「すんませーん! セメントこっちに二キロお願いしまーす!!」
依頼初日から亀山 淳紅(
ja2261)は精力的に漁師達との交流を図ろうとしていた。だが答える者はいない。腫れ物を見るような目つきで当たらず触らずの距離を保っている。
「すんませーん」
亀山は立ち上がり、両手を振りながら更に大きな声で呼びかける。周囲の漁師達は手を止め亀山へと視線を向けるが何も言わずに作業に戻る。
「五月蝿いんだよ、馬鹿が」
どこからかそんな声が聞こえてくる。
「馬鹿ちゃうで」
亀山が叫ぶ。すると一人の男が立ち上がった。六十手前ぐらいの初老の男性だった。
「五月蝿いんだから五月蝿いと言っただけだ。お前達は本当に仕事をしに来たのか?」
「当たり前や」
「だったら手を動かせ。作業が進んでいないだろ」
「だからセメントを」
「自分で取りに行け。俺達はお前の駒じゃない。高い金払ってるんだから、その分働くのが筋ってもんだろ」
言い争う亀山と漁師、物珍しさに周囲の漁師達は再び作業の手を止める。
「やっちまえ」
どこからか囃し立てる声が聞こえてくる。相手もその気になったのか、拳を叩き合わせながら前に進んできた。周りの漁師達も雰囲気を察したのか亀山の周囲から離れていく。
「‥‥やめましょう」
騒ぎを聞いた宮田 紗里奈(
ja3561)が止めに入る。
「‥‥それと亀山さん、中西さんが呼んでます」
「中西だ?」
漁師達の顔色が変わった。初老の男も聞こえる程のわざとらしい溜息をついて元の位置に戻っていく。
「興が冷めた」
周囲の漁師達も口々に愚痴を零しながら作業に戻っていく。
「‥‥行きます」
「うん」
宮田の背中に付き従い、亀山は一時現場を離れていった。
二人が向かった先は常磐木 万寿(
ja4472)が交通整理を務める駐車場だった。依頼人である中西の他にラグナ・グラウシード(
ja3538)、子猫巻 璃琥(
ja6500)、マリー・ベルリオーズ(
ja6276)の姿があった。
「コレで全員ね?」
周囲の漁師達の目を気にし、まだ片言の日本語を続けるラグナ。一方でマリーはサハギンの方に注意を向けていた。見える範囲にはいないが、透過能力を持っている事を考えるとどこに出るかも分からない。些細な変化でも気付けるように地形を覚えていた。
「ワタシは防火シャッターを提案スルね。サハギン達、また火を使う可能性高いとオモウ。モット言うと消化施設、強化した方がイイある」
「私はシャッターと照明です。自動か外部からリモコン操作できるものを予算の範囲内で構いません」
マリーが言うと、中西は難しい顔をする。
「無理ですか?」
「無理では無いと思います」
中西は答えた上で言葉を続けた。
「ですが策士策に溺れるという言葉があります。準備はしますが、機器に過剰に頼る事は危険ですよ」
「覚えておくわ」
最後に宮田が提案する。
「‥‥私が提案するのは三点。‥‥一つ目に排水溝、塹壕兼退路として使用。希望としては深さ一メートル半から二メートル」
メモをとる中西のスピードに合わせて宮田は語っていく。
「‥‥二つ目は天井の梁、上空からの奇襲作戦を念頭に、撃退士が身を潜ませる程度の強度、太さが欲しい」
「あくまで予算の範囲内となりますよ」
「‥‥構わない」
中西の確認に宮田は即答する。
「‥‥最後に三点目、市場の中にステージの設置。敵より高所を取る事が目的、普段は競売場として有効利用してもらいたい」
「分かりました」
「‥‥後は当日金属製のコンテナを幾つか使わせてください‥‥是非とも、ご検討。いただきたく」
約束を取り付け、撃退士達はまた各々の持ち位置に戻る。いつの間にか時間は十七時を回っていた。
その日の夕方過ぎ、撃退士達は宿泊地であるコテージに戻り報告会を開いていた。
「天魔の存在を近くに感じながら暮さねばならない、とはな‥‥地元の人間はどう感じているのだろうか?」
魚腹市郊外のキャンプ場、ラグナはコテージに横になっていた。中西が準備した場所である。サハギン達の監視の眼を外れ、宇高 大智(
ja4262)の希望した撃退士同士が相談と料理の準備ができる所として選ばれた場所だった。
「相当不満は溜まっていましたよ」
洗濯した作業着を干しながら土方 勇(
ja3751)が答える。
「口も聞いてくれない人多いですよ。撃退士とか関係なく外部の人間を敬遠してるとでもいうんでしょうか。話を聞いてくれる人が十人に二、三人という感じでした」
「亀山さんも一触即発だったって聞いてます。俺も現場に居合わせたわけではないので伝聞になりますけど」
