●
「……『神器』そのものに興味などない。探索に参加した理由、それは立ちはだかるであろう強者と戦いたいが故」
ユグドラと対峙しながら蘇芳 和馬(
ja0168)は静かに告げる。それを聞き、ユグドラは嬉々として笑みを浮かべた。
「ハッ! ソイツは結構なことだ! テメェとは随分と気が合いそうだな、えェ?」
ポケットに利き腕を突っ込み、余裕の表情を崩さないユグドラに向け、和馬は抜き放った愛刀を突きつける。
「……相手に取って不足無し。いざ、参る」
まさに臨戦態勢真っただ中の和馬。
だが、驚くべきことに、他ならぬユグドラがそんな和馬を制止したのだ。
「まァ、待てよ。ヤル気なのは結構だけどよ、それはテメェだけじゃなくて、周りの連中も同じみてェだしなァ……待っててやるから、ソイツ等と束になってかかってきなァ! おおっと、安心していいぜ? いくらテメェ等が束になってかかってこようが、最初に言った通り、左手一本しか使わねェからよ」
これみよがしにユグドラはポケットから出した左腕――利き手とは逆の手をブラブラと揺らして見せる。
「……片手のみだと。随分と此方を舐めていると見える」
軽く見られたことで怒りの形相になる和馬。
しかし、和馬は決して冷静さまでは失わず、心の中で自分に言い聞かせるように補足した。
(……だが、相手はそれを行えるだけの実力を秘めている。中途半端に距離を取るのは危険か)
和馬が冷静にユグドラとの間合いを測っていると、それほど離れていない場所に立っていたカインが吐き捨てるように言った。
「しに……ふぜ……でかいつら……しやがて……はか……かえして……やる……(死人風情がでかい面しやがって……墓に返してやるよ)」
日本語に不慣れなカインの発話は聞き取りづらいが、付き合いの長い和馬には聞き取れたようだ。
ユグドラからは目を離さず、和馬はカインに相槌を打つ。
「そうだな。その為にも、ここは一気に攻め落とす必要があるか」
一方、人間よりも聴力に優れているであろうユグドラにもカインの呟きは聞こえたようだが、こちらは何を言っているか聞き取れなかったらしい。
「あァ? ソコのガキ、今何か言ったか?」
凶暴そうに笑う目でカインを見るユグドラ。
当のカインはというと、その視線を気にした風もなく無視すると、一気にしかけた。
ユグドラの左腕の外側に回りこむように動きながら、相手の右脇腹を狙うようになぎ払い、返す刀で左足をなぎ払いに行くカイン。
「血の気の多いガキじゃねェか……嫌いじゃねェぜ!」
嬉々として反応し、左の拳を握るユグドラ。
そんな彼に鴉守 凛(
ja5462)が横からすかさず飛燕翔扇を投擲し、ユグドラへと攻撃を仕掛けた。
「邪魔すんじゃねェよ……!」
飛燕翔扇を投擲する凛に振り向き、ユグドラは彼女を睨み付ける。
「傷付いても、心に響かない……貴方に殺意が無いから……」
睨み付ける視線を真っ向から受け止め、凛は平然と言い放った。
「前にあったヴァニタスも、今日の貴方も遊んでいるだけ……私達にはその方が幸運だけど、でもそれではただ、痛いだけ……貴方たちの心が見えない。そんなのは嫌だから、私たちは策を弄する。力を認めさせれば、本当の貴方を出してくれるだろうから」
凛の物言いが癇に障ったのか、はたまた気に入ったのか、ユグドラは標的をカインから凛に変える。
そんな彼の裏をかくように、黒百合(
ja0422)が凛の背後から飛び出して奇襲をかけた。
黒百合が地面を蹴って疾走状態に入った黒百合は群を抜いたスピードで一気に距離を詰め、カインを追い越し、真っ先にユグドラへと攻撃を叩き込みにかかる。
「さァ……いらっしゃい、一時の合間だけど私が遊んで上げるからねェ♪」
ともすれば友好的にすら思える黒百合の態度。しかし、その身体から発散されている殺気はおびただしい量だ。
