●
人を迎えるのは、白き世界。
美しいとは言えるだろう。きっと美麗な島だ。他の一切を排除した、櫻の楽園。
だが、どうしてか背筋が凍える。人の住むべき世界ではないと、感じてしまうのだ。
上陸した時から頭に響く歌声もそう。
「綺麗だけれど……気味が悪い」
こんなセカイ、こんな景色に。
作り出して変質させる存在とこれから戦うのかと、佐藤 学(
jb6262)は呟いた。
全ては救う為、守る為。天魔から奪われない為、まずは。
「僕自身が生き残っていかないと、ね」
拠点をカモフラージュする為の桜の枝を手に佐藤は小さく笑う。瞳は静かに、支配されてしまった故郷の昔の姿を見て。
――キレイだけれど、こんな風に自分達の世界を変えたくない。
「誰も住めないんですよね……」
これは天界の領域。そう示すかの如く白く染まった島。
同じく拠点となる地点を設置し、白櫻の枝や葉でテントを隠す結月 ざくろ(
jb6431)は呟いた。
きっと、あの森の中では人を排斥するサーバントが住んでいるのだろう。もう此処は人の場所ではない、住まわせないと、天の眷属がいる。
結月は水色の瞳を伏せた。何となくやり切れないのだ。
あたしに出来る事は何だろう。設置されていくキャンプに、桜で迷彩を施しながら僅かに迷う。
人を守る為に、全力で向き合おうとする精神。困っていれば助けたい。それがごく当たり前の事の筈。
「散りぬべき時知りてこそ、か」
海岸に作ろうとしているベースキャンプ。その設置の力仕事を担当する御空 誓(
jb6197)も、夏でも咲き誇る櫻に薄気味悪さを感じている。
終わるから美しい。散るからこその美麗さ。
それは人の魂、命のように。短い一生を懸命に生きるから、人は美しいのだと……。
「いや、だからか」
移ろいなど要らぬ。自分達が至高。決して潰えぬ光を此処に。
脳裏に続く声もまた、天界の誇りを謳い上げるかのように感じるのだ。
その光で、どれだけモノを焼いても気に留めない。僅かな苦しみを憶えて、誓は青い空を見上げた。
守れない。今はまだ。足りなくて、足りなくて。
「誓ちゃん……?」
風早花音(
jb5890)が語りかけてくるのに、心配そうな声をかける幼馴染に何も答えられない。
何を話しかければ良いか解らない。もっと、強ければと、後悔が声に滲みそうだったから。
一瞬交差した視線。戸惑いの先に、花音は明るい笑顔と声を出す。
「桜が綺麗だよ。珍しい虫とかいるかもっ」
とびきりの笑顔で。曇った空なんて要らない。
澄み切った青空。或いは、幼馴染の瞳から、自責という曇りが消えるように願っている。
天魔の刻んだ傷跡は、この島の白櫻のように目に見えるものばかりではなく、見えないものもあった。
けれど、立ち止まってはいられないから。
「部の先輩達から譲られたんです。もう1食分の足しにはなるかと」
そう告げたのは天川 月華(
jb5134)だ。部活の先輩である音羽海流(
jb5591)と黒崎啓音(
jb5974)から、阻霊陣と携帯食料、そしてバケツ一杯の作られた氷結晶を持ってくる。
緊急時には助かるだろう。特に食糧より、水の重要性は皆が解っている筈だ。
そして設営の整っていくベースキャンプ。時間をかけていれば、サーバントに見つかる可能性があるのだ。
「さて、天魔退治に行こうかっ」
黒崎の抱く天魔への憎しみ。だが、今は果たすだけの実力がないとも知っているからこそ。
「全員、誰一人とて脱落しない為に、いきましょうか」
満足(
jb6488)の言葉に応じて防衛班が配置に付こうとし始め、二つに分けられた主力部隊と、偵察部隊が動き出す。
が、その前にと。
