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「いや、離してっ! だれか助けてぇっ!!」
艶やかな菊柄の着物を付けた神雷(
jb6374)が悲鳴を上げた。周りには悪人の形相をした恰幅のよい悪辣たちが不敵な笑みを浮かべて取り巻いている。
茶菓子屋の店娘がまさに攫われようとしていた。店内に居る客達は誰もが怖がって娘を助けにいこうとしない。それもそのはず、後ろには不気味な用心棒がいたからだ。
修羅の如き――寡黙な男の剣の腕は超一流だ。
素人ではとても手は出せない。それをいいことに用心棒の手下たちは店内の食器を割ったり、主人を蹴りとばしたりと好き放題に暴れる。
「越後屋の旦那、どうやら茶菓子屋でひと騒動もめてるらしいぜ」
行商人の男が狩野 峰雪(
ja0345)に耳打ちをした。渋い藍染の服を着た呉服店の店主に身を纏った峰雪は厳しい表情で近くの茶菓子屋の方を睨む。
「越後屋、お主も悪よのう」
「いや、違う……今回はその役じゃなくて」
行商人の冗談に冷や汗をかく峰雪。
実は、彼は裏の顔が幕府の放った密偵だった――今回はそういう設定である。
近頃あの悪名高い代官と高利貸しの旦那が裏で悪だくみをしているとの噂を耳にした。その証拠を掴むために近くの呉服店に潜入して様子を伺っていたのである。
店娘が強引に店から引っ張られて連れ去られようとしていた。茶菓子屋の向かいの通りで様子を伺っているのは芸子に扮したアサニエル(
jb5431)だった。
簪を挿して大きな島田の鬘を被ってお歯黒をして化粧を施している。見た目は長身の派手な美貌を持つ芸子そのものだった。本来であれば、通りの誰もが振り返る程の派手さだったが、今は幸いにして茶菓子屋の騒動に人々の注意が逸れていた。
このままでは店娘の神雷が連れ去られてしまう。アサニエルと峰吉はそれぞれ服の袖に密かに手をやって構えた。峰雪の方は袖にピストルを忍ばせていた。
長崎に通商に行った先に極秘で買い求めた西洋式の銃である。だが、これを昼間からぶっ放してしまえば辺りの騒ぎが大きくなってしまう。
どうすればいいのか思案している時だった。
「てめぇらそこをどけえ、張り倒されたくなければな」
その時、人ごみの中から一人の破落戸が姿を露わした。ボロボロの鼠色の麻の着物を付けたファーフナー(
jb7826)の登場に用心棒達が警戒心を強めた。
どう見てもガイジンだった。だが、特殊メイクの美術係の人にそこをなんとかと拝み倒していっちょまえの破落戸にしてもらっていたのである。
敵に負けず劣らずの筋肉質な体つき。いかつい目つきと表情をしたまるで悪人のような男がやってきたのだから当然である。
「そこの嬢ちゃんを離してもらおうか。間抜けな袋鼠ども」
「なんだと貴様、誰に向かって口を聞いているんだ! やっちまうまうぞ!!」
用心棒の手下とファーフナーがにらみ合いになった。
「俺はな、今機嫌がわりぃんだ。昼間から自堕落に酒を飲んでいい気分になっていたところをよくも騒動でぶち壊しにしてくれたな。野暮な奴らだ」
腹を立てたファーフナーがついに拳を振り上げる。だが、ひどく酔っていた彼は見当違いの場所を狙ってしまった。そのまま台所の食器棚に体を突っ込んでしまう。
びっくりした手下たちは神雷の手を取ったまま裏口から逃げ出した。用心棒はファーフナーが追撃してこないか睨んだが、彼はそのままどうやらぐっすり寝てしまったようだった。しばらくして様子を見た後、颯爽と手下たちを追いかけて出て行く。
逃げて行く敵の姿を垣根の上から黒装束を纏った静馬 源一(
jb2368)と、蓑笠を深く被って顔を隠して謎の男に扮したラファル A ユーティライネン(
jb4620)が見つめていた。一人は忍者であろうが――もう一人の正体はいったい果たして。
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「いやあ、上手い酒ですね。どうですか、お代官様に旦那様も。
今宵は素晴らしい肴を用意してありますよ」
代官の広いお屋敷で宴が繰り広げられていた。豪華な食事に色鮮やかな芸子達が舞踊をして接待を努めている。
三味線を持った芸子が高利貸しの旦那に美貌を気に入られて傍に侍らされている。
そこへ使用人の男が入ってきたのだった。
彼は酒の肴だと言って茶菓子屋で拉致してきた神雷を連れてきたのである。
悪代官が初心そうな娘の神雷を見て舌を舐めた。すでに怪しく手が空中で動いている。その様子を見た高利貸しの旦那が目で合図をした。強引に神雷を引っ張って障子を開いて廊下へ出て行こうとする。代官はまるで急ぐように寝室に彼女を連れ込んだ。
すでに蒲団が敷いてあり、神雷を思いっきりそこへと倒そうとする。
「こ、こないで!! いやぁぁぁぁぁっ!!」
ノリノリの演技で神雷は思いっきり声を張り上げる。
布団の上で腰を抜かした様にへたり込みながら、涙を必死に浮かべる。
もう演技は要りませんか? いや、もう少し楽しみます!
