●まずは基礎
チョコレート作り、甘くみる事なかれ。
簡単ではあるものの、ある目的の為に作られるものは重い。特にバレンタインという特別な日の為のチョコレート作りは、たかが、とは言えないだろう。
空回りしている、という事だろうか。
(レシピ通りに作れば、本来それなりの物ができる筈なのだけど‥‥)
と、胸の中で呟くラズベリー・シャーウッド(
ja2022)。レシピ通りに作って、それなりが出来ないからこそのこの依頼なのだが。
よって、何が出来るか解らない中、味見役を買って出たユリウス・ヴィッテルスバッハ(
ja4941)は今回の依頼主である懸車・鈴の挙動、ミスを見逃すまいとじっと緊張している。
「一応事前に、料理本やレシピは一通り頭に叩き込んできたが‥実際に作った経験があるわけではないからな。私は作るのには参加せず、横から見ているよ。その方が、もし手順を間違った場合に指摘しやすいだろうしな」
何かトラブルが起きて、悲惨なものが出来た場合、その被害者となるのはユリウスなのだ。緊張して当然。そして、見るに徹して賢明だろう。
そして、さあ、と。
「人数も集まったし調理実習室でやらない? あそこなら広くて道具もあるし」
明るく、元気強く宣言したのは天王寺茜(
ja1209)。ミリサ先生に頼み、調理実習室で『お菓子作り教室』を提案し、そして採用されている。
材料、器具は各々用意して調理実習室に向かう。
その途中。
「と、懸車さん。二点確認しておきたいのだけれど」
声をかける礼野 智美(
ja3600)。
女性は花のように保護されるべきで、男性は雑草のように強くあるべき。それが信条である以上、この依頼はなんとかしたいと思うからこそ、どんなチョコを渡す予定なのか、また、参考にしたレシピを問う。
「私もそのレシピを読んで参考にしておきたいからね」
「あ、えっと。レシピは市販のもので、作ろうしたのは紅茶のガナッシュですね」
智美の質問に答え、持ってきていたのかそのレシピを渡す鈴。
けれども、そのレシピは慌ててページを捲ったせいか、所々チョコで汚れている。
「へぇ‥‥」
これはビンゴかもしれない。必要な器具・材料を予め準備していないせいで探すのに時間がかかり過ぎて失敗し、それで慌てて更に失敗する。
予想していた失敗点の一つを見つけて、こういう失敗ならなんとかカバーできるだろうと頷く智美。
逆に、今まで親友がくれたチョコババロアやザッハトルテ、チョコレートパイなどがあがったらどうしようかと一瞬、脳裏を掠めた。
「あんなのは私の手に余る‥‥」
「本で読んだだけでは、分かり難い事も沢山ある。料理は慣れも必要というからね」
フォローするようにラズベリーが口に出す。
そんな基礎の問答をしている間に、調理実習室へと辿り着く。
テキパキと天王寺と共に器具や材料を用意しだしたのは木ノ宮 幸穂(
ja4004)。恋人の夜風 隼(
ja3961)と共に教えようと、にっこりと微笑む。
「おいしいチョコが出来るように一緒にがんばろう」
懸車が緊張して慌てないよう、柔らかな口調で話しかける幸穂。
「先生役をやるのは久々だな‥」
しっかりと人並みに作れるように教えようと意気込む夜風。キッチンタイマー探していた彼の手を見ただけで、「ん、これね。はい」と意志を察した幸穂が手渡す。
微笑ましく、懸車から見て、ああ、良いなと思う恋人同士のワンシーン。
何の特別な事はない、ただの一風景。でも、こうなりたい思う日常の一つ。
一方、響 恋(
ja3171)は教室の隅で恥ずかしそうにチョコレート作りを始めている。目立ちたくないのか、こそこそと、けれど、てきぱきと行われる調理。
