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どうして剣を振るっているのだろう。
捨てた筈で、折れた筈。
だが、現に今、目の前のディアボロを切り裂く白刃の一閃。それを放ったのは紛れもない彼女。
砕けたと思っていた意志は、けれど確かにあった。
護りたい、見捨てたくない。
壊れそうな命が、そこにあるというのなら。
天魔の爪が、その身を切り裂き続けたとしても。
救える命が、ここにあるのだから。
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逃げ惑う人々に逆らうように進んでいた。
次第に人の姿は見えなくなり、ついにはいなくなる。
人々が逃げる時間を女性撃退士が稼ぎ切ったという事なのだろう。反面、それは未だ女性が全てを一人で抑え込んでいるという事実でもある。
その身の負担はどれほどか。それは命さえ危うくしているのではないか。
今はもう退学しているとは言え、彼女もまた学園の撃退士。一度でも、一瞬でも、仲間であったものは護るのだと若杉 英斗(
ja4230)は誓うように強く掌を握り締める。
「見捨てるっていう選択肢はねぇな」
無事かと問いたい。命を救いたいのは、空城 司(
ja0620)も同じなのだから。
残った者を、どうして見捨てられるだろうか。
けれど、ただ聞こえるのは金属の悲鳴。打ち鳴らされる剣と爪牙。
応えはなく、ただ焦る。
だが、この剣戟の音こそが彼女の魂が残っている証と信じるしかない。
権現堂 幸桜(
ja3264)も何時ものの笑顔を崩し、路地を疾走する。
街並みは何処にでもある平凡そのもので、天魔が訪れなければ平穏な場所だったのだろう。
先輩である女性が護ろうとした、この街。
「早く先輩の元へ……待っててください! 今ゆきます!」
宣言するように呟き、視線を先へと向ける。
そして。
「いました」
一刻も早く、女性の元へと駆け付けようとしていたカタリナ(
ja5119)の声。
カタリナはまだ何も失っていない。
戦場に身を置くというのは何時か何かを失うという事。
払った犠牲に、カタリナは何を思うのか。割り切れるのか、それとも割り切っては駄目なのか。
解らない。体験していない事に感情は反応しない。
だからこそ。
「助けます、此処で失う事を知りたくはありません」
凛として告げる。命を狩り取る天魔の刃を止める為に。
●
初撃はこちらに気付いていないディアボロへの不意打ちでの射撃だった。
「こっちだ、当れ」
空城の声と共に放たれる狙撃銃。衝撃で身が揺らぐファントム。けれど、物理に強い耐性を持つ為かよろめく様も見えない。
だが、発砲した空城に続く影の槍と、二本の矢。
魔力にて形作られた槍はファントムの身を貫き、破魔の弦鳴りの音を響かせ、矢は胸部を射抜く。物理的なものには死体故の鈍さがあれど、これはそうはいかない。
「こんにちは。いや、こんばんは……かな?」
にこにこと何時もの笑みを絶やさず、梓弓を構える石田 神楽(
ja4485)。
無茶で無謀をとは思うが、止めはしない。苦笑こそすれど、それは自分達も同じだろう。救えるのであれば、久遠ヶ原の学生達は無茶も無謀も何でもしてしまう。
それは石田とてそうだったかもしれない。
「折れた剣、されど心は折れず、といった所でしょうか」
自分の心も、あの炎の中で灰になってはいないと、一瞬だけ瞳を細めて。
逃げは、しない。立ち向かい続ける。
呻くファントム。この世ならざる者達。
それを睨み付けて、地領院 恋(
ja8071)は低い声で呟く。
「この世の天魔は全部獲物、潰すだけだ。誰の迷いも、アタシには関係ない」
僅かに胸に引っかかる想い。それは複雑で言葉には出来ない。
