●
銀光の一矢、その鏃が迫る。
加減、容赦など微塵も入らない。ある意味完成された美しさで伸びる銀嶺の一閃。
天から降り注ぐ流星なのかもしれない。少なくとも、殺すという意味において躊躇いの欠片も感じられないのだ。
――これが、こんなものが。
迫る光は回避不能。暮居 凪(
ja0503)は判断すると共にハンドルを切る。
狙いは運転手の行動不能、或いは衝撃によるスリップからの横転とそこからの混乱だろう。そこまで考え、助手席に座る龍崎海(
ja0565)が盾を構えるものの、激情を隠すよう、白光が身体に纏わり付く。
――ふざけないで。
「横転だけは避けるわよ、構えて!」
直後、硝子窓を貫いて暮居の胸に突き刺さる銀嶺の鏃。衝撃で肋骨が軋み、肺から血が絞り出されるが、ハンドルを大きくきった為に壁へと衝突してスリップや転倒を防ぐ。
「乱暴ね……!」
「この状況なら、仕方ないさ」
少なくとも後続への影響は出ていない。遠距離からの狙撃に対して、前進か後退か迷う面はあれど、目の前に敵は倒さないといけない。
車内から転がり出た巫 聖羅(
ja3916)が陰影からなる黒蝶の翅を身に結び、空へと舞う。
ならばと龍崎も槍を振り、闇夜の底で輝いた紅と銀を見るのだ。あの使徒が二人。残りは何処に。
前進するか後退するか。それとも留まるか。
下手に初撃で救急車を狙われなかった分、一瞬の混乱が全員の脳裏を掠める。初撃による最大の負傷は、連携を失って混乱させること。選択肢をあえて与えて戦力を分担させること――あの病院で銀嶺が行ったことに限りなく近い。
暮居の機転で停止することはなかったとはいえ、もう一台の護送車とて一瞬かけられたブレーキ。
その間に扉が開け放たれ、車の屋根に久遠 仁刀(
ja2464)が飛び乗る。このまま混乱し、統率が取れなければ敗北すると、予感を振り払うために。
「ここは止める、その隙に救急車は迂回しろ!」
刀身を屋根に突き立て、振り下ろされないようにしながら叫ばれる声。
無論と応えは無理にカーブを描くタイヤの悲鳴で返される。戸蔵 悠市 (
jb5251)が運転するバンは使徒を見た時からUターンを初めようとしていた。初撃の驚愕で動きが鈍っているものの、離脱のペースは揺るがない。
『こちらは任せろ……こんなになっても、生きているのだ。か細くとも、この息、途絶えさせはしない!』
護ると初めに誓い、そしてそれを堅守する騎士たるラグナ・グラウシード(
ja3538)が通信機ごしに伝えてくる。戦意は十分。驚愕などが入り込む余地などない。
戸蔵が召喚していたヒリュウが闘志を鼓舞する咆哮を上げる。戦の歌、戦の夢、戦の鼓動。
震える大気が熱を帯びるからこそ、停止はありえないのだ。
「捕まれ、久遠。――口惜しいが、前田は振り切るぞ」
それこそ因縁ならば京都の際より。だが、今はたった一つでも人命を優先するのだと鳳 静矢(
ja3856)がアクセルを踏み込む。
全力で疾走し始めた紅天の刃、隻腕の使徒。対して銀嶺も遅れるように間合いを詰め始めたのは予想から僅かに外れたが、問題などない筈。
「……確実に仕留めるぞ。天の使徒なら、そのまま影の猟犬の顎の中で砕けろよ。元より、この空は人のものだ」
銀光纏う弓を携えた使徒へ、夜目を瞬かせて影野 恭弥(
ja0018)は呟く。
前回は火力と数が足りなかった。が、それ故の勝利と慢心するならここで撃ち抜くのみ。
――狙うは銀嶺。使徒討つ三つの迅影として迫る久遠、鳳、影野。
そして胸部を打ち抜かれた暮居も、呻きと共に動き出す。
「冗談、よね」
隠し切れず、瞳から覗くのは激情の一種。