「素人は……山に、来るべきで…ない……何も知らない状態では、危険」
Spica=Virgia=Azlight(
ja8786)が待ったを掛けた。
彼女の持つ知識は確かで、水分補給と塩分、何よりトランシーバー使用時刻の確認は強かった。
万が一、定時に連絡がなかった場合、その班は行動不能という事。拠点の設置位置も、川の近くは危険だと念入りに探していたSpica。
「多分……怪我の手当にも水は……使う。血や泥……洗い落とすのに。……それを考えたら……配給分では……足りない」
かといって川の近くでは天候の崩れやすく、夏である今は夕立で増水した水は脅威だ
「なら、川を確認して、水を確保するべきかしら?」
「…………」
明石 暮子(
jb6003)の確認に、Spicaはこくりと頷く。
京都などのゲート結界内の戦闘を前提とした生存訓練としている暮子とSpicaでは考え方は違う。
だが、実際には両方が正解であり、擦りあわせが必須なのだ。少なくとも、治療にも体力維持にも、沸かした水が大量に必要となる事は暮子の想定の範囲外。かといってSpicaは戦闘より環境の過酷さを重視し過ぎている。
だが、想いは同じ筈。
その為に。
「生きて、帰る……それだけ……」
短く纏めて伝える。ただ自分が生き残る為なら、自分だけ実践すれば良いものを。
「…………」
仲間だ。傷ついて欲しくないのはアタリマエ。
明石 暁美(
jb6020)は、仲間達が向かう白櫻の山へと視線を向けた。
「此処も、楽園ではないのよね」
美しくとも、人には過酷なる島。
そっと、皆が無事に帰れるようにと祈る。
――歌が響く。誰の歌か解らない、少女のそれが風と共に撃退士へと。
●
白櫻の世界は何処までも続いている。
見渡す限りの白。
満開の花びら。ゆらゆらと揺れ、視界が薄らとぼやけてしまいそうになる。
だが、此処はやはり天使の領域だった。異なるものを排除しようと、三体の狼が群れとなって襲い掛かる。
美しい。けれど、人間の居ない、人間の場所ではなくなった地。
間違えたのだと、琥珀色の瞳に落胆を滲ませるのはルーファ・ファーレンハイト(
jb5888)だ。求める人間は絶対この島に居ない。
だが、故にこそ――見敵必殺。
逃す必要も加減の必要もない。
戦いの中でそれらは不要。敵は全力で屠るのみ。
「ルー、とりあえず殴っとく」
握る双節棍を操り、鋭い曲線を描いた一撃を放つ。
地面すれすれから孤を描き、襲い掛かろうとした狼の下顎を不意打ち気味に撃ち抜く。衝撃で狼は横手へと転がり、続く攻撃必殺となる。
「この歌に合わせて舞えればよかったのですが」
そう呟きつつも、剣舞の如く流麗に銀色の剣閃を放つのは宗像 神薙(
jb5848)だ。
「綺麗なだけではないのが、なんとも残念」
作られた隙を逃さず、頸部を撫で斬る宗像の碧空。何処までも早く、鋭利に滑る刃。
骨を断つ重さがない為に両断には至らずとも、刃は十分過ぎる程に喉を斬り裂いている。致命傷である事は吐き出す鮮血が告げていた。
横では二体同時に狼に襲われ、一匹の牙から逃れられなかったアストリット・ベルンシュタイン(
jb6337)が苦鳴を噛み殺しつつ、青く輝く双剣の切っ先を突き出す。
アストリットが狙ったのは狼が肉を食い千切り、着地した瞬間。
通常、木々の中では自在に武器は奮えない。ならばと、繰り出したのは一点の刺突。裂帛の気合と共に放たれ、穿つ二つの刃。
「確かに、これは……一人でいたら危険でしたね」
道もない慣れぬ山の地を歩くだけでも消耗する。足場も悪く、前衛を務める者は開始一時間を待たずに身体中に負傷が刻まれている。
