参加者達が転移したのは庭先だった。犬の喉を鳴らす音が聞こえてくる。肌を触る風は生温い。雨上がりのような湿気の混ざった空気が参加者達を包んでいた。砂混じりの地面には所々雑草が生えているものの数は多くない。そして自動車で作られたと思われる轍が二本残されている。
「行くぞ」
ジョン・ドゥ(
jb9083)が闇の翼を展開する。空へと舞い上がり、犬と女の子を姿を確認する。続いて藍那湊(
jc0170)が異界認識を使用した。判定結果は天魔だった。
「殲滅で」
言葉短く藍那は結果を伝えた。半分予想していた結果ではあったが、藍那の作る握り拳に自然と力が入る。
「自分達の意思ならまだいいんだけど」
そう考えながらも犬の習性から藍那は躾けられた可能性の高さも自覚していた。
「気持ちは分かりますが、まずは女の子だ」
藍那の肩を向坂 玲治(
ja6214)が叩く。
「疑い始めりゃきりがない。目の前に見えることから片付けていこうぜ」
「そうだね」
藍那はゆっくりを息を吐き出した。他の参加者達もそれに続いた。
戦闘の開幕を告げたのはジョンの急降下だった。闇の翼で空中に待機していたジョンは犬の背後へと回り込み、錐揉みしながら降下し黒炎を吐き出した。
「消し炭にしてやるよ」
しかし突如吹いた風にジョンの体が流れる。放たれた炎は犬の体二つ分右へと落下した。
「手元が狂ったか」
だが回避のために犬が女の子と距離をとる。そこに佐藤 としお(
ja2489)が入り込む。
「助けに来ました」
噛まれたという傷口を気をつけながら佐藤が女の子の前に出る。そして自分の背に女の子を隠した。一方で犬は佐藤を敵と認識したのか一声大きく吼えた。
「とりあえず女の子は助けられたな」
続いてラファル A ユーティライネン(
jb4620)が犬の前へと姿を現し、ラファルタイタスを作動させる。ただこの姿に犬の様子が変わる。背を向け逃走を始めたのだ。
「逃がさないわよぉ」
デスブリンガーを構えて黒百合(
ja0422)は側面から一気に距離を詰める。空蝉を使って犬からの反撃に対抗する。狙いは足、逃走を封じるための一撃だった。
犬も間際で黒百合の存在を認める。逃げるのは無理と判断したのか、犬は方向を黒百合の方へと転換する。大きく口を開け、直進で距離を詰めた。共に接近を計った事で黒百合と犬との距離は一気に肉薄する。先に仕掛けたのは犬の方だった。身を低く屈めながら黒百合に晒す面積を減らし、黒百合の首筋へと狙いを定める。だが黒百合は奥の手があった。準備しておいたスクールジャケットを犬の口へと突き入れて攻撃を防いだのである。そして余裕を持って犬の足をなぎ払う。
「勝負あったわねぇ」
すぐにジャケットを吐き捨て犬は立ち上がろうとするが、そこにはジョンが追撃に向かう。闘神の巻布を巻いた両手首から放出されたアウルは全身を包み、そして拳から無防備となった犬のわき腹へと叩き込まれた。宙に舞った犬の体はやがて重力のままに地面へと叩きつけられる。しかしもう犬が動き出すことは無かった。
「犬一匹じゃこんなものか」
死んだ振りをしている事も想定し、向坂は犬へと警戒しながらゆっくりと近付く。だがやはり犬は立ち上がらない。そこで向坂は犬の足を掴み上げる。
「この足跡、念のため調べておくか」
「どこから来たのか調べるのねェ」
どこからともなく黒百合が現れる。
「行ってくるわァ。何か残っているかもしれないからねェ」
「頼んだ。俺はあの子も調べたいからな」
向坂の視線の先にいるのは犬と対峙していた女の子だった。犬が倒された事で張っていた緊張の糸が切れたのか、女の子はその場に倒れこむように寝込んでいる。藍那はライトヒールを掛け、続いてマインドケアを施す。おかげで首からの出血は止まっているが未だに女の子は目覚めない。話を聞ける状態ではなかった。
しかし相手が警戒していないというのは、向坂にとっては好都合だった。冥魔判定を行っても警戒されないからである。だが反応はない。向坂は誤魔化すように視線を外し道路へと向ける。するとどこからともなくサイレンの音が響き渡る。遅れて長袖の警察の制服を着た男性を現した。
