●
「――いってらっしゃい」
沙織さんがわたしに笑顔を向けて言ってくれた。プリーツのミニスカにコートを着て、髪は沙織さんに三つ編みにしてもらった。今日も我ながら完璧な可愛さだ。
いつもなら「行ってきます」と、元気にパンを咥えてでかけるはずだ。
しかし、今日はいつもと違った。
もう沙織さんとは一緒に暮らせない。
そう思うと涙がこみ上げてくる。
彼女はものすごく寂しそうな顔をしていた。
わたしは手をおもむろに差し出した。
暖かい手だった。
散々迷惑を掛けてきた思い出が蘇る。
「ありがとう――じゃあ、行ってくるね」
わたしは何かを振り切るようにその場を駆けだす。
このままいると涙が溢れてきそうだった。
沙織さんの優しさにわたしは押しつぶされてしまう。
もちろん、記憶は元に戻っていなかった。わたしがどうしてここにいるのか、そもそも俊子なのかもわからなかった。
それでも沙織さんはわたしに優しくしてくれた。
学校で気持ち悪いと苛められてもわたしを庇ってくれた。
「あなたは悪くない。悪いのは皆の方よ」と最大限わたしの意思を尊重してくれた。学校の先生は女装をやめるように注意したが、沙織さんは楯になってくれたのである。
結局わたしは期待に応えることができなかった。
もっとわたしが強ければ――
しかし、それはもう終わったことだった。
これからは前にいた町に戻って一人で暮らしいかなくてはいけない。
誰もいない町なら私をいじめる人はいないはず。
そう思って駅前に着いた時だった。
「おい、そこの気持ち悪い女装男、ちょっとこっちへこいよ」
振り返ると、そこにいたのは学校の不良達だった。
苛めていた張本人たちだった。
わたしはその瞬間に、体を強張らせた。
何とか逃げようとしたが、不意に肩を捕まえられて、その場に転倒させられてしまう。ミニスカから伸びた膝を刷りむいてしまった。
わたしは痛みに表情をしかめたがそれでも不良達は許さない。
「きめえんだよてめえ! おまえもう学校にくんじゃねえよ、目障りだ。お前のせいで俺達は謹慎食らったんだよ、まじで今日はしばいてやる。二度とミニスカなんて履けないような体にしてやるぜ」
不良は部下に言いつけて殴りかかろうとしてきた。彼らは俊子をいじめたことによって、学校から謹慎処分を言い渡されていたのである。
不良達はむしゃくしゃしていた。
気持ち悪い女装男をたまたま見つけて殴りかかってきたのだった。
わたしは再び首元を掴まれた時だった。
「始発ちょーどのーなんとか2号で、あなたあなたはこの町からーたびだーちーますー?」
電柱の一番上に捕まりながら怪しい金髪の男が唄っていた……。
「やあ、元気かな、少年……少女? まあ、いいかどっちでも」
その怪しいキテレツ男は間違いなく霧谷 温(
jb9158)。
まるで蝉のようにしがみついて鳴いている。
「……なんだ、あのキチガイ野郎は?」
思わず不良もあきれた声を出す。
だが、温はなかなか降りてこなかった。
どうやら――降りられなくなったらしい……。
「人に傷つき、居場所を無くし、旅に出たいのならそれは構わんさ。しかし、誰にも別れを告げず、旅立つ、というのは少し酷くないかい。
そう、あず○2号でも、ちゃんと明日旅に出る、と宣言してるじゃないか!!」
それでもなお、懸命に何かを叫んでいたが、不良達は結局無視することにした。お楽しみタイムが伸びてしまってさらにいらだちを見せていた。
わたしの顔に向かって顔面パンチを浴びせようとした時。
ギャアアアアアアアアアアアアアア
不意に不良が叫んだ。
突然、横から猫のような物が現れて顔面をひっかいたのである。
「きさまああああ何をするっ?」
そこに現れたのは彪姫 千代(
jb0742)。
なぜかフードを目深にかぶった上半身裸の男だった。
「大丈夫だ俊一。俺がお前を守ってやる。
だからお前はお前らしく胸を張って生きればいい」
見た目の危なさとは裏腹にその男はわたしに向かって頼もしく言い放った。
このヘンタイだれ? わたしの知り合い?