姿勢を低くして常に相手の左側から背後に回り込む様に移動する黒百合は、そのスピードを活かしてユグドラの懐に入り込むと、蛇の頭のような手甲に牙のように二本の刃が取り付けられた武器――スネークバイトで首筋を掻っ切りにかかった。
「傷は癒す……存分に戦うのじゃ!」
更には後方から叢雲 硯(
ja7735)が回復の準備を整えつつ声をかける。
硯の隣に立つ北斗 哲也(
ja9903)も魔導書を開いた。
「何だ、あれは、あんな奴に勝てるわけが無いじゃないか」
本能的な恐怖から、弱音が哲也の口をついて出る。
(考えろ。考えるんだ。奴から生き延びる方法を)
それでも冷静な頭で恐怖を理性的に押さえつける哲也。
ほどなくして彼は一つの結論に達した。
「皆と力を合わせてここで一気に畳みかける――弱気になったら負けだ。ここで一気に攻め落とす……!」
覚悟を決めた哲也は魔法の刃を混ぜた風による魔法攻撃で遠距離から近接攻撃担当の仲間を援護する。
彼等『一班』はユグドラの左側から攻撃を仕掛けるのが役目だ。
「さあユグドラ。もう一度、あの時の続きを始めよう!」
カインたち『一班』に興味を示していたユグドラを振り向かせるように、神喰 茜(
ja0200)は勇ましく言い放った。
「ア? 誰だテメェ?」
ユグドラは振り返ったものの、気怠そうに茜を眺めるだけだ。
その心底から茜を舐めたような態度に、茜も和馬と同じく憤怒の形相になる。
するとユグドラは何かを思い出したのか、牙を剥いて楽しそうに笑う。
「っとォ、思い出したぜェ。その目、人を斬りたくて斬りたくてしかたねェって目をした女――オレと同じく頭のネジがブッ飛んだイカレ女。あン時の女がまだくたばってなかったとはなァ。コイツは良いぜ、楽しめそうだ」
言いたい放題のユグドラを黙らせるように茜は右側から斬りかかる。
「先日は満足に相手出来なかったからな。今回は頑張らせて貰う」
咄嗟に振り向いたユグドラは、宗を見て怪訝な顔をする。
「テメェ……オレの知り合いか? あいにく、オッサンのカオなんざいちいち覚えてねェもんでなァ」
その物言いも宗は平然と受け流した。
「オッサンとは心外だな。それはそうと、少なくとも一度手合わせしている筈だが? もっとも、あの時は時間稼ぎだったせいで、煮え切らない戦いだったと言えなくもないが」
言いながら宗は棒手裏剣をユグドラに投げつけ、茜と同じく右側から攻撃を仕掛けた。
「私達も参りましょう」
「うむ」
茜と宗の攻撃に合わせ、氷雨 静(
ja4221)と日谷 月彦(
ja5877)も動き出した。
静は素早く詠唱を終えると、アウルの力を集中させ、透明な激しい風の渦を発生させる。
魔法攻撃を放つ静はすぐにユグドラの目に留まったようだ。
ユグドラはふと視線を動かして静に目を留める。
「意味の分かららねェ言葉を喋る乳臭えガキがいンのも大概だがよォ。まさかメイドがいるとは思わなかったぜ。ったく、いつからココはコスプレパーティの会場になったんだァ?」
すると、既に詠唱を終えている静はメイド服のスカートの端を両手で摘み、優雅に一礼してみせる。
「お言葉ですがユグドラ様。僭越ながら私はさるお方のお屋敷にて務めをさせて頂いております使用人――即ち、本物のメイドでございます。よってこれは私の仕事着にして普段着でございます」
静がそう言うと、ユグドラは純粋に驚いたようだった。どうやら、彼にしてみれば今の時代、それも日本に本物のメイドがいるとは思っていなかったらしい。
「人の力、ご覧に入れましょう。卑怯なようですが、目的遂行の為、最大の火力として最後まで立つことを最優先させて頂きます」
無遠慮に見てくるユグドラに対し、静は謙虚な物腰で言うと、更に付け加える。
「ユグドラ様? 楽しい戦闘をお望みなら、私を攻撃するのは最後から2番目にして下さいませ。とっておきをお見せ致しましょう。逃げは致しません楽しみましょう?」
「面白ェ――」
慇懃な物腰で応対する静と牙を剥いて笑うユグドラ。二人が互いを見合っていると、横から月彦がハルバードを構えて、やはり右側からユグドラに襲い掛かった。
