●砂漠たる戦場
この渇きは何故。そして何処から。
喉が熱い。自分の吐息で肌が焼ける。身体を巡る血こそが、戦の興奮と猛りを持って稼働していた。
掠れた、喉。言葉は不要。問答の暇などない。不倶戴天の天敵を見据え、巫 聖羅(
ja3916)は瞳と同色の真紅を纏う。
「――前田まで後一歩で手が届くのに」
ようやく紡ぎだした声は軋んでいた。赤い瞳が交差して、かつて意識が途絶える前に見た光景を思い出すのだ。
感情は悲鳴の如く。或いは雷鳴か。どちらにせよ、逸る気持ちを押さえつけ、胸の裡に飲み込む巫の想いを見出す者はこの場にいない。そんな余裕がないのだ。
「ここはまず、目の前の敵から何とかしないとですねー……?」
けれど、確かに数名の仲間は焦っている。その事だけは感じ取れて、櫟 諏訪(
ja1215)はゆったりと口にする。
状況は半包囲。待ち伏せからの奇襲で低下するような士気と戦意ではないが、冷静さを失えば途端に自分達は瓦解する。
これは、罠なのだ。
だからこそ、越えてみろと剣鬼――前田・走矢は言う。
「気に要らねぇぜ、その上から目線」
狗月 暁良(
ja8545)の呟きも苛立ちを多大に含んでいる。前に主力、両側面に弓兵。この状況が厄介だと理解するからこそ、一瞬では手を出さない。既に導火線に火は突いているが、爆発するからといって焦って先に動いて隙を晒せないのだ。
きりきりと、左右からは弦の絞られる音。透き通る刀身に、疾風で織り成された双刀。焔纏う斬馬刀。
どれ一つとて、無視出来るようなものではないのだ。前田を狙いたい気持ちはある。が、それこそが前田の狙い。この包囲網、突破出来たとしても少数。
「……正面は、俺が。盾になります」
一歩前へと踏み出す若杉 英斗(
ja4230)。最早、これは精神論の問題だと解っている。耐えられる筈がないのだ。あの三体、どうやって止めるというのだ?
だが、無傷の勝利など既に捨てている。盾たる身に刻まれた戦戟の跡こそ、誇りだと断じる為に。
「サーバントを放置する訳には行かない……!」
巫の唸りに近い言葉に、若杉は、我不壊也と意識を研ぎ澄ます。
だが、そんな信念。戦への祈りこそ心地いいと、前田の瞳が赤く、赤く、炎のように揺らめいた。
「どうした。越えてみせろ。それとも、身が竦んだか?」
いいや、違うだろうと前田は笑っている。此処は戦場だからこそ、誰も彼もの一挙一動を見逃さない。停滞しているのは刹那。次には動く。
「綺麗な刃やな。誰もが見惚れて惹かれる鋭利さや……真っ直ぐでよう斬れる、赤い鬼」
だからこそ、亀山 淳紅(
ja2261)はこの目で見たかったその姿に、歌うように言葉を紡ぐ。
だが、それは讃美歌ではない。鎮魂歌。剣鬼に敗北を刻む為の宣誓。歌うような声色に魔力が満ちて、細波の如く揺れる。
「あれが話に聞く前田ですか」
右手から左手へと連続して弾かれ、橋のような姿を作るトランプはエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)のモノだ。常に持ち運ぶカードは、喩えるならば奇術士たる彼の剣に他ならない。
ならば、目の前にいる前田という使徒はどうだ。その深層に目を凝らせば、成程と頷く他ない。
「……なるほど、雰囲気ありますねえ。剣鬼、というよりは鬼の剣」
この男は剣そのものだ。使徒となる前から、恐らくそういう生き方をしてきたのだろう。近寄れば、それだけで切り捨てられる死線を無数に幻視する。天に属するとはいえ、此処まで極まれば鬼としか言い様がない。
或いは、阿修羅。天上の戦鬼。
状況は理解し把握。では誰が斬り込むかとなれば、それはナナシ(
jb3008)だろう。大天使にさえ届いた焔剣、決して届かぬ訳がないと信じる為に。
「挑む? 越えろ? 残念ね、既に此処は私達の勝ちよ」
相打ち狙い、結構。被害は秒単位で更新されている。それだけ見れば前田の狙い通り。