こんな不気味な奴は間違っても自分の知り合いじゃじゃないと思いたかったが、あいにく記憶喪失なのでまったく思い出せない。
それにしても金髪イカレタ野郎と合わせて、つくづく記憶喪失前のわたしはヘンタイのお友達が多かったようだ。なるほど……これなら気がふれてもおかしくない……。
だが、そんな悠長なことを言っている場合ではなかった。
怒った不良の仲間が一斉に殴りかかってきたのである。そのフードの怪しい男は爪を立てて突っ込んできた不良達に果敢に立ち向かった。
縦横無尽に走り回ってカウンター攻撃を繰り出す。鍛え抜かれた腹筋を見る限り、タダのヘンタイではなさそうだった。
しかし、いくら強いとはいえ、相手は数が多い。
瞬く間に数人に囲まれてサンドバック状態になって蹴られてしまう。
「俊一……? こんな所で何やってるんだ? 早く逃げろおおおおおお!!」
蹴られながら苦しい声でその男は叫んだ。
わたしはようやくそこで気が付いて逃げ出した。
だが、そうはさせないと追手が早くも食らいついてきた。猛スピードのチャリで金属バッドを手にして追いかけてくる。
誰か助けて――と思って、電柱を見上げたが、金髪野郎はまだそこで震えていた。
「そう、覚えてないかもしれない。これが全ての元凶かもしれない。ていうか黒歴史乙。でもさ、過去を捨てるなら、きっちり過去と決別するべきだと思うよ。ほら、今の世の中、同姓愛とか割と緩いし!」
駄目だ――こいつは何の役にも立たない。
きゃあああああああああああああ
よそ見をしてしまった瞬間、わたしは転んでしまった。
もう絶対絶命のピンチだ。
誰か、助けて王子様――わたしを早く。
わたしは祈った。
好きな少女漫画に出てくる王子様はこんな時に絶対やってくる。
しかし、現実は甘くなかった。
追いついてきた不良が金属バッドを持って振りかぶってくる。
もう駄目だ、わたしを目をつぶった時。
「俺の女に手を出すナアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
猛スピードで酒屋のバイクのエンジンが迫ってきた。不良が気が付いて振り向いた瞬間、バイクに乗った赤髪のイカツイ男が怒鳴り声を上げて迫ってくる。
暑苦しい風貌の男は一文字 紅蓮(
jb6616)。
何処からどう見ても不良の仲間にしか見えないが、これでも俊子を助けに来たのである。一瞬、不良は味方が来たのかと思って手を振った。
しかし、紅蓮はそのままバイクで突っ込んできた。
ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
不良はそのまま顔面を思いっ切り引かれた。
「としこおおおお、はやくわしの手につかまるんじゃああああ!」
強引にその男に手を掴まれてバイクに乗せられる。迫ってくる追手を次々とバイクで引き倒し、気が付いた時は二人で峠を攻めていた。
もう何が何だかわからなかった。
目の前には筋肉隆々のたくましい男。
なぜか、その瞬間、わたしはなつかしい気持ちに襲われていた。
初めて会ったはずなのに、どうして――?
「しっかし、可愛い格好しちょるもんじゃの。わしよりずっと似合うとる」
「――あなたはいったい誰?」
「お前はわしが幸せにしちゃると誓ったんじゃ。
わしの事をもう覚えちょらんかも知れんが、そんな事はどうでもええ。
俊……お前さんは幸せもんよ。居場所がなけりゃわしらがくれてやる。
もし、誰もおらん時は、わしが居場所になっちゃるけぇの」
紅蓮と名乗ったその男はそういうとアクセルを全開にした。
しっかりと振り回されないように彼の腰にしがみつく。男くさい野獣の匂いがしたが、何故かその匂いがたまらなく心地よかった。
もしかして、この人が運命の王子様なのだろうか――?
