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「呑気に寝てますねー……」
現場に到着し、御守 陸(
ja6074)は猫女の姿をしたディアボロを見つめた。
猫女は今も屋根の上で呑気に丸まっている。
今、陸がいるのは猫女のいる屋根の近くにある、別の屋根だ。
同じく佐藤 としお(
ja2489)も、陸からそう遠くない位置で猫女を見つめている。
としおもまた、別の屋根の上に乗っているのだった。
「う〜ん、寧ろ依頼者の方が怪しいな……」
静かに呟くとしお。
その声は真剣そのものだ。
きっと彼は、この事件の裏に隠された真相を考察しているのだろう。
とにかく真面目な雰囲気を醸し出している彼を見ては、陸もこう思わざるを得ない。
(言えない……佐藤さんも十分怪しいですよ……なんて言えない……)
心の中で自分に言い聞かせる陸。
陸は改めて、としおの格好をじっと見つめた。
上着は猫の毛皮を思わせるジャンパー。
これはまだいい。
だが、その上は猫の頭を模したかぶり物だ。
更に、下はふんどしである。
――取敢えず相手の警戒心を解く為にも同じ様な猫コスで出発!
そう考えた彼は、この格好での出動を敢行したのだ。
陸の視線に気づいて振り返るとしお。
としおは陸の胸中など知らずに問いかける。
「どうかした?」
問いかけられ、陸は思わずうろたえてしまう。
まさか本音を言うわけにもいかず、陸は咄嗟にごまかした。
「あ、いえ……その、寒そうだな〜と思いましたので」
どうやらとしおは陸の本音には気づいていないようだ。
深々と頷くと、やはり真剣そのものの声で言う。
「季節的に寒いけど我慢だ! 事件解決のために!」
ちょうどその時、彼等の耳につけたインカムに連絡が入る。
「配置完了したようですね」
光纏する陸。
既に陸の表情は冷徹で、口調も機械のようだった。
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時を同じくして一方その頃。
陸、としおの二人とは反対側から、長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)も猫女を観察していた。
「すばやい敵との戦い……ボクシングの様に上手くいくと信じましょう」
拳を握るみずほ。
そのまま彼女は小さく飛び跳ねるように動き、ボクシングのフットワークを取り始めた。
それにより、彼女の乗ったトタン屋根が小刻みに音をたてる。
「あのディアボロと接近戦をする長谷川様は誘導における要。ですが、その分、危険も一番多い役目――どうかお気をつけて」
みずほに向けて言うのは、すぐ近くで別の屋根に乗る只野黒子(
ja0049)だ。
黒子はヒヒイロカネから十字手裏剣を取り出しつつ、インカムを繋いだスマートフォンに向けて告げた。
インカムの使用は黒子の案だ。
「こちら只野です。長谷川様ともども、配置完了しました」
ややあってきた返答で、陸たちの準備完了を確かめる黒子。
そして、黒子は通信で告げた。
「作戦開始です」
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素早く頷き、みずほは高らかに跳躍した。
クレーターを作るほど強くトタン屋根を蹴って、みずほは猫女のすぐ前に着地する。
猫女が慌てて跳ね起きた時、既にみずほは相手の至近距離まで肉薄していたのだった。
そこからの猫女の動きは速かった。
躊躇なく踵を返し、猫女はどこかへと逃げ出そうとする。
だが、猫女の足のすぐ先に銃撃が炸裂する。
「其方は通行止めです」
すぐ近くの屋根から陸が言う。
陸はスナイパーライフルを構えており、即座に第二射を放つ。
再び、正確に足先数センチを穿つ銃撃。
ならばと猫女は方向転換し、別の方向に逃走をはかる。