「犬はどうなった」
「倒したぜ」
治療の様子を見守っていたジョンが答える。
「それよりこのサイレンは救急車か」
警官が答えるより早く救急車の白い車体が名護家の敷地に姿を現す。更に後ろには二台の車が続いた。一台はワゴンタイプの軽乗用車、もう一台は二足歩行のロボットを大きく描いた普通車だった。
「あれは」
「長男と次男だ」
ジョンの問いに警官が答える。やがて二人の男が車から降りてくる。一人は長身の大柄な体型、もう一人はやや小太りの男だった。二人は車を降りるや否や藍那の抱える女の子へと近付く。そして小太りの男は女の子と一緒に救急車へと乗り込んだ。
「大きい方が長男か」
ジョンの脳裏に長男が現役のバスケ選手という情報が浮かぶ。そして目測で相手の身体能力を測定した。
「身長は二メートルはあるな。歩き方も重心が低く独特だな」
ジョンの推察に警官は何も答えない。ジョンの顔を見つめるだけだった。
その頃、佐藤とラファルは長身の男と挨拶を交わしていた。
「歩美さんのご家族の方ですか」
努めて丁寧に佐藤が尋ねる。
「兄の雄一だよ。君達が妹を救ってくれた人でいいのかな」
長身の男は笑顔で二人の顔を見比べる。
「それなら俺達だな。あれがその犬だ」
ラファルが倒れたままの犬の死体を指差す。
「でかいだけであんまし強くはなかったぜ。俺の見せ場無かったし」
不満そうにラファルは口を尖らせる。一方で後で二人の職場を回るつもりだった佐藤は、長男次男の登場に何を聞き出すべきか必死に頭を働かせていた。
「それより何で襲われたのか心当たりみたいなもの聞いておきたいんだけど、何かあるか?」
「家の事は結構歩美に任せっきりにしちゃってるからなあ」
長男は誤魔化すように笑っている。
「お仕事の関係ですか」
佐藤が助け船を出すと長男は髪を掻きながら頷いた。
「こういう時に親がいてくれたらと思うよ」
親というキーワードが出てきた事にラファルは佐藤を小突いた。
「失礼ですが、ご両親は」
「もう何年になるかな。犬に噛まれて死んだよ」
ラファルはそこで長男に対し違和感を抱えた。目の前の男が笑顔のまま親の死を語っているからである。
「歩美の事を聞いて、僕の家系が呪われてるんじゃないかって考えちゃったよ」
「呪いなんて言う割には嬉しそうだな」
長男の言葉の裏にどぶのような臭さを感じたラファルは一歩踏み込んだ質問をした。だが長男は一瞬意外そうな表情を浮かべただけでまた笑顔に戻る。
「それは嬉しいですよ。その呪いのお陰で僕はバスケ選手になれたのかもしれませんし」
男は突然名刺入れを取り出し、佐藤とラファルに一枚ずつ差し出す。その名刺には白い犬が描かれていた。
「僕のチームのマスコットがその犬なんです」
「犬を制するには犬ですか」
佐藤は自分で言っておきながら可笑しな理論だと思っていた。だが長男は否定しない。その時男のスマホが着信を知らせる。
「妹が病院に着いたみたいなので僕も失礼します」
長男は一礼して車へと向かっていく。そして走り出したのを確認して佐藤とラファルの下に向坂が合流した。
「冥魔認識してみた」
「反応は」
佐藤の問いに向坂は首を振る。
「妹と一緒で反応なし。ただ俺の直感で言わせて貰えば何か持ってるな。特に呪いに対する反応はどうも胡散臭い。多分俺達の持っている情報以上の何かを隠している」
向坂は長男の車を目で追う。だがサイドランプを転倒させていた車はすぐに彼の視界から見えなくなった。
「俺としてもその線は洗いたいところだけど、何かアテはあんのか」
「全く無い」
即答する向坂にラファルは苦笑するしかなかった。
「まあ呪いなんて掴みどころがない話だかんな」
「それもあるが下手に突けば向こうの警戒レベルが上がりそうな気もしてな。ところでお前達はどうするつもりだ」
今度は逆に向坂が問いかける。
「僕は役所に当たってみます。本当に親類縁者がいないのか確認したいので」
「そんなもんは警察に任せれば調べてくれるんじゃないか」