「ユグドラ……僕はお前のような性格は結構気に入ってるぞ……」
ハルバードを振り上げ、それと同時に語りかけながら月彦は朔桜たちの方を方をちらりと見た。
そして、何か思うところがあるのか、月彦は心の中だけで呟く。
(……結局僕は嫌われものか……)
自分は割りと友好的であることをアピールするように、月彦はなおもユグドラに話しかけた。
「僕が戦う理由の一つも楽しいから、というものでね」
そう前置きすると月彦は獰猛で凶暴な――それこそユグドラを思わせるような好戦的な笑みを浮かべて言い放つ。
「……強い奴を倒すほど気持ちいいよな……敵を屈服させるのが清々しいよな……」
不気味に笑いながらそう語る月彦。
「ハッ! テメェは話がわかるみてェだなァ!」
月彦はユグドラの反応に気を良くしたのを、大げさなまでにジェスチャーで表現する。
そして、どこか楽しげに問いかけた。
「ところで、ユグドラ……お前は天界勢力との戦いに興味はあるか?」
「ア? 今更何を聞いてやがる? ンなもん当然あるに決まってんだろうがよ」
即答したユグドラに月彦は更に気を良くしたらしく、それを強調するように声のトーンを上げた。
「なら、こんなのはどうだ? 別にお前に人間の味方をしろとは言わない。だから、結果的に同じ敵を攻撃したという形で構わないが、共に天界の強い奴らと戦う気はあるか?」
これには流石のユグドラも驚いたようで、一瞬、呆けた顔で無言になる。
「テメェ……何言って?」
一方の月彦はというと、別におかしいことなど何一つ言っていないとでもいうように、落ち着き払った口調で持ちかけていく。
「そのままの意味さ……僕らはお前らにとっては虫けら同然だろうが……アリは自分の何十倍もの敵に戦いを挑む……。その一環に強力な味方がいれば、その狩りもより大きなものも可能になる……どうだ? ……僕らのような虫けらたちと戦うより一層おもしろい戦いができるぞ……」
唐突に共闘を持ちかけた月彦。
彼に対してユグドラはもちろん驚いたが、それ以上に仲間たちは驚いたようだ。
仲間たちが絶句する中、ややあってユグドラが口を開いた。
「いいぜ。これからテメェ等と遊んで、その結果次第では考えてやらァ」
その返答に、月彦は満足げに頷いた。
「決まりだな。では、遠慮なくやらせてもらおう」
静と月彦の後方に控えていた虎牙 こうき(
ja0879)はユグドラを見据えながら、敢えて余裕を見せつけるべく、聞えよがしに呟いた。
「ほんと、暇つぶしとはいえ迷惑な相手っすね……早急にお帰り願いましょうか」
面倒臭そうに呟いてこそいるが、こうき本人はいたって真剣であり、やる気も十分だ。
勇ましく忍術書を開くと、その力を活かして生み出した風の刃を飛ばし、苛烈な魔法攻撃をしかける。
彼等――『二班』。今ここに、ユグドラ右側方よりの攻撃を開始す。
「私だって戦える! 絶対誰も犠牲にしない! そのために守る力、癒す力を持ってるの!」
高瀬 里桜(
ja0394)は自らに言い聞かせるように決意を宣言すると、アウルの力で生み出した『鎧』を前衛を担う仲間たちへと纏わせていく。
続いて動いたのは神喰 朔桜(
ja2099)だ。彼女もまた、突撃する前衛担当を援護するべく、攻撃魔法の詠唱を開始する。
それと同時に朔桜は茜や黒百合に負けず劣らずおびただしい殺気を発し、ユグドラへと語りかけた。
「ふぅん。まぁ、遊んで欲しいなら遊んであげるよ。私も丁度、物足りなかったから。自分の身体を焼き尽くす位に、総てを焼き尽くしたい。そんな衝動に駆られる。まだ上があるって解っているのに全力が出せない。解らないよね、こんな感覚」
落ち着き払ったように淡々と語りかける朔桜。彼女は一拍置くと、笑みを浮かべて言い放つ。
「だからこれは遊び。それも命を賭けた。楽しいよ、ボロボロにされてもワクワク出来る。だから、私も楽しませられる様に遊んであげる――!