「けれど、将たる前田、アナタが囮となる時点で既に劣勢が見えていたのね。だから、既に逃げの姿勢に入っている」
「…………」
応えは沈黙。肯定の意を含んでいるが為に、ナナシに反論しない前田。
いや、戦場で反論するならば刃で。そうでなければ口だけの存在になってしまう。むしろ、正鵠を得たナナシを侮辱しない為には、剣で応じるしかなく。
けれどそれでは目的に反すると、前田の瞳が迷いに揺れた瞬間。
「沈黙するならば、こちらからいきますか」
風を斬り裂いて奔る影。この場は死線に満ちているが故に、引き絞られた弓の鏃が己へと向いたのを厭わず、エイルズレトラが駆け抜ける。
狙いは左側面、三体の弓兵へと弧を描き、下から攻めるその姿と、真意は。
●鏃の向き
「射抜け。浮き駒だ」
前田の命令はナナシの言葉の斬り込みにて遅れている。
故に疾走するエイルズレトラの動きが早い。一旦後ろに下りつつ、弧を描いて強襲する奇術士の一の手は斬り裂きのカード。全身全霊を一枚に込めて一直線に投擲されるそれは飛翔する断刃と言って過言ではない。
斜めに捉えた二体を斬り裂き、伝播したアウルで神経をズタズタに切断していく。それは一時とは言え、身体の自由を乗っ取る事に他ならない。加え、移動する自由を失った一体は、もう一体が射線の壁となってエイルズレトラへと矢を即座に射られない。苦し切れに狙いこそしているが、そんな状態では当る筈もないだろう。
「さて、今日は久方振りにガチ囮、腕がなりますねえ。……しかし、侍木乃伊三匹ですか」
が、言葉を切る。無理に接近すれば、或いは三体同時に巻き込めたかもしれないダイヤのJ。それを二体にしか留めても、晒したくないモノがあったのだ。
側面、右より飛翔する矢の音。その数は三。
跳躍してコンテナを蹴る。着地と同時に追撃を逃れるように身を捻れば、先程攻撃した左側の弓兵が二本射を仕掛けている。大道芸さながらの大げささだが、決して追撃を繋げさせない為の姿勢制御の絶技でもある。
地を穿つ鏃。そして落ちる血の雫。
「……いきなり、とは」
もしかして。万が一。その可能性故に背後を晒したくなかったエイルズレトア。故に左右、両側面より都合七本の矢を向けられる。背中より不意を撃たれていれば、回避の暇もなく終わっていただろう。
現に二本の矢が腕に深く刺さっている。
「木乃伊取りが木乃伊になっては笑えませんねえ……遠距離型、成程、射程も上がっている訳ですか」
恐らく、撃退士の狙撃銃クラスの射程はあるだろう。だが、今ので都合六体の攻撃が消耗された。
故に、動きの自由を取り戻した新崎 ふゆみ(
ja8965)が後方へと下がる。
狙撃手として射程外から撃つのは基本中の基本。此処で問題となるのはふゆみの射程と敵手の射程が対して変わらないという事だろう。
卑怯とは言わない。相手が伏兵を用意して作ったこの陣形を考え見れば、左右後方、どちらに抜けても何かしらの対応策があったのだろう。穴のある布陣など無意味だ。むしろ誘であると見て過言ではない。
現に、エイルズレトラに対してその場から動かずに右弓兵は対応している。
その陣形と対応指示の為に前田は残っているのかもしれない。ならば、こそ。
「やだなー、格好つけちゃって……あーゆうの、自分に酔ってる、ってゆうんだよっ」
後退して膝を付く。覗きこむスコープは一瞬だけ前田を映すが、すぐさまに右の弓兵に。
「もういいからとっとと消えてくれないかなー? 指示を出しても掻き乱すだけだよ、自己陶酔の鬼さん♪ そじゃなかったら…とっととブッコロ☆されて、ふゆみの仕送りになってよ★」
何故この戦場に出たと云われれば、十人十色あるだろう。
ふゆみには誇りと断じられるものはない。だが、ただ生きる為に苦しむ母親を助けたい。その願いだけは確かにある。
考えなしだとか、矜持はないのかと云われても解らない。解るつもりもない。
ただ、苦しんでいる家族を助けたい――その為に銃弾をの引金を絞って何が悪いというのかな?