山頂に拠点を作ると勘違いし、孤立しかけていたアストリットを宗像とルーファが止めて、同じチームに入れなければ危険だった。
「出来るだけ、固まって行動しないとね」
そう言って、双剣に貫かれた狼へと弓矢を番える音羽。放たれたのは魔にて紡がれた矢だ。狼は魔に対して非常に弱いと、何度かの遭遇戦での試しによって理解している。
今はこの班だけの情報だが、ベースに戻れば他のメンバーとも共有出来る貴重な情報。
「……逃さない」
一瞬で仲間が倒された事に危機を覚えたのか、逃げ出す狼へと赤色の刃を振り翳すSpica。
踏み込むと同時にアウルを注ぎ込み、名ある剣へと変形、具現化させてその速度を増す。『報復者』の由来通り、決して癒えぬ死に至る傷を刻む一閃。
頭部を両断され、崩れ落ちる狼。
が、一息を付く余裕はない。何時、何処で敵が来るか解らないのだ。
安易に休息は取れない。簡単な手当だけを行い、血と泥を洗い流す為だけに貴重な水が消費されていく。
使った分の水を補充出来ているかは、支援班を信じるしかなかった。
そして、定時連絡も兼ねてのトランシーバー通信を行う。
「さて……白櫻ばかりの森の上は、どうなっています?」
宗像が、連絡を入れた。
●
連絡を受け、まず答えたのは空からの偵察部隊。
鬼灯丸(
jb6304)が応じる。
「サバイバルって面白いって思ったけれど、空でも割りと過酷……」
闇の翼を広げ、更に遁甲の術で気配を消していた筈。だが、空に舞い上がれば当然のように空を飛ぶものに見つかる。
即座に無数の鷹に襲撃され、偵察どころではなく一度撤退していた。治療も受けたが、身に巻いた包帯からはまだ血が滲んでいる。
「生き残らねばならぬのは空も同じよのぅ」
光の翼で飛翔しつつ呟く木花咲耶(
jb6270)。
吸魂符によって鷹より生命力を奪った為に浅手だが、何度も襲撃されては危険。
では、何故今飛行しても襲撃されていないかといえば、桜の上ギリギリを飛んでいる為だ。ともすれば枝と接触しそうな低空飛行。少しだが、発見される確立は下がっている。
「そちらの位置は、まだ山の中腹に達していないのぅ。偵察部隊はもう少し先を進んでおるが、消耗は避けるのじゃ」
そして次の進行方向を伝える木花。サーバントが集まっていそうな場所はまだ発見出来ていないが、険しい場所は避けるように誘導は出来る。
「大変になったらすぐに呼んでね。加勢にいくからっ」
付け加えたのは戦いが好きな鬼灯丸。忍ぶ事を優先すべきと解っているが、胸の好戦性が騒ぎ出して止まらないのだ。
言ってしまえば、得物を前にした猫のように。
「しかし、桜か。白き櫻の島か。咲耶は何より桜の花が好きなのぢゃ……」
故に、この白櫻に秘められた謎を知りたい。未知の美しさに心惹かれる。己の産まれた世界より、桜を愛した天使だからこそ、どうしても魂を揺さぶられるのだ。
止まらないし、止められる訳がない。永遠に続くこの美を見る事を。
「知りたければ、一晩生き残らねばならぬ。難儀じゃ。が、手折られる分けにはいかぬ、咲耶も、仲間も」
桜手折るのは馬鹿じゃしの、と呟きつつ。
「何時か、知りたいものじゃ」
今は片鱗しか見えずとも、この美しき景色を作ったモノに木花は想いを馳せて。
「で、そっちはどう? 何か掴めた?」
そしてこの島の調査へと、地を歩いていった二人へと鬼灯丸は問いかける。
●
御堂 龍太(
jb0849)は地図と見比べて、その不思議さにすぐに気付いた。
確信は持てなかった。だが、それは次第に形となって浮かび上がる。
地図を見て、今いる場所を見る。可笑しい。これは『不審なモノ』だ。
「ね、満足ちゃん。これ、『不審なモノ』よね」
そう言って見上げるのは満開の桜。この森の何処にでもある筈のものだが。