茜、黒百合、そして朔桜を目の当たりにして、とてつもなく興奮しながらユグドラは早口にまくし立てる。
「まさかこんな旧支配エリアくんだりでテメェらみてェなのに会えるとはなァ! ハッ! コイツぁいい! とんでもねえ血の匂いと腐れ外道の匂い――どこまでもイカレてキレてコワれて、そんでもって最高にトチ狂った血まみれバトルジャンキーの匂いがプンプンするぜェ!」
それに対し、今度は東城 夜刀彦(
ja6047)が毅然とした怒りの表情で抗議する。
「それ以上、俺の仲間を愚弄するのは止めて頂きたい」
するとユグドラはさも心外だという顔で、大袈裟に肩をすくめてみせた。
「オイオイ、愚弄たァ人聞きが悪いぜ。逆だぜ逆。オレは褒めてるんだ。オレやそこで殺気立ってる姉ちゃんたちみてェな生き物にとってはアレが最高の褒め言葉なのさ」
今度は興味の対象が夜刀彦に移ったのか、ユグドラはわざとらしく姿勢を猫背気味にして、夜刀彦を見下ろすような体勢を取った。
小馬鹿にしたような態度ではあるが、その身体からは、戦いに慣れぬ者であればそれだけで死にかねないほどの殺気が溢れている。
「貴方を前に僅かな躊躇すら許されませんでしょう」
からかいの言葉を聞き流し、夜刀彦は全長1.1mの大太刀――蛍丸を抜き放つ。
「優等生なコメントだな。えェ? しっかし、女みてェにキレイな顔した兄ちゃんだなァおい? それともアレか? そんな腰抜けなコトしか言えねェのは、度胸が据わっていないからか?!」
流石にそれには耐えかねたのか、夜刀彦は無言ながらも激しい怒気を放って激昂する。
「そうだ。ソレだよ。そのカオだぜ。いくらかマシなカオができンじゃねェか。待っててやるからテメェもかかって来いよぉ!」
夜刀彦に容赦のない挑発を浴びせるユグドラの言葉を遮るように、やおら御暁 零斗(
ja0548)は吐き捨てるように言った。
「なんかマジでめんどくせぇ。堕ちた理由がなんとなくでわかりそうなやつだな。馬鹿そうだし……とりあえず、いこうか、みんな」
「ええ……一気に畳みかけてやりましょう!」
零斗に応じ、夜刀彦は地面を蹴った。
夜刀彦の加速から一瞬の時間差を置いて零斗も地面を蹴って加速する。
左側から攻める『一班』、そして右側から攻める『二班』。彼等に続き、夜刀彦たち『三班』は正面からユグドラへと突撃する。
各班による左方、右方、そして正面からの同時攻撃。十五人の撃退士たちによるこの連携は完璧であり、もはや芸術とすら言える域にまで達していた。
無論、この連携攻撃を構成する攻撃はそのすべてが、必殺の気概をもって繰り出される最大火力の全力攻撃。
複数の方向および距離から時間差をもって叩き込まれる圧倒的な制圧力の総攻撃を避ける術は、もはやユグドラにはない。
ポケットに利き腕を突っ込んで棒立ちしていたばかりか、悠長に会話などしていたユグドラの身体に、各人が放った必殺の一撃が次々と炸裂していく。
連携も終盤に差し掛かり、カインが左側から斬りかかることで囮を務めるのに合わせ、跳び上がった夜刀彦が大上段から振り下ろした蛍丸を叩きつけた。
更にはカインと夜刀彦の動きに紛れるようにしつつ、急加速で一気に距離を詰めた零斗が、戦闘狂の獣ごとき笑みを湛えてパイルバンカーの突端をユグドラの胴体に打ち込む。
「すべては……この一撃のために……」
凄まじい衝撃でユグドラの足元のアスファルトが破砕するのと同時、とどめを刺すべく和馬が肉薄する。