「夢? 人を捨てた身が、人との絆が糧? 本当に、本当に」
聞こえたのは戸蔵だけだろう。掠れた、けれど血の滲むような声に潜むには何だろう。
感情が揺れている。荒れ狂う海のように。何を求めて波打つのかは解らないが、暮居の奥底で蠢くのは狂気の一種。
「私、決めたわ。過程や手段ではなく、目標でもなく」
人を捨てた身で得たユメや幻想。が、対価と手に入った力が釣り合っていない。
いいや、それこそが、天が選び引き起こした奇跡というのなら――
「単純に――アレは潰すわ」
天刃を砕こうとする狂気、また一つ、白く瞬いた。
●
「おや、あまり動揺しませんね。もう少し『チーム』として負傷すると思ったのですが」
連続では放てない弓の弦は切れている。
それこそが放つ威力と射程の証左なのだろうが銀嶺の使徒は前進しつつ、微笑みを崩さない。
銀色の瞳は二発目にダレを狙うのかと静かに揺れる。この時点で救急車を選ばなかった時点で、他の手があるのだろう。ある意味、絡め手に嵌ったとも言えるが、久遠の叫びで前田が突き進んだせいで両者、狙いを外してはいない。
「では――まず、厄介な少年から」
この手の人間は危険だ。銀嶺の使徒は、捨身で戦場を駆け抜けただろう久遠のことを甘くはみない。
それだけの修練を積んだのだろう。研鑽は己を裏切らない。が、逆に言えば、これを落とせば。
「さて」
微笑みと共に、銀弓の弦と鏃が再び紡がれる。
●
巫から手渡された懐中電灯。
龍崎は予感に誘われたかのようにインターチェンジの中央を照らす。
前田へと接近しながら五秒。それだけ凝視してようやく気付く、隠身の行。
「……くっ」
壁を走り、柱と柱を跳躍して全力で突き進む隠身の使徒。それは一直線の動きであり、もはや救急車の間近に迫っている。使徒として機動力に優れている上に、攻防をある程度捨てているのだ。
もう遅い。止められないし、引き返せない。そうと知りながらも、共に気付いた巫が戸蔵に告げる。
機動力に特化した撃退士、かつ壁走りなどの技術があれば直線に突き進めて移動すれば辿り着ける距離。お互いの喉元を切っ先が掠めるひやりとした感触を憶えながら、けれど視線は迫る紅刀の剣鬼――前田へと。
僅かな隙さえ見せはしない。鳳は急カーブで避けたが、龍崎達は真っ向から挑むのみ。
そして、真紅を纏い黒翅で舞う巫は、己が紡いだ焔に宣誓するかのように告げるのだ。
「――前田。遥火さんは殺させないわ。……絶対に」
炎にも劣らぬ想いの熱量。強く、一途な程に真っ直ぐな瞳に映る想いこそ、全ての原動力。これは違うと、前田を否定する気持ちは烈火のように燃え上がって、止まらない。止まる筈がない。この戦の禍津星は、自分とは違うと遥火を殺そうとしたその時点で確信さえ抱くから。
それを瞬間的に爆発させなかったのは、一拍、龍崎を待ったから。
「相変わらず暇なようだね。こっちはメフィストフェレス直属のメイド集団の対応に大わらわなのに」
迫る前田へ、青石の魔槍を紡で向ける龍崎。挑発の言葉に乗るか、それとも。
「天刃と名乗りながら、悪魔を断てない。決して本来の敵に振るわれない刃に意味はないだろうしね」
返答は求めない。代わりに叩き込まれる青槍と紅蓮弾。着弾での爆裂音と突き刺さって砕ける石の音色。けれど、コンクリートを踏みしめる隻腕の剣士は身体から血を流しても止まらない。
「――かもしれないな、このままでは鈍らだ」
無構えは崩れず、紅刃斬の準備は整っている。
一撃必殺を防いだことは何度かあれど、いいや、だからこそ闘争に燃える紅の瞳。
無構えを純粋な武技で始めて凌いだ龍崎を、あの時のようにしてみせろと俊速で迫る。