宇高はコテージの窓から空を見ていた。西の空にはまだ太陽が残っているが、厚い灰色の雲に覆われており姿を見せない。雲間から漏れる光が赤く空を染め上げている。
「明日降りそうですね」
ラグナも外を眺める。夕焼け空の下では神城 朔耶(
ja5843)とマリーが明日の炊き出しのために下ごしらえの準備を進めている。
「雨は嫌ですね。セメントが固まりません」
「セメントか」
資料をまとめる手を休め、龍崎海(
ja0565)が答える。
「そういえば今日セメントが一袋盗まれたよ」
「盗まれた、ですか」
宇高が窓に背を向ける。
「正確には石灰が隠された、だな。後で積荷のコンテナの中から小巻猫さんが見つけてくれたよ」
「リコがウオハラケーブルテレビの八木アナを案内している時の話ですね。撃退士って事を言わないように念を押してきたと言ってましたけど。小学生が興味持っていたのが気になりますね」
子猫巻 璃琥(
ja6500)は土方 勇の妹、土方 理子として猟師達には紹介している。小学五年生という事から同年代の子供達が熱い視線を送っていた。
「リコには中西さんが付いてるから大丈夫でしょう。天魔に狙われればリコが何とかするでしょうし、漁師に絡まれれば中西さんが仲裁してくれるでしょう」
「私個人としてはサハギンが襲ってこない事が不気味でしたね」
天井を見上げながらラグナは呟いた。
「不気味というより異様ですね。天魔に監視されている事を知りつつ表面上の平和を営む漁師達もですが、ただいたぶりながら何もしないサハギンの方も異様です」
ラグナは天井向けて拳を突き立てる。空を割く音だけが虚しくラグナの耳に届いていた。
「私たちに、今すぐ天魔を屠るだけの力があれば‥‥!」
「焦る必要は無いと思いますよ」
唸るように声を絞り出すラグナだが、反面宇高の声は少し明るさを持っていた。
「俺はもっと申告な状況だと思ってました。前回の火事で相当の惨劇を見てますからね。中西さんのおかげかもしれませんけど、立ち上がれるだけの気力があるなら未来はあるかなって気持ちになったよ」
「でも目の前に苦しんでいる民がいるんですよ‥‥」
「問題はそこだ」
龍崎が口を挟む。
「今日一日観察して疑問に思った事がある。サハギン達の中には個体差があるんじゃないかって事なんだ」
土方の目も龍崎に向いた。
「僕も思いましたね。サハギン二十体と聞いてましたが、実際に監視に出ているのは四、五体じゃないでしょうか」
「同感だ。多少見間違いをしているとしても全員が監視に出ているとは思えない。その辺りをこれから注意深く観察していく必要がありそうだ」
「ですね」
「その辺も含めて飲み会に参加してこようと思う。漁師達との信頼を築くためには酒の力も必要だろう。こればかりは未成年に任せるわけにもいかない。ナイフショーで盛り上がっているはずだろうしな」
龍崎は立ち上がった。
「いってらっしゃい」
撃退士達に見送られながら龍崎は、宴会芸として大道芸を披露している九重 棗(
ja6680)と鮭の飯寿司を渡すついでに誘われた宮田の待つ魚頭町へと戻っていった。
翌日、撃退士達は雨の中での作業を余儀なくされた。中西が用意してくれたレインコートを着ているものの、セメントを使うわけにもいかず代わりに排水溝作成に着手。そのまま昼を迎えていた。
「沢山食べて一杯頑張ってくださいね♪」
近くの食堂を借り、神城は昨夜下ごしらえした料理に火を通し九重が給仕を手伝っていた。始めは敬遠していた漁師達も背に腹は変えられないと判断したのか一人また一人と差し出された皿を受け取っていく。
「違ったものが好みの方はこちらもどうぞ」
フリットとソースを乗せた皿を手にマリーも声をかける。若者を中心に四人に一人程の割合でマリーの皿を受け取っていった。
「この辺りは雨は多いのですか」
土方が空いている場所に席を取り、近くにいる人物に話しかける。答えるものはいない。食べる事に皆集中している。中には食事を簡単に済ませ、部屋の隅で仮眠を始めるものもいる。それでも殴られないだけ進歩した、それが土方の感想だった。
三日目、天気が回復し再びセメント作業が再開された。流れ作業になったことで漁師達の中にも何人か協力するものが現れる。
「ワタシはレキシガクを勉強するために、ヨロッパからきまシター」
片言の日本語で自己紹介するラグナ。
「このイチバはカサイにあったのですね?」
ラグナとは目を合わせるものの、答える様子はまだない。
「仕事しろ」
短くそう答えられる。
「俺達は部外者を信用していない」
「ワタシたち信用ナイ?」
