●揺れて
雨が降り続いていた。
庭園を濡らす雨は梅雨のもの。
冷たく、細く、降り注いで紫陽花を濡らす。
しとしとと、塗れる世界。
「綺麗な場所だな。こういう所は心が落ち着く」
天魔がいなければ穏やかな景色と言えるのだろう。
柊木要(
ja1354)の溜息は憂鬱と悲しみのもの。
雨粒に撃たれながら、此処で襲われた少女を思うのだ。
天魔は人に仇なすもの。
触れれば殺し、人の住む場を奪っていく存在。
「この場所は、あの子のお気に入りだったんだよな」
久遠 栄(
ja2400)は指を伸ばし、紫陽花の花を揺らす。
そう。此処は一人の少女のお気に入りの場所であり、ただ寄ったというだけで無残に切り刻まれた。
命に別状はないとはいっても、その痛み、恐怖が薄らぐ事はないだろう。
「また、元気になれると良いな」
この場所で花を愛で、触れられるように。久遠はそう祈らずにはいられない。思わず拗ねたような何時もの表情が、祈りのそれに代わる程に。
「狐狸のサーバントか。どの道、人を害するというのなら、排除させて貰おう」
アスハ=タツヒラ(
ja8432)の宣言は降り頻る水よりも冷たい。
相容れない存在。
奪うか、奪われるかという二托。
「雨に狸に紫陽花か……」
雨合羽に身を包んで周囲を見渡す嵯峨野 楓(
ja8257)。
少しずつ増えてきた紫陽花の群れ。
サーバントはこれを好んで食べているという。
「紫陽花の葉を食べる狸か、ひょっとしてゾンビだったりしてね」
そういう漫画を読んだ事があるだけ、と酒々井 時人(
ja0501)は言ったものの、それはある意味的を得ているかもしれない。
天界のものよって奇跡によって生み出された存在。それがサーバント。
それは死体を蘇生し、或いは組み合わせて作られる事もあるのだろう。
その際に特別な特性、習性を入れる事もあるかもしれない。
何にしても、紫陽花に狸には似合わないものだが。
「雨だと……狐の嫁入りという言葉がありますが……」
「妙な敵だが、何にしても天魔。人の常識、先入観が通じる相手ではないだろう。用心して挑むしかない」
「……確かに」
或瀬院 涅槃(
ja0828)の呟きに、黒椿 楓(
ja8601)は冷淡に頷いて応える。
そうして現れたのは、紫陽花の花園。
薄い青と紫の咲き乱れる、雨に塗れる花。
此処にそのサーバントはいる。
涅槃は索敵で、黒椿は鋭敏感覚で様子を探る。
この時点で透明になっていたり、幻覚を使われているのが最も厄介。
加えて一斉攻撃での不意打ちを狙うなら、相手より先に発見したいのだが。
「……いました」
雨音がざぁざぁと聴覚を打つ中、黒椿が捉えたのは紫陽花の葉を食い千切る音。そこへと涅槃が目を凝らせば、巨大な茶色の狸が紫陽花を貪っている。
「あぁ……これは間違いなく狸……」
久遠の呟きの通りだ。
眉に唾をつける間でもない。ほっそりとした狐とは違う、むくむくとした姿は一目で狸と解る。
そのまま気づかれない内にと遠距離攻撃手を四方へと散らせる撃退士達。
幸い、狸のサーバントは紫陽花に夢中でこちらに気付いていない。
名芝 晴太郎(
ja6469)は縮地にて脚部にアウルを収束させて加速を得て、嵯峨野は前衛の三名へとレジストポイズンをかけ、毒への抵抗力を高めていく。
「ま、何にしても疲れる前にぱっぱと終わらせちゃおーか」
そう口にする嵯峨野。
でも、この紫陽花達はきっと。
少女にとって、大切なものだったのだろう。
柊木も、この場が鮮血で染まったままなど認めない。
庭園は、心を安らげる場所であって欲しいから。