一息で魔導書の間合いを踏み越えた前田の速度。龍崎はいまだ槍へ持ち替えての防御の構えは出来ておらず、その上で単騎でこの剣鬼と剣戟散らす場に臨む。
「故にだ、研ぎ澄まされる必要がある」
神速の太刀は変わらずある。紅光瞬き、鮮血散らすが定めのように。
だが。
「砕けなさい、砕けなさい……その傲慢は!」
後方より突き進んで来た暮居のバン。自身は途中で横手へと飛び出しているが、アクセルに重石を載せているせいで加速を続けるそれが、前田へと迫る。
これが決定打になるとは誰も思っていない。高速で走るに関わらず、ボンネットに足をかけて跳躍、宙で身を転じて龍崎の頭上からの紅閃を放つ前田。音を越える切っ先に宿された、戦の色彩。
だが、無構えは意と軌道が読めぬからこその脅威。頭上から来ると限定されれば話は別だ。煌く糸が網目となって龍崎の盾代わりに展開され、光刃の斬速を緩める。
それでも完全には不可能。肩口を捉えれ、やはり飛び散る血潮。受けた活性化した癒しでは消え去れない程の負傷。
「受けて、これか……」
槍に持ち変え、傷を癒す。受けた上での負傷の後、二度目が受け損ねればその場で倒れる可能性もあるから。
三度受けられたから、四度とはいかない。二度耐えることさえ至難なのだ。
「どうした、攻める気勢がないぞ? その穂先の鋭さ、見せてみろ」
くつくつと、喉の奥で笑う前田。その姿に暮居の激情が、何かと重なって膨れ上がる。
「その傲慢は、私がこの場に立つ為に、認められない」
無銘の穂先から、刺突のカタチで放たれる白衝波。
声がその光のように冴え冴えとしているのは、一定以上の怒りで振り切れた証だろう。怒れば燃える性質の人間と、逆に冴える質のモノがいるのだ。
腹部を打たれ、後方へと、槍の間合いへと吹き飛ばれた前田へ、より刺激に、よりこの場の苛烈さを加速させる言葉が、巫から放たれる。
それは、燃える性質を持つ前田の心を切り裂き、全身全霊をこの場に注がせるに十分な程に鋭かった。
「前田、あなたがそこまで執着するのだから、きっと大切な存在なのでしょうね……」
いいや、互いに燃え上がらせるのだ。真紅と紅蓮、刀身と魔術。手繰るものさえ違うのに、重なる部分が多いからこそ。
「なら――どうして修羅になるというの? 名残だからと、斬って捨てられる以外を知らないの」
「……………」
「大切なものを路傍の石のように。それこそ投げ捨てるように斬って。それで、満足? それが大切なものへの、刃の向け方?」
切っ先に宿した願いは知らずとも――それは違うと、炎弾が飛び、爆ぜて前田の胸を焼く。
それこそ、激発しそうな想いを胸に。瞳ばかりは静謐に凪ぎ沈むよう。けれど、それが崩れるのも時間の問題だろう。
「殺す以外に……捨てる以外に道は無いの……!?」
凄烈な、そして凛冽な程に真っ直ぐな激情に――前田の心が疼くから。
「では、お前はどんな想いでここまで炎を鍛え上げた?」
傲慢であり、闘争そのものであり、修羅になりたいモノが、紅蓮の刃を閃かせる。
●
久遠は自らに迫った鏃を切り払えたことに僅かな驚きも感じない。
どんなにぎりぎりであっても、その衝撃で腕が痺れても、凌いだことに変わらないのだから。
そんなことより、重要なモノが胸を満たす。
「狂信というべき願い、貶す言葉は持たん」
よって脈打ち、優美とも言えるほどに純白の刀身を染め上げるのは、狂信の黒。侵蝕する冥魔。元より、信仰の反転が狂信ならばこそ、久遠に相応しい。
他人に祈るならば、己が今までを信じよ。それが独善的であれ、罅割れる痛みを覚えても、今更どうこう出来ないのだ。
「が、進ませはしないと越える剣威を持って示す」