わたしは、いつまでもこうしていたいと思った。
この人と一緒にいつまで永遠に。
淡い恋を想った。
「あ、あぶなあああああい!!」
不意に目の前に車が飛び出してきた。
瞬間、バイクから弾き飛ばされた。
地面に激突する時、不意に紅蓮がわたしに覆いかぶさってきた。
――わしがおめぇを守ってやるからのぉ
その瞬間、わたしの目の前がブラックアウトした。
●
雪が降り続けている
駅のベンチに転がっている空き缶
まるで見捨てられたわたしのようだ
永遠に続く線路の先
新しい未来への扉が待っている
いじめられたりするのはもうごめんだった
わたしはヘンタイなの?
ミニスカートを履くのはそんなにヘンなこと?
クラスメイトの視線が耐えられなかった
もうこんな場所には居たくない
こんな場所に未練はなかった
しかし、どうしてこう胸が疼くのだろう
わからなかった
わたしには思い出が一切ないはずなのに
浅川俊一――改め、俊子は病室でうなされていた。ブリブリの可愛らしいリボンのついたネグリジェ姿である。もちろん下着はピンクの紐パンだ。
さらに胸元にはパットの入ったブラジャーを身についている。
何処からどう見ても女の子の姿である。
意外にも仕草や表情が女の子らしかった。
もっとも、彼にはごつい太股にすね毛が生えているのだが。
それさえなければ女の子として見られたかもしれないのに――。
不意に、その時誰かがドアを開けてそっとは入ってきた。一瞬、俊子がなにかに気が付いたのか寝返りをしたが結局眠ったままだった。
闇に紛れた雫(
ja1894)はほっと一息を吐いた。
バレなかったと安堵する。
深夜の時間を狙って病室に侵入してきたのだった。俊子がバイク事故で入院したという噂を聞いていてもたってもいられずやってきたのである。
幸い俊子は軽傷で済んでいた。
しかし、未だに一週間過ぎたにも拘わらず彼女は目覚めない。
医者の見立てでは――すでに目覚めてもよいはずだった。
よほどショックだったに違いない。
俊子をさらいに来た、バイクを運転していた彼はもう――。
雫は声を詰まらせた。思わずこみ上げてきた涙をそっとハンカチでぬぐう。感傷に浸っている場合ではない。
おそるおそる近づいて顔を覗き込んだ。
さすがの雫もその俊子の姿は強烈なものだった。
大の男が――気持ち悪い女装をしている。
しかもあろうことかそのヘンタイに淡い想いを抱いていたのだ。
思わず嘔吐しそうになったが、ぐっと堪える。
雫は音を立てないようにようやく俊子のベッドの脇に移動した。荒い息を立てながらうわ言でブツブツと何かに怯えている声を出している。
「俊子さんには判らないでしょうが、聞いて下さい」
雫はベッド脇で俊子を見下ろした。
俊子の笑顔は可愛らしかった。
彼に罪はない。ただ記憶が戻らないだけだ。
それに――
雫は言葉を呑みこんだ。
俊子の無邪気な顔をみて想いがこみ上げてくる。
「俊一さん、沙織さんから事情を聞きました。まずは、勘違いとは言え変態呼ばわりしてすみませんでした。
……なんだか、私が会い来る度に謝っている気がしますね。今回は、どんなに腹立たしい事があっても最後まで見届けます。
貴方が引きこもってしまう気持ちは何となくですが判ります。私もあの一件で引きこもりそうになりましたが、何だが負けた気がして何時もと時間帯はズレてですが、何時もと同じ日常を送っていましたよ」
不意に俊子が激しく寝返りを打った。
無意識に聞いているのかどうかわからないが、「くるしい……助けて」とかすかに、俊子ではなく、俊一の言葉が漏れてきた。
その言葉を聞いて雫はさらに顔を近づける。
「貴方も悔しくありませんか? なんの落ち度も無いのに、妙な事に巻き込まれて外に出られない状況に追い込まれて――。
貴方には怒る権利も反論する自由もあります。私を含めて関係者にその憤りをぶつけ返してはどうですか?」
雫は自分の想いをぶつけていた。
聞かれていなくてもいい。
これで最後になってもいい。
ただ――自分の想いを知っておいてほしかった。
