●うちのお母さん
野崎愛は上級生達を見上げて言った。
「そっかー、母の日になにしたらいいかで困っているのかー」
点喰 因(
jb4659)は、一所懸命な幼い少女を微笑ましく思いつつ、なんだか自分の過去と重ね懐かしい気持ちになった。
その隣に、一歩踏み出した身長の高い少年。青戸誠士郎(
ja0994)は、野崎愛の前で膝を折る。それは野崎の目線に合わせるためだ。実に彼らしい優しさと言えるだろう。
「野崎はどうしたいんだい?」
屈んだ青戸はやさしく声を掛けた。
「喜んでほしい……です」
野崎のそのシンプルだが、大事な答えを聞いて青戸は頷く。青戸も子供の頃に喜んで欲しくて似顔絵を描いたりしたな。と懐かしい記憶が過ぎった。
「じゃぁ、一緒に考えようか」
青戸は野崎に優しい笑顔を向けると、相談室に居た面々にも協力を仰ぐ。
なにやら談笑していた亀山 淳紅(
ja2261)とRehni Nam(
ja5283)(レフニー)は、「もちろん、いいよ」と二つ返事で了承した。
「……お母さん……か」
小さく呟いたのは八角 日和(
ja4931)とグレイシア・明守華=ピークス(
jb5092)の二人だった。
八角はすこし難しい顔をしていたが、「……ほんとに小さい頃の記憶しかないなぁ」と、亀山たちと共に相談に乗る事にした。
グレイシアは青戸たちの視線を受けて、「はいはい、いいわよ。私も手伝ってあげるわよ」と返す。
「愛ちゃんも今年も母様にプレゼントをするの。だから、愛ちゃんのために、愛ちゃんも一緒に考えてあげますよ!」
駆け寄って来た周 愛奈(
ja9363)が野崎の手をとる。その力強さと笑顔に、野崎は一瞬おどろいたが、年齢が近い相手という事もあり、すぐに笑顔で答えた。
「うん!」
まさかの、ダブル愛ちゃんが意気投合したところに、上下が飲み物を持ってやってきた。
「ふふふ、頼りになる先輩たちで良かったわね」
自分の不甲斐なさは棚に上げての発言だが、あえてそれには突っ込まないのが優しさだろうか……。上下の口元が弓のような形をつくり、野崎に笑いかけていた。
「ところで、愛ちゃんのオカン……ちゃう。お母さんてどんな人なんやろ? 聞かせてもらえるやろか」
野崎のために関西弁を多少言い直して、夜爪 朗(
jb0697)が話しかけた。
「あのね。私のお母さんは……」
聞かれて嬉しかったのか、野崎は一所懸命、皆に自分の母親の良いところを上げ連ねる。それになぜか便乗するように、周 愛奈も自分の母親の事を話出す。
そんなわけで、お兄さんお姉さんたちは暫くの間、小等部三名を温かく見守るという図になったのだった。
●それぞれの母の日
野崎の話を皆が聞いている間、少し離れた所でグレイシアは、上下から受け取ったアイスティーを一口。
彼女が思うのは、知らない母親の事……。
それとも、母親代わりの姉の事だろうか。
いや、姉は母親の”代わり”にはならない。姉自身がそう言っていたのだ。
だから、グレイシア自身も母の日というものがあまり分かっては居なかった。ただ、野崎の一所懸命な姿を見ていたグレイシアは、その想いだけは分かるような気がした。
(自分には母親は居ないけど……。そういえば、姉さんは『母親』になったのよね……)
育児を頑張る身内を想い。グレイシアは微笑んだ。
「そっかー、野崎さんちのオカ……あさんは、優しい人なんやな。野崎さんは、お母さんがめっちゃ好きやねんな」
うんうん。と、何か納得した夜爪は大きく頷いた。
「うちのオカンは、僕に女の子ものの服着せよーとするんよ。さすがに僕、男やし、困るけど。そういう時は女の子に生まれてあげたら良かったな〜って思うことあるわ……。やっぱ大好きな人には、喜んで欲しいもんなぁ」
夜爪はちょっと恥ずかしかったのか、頬を掻きつつ言った。
「何というか朗は、大変なんだな……」
青戸が境遇を察して肩に手をやる。夜爪は、「まぁしゃーない」と割り切っていて、さっぱりしたものだった。
「そうだねぇ。喜んで欲しいって気持ちがまずは原動力だものね」
点喰が合いの手を入れるように頷いた。
「どうしたら喜んでくれるかだな……」
青戸の呟くと、グレイシアがさも当然と言うように答えた。
「母親がいつも負担してくれている事を手伝ったら?」
それは母親の手伝いという至極まっとうな答えであった。