「此処にあるのは可笑しいですね」
実際の地図の差異。一言で言えば単純だった。
「……櫻の森が広がり過ぎている」
この辺り一帯は木々がない筈の場所だった。
いや、正確に言えば、川の流れる岩場に、桜の木が根を張れる訳がない。
川を中心に、この櫻の森は広がっているかのようだった。いや、この川の流れこそ……。
「……島に影響を与えている、ですか」
呟く満足が川の水に触れ、掬い上げる。見間違いではないのだと、唇を噛んだ。
「水が、燐光を含んでいるのかしら?」
御堂の言葉通り、まるで銀の粉を混ぜたように、水がきらきらと光っている。それらは桜の木に、地面に吸われるようにしてどんどん消えていく。
「これは拙いわね。下手に撃退士にも効く効果があったら……」
川の水は使えない。濾過したとしても、天魔の影響は拭えない。
いや、もう川の水は汲んで支援部隊が使っているだろう。ならば、毒喰わば皿までと、一気に飲み干す満足。
しばらくの沈黙。だが、何の変化もない。ただの水。少なくとも、撃退士に影響はない。
「ただし、そうね……これが原因だというのなら」
川の流れを見る御堂。視線はどんどんと上を向き、山頂近くへと辿り着く。
川は山頂近くから流れているのだ。カルデラ湖。確かに地図でもそうあるのだが……。
「……規模の大きすぎる、あのカルデラ湖に何かある筈ね」
中腹からでも視認できるカルデラ湖。いや、もしかしたら天使の作った水場。
燐光を放つ水が、ざわざわと流れ過ぎて行く。
●
一度目の主力攻撃部隊が帰還したのは昼過ぎだった。
可能な限りの殲滅を、負傷を軽微に抑えつつ。それは確かに守れた筈で、かなりの数のサーバントを刈り取っている。
だが、幾ら倒しても終わりはない。結果としてかなりの数の戦闘と、それに伴う負傷を抱えて帰って来た主力攻撃部隊。ただ、攻撃部隊は二つに分けていたのだから、即座に第二陣が出る事も可能だ。
だが、偵察部隊から山頂近くに何かあるとの通達を受け、第一陣の負傷と疲労が取れるのを待っている。
全員は出られないだろう。だが、半数は第二陣と共に、本格的な戦闘と調査へと乗り出せる筈だ。山を登れば登る程、サーバントの数は増えて戦闘をせずに進む事は叶わなくなっていたのだから、主力戦闘部隊がいなければならない。
「その間までの防衛やね」
出向いた第一陣が治療と食事、休眠を受ける間の防衛を任せられている瀬尾伊織(
jb1244)達。
特に瀬尾はヒリュウを飛ばし、視覚共有で広い範囲をカバーしている。攻撃班の第一陣の活躍もあり、近くにサーバントはいないようだったが、近くにいた全てを倒せた訳ではない。
現に、第一陣が攻撃に出向いた間、狐や狼がふらりと現れて、攻撃を仕掛けて来たのだから。
油断する事は出来ない。精神的な疲労が溜まる。
『あー、あー。聞こえるかの、まろじゃ、偉大なるまろじゃ!』
そんな中、可愛らしいのに尊大さが漏れる、なんだか残念な崇徳 橙(
jb6139)の声が錦織・長郎(
jb6057)の脳裏に。
名前を言わなくとも一人称で解るとはと、錦織が苦笑する中、声は響く。
『優雅なバカンスと思ったら、此処は過酷過ぎるのじゃ。何じゃあのスパルタ教師(29歳)。まろを敬わないから三十路独身一直線なのじゃ』
などと、無駄とも取れる独り言を続けていたが、ふと声色を変えて告げる橙。
『と、まあ、こんな風に情報共有すればトランシーバーを使わずとも、そして音を立てずに連絡可能じゃな。距離にして50mが限界じゃが、ギリギリに立っていれば視界や警戒するエリアは確保できるじゃろう』
ああ、知っているし、その為に橙とそのギリギリの距離を取っていると錦織は頷く。だが、答えはしない。無駄な力だ。