折角の時代劇なので神雷はいやいやをして逆に代官を誘い込んだ。
代官は不意にうすら笑いを浮かべると彼女の帯を取る。
力づよく帯を引っ張り始めてこれには余裕をかましていた神雷も慌てた。
「あ、ちょっと――まって、ってば、ああああああああああ〜〜〜〜れえええええええええええええええええええええええええええええ」
くるくると回りながら部屋の中で帯を解かれていく。
恒例の視聴者サービスである。
これには堪らずに神雷は助けを求めて天井を見上げた。梁の後ろにはいつの間にか侵入していた黒装束の源一の姿があった。
「わふ! 正義の忍者・源一。ここに参上で御座る! にんにん!」
源一が壁を伝い走りながら敵に目がけて一気に降りてくる。顔を上げたのと同時に、悪代官は脳髄に思い一撃を食らわされた。声にならぬ叫び声をあげて倒れこむ。
騒ぎを聞きつけた部下たちが「何者だ!」と侵入しきた。
トドメを刺そうとしたが、邪魔が入ってしまって舌打ちをする。
それでも源一は「わふ!」とすこぶる謎のわんこのポーズ?をかます。
部下たちに襲いかかった。次々に手刀が決まって倒れて行く。
もっとも彼らは普通のエキストラなので――演技で倒れていただけだったが。
その間に悪代官が身を起そうとしていた。気が付いた神雷がそうはさせまいと「えっ」と天井を指さした。不意に釣られてディアボロも上を見る。
不意に低い体勢から神雷は髪から簪を抜き取って突き刺す。
瞬間、悪代官の脇に鋭い簪が食いこんでいた。
しまったという恨めしい表情で悪代官が上目づかいを寄こしてくる。
「邪剣で申し訳ありません。正攻法では厄介そうなのでね」
両手をあげながら苦しみもがくように白眼を剥いて徐々に力を失くしていく。
悪代官が血で真っ赤に染まる布団に倒れ込んだ。
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「お代官様の――寝室で何やら悲鳴が。どうやら曲者が侵入したようです」
使用人の男の報告に高利貸しの旦那は顔を真っ青にした。侍らせていた芸子を跳ねのけて傍に立て懸けてあった長刀をとろうとする。
後ろを振り向いたその時――部屋の中で銃声が鳴り響いた。
背中の着物が瞬く間に酷く血で染められていく。
発砲をしたのは使用人の男だった。
信じられないという表情をして旦那は振り向いた。
「悪戯がすぎたようですね。観念してお縄につかまってください」
西洋式のピストルを持ったのは呉服屋の旦那である峰雪だった。使用人の男に扮して今の今までディアボロ達を欺いていたのである。
悔しそうに歯ぎしりした旦那は傍に居た芸子の女を人質に取った。
「きゃああ、誰か、誰かたすけておくんなましー」
艶めかしい生足をべたべた触るように旦那が不敵な笑みを浮かべる。剣を女の首筋に当てて人質を取って勝ち誇った笑みを浮かべた。
銃をすてなければ女を撃つというしぐさを見せる。
思わぬ形勢逆転に峰雪も舌打ちをした。
仕方なくピストルを敵の方へ向って放り投げようとしたその時。
「――やれやれ、どうにも敵も酔狂でいけないね」
不意に捕まっていた芸子の女が溜息を吐きながら呟いた。逃げようとした瞬間に、隠し持っていた鎖で足元を救われた。雁字搦めにされて身動きが取れなくなる。
芸子の女は紛れもなくアサニエルだった。
峰雪と共に夜になって屋敷に密かに扮装して潜入していたのである。
悪事を見届けた彼女はついに本性を露わにした。
「今まで散々徴収してきたんだろ。今度はそれが逆になるだけさね」
助けを乞うまなざしの旦那に至近距離から槍が放たれて太った脇腹に食い込んでいく。峰雪もピストルを狙い打って見事に額を撃ち抜いた。
ぐったりと体を丸めて前方へと旦那は突っ伏してしまう。
その姿はまるで血の海の中で自分の汚れた血を吸っているようにも見えた。
「お代官様と高利貸しの旦那が何者かに襲われたぞ!」
屋敷中がすでに大騒ぎになっていた。警戒に当たっていた部下たちが騒ぎを嗅ぎつけて庭に躍り出てきていた。そこへ飲みながら遅れててやってきたのは一人の男。
「貴様は昼間のゴロツキ! よくものけのけとやってきたな」