「うちでも毎年恒例でお母さんの家事手伝いでしたね。一日、お母さんには休んでもらって、私とお父さんでお掃除やお洗濯、あとご飯も手作りしてましたね」
Rehni(レフニー)が子供の頃を思い起こす。毎日、頑張ってくれている母親に一日休息を、と言うのが彼女の家の母の日の贈り物であった。
温かい家庭の話だ。
「晩御飯にお母さんの大好きなハンバーグを手作り……あ、私もハンバーグは好きですけど、私のためじゃないですよ? ちゃんとお母さんのためですからね」
隣で微笑ましくレフニーを眺めていた亀山の視線に気がつくと、レフニーは慌てて弁解する。
「誰もそんなん言うてあらへんやろ」
と、亀山は笑った。
「母の日はいつも、歌を謡ってたかなぁ」
レフニーとひとしきりじゃれた後、亀山が自分の思い出を話し始めた。
「自分は卵やけど、自分の母親はプロの声楽家…歌手、って言うたほうが、愛ちゃんにはかっこよく聞こえるかな?」
野崎は感心したのか目を輝かした。
純粋な反応に、亀山も少しばかり得意げになる。
「ほんで、昔っから自分はずーっと歌を教えてもらってきた。せやから、自分は毎年母の日にはお母さんに歌を謡うんよ。”あなたが教えてくれたおかげで、こんなに歌が好きです。ありがとう”って伝えるために……ね♪」
「へー、部長さんはそんな事してたんだ」
野崎と一緒に、八角も亀山のエピソードを興味深く聞いていた。
「せやけど、しばらく帰っておらへんよって。あかん……こういうのも親不孝ってゆうんやろな」
と、思わず苦笑いになる亀山だった。
●手作りしよう
「自分で作った贈りものを渡すことが多かったなぁ私も」
点喰の家は老舗の指物屋であった。そのためか、子供の頃から物作りを自然としていたのだった。
「物作るの……上手に出来るかな……」
野崎が少し心配気に俯く。
「……愛ちゃん、思うの。きっと母様達は娘のことを可愛くないはずはないの。だから、何を送ってもきっと喜んで貰えると思うの」
だから、大丈夫と。周 愛奈が励ました。
「そうそう、ありがとうの気持ちを伝えるために、一生懸命にやれることなら、なんでもいいんだけどね」
点喰も野崎にアドバイスを送る。
「色紙でカーネーションの造花作りとかどう? よかったらみんなでつくりませんかー?」
鞄から色紙を持ち出してきた点喰が、皆に提案する。
「愛ちゃんも因姉様に賛成です! 造花なら、今から作っても日持ちするし、いいと思います!」
周 愛奈は元気良く手を挙げた。点喰は早速と色紙を配る。
相談室の生徒たちが色紙を手に、思い思いにカーネーションを作りはじめたのだった。
「先生もどーですか?」
皆に色紙を配り終えると、点喰は上下のところへと行った。
「あら、私もいいの? それじゃぁ、教えてもらおうかしら」
上下は野崎と一緒に、点喰から花の作り方を教わることにした。
「薄い紙で花びらをつくって、しっかりした紙で茎や額をつくる感じで……。そうそう、上手い上手い」
点喰は、野崎がちゃんとできるようにゆっくり丁寧に教える。
野崎はその説明を聞くと、周 愛奈と一緒になって花作りに励んだ。その隣では、上下が独特のセンスで花を作っていたのだが、とりあえずそれはおいて置こう。
●優しいカーネーション
造花の色紙を選びつつ、八角がちょっとした豆知識を語る。
「そうそう、カーネーションっていろんな色があるけど、白はあんまりよくないんだよ。元々は、亡くなったお母さんに贈る色だったんだって」
「そうだったね。母の日ってさ、そもそも、直接お母さんにありがとうって言えなくなっちゃった女の人が気持ちをせめて形にしようってしたことが始まりって話だったね」
点喰は話を続けた。何の皮肉か、今の世界ではその想いを伝えられなくなった人たちが多いのだ。ごく身近な人たちが喪服で白いカーネーションを持ち墓参りに向かう姿を何度見たことか……。
「……一生懸命に使ったから、きっと母様達、喜んでくれるの!」
「私も……できました」
完成した花を点喰に見せ、周 愛奈はニコリと笑う。隣の野崎も笑顔だった。気持ちが少し落ち込んでいた点喰は、二人の笑顔を見て、教えた甲斐があったなぁと少し充実感を得た。
造花作りを終えた一同に、青戸が更に提案する。
「折角の機会だし、みんなで何かお菓子でも作って母の日のプレゼントにしてみないか? クッキー焼く程度なら俺もできるしさ」
