「わぁ…お馬さん、きれい…」
火霧里星威(
jb1762)の無邪気な声が響き、撃退士達は眼前の光景に見入った。
薄闇の中、天魔から発せられる淡い緑の光が、図書館を幻燈のように内部から照らし出していた。
天魔はガラス張りの正面口から撃退士達をみつめ、その周りに本が散らばっている。
「あの奥に眠れる本の森の司書さんがいるわけか…」
ネームレス(
jb6475)が不敵な笑みを浮かべると、
「そろそろ仕事にとりかかろうぜ」
銀髪の青年・御神島夜羽(
jb5977)が声をあげ、皆は天魔から目をそらした。
「あいつの目を見てると、何だか変な気分になってくるから、さっさと仕事を片付けちまおう」
「そうね、まずはあたしが透過能力を使って地下から侵入し、詩織さんの様子を見てくるわ。そして、天魔の隙を窺い、本棚にジャッキを差し込んでみる」
館内の見取り図を手に、咲・ギネヴィア・マックスウェル(
jb2817)が前に出た。
「じゃあ、俺達、陽動班は、その間に天魔の気を引いて…」
夜羽が双銃をとりだした途端、
「なるべく穏やかな方法でお願いします!」
詩織さんの母が飛び出てきて、涙にぬれた目で撃退士達をみつめた。
「少し天然だけど、責任感は強いし、本当にいい子なんです。お願いだから、妹を助けてあげて」
詩織さんの母に引き続き、姉も涙ながらに訴えた。二人は、詩織さんの父になだめられて引き下がったが、撃退士達は改めて、今回の依頼の責任の重さを思い知った。
「…大丈夫、四条君?」
すらりとした長身の少女・遠石一千風(
jb3845)が、華奢で小柄な少年・四条和國(jb5072)の肩に手を置く。
詩織さんの家族をじっと見ていた和國は、一千風を振り返って微笑んだが、その銀色の瞳には隠しきれない悲しみが浮かんでいる。
和國にも妹がいて、天魔に殺された。だから、詩織さんの家族の気持ちはよくわかるし、前の任務で負った傷の痛みを耐えて、この事件に参加したのだ。
何不自由なく育ったお嬢様の一千風にも、そんな仲間の気持ちを想像することは難くない。
二人がそっと頷き合うと、
「あたしに任せといて、お姉さん! それから、お母さんとお父さんも!」
赤毛の少女が元気よく詩織さんの家族の前に立つ。グレイシア・明守華=ピークス(
jb5092)だ。
「荒っぽい武器は使わなくても、このあたしの魔法で天魔の気を引いてみせるから大丈夫。安心してよね」
グレイシアは頼もしく請け負ったが、その緑色の目は涙にぬれたように輝いている。
「グレイシアさんは典型的な妹属性だから、詩織さんのお姉さんの涙にグッときたんだろうね。ボクも弟属性だから、お仲間はにおいでわかるんだ。ねー、空也君?」
「知るか!」
無邪気にまとわりつく星威を威嚇しつつ、赤槻空也(jb0813)はその幼い顔をみつめた。
「なーに、くーやにぃ?」
「…なんでもねーよ」
家族を皆殺しにされたショックで過去の記憶を失っている星威の心理状態が気になっていたのだが、今のところ問題はなさそうだった。空也は溜息を飲み込み、図書館に目をやる。
(さて、あの天魔をどう料理する?…俺は心理戦とか苦手だからな)
透過能力を持つ咲と遁甲の術を操る和國が各々、図書館に侵入を開始すると、グレイシアが堂々と図書館の正面口に立った。
「ご覧なさい、あたしの星の輝きを!」
グレイシアの周りに眩い光が広がった。
「きれーい!」
星威が歓声をあげると、天魔も鼻面を上げて、グレイシアの星の輝きに見入った。
「こっちへおいで、お馬さん! もっとかわいがってあげるから」
隠密班の二人がうまくやっていることを祈りながら、グレイシアは会心の笑みを浮かべた。
「あちゃ…これ以上、近づけないわ」
ジャッキ片手に地下から床を透過し、詩織さんが眠る本棚のそばまで来た咲だったが、あと1m手を伸ばせば本棚に届くというところで、悔しげに唇をかんだ。
作戦通り天魔はグレイシアの放つ光にみとれている様子だが、咲がジャッキを差し込もうとする度、本棚が激しく揺れ出すので、これ以上近づけない。
