「タイミングは鮫島さん達にお任せします」
扉の前で待機しながら藍那湊(
jc0170)は鮫島と根間に言葉を掛けながら呼吸を整えた。隣では向坂 玲治(
ja6214)、ラファル A ユーティライネン(
jb4620)が建物の周囲を眺めている。閉められた扉の先からは怒号とも悲鳴とも取れる阿鼻叫喚の叫び声が聞こえてきていた。
「開けた瞬間に突撃ってことでいいんだよな」
ラファルがスフェニスクスキャップを被りなおす。
「五人で二百人救助たぁ、なかなかヘビーな任務だな、おい」
ラファルは建物を見上げた。佐藤 としお(
ja2489)が屋上からラぺリングで突入できそうな場所を探している。しかし未だに見つからないのか、佐藤の動きには焦りが見られていた。そしてその横を緋打石(
jb5225)が物質透過ですり抜けていく。
「まあ、俺達にかかればお茶の子さいさいだけれどよぉ」
「頼りにしてるぜ」
テンション高めなラファルに向坂は煽てる。だが同時に向坂の言葉は自分に向けての言葉でもあった。五人で二百人を助ける。机上の計算を言えば、結果は難しい以外の結論は出ない。それだけ厄介な任務を自分達がやろうとしている事を向坂は自覚していた。だが不思議と不可能という気分ではない。
何とかなるのではないか。根拠として人に説明できるようなものは無かったが、不思議と自信があった。そう思わせるだけの空気を向坂は感じていた。ラファルにも藍那にも顔に悲壮感はない。ただ藍那のアホ毛が風に吹かれているのか、微かに震えている。
やがて佐藤がロープ伝いに地上まで降りてくる。
「入れませんね」
不慣れな手つきで佐藤は命綱を取り外した。
「二階の窓も鉄格子が入っています。物質透過なしでは通り抜けられません」
自分の案が失敗したためか佐藤は首を振っている。だが藍那は全く別の考えをしていた。
「しかしこれで犬が二階に行っても、窓から抜け出す事は無さそうですね」
「そういうことになるな」
参加者達の計画では妹を体育館上部へと逃がす手筈になっている。誰が逃がすか明確な人選はされていないが、二階の安全性を保つ事は急務だった。しかし人手が足りない中で全ての場所に目を配るわけにはいかない。死角になる可能性の高い二階で、犬にとっても逃げ道が無いというのは決して悪い話ではない。藍那はそう考えていた。
「行くぞ」
鮫島が話しかける。その言葉に四人はそれぞれ戦闘体制に移行した。
四人が体育館へと入る頃、緋打石は一足早く中に潜入していた。犬の数は十、それぞれの位置を把握する。どの犬と対峙するのか、そして火遁・火蛇を最大限に利用できる配置はどこなのか、それを見つけるためである。だが全ての犬の居場所を確認し、緋打石は自分の読みが甘かった事を認識させられた。敵の方が動きが早かったからである。今回の救助目標の一つである妹には、まだ犬の攻撃範囲には届いていない。しかし十匹の犬は全て逃げ遅れている一般人に標的を定めて拡散、接近を果たしていたのである。火遁・火蛇の範囲では複数の対象を同時に巻き込む事は難しかった。
「これで勝ったと思うなよ、犬共?!」
気合を入れなおし、緋打石は左手にいる犬を対象に定めた。四人が入ってくる右手の入口からは届きにくいと見えた一匹である。そして間合いを詰めると同時に飛燕翔扇を投げつける。狙いは首筋。犬の気を引くと同時に、犬の一般人に対する攻撃意思を挫くためである。
「犬どもどうしたぁ?!こっちを何とかしないと死ぬぞ?!」
緋打石は大音声で叫んだ。彼女の手を離れた扇子は的確に犬の顎を破壊する。不意をつかれた犬は横からの衝撃に転倒。そしてその隙に緋打石は、ブーメランのように手元へと帰ってきた扇子を掴み取る。
「一匹たりとも逃がしてやらないからな?! 覚悟しろ?!」
緋打石はそのまま標的を帰る事無く傷ついた犬に直進する。そして彼女に遅れる事数秒、建物右手から音が響く。直感的に緋打石はその音が四人に突入音だと悟った。だが彼女は音源を確認しない。目の前まで迫る犬が立ち上がり、緋打石を睨んでいたからである。目を離せばやられる。それだけの意思を彼女は犬から感じ取っていた。
一方、突入を果たした四人はそれぞれ最速と思われる手段で人の波を掻き分けていた。これまで入口が閉じられていた事もあって、右手側に人垣は形成されていなかった。お陰で四人は第一歩目で十分な距離を稼ぐ。しかし次の瞬間には人垣の動きが変化した。誰が気付いたのか、右手に群がっていた群衆が一斉に出入り口目掛けて移動を開始したのである。
「飲み込まれるなよ」