それが血に染まらず、この雨でその赤さが流れる事を、ふと願って。
●穿つもの
射撃は一斉、かつ一点を狙って。
弦から放たれた矢、轟音と共に吐き出された弾丸に、烈風による魔力の刃。
一つの合図の元に放たれ、目指したのは狸の腹部。
「その腹が紛らわしいんだよっ! 狐なんだったら引っ込めてなっ!」
久遠が放ったのは極限まで命中精度を高めた矢。更に黒椿の鋭き一矢、アスハと柊木の連続した銃撃が立て続けに腹部へと叩き込まれる。
本来内臓という急所があり、それを収める場所への一撃で苦悶の鳴き声を鳴らす狸。
そのまま嵯峨野の風刃で切り裂かれて転がった所へ、横手から迫ったのは黒き閃光。冥の気を帯びた漆黒の銃弾だ。
腰部を貫き、下半身の動きを止める一撃。
「腰は動きの支点だ。遠慮なく潰させて貰おうか」
その言葉通り、下半身がどぅと自重を支えきれずに崩れるようにして落ちる。
加え、腹部の連続した狙撃の為か、その身から上空へと打ち上げられたのは紫色の水塊。
直後、ふり注ぐのは鮮やか過ぎる紫の雨。
その範囲内にいたものはいなかった為に効果は解らない。だが、その色を見て、直観的に推測は成り立つ。
「色鮮やかな花弁に毒……古くから言われていますが、この鮮やかさも毒なのでしょうね」
次の矢を番えつつ呟く黒椿。あくまで推測だが、紫色の水ならば毒と見て間違いがないだろう。
「腹に溜めこんでいたものを撒き散らすのか?」
紫の雨が途切れるのを待って、前へと駆け出す晴太郎。脚部へと収束させたアウルにて加速を得て一気に間合いを潰し、その勢いを拳に乗せ狸へと拳撃を繰り出す。
顎を打ち抜いた一撃は、その痛みで動きを止める為のもの。
冷静に確実に。理想はそのまま押し込み、相手に反撃をも許さない。
そんな晴太郎の背にかけられるのは聖なる刻印。幻惑対策にと酒々井が放ったのだ。
「幻覚を見せられたらたまらないから、ね」
「助かりますっ」
前へと出る以上、幻を見せられ同士討ちをかけさせられる可能性は高い。
その為、抵抗力を上げる術を行使する存在は助かるのだが、前へと躍り出たのはこの二名だけ。僅かに心細い。
それを隙と見たのか、狸が産み出したのは水から成る三つの刃。
自律で回転し、対象を切り刻もうとする水魔の刃だ。
晴太郎と酒々井、そして嵯峨野へと雨の帳を裂いて飛翔するそれ。
冷たい刃。
音もなく迫る魔性。
ならばと、連続で絞られる引き金。
「当てれば消えるんだよな。なら、こいつはどうだ!」
涅槃が繰り出したのは咄嗟の回避射撃。一撃でも与えれば壊れるというならばと、掠めるように繰り出す連続射撃。
だが、弾丸は掠めるだけで直撃には届かない。元より攻撃の軌道を僅かに逸らす為の術であって、天魔への攻撃としては威力が足りないのだ。
「けど、甘いね。動きが直線的過ぎるみたいだぜ」
だからというように咄嗟の援護射撃。同じく回避射撃を同一の水刃へと久遠が矢を放ち、先の一撃で波打っていたそれは破壊される。
が、酒々井の二の肩を切り裂いた一つと、嵯峨野が片腕を盾にして受け止めた二つ目。
避ければよかったのかもしれない。
けれど酒々井は己が傷つく事を厭わず晴太郎を庇い、嵯峨野は後ろにあるものの為に動かなかった。
「勝って倒して、手に入ったのが血染の花園なんて、嫌だからね」
疲れるのは嫌だけれど、後味が悪いのはもっと嫌だと。
水刃が引く前に烈風を叩き付け、相殺する嵯峨野。肉を切らせて、花を守るなんて可笑しいのかもしれないが。
この場所を愛する少女もいるのだ。
「うぜぇな…さっさと消えやがれ!」