故に振われる剣閃は唸りと共に振われる。これが己が武威。これが己が矜持。捨身のように防御を気にせぬ冥魔の剛刀。
「――誰に、言っているのかしら?」
言葉は背後においてきた隻腕の使徒に向けているのだろう。が、視線と切っ先は明らかに銀嶺の使徒を向いている。完全な殺意、以前よりも気迫は増して、必殺だと黒線描く切っ先が継げている。
だからこその再度の焼き回し。銀水晶の障壁が立ちはだかり、剣威で壊れるも銀嶺には届かない。が、それは以前の儘ならばだ。
障壁が崩れる間際、一撃の重さに優れた薙刀に持ち替えた銀嶺が目を細める。身を捩り、胸を庇って右肩に着弾した腐敗の弾丸に加え、背後に控える鳳が抜刀と共に久遠の冥魔との繋がりを断ち切り、己の属性へと引き戻している。
「成程」
だからこんなにも剣速度が遅いのか。裂帛といって良いほどの薙ぎ払いに胴を切り裂かれ、後方へと吹き飛ばすがかつてのような負傷はない。
加えて腐敗の弾丸は邪魔だ。防御力を減少させていく上に、狙撃手というのは組み合わせ次第で脅威になると知っているのだ。
「いい対抗策です。けれど」
「会話するつもりなどない」
吹き飛ばされた衝撃で転がり、けれど地を蹴る久遠。闇の太刀は銀嶺からしても脅威であり、再び相殺される障壁。だが、そこに掛かる時間がまるでない。会話どころか呼吸さえ惜しんでいるかのように。
剣威で示す。その言葉通り、何もかも太刀に注ぎ込み、久遠の全てが奮われる。
「一気に決めろ、久遠。支援と背は任せて、ただ剣を振え」
「その障壁、あと一枚か? ……もっとも、その間にどれだけ弱るかな」
狂した漆黒の武が振われ、紫色の武気が浄化するが如く刀身と剣士の色と質を戻す。そして、カウンターで確実に腐敗の弾丸を放つ影野という狙撃手。三対一の構図はスムーズに、それこそ狙い通りとして繰り広げられていた。
いずれも劣らぬ強者ばかり。並の使徒ならば既に劣勢が決まっているだろう。
「困りましたね」
今度は一拍置いての一閃。しかも瞬間で斬馬刀に切り替わって間合いの読みが狂った。薙刀の基礎である反撃を活かせず、先手、先手と上回れ、最後の銀障壁が崩れ落ちる。
間を置かずに放たれる、鳳の災禍払い。紫色の刀身が、するりと円を描く。
天であれ魔であれ、中庸たる人を害するには適していないと、銀嶺の反撃のみを著しく低下させ――
「鬱陶しい」
ぞっとするような、美しき鋼鉄という地金を曝け出す銀嶺。
銀色の鋼珠のような瞳が久遠を見据え、放つの奥義たる三連閃。身ごと旋回し、銀色が舞って、音もなく斬閃が瞬く。
銀嶺の領域に踏み込めばそうなると、身を斬られ鮮血を散らす久遠。だが、膝は付かない。首を狙った一閃のみへと鍔元を滑らせて凌いでいる。無論、最早精神とアウルで無理に動いているだけだが、 そこに躊躇いなど微塵もないのだ。
厄介な相手。攻撃力もその気合も、精神構造も。
と、気を取られれば、逆側から迫る利刀構える鳳。その刀身に光滅する剣気が纏われ、更に反対側から踏みとどまった久遠が蝕の斬撃を繰り出す。
「残念だが私もこの手の技は割と得意でな」
「死に逝く奴に向ける言葉はない――前田なら、剣で示せと言うはずだぞ」
受けそこね、それどころか薙刀ごと切り裂かれて十字に斬られる銀嶺の使徒。防御力は腐敗で低下しているのだ。後は身を護るのは武技、実力のみ。
苦悶に顔を歪め、バックステップを踏んだ所へ、じわりと影を、穢れをもたらした影野の視線が突き刺さる。
「どうした、余裕がないぞ?」
活性化させたスキルを、まるで弾倉を変えるかのように軽やかに切り替える影野。真に脅威なのはダレか。銀を赤く、黒く、染めていくのは誰か。