つらい現実から目を背けずに、立ち向かってほしい。
もし、それができるなら私はここでいなくなってもいい。
雫は不意に笑った。熱いモノがこみ上げてきた。
サヨナラ――
もう言い残したことはない、そう思って背を向けた時。
「雫……俺はおまえが……」
不意にうわ言で俊子、いや俊一がつぶやいた。
雫は大きく目を見開いた。
「――すきだ」
その瞬間、雫はその場に崩れ墜ちた。
なんでこんな時にそんなことを――。
雫はその瞬間、俊子が眠るベッドに駆け戻っていた。うわ言をつぶやく苦しそうな姿を見てもう我慢が出来なかった。はやく元に戻って――
不意に俊子の顔を引き寄せて、口づけをした。
時間にしてわずかに数秒。しかし、永遠の時間のように思えた。
「……これ以上、貴方を苦しめる事は出来ません。
これで、貴方を忘れます……私のファーストキッスですよ」
そう言った時だった、不意に俊子の目が開いているのに気が付いた。
「しずく……おまえ?」
俊子は確かにそう言った。
雫は何も考えられなくなった。
気が付いたら何も言わず、病室を飛び出していた。
心臓がいつまでも鼓動を高鳴らせていた。
●
どうしてもっと早く気が付かなかった
いつも本心を見て見ぬふりをして
あの日もそうだった
遠い昔の過去の記憶
ブランコに乗って夕日が暮れるまで遊んだ
淡い幼馴染との記憶
名前も知らない可憐な少女
桜が散っても落ち葉が降っても雪が積もっても
俺達は幸せだった
しかし、永遠には続かなかった
最後の別れの日
好きな女の子に告白できなかった
ひどい裏切りをした
いつも後悔していた
もう一度会って謝りたい
あれからずっとそう思い続けていた
「俺は――どうしてこんな女装をしているんだ!」
眩しい日差しを受けて目を覚ますとそこは病室だった。ついに目が覚めたと、医者と沙織さんが喜んでいたが、俺は自分の格好を見て吐きそうになった。
ブリブリのピンクの紐パン、さらにパットのついたブラジャー。さらには三つ編みに編まれた長い髪にうっすらと濃い化粧が施されている。
これが自分かと思うと吐き気がした。
俺は、全ての記憶を取り戻していた。
自分が俊子であった、ことも全てである。
もうこの世からいなくなってしまいたい衝動に駆られていた。しかし、あまりに喜んでいる医者と沙織さんに向かってそんなことは流石に言えない。
俺はこの町を去ることに決めていた。
もう未練は何もなかった。
新しい人生をやり直す固い決意をした。それは記憶が戻ってからも変わらなかった。いろいろな人に迷惑を掛け過ぎた。それにもうこの町に用事はなかった。
ただ、ひとつだけ心残りがあった。
――俺はあの夜のことも覚えていた。
病室に入ってきた雫。
彼女が俺に向かってしたこと。
俺は唇を抑えた。まだあの感触が残っている。
最後、雫は泣いているように思えた。
彼女の御蔭で俺は記憶を取り戻すことが出来た。
バカみたいな失恋をして、人生に絶望していた俺を――ずっと心配してくれて、記憶がうしなってからも何とか助けようとしてくれた。
俺は彼女と向き合わなければならなかった。
退院し次の日の朝だった。
俺は早朝の神社の見回り当番に来ているはずの雫を探しに行った。神社の境内を見に行ったが、まだ雫の姿は見当たらなかった。出直すかと思った時。
「俊一、元気になったか」
その声は、間違いなく千代だった。境内に集まった猫に餌をやっている。
相変わらずフードを目深にかぶっている。
上半身肌の逞しい体つきをしていた。不意に想いでが蘇ってくる。一緒に朝まで語りあって汗を掻きながらベッドで一緒に寝たことをだ。
「俺達、また一緒に暮らせるよな」
千代は俺にすり寄ってきた。
逞しい腰に手をまわして俺は彼の腹筋を優しく撫でる。
まるで親密な恋人同士のような神聖な儀式だった。
そうやっていつまでも一緒にいたい錯覚に陥ってしまう。
千代と俺は大切なものを失ってしまった。
いつも俺達のことを見守っていた存在。
うっとうしいと思った時もあったが、それは全部俺のことを思っての行動だったのだと今更ながらに思ってしまう。
