「一人搬入する。道を開けてくれ」
銀色の消防服を揺らしながら佐藤 としお(
ja2489)と神城 朔耶(
ja5843)が担架を手に赤い火を上げる市場から姿を現す。運ばれた救助者は男性、応急処置はされているが右半身が肩から手の甲まで火傷のために皮膚が赤く焼かれている。顔も煤のせいで黒くなっているが口周りはハンカチで覆われている。佐藤の案だった。
「カメラはごめんなさい。今は道を開けて」
撮影しようとするカメラマンに神城は注意し前を横切り、救急車のサイレンの聞こえる方へと足を速める。
「こっちだ。こっち」
宇高 大智(
ja4262)が二人に対し両手を大きく掲げた。
「これで自力脱出が九、一階の救出が三、二階の救出が零、合計十二だ」
「残り八名前後ですね」
救急隊員に担架を預け、佐藤は大きく深呼吸した。燃えるように熱かった肺が新鮮な空気を吸い込み、急激に冷やされていく。針で刺すような痛みが全身を巡った。
「いや、六名前後だ」
宇高が訂正する。
「レイラからの連絡だ。何人か自力脱出者も落ち着きを取り戻したらしい」
宇高が後方を振り返る。そこには駐車場の傍らで携帯電話を握り締めているレイラ(
ja0365)の姿があった。
「もう話せるようになられたのですね」
神城が安堵の声を漏らす。だが宇高は難しい表情のまま首を捻る。
「二、三人らしいけどな。詳しくは俺も分からないが、まだかなり錯乱してるらしい。こっちの言っている言葉は理解してもらえても、向こうが話す事が難しいようだ。その辺りは直接風鳥か望月に聞いて欲しい」
「そうですね」
神城はしばらく考えたが、やがて小さく頷いた。
「それで会話ができる人の話によると、二名ほど海に飛び込んだってことだ。服に火が燃え移って、それを消そうとしたんだろうという事らしい」
「それで六名ですね」
佐藤は疲れきった脳を必死に動かし暗算をする。
「少なくとも二名って事だから、六名より少ないって事もありえる。海の救助はエルレーンに頼むらしいから、また分かったら連絡するよ」
「お願いします」
やがて要救助者を乗せた救急車がサイレンを鳴らしながら出発する。佐藤と神城は駆け足で港へと戻っていった。
一方漁船は半ば鎮火していた。問題の船は船首は湾岸に叩きつけたのか、陸港部には大小様々な破片が散乱。全長のおよそ四分の一を失っている。外表部の装甲版の他に内部部品と思われるナットがいくつか転がっている。牧野 穂鳥(
ja2029)はその一つを摘み上げた。
「特に変わった所は無いわね」
消防服のマスクを外し、ナットを指の中で転がしてみる。強引に引き抜かれたのか頭の部分がかなり傷んでいるが、軸は損傷していない。
「そちらはどうですか?」
牧野は船内に乗り込んだ龍崎海(
ja0565)に尋ねる。
「ロープを見つけました」
龍崎が足元に転がるロープを拾い上げる。黒く焦げており長さは三十センチ程しか残っていなかったが、縄目の模様が残っている。
「一本だけですか?」
「俺が見つけたのはね。ただ海に落ちてると思う。それに気になる事がある。ちょっと船に上がってきてくれないかな」
龍崎が手招きする。不審に思いながらも牧野が船内へと上がると、鼻が刺激臭を捕える。嗅ぎ覚えのある匂いだった。
「ガソリンね」
「だと思いますよね」
「違うんですか?」
「どうなんでしょう」
龍崎は手で自分の鼻を覆う。
「俺の鼻が馬鹿になってる気もするんですよ。港で使われていたのもガソリン質の燃料だと思うんです。おかげでこの匂いが港の燃料のものか別のものかよくわからないんです」
「港から見るとこちらは風下ですからね」
牧野は中空に手をかざす。指の隙間を港から海へと風がすり抜け、牧野の髪を揺らしている。
「では逆にこのガソリンの匂いを隠すために燃料庫を狙ったというのはどうでしょう」
牧野が仮説を立てる。
「それを証明する為には証拠が必要ですね」
二手に分かれ、龍崎と牧野は船内の捜査を開始した。
市場の二階会議室では屋根の倒壊が始まっていた。炎は床を焼き壁を焼き、酸素を求める猛獣のように屋根に大穴を開けている。
「うわっ、ようけ燃えとるやんけ‥‥早よせんと、ほんまに間に合わんくなるなぁ」
消防服の狭い視界から亀山 淳紅(
ja2261)は地獄を見ていた。視界に見えるのは一面の炎、音も電話の呼び出し音と壁を焼く音が混在している。