「……許さない」
後退など捨てる。この三人を相手に、銀嶺の使徒が撤退など考えようものなら、討ち取れると直感するから、言葉は続く。
「――ここで果てなさい」
いいや、果てるのはお前だと、影と魔に、弾丸に刃に宿した三人に攻勢が始まり、双剣に切り替えた銀嶺が全身全霊を以って迎え撃つ。
銀が舞うように。赤が散るように。
そして黒が広がっていく。
●
そして、最悪のめぐり合わせが救急車ではおきていた。
不意の一撃が何時、何処で起きるか解らない以上、庇うスキルを広げる瞬間もわからない。
放たれた隠身の遠当の気に、タイヤが爆ぜて壊れ、スリップしかける。転倒したとしても、その程度で生命維持装置が外れないと踏んでいるのだろう。
いや、外れて死ぬより先に、前田の切っ先が遥火の胸を貫けば、それで良い。
どのように生き、どのように死んだかは関係ない。前田が斬ったか否かが全て。
「そのようなもの、使徒でさえあるまい」
移動力を失った以上、自らが楯となり時間を稼ぐしかないと、ラグナが槍楯を手に道路へと躍り出る。
「何の為にこんな状態にされ、こんな生き方しか出来ない少女がどんな天使の障害になるという……!」
騎士の誇り、矜持を携えて。それこそ、吼えるかのように。
「ヒトであろうが、シトであろうが……貴様らはただの薄汚い人殺しだ!」
戸蔵とて思う。殺して戻るものなど、何もないだろうに。
戻れなくなるだけだ。失って、前進するしかなくなり、這いずるだけだろう。
全員が想いを狂奔させ、討つ、護る、殺す、となるのが戦場。そうでなければ生き残れない。
「だが、ここは違う……」
生命維持装置を確認しつつ、この遥火という少女に戦など似合わないと思うのだ。
それこそが、前田に騙るなと言われる要因だとしても、素直に浮かぶ思いこそが真実。
「何、言うだろう。百人殺せば千人殺せば云々と。まあ、そんなことより、人の想いの表し方なんて十人十色だが」
「なら、貴様らはドブネズミ色だ。そんな天、空、認めん」
そして、ラグナの前に立つ隠身の使徒。
後退を防いだだけではないだろう。事実、戦況は互いの喉元に切っ先が向いている。
「三対一が二つと、二体一が一つ。うちひとつでもお前達が勝てば恐らく総合的な勝利だが――分散しすぎだろう?」
瞬間、滑りこむようにラグナの間合いに踏み込む隠身。振う武の質として天敵だと判断したのは、受けた盾ごしの衝撃でだ。
「舐めているだろう、お前ら。三人係りなら一人倒せる? かもしれないな」
「……ぐ…」
呻くのは放たれたのが浸透撃の類だから。防御、装甲、それらを無視して腕の血管が爆ぜて、骨に皹が入る。受けてはダメだ。隠身の拳打の前ではどんなに堅牢でも避けるしかない。
殺す為の業――ラグナの天敵。
「逆に、使徒が三人の撃退士を倒せる確立ってどれくらいだよ?」
即座に自己治癒。再生も含めれば、凌ぎ続けることは出来るだろう。
だが、攻める事が出来ない。削って、削られる。最悪の戦場。
「無難で穴がない程度の戦術なら、俺たち使徒が勝つ。死に物狂いで来いよ。命懸けてんのは両方だ」
「……っ…ヒリュウ!」
戸蔵の声と共に救急車から飛びしたヒリュウだが、その爪牙は空しく空を切るだけ。
「が、私は……私の仲間を信じて、護るだけだ。私は護る者なのだから」
「そうかい……案外、悪くない兄ちゃんだな」
再び繰り出された浸透撃は肝臓を半壊させる。競りあがる悪寒に耐え、癒し、凌ぐラグナ。実質、損傷と回復の天秤は拮抗しており、長く続けば戸蔵のヒリュウが多少はダメージを与えるだろう。