「……古流抜刀術が秘伝、逆抜き不意打ち斬り」
ユグドラがカインに対応するべく左腕を振り上げるのに合わせ、和馬は必殺の一撃――逆抜き不意打ち斬りをユグドラの左腕に叩き込む。
「おゥ、ポン刀から魔法まで色々あったが――ちィとぐれェは痒かったぜ」
剥いた牙が特徴的な例の笑みを浮かべ、ユグドラは平然と立っていた。
全員の攻撃は完璧過ぎるほど綺麗に決まった。
それもそのはず。
なにせ、ユグドラは全く避けることはおろか、ガードすることすらしなかったのだから。
あれだけの攻撃を受けても、ユグドラの身体は、せいぜい所々が赤くなっているか、さもなくばミミズ腫れになっている程度が関の山だ。
何人もの仲間たちが囮として御膳立てしただけあり、逆抜き不意打ち斬りは裂傷を刻む所までいっていたものの、それにしても文字通りかすり傷に過ぎない。
「テメェ……どうやら武技とか武術ってヤツを使うみてェだが」
ユグドラは捕って喰うような笑みを向け、和馬に話しかけた。
「そんなモンはな、所詮、頭デッカチの実戦童貞が使うオアソビなんだよ。ンなもんは総じて実戦じゃあ通用しねェ。強いて言うなら……」
一瞬、和馬へと背を向けた後、ユグドラは振り返りざま左の拳を叩き込んだ。
「……唯一通用すンのはオレの得意なコイツ――ステゴロだけだ! 覚えときなァ!」
力任せにただブン殴る。単純極まりない攻撃だが、パワーとスピードがともに人智を超えたレベルで放たれたそれは和馬を一撃で遥か彼方へと吹っ飛ばす。
廃屋の外壁であるブロック塀を突き破り、更には廃屋そのものの壁をぶち破って通りの向こうまで吹き飛ぶ和馬。
数枚の壁を貫通して、ようやく和馬は止まる。
次にユグドラは月彦を見ると、牙を剥いて笑う。
「テメェはちィと気に入ったからな。ケンカのコツってヤツを教えてやらァ」
標的にされたのを受け、月彦は即座に防御態勢を取ろうとする。
だが、防御態勢が完成するよりも早く、月彦の目の前には右手をポケットに突っこんだままのユグドラが瞬間移動してきていた。
予告通り、ユグドラは妖術の類は一切使っていない。
ただ、あまりにも高い身体能力を活かし、『ぶらつくような歩き方で、とてつもなく速く移動した』だけだ。
「スウェイもガードも、ゴチャゴチャした武技ってヤツもいらねェ。相手のパンチは気合で耐えて、ンでもって相手より相手より速く強くブン殴りゃあいい――そンだけだ」
もう一度牙を剥いて笑いかけると、ユグドラは月彦も殴り飛ばした。
「テメェは脆そうだからな。更に手加減してやらァ」
続いてユグドラが目を付けたのは朔桜だ。
月彦の時と同様、疾走ならぬ『疾歩』で肉薄したユグドラは、握った拳を解くと、親指で中指を押さえる。
朔桜の顔にユグドラが手を近づけた途端、朔桜の身体はまるで念力に打たれたように後方へと吹っ飛ばされた。
「言った通り――デコピン一発に手加減しといたぜ?」
朔桜にデコピンを叩き込んだユグドラは次なる獲物として、夜刀彦の頭を掴んだ。
「――テメェはそこで死んでな」
吐き捨てるように言うと、ユグドラは夜刀彦の身体を瓦礫に思い切り叩きつけた。
そして、その先にはかつて道路標識だったポールの残骸があり、夜刀彦の身体はポールに串刺しにされる。
「か……はっ……」
まるで百舌鳥の『はやにえ』のような状態にされた夜刀彦は血を吐きながら苦しげに喘ぐ。