「…あの天魔は背後の気配も感じ取れるのかもしれません」
「わっ…あんた、いつからそこに?!」
突然、和國に話しかけられ、咲は背をのけぞらせた。
「ずっといましたけど…」
「こそこそして人を驚かすとは何のつもりよ」
「こそこそするのが隠密班の役…」
「ったく、最近の若いもんは、あー言えば…」
「…自分こそ、無駄口叩いてないで、司書さんを助ける方法を考えろよ」
「あんた達まで、いつのまに?!」
通用口で待機しているはずのネームレスと空也の姿がそこにあった。
「グレイシアの作戦がうまくいったから、助太刀に来たまでさ」
空也が無愛想に言うと、ネームレスが不敵な笑みを浮かべた。
「でも、本棚に近づけないと来たか…馬は視野が広いけど、こっちは頭を使ってスマートに行こうぜ」
「それ、あたしへの皮肉?」
咲の丸味を帯びた腹部をみつめながら、ネームレスの笑みは苦笑いに変わった。
接近不可…
隠密班からのメールに、夜羽はもどかしく目を走らせた。
(天魔はグレイシアの光に見入っているが、建物の外には出てこない…ここはやっぱり一撃必殺の技で天魔を倒し、中の奴らが素早く司書さんを助けるのが一番なんじゃないか?…でも、一発で仕留められなかったとき、めんどいことになるよな)
詩織さんの家族にちらと目をやる夜羽に、
「あの…みんなで妄想してみたらどうでしょうか?」
一千風が控え目に申し出た。
「詩織さんが天魔の獲物になったのは、妄想好きだからでしょう? 私達も妄想すれば、天魔の気を引けるかも…」
「そういうの、ボク、得意かも! だって、お子様だから想像力がまだ枯渇してないわけ」
星威がお子様らしからぬ口調で言ったが、一千風の瞳がきらりと輝いた。
(妄想なんて恥ずかしいけど、想像くらいならできそう)
「試しにやってみるか」
夜羽の掛け声に、三人は膝を突き合わせ、地面に正座したが、
「…」
気まずい沈黙が流れただけだった。
「…もう一回、やってみよう。3つ数えたら妄想するんだぞ。1、2、3…いたっ!」
しかし、3の合図とともに勢いこんで前のめりになり、頭をぶつけ合っただけだった。
「撃退士同士の頭突きは効くなあ…」
「痛いよー!」
(私はあまり痛くないのは何故?…じゃなくて、何故、うまく妄想できないの?)
涙ぐむ仲間二人をみつめながら、一千風は焦りに唾をのみこんだ。
「このままじゃ、本当に本の下敷きになって、詩織が栞になっちゃうよ」
図書館の中でも撃退士達は途方に暮れていた。しかし、
「ぷほっ!」
咲のダジャレに誰かが不気味な笑い声をあげた。
「今、変な声で笑ったの、あんた?」
「なんで?!」
咲ににらまれて、ネームレスは心外な声をあげた。
「だって、よく不気味な笑みを浮かべてるから」
「つうか、今のシャレ、笑えないだろ」
「でも、笑ったでしょ」
「詩織さんですよ、笑ったの…」
和國の控え目な指摘に、皆は本棚の隙間を改めて覗き込んだ。
詩織さんは目を閉じているが、もごもごと唇を動かした。
「座布団一枚、って言ってます…」
和國が読唇術で読みとると、詩織さんは手を伸ばして、指を一本立ててみせた。
「おい、司書さんの手、本棚の外に出てるぜ」
ネームレスが詩織さんの手を指さした。
「俺達が本棚に近づくことはできない…。でも、司書さんが自力で這い出すのはOKなのかもしれない。本人にその気があればだけど…」
「おーい、出てこい、詩織ぃ!」
咲が呼びかけてみたが、今度は無反応だった。
自力で這い出すよう、詩織さんを説得中…
隠密班からの新たなメールに、陽動班はため息をついた。
「説得に成功するまで、グレイシアの星の輝きがもつといいが…」
「ボク、もう一回、妄想してみるの!」
星威が健気に言ったが、
「妄想って自然にわいてくるもので、気合い入れても駄目なんじゃねーの? それに、あの天魔、きっと天然ものの妄想しか食わないぜ。養殖ものはお断り」
夜羽が肩をすくめた。
「でも、ボク、詩織さんのために何かしたい…詩織さんのご家族のためにも…」
しょんぼり呟く星威の言葉に、夜羽と一千風は目を見合わせた。
…家族!