が、均衡が打破されるより早く、前田か銀嶺の決着が付く。余りに絶望的な、それでも護る戦いに、ラグナは誇りこそを噛み締める。
「か細い命が、確かに生きているのだ。懸命に」
隠身の暗殺の拳打が振われ、癒して立ち続ける自分の背にいるのだ。
それを託された以上、その絆を二つも束ねられた以上、隠身ともう一人が眼前に迫ることになろうとも、その呼吸に、喉に、罪科などない。
教え、育てて、次代へ繋げていくからこそ命は尊い。
摘むのは簡単だからこそ、それを外道と断じるほどの輝きが生命にはある。
「貴様らに、途絶えせられるものなどないと知れ――!」
瞬間、血涙を零し、己が憤激と憎悪を撒き散らす騎士の幻影が、絶大な守護の力を与える。
例え怨嗟であっても、命を護るのだ。死を認めないのだ。殺害などもっての他。
「へぇ」
そんな力を前に、隠身の使徒の上段足刀が放たれる。
それを受け止めて、耐え切って。
ここに来るのが仲間か使徒か、考える余裕もないほどラグナは戦いに没頭する。
白い涙のような光衝が弾けて、隠身の使徒を遠くへと弾き飛ばした。
●
ぽつりと漏れた前田の言葉は、振う剣戟に反して静か過ぎた。
「斬る以外に道はないか、か」
繰り広げられる斬閃と烈突は、もはや赤い。
「何を言っている、まだ僕は倒れていないぞ……!」
動く度に斬られた動脈から血が吹き出す龍崎。だがそれで構わないと、より烈しさを増していく刺突。決して他に目を向けさせる気はないのだ。斃れる気もないが、負けるつもりなど微塵もない。
癒してはいる。だが、間に合わない。
受けはよくて五分。だから一太刀振われれば癒すしかない。少しずつ、魂こそを斬り裂かれてい る。
それでも牽制の動きだけは。僅かな余裕があれば槍を突き出す。それが前田を掠めることがなくても、次こそはと燃え盛るのだ。
闘争心? 執念? 因縁晴らすべく?
解らない。解らない儘に、あの病院での一戦を繰り返している。
初手の遠距離攻撃が足らず、光幕の誘発に失敗。そこから光刃斬で切り裂かれ続けるばかり。
「下がりなさい、変わりに私が前に出るわ」
怜悧な声と共に突き出される暮居の槍。この天刃は砕く、砕かなければいけないと、狂奔しているのも彼女の一面。
だが、だからと戦術眼を失った訳ではない。神の兵士の発動、並び治癒スキルの回数を数えて前に躍り出る。
「アナタを、潰すわ」
――でなければ、私が学園に来た意味などない。
「出来るなら、やってみろ」
脇腹を掠めた穂先の痛みに頬を歪めて返す前田。何時もならば嬉々として戦意を見せるのだろが、苛立ちのようなものが混じっている。
事実、無構えが完璧ではなくなっていた。僅かに大振りとなって、受けやすくはなっているのだ。
揺さぶる挑発。心の底からの激情をぶつける言葉。
「大切なものを斬る刀。それが正しいからと言われたから。それは何て……!」
巫が口にするものこそ魔導書の顕すもののよう。
「――アナタの心がないの! 魂を切っ先に込めろ? 心がないのに、よく言うわね!」
「……黙れ!」
一瞬、紅蓮の瞳が見せたのは後悔と逡巡。
だが、神速の鋭斬は止まらない。暮居の防御をすり抜けて切り裂く刀身は前田そのものなのかもしれない。
持ち主が欲しい。正しき場所へと導いて欲しい。成程、使徒として選ばれ、忠を誓うのだろう。もう一つ、何かキッカケがあれば転がり落ちる様が見えるよう。
だから油断などしていないのに、暮居が突き出した槍と前田の切っ先が衝突する。
「……な……」
無銘を冠する槍と、無銘の剣業が重なり、砕ける長柄。
踏み込む同時に薙ぎ払う一閃は無構えを失っていたが、槍の壊れた暮居では防げずに横手へと転がり、太刀開かれない。