それを踏みにじるよう、切り裂いて飛び続ける最後の一つへと柊木が拳銃で打ち抜いて破壊する。
「それが、みなの……行動なら」
ぎりりと絞られる黒椿の強弓。自分の身よりも巨大から放たれる烈矢は再び狸を貫き、水刃を作り出す余裕を与えまいと。
「うちも、守りましょう……」
淡々と凍えた感情は暖まらない。
けれど、この雨は晴れる。その時、全てが終わっているように。
望む結果を皆で掴め捕れたと誇る為に。
「ふん、被害は出せない。害が出るなら駆除するまで。……この庭園を含めてな」
連続して火を噴くアスハのオートマチック。
強まる雨。
けれど戦いの音は、消される事はなかった。
●枯れず、果てる
再び生み出された三連の水刃。
酒々井、晴太郎の前衛二人を狙ったそれは涅槃と久遠の回避射撃で撃ち落され、二人を切り裂いた直後には嵯峨野の烈風とアスハの発砲によりすぐさまただの水へと帰す。
「塵りも積もれば山となる。ならば、積もる前に掃除しておないとな?」
不敵に笑う涅槃は連射で熱くなった銃身を振りつつ、メンバーの状態へと気を配る。
撃退士達の損傷は軽微であり、対して敵手であるサーバントはそうではない。
柊木の鋭いアウルの弾丸は狸の動きを確実に止めていき、そこへ繋がる連携の拳撃。
「動きを制限できれば!」
その言葉通りにナックルダスターで殴りかかる晴太郎。
威力も精度も下がってしまっているが、痛打の一撃は涅槃の作った腰部へと突き刺さり、下半身の動きを止めて回避を不能にする。
「そのまま押し切るぞ!」
「出し惜しみはなしだ!」
久遠と涅槃の叫びが雨を裂き、黒き一閃が放たれる。天を射ぬく黒き気は、文字通りサーバントの身を貫いて、鮮血を散らさせる。
更に酒々井が斧槍で薙ぎ払い、新たな水刃を生み出させまいと黒椿が牽制の一矢を放つ。
押している。文字通り撃退士達は優勢であり、反撃はないように思われた。
――叫び声
甲高く、耳に残る、まるで硝子を引っ掻いたような音。
それがサーバントのものだと気付いた時にはもう遅い。
辺りに充満したのは霧の渦。
煌めくようにして光るものの、それは不気味で不自然さしか感じられない。それが酒々井と晴太郎を包み込む。
「幻惑の霧、か」
一瞬意識が遠のいたを抑えつけつつ、晴太郎は叫ぶ。
「酒々井! 大丈夫か!」
解らない。
敵がどこにいるのか、味方が何処にいるのか。晴太郎は自分の前方にいた筈なのに、安否を気遣うその声はどうしてか、後方から聞こえてくる。
「……っく…」
呑まれた。
そう思った時には遅い。
化かし狂乱させるのが狐狸の得意技というのなら、見事に嵌ってしまった状態だ。
盾を握り締め、近くにある気配へと殴りかかりたくなる衝動を抑え込む。
何かに腰を掴まれた。けれど。
それが仲間のものだと信じるから。
「交代だ、すまないっ」
酒々井を抱えて一度後退する晴太郎。回復役である酒々井が幻惑にかかった間々、もしも敵へ治癒を施せば惨事である。
それを狸が見越したかは解らない。だが。
「立て直す暇くらいは稼いでみせるさ」
変わりに前へと出るアスハ。
その正面に展開されているのは赤き魔法陣。パイルバンカーを打ち込めば、魔力が錬成され、まるで大蛇が召喚されたかのように形を結ぶ。
そして奔る赤の大蛇は狸を巻きつけるが、魔力の勝負において狸には勝ち目はなかった。僅かな負傷を与えるにとどめ、弾き飛ばされる魔の大蛇。
続いて前へと踊り出たのは久遠。サバイバルナイフを抜いて臨戦態勢を整えるが、白兵戦を得意としている訳ではない。
「くそっ、替われっ、俺が足止めしておくっ!……あ、でも長くはもたないから早く戻ってきてな」