「そっちが弓ならこっちは銃…ウチコロ★しちゃうぞっ!」
剣も弓も魔も銃も知らない。知っているのは、戦いの裏にある優しい日常だけ。明るい陽射しがあると、信じている。
そして放たれる弾丸は右の弓兵腹部に。ふゆみは後退した事で、エイルズレトラを狙った弓兵の側面を突く事に成功している。このままエイルズレトラが囮となっていれば、側面からの狙撃を続行出来る。
「さっさと倒して、包囲された状況から安全圏つくらないとですねー?」
が、三方から攻撃を晒されるという事は、どう足掻いても側面攻撃を許されるという状況。射程的な意味での安全はないが、この状態ではキルゾーンに足を踏み入れているだけだ。
「ただし、包囲している分、薄い筈ですよー? ましてや、それだけの長弓でしたら、ねー?」
鎧を失ったとしてもあの射程は長すぎる。攻撃力か、或いは防御力か。そのどちらかを削っている筈だ。攻防一体の隙のない堅牢さなどあり得ない。
「サーバントを倒した上で追い付いてみせるわ。……待っていなさい。前田」
あの前田がそうであるように。物理か魔か。或いは攻か守か。あれ程の弓を持つならば歪みが出ている筈なのだ。
閃光と化す巫の魔の稲妻。焼ける大気の匂いが漂うより早く、諏訪の突撃銃が火を吹く。狙撃、雷撃、そして弾丸。間隙の間を穿つような波状攻撃。防御も回避も儘ならず、弓兵が膝を付く。
ここしかないと、豹の獣人と睨み合いを続けていた亀山が動く。
「任せたで、若杉さん」
そして危険域、距離にして10Mまで踏み込む。喉を震わす歌声は魔性の風となりて、膝を付いた弓兵の足場から吹き荒れる嵐と化す。
激嵐の歌唱。足場のコンテナは余波で崩れ落ち、血と肉の花びらを咲かせて一体目が地面に伏す。残る二体も足場が悪くなったと知り、地面へと降りようとしている。高所からの狙撃という利を失わせた。
「――来るわよ」
瞬間、反応したのは二つの焔の剣。
斬馬刀を握る虎の瞳が右の弓兵へと攻め掛かった撃退士達を睨み、捕食者の光を宿した。
狙いを定め、一歩踏み出す、その直前。烈火を伴い、小さな体が虎の側面へと回り込んだ
「機先を制したのは、私達ね」
弓を全て避け、一体目を先に落した。睨み合う正面において、自分達の有利を確信したからこそ、先んじて動ける。背中を仲間に託して、剣を振える。
加減はなしだ。ナナシの魔に応じて紡がれるは楽園を護るが為の焔の剣。記憶の断片の再現であり、実体の伴わないものだからと、その神秘の炎が甘い訳などない。
悪魔が奮うには由来不詳とか言い様のない、ケルビムの剣。模倣、贋作というには烈し過ぎる剣が、その武威を示す。
劫火一閃――大気中の塵さえ残さないと、ナナシの灼熱の焔刃が直線上へと延びた。
轟く爆炎。視界が陽炎で揺らぐ。
「邪魔そうジャン? その、デッカイ鉄塊」
熱波残る中、縮地による神速で走破したのは狗月。
反応も追撃も反撃を許さぬと、一瞬の好機の為の歩法。まるで彗星の如く奔る狗月の姿は誰にも止められない。
間合いは至近距離。焔纏う斬馬刀をまともに振るえない懐に入った密着状態。だが、狗月の拳に退かれた布は紫炎を纏い、鬼神の武を秘めている。