「おっ、いいんじゃないか?」
「ええなぁ、それ!」
「えぇ、是非やりましょう」
相談室の面々は、口々に賛成した。その後、上下が調理実習室を借りてきて、皆でクッキー作りにいそしむ事となったのだった。
●ビデオにとろう
「えっと、愛ちゃんはお母さんとは離れて暮らしてるの?」
クッキー作りの間の他愛ない会話で、八角は野崎が親元を離れて暮らしている事を知った。
確かに、今の世の中。親と離れて暮らすものも少なくない。特に、撃退士としての才能がある子供なら、学園での生活でその力を人類のために生かす教育が必須とも言える。
それが天魔という脅威と戦う、今の世界なのだ。
「それで、母の日に何かしてあげたくなったのですね」
項付近で髪をまとめたレフニーがクッキー型を手に、野崎に微笑みかけた。
親元を離れた子供が、母の日に何かしたいと思うのも無理ないことだ。母親への想いは、小さな子供ならなおさらだろう。
「じゃあ……電話でもしてあげたら喜ぶんじゃないかな。「ありがとう」とか改まって言わなくても、学校のこととか、他愛のない話でも、離れているなら、声を聞けて、元気だって分かるのが一番嬉しいだろうから……」
そう言った八角の表情は、少し切なそうな顔だった。
「日和ちゃん?」
「ううん。なんでもないよレフニーちゃん」
八角の表情に気がついたのか、少し心配そうにレフニーは声を掛けた。八角は頭をかるく振ると、普段通りの笑顔を作った。
喧嘩別れになった母親も、自分の声を聞いたら、嬉しいのだろうか……。ただ、死別した訳ではないのだから、いつかそういう風に思う日がくるのかもしれない……。
その答えはまだ分からない。
「そうねー。直接言えるなら、しっかり伝えた方が素敵だと思うのよー」
点喰も電話するのは良い考えだと賛成だった。
「電話もええけど、愛ちゃんに自分がおすすめするんは……これや!」
ビデオカメラをばばーん! と取出した亀山はニカッと笑って言った。
「ビデオレター言うねん。これで、お母さんに手紙を撮って送る。いうんはどやろ?」
「淳くんナイスアイディア」
「確かに良いアイディアですよ。部長さん!」
レフニーと八角がグッと親指を上げた。
亀山らによる野崎の撮影会が始まり。グレイシアはまた離れた所からそれを眺めていた。
相談室に戻った面々は、それぞれがカーネーションの造花とクッキーをラッピングしている。
「ふぅ、手紙とカーネーションだなんてあの頃みたいだな。あとは、電話もするか……今度、帰るときは嫁さん連れていくってな」
野崎の撮影を続ける亀山とレフニーの姿を見て、青戸がラッピングしたクッキーを片手に呟く。
机に集まった夜爪や周 愛奈。青戸はそれぞれペンを片手に手紙を書いていた。
グレイシアもペンを取る。
(あたしも取り合えず手紙を書いて、今の努力と感謝の念を述べておくかな。多分感激するのは間違いないわ)
などと、グレイシアは自信たっぷりにカーネーションの造花を添えた手紙を書き上げた。
上下は相談室で真剣にペンをとる皆に飲み物を配り、見守ることにした。
母親を思って、これだけ一生懸命になれるというのは人間たちの美徳なのかもしれない。もちろん、天魔にもそういう感性をもった者もいるだろうが、彼女にはその感覚は薄かった。
故に余計にその姿は眩しく感じられたのだろう。
そうこうしているうちに、撮影会も終わり。野崎のビデオレターは完成したのだった。
●想いは届く
コンコンッ――。
相談室の扉をノックする音に、「はい、どうぞー」と上下は返事を返す。
あれから数日後、世間で言う「母の日」も滞りなく過ぎたある日。上下は再び小さなお客人を迎え入れた。
「やぁ、野崎 愛くん。皆待っていたよ」
そう、皆待っていたのだ。
誰もが彼女の報告を今か今かと待ちわびていたのだ。
部屋に通された野崎は、皆の前に駆け寄る。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、愛ちゃん。朗くん。ありがとう! お母さん、とっても喜んでくれたよ」
野崎は元気な声と共にお礼を言った。
余程、嬉しかったのだろう。
初めて相談室に来た時とは、まるで違うくらいに大きく、元気な声だった。
野崎の報告を喜び合う生徒たちを見て、上下も微笑む。
机の上には、優しいカーネーションが咲いていた。