正面から迫る黒山に対し、ラファルは迂回する方法を選択した。 壁走りを使ってスペースのある天井を駆け抜けて行ったのである。藍那も遅れまいと磁場形成で一時的な速力を稼ぐ。しかし佐藤と向坂は逆流する人の流れを直撃を受けた。
「先に行け。俺達も急ぐ」
人の波に流されそうになりながらも、向坂は自分の進む道を見定めていた。速力こそは落としながらも確実に体育館の中心へと向かっていく。そして佐藤は歩を進めながら、天井との合間にスレイプニルの召喚に成功した。召喚獣に群集の殿を守らせ、時間を稼ぐためである。専守防衛を任じられた馬竜は虚空に漂いながら身を丸める。その様子に何事かと立ち止まった一般人の姿もあったが、彼らも人の流れと共に出入り口へと流されていった。
「とりあえず抜けたな」
怒涛の人垣の直撃を受けながらも、佐藤と向坂は運動スペース前でようやく人の流れを脱出する。だが彼らに心の休まる時間は無かった。既に目の前に犬が一匹迫っていたのである。
「スレイプニル、ここを頼む。その犬を通すな」
佐藤は自分の召喚獣に犬の相手を命じた。そして佐藤自身はそのまま運動スペースへと入っていく。
「こんな時じゃなければ、動物同士の戦いも一興なんだがな」
敵が迫っている事を間近に見て、向坂は追い込まれている事を実感する。だがそんな状況とは反対に、彼の口元は緩んでいた。
群集を先頭で抜けたラファルがまず確認したのは妹の所在だった。事前情報では体育館の中央付近と聞いていたが、刻一刻と変化していく情勢の中で一定であるとは限らない。その変化を何より象徴していたのは無残に食い散らされた一般人の死体であった。
長男の死は知らされていたラファルだが、目に見える死体の数は十を数える。明らかに数が合わなかった。既に何人か追加で犠牲者が出た事になる。自分達が入口で時間が掛かった事をラファルは認めていた。しかし彼はそれを踏まえた上でも動き出しの早い敵を相手に、喜びに近い感情を抑えきれずにいた。
「差し迫ってきたなぁ」
壁走り効果を最大限に活かすためにも、ラファルは天井を走り抜ける。そして遂に妹の位置を確認した。場所はほぼ変わらない。体育館のほぼ中央で足を押さえながら蹲っている。問題はその傍二メートルの距離まで犬が接近していた事である。その脇には既に息絶えた一般人の躯が横たわっている。
ラファルは自分と犬の位置関係を調整しつつ、天井から足を離した。天狼牙突を脇に構え、そのまま犬の胴体を狙う。串刺しする予定だった。だがこの大きすぎる動きは犬に察知される。落下点を予測した犬はすぐさま場所を移動。そして落下中のラファルに対して牙を剥けて来たのである。
「やるじゃねーか」
ラファルは身を翻しながら、犬の攻撃を刀でいなした。そして犬の攻撃の反動を利用し、妹と犬との間に着地を果たしたのである。
同じ頃、藍那は緋打石が館内にいる事を確認した上で阻霊符を使用していた。天魔である犬が透過能力を使って逃亡する事を避けるためである。その横を佐藤が通り抜ける。向かうは左側の出入口、緋打石が一人で孤軍奮闘している場所への援軍だった。犬はそれほど知能が高くは無いのか、手薄である左手へと流れたのは三匹しかいない。しかしそれでも緋打石一人では手が足りていなかった。
他のものへと目もくれず、佐藤は運動スペースを横断する。だがこの行動が犬の動きに変化をもたらした。犬が一匹、佐藤を追いかけ始めたのである。これは佐藤にとっても予定外だった。援軍として向かうはずだったが、自分が敵を引きつけていては本末転倒となる。仕方なく佐藤は足を止める。そして犬の動きを封じるべく対峙した。
場は硬直した。ラファルは目の前の犬に攻撃を仕掛けるも、相性が悪いのかことごとく回避される。犬の反撃を封じ、妹の無事を確保という意味では成功している。だがラファルが突入前に考えていたのは、華麗且つスタイリーッシュに追い散らすという自分の姿であるはずだった。犬一匹に悪戦苦闘するのはラファル自身にとってさえ予想外の出来事だった。
緋打石は自分の攻撃力不足を悔やんでいた。敵を一撃で死に追い込めない。重傷を負わせるには十分な威力をもった彼女の一撃ではあったが、これが逆に不幸をもたらしていた。身の危険を感じた犬が逃亡に転じるためである。逃げ出した犬を追いかけなければならないという手間が必要になる。阻霊符のおかげで犬は壁から逃げ出す事はない。それは救いではあった。だが全力で逃亡を試みる犬を追いかけるためには、緋打石も全力で追う必要がある。
逃げ惑う人々を藍那は一人一人宥めて、蒼の翼で二階へと逃がす。見える範囲での人の数は明らかに減っていた。時間稼ぎという意味では順調と言えるかもしれない。しかし残っている人の中には、死体となったものが増えていた。藍那の助けもあり一時的に姿を隠している人もいるが、怪我をしている人の数も少なくない。
