●獣の軍勢
高速道を数台の車両だけが走っている。
縦に並んだ五台のトラックと、その護衛として走る車両がいくつか。たったそれだけの車両が走るのに、貸し切られた高速道は、あまりに広く、そして不気味な程に静かだった。
「もう少しで、浜松ですね……」
佐藤七佳(
ja0030)が、無骨な高機動車の窓越しに標識を見上げ、呟いた。
「そうだね。できたらこのまま何もなく……京都までいければいいんだけど」
彼女の呟きにそう返したのは、ディアーヌ・ド・ティエール(
ja7500)だ。彼は端正な表情に不安を宿し、七佳と同じ様に窓越しに外を眺めている。
静岡を出発し今の所サーバントからの襲撃はない。
その場にいる全員が何となく不気味な物を感じているのはそれが原因だった。まるで嵐の前の静けさの様な、ざわめきを覚えつつもその正体が判然としない。そんなもどかしい雰囲気が、漠然とした恐怖を生み、不安を駆り立てる。
「あの、通信聴こえますか?」
その不安を紛らわせる様に、七佳がヘッドセット型の通信機に語りかけた。
『はい。感度良好です。こちらは異常なしなのです。そちらは?』
応答したのはアイリス・ルナクルス(
ja1078)だ。彼女は三台用意された護衛用の高機動車――陸上自衛隊から挑発同然に借り上げた、「高機」の愛称で呼ばれる車両――の一つ、殿を務める二台の内一台に同乗している。
「こっちも問題なしだ。……実に静かな物だよ」
七佳に代わり麻生遊夜(
ja1838)が答えた。その口調は退屈そうだが、何となく芯の通った物を感じさせる強い声音が通信機越しに他のメンバーの元に届く。
『こっちもだね。このまま楽に終ると良いんだけどねぇ』
同じ様に退屈そうな声が無線機越しに響く。佐竹調理(
ja0655)の物だ。彼はアイリスとは別のもう一つの車両に同乗しており、同じ様に殿を担当している。
『……こっちも暇。……でも風は気持ちいいかもしれない』
更にもう一人から声が帰って来た。九曜昴(
ja0586)の物である。彼女は既にトラックに繋がれたコンテナ上にいた。
コンテナ上部は足場として最低限の整備がなされており、時速80kmというスピードの中である事を除けば、比較的、安全に行動できる様になっている。更に安全策の一環として幌が設置されており、彼女はその上で周辺の様子を見回していた。
『……でも、ここ少し寒い。……ん?』
そんな彼女に続き、同じ様に声が聴こえた。イヴ・クロノフィル(
ja7941)の物だ。このメンバーの中では最年少で、今回が正規の任務としては初参加だがその口調に緊張の様な物は見られない。意外と泰然としている。
そんな彼女の言葉の最後が若干上がった。それと同時に、緊張感の様な物が俄かにざわめき始める。
『……どうやら来た様だな』
同時、殿の護衛車両の一つから天蓋が外れた。それと同時、手に打刀を手にした少年が立ち上がった。蘇芳和馬(
ja0168)である。
次の瞬間、事態を察した他のメンバーもまた高機の天蓋を外した。それと同時、目に映る光景に絶句する。
「何処からこんなに出てきたんです!?」
そこにあるのは、後方から迫り来る獣の軍勢だった。純白の猟犬と人馬の群れが、猛然と後方から迫り来ていた。
「ひーふーみー……。こりゃ、楽できそうにないわ……」
数を数える事を早々に諦めた調理が呻くように呟く。少なくとも人の手では到底数え切れない数だ。
「……それでは、運転手の皆さん。お願いなのです」
アイリスの声が調理の隣の車両から響く。それと同時にトラックが二列に体制を変えた。左にトラックが三台。更に右にトラックを二台並べた陣形。なるべく敵がトラックに接する機会を奪う為の防御の構えだ。
「……これで最後まで持たせる。やらせん」
和馬の声が俄かに響いた。それとほぼ同時、先陣を切っていたハウンドが跳躍。直後、銃声が木霊し、無残に地面に叩き付けられると、盛大にアスファルト上を跳ねそのまま柵を越えて高速道の下へと落ちていった。
『……命中、なの』
アサルトライフルのシングルショット。昴の射撃だ。
『ああなりたくはないな……』
通信機越しに遊夜が零し、その直後、今度は一斉に猟犬達が地面を蹴った。
『開戦だ!』
『うん……がんばる!』
ディアーヌとイブの声が響き、最速の戦場が動き始めた。
●死神襲来
苛烈な攻防は若い撃退士達に休みの間を与えなかった。
「くっ! きりがない!」
和馬が苛立ち気に声を上げ、飛び掛る猟犬をまた一刀の元に切り伏せる。
高速下での戦闘は意外と制約が多い。いくら彼ら撃退士達が常軌を逸した身体能力があったとしても、流石に時速80km前後のアスファルトに叩きつけられればただでは済まない。必然的に足場の確保が難しくなり、その結果、その場にいる全員の行動が制限されてしまう。