「やば、グレイシアの光が弱まってきた」
図書館の中では、まだ説得工作が続いていた。詩織さんは微笑んでいるが、目は閉じたままで、意識状態は弱ってきているように見える。
「詩織さん、そこから出たらお姫様だっこしてあげますよ!」
「あ、耳がピクった」
でも、それ以上の反応はない。
咲と和國、ネームレスが必死で説得している間、空也は無言で本棚の前に立っていた。
(心理戦は俺の専門外。説得は奴らに任せて、俺は、ここで壁になる)
「え…? 詩織さんの好物はイカ刺とヨン様…?」
陽動班が詩織さんの家族から聞き出した「説得キーワード」がメールで届いた。
「詩織、ヨンに会わせてあげるから、出ておいでー」
咲の呼びかけに詩織さんの口元が動いたが、
「今、一緒にイカ刺食べてるところだって言ってますよ」
詩織さんの言葉を読みとった和國の顔が青くなる。
「妄想の中ですでにデート中じゃ、外に出てきたくないよな」
ネームレスの笑みもさすがにぎこちない。
「グレイシアの光が消えた!」
三人はいったん説得を諦め、空也とともに本棚を囲んだ。今は、天魔の出方を見るのが先だ。
「あ、動いた!」
ずっと正面を向いていた天魔がこちらに向かって歩き出した。
その足取りは不気味なまでに静かだが、全員、いざというときは我が身を呈して詩織さんを守る覚悟だ。
しかし、天魔はふと歩みをとめた。
(いよいよ詩織さんの魂を吸いつくす気か…?)
不吉な予感が皆の胸を走ったが、
「…天魔の奴、お前を見てないか、空也?」
「え…? 俺…?」
「あんた、仏頂面して、じつは変なこと妄想してたんでしょ? だから天魔はあんたを気に入っ…」
「俺が妄想なんて、女々しいことするわけねーだろ!」
本棚を挟んでやりあう咲と空也だったが、
「空也、天魔がお前を気にいったのなら、早く奴をお散歩に連れてってやれ」
ネームレスの声に我に返った。
空也は天魔を追い越す形で、ゆっくりと正面口に向かって歩き出した。
鋼色に輝く天魔の瞳が、空也の後を追う。
(そのまま空也と一緒に外に出ていってくれれば…)
皆の祈りが図書館を満たした。
外では陽動班も戦闘に備えて陣形を組んでいた。
一千風と星威が前衛、その後にグレイシア、そして最終兵器とばかりに夜羽がしんがりを務める。
「空也が出てきた」
「その後にお馬さんも…」
「二人の距離が近過ぎるわ」
「私に行かせて!」
一千風が飛び出し、空也と天魔の間に滑り込もうとするが、天魔の淡緑色の光に弾き返されて、近寄れない。
グレイシアがすかさず天魔の力を封印にかかるが、こちらも跳ね返されてしまう。
「思ったより防御が固いな」
双銃を構えていた夜羽も苛立たしげに唇をかむ。
「くーやにぃ、天魔に直接攻撃してみて!」
星威の叫びに慌てて空也は構えをとるが、
「…?」
なぜか、体に力が入らない。その代わり、頭の中に楽しげな光景が浮かび…少年の笑い声も聞こえる…優しい女性と頼もしい男性の声も…
(懐かしい…やっとまた会えた…)
「何してるんだ、空也?!」
仲間達の叫びは、空也の心に届かない。
天魔が後ろ足を折り、夢うつつの空也に背を差しだした。
「空也君、乗っちゃだめ!」
しかし、空也は天魔の背に跨って鬣をつかみ、天魔の鋼色の翼と淡緑色の光輪が、闇夜に舞う。