部下の男たちはファーフナーを見て叫んだ。ちなみに遅れてきたのは、飲んで今の今まで寝ていたからである。悪酔いをしていて寝覚めが悪かった。
忍び込むのはしゃらくせえと、表の玄関戸を破壊してやってきたのである。
あまりの衝撃音にだれも気がついて飛び出してきた。部下の前に立つのは昼間の時に鋭い眼光で威圧感を放っていた用心棒だった。
脇から刀を抜いて舌で舐めとってファーフナーに笑みを浮かべる。
その瞬間、足を踏み出して刀で襲いかかってきた。あまりの早い剣先にファーフナーはおされぎみになって壁に激突してしまう。
周りを部下たちに囲まれて思うように攻撃できなかった。
派手にやれば普通のエキストラを巻き添えにしてしまう。ストイックに仕事をこなす男にとってもっとも厄介な状況だった。瞬く間に傷が増えて行く。
両手で構えて防御に徹していたが、そろそろ限界に近付いていた。ようやく敵の武器を掴み取ったファーフナーは一気に拳にアウルの力を貯めた。
全ての持てる力を発散させるように電流を流しこんで攻撃する。頭に武器をたたきつけられた用心棒はその場に倒れ込みそうになった。だが、そこへ普通の部下たちが邪魔に入って来てファーフナーはトドメを刺すことができない。
その隙に用心棒は庭先へと部下に連れられて逃げて行く。
電流攻撃で用が足したくなった用心棒が不意に厠に行こうとした時だ。
「一つ人の世の魂をすすり、二つ不埒な悪行三昧、三つ皆の楽しみを奪って平気の平左♪」
暗闇の中から不気味な声が聞こえてきた。
「何奴!」と部下の一人が震えながら声を荒げる。
まるで幽霊が出たような雰囲気に怖くなった部下たちはその場を逃げ出した。残った用心棒が厠から違和感を覚えて外に出てきた。
そこにいたのは同心与力の服装をまとった謎の男、ラファル。
用心棒が脇差に手を掛けたその時――
胸元に何かが刺さっていた。
自分のものではない、相手の剣先が。
「おいたが過ぎたな。魔界に帰んな」
用心棒が顔を上げようとした瞬間、ブスッとさらに奥を抉られる。
笠の下から鬼の形相のラフアァルが口を真一文字に固めて力を入れていた。
うわ言を囁くかのように膝から用心棒は倒れこむ。
さっと刀を引いて何事もなかったかのように必殺刺事人は用事を終えた。
鮮やかな瞬間の出来事であった。剣の達人のなせる技である。
「御用だ、御用だ、みんな捕えろ!」
騒ぎを聞きつけてどこからか提灯を持った幕府の役人たちがやってくる。長い居は無用とばかりに必殺刺事人たちは急いで屋敷を後にした。
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「これってテレビで放送されますか?
何時の放送ですか?」
撮影が終わるや否や神雷が嬉しそうに監督に詰め寄った。
見事にディアボロを誰にも気づかれずに暗殺したのである。撃退士達はお互いに安堵の表情を浮かべた。そうとも知らないエキストラは不思議そうな顔をしている。
「ハアイ、ちょっとそこ! ファーフナーくん、駄目だよ、カツラがズレてるじゃないか、やり直しだよ、リテイク、リテイク!!」
無事に撮影が終了したと思ったその時だった。
監督が黄色いメガホンを持って怒鳴った。
撮影の最中に途中でファーフナーのカツラが激しい戦闘でズレてしまったのである。酔っていたあまりに転んで思いっきりヅラがズレてしまった。
ストイックを目指す彼にとって中途半端は絶対に許せないことである。
彼は真剣だった。どんな仕事でもストイックにこなす男。
たとえディアボロは倒しても撮影が駄目なら意味はない。
こうして撮影はもう一回撮り直しになったのである。
「やれやれ、ともあれ、印籠出さなくてよかったのが救いだね」
肩をすくめながらアサニエルが呟いた。
つきあいきれぬとラファルや源一たちは自分の役に満足してしまってすでに一足先に帰ってしまっていた。ただ一人遅くまで演技指導をみっちり受けるファーフナー。
ストイックにこなす姿に監督から男気があると称賛される始末。
「こいつは見込みがある。次世代を担う時代劇のスターになるやもしれん」
このあと、ファーフナーはなぜか監督から妙に気に入られてしまい、時代劇の次の作品のオファーを熱心に勧誘されてしまった……。