既に興味をなくしたのか、ユグドラはそれを尻目に次々と撃退士たちを殴り飛ばし、あるいは掴んで叩きつけ、半死半生の状態にしていく。
「残してやったテメェ等は特別だ。これからたっぷりブチ殺し尽くしてやらァ」
笑っているのか怒っているのかわからない表情でユグドラは、あえて攻撃せずに残しておいた二人を見渡すと、まずその中の一人である茜を睨み付けた。
「イカレ女、テメェからは血にまみれた腐れ外道の臭いがプンプンするから期待してたんだがよォ――」
そこで言葉を切ると、ユグドラは一気に茜へと肉薄し、左の拳を彼女の腹に叩き込む。
「――二度も期待持たせた挙句、二度ともとんだ肩透かしくらわせやがってコラァ! 反吐ブチ吐いてアノ世逝きなァ!」
身体を九の字に折った茜は、更に頭を掴まれ、そのまま幾度となく地面に叩きつけられる。
やがて茜が動かなくなると、ユグドラは既に倒して積み上げてあったケルベロスの死骸の一つを掴み、その口をこじ開ける。
「テメェなんざ犬の餌だ」
吐き捨てるように言い、無造作に掴み上げた茜をこじ開けた口へと押し込んだユグドラは次なる標的――カインへと歩み寄る。
「おいガキ、テメェは嫌いじゃねェ。だから直々にじっくりと遊んでやらァ」
牙を剥いて嗜虐的な笑みを浮かべつつ、ユグドラはカインの頭部を掴む。
だが、カインも負けてはいない。掴み上げられると同時にユグドラの目を手で塞ぎ、なんとその手の上からユグドラの顔面めがけてリボルバーの弾を全弾撃ち込んだのだ。
「グッ……このガキ……テメェの手ごと構わずに357マグナムを全弾ブッ放しやがった……イカレてやがるぜェ!」
さすがのユグドラも顔面に六発もの零距離射撃を受けてはただでは済まない。思わずカインを手放して着弾部位を押さえ、声には出さないものの悶絶する。
一方、カインのダメージはより深刻だ。肘の辺りまでが吹き飛び、特に着弾地点である手の平はミンチになっている。
それでもカインは気丈な態度でユグドラを罵倒した。
『他人から恵んでもらった力で、好き放題暴れるだけの化物風情が暴れてんじゃねえ! そのままくたばってろ』
母国語でなじり、おまけにカインはユグドラの顔に唾を吐きかける。
「このガキ……!」
遂にユグドラの怒りは頂点に達した。だが、カインにとどめを刺すよりも早く、再びユグドラを総攻撃が襲う。
「ンだ……?」
ユグドラが振り向くと、既にぶちのめした筈の撃退士たちが立ち上がっている。全員が満身創痍だが、目に宿った闘志は些かも衰えていない。
「言った通り……わしの全力を以て、可能な限り傷は癒した。約束は…… 果たしたぞ。さあ……存分に戦うの……じゃ」
彼等を癒し命を繋いだ功労者――硯は、何とか立ち上がった仲間たちを見届けると、力尽きて倒れる。
「硯の癒しには助けられた。だがそもそも、里桜のかけてくれた『鎧』がなければ、今頃僕たちは死んでいたよ。危ない所だった――」
やっとのことで立ちながら、月彦は硯と里桜を見て言う。
そして、今度は和馬と朔桜に視線を移す。
「和馬、朔桜……僕のことは気に食わないだろうが、今は力を貸せ」
月彦に持ちかけられて和馬は即答し、ややあって朔桜も頷く。
「良いだろう。今は奴を退けることが先決だ。何よりカインが身を挺して作ったこのチャンス――絶対に無駄にするわけにはいかない」
「蘇芳君がそう言うなら良いよ。ここは乗ってあげる」
短く言葉を交わし、三人は間髪入れず動き出した。