まさか、この世からいなくなるなんて思ってもみなかった。
なにも最後に言えなかった。
お別れの言葉もできずに。
不思議と涙は出てこなかった。
心の中がぽっかりと空いたような虚無感だった。
あいつ、なんでいなくなるんだよ。奴との最後の言葉が蘇ってくる。
俺は沙織さんから「そのこと」を知ってから人生が空しくなった。
最後の最後まで俺を助けようしてくれた。
それなのに、俺は全部裏切った。
何もお返しすることもできないまま――あいつはいってしまった。
もう二度と話すこともできない。
「すまん、俺……」
「いいんだ、そんな気はしていた」
俺が言いかけて、すぐに千代が遮った。
俊子でも俊一でも構わない
どちらも俊一であることには変わりが無い
俊一が幸せになる事が大事
その為に自分が邪魔であるなら喜んで身を引く
そうすれば自分も変われると信じている
千代は自分の想いを語った。
静かにそしてはっきりと。
そこには俺と同じように引きこもっていたひ弱な姿はどこにもない。
まっすぐに前だけを見ていた。
「引きこもりーズは永遠に裏切らない。いつでもつらくなったら、帰ってきてくれ。俺は傷ついたお前の羽を優しく受け止めてやるから――」
「ありがとう、千代」
俺はもう振り返らなかった。
千代も俺と同様に悲しみを乗り越えようとしていた。正直、俺も寂しかった。しかし、ここで一緒になることはあいつへの裏切りにもなる。
同情で愛すのはよくない。俺はもう前だけを見ていた。
後ろで奴が泣いているのがわかったからだ。
不意に誰かの声がした。
振り返ると、雫の姿が目に入った。
「はっ……、っつ!?」
俺の姿をみるなり、雫は絶句した。
無理もなかった。
「雫……俺はおまえに言いたいことがある」
どうしても言っておきたいことがあった。
絶対に確かめたいことだった。
「あの夜のこと……本当か?」
「わっ……忘れなさい!」
雫は慌てたように声を荒げた。
だが、俺は誤魔化さなかった。次の瞬間、俺は彼女を思いっ切り抱きしめていた。最初は抵抗していた彼女だったが、不意に大人しくなる。
雫の顔が上気していた。
俺はもう迷わなかった。二度と離したくない。
「雫……好きだ。俺と一緒に来てくれないか?」
俺は用意してきた自転車の後部座席に雫を乗せた。
もうすぐ夜明けだった。彼女と一緒に始発の電車に乗って、知らない町に行くつもりだった。そこで誰もしらない場所で二人きりで過ごす。
雫が背中に頭を預けてきた。
俺は自転車のペダルをこぐ足を速めた。
どんどんこの町の景色がうしろへと流れていく。
まるで辛いこの町の想いでを振り切るようにして――。
●
俺達はずっと、自転車に乗っていた。
冷たい夜の中を未来に向かって突き進んで行く。途中で雫が寒いというので、すぐ傍にあった小さな神社で降りて、俺の着ていたコートを着せてやった。
雫は嬉しそうな顔をした。幸せだった。
ずっとこうしていたい。未来ずっと雫の笑顔を見ていたかった。
もうすでに夜明けが迫っていた。
日の出が近づいている。
俺は買ってきた缶コーヒーを雫に渡した。
昼間はだいぶ暖かくなってきたが、まだ夜は寒かった。二人の吐く息が真っ白だ。しばらく俺達は将来のことについて語った。
どこに住みたいとか、何をしたいとか、どんな家庭を持ちたいとかそんなたわいもないことだ。
だが、全く具体性がなかった。
まるで夢のように現実感がなかった。
それでも俺達は――未来を信じて生きていきたい。
自転車をこいていると、目の前に小さな駅が見えてきた。
すでに始発の電車が到着していた。
いよいよこの町ともさよならの時がやってきた。
自転車を乗り捨てて早速切符を買ってホーム入る。その時、ホームの先の地平線から太陽が登ってきた。眩しい太陽に一瞬包まれる。
「――浅川、元気じゃったか」
不意に、そこに誰かかが立っていた。
俺はその瞬間、あまりに驚いて声が出せなかった。
ホームにたっていたのは――間違いなく、紅蓮だった。
「どうして、おまえがここにいるんだ!?