手を伸ばしてもどうしようもない。
指先は届かず、非力である現実を掴むばかり。
「何も感じない、心がわかるか……? そんな木偶に笑ってくれて少女がいると、そんな奇跡があったか?」
暮居の稼いだ時間で治癒スキルを切り替え、再び防戦へと戻る龍崎だが、一太刀受け損なうごとに神の兵士が発動されていく。
もはや戦線を維持する加護はない。
前田を抑えるならば前衛二人以上で相互支援は必須。それこそ一騎打ちならば前田の本領を十二分に発揮するのだから。
それを踏まえなければ、剣鬼は止められない。
僅かに残った人の心を突いて切っ先を緩めても、まだ届かない。
「――唯一、俺は俺に手を差し出してくれた少女の為に、その少女の言葉に殉じよう」
言葉と共に翻る神速の紅の太刀。言葉に秘められた想いを顕すかのような、激しき炎のような刃閃だった。
それを前に抗い、抗い、ついに四太刀目で倒れる龍崎。こいつは人として間違っている。狂っている。ごっそりと常識や人としてあるべきものが欠落して、その間隙を闘争の火で補っているだけだ。
そうして、天刃という名刀が劫火の中で産まれたのだろう。武という鉄と、狂信という焔で。
「それが、遥火さんを殺してでもというの?!」
真空の刃を言葉と共に叩きつける巫。前田は血飛沫を散らしながらも前進しかしない。
止めるものはもういないのだ。
言葉で止まるなら、使徒などにはならない。
「――言っただろう、名残りを、断つと。アイツの示した『使徒』という道、真に進む為には斬るしか他にない」
そして、後方より足音。
剣戟で、血で、魔刃で、止めていた間に、銀麗との決着がついたのだ。
ボロボロに負傷して、元の色を失いながらも。
決着は此処に。
●
振るわれる銀剣の鋭さは、確かに前田程ではないだろう。
だが、武器を選ばなくなる程の腕前。手にしたものを自在に操る技。翻る羽根のように切先が銀の筋を描き、鮮血が後を引く。
その顏には余裕など微塵もなく、久遠と鳳を同時に斬り裂いた動きも必死のそれだ。
ただ、だからこそここに、限界が現れる。
からん、と純白の剛刀が手から滑り落ち、捨身で挑み続けた剣士がついに膝を、いや、意識を失った。
「久遠……!?」
共に剣閃を放っていた鳳が驚愕するが、これもまた当然だろう。
銀麗は深手を負い始めている。下がった防御力。失った障壁。有効な技などなく、奥義ともいうべき技は使い果たしたばかり。
だが、それを一身に受けて膝をつかなかった久遠の精神力こそが異常なのだ。
限界を超えたら身体はそのままずるりとコンクリートを這う。
「残り、二人……」
ぞっとする鋭い声。綺麗なのに、刃筋で奏でられているかのよう。
結局、銀麗とは人が踏み込む領域を刺す。最初から天に属さぬものは鏖殺と決めた雪原、神域の護り手に他ならない。ならば、そこに禁忌を用いて闇で穿つだけ。
最大火力の為に専門知識で魔将の刻印の拳銃を把握して最大火力を一瞬に。黒き焔弾が聖域を焼き付くさんばかり猛りを吼える。
無論、それに気づかない銀麗ではない。だが、反応が間に合わない。その猛威の前に、受けるという事さえ出来ない。
闇よりなお深い黒焔纏う弾丸は、銀麗の使徒の右胸を貫き、口元から鮮やかな血を吐き出させる。
「もう、銀、というには赤黒く染まり過ぎたな」
「……っ…!」
あの病院の殺戮の課程で返り血を浴びた筈の銀麗の使徒。美しいなど言えないし、元の色彩でもあるまい。
「色を関する名の次に、命も失え」
ならば、立て続けに倒すのだと、鳳が動いた瞬間、銀の双剣が飛翔する。