が、返答がない事を感心していると捉えたのか、橙の声は続く。
『後、頭上は桜色じゃ。ヒリュウや翼を出さずとも、影が走ればそれはサーバント。即座に撃ち落とすが良い。何しろ此処にいる生物は全て敵じゃ。――のう、まろの閃きは凄いじゃろう!? さあさあ、真似るがよいのじゃ、まろを崇めよっ』
既に最初から同じ行動を取っていた錦織は返答せず、休息を取るソフィア・ジョーカー(
jb6021)へと氷結晶を作りだし、手渡す。
「などと言っている奴はヒリュウに任せて自分は休んでいるようだし、休めるうちに休め。防衛もずっと警戒していたら、心労で倒れる」
「は、はあ……」
「何、この訓練は全体での、大人数での行動を慣らす為の訓練でもあるんだろう。なら、役割分担や、過不足をどう補うかも大切だろう」
だから、連携。休める時には休ませて、動く必要がある時に動けるように。
言われて解っていますと言いたいが、ソフィアは受け取った氷結晶の冷たさに、緊張が和らぐのを感じた。ソフィア自身も気付かない内に、酷く緊張していたのだろう。
「……命を、奪う」
覚悟を決めなければいけないのだろう。奪ってはいけないのが『命』。だが、奪わなければ奪われるのが『命』。これは演習のようなものであり、気配を隠した先輩撃退士が守っているとはいえ、戦場では割り切らなければ、迷ったものから死ぬ。
割り切る。決断する。その為の精神を強くしたいと、願うソフィア。
白く染まった櫻森がぞわりと揺れる。
皆に無視され、縮み込まってふるふると震える橙が涙目になっているのを、少し不思議そうに眺めた後。
フェイリュアは白い櫻を見上げて、呟く。
「桜、綺麗だけど、何処か変」
無邪気に、無垢に、白い花びらを眺めるフェイリュア。
これが血で、赤く染まるのは嫌だなと、そんな風に思いつつ。
何処からか聞こえる歌声。それに耳を傾ける。
「ね」
――アナタは、ダレを。そして、ナニを呼ぶ為に歌っているの?
「フェイを、呼んでいる?」
そんな呟きの直後、フェイリュアへと錦織の意志疎通が飛ぶ。
『敵襲だ。狐三体、狼二体。全員集まれ』
迷っている暇はない。
問うべき相手は、きっとどこかに。仲間が向かってくれる。
その為にと走ったフェイリュアの先、現れたサーバントと戦う仲間達の姿がある。
撓って風を裂き、正面から突撃して来た狼を打ち据えうる佐藤とソフィァの結晶の鞭。鈍い打撃音を切り裂いて、錦織の銃口から弾丸が放たれ、まず一匹を仕留める。
そして主の代わり、瀬尾と橙のヒリュウが飛び回る。まずは瀬尾のヒリュウがブレスを吐き、後衛の狐へと強烈な息吹を叩き付ける。
放たれ狐火に身を焼かれながら、橙のヒリュウが接近。ほぼ至近距離から閃光を伴った一撃で狐の顔面を焼いて、視界を奪う。
そして突進する狼。止まってはいられないと、仲間に風の護りを施したフェイリュアが迎え撃つ。
肩を狙った噛み付きを避け、腹部へと棘付きの打撃武器を叩き込む。仮にも相手はサーバント、一撃で倒れはしない。だが、前衛型の防衛班はフェイリュアだけ。ならば、狼はフェイリュアが抑えるしかない。
逆に、狼さえ押さえれば狐は楽でもあった。狐は魔力に優れているが、物理には脆い。佐藤のアイスウィップと錦織の拳銃に撃たれて一体目の狐が沈み、瀬尾と橙の二匹のヒリュウが舞い踊って、顔面を焼いていた二匹目を仕留める。
「……すみません」
そしてフェイリュアの攻撃で弱っていた狼へと延びるソフィアの半透明な鞭
大気を叩き潰し、その命を壊す一撃に、謝罪を述べるしか出来ない。それでも、仲間は傷ついて欲しくなくて。
――奪いたくも、奪われたくもない命。