「さて、そろそろ始めるか」
自分の作る分の準備を整えて、神楽坂 紫苑(
ja0526)が告げ、チョコレート作り教室が始まる。
「料理上手な人に、まず実演してもらうのも手かな」
「確かに、一緒に作るより、先に実演を見た方が映像で解りやすい、かな」
料理は初心者同然と言っているラズベリーの提案に、白い割烹着を着込んだ智美が賛同する。手元には他の人と作ったものを区別する為、ホワイトチョコと混ぜ物となる炒った果物などが用意されている。
では、誰が最初に実演をするのかと視線を巡らせれば、隅の方で目立たず、気配を殺し、けれどテキパキと生チョコを作っている響がいる。
遠目で見て、しっかりとした腕だ。慌てず、けれど素早く的確に作業している姿は成程、慣れていると見た者が思うだろう。
が。
「あ、え、えっと‥‥私は、人に教えられる程の腕ではないのでっ」
先んじて断り、更に距離を取ろうとする響。注目されただけで顔を真っ赤にしている程の上がり症だ。教師役には向かないだろう。
教師役となるつもりだった夜風だが、何を作って実演するつもりだったのかは決めておらず、何が良いだろうかと悩んでいる。
「仕方ないですね。変わり種のチョコと、そもそもチョコレートではないが‥‥実演にはなるか」
と、自分の材料と器具をテーブルに用意した神楽坂が助け舟を出す。
「おや、材料を見ると、チョコレートだけではないね。卵に薄力粉‥‥ケーキ、かな」
「それにしては、少し‥‥材料が足りないような気もしますけれど」
「ああ、作る予定なのはミニサイズのロールケーキと、トリュフの予定だからな」
料理に慣れているから二つ作ろうとしている神楽坂だ。真似はするなよ、と一応の断りを入れて続ける。
「チョコねえ、いきなりズブの素人が難しいのやるよな? もっと作り方簡単の選ぶか? きちんとやるとなるとかなり大変だぞ? ‥まあ手作り渡したい、どうしても、の心意気は、買うが」
呟いたのは忠告か励ましか、あやふやでどちらとも取れるもの。
けれども、実演役をするというのに嫌はないらしく、オレンジピールとチョコを細かく刻んでいく神楽坂。
「チョコは均一に細かく刻む事。市販のチョコチップを使うのも手ですよ」
「は、はい」
「後でテンパリングする際に、綺麗に溶けて上手くいんだよ」
「成程」
ラズベリーも頷きながら見ていると、神楽坂は素早くテンパリングを行っていく。湯煎の温度に気を付けながら、滑らかに仕上げていく手際の良さ。
「と、こんなものでどうだ?」
残った材料で飾り付けの準備をしようとしながら神楽坂が問えば。
「す、すみません、手際が良すぎて、逆に解らなかった、かも‥‥」
と、不安そうに答える懸車だったが、ラズベリーがいや、大丈夫だろうと声をかける。
「どの道、私達は初心者同然だ。今の神楽坂のようには出来なくて当然。なら、出来る事、見習える事だけを、まずそれからやっていこう」
「う、うん」
そうして、皆の調理が始まる。
まずは当然のように計量である。
キッチンスケールを薦めるのは、天王寺と幸穂の二人。
「分量は守った方が良いわよ。味だけじゃなくて、風味も変わっちゃうし」
「ええ、それ以上でもそれ以下でもなくですね」
「な、成程‥‥」
と、懸車が小さなボールに材料を入れて図ろうとすると、夜風が最初のミスを指摘する。
「キッチンスケールを使う時は、先に器具の重さを風量にして、ゼロにしないときっちり計れないぜ」
まずは器具の使い方からである。一時も目を離せないとはこの事だろうか。何から何まで失敗する可能性があった。
それは料理の経験が全くない、というだけではあるまい。