そこまで言って向坂は顎に手を当てる。そして声の音量を落とした。
「それは疑ってるってことか」
「そこまではっきりしたものじゃないんですけどね」
佐藤は明確な返答を避けた。
「こういった事は自分で調べないと気が済まないんですよ」
顔は笑っている佐藤だったが、目は臨戦態勢に入っているかのように真剣だった。
「俺も一つ気になることがあるんだ」
ラファルが手を挙げた。
「根本的なことなんだが、今回の事件って誰が通報したんだ」
向坂と佐藤が顔を見合わせた。
「そりゃ警察だろ。まず警察に連絡が行って、それから学園にって流れだと思ってたんだが」
「僕もそう聞いていましたが」
「それにしちゃタイミング良すぎないか。俺達が駆けつけるのが遅ければ、あの子どうなってたかわかんないじゃん。それに少なくともあの兄さんは冥魔じゃないんだよな」
ラファルが尋ねてくる。向坂は頷いた。
「勿論天使っていう可能性はあるのは俺も分かってるんだぜ。戦い方から見るとむしろそっちの方が可能性高いとも思ってる。でもそうなると通報者はあの子が天使だって知ってたんじゃねーのって気がしてさ」
「流石に考えすぎじゃないですか」
佐藤が止めに入る。ただ向坂は首を捻る。
「ひょっとしたら俺達同様確かめたかった奴がいるのかもな」
ラファルが頷く。三人の間には沈黙が流れていた。
一方ジョンは藍那と共に警察から話を聞いていた。警察も冬服の鮫島に加え、根間が合流している。ジョンは早速出発前から抱えていた疑問を警官にぶつけていた。
「……もしかして三年前にあったって野犬の犬種、ドーベルマンみたいな黒犬じゃなかったか?」
少なからず自信のあるジョンの問いだったが、鮫島は真っ向から否定する。
「直接俺が見たわけじゃないがな、少なくとも言われたのはポインターみたいな犬だと聞いた」
「ポインター?」
「猟犬だよね」
藍那が答える。
「黒いのか?」
「どっちかっていうと白い。一部茶色とかもいるけど」
藍那の答えを聞きながら、ジョンは考え込んでいた。そこに鮫島が尋ね返す。
「こっちも一つ聞きたい。あの犬は天魔なのか」
ジョンと藍那は顔を見合わせた。
「天魔だ。どっちの陣営かは分からないけどな」
どこまで情報を出していいのか判断に困った二人は情報を小出ししながら相手の動向を見る事にした。
「ということはあの女の子も天魔ってことでいいんだな」
「そこまでは分からないかな。彼女はスキルを使った様子がないし」
不意に藍那は何故女の子がスキルを使わなかったのか疑問に思った。だが鮫島はそんな藍那に気付かなかったのか犬へと顔を向ける。
「あの犬借りるぞ。調べてみたいからな」
鮫島は返答を聞かずにジョンと藍那から離れていく。そして残された根間は鮫島を気にしながら二人に相談を持ちかけてきた。
「改まってどうした」
「今後の方針を皆さんの意見を聞きたいのです」
「それは行方不明者の捜索ってこと」
「それもあるんですが」
根間が帽子を被りなおす。
「今回歩美さんが狙われたわけじゃないですか。僕としては歩美さんに警備をつけるべきだと思うんです」
「今後も狙われる可能性があると見ているわけね」
藍那の言葉に根間は頷く。
「でも鮫島さんは名護家の兄妹を狙ってるって考えているんです」
「つまり今回歩美が狙われたのは偶然で、次回は雄一や重清を狙うかもしれないと思っているのか」
「確かに狙いはイマイチはっきりしてないわね」
二人は同意する。
「君の意見は分かった。だが今の状況でこっちが可能性を絞るのは危険だと思う」
「しかし」
「予算かい?」
藍那が言うと根間は項垂れた。
「そうもそうか」
「ただ歩美さんが病院に入ったというのは警備しやすいわねェ」
いつの間にか根間の背後に黒百合が降り立っていた。
「周囲を見てきたわァ。怪しいものは無かったけど、見られている感覚はあったわねェ」
「そうなると全体的に警戒を出した方がいいか」
ジョンはそう結論付ける。その間藍那は鮫島に連れて行かれる犬を見つめ続けていた。