そして即座に防衛班の集中攻撃を受け、最後の狐も倒れる。
●
山頂へ向かう前、暮子と暁美が全員分の食事を提供する。
空腹は何より精神を削る。念の為、暁美が濾過した水を出し、携帯色や保存食だけではと暮子が海水でアク抜きをした野菜を添えている。誓も果物や果実を取ってきており、サバイバルの食事としては豪華と言えるものだろう。精神的な疲労は、食で補える。
少なくとも体力も回復出来る程度には。
「魚は流石に取れませんでしたね……」
と苦笑いをする暮子。それを見つめる、Spica。
念の為、支援をしようとしていたのだが、この分ならば問題はないとSpicaは判断出来る。
戦闘へと出た際に取って来た水も、これならば行軍中に使って問題ないだろう。
「…………」
ただし、もう少し上手く擦りあわせが出来れば、と。
それこそ、自然とサーバントと、そのどちらが脅威であるかと云われれば。
――天界の領域であるこの場では、二つともが脅威だった。
ゲート内での活動困難はない。が、それに匹敵するような環境。
第一陣のメンバーのスキルは実はもう既に尽きている。支援部隊がしっかりと働いていなければ、回復も艱難。ただし、サバイバル知識をレクチャー……特にトランシーバーと水の事を伝えていなければ、恐らく戦闘不能者が出ていた主力部隊。
単独行動は危険で、だから連携とチームプレイが必要。戦場では絶対の法則。
次があれば、決して壊れない絆で。
次は、きっと本物の戦場だから。
擦れ違いは――容易く人を壊す。
●
だから、その不一致故に壊れるように。
櫻と身を血で染め、傷を増やしながら山を登る。
気づけば斜陽が赤く、全てを照らし出している。
鮮烈な太陽を帯びて、熱い吐息を吐いたシャルル・ド・ラ=フェール(
jb5680)。
抜刀し、常に正面に立ち続けた彼。サーバントの奇襲を警戒し、桜と同色の狼と狐の攻撃を受け止め、弾いて霧り裂き続けた身は血で染まっている。
「侮る事なかれ」
初陣。だが、己は貴族であると、矜持を胸に。
白き刃と緑色の瞳には一切の曇りはない。なすべき事を見つけた、騎士の貌だった。
勇猛さ。雄々しさ。味方の盾であり剣であり続けた彼に刻まれた傷は多く、だが、痛みに怯むようなシャルルではない。
「……驕りも恐怖も、ありません」
己の果たすべき事を見つめるのみだと、告げる。
「よし、休憩はこれで最後、かな」
時計代わりに携帯を持ち込んだ黒崎が、冷やした紅茶を飲み干しながら告げる。
時刻を確認すれば、日没が近い。
残された時間はギリギリ、だろうか。
「応急手当の包帯なども使い切ってしまいましたが……戻れば、また治療は受けられる筈です」
それを知り、けれど穏やかな笑みを浮かべて告げるのは唯月 錫子(
jb6338)だった。
足手纏いにならないようにと、後衛より弓を放ち、可能な限り治癒の術ではなく道具に頼って来た彼女。
櫻が夕焼けに染まる光景に、僅かな感傷を憶える。だが、それだけ。優しい笑みを崩したりはしない。
唯月の笑みを見て、少しでも楽になってくれる人がいるならば、と。
「治癒と支援のスキルも残っています、多分、何が居てもいけるかと」
「余力がない、という状態は避けたいしね」
続けたのはヴィルシュテッター(
jb6339)だ。過酷なサバイバルの中、消耗を抑えつつ戦って来てはいる。
彼女の持ち味は爆発力。ならば、困難が目の前を塞いだ時にそれを残しておく事は必須でもある。
「それにしても、綺麗な歌声――まるで神隠しの誘いですね」
緩やかに微笑む宗像。森に奇異なる櫻、そして童謡じみた旋律は、異界への誘いに似ている。
「……ルーの手伝い、いる?」
