●
今にも雨が降り出しそうな空模様の下、行動を決めた撃退士たちは校舎へと急ぐ。
「トモダチの作り方としちゃ、ずいぶん過激じゃねぇですかねぇ」
問題の教室群がある校舎の入口まで来たところで、百目鬼 揺籠(
jb8361)が嘆息する。
「どんな風にも後付け出来るゲーム…ね。それでもあたしたちはベットするしか無いんだけれど」
苦笑するのはケイ・リヒャルト(
ja0004)。
向坂 玲治(
ja6214)は、その横で己の拳を叩いた。
「反抗期にも付き合いきれんし、一発ガツンと入れてやらないとな」
「……」
「どうしました?」
無言のまま校舎の奥を見据える遠石 一千風(
jb3845)の表情がどことなく暗いことに気がついて、御堂・玲獅(
ja0388)が声をかける。
その声で我に返ったかのように一千風は軽く頭を振ると、
「何でもないわ。行きましょう」
そう言って足を一歩前に踏み出す。他の撃退士達も同様に、校舎へと歩き出した。
(夢月さんはどうしてこんなことを始めたのかしら)
一千風は胸中で呟く。
旧友を、母親を、撃退士を困らせたかったから?
――今考えても答えが出るわけもない。
今必要なのは、彼女を止めること。
それから、手遅れだとしても理解をすることだ。
●
一方で、校舎には向かっていない撃退士の姿もあった。
ラファル A ユーティライネン(
jb4620)と麻乃が向かったのは、羽鳥美園が事情聴取を受けている近くの撃退署である。
一般人である美園は流石に今はここで待機するよう言われていた。
「……なんで麻乃がここにいるの。
あの子が出たって聞いて学校に行ったんじゃなかったの?」
大人しく署内にいたものの、部屋の扉を開いた麻乃の顔を見るなり面倒くさそうな顔をした美園に、麻乃は硬い表情を浮かべたまま言葉は返さない。
代わりに、まだ部屋の前にいるラファルに目配せした。
「後は宜しくね」
「任せろ」
言って、ラファルは麻乃の横を通りすぎて部屋へと入っていく。一方で麻乃は他に行くところがある為、部屋に入らずにそのまま扉を閉めた。
「夢月の件なんだけどな」
美園の前で机に手を置き、ラファルは現在の状況を告げ始める。
わざわざ美園の許を訪れたのは、彼女の話を聴くためだった。
無論、ラファルは美園と夢月の間に起こった事の経緯は大雑把ながら麻乃から聞いている。
「それでも、美園本人からも話を聴く必要があるの?」
麻乃は当然のように問うたけれども、
「喧嘩は一方の言い分だけ聞いても解決できないからな」
とラファルは返した。
夢月は話したとしても自分の都合のいい解釈でしか話さないだろう。そもそも先の口上より多くのことを語るかも分からない。
一応は第三者である麻乃の所見にしても、だいぶ生前の夢月寄りの見方である。その自覚はあるのか、「……まぁ、確かに」と麻乃はそれ以上は追及しなかった。
美園の言い分を聴くには当人からしかない。その上で、状況の解決に努めるべきだとラファルは考えていた。
「で、だ。あんたの身の安全は俺達が絶対に保証するから、ちょっとついてきて欲しい」
状況を全て話した後のラファルの言葉に、美園は少々意外そうに目を瞬かせた。
「差し出すつもりなら絶対にお断りだけど、差し出さないのに、行く必要がある?」
「ある。あんたの娘に罠を張るために、な」
即答するラファルに、美園はますます訳がわからないという顔をした。
●
「準備はいいか?」
校舎に入った撃退士たちは二手に分かれ、一つ目の班が一番手前の、二つ目の班がその隣の教室へ突入する作戦を立てた。
声をかけたのは、二番目の教室の扉の前に立つ玲治。
各教室には前後それぞれに扉があり、二つ目の教室のもう一つ(手前側)の扉の前には一千風が居る。一つ目の教室は手前側にケイ、奥側に玲獅がそれぞれ扉の前に立った。
玲獅は教室に入る前に、生命探知を使用。中の状況の把握を試みた。
その結果が分かると、予め貸与されていた無線機を取り出す。
「生徒たちは手前側の隅の方に固まっています」
『了解でさぁ』
無線機から返ってきた声は揺籠のもの。彼と九十九(
ja1149)は廊下ではなく、二つの教室のそれぞれ窓側に立っていた。
『窓はカーテンがかかってるんで中が見えやしませんが、逆にその御蔭でガラスをぶち破ってもそれで怪我したりはしねェでしょう』
そう言っている間にも、揺籠は突入の位置を調整しているだろう。
「それはこっちの教室も同じ?」
「そのようです」
一千風の問いかけに玲獅は肯き――。
「そんじゃ、行くぜ」
一般的に、学校の教室の扉の窓ガラスはマジックミラーになっていることが多い。
この教室群もご多分に漏れず、廊下からでは教室の中の様子は目視で確認は出来ない。
――が、中にいる存在が何かを仕掛けようとしていることくらいは、生命探知で位置を把握することで何となく理解できる。
「甘ぇよ!」
扉を開けるなり、浮遊する身体を低く沈み込ませていた死神の鎌が振り上げられた。
しかしこれを盾で受けると、玲治の影から浮き上がるように現れた腕が死神の頭を掴み真っ逆さまに床へと叩きつける!