「そちらも通行止めです」
しかし、黒子の声とともに、そちらにも攻撃が飛んでくる。
今度は銃弾ではなく手裏剣だ。
屋根に開いた弾痕と、突き刺さった手裏剣を交互に見比べた猫女。
やがて猫女は透過能力で逃げようと、屋根の上で小さくジャンプした。
次の瞬間、屋根に重たいものがぶつかる鈍い音がして、猫女ははじき返される。
「そっちに行っちゃダメですよ〜」
どこからか聞こえてくる、としおの声。
きっと彼が阻霊符を使ったのだろう。
もはや開き直ったのか、猫女はみずほへと向き直る。
みずほは猫女と正対すると、拳を握って小刻みに跳ねる。
「お相手致しますわ――!」
右拳を突き出して宣言するみずほ。
先に仕掛けたのはみずほだ。
軽快なフットワークで距離を詰め、相手へと接近するみずほ。
ただし、直線の動きではない。
円の動きで避けられることを想定し、ジグザグの軌道をとる突進だ。
そのまま突進の勢いを乗せ、みずほは右のダッシュストレートを放った。
パンチのスピードはかなりのものだ。
だが、猫女は猫特有のしなやかな身のこなしで、軽々と避ける。
避けた直後、猫女は右手を振るった。
繰り出されたのはカーブを描く軌道のパンチ。
即ちフックだ。
といっても、正確には肉球と爪のついた手ではたく攻撃――猫パンチなのだが。
先ほど屋根の上で寝ていた時の姿からは想像もつかないほど、猫パンチは凄まじい速さだ。
(この速さでは避けきれませんわね……ならっ!)
咄嗟の判断でみずほは両拳を顔の前で構える。
頭部へのガードを固める『ピーカブースタイル』だ。
まるでビンタのように頭部へと叩きつけられる猫パンチをガードするみずほ。
その腕には凄まじい衝撃が伝わってくる。
可愛らしい見た目とは裏腹に、パワーもなかなかのようだ。
みずほを押していることを本能で察したのか、猫女は余裕を取り戻したようだ。
猫女は左右から猫パンチを連打し、みずほをここで返り討ちにしようとする。
(何とかして誘導しないといけませんわね……それに、このままでは……っ!)
みずほのガードはいずれ破られてしまうだろう。
意を決し、みずほはしゃがみこんだ。
空を切る猫パンチ、もといフック。
フックを避けた直後、みずほは脚のバネを活かして素早く立ち上がった。
同時にアッパーカットを繰り出すみずほ。
起立する勢いを利用したアッパーは猫女の顎を捉える。
途端に猫女は逃げの姿勢に入った。
また、間髪入れずに、猫女の左数センチに銃弾、右数センチに手裏剣が突き刺さる。
左右への退路を塞がれた猫女はやむなく、真後ろへ向けて逃げ出した。
そしてそれは、誘導班の意図した方向であった――。
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逃げ出した猫女は、周囲をキョロキョロと見回しつつ、潜伏先を探していた。
その前に、猫コスをしたとしおが飛び出す。
「お嬢さん、お困りの様でしたら僕がお手伝いしましょう」
予め自作の『マタタビスプレー』を自分の全身に噴きつけてきたとしお。
それが功を奏したのか、猫女はとしおをじっと見つめる。
だが、その状態のまま、猫女は動かない。
(……ん? 反応が薄い? だったら――)
意を決するとしお。
「さあ、安全な場所にご案内しますにゃー」
語尾に『にゃー』をつけてはみたものの、やはりまだ猫女は動かない。
次にどうするか思案するとしお。
その時だった。
突如として猫女が鋭い爪を一閃させたのだ。
「え……!?」
としおが驚くと同時、切り裂かれたジャンパーが地面に落ちる。
マタタビのおかげで興奮したのか。
あるいは、逃亡中という極限状況で気が立っていたのか。
はたまた、激しい求愛の形なのか。
本当の理由は定かではない。
ただ、猫女がとしおに激しい攻撃を加えようとしていることは間違いなかった。
「ちょ、ちょっと待って……っ!」