夜羽が天魔の翼に向けて双銃を放ったが、光輪に弾かれた。
「くーやにぃ!」
仲間達の声のするほうを見降ろし、空也はうっとり微笑んだ。
(さよなら…俺は故郷に帰る…懐かしい俺の家族のもとに…)
そのとき天魔が空中で旋回し、空也の視界に詩織さんの家族が映った…心細げに寄り合い、詩織さんの無事を祈る姿が…
「…俺はまだ帰れねえっ!」
今、守れるものが、ここにあるから。
空也は両眼をカッと見開くと、鬣をつかんでいた手で天魔の首を力一杯締めた。
魔獣のいななきが宙を切り開くと同時に、緑色の光輪が消え、空也の赤いアウラだけが闇に浮かぶ。
そして、夜羽と一千風の銃弾と、星威の魔法攻撃が一気に天魔の胴を貫いた。
「やった!」
天魔の体が幻のように消えていき、空也は真っ逆さまに地上へ…
「今だ!」
天魔が外に出た途端、咲が本棚と床の間にジャッキを差し込もうとしたが、再び本棚が揺れ出したので近づけない。
「天魔が生きてる限り、この空間はシールドされちまってるのか…?」
ネームレスが忌々しげに呟くが、天魔が外に出たことで、少し魔力の影響は薄まったようだ。詩織さんの手が微かに動き、寝言のような声ももれた。
「お片付けの時間ですよ、詩織さん。この本の山を何とかしないと!」
和國がとっさに叫んだ。詩織さんの母も姉も、彼女は責任感が強いと言っていた…
「…本で遊んでるのはだーれ…」
詩織さんのもう片方の手も本棚の外に出てきたが、パタリと床に落ちて動かなくなる。
「早く来て。誰かが本の角を折り曲げてます!」
「あにぃ…?」
和國の呼びかけに詩織さんの両手がもう10cm前に伸びた。
「誰かが本に鼻くそをつけようとしてるぞー」
ネームレスも合いの手を入れ、詩織さんの手がまた伸びたが、そのとき、外で悲痛ないななきと銃声が鳴り響き、それと同時に本棚を支えていた本が倒れた。
「ギリギリセーフ!」
間一髪のところで、咲とネームレスが詩織さんの手をつかんで引きずり出した。
普通の人間なら死んでいただろう。
しかし、うまく受け身をとったので、空也は無事に地上に降り立った。
(なんで、俺、死んだ家族の妄想なんかしちまったんだろう。妄想なんて柄じゃないのに…そう思ってタカをくくってたのがいけなかったのか? ま、そのおかげで天魔をひきつけられたわけだけど…)
「くーやにぃがお馬さんに連れてかれなくて、ほんとーによかった」
(お前もよかったな。過去のトラウマとか出てこなくて)
足もとにじゃれる星威を振り払いつつも、空也はほっと溜息をついた。
その側では、グレイシアと和國もそれぞれの思いを胸に、感動の涙にくれる詩織さん一家を見守っている。
(今夜、母に電話してみようか)
母親が苦手な一千風も独りごちていた。
「この事件そのものが、あの天魔の妄想だったんじゃないかって気がしてくるな」
嘘のように平和な佇まいの図書館を眺めながら夜羽が呟くと、
「解決してしまえば、事件はいつでもあっけなかったように思えるものさ」
電子タバコをくわえたネームレスが答える。
「…本の片付けも手伝えって、今、学園から連絡が来たと知っても、あっけなかったって言える?」
咲の言葉にぎくりと首をすくめる男二人だった。