現れた腕は一本だけではなかった。恐らくは連続攻撃を仕掛けようとしていたのだと思われる、一体目の奥に潜んでいた別の死神の鎌をも掴む。
それを機に、別の扉から一千風が突入。
唯一動けている死神が生徒たちへ襲いかかろうとしていることを察した一千風の脚部でアウルが爆発的に燃焼され、その力で以て一瞬で死神へ肉薄、生徒たちとの間に割って入った。
鎌の一撃をガードすると、
「助けにきたわ、今のうちに逃げて」
背後の生徒たちへ向かって声をかける――しかし生徒たちは言葉に従わないどころか、何人かで背後から一千風を取り押さえにかかった。
「しま……っ」
生徒たちは天魔に操られている――。
そのことに一瞬遅れて気がついた一千風の眼前に、再び鎌の攻撃が迫る。
一般人である生徒たちの腕力を振り切ることなど容易いが、それでも一瞬は躊躇してしまう。
その一瞬が危うく命取りになるところだったが、幸い玲治が間に合った。
「そう簡単にやらせるかっての!」
アウルを宿したことにより白く輝くロンゴミニアトを、死神の背後から、脳天をかち割るが如き勢いで叩きつける。
衝撃で歪んだ死神の身体が床に叩きつけられてはあらぬ方向へ跳ね上がり。
再度床に墜落する瞬間を狙って、子供達を振り切り態勢を立て直した一千風が紫焔を纏うグロウソードを振るった。
目にも留まらぬ一閃は死神の身体を両断し、一千風の視界ではその奥に、先程玲治のダークハンドを受けたうちの一体が拘束を逃れているのが見えた。
その身体は玲治に向いていて――眼窩が紫色に光ったように、一千風には見えた。
瞬後、玲治の身体から力が抜ける。崩れ落ちたわけではないが、ロンゴミニアトは取り落とした。
驚愕とともに一千風がそちらを見遣ると、玲治の目はうつろになっており――そして生徒たちへと振り向いた。
だが、振り向いただけで何もしない。
その様子に一千風が逆に困惑した一瞬を、死神たちは見逃さない。
漸く拘束を逃れた残りの一体、一番最初に玲治の目の前に現れた死神が、鎌を大仰に振るうと――放射状に放たれた漆黒の刃が部屋の大部分を巻き込んだ。
「……やっべぇ、俺何してた」
「特に何も……」
ダメージもあってすぐに意識を取り戻した玲治に、一千風はそう返す。
「けれど……」
一千風は背後の生徒たちを見遣る。
今の一撃で、生徒たちの多くが傷を負ってしまっていた。
撃退士たちの身体が盾となり、重篤な事態にまで陥っている生徒こそいないが、もう一撃同じ攻撃を食らうと危ない。
ロンゴミニアトを再び手にした玲治は少し前進すると、アウルの力を用いて周囲を深い闇に包み込んだ。
天魔にのみ認識障害を与える闇に囚われながらも、死神たちは鎌を振るった。一体は物理的に玲治へ振り下ろし、もう一体は先程の漆黒の刃をまた払う。
玲治は振り下ろされた刃をシールドで受け、突き返すように鎌を盾で弾き返すと
「がら空きだぜ!」
言葉通りがら空きになった死神の胴を、再び活性化したロンゴミニアトで薙ぎ払う。
一方、漆黒の刃が放たれる一寸前に生徒たちをより密集させた一千風はその前に立って背後を庇った。
「大丈夫だから」
それでも後ろで小さく上がった悲鳴に対し、一千風はそう気丈に告げる。
「あの子の思い通りには、絶対にさせない。全力で叩き潰させてもらうわ」
そう言っては縮地でその場を離れ、玲治が伸した死神の横をも抜け、残った個体に対しグロウソードを振り上げる――!