収束した気が爆発するまで秒もない。勢いを乗せた儘、飛び上がるように放つ刈り上げ拳撃。
「この距離で、その得物で――避けてみナ!」
邪魔だ。故に速攻で屠る。砕ける虎人の顎骨の感触を感じながら、笑みを浮かべる前田を睨む。
感じたのは苛立ち。ああ、どうしてこうなのだと。その視線、やはり気に入らない。
「前田、アンタの未来の姿、見せてやるぜ!」
放った啖呵。だが、ずぅっ、と音を立てて後方へと飛ぶ虎人。密着し続けるつもりが、受けた一撃の衝撃を反対に活かして後方へと下がったのだ。
斬馬刀へと絡みつく、焔斬。他者の生命力を略奪する斬撃が狗月へと振るわれる。
突撃とも言える攻勢。そして冥魔へと気質を強めた故に回避は不能。諏訪の放った回避射撃の弾丸も斬撃の重さで跳ね飛ばされた。
だが、その一瞬で十分――割り込む庇護。盾たる光。
凡そ鋼の出したものとは思えない激音が響き渡る。
爆撃と評して可笑しくないそれを、真正面から受け止めたのは若杉だ。飛び散った火の粉は花吹雪に見える程。齟庇護の翼で割って入らなければ、恐らく……。
いや、だからこそ。
「俺が立っている限り、仲間はやらせないぜ!」
自分が立つ意味があると、此処にいるのだと吼える若杉。斬馬刀を弾き返し、玄武牙を再び構える。
やせ我慢ではない。肩や背骨が圧し折れそうだったのは事実。だが、この場にいる意味を強く理解する。
護る、のだと。
自分が盾になるからこそ、必勝出来る筈だと。
だが、そんな意志を見据えた、透明なる刃がちゃきり、と鍔鳴りを起こした。
繰り出す太刀筋は透明故に把握できない。前田の無行とは異なる魔性の剣が踊る。右脇構えからの高速剣に再び対応する若杉の翼。纏わりつく氷は腐食と同義だが、誰かが受けなければいけない。
そして瞬と空を裂いた風刃二降り。腕に装着した盾で受け止めるが、薄い血飛沫。装甲と防御の上から削られる。
「けど、まだまだ! そんな攻撃、効くものかよ!」
反撃と狼へと突き出す玄武牙。肩口を貫いた一撃は決して深くはないが、意識を向けられたと確信する。
故に此処までは優勢。ただし、前田が指示を出せばどうなるか不明。
いや、本当に前田は撤退するのか。それとも、こう思うのだ。
前田・走矢――再び戦にて多くの犠牲と流血をその刀にて刻むのならば。
「此処で、討つ……!」
無謀、蛮勇。愚者の行為というには掛け違った、狂気を持って、小埜原鈴音(
jb6898)が小天使の翼にて上空を翔ける。
それは仲間達の誰もが知らない暴挙。
故に援護の手はなく、彼女は弧剣となる。
「ほう……」
迎え討つのは、言うまでもなく前田・走矢。
弧剣というならば、この男の持つ武技、その本領を発揮する瞬間。無謬の天刃。その名に偽りも誇称もない。
隻腕の使徒に単騎で挑む行為、夢想の類でしかなく。
「さぁ、私と戦って。あなたのすべてを知りたいの」
目の前へと降り立ち、無構えを取った前田に語りかける鈴音。
「前田さん、貴方を殺す為に私は戦っている。此処に立っている。あなたの剣を知る事で、自分をより強く知る事が出来るだろうから」
その綺麗なヤイバに、どんな風に鈴音は映る?
