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広げられた地図にいくつもの線が走る。
合わせて飛び交う、いくかの意見。
ようやく進行ルートが決まり、撃退士たちは装備品の最終チェックを始めた。
「無駄にしない為にも、準備はしっかりとしておかないとね」
ひとつひとつ指差しながら、高峰 彩香(
ja5000)が必要なものが揃っているかを確認していく。
他の者も入念に準備を進めて、遂に完了。
「‥‥それじゃ、さくっと落とし物の回収してこようか」
「死者が遺志を託すことができるのは、生者にだけ。引き受けた以上は必ずや学園へ持ち帰ってみせましょう」
ユウ(
ja0591)と、牧野 穂鳥(
ja2029)が立ち上がって視線を交わす。
「‥‥それじゃホトリ、がんばって」
「お気を付けて」
呑気に手を振るユウに対して、穂鳥はどうしても不安が拭えない。
「む……りよくない、でき……こちらまかせろ」
声を掛けてきたのは、カイン 大澤 (
ja8514)だ。
まだ幼いながらも仲間を安心させようとしているのだろう。
「‥‥そっちも無理はしないようにね」
応えながらSDカードの回収を担当することになった、ユウ、糸魚 小舟(
ja4477)、彩香の三人は山に入っていく。
「さて、俺たちも行くとしよう」
次いで、天野 声(
ja7513)の呼び掛けに、陽動を担当する五人も動き出す。
カインはその最後尾に付きながら、
(どいつもこいつも、死んだ人間の意志だの魂だの抜かしやがって、そんなこと言ったって死人はなんにも感じねえよ)
周りとは合致しない意見を胸の中で飲み込む。
そして、大きく広がる山々を見据えて歩き始めた。
撃退士たちが山に入って、まず感じたことは不自然なまでの静けさであった。
まるで山全体がサーバントの侵入に怯えているようで……。
(でも、敵の接近を知るには好都合ね……)
黒椿 楓(
ja8601)は目を閉じて耳を澄ますと、それらしい物音が聞こえてこないかと意識を集中する。
しばらくして安全を確認すると、仲間に合図を送って、穂鳥が目星をつけた場所へと移動を始めた。
(SDカードに真実がある……。彼らの思いを繋ぐためにも、手に入れないとね……)
そのためにも、ここでつまずくわけには行かない。
注意深く進むこと、約5分。
銀狐と遭遇することなく、囮班は目的の場所へとたどり着いた。
見渡せば、十分に開けた場所で――ここなら草木の陰から奇襲を受ける心配もないだろう。
「アンテナも立つようですね」
次いでひと安心と、穂鳥が携帯を見て安堵の息をはく。
山の中ということもあって電波の状態はお世辞にも良いとはいえない。
借り受けた衛星携帯電話は当然のことながら、回収班が持っている。
ゆえにこの場所に電波が届いたのは本当に運が良かった。
「なら……」
と、ここでカインが自分の手に噛み付いた。
突然のことに他の撃退士は目を見張るが、カインは口に含んだ血を木々に吹き付け、
「これで……敵来る……」
発した言葉と行動に、その意図は理解できた。
「そんなことをしなくても誘き出す方法はちゃんとあるから」
声はカインの行動をやんわりと制して、すぅーっと息を吸い込む。
(俺は俺の仕事をするだけだな)
そして、発せられた強烈な叫びが、静かだった森に騒ぎを起こし、鳥や獣の鳴き声が無数に響く。
「いい感じですね」
これなら充分に銀狐の耳に入ったでしょうと、穂鳥はうなずき、自らも魔法を行使する。
「目立たないと。敵をできるだけこちらに呼び寄せる……!」
放たれた魔法が爆散し、大量の音と火花を散らす。
もう充分なほどに騒ぎは起こした。
撃退士は迎撃の体勢を取って、出方をうかがう。
(さて、どうくる……?)