●
ラファルと、結局彼女についていくことになった美園が撃退署の外に出ると、無窓のバンが二人の前で停まった。
「これでいいの?」
「サンキュー」
運転席から顔を出した麻乃にラファルはそう返すと、後部座席のスライドドアを開けた。
「さて、と。それじゃあ行きながら教えてもらうか」
「何を?」
「あんたと夢月のことをだよ」
後部座席に二人が乗り込み、バンは学校へ向け出発する。
それからまもなくラファルが切りだすと、美園は当然怪訝な顔をした。
「知ってるんじゃないの?」
「大体は。ただ、客観的なものじゃない。
ならあんたの言い分も聞かないとな。勿論、ここで話したことは外には言わない」
言いながらも、ラファルは美園に気付かれぬ間に暖かなアウルを拡散している。
暫く難しい顔をしていた美園だったが、心を癒やすアウルのおかげもあってか小さく肯いた。
ラファルもまた肯き返して、最初の問いをぶつける。
「夢月は父親の顔を知らないと言っていた。それはどういうことだ?」
「……私が高校生の時に産んだんだけど、そもそもあの頃の私がイケナイことをしていたのが切っ掛けなのよね。
父親は、どっかの会社の社長よ。勿論妻子持ちのね。どこの会社のかは、流石にあっちにも理性があったのか教えてくれなかった。
で、イケナイことが行き過ぎた一夜の過ち――と言えば大体察してくれない?」
「……」
お察しだった。
微妙な表情を浮かべるラファルをよそに、美園は付け加える。
「母子家庭な割に裕福なのは、まぁ今は仕事してるからっていうのもあるけど、それ以上に毎月振り込まれる口止め料があるからね。
個人名で振り込んでくるけど、偽名か他人名義でしょうね。
会った時に聞いた名前もそうだけど、ネットで調べてもそれっぽいのが見つからないし」
「……で、産んだのか」
「あっちの世間体の問題で中絶しないでくれって言われたし、その口止め料で生活させるって話があったから」
ただ、流石に妊娠を隠したままでは学校には通えない。なので当時通っていた高校は中退することにした。
そう語る美園に、ラファルは僅かに目を細める。
ここまでの話は、麻乃に聞いた経緯とそう相違ない。
ただ、麻乃は「言わせたんじゃないかって思ってるけど」とも、そう考える理由とともに言っていた。
ここでその『根拠』を含め追及しても、折角大人しくなっている美園を刺激するだけだろう。そうでないなら今の時点で自ら言ってくれている筈だ。
ひとまずそのことは脇に置いて、ラファルは次の質問をぶつける。
「実家に勘当されたってのはどういうことだ?」
「そんな理由で妊娠して子供を産むってことに全く後ろめたさなかったのよねー。
産むから、って軽く決めた途端に激ギレされて、それならウチから出てけって追い出された」
流石にそれはちょっと反省してる、と宣う割にはあまり悪びれた様子はない。
「……ならちょっと話が変わるが」
「え?」
「夢月との思い出、何かあるか?」
唐突な質問を受け、美園の表情から色が消えた。
●
結果から見れば、夢月が仕掛けたこのゲームの意地の悪さは『想定以上』ではないと言えた。
それは裏返せば彼女が「簡単にはいかない」と語った理由は戦略のトリッキーさというよりも、純粋に戦力の問題だったのだろう。
故に、二つの教室とも勝利はしたものの、若干後手を踏んだ感は否めない。
夢月は時間制限は無いと言っていた。また、死神たちが生徒に攻撃を仕掛けたのも、あくまで撃退士たちが教室に突入してからの話だ。
或いは最初からまとまって一部屋ずつ攻略しても問題なかったのではないだろうか――という疑念がよぎらなくもなかったが、全てはたらればの話であるし、何より残った二部屋に同じことが言えるとは限らない。
何せそのうちの一方には、夢月が居るのである。
回復手がいた事もあり、余力は玲獅、ケイ、揺籠の方がある。
そんなわけで玲獅たちが夢月の部屋へ、もう一方の教室には残る三人が向かうことになった。
玲獅たちも一つ目の教室ではいきなり攻撃を受ける格好になった(玲獅が星の輝きで目を眩ませた為実際には急襲は受けていない)のだが、今度はそうはならなかった。