その束縛された状況下で、縦横無尽に攻撃を仕掛けてくるサーバント達を捌き切るのは余りに過酷だった。
その中で猛威を振るっているは、アイリスだった。
「……ぽーい」
彼女の放つ本来は防犯目的で使用する筈のペイントボールが再び地面へ投じられた。阻霊符の効果の中でその球状の中から発生した塗料が一斉に獣の軍勢へと襲い掛かり、それに眼を奪われた猟犬と人馬が次々と転倒。高速下で多くの味方を巻き込んで予想以上の効果を発揮した。
そんな中で、一頭の人馬が突出する。それを確認したと同時、アイリスが跳躍した。
そのまま前に出た人馬の頭部を蹴りつけ、その背に跨る。
「ふ、ふふふふふふふっ……!」
鮮血の如き光纏と同時、不吉な笑い声が彼女の口からこぼれると同時、刃が人馬の背に突き立てられた。たとえペイントボールが意味をなさなくとも、彼女の戦闘の勘が最大の武器となっていた。人のそれに良く似た悲痛な叫びが響くが、それが長続きする事はなく、絶命。それと同時に再び護衛車両へと飛び移る。
「凄いな。……でもきりないなコレ」
一連のアイリスの姿を見ていた調理が言う。直後、彼はコンテナの上に乗り移った。
「右列の幌、外すよ。避けて」
通信機越しに彼の声が全員の耳へと届く。それとほぼ同時に護衛車両が道を開き、調理はナイフを取り出すと、コンテナを覆っていた幌を繋ぐロープを切った。
大きな布が高速が生み出す風に煽られ、広がったまま後方に流れる。
大きな布がサーバント達に迫る。阻霊符が作用する中、回避を余儀なくされたサーバント達が動くが、三連続で迫るそれを回避する術を持つ者はそういない。ペイントボール同様に巻き込まれた獣達は予想外の事態になす術なく巻き込まれて、薙ぎ倒されていく。
その内、前に大きく出た人馬がトラックに併走した。それに続く様に、二体のハウンドが追従する。
「誰にも……邪魔させないのっ」
昴のアサルトライフルが火を噴いた。弾幕を狙ったフルオートの連射撃。チャンバー内とマガジンを含めて計三十一発の銃弾が降り注ぐ。
その銃弾がサーバントを捉えるが、直前に大きく跳躍した人馬に致命傷を与えられなかった。そのまま上に銃口を向けるが、マガジンの交換が間に合わない。
人馬が降下しつつ、手に持つ杖を掲げた。ダァトのそれに良く似た、だが根幹が異なる光輝が収束し、そのままトラックを狙う。――が、直前、閃きがその身体を貫いた。
「させないよ」
ディアーヌの放ったスクロールの輝きだ。一瞬、昴と視線だけを合わせ、二人は己の役目に戻った。
「……! もう直ぐ名神に入ります!」
不意に視線を上げた七佳が声を上げた。そのまま流れ込む様に、最速の戦場が後半戦に突入する。
「やっと後半戦か……。長いな!」
遊夜がショットガンを放ち叫ぶ。セミオートショットガンのその形状はアサルトライフルとそう変わらないが、レバーアクションやポンプアクションの様な装填動作がないぶん連射が利く。その連射力を生かし、次の標的へと視線を向けた。
――瞬間、目の前で杖を掲げていたケンタウロスが炎上した。
「なっ」
思わず呻く。それを皮切りに、サーバント達が一斉に炎上を始めた。
燃え盛る炎の色は青白い。それと同時に他の獣達が後退を始める。
そして――何故か異様に不吉に、馬の雄叫びが木霊する。
「……まさか……」
全員がその音を聴いたのと同時、雄叫びの響いた方向へ視線を向けた。
そこにいたのは、青白い炎を身に纏い甲高く不気味に蹄鉄を鳴らし走る、青白い軍馬。そしてせの背にあるのは漆黒の衣を身に纏い、その手に人の身丈よりも遥かに巨大な刃を持った大鎌の――死神。
黙して示すは不吉で生臭い死の気配。
「ペイルライダー……!」
誰かがその名前を呼んだ。
●辛勝
「大きい……」
七佳が呆然とその様を見詰め、呟いた。
軍馬だけでも明らかにコンテナを引いたトラックと同等の巨躯。そしてその背中に乗るサーバントの本体もまた見上げる程に巨大だ。
本能的にそれが人の挑んでよい存在ではないと思わせるのに、十分過ぎる異形。
――でも、と思う。それが彼女に短刀を手に執らせた。手が震えている。怖くてたまらないが、今、他のメンバーが全力でそれに相対している。自分だけ逃げる訳に行かない。
「……やらせん!」
和馬が叫んだ。彼の乗る護衛車両が強引に軍馬との間に滑り込む。そのまま狙える位置では致命傷を狙えないと判断したのか、直後、彼が跳躍した。
狙うのは大鎌を握る腕。既にペイルライダーは鎌を振りかざしている。
だが和馬の方が早い。鞘走りから居合いの形で刃が放たれた時――ペイルライダーの姿が消えた。
「っ?!」
完全な不意だった。目標を失った彼は盛大に空振り、宙で体制を崩す。半ば宙返りの容量でその場で身を整えようと、視界が逆さになった時、再びその異様を見た。