明郷 玄哉(
ja1261)が片刃の曲刀を抜き放ち、仲間たちより一歩前に出る。
目の前の森から物音がしたのはその直後だ……。
囮班が起こしたと思われる大きな音に、山がにわかに騒がしくなった。
鳥や獣たちの声がして、何かが動いているような物音が聞こえてくる。
(向かっているのかな……)
彩香は音がした方に注意を向け、息を潜めたまま、通り過ぎるのを待つ。
他の二人も同様に。
回収班の三人は、迷彩を施した衣服を着て、それぞれに匂いを消すための処理も行なっている。
対策は充分なはずだ……。
そうして待つこと、約5分。
周りから物音がしなくなったことを確認して三人は動き出した。
「囮班の所に全部の敵が行っててくれれば遭遇する可能性はなくなる訳だけど……」
「……代わりに厄介なことになってそう」
彩香と、ユウが小声で現状を確認。
「そのためにも迅速に進みましょう」
言って、小舟は遁甲の術を使うと、先頭に立って山を登り始める。
(………必ず……、回収して届けます……)
そうして、三人は山の奥へと進んでいく。
●
騒ぎ出した獣たちに、囮班は警戒を密にした。
鋭敏聴覚のスキルを使って、楓は目を閉じたまま、騒がしい場所の音を拾い集める。
「風の音……。鳥たちのざわめき……」
そして、一拍の間を置いて目を開く。
「来ます」
短い警告に、全員が得物を構える。
山頂に向かって半円を組むように陣形を整え、それぞれが正面の茂みを真っ直ぐに見据える。
揺れる茂みの先――銀の一片が見えたところに、
「そこ」
楓の放った矢が飛来する。
目標に届いた瞬間、茂みから銀の獣が飛び出した。
その数、4体。
「容易く接近などさせません」
穂鳥の手の動きに合わせて雷が走り、銀狐を撃つ。
直撃を受けて1体が大きくスピードを落とし、
「こいよ……お前ら風情の邪魔、できなきゃ、あいつを守り続けてやることなんてできねぇ!」
「いかせない……これがしごとだ」
残る3体には、玄哉と、カインが前に出て壁となる。
突進の勢いを殺そうと二人の突き出した剣が、銀狐と交錯。銀狐は手傷を負いながらも、勢いのままに飛び掛かり、二人に伸し掛って獰猛な牙をむいた。
咄嗟に体勢を変えてそれを受け流すが、残る1体が間隙を突いて二人の間を駆け抜ける。
が、ふっとサイドステップで割り込む影。
「――と、これが今回の俺の仕事ね。そんじゃ自分の配役を全うするとしますか」
声の大鎌が銀狐の腹を刈る。
深く傷をつけられた銀狐は睨むように、声を見た。そこにちょうど大鎌が再び大きく弧を描く。
しかし、振るった一撃は姿勢を低くした銀狐の上を通過。
同時に攻守が入れ替わる。
伸び上がるように銀狐は飛び掛って――真横から飛んできた矢がそれをインターセプト。
「素早い相手には、按兵不動……、みだりに動くべからず……かしら……」
楓が次の矢を番えているうちに射抜かれた銀狐はそのまま動きを止める。
同様に、穂鳥の轟蕾閃を受けて、また1体が倒れていく。
(こういう予想はされていたけど……、この敵は強くない……?)
けれど、穂鳥はそこから嫌な予感を覚える。
そして、それは直ぐさま現実へと……。
「なるほど、個体としては強くないが群れることによってそれを補っているのか」
声の視線の先には茂みから姿を見せる4体の新たな銀狐の姿が。
「どうしたものかな?」
「まずいことに違いないが、簡単に退くわけにも行かねぇだろう」
言って、玄哉が剣を構え直す。
息を吸い込み、向かってくる銀狐に衝撃波を放ち、
「しごとは……はたす」
隣に立っていた、カインが側面から強襲をかけた銀狐を迎撃する。
そんな二人に穂鳥から風の守りが付与されるも、
戦いは苛烈さを増していくばかり。
時間を置くごとに数を増す銀狐。
撃退士は、激しい打ち込みに、強力な魔法、そして的確な射撃で対抗する。
だが、休息する時間もなく。
やがてリソースは大きく削られ。
そうして、稼いだ時間は幾ばくか……。
(少しでも、回収班の……、負担と危険を、減らさなければ)
穂鳥の走らせた雷光がまた1体を打ち倒す。
しかし、これでスキルの残量も尽きてしまった。
おそらく他の仲間も同じような状況だろう……。
(まずいな……)
そっと、玄哉は仲間の様子をうかがうが、玄哉を含め壁役となってきた、声と、カインの傷も深くなっている。
「くそ……仕方ねぇ、退くぞ!」
迫ってきた銀狐を切り伏せ、玄哉が叫んだ。
逡巡する者も居たが、
「命を懸けて遺したって……死んじまったら意味ねぇだろうが……」
続いた独白に、意を決する。
そして、方針が決まれば撃退士の動きは迅速であった。
「しんがりは……まかせろ」
カインはそう言って殿につくと追いすがってくる銀狐には目もくれず、手近な木に渾身の一撃を叩き込む。
ぐらりと倒れてくる木を時間稼ぎに。
されども、追いすがってくる銀狐は執拗に牙をむくのであった……。
「……ダメです。連絡がつきません」
衛星携帯電話を耳元から離し、小舟がゆっくりと首を横に振った。
「考えられるのは今も戦闘中か……」
「‥‥もしくは連絡が取れない状況にあるか」
彩香と、ユウのつぶやきが重く残る。
出来る限り急いだとはいえ、身を潜めながらだ。カードを回収するまでに30分が経過している。
その上で考えると、現在も連絡が取れないというのは良い状況ではない。
「カードは無事に回収しましたし、麓へ届けましょう……」
かといって、ここに留まることも出来ない。
小舟の言葉に、他の二人から肯定が示される。
こうして、回収班は予定のコースで山を降り始めた。
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登ったときと同じように遁甲の術を使用した、小舟が先行して安全を確かめていく。
しかし、緊張は先ほどの比ではない。
仲間たちが陽動をかけていた音は聞こえなくなって久しく、もし敵と遭遇すれば回収班だけで対処しなければならない。
(これで半分くらい……)
慎重になるがゆえに、歩みは更に遅くなっている。
焦りを振り払おうと、小舟が息を吸い込んだところに、視界の隅を銀のきらめきがよぎった。
(……っ)
慌てて、後続に止まるようサインを送る。
息を潜めて通り過ぎるのを待つが、銀狼たちは周囲を警戒するように動いていた。
囮班の影響だろうか……?