生徒たちが教室の隅に固められているのは先ほどと同じ。今度は、それを取り囲むように気配が二つ、そして教室の真中に一つ。
生命探知で得られた結果がそれ。そして予想に反する事なく、教室の真中に居たのは
「来たね」
夢月であった。
一番最初に迎撃をしたのは彼女ではなく、背後に控える死神のうち一体だった。扉を開けた玲獅に対し、漆黒の刃を放つ。
白蛇の盾でそれを受けた玲獅は、即座にスキルを封じる魔法陣を展開。
もう一体の死神の鎌がただ空を切っただけであるところを見ると死神のスキルは封じたようだが、果たして夢月はどうか。
――封じることは出来ていなかった。
移動もせずに振り上げられた彼女の両の鉤爪から、全部で四つの赤い円刃が生み出される。
虚空を漂っていたそれは一瞬にして、玲獅と、別の扉から進入しようとしていたケイへ襲いかかった。遠隔操作の効くらしいそれを回避するのは難しく、二人の身体が焼けつくような痛みに切り裂かれる。
その直後、夢月の背後の窓を突き破って揺籠が現れた。
彼は死神の直ぐ側に降りたつ間際、その死神の脳天に強烈な踵落しを叩き込んだ。
床に叩きつけられた死神をよそに着地した揺籠は、夢月へと向き直る。
「なんなら俺がトモダチになってやってもいいですぜ」
「え」
態勢を立て直したケイのアシッドショットを軽々とかわしていた夢月だったが、唐突な揺籠の提案に、流石に一瞬動きを止めた。
その間に、玲獅が接近する。
「何すんのっ」
「今のうちに死神を!」
背後から夢月の腕を固めた玲獅が叫ぶ。すると先程揺籠の踵落しを受けた死神へとケイが追撃の銃弾を浴びせ、煙管を咥えた揺籠はといえば口に含んだ紫煙を死神二体の方へ吹き付ける。アウルを纏った煙は瞬く間に紅炎へと化け、鮮やかに死神たちを燃え包んだ。
「一つ伺います。
何故貴方は手間をかけ、美園と言われてる存在を守ろうとしてるのですか?
脅し被害者に見せる意図が他にない」
「守る? 笑わせないでよ!」
夢月は自らの腕を縛り付ける玲獅の右腕を掴むと、一本背負いの要領で身体を折り曲げる。床にたたきつけられた玲獅だったが、決して夢月を離しはしなかった。
夢月が面倒そうに舌打ちすると、次の瞬間、燃える死神の脇から生徒たちの一部が走り抜けてきた。
脱出、ではない。虚ろな目の生徒たちは、揺籠を取り囲み、更には夢月を取り押さえる玲獅の方へも走り寄る。
「その手はもう喰らいませんぜ」
揺籠がそう言うと、左腕から半身にかけて広がる紋様が百の瞳へと具現化する。
それが一斉に見開かれる不気味な恐怖感に触れ、本能的に生徒たちは撃退士を囲むのを止め、突き破られた窓を飛び出し始めた。
燃える死神は勿論、夢月も逃げる生徒を追うことが出来ない。
ヴァニタスの膂力を以て玲獅を床に叩きつけたり鉤爪で深々と切り裂かれたりしても、彼女は決して夢月にしがみつくのを止めなかったからである。
死神のうち一体は炎で息絶え、もう一体もだいぶ深い傷を負った。もはや生徒たちは先の魅了を受けず、かつ炎が怖くて逃げ出せずに居た一部しか残っていない。囲う理由もないと判断したのか、死神はゆらりと夢月の方へと近寄っていった。そして夢月を取り押さえる役目を終えた玲獅は、自らに治癒を施しながら少し距離を取る。
「――教えて、夢月」
言葉をかわしながらでも、戦闘は止まらない。鞭に持ち替えたケイが夢月の腕を絡め取ろうとする。
「貴方はどうして、ここでクラスメイトを人質に取ったの?」
「美園夫人を殺したいならこんな回りくどいこと必要ねぇ。
つまりあんたはガキらしく、母親を困らせたいだけなんじゃねぇんですかぃ?」
ケイの攻撃をかわしつつ円刃を生み出す夢月。全弾回避とはいかなかったが負傷を最小限に抑えつつ、揺籠が問う。
「――困らせたい、ね。
そんな言葉じゃ生易しいけど、まぁそうとも言えるかなー」
夢月は嗤いながらもその場で高く跳躍、天井に一度手をつくと、その反動でケイへと足を振り下ろす。
「自分がやってきたことのせいで、他人が傷つくっていうことの気持ちってどうなのかなーって」
床を突き破らんばかりの勢いに、ケイはガードしたものの大きく吹っ飛ばされた。