それこそ驚愕。最大射程を保っていた筈の影野へと、まるで猛禽の爪牙の如く強襲するのだ。いや、これは元々、飛剣なのだろう。最初に現れた時、確かに投剣の技は見せていた。
影野も冥魔の気質に寄ったまま。二つの切っ先に貫かれて意識を失う。
結果として真正面から衝突し、銀嶺を惑わして先手を取るも自力で上回れたのに。
「ふ、ふふ……流石に辛いですね。後一人いれば、私は死んでいたでしょうか」
もはや深手を負った銀嶺。ただし、初手で銀障壁を破壊する際に影野以外の攻撃は一切通らず、逆に久遠に攻撃が集中攻撃を受けていた。
壁の破壊要員が二人であれば。そもそも、四人であれば影野の禁忌ノ闇でその魂ごと撃ち抜けた筈だっただろう。それほどの消耗を抱えて、ここにいる。
「続けましょうか、ええ。ここまでされては、帰れません」
銀色の薙刀が再び紡がれ、鳳は決死の使徒と一人で対峙するという脅威に晒される。
瞬いた滅影。闇を纏った刃が銀麗を袈裟に斬り裂くが、反撃の一閃が太腿に食い込んで転倒させた。
立てない。それでもと渾身の力を込めて放つ刺突。
後、一歩。後、一息であの前田に辿り着くのだ。その執念が、再戦願う火が胸に燃えて鳳を支える。
が、軽やかな音共に弾かれる切っ先。逆袈裟に斬り裂く薙刀。
「勝負は、見えましたね」
銀が舞う。夢幻のように、命を掻き消す怜悧な響きを以て。
薙刀の刀身が、鳳の胸に食い込み、インターチェンジの中央の空洞へと叩き落とす。
伸びした手。伸ばした先。いいや、後一歩と届かない。
銀麗へとの攻撃をもっと凝らせば。人を増やせば。リスクとリターンだが、それは相手も承知で挑んだこと。
Uターンは確実なリスク回避だっただろうが、そこに戦力を割いてしまっては使徒の打倒への戦力が減少し、最終的にはこのように一手足りないという結果になっている。
「私達とて、傲慢であっても……命知らずではありません。主の命令なれば違いますが」
●
敗北が見えても戦っただろう。
絶望に抗うのは人の雄姿。そういう輝きを持つ魂と心こそが、人の強さ。
けれど、仲間の死には揺れる。龍崎を、暮居を、久遠をそして落下した鳳を回収する為に、病院に運ぶために――遥火を差し出すしかなかった。
逆に問えば、仲間の死を前提に勝利を組めるのだろうか。
「綺麗ごとを言っても、自分の命に懸けて守るといっても、他人の命を捨てられる人は、きっと撃退士に向きませんよ」
ふわりと笑う、もはや瀕死の銀麗。
残る全員で攻め懸かれば倒せるだろうが、変わりに残る隠身と前田に全員が殺される。そういう約束。そういう終幕。
五人を殺してまで、帰る場所はない。逆に言えばだれも死なない作戦を立てなければ、こうして崩壊することもあるということで。
自分だけであればいい、という都合は成り立たない。
「あれほど使徒として完成された存在もないと思っていたが……前田にも随分と人間らしい面が残っていたな」
擦れ違いざま、遥火のほっそりとした、枯れ木のような姿を見て愕然と、それこそ身体を震えさせていたその背に、戸蔵は口にする。
「……遥火との話は聞きたいか? いいや、話さない。そうすれば、また名残りのカケラを残す。全て、消さねば、使徒であれない。約束を、守れない」
隻腕の使徒が、ゆっくりと、遥火の心臓へと切っ先を向けて。
「そんな在り方を、そして使徒を認められないなら――もう一度だけ相手しよう。全力で。死を覚悟で来い」
狂った想いを切っ先に宿して、前田は呟き、そして貫いた。
長い、長い、口づけのような静けさ。
守れなかった悔しさ。
間違っていると突きつけても、足りない力。
後一歩で、結ばれなかったモノ。
全ては刀身を伝う、血の雫が孕んでいる。
前田・走矢の、人としての刻は終った。