もう選択ではない平穏へと羨望かもしれないし、心配と相容れない方向性への反発かもしれない。
だが、今、目の前に敵がいる。天魔かいる。
ならば撃退士としてただ倒すだけ。明確に出来ない感情は置き去りに、地領院は戦場へと身を躍らせる。
僅かな願いは、全てが終わってからだ。
「こっちは任せな、向こうは任せる」
梓弓をワイルドハルバードへと持ち替え、敵を威嚇して引き付けるよう頭上で旋回させるマキナ(
ja7016)。若杉もまた、皆の盾であろうとスネークバイトを手に前へと。
反応するのは二体。マキナと地領院に一体、そして若杉に一体へと左右に分かれて向かうファントム。幽鬼のような不気味な気配と、爛々と輝く赤い瞳。
だが、気圧される訳にはいかない。残る一体は女性撃退士へと爪を振るい、肉を裂いて鮮血が飛び散る。治癒の術を自らに施し耐えているが、それも時間の問題だ。
故に全力で駆け抜ける幸桜とカタリナ。再び振るわれる腕よりも早く、彼女を護る位置に立つのだと。
「どいて下さい!」
至近距離まで走り寄った幸桜が放つのは魔の炎球。召喚された炎はファントムの身を飲み込み、ぼろぼろのコートごと焼き尽くしていく。
だが、それを意に介さずに振るわれる腕。身を焼かれるのであれば、生命力を奪うまでだと爪が冷たく光る。
それを受け止めたのは、防壁を展開させたカタリナの盾。甲高い音を立て、アウルで瞬間的に上昇させた身体能力で女性とファントムの間に入り込むと、バックラーで爪を弾き返す。
触れた途端に生命力を奪われたが、気になどしない。
「遅くなりました、援護します」
笑みで誤魔化すように、そして勇気付けるようにカタリナ。
だが、彼女の背後にいる女性は応えられない。肩で息をし、その衣装は裂けてボロボロだ。何度も治癒と負傷を繰り返したせいで精神的なダメージも深刻なのだろう。一線から身を引いた身では、限界スレスレだった。
「お一人でここまで…後輩としても負けていられませんね」
カタリナの視線が一瞬後方へ向いた時、ファントムが滑るように女性へと迫る。弱った得物を殺すのだと亡者の爪が鳴る。生あるものは許さないとその腐った吐息が怨念を撒き散らす。
それを断ったのは、銀の焔。高速の閃光がファントムを迎え撃ち、その死肉を切り裂いた。
「私を抜いていけると思わない事ですよ」
銀焔に包まれたファルシオンを閃かせて告げる龍仙。そのまま我が身を盾としてでも進ませないとファントムの正面へと立つ。
「誰も彼も無茶をし過ぎですよ、まったく」
強制的に身を強化させ、感覚を研ぎ澄ます代わりに石田の身に走る激痛。けれど笑みは決して崩さず、僅かな自嘲と共に、赤く輝く瞳で己の相手するファントムへと向き直る。
「ですが……それこそが人間なのでしょうね」
「ええ、後輩を、人を、信じて、後は任せて下さい」
負傷した身を抱えてよろよろと後退する女性へとライトヒールを送る幸桜。戦う意思はあっても、緊張で糸が途切れたようで、女性の身体は震えている。
柔らかく微笑むと、魔力を練り上げる幸桜。生み出そうとするのは、神聖なる縛鎖。この動き回る死体を裁き、終わらせる為に。
だが、そのような機微をディアボロは感じ取れない。一度狙った女性へと再び振り翳さる爪。
「…っ……待ちなさい、相手が違いますよ…!」
間に踏み込み、横薙ぎの一閃を龍仙が放つ。それは相打ち狙い。聖なる焔が腐肉を焼き払い、毒の爪が肉体を蝕む。ダメージは、龍仙が受けるものの方が大きい。
だが負けられない。倒れられない。背後にいる女性をこれ以上、傷つけない為に。
共に痛みに弾かれたように距離を取る龍仙とファントム。
「私達が貴方達より先に落ちる訳には行かないんですよ!」
決意を言葉にした瞬間、空間から聖なる鎖が射出される。