――というか、おまえ、事故で死んだんじゃなかったのかよ!?」
有り得なかった。どうしてお前がいるんだよ!
驚きすぎて心臓が飛び出しそうになった。
「どうして、って――いや、わしが死ぬわけないじゃろ」
「あれは嘘だったのか!?
たしかに沙織さんから、あなたの大切なお友達がいなくなったって聞いたぞ!?」
「ああ、あの娘のことか、なんかまた外国に引っ越したらしいぞ」
「――その話のことだったのか!!!!? まぎらわしいいいいいいぞ!!」
俺はもう突っ込み過ぎておかしくなっていた。
そういえば、今回見かけいないなあと思ったらそういうオチかよ!
だが、俺は嬉しかった。
死んだと思っていたこいつに会えて。
「そういえば、おまえ、どうしてまだ女装してるんだ?」
俺は気になっていたことを訊いた。
紅蓮はブリブリのミニスカにツインテールをしていた。真っ赤な唇のルージュをつけて、手にはあの子供の頃の写真を持っている。
「いや、その、似合っているか?」
そういって内股を擦りつける紅蓮が愛おしかった。
すでに電車が出発する合図が鳴った。
もう別れの時間が来ていた。「それじゃ、元気でな――」と、紅蓮が背を向けようとした時だった。
「――やっぱり、私いけません」
きっぱりと雫は言った。
さすがにもう、雫は分かっていたようだ。
俺の本気の恋心を――。
電車のドアが閉まって、ホームに立った雫が手を振っていた。
彼女は最後までずっと手を振り続けていた。なぜか、そこに見なれたあのイカレタ野郎も一緒に来ていた。リコーダーを吹いて何やら祝福している。
俺のハッピーエンドを盛大に祝っていた。
よく見ると、沙織さんそれに千代の姿もやってきた。
みんな俺の見送りにやってきたんだ。
俺は嬉しかった。そして、悲しかった。
自然と溢れる涙が止まらない。
出会いと別れを俺はこの町で学んだ。
もうこの町に帰ってくることは二度とないだろう。
だけど、俺は後悔しない。
俺には、最愛のコイツがいるから――。
「浅川、お前の記憶を取り戻す」
不意に化粧したごつい顔が迫ってきた。
――涙のキッス。
いつまでもその時間を味わっていた。
永遠の時間。
「――どうだ、記憶は戻ったか?」
紅蓮は、そう問いかけてきた。実は記憶はとうの昔に戻っていたが、紅蓮は気が付いていないようだった。俺はそのごつい顔をみて全く抵抗できなかった。
「この責任取ってくれる?」
「責任はとるわい。わしも男じゃけんの」
俺は紅蓮の体に抱きついた。
しっかりと両手に回して先ほどの続きを繰り返す。
もう迷わない。
だって大好きなお前がいるから。
女装男子たちは、乗客に引かれながらも気にせず、いつまでも愛を確かめあった。
「俺、ドイツに行ってバイオリン職人になりたいんだ、付いてきてくれるか?」
「ああ、いいとも、地獄の果てまでついていってやる」
「結婚しよう、紅蓮」
誰に非難されても、誰にも俺達は咎められない。
真実の愛はいつも一つ。
(TRUE LOVE END)