零距離射撃のダメージからユグドラが復調する前に、一気に三人は同時攻撃を叩き込む。
和馬と月彦は、まったくの同時にユグドラの胸板へと武器を叩きつける。
「巻き込まない様にはするけど、巻き込まれても恨まないでよね」
更にはその直後、朔桜が胸板へと魔法の雷槍を撃ち込む。
朔桜の魔法に負けじと、哲也もありったけの魔法攻撃を開始する。
魔法で生み出した氷の錐をユグドラの胸板に撃ち込みながら、哲也は言い放った。
「弱ければ弱いなりの戦い方があるのですよ」
続いて攻撃を仕掛けるのは夜刀彦と黒百合だ。
「行きますよ、黒百合さん!」
「いいわよォ!」
怒りに任せてユグドラは左拳を振るう。
「じゃかあしいんだよコラァ!」
拳は二人に炸裂するが、次の瞬間、そこに二人の姿はなく、代わって破れたメイド服と戦闘用女子制服の残骸があるだけだ。
「身代わり……だとォ!」
空蝉の術――鬼道忍軍の得意技で攻撃を避けた二人は、敵の胸板に渾身の一撃を叩き込む。
「死ねオラァ!」
再び振るわれるユグドラの拳が黒百合を捕える。だが、不思議なことに黒百合にダメージはない。
「助かったわぁ」
「問題ありません。少なくとも、心に響く痛みが……本当の彼と出会うことができました……から」
言葉を交わす黒百合と凛。
凛は自らの術によって黒百合が受けるはずだったダメージを肩代わりし、彼女を救ったのだ。
「さっき殴られたせいで立ってるのも正直しんどいです……でも、地に伏して貴方のアホ面見上げるなんてごめんなんでね」
続いてこうきが漆黒の大鎌をユグドラの胸板に叩き込む。
こうきの大鎌をユグドラが掴んだ瞬間、その隙を逃すまいと零斗が肉薄する。
「このクソカスがァ! とっとと死にやがれェ!」
ボロボロになりながらも向かってくる零斗に向けて、ユグドラは咄嗟に『右手』を繰り出した。
ボディブローが直撃し、零斗の足元には彼の吐血と、足を伝わった衝撃による破砕の跡が広がる。
だが、零斗は会心の笑みを浮かべていた。
「片手で以外の攻撃……俺の勝ちだな」
勝ち誇った笑みを浮かべて宣言する零斗。見れば彼の身体はうっすらと輝く光の幕が覆っており、それが拳の威力をいくらか削いだようだ。
「絶対誰も犠牲にしない……だって……その為に……守る力……なんだから……!」
震える声で言う里桜。彼女がすべての力を振り絞って纏わせたアウルの『鎧』のおかげで零斗は拳の一撃に耐えきったのだ。
零斗は残った力すべてでユグドラの右手を掴み、その場に押さえつける。
そして、押さえつけられた敵の胸板に向け、茜が大太刀による渾身の一撃を叩き込んだ。
「ハッ! 生きてやがったかイカレ女。だが生憎とテメェらの攻撃なんざ――」
余裕の表情で告げた瞬間、ユグドラの身体がビクリと大きく揺れる。
「……ンだ……と……!?」
見ればユグドラの膝は笑っており、他ならぬ本人が一番それに驚いているようだった。
「武技とか武術っていうのはね。人間が長い歴史の中で自分よりも強い相手と戦う為に生み出し、研究を重ねてきたものなの。そして、武術というものが多くの人によって学ばれ、極められてきたのにはそれ相応の理由がある――たとえば強くなる為の効率の良さ一つ取っても、あるいは実戦における優位性って面でも遥かに上なんだよ。あんたの好きな『ステゴロ』よりもね」
そして茜はなおも告げた。