ただ、一瞬でも相手の動きを封じる為に。鋭いナイフの一閃は狸の毛皮と皮膚を裂く。
動き回られて庭園を壊されない為に。
同じく駆け寄ろうとした嵯峨野を止めたのは、涅槃の一声。サーバントがとったのは、今まで水刃を産み、或いは幻覚の霧を生み出した挙動ではない。
生み出されたのは、紫の水。
空へと打ちあがり、前へと出た二人を打ち据える、毒の雨。
「……っ…!」
毒対策にマスクを用意していたアスハだが、これは魔性の毒。物理的な防護では意味をなさない。
身を蝕む毒の気配。肌から肉へ、肉から血管へと巡り渡り、骨まで染み込んでいくそれ。
「――なっ…だ、大丈夫っすか!?」
柊木も毒の雨を受けたアスハと久遠を援護するように銃弾を浴びせる。
そちらが毒の雨ならばこちらは弾丸と矢の雨だとでもいうかのような連射。
だが。
「……相手も、もう限界です」
その声は黒椿のもの。
きりりり、と絞られた弓の弦が放たれ、狸の脚を射ぬく矢。それは逃亡を行うとした動きを止めたものだった。
鳴く声に、もう力は見えない。
「ははっ。無駄じゃ、なかったか」
逃亡は不可能と苦し紛れに水刃を産みだす狸へと、苦笑を浮かべる久遠。
勝負は一瞬で決まる。
繰り出された三つの水刃は、全て久遠へ。
そして判断も一瞬。
「此処まで来て、落とさせるか!」
涅槃の鋭い声と共に発砲。回避射撃で軌道がズレた水刃へと、更にサバイバルナイフを投擲して相殺させる久遠。
残る二つを止め、破壊する余裕はない。魔水の刃が久遠を深く切り裂き、透明な筈の水に朱が混じる。
けれど、その傷は即座に閉じていく。
温もり、そして癒しの光をもたらしたのは、酒々井。
「すみません、復帰まで待たせました」
幻惑の解けた彼の治癒で、狸の最後の抵抗は崩れた。
柊木の射撃が、アスハのパイルバンカーが、残る水刃を粉砕し、最後の詰めへとかかる。
「止まりな、よっ」
追撃は嵯峨野のスタンエッジ。魔術によって編まれた雷撃の刃は瀕死の体へと突き刺さり、流れる電流はその動きを縫い止める。
そこへ突き刺さるのは、漆黒の剛撃。
黒き帯を翼の如く引いて疾走する晴太郎の拳。その勢いと破壊の武威を持って、幕引きの一撃と化さんと。
「慈悲も容赦も与えない。この一撃に沈め!」
駆け抜ける勢いを載せた鬼神一閃。
燃焼させた莫大なアウルは、目にもとまらぬ神速かつ剛の一撃。
打ち抜かれた狸の頭部が破砕され、後方へと吹き飛んでいく。
終わった戦場で、静かに雨が降り注いでいく。
全てを流すように。
ただ美しいものだけが残るように。
紫陽花の紫と青と、そして白い花びらが、雨の引く射線の中で揺れている。
撃退士達の負傷は軽微。
全くないと言ってよく、酒々井のライトヒールの残りと応急手当で残らない程だ。
そして、庭園の紫陽花は変わらず咲き誇っている。
戦いの代償として、僅かに散ってはいる。
けれど、それも来年には元に戻っている程度だろう。
「あの子は、また此処に来れるかな」
久遠は呟く。病室にいる少女にこの紫陽花の花を持っていこうと思ったのだが、見舞いに根ものの花は不適切。ましてや、毒のある葉では、と。
それに応えるのは、嵯峨野とアスハだ。
「まあ、その為に頑張ったんだしねー」
「この程度の被害なら、すぐに人も来るだろう。少女も、傷が癒えればきっとすぐに来る筈だ」
そう、此処は人の花園。
人を襲う天魔を払い、守った人の居場所。
しとしとと、雨が降る。
此処でゆっくりと過ごす事が出来る。
そう想い、柊木が見上げる空。
天は本来、恵みをもたらすものなのだから。
奪う天など、不要なのだと。