「そんなので変わるとは思えないけど、少しくらい後悔しないかなって」
言う夢月の傍で、死神が漆黒の刃を揺籠や玲獅へと向ける。
生徒たちは逃げ出せそうだが、このままでは戦闘に目処がつかない――などと撃退士たちが考えたところで、
『おい、聴こえるか夢月!』
教室の外から、拡声器越しにラファルの声が響いた。
一瞬にして、教室の中に静寂が生まれる。玲治たちの教室では戦闘がまだ続いているようだったが、こちらは死神すら攻撃を止めたのは夢月がラファルの呼びかけの意味を察したからだろう。
『ここに美園を置いていくから好きにしろよ』
事実、彼女にしてみれば願ってもない言葉がかけられた。
「あは」
既に扉は開け放たれている。それはつまり、教室の外――はたまた廊下の窓の向こうの校庭の風景が見えるということだ。
夢月が教室の入口のところに来ると、校庭のど真ん中に停められたバンから二つの人影が素早く離れていくのが見えた。
それが麻乃とラファルであるということを見とめると、夢月は狂気を湛えた表情で教室を飛び出した。
恐ろしい勢いでバンに襲い来る黒い影。
そうとも知らずに、バンから更に一つの人影が降りてこようとしていた。
ストレートの黒髪、やや若作りをしていると言われていたワンピースにサンダル。
少し遠目でも分かる。ずっとずっと『夢月』が色々な感情の織り交ざった瞳で見ていた人の姿だ。
コロシテシマエバ、ナヤムコトナドナイ。
記憶の中でこみ上げる感情に、そうやって蓋をして。
その蓋をする必要さえも失くす為に、彼女は肉薄した一瞬に全てを終わらせようと勢い任せに鉤爪を振るい――
『美園』はそれを、盾で受けた。
完全に衝撃を殺すところまではいかず、大きく吹っ飛ばされはしたが――まだ、立っている。
「……流石に重ったい……ッ!」
「なん……ッ!?」
吹っ飛ばされた衝撃で、『美園』の頭から黒髪だと思っていたものがはらりと落ちる。
「麻乃さん……!?」
「遠目だから何とかごまかせたけど、似たくもなかったわね」
対峙する夢月に対しての警戒態勢を維持しながらも、麻乃は落ちたウィッグをちらりと見遣る。
だが、麻乃に対する驚愕も夢月にとっては一瞬のこと。
ここに居るのが麻乃なら、先程ラファルと一緒に離れた麻乃だと思っていたあの人影は――?
そこまで思考し無意識に振り返ったところ。
銃声が響き、頬を銃弾が掠めた。
●
「……え、本当にそんなことするの?」
実のところ、ラファルの提案する『罠』そのものに一番困惑したのは美園ではなく麻乃だった。
何か考えているとは聞いていたし、教室へ突入した他の撃退士達もそれは知っているとのこと。
だが、それが『自分と美園が服を交換し、自分が美園のフリをする』というものでは、夢月のこともあってある意味親族以上に美園を快く思っていない麻乃の心中は穏やかではない。
「被害を広めない為にも協力してくれ」
ラファルが言う。幸い麻乃と美園は背丈はほぼ同じである。
「ここに連れて来いとは言われたが夢月の目の前まで連れて来いとは言われなかったからな。
母親に拘るからには無視はデキまい」
というわけでのバンへの誘いこみ作戦である。
勿論事情が事情だし、拒否するというのが最低の悪手であることも理解している。それでも若干まごついていると、思わぬところから声が出た。
「それとも私本人が無防備にいろっていうの? 行かないけど、行ったとしてそれってどうなの?」
「……あーもう、わかったわよ……」
美園に言われるというのが滅茶苦茶癪に障ったが、言っていること自体は正論だった。
二人はそれぞれ互いの髪型に似たウィッグを被り、服を交換。
ついでに麻乃が常時持ち歩いているサングラスをかければ、麻乃本人の顔さえはっきり見なければ殆ど区別はつかなくなった。
●
狙撃を行ったのは、離れた場所へ移動していたラファルである。
ハッとしてそちらを振り向く。麻乃の姿をした美園は、まだラファルの傍らに立っていた。
銃撃こそされたものの、距離自体はそこまで離れてはいない。
今度こそとばかりに疾走の態勢に入った夢月だったが、今度はそれも叶わなかった。
「行かせませんぜ」
背後から伸びた揺籠の左手が、夢月の肩を掴んだ。