「今、私が使った技――『徹し』も堅い鎧を着た人間や、硬い外皮を持つ天魔と戦う為に編み出した技なんだ。堅い鎧も、硬い皮も貫いて相手を倒す一撃。これだってまさしく武術の賜物」
語り終えた茜は大太刀を放すと、ユグドラの左腕を掴んで更に押さえつける。
「ユグドラ、あんたの敗因は余裕ぶってノーガードでの打ち合いをしたこと。そして、人間を舐めたことだよ――後は頼んだわ、氷雨さん!」
ここに来てようやくユグドラは撃退士たちの意図に気付いた。
「テメェらまさか……全く同じ場所に寸分の狂いもなくブチ込み続けて……!」
茜の言葉を受け、静はユグドラの前に歩み出ると、彼の胸板――仲間たちが攻撃を撃ち込み続けた場所にそっと触れる。
「ユグドラ様はご自身のお力に随分とご自信がおありのご様子。ここは一つ試させて頂けませんか? きっと楽しゅうございますよ?」
静の言葉にただならぬ雰囲気を感じたのか、ユグドラは急いで逃れようとする。
しかし、膝の笑っている身体には思うように力が入らないのだろう。零斗と茜に押さえられたまま、ユグドラは動けない。
「古来より雨垂れ石を穿つと申します。ユグドラ様方天魔の力と私たち人間の意地――どちらが勝るか、貴方様にとってはさぞ見物と存じますが?」
あくまで慇懃に語りかけながら静は、手の平に全アウルを集中すると、自爆覚悟でそれを暴発させた。
凄まじい爆発の後、土煙が晴れていく中で倒れていく静にユグドラが問いかける。
「テメェ……何者だ?」
「……お楽しみ……頂けましたか? 私は……氷雨 静と……申します……以後……お見知りおき……を……」
途切れ途切れに答える静。
彼女の身体を抱き留めたのは、なんとユグドラだった。
左腕で静を抱えると、肌に直接羽織ったアウターシャツの一部を破るユグドラ。
ユグドラはその布を、アウルの暴発によって悲惨な状態になった静の手へと、包帯のように巻き付ける。
「……気に入ったぜ。一番キレててイカレてやがって、ンでもって一番イイ女はテメェだ。静、だったな――覚えとくぜ」
そのまま静をそっと寝かせると、ユグドラは撃退士たちに向けて言い放つ。
「テメェ等はもっと強くなる。それを待ってからブッ殺し合った方が面白ェ。つゥわけで、今日ン所はこれぐらいにしといてやらァ――あばよ」
上機嫌で笑うと、ユグドラは去って行った。
●
しばらくした後。
戦いを終え、廃墟の一角を一人で歩いていたユグドラはやおら動きを止めると、膝をつく。
「ガ……ハッ……」
膝をついたユグドラは盛大に吐血した。
手足はみっともないくらいに震え、視界は真っ白になるくらい霞んでいる。
「相当手酷くやられたみたいね。だから言ったでしょう。たとえ人間如きだからって相手を舐めるのも、自分の頑丈さを過信して守りの一つも考えずに戦うのも止めなさい、とね」
口端から血を流しながらユグドラが振り返ると、その先にいたのは相棒のヴァニタス――アシュラだ。
「うるせェ……フザケたこと抜かすンならテメェだろうとブッ――」
殺気もあらわに恫喝するユグドラだが、身体が追いついていかないのか、その場に倒れ込む。
アシュラは嘆息して、そんな彼を抱え上げると、帰途についた。
傍目には自分よりも小さな少女に担がれながら、ユグドラは血と唾を吐き捨てて口を開く。
「ケッ……! 少しは……だがよ――」
ユグドラは、凄まじい怒りと憎しみ、そして少しの歓喜を滲ませて呟いた。
「――骨があると認めてやらァ」