまた絡みつききりがない。アストリットは剥がれたところに炎焼を打ち込み、素早くそれを手助けした。
千鶴は磁場形成が出来るアストリットに引き離すのを任せ、自身は運び出しに専念する。
ほどなくして、行方不明者を探していたアサニエルから連絡があった。
異常があれば連絡するとしていたが、どうやらその異常があったようだ。意識はあるものの動こうとしない被害者がおり、朦朧としてうわ言を呟いているのだという。まるで、子供の頃の思い出を夢に見ているかのように――。
その奇妙な郷愁に、撃退士たちも薄々気付いていた。
サーバントを切り崩し、沈みかけた被害者を救出しながら、ヴァルヌスは踏み込んだ時と同じ感覚を味わう。
「キリがない。やっぱり核を壊さないとダメかな、これは」
再生しながら這いよる地面に磁場を形成しながらも、ヴァルヌスはもっと別の這いよるものを感じていた。
見た目は美しいひまわり畑が、彼らの前で不気味に色めいている。
失われた家族を思う気持ちがアストリットの中にもふと浮かぶ。
けれど、同時に自身への怒りが燃え滾ったあの時の自分を思い出す。足を止めることは、ない。
「ここにいちゃあぶねえ。できるだけ遠くに連れてってくれ」
一方、将太郎も一直線には進めないでいた。
沈みかけ、呆然と立ち尽くす者がいれば、見捨てられるはずもない。連絡をとり、千鶴に搬送を頼む。
そっちは、と日菜子に顔を向けると、日菜子は比較的軽症らしい駐在を救出し、事情を尋ねていた。ここはやはり買い上げられて開発のために更地になった場所で、権利者の関係でずっと滞っていた工事がやっと着工するところだったという。
二人は人影を確認しながら、ひまわり畑の中心へと向かう。
中央へ近付くとひまわりの数が増え、そしてそれは唐突に途切れた。
ちょうど真ん中。他の花に囲まれるようにして、一際大きなひまわりが佇んでいる。
日菜子は思わず立ち止まった。
――そこにはまるでひまわりに抱かれるように絡まれて、ぐったりと根元に縋るナツミの姿があった。
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長い間このひまわり畑にいればいるほど、郷愁が押し寄せてくるかのようだった。
悪魔であり撃退士のヴァルヌスでさえそうなのだから、ここに踏み入ってしまった一般人はどれほどのことだろうか。
彼の目には今、かつての穏やかな日々が映っていた。
戦いを放棄し、天魔のことも全てを忘れて、幸せに生きて来た日常。
妻と子供の幸せな姿。
――吐き気がするほどの幸福。
発見されたナツミは、そんな幸福な夢に囚われたように朦朧としていた。
将太郎は縮地を使い、ナツミに急接近する。衰弱の度合いが激しければ一刻も早く救出しなくてはならない。だが幸い、かなり衰弱はしているがまだ危険な状態まではいっていないようだった。
畑のほぼ中心に、異様に大きいひまわり。これがコアに違いないと、彼らに直感させる何かがある。
将太郎と日菜子はナツミを助けようと手をかけた。
「いや……」
小さく声が漏れる。
ナツミは救出されようとしているのがわからない様子でひまわりにますます縋りついた。
日菜子はそっと肩に手をかける。
「あんたを助けに来た。しっかりするんだ」
だが、ナツミはいやいやと少女のようにぐずって首を振った。
「あっち行って。私、ここにいたいの。ここがいいの」
将太郎がナツミの精神を動揺させないよう穏やかに理由を尋ねる。ナツミは涙を滲ませ、たどたどしく思い出を語る。
「ここは大事な場所なの……もう、はなれたくない」
大人になったら、辛いことばかり。あの頃の幸せの中に、ずっといられたなら。
日菜子はそう語るナツミに、はっきりとした口調で口を開いた。
「過去に縋って今を捨てるのか?」
今に絶望して過去に囚われているのだとしたら、未来に希望を託すしかない。過疎の廃村となったここに再び新しい風が吹き込み、未来に生きる者たちに繋がるなら、それを伝えなくてはならない。
「あんたにとっての今が、未来の人間にとっての過去だとしてもか?」
ナツミは涙を流し、また力なく首を振る。
「お願い、このままここにいさせて……」
ヴァルヌスはひまわり畑の中で目を閉じる。過去の幸福が押し寄せてくる。
「そうか、それに身を委ねれば、幸せに死ねるか」
ヴァルヌスの体を飲み込もうと地面がずぶずぶ這い上がってきた。
朦朧とするようなまどろみで、立ち入るものを誘って。
「……悪趣味なものを」
ヴァルヌスはぱっと目を開いた。
エアロバーストでまとわりつくものを吹き飛ばし、メタリックな色の翼を広げる。その姿はすでに人型の戦闘マシンのような悪魔本来のそれに変わっていた。
「悪魔だからかな? 欲張りなのは性分でね。これからの思い出も欲しいのさ」
アサニエルの見つけ出した行方不明者も、その場に留まろうとして手を焼かせていた。敵だけを攻撃して引きずり出しても、思い出に囚われて動こうとしない。理由を聞き出して、説得する。