追いかけてくる猫女から全力疾走で逃げるとしお。
ふんどし一丁の猫が、文字通り『裸足で逃げ出す』光景はなかなかにシュールだった。
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ふんどし一丁の猫、もとい、としおはとある倉庫の中へと逃げ込んだ。
その瞬間、倉庫内の証明が一斉に点灯する。
「その速さ、かなりのもの。言うなれば、AGILITAS FLUMINIS(アギリタース・フルミニス)、日本語でいうところの『疾風迅雷』ですか」
倉庫内の中心で待ち構えていたファング・クラウド(
ja7828)。
彼はパイルバンカーの安全装置を外し、猫女に向き直る。
「ですが、ここではその素早さも本領を発揮できませんね」
倉庫内はそれほど広くはなく、コンテナ等の障害物も多い。
そして、壁や天井、障害物には阻霊符の力が及んでいる。
ファングの言う通り、ここでは動きを制限されるだろう。
睨み合う猫女とファング。
しばし膠着状態が続く中、猫女の背後から祁答院 久慈(
jb1068)が迫る。
ナイトウォーカーの得意とする無音歩行で忍び寄った久慈。
彼は素早く猫女の腹部に目をやり、ポケットの位置を視認する。
一方、猫女も背後から接近されたことに気付いたようで、素早く振り返る。
だが、それよりも久慈が猫女の両腕を押さえる方が早かった。
背後から猫女の両手首を掴むと、久慈は長身を活かしてその腕を持ち上げた。
バンザイさせるように両腕を上げさせる久慈。
「ちょっと大人しくしててね」
そのおかげで猫女の腹部がノーガードになる。
この機を逃すまいと、すぐ近くに潜んでいた染井 桜花(
ja4386)が動いた。
桜花は猫女の正面に立つと、指にはめた爪――サーバルクロウを一閃させる。
細心の注意を払って振るわれた爪は、猫女の毛皮だけを切り裂いた。
ポケットの裂け目から封筒がこぼれ落ちる。
それを桜花は手で受け止め、無事にキャッチした。
「……返してもらう」
毛皮を切り裂かれた上に盗品を奪還され、猫女は怒り心頭のようだ。
猫が威嚇する時のような声を上げて桜花を睨みつける。
次の瞬間、猫女は爪を振り上げて桜花へと襲いかかった。
しかし、爪が桜花を捉える直前、割って入ったヴォルガ(
jb3968)が盾で攻撃を受け止めた。
桜花を庇いつつ、ヴォルガは反対の手に握ったカットラスを大きく振りかぶる。
「盗品は奪還したのだ。これで遠慮はいらないというわけだな」
危険を感じ、猫女は咄嗟に後方へと跳び退る。
だが、両脚に巻き付いた何かによって猫女は思うように距離を取れない。
久慈が目に見えないほど細い金属製の糸――アルビオンを猫女の両脚に巻き付けたのだ。
猫女の動きが鈍った隙を逃さず、今度は桜花が襲いかかる。
素早く猫女の至近距離まで肉迫すると、桜花は相手の右腕を掴んだ。
「……逃がさない」
そのまま桜花は猫女の右腕の間接を外し砕き折る。
甲高い声を上げてもがく猫女。
「……絶技・枝折」
もがいている猫女に向けて、ヴォルガは大きく振りかぶったカットラスを振り下ろした。
ヴォルガの斬撃は猫女の胸を袈裟がけに斬り裂く。
それでも、直前で底力を発揮したのか、猫女は両脚を揃えて跳び、ギリギリで致命傷を避けたようだ。
猫女はすぐさま無事な左手で、足に絡まった糸を切断すると、ひとまず逃げ出そうとする。
猫女が動き出そうとしたまさにその瞬間、上方よりファングが来襲した。
積み上げられたコンテナの上から狙いを定めてジャンプしたファングは、見事、猫女の肩に飛び乗ることに成功する。
ファングは両足で猫女の肩、腕を抑え、更にパイルバンカーを頭に固定。
「では、これで終焉です、さようなら、売女が……」
そして、頭部にとどめの一撃を叩き込んだ――。
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「ごめんね……」