愚か者か。それとも狂人か。はたまた、前田にとって好ましいのか、嫌悪するものなのか。
解らない。ただ喉の奥で笑うのを確認して、命を燃やすように、魂を砕いて刃にするよう、鈴音は身を捨てる。
まるで研ぎ澄まし過ぎた刀身だ。鋭い。ただ一途。前田の首を狩り飛ばす為の、ガラスで出来た剣。
初手から烈風と化す鈴音の剣閃、剣光。重なる刃の軌跡。風切る音を拾う事も捨てる鈴音の攻勢。反撃が来ても気付かないだろう。
ただの一度も逃さないと疾風のように繰り出される太刀筋の数は十を越え、けれど掠りもしない。
結果として見えているのは、彼岸まで離れた実力差だ。
「どうした、おまえの力はそんなものか。私の命を摘んで見せろ」
だが、吼える。息をするのも辛い猛攻の中で、張り裂けんばかりの声を上げて――瞬間、盛大な血飛沫が上がる。
意識の外から跳ね上がってきた逆袈裟斬り。その鋭さは、傷口から跳んだ鮮血で斬られた事を自覚する程。
「最初は指示を止める為、突貫と見せた抑えと思ったが、本気の捨身か」
防壁陣の展開さえ間に合わない――それも、光刃斬なしで。
点滅する意識。それでもと銀細工の剣を杖に、鈴音は立ち上がる。
「お前程度に、俺の命はやれん。だが、少し相手をしてやろう。掠り傷でも付けてみるが良い」
「……っ……前田……走矢!」
掠り傷では済まさない。その首を跳ね飛ばすと、弧剣が無謀に挑む。
「首だけになっても噛み付きそうな狗だな。だが、小気味いい」
その言葉に、左胸の痛みを疼かせながら、それでも鈴音は挑む。
●
「馬鹿な……」
超絶と云える回避術。空中において体重移動にて姿勢どころか着地点までずらす妙技を繰り出しながら、エイルズレトラは瞠目する。
確かに今の状態、前田がエイルズレトラではなく、他の射手を狙っていれば敗北の可能性は高い。速やかに撤退させるか、指示を封じるか。最低限必要だった行為ではあるが、鈴音は後十秒と持つまい。
ならば、その間にどれだけ戦えるか、であるが。
「……っ…!」
左弓兵の麻痺が解けて二連射を三体が。二本が胴体に突き刺さり、後はもうない。右からの二本を空蝉で避ける姿は、影と虚を伴とする実体なき像。それでもエイルズレトラは確実に削られている。
「長くは、持ちませんね……」
取り出した布で身を包めば、傷だらけの衣装が元に戻る奇術。負傷まである程度回復しているが、それも限界があるだろう。
六体の攻撃を一人で受ける――エイルズレトラとて、そう容易い事ではないのだ。
「さて、二体目ですねー?」
ふゆみが後方で闘気解放をする中、僅かに諏訪も焦っていた。
自分達を前田が狙えと指示していれば、終っていた確信はある。鈴音が倒れる頃には、恐らく右弓兵を片づけられるだろう。
だが、攻め手が一人欠けている事に、変わりはないのだ。
「けど、そんな贅沢、言っていられませんねー?」
初手でエイルズレトラが稼いだ有利。諏訪達が捨てる訳にはいかないと、突撃銃による速射。おっとりした言葉では笑顔を忘れずに。けれど、笑顔を失わない為に、音を突き破る速さの弾丸を、止める事なく。
「攻撃、どんどんいきますよー?」
「当たり前よ。邪魔するというのなら、全て灼き尽してあげるわ!」
続けて横へと奔る巫の稲妻の爪跡。ほぼ瀕死の有様だが、二人の火力だけでは倒せない。
「だったら」
二手目で倒し切れるというナナシの計算は崩れてしまった。頭部への魔術による一撃必殺。それもはぐれ悪魔であり高い攻撃力を持つ彼女であれば可能かもしれないが、それでも一撃で倒し切れる自信はない。
残せばエイルズレトラへの攻撃が続く。それは阻止する必要があるのだ。長距離から放たれる水刃によって、深手を負っていた二体目の弓兵の頭部が飛ぶ。魔水の斬首。
「……残るは、一体」
それでも容易い相手ではないと、ナナシの冷たい汗が掌に滲む。
虎人の正面に立つ若杉。じりじりと爪先で間合いを計り合う。
若杉は真正面に立ち続けて防ぎたい。が、虎人は横手から拳打を繰り出して動きを止めてくる狗月から生命力を奪い取りたい。
そしてそれを邪魔する若杉を、無視を出来ない。繰り出さる白銀の剛激に虎とて意識を切り離す余裕はないのだ。
一撃ごとに互いを削っていく。
少しずつ、削れて壊れて行く。
全身全霊で攻めれば、どう転ぶか解らない。
だからこそ、共に全力を尽くせない状況と言って良い。その後方から豹と狼が控えているのは恐怖もあった。
先の攻防で感じたのだが、虎人は単体で完成された攻撃手。が、豹と狼は二体で連携して確実に屠る。
故に。
「…動きが大きい?――皆、気を付けて!次の一撃は危険よ!!」
そちらへと意識を裂かれた空隙を突かれ、最上段に構えられた斬馬刀が焔を噴き出す。
猛る業火。先の意趣返しだと、若杉と豹への対応に戻って来た亀山、そして後方のナナシを直線状に捉えている。囲んで動きでも止めない限り、直線上に振るわれる範囲攻撃は射線をズラすだけで用意に複数人を巻き込む。
「……くっ……そ…!」
諏訪の回避射撃が連続で三回。最早後はないと、共に全力の攻防が交差する瞬間だった。
ナナシは空蝉がある。故に避けるだろう。だが、亀山はどうだ?