「天魔よりはある程度。契約が無ければ信用していない。お前さんもバイトで金貰えなかったら暴動起こすだろ」
それ以上は相手も何も答えない。だがそれがまともに行われた初めての会話だった。
三日目夜、宇高に連絡が入る。相手は佐藤 としお(
ja2489)、逃亡中の片山を発見したが逃げられたというものだった。
「どうやら海にいるようですね。いくつかの島を転々としているようです」
「サハギンが監視しているせいで手薄になった海に逃げたか」
「そして誰かと通信をしていたみたいです。通信機を見つけたということです。斧のようなもので破壊されていましたが、出来る限りの回収を頼んでみました」
「何か分かるといいな」
復元は無理だろうなと思いつつも龍崎は答える。その日も暮れていった。
依頼四日目、神城の料理に舌鼓を打った亀山は不審な人物を見つけた。初日に亀山に因縁をつけてきた初老の男性である。普段は食後仮眠をとっていたが、今日は外に出かけている。何かを思い立ったような顔つきだった。
「ちょっと出てくるね」
そばにいた小巻猫と土方に声をかけ外に出る。周囲を見回すと男性は港の方向へと向かっていく。サハギンの姿は無い。違和感を覚えながらも亀山は音を立てないようにと後を追った。
やがて男性は港に停泊していた船の中に姿を消す。
「忘れ物?」
亀山は一人いぶかしむが結論は出ない。そこで五分十分と待ってみるが男性の帰って来る様子は無い。やがて聞こえてきたのは歌だった。
幾千の 島々巡り 大海の 恵みを受けた 魚頭
今日もまた 面舵一杯 家で待ってる おふくろと 嫁子のために 網を引く
飛沫を上げる 荒波越えて 今日も朝から 船を出す
聞いた事もない歌だった。恐らく先ほどの男性が歌っているのだろう。野太い声が聞こえてくる。そして歌い終わると同時に男性は船にガソリンを撒き火をつける。
「なっ」
思わず声を呑んだ。そして船へと突入する。
「どうしたんや」
男性は船室で首を吊っていた。天井からはロープが垂れ下がり、足元には空になったコップ酒がいくつか転がっている。かなり無理な体勢だったが、どう見ても自殺だった。
「これは聞いてないで」
亀山は周囲を見回す。甲板に一本錆びた鉈を見つけた。それで二、三度叩きつけロープを切り離す。崩れ落ちる男性の身体、脈を取るとまだ弱いながらも反応が残っている。
「死なせないからな」
亀山は男性の身体を抱えて火の回る船を出た。騒ぎを聞きつけたのか港には撃退士達の姿がある。
「息はある。病院に連れて行って」
肝心な時にサハギンの姿は無い。喜んでいいのか悪いのか、亀山には判断できなかった。
その日の夜、キャンプ場に戻った撃退士達の下に連絡が入る。
「一命は取り留めたそうですよ」
連絡を受けた神城が亀山に伝える。
「よかったわ。あそこまでやっておいて死なれたら寝覚めが悪い」
「でもどうして死にたがっていたんですか」
マリーが尋ねると神城は表情を曇らせた。
「身寄りがいなかったそうです。奥さんは五年前に病気で他界、娘さんが一人いらしたそうですが、結婚以来連絡がなかったようで」
「だからって」
「そこにこの天魔騒動。心がおれてしまったんでしょう」
マリーは目を逸らした。頭の中では各人格が意見を出し合っている。
「理子はサハギンの方が許せないよ」
小巻猫は怒りを露にしていた。
「騒ぎを聞きつけた時、お兄ちゃんに言われてサハギンの様子を確認してたの。そしたらあいつら一切動こうとせずに私達の事見てたんだよ。きっと助かるって思ってたのよ」
「本当ですか?」
「ケーブルテレビも来てたから映像も回してもらう様に話をつけてみる」
キャンプ場は静かな怒りに包まれていた。
依頼最終日、仕事を終えて帰ろうとする亀山は呼び止められる。振り返ると男性が立っている。顔には覚えがあった。初日乱闘寸前となった時に囃し立てた一人である。
「姉ちゃん、じいさんからの伝言だ」
男性の手には厚手の布が握られている。
「じいさん大漁旗だ」
男性が大きく広げてみせる。そこには真っ赤に燃える太陽と荒れる海、そして大漁の文字が描かれている。
「大漁旗は俺達漁師の魂だ。じいさんがお前達に託すそうだ」
ぞんざいに畳み、男はそれを突き出した。
「受け取れ」
有無を言わさぬ申し出に亀山は静かに頷いて受け取る。
「幾千の 島々巡り 大海の 恵みを受けた 魚頭
今日もまた 面舵一杯 家で待ってる おふくろと 嫁子のために 網を引く
飛沫を上げる 荒波越えて 今日も朝から 船を出す」
大漁歌の大合唱に見送られながら撃退士達はそれぞれに口ずさみながら町を後にするのだった。