光の翼で一度偵察に行こうかと申し出るルーファに、いやと音羽とアストリットが告げた。
主力攻撃として山頂に昇ったのはこの九人。一人も欠ける事なく此処まで辿り着けた。
ならば、そう。後はこの不可思議な白櫻の島の謎を、脳裏に響き渡る歌を突きとめるまで。
脚を踏み出せば、響く歌声が強くなる。
櫻の森を抜ければ、そこにあるのは浅い、浅い湖だった。
膝程までしかないだろう水深。本来は山頂にある筈のカルデラ湖の一部が流れ込んだ窪地
地図にはない湖。恐らく、何かが作ってしまった、穴。
その中で、水と戯れるように少女が謳っている。亡霊のように透き通る脚で、水を跳ね上げながら。触れたその場所から、燐光を水に孕ませながら。
「あれが……」
アストリットが双剣を構え、シャルルが剣を構えて誰より早く一歩目を踏み出した。
感じるのはとてつもない魔力。それをこの島の奇怪なる現象の維持に使っているのだろうが、並のサーバントではないと、宗像は苦笑した。
「綺麗な歌に一曲踊りたいけれど……本当に残念。どれ程、楽しい事か……」
そんな余裕はない。碧空を抜き放つが、肌が震えているのを感じる。
直後、響き渡ったのは恐ろしい程の音の波。硝子が砕けるような甲高い音が広範囲に響き渡り、アストリット、シャルル、宗像と黒崎の精神と肉体、両方を同時に傷つけていく。
恐らくは呪歌の類。広範囲に広がる歌に対抗する為、唯月が前衛へとアウルの衣を纏わせると同時、一気に前進する。
一気呵成に攻め懸り、斃すしかない。こちらも余裕はないのだ。
「どんなに綺麗な声でも、傷つけるモノは駄目だよねっ。私のも人の事が言えないけれど」
故にとテレーゼが繰り出すのは音符のような魔力の塊。それを避けない。いや、サーバントの娘は動けないのか。
天の眷属には強力過ぎるテレーゼの魔力。
直撃。更に音羽の放った矢が、歌う娘の肩を射抜く。だが、一足では距離を詰められず、接近戦を得意とする黒崎は最後に残していた風の守護を纏わせる。
そして娘の返歌は嵐。亡霊のようなサーバントを中心に渦巻く風が、範囲攻撃を警戒して取り囲みかけた前衛を切り刻む。
アストリットがついに意識を手放し、シャルルが膝を付く。即座に唯月が癒しの術を施すが、全員には行き渡らない。残る手段は。
「電光石火の早業で――」
「――元から、見敵必殺」
シャルルとルーファが言葉を交わし、機を合わせて左右から剣と双節棍の一閃を放つ。
斜陽に赤く煌めく刃は袈裟に斬り下ろし、下段から跳ね上がる狼牙は腹部を捉えていた。
「此処まで来たんです。私達に出来ない筈がないでしょう?」
休憩中もそうしたように、鼓舞の言葉を紡いで真正面より挑む宗像。吸魂符で生命力を奪い、傷を癒していた彼女はまだ正面から戦える。踊るように身を旋回させ、繰り出すは刺突。大気を裂く音を置き去りに、胸部を貫く刀。
「後、一押し……!」
歌う少女の身が揺らいだのを黒崎は見た。だから後一撃を。祈るようにアウルと武気を込め、拳撃を繰り出す。スキルは尽きた。だが、気力は未だ燃え盛っているのだと、吼え猛るように炸裂する衝撃。
いいや、だからこそ。
この島の白櫻を司る娘は、倒れない。
天魔。これほどの意志を燃やしても、それでも容易には倒れぬもの。
再び巻き起こる歌による嵐。身を切り裂いていく風に、それでも倒れないのはシャルルが盾として先陣を切り続けた故に。高い防御力故に倒れぬ彼だが、限界が近い。
「だが、それは貴様も同じ事」
吹き抜け、切り裂く風の渦。その中で長剣に銀色の焔を纏わせるシャルル。
「……倒れる無様は、見せられません」
故にと放たれる銀火の剣閃。高速で振り抜かれた刃。残像が軌跡となって、銀の飛沫を散らしている。