「誰かいますかー!! いたら返事をお願いしますー!!」
声を張り上げる。だが返事は聞こえてこなかった。代わりに南雲 輝瑠(
ja1738)が手に打刀を握り会議室へと顔を出す。
「二階にはいないようだ。代わりに階段の途中に一人いる。腰を抜かしているのかもしれない」
壁が崩れてくる。
「危ないで」
亀山が走った。防火服を揺らしながら南雲の隣に立ち、壁を支えるようと両腕を掲げる。だが南雲は打刀を手にしたまま動かない。そして意を決したのか刀を手に壁に斬りかかる。
「邪魔だな‥‥試してみるか‥‥?」
刀が壁を一閃する。炎で包まれていた壁だが刀の軌跡に添うように炎が二つに割れ、壁に亀裂が入っていく。
「やるやないか、南雲さん」
「‥‥まさか本当に成功するとは思わなかったな」
二つに割れて大音を立てて倒れる壁を見つめながら南雲は苦笑する。
「急ごう。‥‥まだ助けるべき命がある」
「せやな」
二人は階段へと向かうために会議室の扉へと向かう。周囲を警戒しながら南雲を先頭に階段を降りていく。
「足元に気をつけてくれ‥‥かなり高温になっている」
亀山を気遣いながら先へ進む南雲、しかし二段階段を降りた所で南雲は背中を小突かれる。
「‥‥どうした」
肩越しに後ろを確認する南雲、すると亀山は必死に何かをもがいている。。
「足が」
「熱くなってるから‥‥火傷したか?」
「いや、何かに引っかかったみたいや」
要救助者は数段先でうずくまっている。そちらにも気をとられたが、南雲はひとまず後ろを確認する。確かに亀山の足元に緑色の物体がある。
「‥‥何かあるな」
亀山も気になるのか足元の物体を掴んでみる。
「これ天魔ちゃうん?」
強引に引き剥がそうとする亀山、力を入れてみるが物体は動かない。階段の隙間から南雲が覗くと、そこには手だけを透過させている鱗姿の生物がいた。
「‥‥天魔だ」
敵は大きな目で南雲の顔を見つめているが、瞳は糸の切れた独楽のように左右関連無く目の中を動き回っていた。
やや勢いの落ちてきた炎の様子を見ながら、エルレーン・バルハザード(
ja0889)は漁船から港に見つめていた。地元漁師から借りて来たものである。始めはいい顔をされなかったものの、仕事仲間の救助という事で渋々快諾してもらったものである。
「船はこれ以上近づけないぞ」
漁師はエルレーンを忠告する。エルレーンの他に依頼人であるテレビ局のカメラマンが一人と女子アナウンサーである八木、操舵役としての漁師が一人同乗していた。海に落ちたという要救助者を発見するために冷静に港と海を交互に見返すエルレーンに対し、テレビ局の二人と漁師は彼女の一挙手一投足にカメラと関心を寄せている。
「近づけないといい絵が取れないじゃない。例の指名手配犯が関与してる可能性もあるんですよ」
距離を取ろうとする漁師に対し、八木はヒステリー気味に叫ぶ。
「俺は仲間を助けるために船を出してるんだ。マスコミの指図を受けるつもりは無い」
「残念、今回お金を出してるのはウチなの。つまり撃退士の命令は私達の命令、分かる?」
「しらねーよ、そんな裏の事情。人命と仕事どっちが大事だと思ってるんだよ」
「二人とも止めてよ」
睨み合う二人の間にエルレーンが割って入る。
「これでは依頼に集中する事もできないよ。お互いメリットにはならないって事分からないの」
睨み合いながら牽制する漁師とアナウンサー、その中でエルレーンは物音を聞き分ける。水音と人の叫び声だった。
「船回して、二時の方向」
「近づかないって言ってるだろ」
「だったら待っててね」
頑として船を動かさない漁師に頭を切り替え、エルレーンは水上歩行を使用する。
「助ける! 助ける! ‥‥助けて、みせるッ!」
カメラも気にせずエルレーンは海上を駆け抜けていった。
消火活動から二時間、まだ港を覆う炎は衰えを知らずに燃えている。救助者は既に十八名に達している。宇高は終わりが近いという安心感に反し、焦燥を募らせていた。運ばれてくる救護者の怪我の様相が変わってきたからである。
「炎症じゃない。裂傷が増えてきた」
既にライトヒールを使い果たし、宇高も救急箱での応急処置に切り替えている。加えて港に潜入している撃退士達が二十分前を最後に出てこなくなっている。
「天魔と見た方がいいでしょう」