いるのは正面。トラックを挟んだ向かい側。その手を前へと突き出し、その病的に痩せ細った手で握るのはサーバント達を燃やした青白い炎。
とられる。そう思った時、アイリスが跳んだ。炎が放たれると同時、彼女が大き過ぎる大剣で放たれた炎を薙ぎ払い、辛くも二人の姿が護衛車両の上に戻る。
「まさか……テレポート?」
ディアーヌが仮説を零した。それを肯定する様に、ペイルライダーが、カカカカッ、と耳障りな笑い声を上げる。
その姿を捉え、イブが弓を引き絞った。次の瞬間、それが放たれる。
今度は確実に消えた。次に姿を現したのは、イブの目の前。大きく振られた鎌が真一文字に振り下ろされようとする。
「ダメ!」
七佳が叫び、ダガーを投擲した。
それがペイルライダーの腕に突き立った。それに絶叫めいた雄叫びを上げペイルライダーの姿がそこから消える。
「あ? 今度は当たった?」
調理が訝しげに呟き、次は少し車両から離れた場所に現れたペイルライダーにリボルバーを放った。
今度はこれを鎌で弾き落とす。続いて昴が小銃を三点バーストで放つが、これは鎌で落さずに再びテレポートで昴の直近に出現する。
「もしかしたら……!」
七佳が声を上げ、昴の前に出現した死神に再び短刀を放った。それがペイルライダーの衣を切り裂き、その醜悪としか言い様のない痩せ細った面を露出させる。
「なるほど。テレポートの直後にはテレポートできない、という事か。ならば、やってやれない相手じゃない……!」
遊夜が状況を解し、声を上げた。
それを聴いた全員が、その意味を理解する。。
本当の死神との戦いが始まる。
戦闘は膠着状態となっていた。
トラックを護る為に攻撃を放ち、その直後にテレポートで逃げられその間隙を狙い再び攻撃する事を繰り返す。高速機動上でのその応酬は一進一退を繰り返す泥沼状態と化していた。
問題なのはその中で決定的なダメージをペイルライダーに与えられない事だ。奴の挙動は明らかに強力な威力を誇る和馬とアイリスの攻撃の回避を優先していた。何度も追撃を与えてもインフィルトレイター達の今の火力では、鎌と炎に阻まれ決定打を与えられないのである。
阿修羅で唯一の遠距離を主体とする七佳のダメージが最も大きいのだが、彼女の短刀の射程が短く、奴まで届かない。
「これは性質の悪い……」
和馬が零す。その直後、ガピッ、と通信機が新たな電波を受信した。
『こちら、月見里悲鳥(jz0068)です。聴こえますか?』
「え。悲鳥さん?」
「……悲鳥? どうして?」
個人的に付き合いのあるアイリスと昴が声を上げた。
『こちらは京都IC待機の護衛隊です。ペイルライダーが健在なのは確認済みです。ですので京都ICにて私以下の護衛隊がペイルライダーを迎撃します。……残念ですが、この場ではペイルライダーの撃破よりも物資の安全が最優先です。悔しいと思いますが、撃破は考えず、何とか京都ICまで物資を守り通してください』
「でも!」
『これは決定事項です。……再戦の機会は絶対にあります。今は、堪えて下さい』
誰かが上げた抵抗の声に、彼女の回答は冷静だった。
「分かった。じゃ、後は任せた」
『了解』
調理の言葉に悲鳥がそう返し、通信が途絶する。遊夜が標識を確認する。
「京都ICまで後十五分。何とか持たせるぞ」
通信の最中でも戦っていた他の仲間達が頷く。その中、戦いが再開した。
京都ICの目前まで来る。たった十五分だったがその中を戦い抜いたメンバーの面に疲れは濃い。
「はっ!」
和馬が刀を振るった。直後、やはり姿を消したペイルライダーを少女の瞳が捉えた。イヴ・クロノフィルだ。
「もう直ぐ……終わり……がんばる!」
まだ幼い彼女の口調は疲れに満ちている。相当な無理を推して戦っていたのだろう。だがその目にある活力は失われていない。
そして彼女の予測がこの瞬間、奇跡的にペイルライダーのそれと一致した。
全力で引き絞った弓がしなる。少女の乾坤一擲。ストライクショットを纏った正しく最後の一矢となるだろう一撃。
それが――ペイルライダーの虚ろな眼窩を貫いた。
この戦いの中で、最も凄まじいペイルライダーの絶叫。
「……やった」
ぽつりとそう呟いてイブの身体がその場に崩れ落ちた。それを傍に居た昴が支える。
『お疲れ様です。素晴らしい一撃でした』
イブの耳朶を悲鳥の声が震わせた。その直後、京都ICの精算所で待機していた撃退士達の攻撃が死神に殺到する。
ペイルライダーの姿が消える。片方の眼に一生消えぬだろう傷を得た死神が撤退したのだ。
滑り込む様に、彼らの車両が京都ICの駐車場に流れ込む。
消えた死神の姿に、口惜しい物を得つつ、彼らの戦いはそっと幕を降ろした。