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大振りに薙ぎ払われる斧槍。柄を長く持ったマキナのそれは、遠心力を活かした重撃。
だが相手は死体のディアボロ。斧刃が深く肩に食い込むが、意に介さない。それどころか、思ったよりもダメージを与えられず、そのまま間合いへとするりと滑りこまれる。
毒を帯びた爪がマキナの胸板を削る。侵入した毒素が、焼けるように痛みを傷口の周辺に広げていく。
長柄の武器とはいえ、完全に相手が攻撃で出来ない距離を取り続けるのは不可能だ。間合いを突き放し続けるつもりが一気に懐に入られて、マキナの姿勢が崩れる。
喉を裂かんと、腕が振り翳された。
「させないぞ。こっちに来いよ、何度でも殺してやる!」
その瞬間、走ったのは雷撃だった。アウルを変換する幾つもの紫の魔法陣を通り、冥魔のみに有毒な電流が地領院の指先から放たれる。
爆ぜるのは紫電。そして纏わりつき、その動きを縛る電磁の麻痺毒。
「……っら……!」
出来た隙に後方に跳躍し、力任せに斧槍を薙ぎ払うマキナ。死体へ刃を叩き込んでも大きな負傷を与えれない。だが、それならば動けなくなるまで叩き潰すのみだ。
「亡霊だろうが何だろうが、叩き斬れるって事は、倒せるって事だ。倒れるまで、何度でも叩き込んでやるさ!」
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紫の毒の滴る爪を弾き返したのは、燃え上がる黄金のオーラに包まれた若杉の盾だ。
冥魔の気も威も、衝撃さえも飲み込み跳ね返す光の盾と、それを成す精神力。
「お前の相手は俺達だ、ボロコート」
攻撃を弾かれ、姿勢を崩されたファントムの腹部へと付き出されるスネークバイト。二本の刃は腹部、そして臓腑のある場所を貫き、抉って抜いた筈だが出血が驚くに少ない。
恐らく心臓を一突きしても、意味がないのだろう。
物理的なものであれば、この身体そのものを破壊しなければ意味がない。
「なら、こちらはどうだ!」
オートマッチクの効きが悪いと見るや、陰陽護符へと武器を切り替え、魔の白と黒の双珠を繰り出す空城。太極を意味する二つに撃ち抜かれて、半歩よろめき下がるファントム。
だが、この程度では倒れないと爪で貫くように突き出される右腕。避けられると思った若杉だが、回避しきれずに二の腕を裂かれる。回り始める毒。
避けられるかどうかは若杉では半分下という所だ。受けるべきか、それとも避けるべきか。カオスレートの差が大きく響く。
どらちにするべきか。決断へは一瞬の逡巡があった。けれど。
「ディアボロね……。レート差? 条件は向こうも同じだ」
回避を捨ててのフック。牙のような刃が顎と頬を裂いて、頭部を揺らす。先ほどは物理だったものが、今度は魔力での一撃だ。
それを物ともしない相手の爪が振り下ろされるのを今度は燃え盛る白銀のオーラを纏わせた盾で受け止める。防御の上から削られるが、それでも回避が失敗するよりはマシ。
削り合いであり、我慢勝負。それならば自分の得意分野だと、笑みの形を作る若杉。
それが例えやせ我慢だとしても。
「流石に二人で倒すのは無理、か」
削り合いとなり始めた若杉を援護する為、陰陽護符から再び白と黒の球を打ち出す空城。
「こういう使い方ではないが……仕方ないか」
文句を口にしつつも援護射撃を絶やさない空城。元より遅延と足止めが目標であるのならば問題はない。
そう、後は四人が女性を狙っていたディアボロを倒すのを待ち、合流して撃破するだけだ。
それまで耐える。削り合いの形を取ったとしても。
瞬間、後方で炎の柱が上がる。
カタリナと幸桜の放った炎球が、ついに一体目のファントムを倒したのだ。
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燃え盛るディアボロを捨て置き、ファルオンを片手に駆ける。