レイラも焦り始めていた。
「火災の原因を調べていた龍崎さんと牧野さんから連絡がありました。船にロープの他にポリ容器の破片を見つけたそうです」
「人為的なものってことか」
「ついでにガソリンを入れていたと憶測されます。ガソリンを入れたポリ容器をロープで固定し港に直撃、そして火災」
「俺も港に行く。そっちは風鳥、望月と周辺の哨戒をしてくれ」
返答を聞かずに宇高は走っていた。
炎で焼かれる市場の中では撃退士達は敵と対峙していた。緑の鱗に視線の定まらない瞳に二足歩行、それが炎に紛れて十、二十と押し寄せてきていた。
「貴方達天魔が何故このような事をするのかは分かりません。ですが‥‥これ以上好き勝手はさせられないのですよ‥‥!」
いきり立つ神城だが、天魔達は相手にしない。嘲笑をするだけだった。
「戦力的撤退って奴見せてくれていいんだぜ」
一体が笑うと、残りも同じように歯を見せて笑う。
「アンタ達の今回の依頼は要救助者の救助だろ。知ってるんだぜ。それにそんな重い防火服着たまま戦うなんて思ってないよね」
南雲は打刀を見せる。炎の中でゆらりと刀身が揺らめく。だが天魔はまた大きく笑った。
「やめときな。今は船が二隻出てる。一隻は撃退士が乗ってるがエンジンが焼け切ってて航行不能、もう一隻は要救護者二名と報道関係者二名が乗ってる。このまま沖に流されたらどうなるだろうね。試しに一隻沖に流してみようか」
「何が目的なんです」
佐藤が天魔の注意を引きにかかる。
「こんな回りくどいやり方をする必要はなかったはずだ」
ひとまずの目標は時間稼ぎ、阻霊陣を展開することさえ出来ればフォークリフトで撹乱することもできる。都合よく南雲も亀山も阻霊陣を準備している。それに 気になる事が合った。市場に入ってから姿を消した宮田 紗里奈(
ja3561)の事である。
「別に回りくどい事をやってるわけじゃないんだよね。ただ俺達、上からの命令で動いてるだけ。活かさず殺さず人間と遊んでくれって言われたの。だから逃げたきゃ逃げていいよ、別に追いかけないから。ただ観察拠点にこの市場は頂くけどね」
天満達の笑い声が炎に飲み込まれていた。
その頃、宮田はトンファーを手に市場の地下にある防空壕を歩いていた。途中にあった南京錠は宮田自身が破壊している。トンファーで二、三度殴りつけ、最後に手で掴み、力を込めて引きちぎっていた。
「足跡」
入り口には最近誰かが侵入したのか埃も少なかったが、奥はまだ埃といくつかの足跡が
残る。その足跡に従うように宮田が歩くと、正面から呼び止められる。男性の声だった。
「どうしたんですか」
宮田は目を凝らした。相手はどうやら紺の衣装、警察の服装をしている。それでも宮田が沈黙を守ると、次に相手は胸ポケットから手帳を取り出した。警察手帳である。
「魚頭警察署の清水巡査です。この防空壕は封鎖されていると聞きましたが緊急事態でしょうか」
「いや」
警官は近寄ってくる。宮田は頭を巡らせた。天魔の関係者が前回三人見つかった事は知識として聞いている。片山、衣笠、桑原、その内衣笠が近くの山で目撃されたという話だった。清水という名前ではない。では変装という可能性は無いのか、次の仮説が頭を過ぎる。
「市場で。火事が。発生しました」
完結に要点だけを伝える。炎はここまで届いては来ないが、宮田にとっては空気が重かった。
「市場でですか」
清水の顔を眺める。顔が泥で汚れているが、おかしな所は無い。
「ところで。そちらは」
「防空壕の出口を塞いでいた土砂を運び出したんです。ここに指名手配者が紛れ込んでいるかと思いまして。途中で会いませんでしたか」
「いえ」
宮田は短く答える。
「そうですか、それでは市場の件は隊長に伝えておきましょう。援軍を回してもらえるはずです」
清水は最後に柔和な笑顔を作り振り替える。宮田も胸を撫で下ろし振り返る。そして聞こえてきた音は血飛沫だった。再度振り返ると清水が倒れ、緑の鱗をした生物がこちらを見ている姿だった。
「宮田さん発見されたそうです」
レイラの携帯電話に連絡が入る。警察署からの連絡だった。
「要救助者はこれで全員見つかりました。引いて大丈夫です。龍崎さんと牧野さんもエルレーンさんが救助したそうです」
撃退士達は市場を後にした。炎は消えたが、代わりに天魔を残して。