若杉と共に声に反応し、回避姿勢を取っている。諏訪の援護もあるだろう。だが、受ければ恐らく――
「信じろ!」
自分を、そして仲間を。
我を破壊する事叶わぬと、知らしめよ。
かもしれないという賭けで仲間を危機に晒さず、楯たりたい己に準じて、若杉の庇護の翼が亀山に飛ぶ。直後、紅蓮の閃光。灼焔の斬刃が地を走り抜けていく。
「ぐ……ぁぁっ……!」
赤、赤、赤。若杉の視界を覆うのはその一色。
先に氷の魔蝕に蝕まれていたせいで防御力が落ちている。だが、それでもなお、輝きを鈍らせない銀光。己の分は回避し、亀山の分の痛みを受け切って、そこに立っている。
「ま、だ、まだ……!」
己は在りしと、焔斬の中より新生する不死鳥、はばたく紅の翼。どんな窮地であろうと不屈にて飛翔しようとする意志がそこにはある。淡い赤色のオーラに癒されていく、その希望。
この瞬間を逃す刃など、ナマクラだろう?
前田ならば確実にそう告げる。
そして、その配下ならば、そう応える。
此処にあるのは、慈悲も希望も、そんな色のない純粋で透明な氷の刃なのだから。
透き通る剣閃。意識を奪い断ち斬る刃は、その姿さえ見せずに亀山を襲う。一撃では倒れない自信は、ある。が、その後ろで、意識が遠のく一瞬を待つ狼の風刃。ああ、これは。
「――――」
絶句するしかない。腕のひとつ、持って行かれる程度ならば行幸だ。元より亀山はダアト。抑えに適していない。ましてや相手が上位であるならば、なおさらだ。
「それでも、止めてやるで」
が、此処に来ればと旋風を呼ぶ歌声。どちらが早いかといえば透刃閃の方が早い。だが、肉を斬られつつもその頭部に一撃を確実に決めてやると、亀山も覚悟を決める。
瞬間、飛び散った血は二つ。
失われた意識も二つだ。豹人が攻撃後の隙を突かれて意識を失い、また、庇護の翼で庇った若杉も意識を途切れさせる。朦朧とした中、けれど、獣の牙が向けられる。
「……まだ……」
まだまだ戦える。
まだまだ護りたい。
あの赤い瞳の、隻腕の使徒の剣でさえ止めてみせるという自負を抱いて、若杉の胸に風刃が二つ、突き刺さる。
抉り、斬り裂いて抜かれる刃。膨大な出血。元より限界ギリギリだった身が、楯が、ついに倒れる。
護り手一人の限界。そんなものを遥かに超えた、意志だった。
「テメェ!?」
そして躍りかかるが如く、掌底を叩き込む狗月。
後ろに吹き飛ばして虎人と狼人を一か所に纏めるように叩き込む。安全圏などないのであれば、吹き飛ばして有利な状況を作るのみである。
「巫! 纏めて吹き飛ばせ!」
次の瞬間、ふゆみと諏訪の銃弾、そしてナシシの水刃が波のように連続して撃ち込まれ、最後の右の弓兵が力尽きる。
「ええ、どれも一撃必殺のパワータイプのようだけれど、防に関してはどうかしら!?」
編みあげられるは真紅の魔焔。いや、或いは恒星の如く煌めく緋色の宝珠。
惑星、戦の禍津星。どれも己が胸の焔で焼き祓うと、祈りを込めて。巫の最大火力が放たれる。
轟き、渦巻く怒涛の烈火。葬送の紅炎は、斬馬刀を握る虎を焼き尽くして、黒き墨へと化す。二度と息もせず、火を産まない。
巫の真紅の火に抗えぬ、獣の焔。
●終戦へ
「鬼さんこちら」
そう囁くエイルズレトラも、既に現状を理解している。