活動を停止した猫女を見て、としおは呟いた。
ファングの放った一撃により、戦闘は終わった。
戦闘を終えた後、としお以外の誘導班も合流し、ディスクの扱いについての話し合いが行われていた。
「……それにしても気になるな。 極秘、なんて」
興味ありげに呟く久慈。
「……終わりましたね。ディスク、無事でしょうか」
心配そうに言う陸に、桜花は奪還した封筒を差し出した。
「……ディスク、入ってる」
桜花が回収した封筒を手にとってまじまじと見つめる陸。
「これって……高校の封筒ですよね……?」
陸の言う通り、A4サイズの茶封筒に印刷されているロゴはごく普通の公立高校のものだ。
封筒はディスクを入れた状態で折りたたまれており、のりなどで封はされていない。
恐る恐る蓋を開けた陸は中身を取り出す。
出てきたのは、プラスティック製の薄型透明ケースに入った一枚のディスクだ。
ジャケットの類は挿入されておらず、中のディスクが丸見えだ。
しかも、ディスク表面も何も書かれていない白一色。
何が記録されたディスクかは、現時点ではまったくもって不明だ。
それでもディスクが無事だったことにほっと胸を撫で下ろす一同。
「……そういえばこれの中身、法に触れるようなものじゃないですよね……? 念のため如月先輩に了承を得てから、ディスクの中身を確認して、証拠隠滅防止用に予めディスクをコピーしておく必要もあるかと」
陸が言うと、すかさずヴォルガが反論する。
「依頼主側は極秘と言っていた。つまりそれは誰にも見られてはいけないということ。という事はもしそれを見た場合、依頼者側との信頼関係を崩す可能性もあり報酬に響く可能性も孕んでいる」
理路整然とした口調で、ヴォルガは更に説明を続けた。
「犯罪に関与していたとしてもこちらは知らなかったと言えば済む話だ。そう考えれば依頼者側の意に背く行為はリスクが大きい」
そこまで言うと、ヴォルガは陸の目を真正面からしっかりと見据える。
「見るならばそれを考えたうえで見て欲しい。報酬減額の可能性は私としては非常に好ましくない。バレないという確証はない」
ヴォルガから目を逸らさず、陸はしばし考え込む。
しばらくした後、陸は言った。
「一応、確認しておきたいんです。万一のこともあるので……」
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数時間後。
学園に戻った陸は佳耶に確認を取った。
佳耶が問い合わせると、依頼主は『陸が男であれば許可する』との返答を寄越したのだ。
そして今、陸は自室のPCにディスクを挿入していた。
中身は幾つもの映像ファイルのようだ。
意を決してクリックする陸。
次の瞬間、再生されたのは『いかがわしいビデオ』の映像だった。
一瞬、何だかわからず首を傾げる陸。
だが、映像が進むにつれてそれが何であるか理解した瞬間、真っ赤になり慌てて顔を背ける。
画質を見るに、元はビデオテープに録画されていたものだろう。
それを編集機材でデジタルに変換。
何本ものビデオテープを大容量のデジタルディスクにまとめたもの。
ディスクの正体はそれだ。
それから更に十二時間後。
念の為、陸は全部の映像を確認した。
ディスクの中身はビデオテープ六本分の映像。
ようやく全て見終えた陸は、すっかり明けた空を見上げる。
そして、疲れた顔で呟いた。
「僕たち、こんなのに気を使って戦ってたんですねー……」
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後日。
ファングは学園の中庭で佳耶と会った。
先日の礼を言う佳耶に微笑みかけるファング。
そして、ファングは佳耶に向けて、からかいと悲哀を込めて告げた。
「お幸せなようで何よりです、これからも是非幸せのままでいてくださいね――オレの様にならないように」