「それでもあたしは……明日がほしいさね」
あの頃に戻りたいと、過去に留まろうとする被害者たちに、アサニエルはぽつりと呟いた。
「ナツミさん」
泣くナツミに、けれど将太郎は折れず、根気強く説得を続けた。
精神的に動揺して、心がこの場所に残ってしまわぬように。
日菜子が霞がかったナツミの心にも届くよう力強く声を上げる。
「今をより良い過去にする為に、私は未来をこの手で掴んでみせる」
でも、と言いよどむナツミの手を強く握り、友情の拳を使う。
「わからないのか? 私にとっての今と未来にはあんたの存在も含まれているのだ!」
いつの間にか近くで、ヴァルヌスと千鶴もナツミの話を聞いていた。
「ナツミさんの思い出はそれだけですか?」
銀髪の少年の姿に戻ったヴァルヌスがそっと語りかける。
「いつか向日葵も枯れ、秋がきて、冬が来て、季節が巡り、そしてまた再び夏が来る。他にもたくさん、思い出があったんじゃありませんか?」
ナツミの疲れきった目が、弱弱しく彼らの方を見る。
心配そうな撃退士たちの目が、彼女を見つめている。
「それは辛くて悲しい事だったかもしれない。でもそれを積み重ねたから、素敵だったものは思い出として深く残るのではないでしょうか? 楽しいばかりが全てだったら、それは貴女の特別になっていない」
千鶴もそばにしゃがみ、
「心配してる人がおるんやで」
そう、優しく言った。
「私にも涙が出そうになる位、今でも会いたいもういない人、そして大切な思い出がある。だからそれが大事なんはわかる。ならそれを利用するやつに負けたらあかんよ」
ヴァルヌスも強く頷く。
「帰ってきてくださいナツミさん! 貴女のこれからはまだ終わっていないし、貴女を心配して、待っている人もいるのだから」
寂しげだった同僚、会社の人たち、それにきっと彼女の家族も。
零れ落ちる砂のように、時を止めることは誰にも出来ない。そんな歌詞を歌った歌を口ずさみ、日菜子はナツミに約束した。
「私の大好きなヒーローソングのワンフレーズだ。……この歌詞に倣うなら『その定め侵す者』を『私が消してみせる』。『必ず』な」
ナツミの瞳が揺れている。声は、ナツミの心の奥底まで届いている。
将太郎は彼女の中に皆の言葉が染み込んでいくのを待ち、静かに口を開く。
「ナツミさん、ひまわり畑はもう無いんだ」
そして、ナツミの目を真っ直ぐ見つめた。
「ばあさんとの懐かしい思い出は残るが、場所までは残らねえ。もう一回、少女時代に決別しよう。時代が変わりゆくように、場所も変わるんだ。けど……思い出はそのままだ。そうだろう?」
彼女の目にまた涙が溢れる。だが、その瞳に微かに、小さな光が戻るのを彼らは見ていた。
「さみしいわ……。それでも……?」
撃退士たちはそれぞれの思いを込めて、静かに頷いた。
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「子供の頃の思い出は、そう簡単に忘れられるモンじゃねえよなあ……。懐かしい思い出につけこむサーバントは許せねえ」
正気を取り戻したナツミをアサニエルとアストリットに託し、将太郎は大鎌を構えた。
「ナツミさんの美しい思い出を利用した罪は重いぜ? その罪、てめえが俺らにやられることで償え!」
大輪のひまわりに向かって、大鎌を振り下ろす。千鶴が火遁で逃げ道を塞ぎ加勢すると、青白い大鎌は核を真っ直ぐに捉える。それは今までの偽ひまわりとは明らかに違う感触を将太郎に伝え、ぐにゃりと曲がった。
それが再び融合する間を与えず、日菜子のありったけの想いを込めた鬼神一閃・紅蓮の真っ赤な閃きをコアに叩き込む。
その途端、ひまわり畑の風景は歪みだし、砂糖細工のように融けていった。
「秋に見頃の向日葵園もありますが、これはナンセンスですね」
ヴァルヌスはそう言いながら微かに蠢く核の欠片を始末し、消えていく夏の風景を眺める。
「ナツミさん……大丈夫かねえ……」
将太郎が呟いた。
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夢から覚めたような被害者たちは、救出された順に病院へ搬送されていった。
間もなく運ばれるであろうナツミに、最後に千鶴が近寄っていく。
「これ……」
そっと手渡したのはひまわりの種だった。
思い出に縋る事は罪じゃない。忘れることも、勿論。
だから、これを育ててみては? そんな意味を込めて。
「……ありがとう。思い出を持って、『未来』に行かなくちゃいけないんだね……」
幾分はっきりとした微笑みを浮かべ、それでもまだ静かに泣きながらナツミは運ばれていく。
まだ搬送の順番待ちをしている被害者をマインドケアで落ち着かせていたアサニエルは、ひまわりの咲いていた更地を眺めた。
永遠に続く夏が終わったその場所は、あの鮮やかな黄色に比べるとどこか寂しく、けれど地に根付いた現実を確かに内包している。
「明日が昨日より悪いって誰が決めたのさね……」
アサニエルの声が、秋の風の中に溶けていった。