「……はは、こんな至近距離で飛び道具を振り回してどうするんです?」
放ったクラブのJで正面のほぼ一体目は瀕死。左手側にいる二体目も軽い傷とは言えない。が、背後に立つ弓兵は無傷。そして至近距離より、引き絞られた鏃がエイルズレトラを向いている。
「……相打ち狙い、ですか」
此処までよく単騎で耐えたと言って良いだろう。
むしろ、自分達を互いに貫く覚悟で三体が囲まなければエイルズレトアという虚影、その実を穿てない。
「ですが」
これはまるで居合。カードにアウルを込めて、最後に斬り裂くべく、瞬間を待った。
空白は、秒もない。
放たれる弓矢。空蝉で二発を避け、瞬間的に正面の弓兵の首をカードで斬り裂いたがそこまで。側面の一本に足を射抜かれ、後方からの一本に更に背中を射抜かれて、エイルズレトラは倒れる。
血溜まりの中、動けた弓兵は二体。それも、身を引き摺るように動いていく。
最後に同士討ち狙いしか出来ない程に。
そして、それが予定調和だと、剣鬼は瞳を細める。
生き様だと吼えて、けれど腹部を蹴り飛ばされて転がる少女に前田は僅かに意識を向ける。
死ぬ気だったのだろう。腕を取りに来た際、前田が斬撃ではなく刺突であればまだ可能性はあった。が、刺突はトドメの技。出される確立は低く、結果的に片腕同士、交差法で斬り合った最後に鈴音は倒れている。
光刃斬不使用。無傷。無銘なし。
ただの剣技のみで切り伏せられた少女に、前田は呟いた。
「生き様、死に様というなら――自分ではなく、誰かの為に死ね」
いいや、鈴音とて誰かの、そして自分の為の捨身だった、けれど。
「自分を必要としてくれる、己を剣と執ってくれるモノに出逢えなければ、人生は退屈だった。産まれた事に意味はない。死ねば無意味だ。生きる裡に、生きる目的を持たなければ……」
もはや意識もない少女に語らう中、けれど前田は後方へと跳躍する。
ふゆみの狙撃である。優勢は決したと、銃弾を放ったのだが易々と避けられてしまう。
「だからさ、そういうのが自分に酔っていて、カッコ悪いんだってばさ☆」
「いや、鬼はそういうものだ。使徒とはそういうものだろう? 人として生きる事より、使徒として天に尽す事に目的と意義を見出した」
赤い瞳には僅かな羨望の色。
だが、ふゆみにそれは解らない。これ程の剣技があれば、人を幸せにする事なんて幾らでも出来た筈だから。
人として極めた、孤独な剣。或いは、一振りの刀そのもの。前田の囁きは戦に震える刃鳴りに他ならないからこそ。
「聞く耳、持たないよっ♪」
戦場の終結へのみ、耳を傾ける。
●
「届け……!」
一瞬、一秒。時間が惜しい。
前田の視線、戦意が静まっていく。時間が足りない。
だからこそ焦がれるのだ。けれど冷静さは失う訳にはいかない。再び揺らめく神秘の火、ナナシの炎の剣が振るわれて狼と豹、そして負傷していた左側の弓兵を焼き払っていく。
豹はまだ耐えるが、狼の負傷は甚大。残った一体の弓兵も狗月が相手取ろうと向かっている。
勝利は見えた。だが、前田はどうする。無傷で帰すのかと、ナナシの胸に渦巻く。瞬間、飛来した一条の矢。スクールジャケットがナナシのいた空間に残され、貫かれたそれが後方へと飛んでいく。
「行くんやったら、今のうちやで?」
豹へと向けられた旋風の呪歌。意識を朧に途切れさせる豹の一方、巫の放った炎弾で狼がついに力尽きる。