苦笑を浮かべて、ボールの重さを風量にセット。砂糖の重さを計ろうとした所で、ユリウスが嫌な予感を感じる。あり得ない事ではある筈だが、それでもと。
「念のため確認しておくが…それは砂糖で間違いない、よな?」
「え?」
「ユリウスさん、流石に砂糖と塩は間違えられないでしょう。というより、今回は塩を用意してませんからね」
「そうだといいんだが‥‥」
智美に言われても、嫌な予感は止まらない。一緒に作っている智美らが間違えている筈はないと、そう信じたいが、指で白い粉をすくってみる。
この時点でユリウスは気付いていた。
だが、信じられない事に気付いて、味覚で調べる。ぺろりと舌で調べると。
「‥‥甘くない、塩でもない、っていうか、これ薄力粉だぞ!」
「!?」
砂糖と塩を間違える事はあるだろう。が、薄力粉とは。一体何処から出てきたのだと一同が驚く。
「まさか、神楽坂が使う薄力粉が混ざっていたのか?」
恐る恐るとラズベリーが呟いた。神楽坂はトリュフの他に、ミニサイズのロールケーキも用意する予定だったのだ。
神楽坂が材料を確認してみれば、自分の分のが消えていたという。
何時の間にと驚くが、それよりも再発の防止が肝心だ。
「一つ一つ、確認していこう。それしかない」
「そうですね、きちんと材料や分量、工程を見ていけば、今のように問題点が出てくくる筈‥‥」
夜風と幸穂が互いに頷きあい、現在、懸車が準備している材料に間違いがないかチェックを入れる。
材料は大丈夫だ、材料は。そう確認しあい、ほっと一息。
「よし、材料はちゃんと計れた。なら、後は丁寧にしていくだけだよ」
「ええ、私達がついていますから、大丈夫です」
慌て始めていた懸車を、天王寺と智美が落ち着かせるが、ふと気づく。もしかするとこういうミスで慌て初めて、全てが駄目になっていったのではないか。
一つのミスから連鎖して多くの失敗を作っていったのではないか。
自分だったらあれだけのメンバーに囲まれたら、ミスの連続をしてしまいそうだと、ぼんやりと響は思いながら。
懸車はチョコを細かく刻むというだけでも一苦労していたようだが、その辺りはどう刃物を入れるかや、チョコの置き方でどうにかなるもの。
一つ慌てる度にアドバイスを受けて、懸車はついにチョコを刻み終わる。
とはいっても、紅茶のガナッシュの問題はこの次。紅茶の煮出しだ。
水で茶葉を煮出した後、生クリームを入れて沸騰直前まで温め、蒸す。この辺りは料理ではなく、紅茶を淹れる感覚だからか懸車も滑らかに終わらせていく。
だから、全員が安心したのだ。後はテンパリングさえ気を使い、力加減と水が入らないようにすれば、と、次の工程を確認しようとした瞬間。
「まて、懸車!」
「はっ、はいっ!?」
見るに徹していたユリウスが叫ぶが、時既に遅し。
紅茶を煮出した生クリームがチョコの入ったボールに注がれている。茶こしは、テーブルの上で綺麗なまま置かれていた。
「そ、そのまま茶葉ごと入れたのか?」
「あ、あれ‥‥駄目でしたか?」
食べられるかという意味では駄目ではない。が、異物が入ってるようなものである。このチョコレートは全て廃棄か、とメンバーが悩む中。
「大丈夫です、まだ材料はありますし」
「ああ、よく見ていなかった私も悪い。気にするな、もう一度チョコの刻み方を練習するつもりで」
「‥‥いや」
幸穂とラズベリーがフォローをしようとし、天王寺と夜風が処分しようとする中、ユリウスが声を出す。
「食べられない事はないでしょう。それは、私が責任を持って食べます。だから、テンパリングの練習台にして下さい」
そう、食べられない事はないし、腹を壊す事もあるまい。がりっとかじゃりっという感触がするだけだと自分に言い聞かせるユリウス。