「俺達が引き付けます、なるべく目立たないように潜んでいて」
繰り返す自分の言葉に、藍那は自信は揺らぎ始めていた。
犠牲者が増えていく。喜ばしくない状況を大きく動かすべく、向坂は運動スペース中央へと陣取った。そして仁王立ちし、全ての犬の標的となるべくタウントを使用。一般人を追い回していた犬の注目を一気に集める。これは危険な賭けだった。犬の攻撃力は不明。全ての攻撃を受ければ、どれだけの被害を受けるか分からない。だがこの状況を打破するために、向坂の意思は揺るがなかった。
「犬っころども! 俺がまとめて相手してやる。かかってこい」
エペイストシールドを床に刺し、身を屈めて向坂は防御の構えをとった。そこに群れを成した犬の集団が前後左右構わず襲い掛かる。幸い犬の攻撃は軽かった。だが間断なく攻撃をしかけてくる犬に向坂も手を出せない。少しずつだが向坂の生命力は削られていった。
一見したら苦戦。だがこの状況に緋打石は天啓を得た。彼女の持つスキル火遁・火蛇なら向坂を囲む犬を一掃出来るかもしれないというものである。識別すれば向坂も対象から外せるはずだった。
「私の炎を篤と味わえ」
緋打石はアウルの力で呼び出した炎を犬に向けて放射する。対象は付近の犬全て。烈火の如く燃え上がる業火は一瞬にして犬を炭へと変貌させる。やがて消えた炎の跡に残ったのは、大量の犬の死体と緋打石に対して親指を立てる向坂の姿だった。
その後は掃討戦だった。残った天魔は攻勢に転じた参加者によって屠られる。そして各自手当てへと移行した。しかし今回の一件で亡くなった人の数は二十二に昇る。顔に白い布を掛けられて人が担架で運ばれる度に参加者達は複雑な表情で見送っていた。
「一つ聞きたい」
事後処理に終わりが見え始めた頃、鮫島がラファルに話しかけた。
「根間は君達に何か頼んだか」
「いいや」
ラファルは即答した。
「俺達は自分達がやるべき事を最大限やっただけだぜ」
ラファルは鮫島が妹に関して聞きたいのだろうと想像がついていた。偽歩美の救助は根間の独断であり、鮫島との考えとは異なる。それを踏まえた上でラファルは笑いながら否定する。その様子を向坂は少し離れた所から眺めていた。
「何か不満でもあるのかい」
今度はラファルが逆に尋ねた。
「俺達も成長中の身だ。指摘があるなら聞くぜ」
不穏な空気を感じたのか、他の参加者達も鮫島の周りに集まっている。そこで遂に鮫島は本音を口にした。
「何故歩美を助けた。彼女に構わなければ、もっと多くの人が助けられたはずだ」
「それはそうかも知れませんが」
藍那は言葉を濁した。犠牲者の数は彼女の頭の中にも入っている。そして親族と思われる人が外へ運び出された遺体に縋る様子も目の当たりにしていた。言葉がでない。だが反面、自分達がやった行動が間違いだとも思っていなかった。
「ではどうすれば良かったと」
佐藤が尋ねる。
「怪我人は見捨てる、犯罪者は見捨てる、それはヒーローにはあってはならない考えでしょう」
佐藤は独自の主人公論を展開する。しかしこの言葉が鮫島の中にある何らかのスイッチを押した。
「夢物語を口にするな。実際に人が死んでいるんだ。お前達も見ているんだろう」
一気に空気が冷えた。遠くで偽歩美と話をしている根間でさえ心配そうに参加者達を見ている。その中で一人、向坂は冷静に事実だけを見つめる。そして冥魔認識を活性化させた。前回三兄妹には使用したが、鮫島と根間には使っていない事を思い出したからである。
「あの女は恐らく天魔だ。犬に襲われた程度で命を失う事はない。後回しでよかったんだ」
鮫島は弁舌を振るう。その傍らで向坂は小さく首を振った。鮫島の判定結果が冥魔と出たからである。
「盛り上がっているところ済まないが、一つ提案がある。逃げた次男の捜索に手伝いたい」
向坂は鮫島に近付き、話題転換を試みた。
「それは自分も考えていたことじゃ」
緋打石も向坂の提案に乗る。これには鮫島も反論しなかった。
その後、個々に散開する参加者達の中で向坂は鮫島の後をつける。向かった先は一ヶ月前に向かった名護家の近くの山の中だった。
「犬狩りのあったとかいう山じゃないのか」
迷う様子も無く進む鮫島に、向坂は警戒レベルを更に一つ上げる。山に入って十五分、鮫島はやがて一つの岩の前に腰を下ろした。
「忘れていてすまなかったな。だが約束の形見見つけてきてやったぞ」
向坂が鮫島の背中越しに見たのは、一ヶ月前に見た黒犬の毛だった。