その先には地領院とマキナ。得物を振り翳し、麻痺している内に一気に押し勝とうと得物を振り座している。
が、麻痺を掛けたとしても動きが完全に止まる訳ではない。精細を欠いても爪を振り翳し、地領院から生命力を奪うファントム。
だが、地領院は笑う。その闘志を燃やし、この程度で倒れはしないと高々と声を上げ、武器を振るうのだ。その様はまるで、闘争に酔う獣。
狼の咆哮のように声を上げ、魔力の雷を纏わせる地領院。
「こんなものじゃ、あたしは倒れないよ!」
繰り出されるのは容赦ない二人の猛撃。が、それに対しての反撃も、やはり苛烈。
「お待たせしました…さぁ、終わらせましょう」
銀炎を纏い、下段から高速の一閃が走る。
脇腹を裂いた龍仙の斬撃。最後の銀炎だったが、戦いの天秤を撃退士へと傾けさせる一撃だった。
そして銀色の太刀筋に続くのは、白き輝き。
再び生命力を略奪しようとしたファントムの右腕。攻撃の直後で動きが止まっていた龍仙へと振り下ろされようとしていたその腕を貫くのは、神聖なる光を湛えた矢だった。
「おっと、私の前で仲間を傷つけさせはしませんよ?」
言葉ともに石田が繰り出したのは、凄烈な天界の光を湛えた破魔の一矢。腕を貫かれ、その勢いで攻撃が逸れて体勢を崩す。
「止めますよ。何度でも」
その石田の呟きを継ぐように、マキナが斧槍を旋回させ、上段から振り下ろす。
「終わらせてやるよ、亡霊」
その一言共に、落ちる斧刃がファントムの首を斬り飛ばす。
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そして、再びじゃらりと音を立て、亡霊を拘束するのは幸桜の審判の鎖。
冥魔に対してのみ効果を表す麻痺の毒は、ファントムの動きを制限する。
叩き込まれるのはカタリナの魔炎に、空城の白と黒の珠。更には若杉のスネークバイトがファントムを切り裂いていく。
反撃で若杉の体力が削られていたが、幸桜の起こす癒しの風が治癒させていく。文字通りディアボロにはどうしもなく、ただ虫の息で終わりを待つだけだった。
切れ裂かれ、打ち貫かれ、焼かれた亡霊。
それこそ、最後の一撃を待つようになって、幸桜が叫んだ。
「先輩! 今ですトドメを!」
「……え?」
見ればもう片方のディアボロも倒されており、後はその一体のみだった。
片膝を付いていた女性は息を呑み、剣を手にする。
ボロボロな身体だが、傷を負ったのは彼女のみ。周囲で怪我したものは誰もいなかった。
彼女がいたから、誰も死ななかった。
「貴女がどうして剣を捨てたかはわかりません。でも今だけは、守り切った貴女は間違いなく撃退士です」
その龍仙の言葉へと立ち上がり、動けぬ亡霊へと切っ先を向ける女性。
そして振り下ろされる刃。
亡霊の身体が崩れ落ち、倒れる。
折れた筈の剣は、天魔という敵を確かに断ったのだった。
「あんたの剣はまだ折れてなかったって事だな。心の中の剣は、まだ。兎に角、礼を言う。あんたのその覚悟が、沢山の命を救った」
驚くように息を飲み、苦笑する女性。壁に背を預けると、そのままずるずると倒れるように座り込んでしまう。文字通り精根尽きたのだろう。
それでも。
「今度は守れたんじゃないか?」
空城の言う通りに、今度はちゃんと守れたのだ。その事が、女性に安堵を感じさせる。
先輩と慕う若杉と幸桜に、疲れからか力なく微笑みながら応じる女性に、石田が告げる。
「このような無茶は、今後控えて頂きますようお願いします。――お疲れ様でした」
けれど、と。
空を見上げて、女性も口にする。
理由は説明出来ない。言葉にも出来ない。
けれどどうしても行動してしまう。
折れた剣だとしても、携えていってしまう。
そういう情動や衝動ってあるわよねと。
そういう想いが、人を護るのよね、と。