「ユリウス‥‥無理はするなよ」
神楽坂の忠告に、冷や汗を流しながら頷く。リアルな異物混入に、けれど男は下がれない。致命的ではないし、努力を無駄にするわけにはいかないのだ。男して、少女の作ったチョコは。
そしてテンパリングである。
「湯煎の時は湯が混ざらないようにね。水分が入るとムラが入っちゃうから」
ここまでの失敗を思って天王寺もかなり注意しながら見守る。
「力を込め過ぎずに、丁寧にだね」
夜風が念の為にと湯煎にかけたボールをつかんで、力が入り過ぎてボールを飛ばさないようにとまでしている。泡立て器の力加減を見るのは幸穂。
「でも、出来るだけ素早く素早くね。温度を保ちつつしないとチョコレートの油質が整わないから」
「そうだね。最初は完全に解け切れなくて力がいるかもしれないけれど、解けた速度に合わせて力を抜いていく感じで」
「と、温度が適温から上がってしまったな。一度冷やそう」
チョコレート作りの際、最も気を使うテンパリング作業。これによって味が変わると言っても良い。だから、全員が集中している。
同時に力加減がどうなっているか、力を入れ過ぎてボールが引っ繰り返らないよう腕の動かし方を交代でチェックも。入り過ぎていては緩めてと、遅くなっていてはもう少し速くと、少しずつアドバイスをしていく。
ユリウスの自己犠牲の精神もあって、テンパリング自体は二度目というのもある。ぎこちなくではあるが、問題なく、進んでいく。
「後は、チョコを型に入れるだけだね」
「多少の粗い形は、ココアパウダーで何とか誤魔化せるけれど、空気だけはどうしてもね」
「ええ、ですから、ここが最後の難所です。ゆっくり、型に入れる際に気泡が残らないように」
声援と応援を一身に受け、ようやく。
「で、出来ました」
ほっと安心する懸車。そこでくすりと笑って、天王寺が最後に。
「じゃ、冷蔵庫で冷やさないとね」
と、本当に困った、同級生の筈の生徒に告げる。
●最後にお茶会を
後片付けが済んだ後、神楽坂が全員に紅茶を配っていた。
残った茶葉。アールグレイだ。試食会というには、少し優雅な雰囲気。
響は何時間にか消えて、『拙いものですが、見本です。みなさんでどうぞ』というメモと共に、チョコが置かれていた。
「まあ、初めてにしては、試作品よくできたんじゃねえ?」
微笑んで懸車に言った神楽坂。嬉しいのか恥ずかしいのか、下を向きながら懸車が疑問を言葉にする。
「ぜ、全体として、何処が悪かったのでしょうか?」
「‥‥‥そうだな」
聞かれたからには答えないといけないだろうと思案した時、ラズベリーがティーカップを置いて言葉にした。
「慣れてないから、が一番かな。そのせいで慌ててしまって、失敗して慌ててしまっての繰り返しだったんだと思うよ。慣れてない人が起こすミスを繰り返してしまったんだ」
だけれど、と。
「それでも、それだけ贈りたい相手への想いが沢山詰まっていたのかもしれないね。何度も転んでしまうほどに」
想いがあるから力んで失敗する。それはとても人らしくて、そして初心者のよくするミス。
「それで、チョコを渡す想い人って、誰なのかな?」
「あ、えっと‥‥っ‥」
困ったように見渡すと、困った事に夜風と幸穂が「あーん」とチョコの食べ合いをさせている。本当に困って、救いがない。いちゃいちゃと甘すぎる恋人同士の展開に、けれど、良いなっと思ってしまう程に。
想いが通じ合い、恥ずかしがりながらも甘いひと時を過ごす二人。
ああなれれば、良いのに。
「応援しているよ、鈴さん」
天王寺が、元気な声でエールを送る。
バレンタインまで、後少し。