そして、亡霊たる娘を見れば肩から胸を切り裂いている。吹き上がる血は、夕焼けのそれと良く似ていた。
頽れる娘。四散するように消えていく身体。
燐光は空へと上がり、そして。
――はらはらと、魂が散るように白櫻の花びらが、一斉に舞い落ちる。
●
夜の手前、薄暗がりの中で戻って来た主力戦闘部隊。その数は五。
アストリットと黒崎は亡霊の娘との戦闘で倒れ、シャルルは深手を押して前衛を務めたが為にやはり意識を失って監視をしていた撃退士に運ばれていった。
もっとも、シャルルが身を盾としてテレーゼや音羽を庇わなければ、その二人が倒れていた。
激戦、だっただろう。木花と鬼灯丸が可能な限り戦闘を回避しての誘導を空から務め、何とか帰還出来た形だ。
戦闘不能に陥ったのは三名。だが、それを脱落者とは言わないだろう。
そして、夜の帳は落ちる。支援班と、余力があった防衛班が、二組に分かれて交互に夜営の警備を担当していた。
狙撃銃を握り締め、Spicaは空を見上げる。何もかも、一人で抱え込もうとしている少女は、寝る間を惜しんで支援班が空から襲撃される事を警戒していた。
過剰なほどに。仲間を頼れるというのに。
「ヘッドライトと、ランタン……」
深夜となり、暮子と暁美が警戒に当たる際、呟いたそれ。
警戒をする際には絶対に消しておかなればいけない。だが、戦闘が始まれば照明がないと戦う事さえ出来ないだろう。結局の所、一人で当る限界がそこにあった。
が、それが必要なら使うだけの柔軟性は暮子も暁美も持っている。
言えばよかったのに。話しあえればよかったのに。そういうのは、今さらだろうか?
けれど、無常に、ただ、流れるように。
はらはらと、はらはらと。
白い月の下、更に白い櫻が幻想の美を以て散り往く。
天界の影響を受けた島は、人の世界へと戻っていく。数日が過ぎれば、ただの無人島に戻るだろう。
どの道、どんなに美しくても誰も住めない。そして、その美しさは天魔の齎したもの。過ぎればただの島に戻る。
そんな泡沫の如き、夢の夜。
「美しさは、過酷さと表裏一体……まるで薔薇と、その棘?」
綺麗なものには棘がある。それにしても過ぎていると、暁美は呟いた。
「どんな綺麗でも、あたし達のセカイじゃない……のね」
手で掬った櫻の花びら。それがぼろぼろと砂のように崩れていく事に、結月は一抹の寂しさを憶えた。
目覚めたアウルの力、どのように使うべきだろう。ただ見た目がキレイなだけでは駄目だと、この櫻の儚さに感じさせられる。
「力が、あれば変わらなかった……」
そして月を見上げる誓。
保護色の為か、白い翅のアゲハ蝶を捕まえて、虫籠に入れた花音が笑うのを見ていたが、胸が痛かったのだ。
その想い詰めた誓の顏を、心配そうに見る花音の視線にも気づかずに。
ただ、向き合うには力が足りなかった。
そしてこの訓練で誰も倒れないでいるには、一人一人の力が足りなかった。
後少しの歩み寄りがあれば、或いは誰も倒れなかったのに。一人、一人が必死だったから達成出来た事は大きく、誇るべきだろう。
向き合うべきは己自身か、それとも信頼すべき仲間か。
ただ幻想の夜、有り得ぬ櫻吹雪の踊る闇が、胸の空隙に忍び込む。
二十五人ではいないという現実が、冷たく心に触れる。
誰も倒れない為には、自分だけでは足りないのだ。
実戦でこそ、それは突き付けられる。己の無力さは、自然と天魔の二つが教えただろう。
ただ、願わくば。
はらはらはと、意識さえ染めてしまいそうな一面の白櫻。
その散る様のように、消えて欲しくない。
まだ彼らにとって、道は始まったばかりなのだから。
そして――朝日。次の日々が始まる。