確定したサーバントの全滅。だが、此処で抜けて良いのかと、ナナシも、そして因縁ある巫とて迷う。けれども、結論は一つ。
背を押す仲間の声があるのだ。
「行きなってネ。一撃、あの傲慢な顏に与えてきてヨ。私の代わりに、ッサ!」
二連射のうち片方を避けつつ、もう一本に肩口を射抜かれても全身して拳を叩き込む狗月。負けるつもりはない。負ける筈がない。
「ん、あっちにいったよ。自己陶酔サン☆」
狗月を援護射撃するふゆみ。何度か射撃して被弾した所で去られたという。
「いきましょう……前田は、越えろといったのよ」
だから、そう。
「だから、越えて一撃を――せめて一矢報いるだけでも……!」
振り絞るような巫の声に、同調するナナシ。
地図や周辺の地形は巫が頭に叩き込んでいる。
だから追撃に迷う筈はない。あの剣鬼ならばと、まるで惹き合うように、斜陽の終わる刻に出逢う。
船の上より見つめる、前田・走矢。
既に出航の準備は出来ているのだろう。遠ざかりかけた船に、巫が叫んだ。
「その瞳、その意志、私は認めない 戦の禍津星、焼け落ちろ!」
そして炸裂する爆炎はギリギリで前田を含む。
避けたのか、避けなかったのか。真相は解らない。前田の魔に欠如する能力として、避けられなかったが正しいのかもしれないが、であれば、炎の残滓を掻き分けて接近したナナシが見た笑みは何だろう?
最強には遠い。何時かは届くかもしれないけれど、それは気の遠くなる程先の話。
決着を付けるには此処は早すぎる。天刃を名乗る使徒、前田・走矢。だが、一撃、一撃で良い。
秘火顕然にて炎剣繚乱。疾走と共に最上段から放たれるナナシの最強の一閃。
限界などとうに振り絞って越えている。
「『神の剣』にすら届いた一撃。いつか貴方を倒す仲間達のために。貴方の身体に刻み込む!!」
決して魂に届かずとも、その身に刻む。後に続く仲間達の刃へと繋げる為に。一点の弱点、一瞬の好機を産む為に。
「――良い剣だ」
故に死なないのは想定の範囲内。
戦の愉悦を瞳に宿すのも。こういうものを求めていたのだと、解るから。
「では、返礼といこう――この技、お前達の得意な技で避けられないと知れ」
酷い火傷を左肩に受け、それでも高速で振るわれる神速の光刃乱舞。僅かな鈍りが傷のせいである。だが、それがどうしたと網目を描く。
そう、網を。踏み込めば逃げられぬ死光の舞踏を。
空蝉にて避けた筈が逃げ場所なく、そのまま切り刻まれて海へと落ちるナナシ。
だが、全力ではあるまい。
灼いた傷口はそうそう癒えない。
だから、ナナシは海から浮き上がる身体と反対に沈む意識で思うのだ。
――あの剣の傷口が、死へのキッカケになると。
魂さえ焼き尽くすあの剣は、回転し続けて死への誘いになるのだと――
その証拠に、ナナシの身体はまだ動く。死んでいない。
次の時、どれほど傷が癒えていようと、完治する類のものでは、決してないのだから。
いいや、或いは前田自身、癒す気などない可能性もあって……。
斜陽は堕ちて、紅蓮は薄闇に染まる。
敗北と勝利の狭間。誰そ彼その時が来たのだ。
誰が勝者か今だ解らぬ戦場で、けれど、何れ黎明は昇る。
全ての真実、勝敗、決着を告げる、その光はきっともうすぐだと、海が波打つ。