その刹那、夢月の脳裏には自らの身体に百の目が顕現するイメージが過った。同時に膨大な資格情報が脳に飛び込む錯覚に陥り、動きが止まる。
美園が差し出された、と踏んだ時点で、夢月は意識をそちらへ傾けながらも死神たちを校舎から外へ出している。
つまり校舎に居た撃退士達も、今は自由に動けるのである。ついでに、人質となった生徒達も既に逃げ出し始めていた。
校舎での戦闘中はなかなか当たらなかったケイのアシッドショットも、動けずにいた夢月には今度は簡単に命中する。
「――……ッ!!!」
足を腐らされ始め、校門から姿を消していく美園の姿を忌々しげに見つめながらも夢月は追うことが出来なかった。
「ゲームは俺たちの勝ち、みたいだな」
続いて校舎から飛び出してきた玲治が言うと、
「……そうだね」
意外にも、夢月は素直にそう認めた。
揺籠に肩を掴まれたままだったが、既に動けるようになっていたようだ。力ずくで揺籠の腕を振り払うと撃退士から少し距離を取る。
「なんでこう、楽しくならないのかなー」
「こんなことで、世界が変わるとでも思ってるの?」
面倒くさそうに肩を竦める夢月に、一千風は問いかける。
「思ってるよ」
そう言って夢月は苦笑いを浮かべた。
「そうするだけの力も知恵も、実行した後の自分の世間体を顧みないだけの度胸もなかっただけ。ずっと母親を憎んでた。
でも笑っちゃうよねー。世間体を気にするあたり、何だかんだ言ってあの親にしてこの子供だよ」
「……そんなことない」
まるで人事のように生前の自分を振り返る。それに反論したのは麻乃だった。
「だって、私が一緒に来るよう誘った時に断ったのは、自分じゃなくて私の世間体を気にしてのことだったじゃない」
「そう思うのは勝手だけど、もしかしたらそれも『人を気遣える自分がかわいい』だけなのかもしれないよ?」
あえて麻乃の神経を逆撫でするようなことを言う夢月。自分を怒らせようとしているのが分かっているから、麻乃は歯噛みしたまま何も返さない。
そうこうしているうちに一足先に退いた美園が安全な場所に隔離されたという報せが入り、撃退士たちもまたその場を退く。
怪我の影響か、彼らを追っても美園の許へ辿り着けるとは限らないからか、夢月は追ってこなかった。
●
「あの子が人の子であることを捨てた理由、俺はまだピンと来てねぇんですが……一体なんだと思ってます?」
「……やっぱり、親からの愛情なんてものが実は最初からなかったことに気がついちゃったから、だと思う」
撤退後、揺籠からかけられた問いに麻乃はそう答えた。
その麻乃の視線がちらりとラファルへと向く。
「まぁ、あのヴァニタスの言う『世間体』の話を抜きにしても考えられる話ではあるよな」
ラファルも肯かざるを得なかった。
「いい思い出なんてあるわけないじゃない」
夢月との思い出を訊かれた時の美園の返答だった。
「例え見返りがあったとしても、女手一つで一生懸命に子供を育てるシングルマザーを『演じる』のがどれだけ大変だと思ってるのよ。
ある程度手がかからなくなって自分の思うように行動できるようになって、せーせーしたったらないわ」
実に面倒なことに、美園自身は夢月に対し所謂虐待にあたる行為は何一つ行っていないようだった。
それもこれも、彼女が自分自身の立場を護るためだったのだろう。
たとえ生活が乱れ周りに何と言われようが、夢月が関わることについては後ろめたいことは何もしていないのだから気にする必要もない。
故に今回のような場合でも、人道的を含めたあらゆる意味で守られるべき立場にある。
尤もこの状況は、流石に彼女も予想はしていなかっただろうけれども。
「どちらが正しいと言える状況でもなくなってしまいましたが……」
「でも、やっぱり止めないと」
玲獅の言葉を引き継ぐように、一千風が言う。
仮に夢月の中に憎しみが本当にあったとしても、このままではまた美園を殺すために誰かが傷つけられてしまう。
それだけではない。万一美園が彼女に殺されることがあったとして、自分が楽しい世界を作る為ならば結局彼女のやることは変わらないのではないか――。
そんな危惧を込めた言葉に、誰からともなく撃退士は肯いた。