いずれにしてもやり過ごすのは難しく思える。
小舟が後ろを見れば、ユウと、彩香は既に覚悟を決めたのか、返ってきたのは短いうなずき。
そして、動き出そうとしたところで、衛星携帯電話が震え始めた。
(こんなときに……?!)
慌てて、小舟が止める。
その間にも他の二人は動き出し――突如として、銀狐の周りに氷の世界が現れた。
「‥‥そろそろ涼しい季節が恋しくない? 幻冬・氷霜天」
ユウが生み出したそれに銀狐が成すすべもなく捕らわれると、
「あんまり相手してられないからね。いなくなってもらうよ」
今度は、彩香が手甲から炎の如き衝撃波を走らせる。
範囲攻撃の二連発を受け、かろうじて生き残った銀狐には、小舟が走り寄って苦無で止めを刺した。
この間、3秒足らず。
不意打ちで近くの銀狐を倒した三人は近付いてくる気配を感じて一目散に駆け出した。
「後ろから3体」
彩香の警告。
「‥‥なら、いくよ、幻槍・イヅクヒノヤリ」
すぐさま、ユウが氷の槍を放つ。
直撃だ――されど、銀狐の足は止まらない。
ユウと、彩香が魔法と銃弾で迎撃を試みても有効打にはほど遠く、着実に間合いが詰まってきている。
「‥‥こうなったら仕方ない。先に行って」
「ちゃんと後から追いつくからね」
二人の言葉に、小舟は表情を歪めながらも足を速める。
そう、彼女は最高の機動力を誇る鬼道忍軍であり、スキルで移動力も上げている。
銀狐といえども追いつくのは至難の技だ。
踏み出す足を強めて、加速する。
茂みを掻き分け記憶している最短コースを駆け下りる。
背後からは戦闘音が。
すべてを振り払うように前を見て――
「‥‥しつこいのは嫌い」
迫ってきた銀狐を、ユウが逆に白銀の槍で貫いた。
だが、その後ろから更に新手が、
「そうはさせないよっ!」
紫電一閃。
彩香の手甲が風を纏ってそれを阻む。
そして、二人はすぐさま踵を返して必死になって麓を目指す。
どこから敵が現れるか分からないこの状況において、生き残るためには下山するしかない。
「‥‥けど、難しい」
振り返れば、また1体増えている。
やはり突破は難しいか……。
「全滅した調査隊もこんなだったのかな」
言って歯がゆい。
ほとんど同じような状況になるなんて……。
「させねぇよ!」
言葉と共に視界に飛び込んできたのは、玄哉だ。
いや、それだけではない。
穂鳥に、声、カイン、楓、更には先に逃げていた小舟の姿もある。
「どうやら間に合ったようだね」
声は二人の姿を見て安堵の笑みを浮かべると、そのまま銀狐に向かい駆け抜ける。
続いて、カインと、小舟も。
更に、穂鳥の魔法と、楓の放った矢も銀狐へと向かう。
振り返って戦況を見れば、もう逆転していた。
「強くなるって誓った。アイツのためにも、俺のためにも! だから手前らなんかに負けられるか!」
玄哉の放った渾身のスマッシュが銀狐を切り伏せる。
穂鳥の魔法が更に一体を蹴散らし。
それに、ユウと、彩香も加わると――瞬く間に戦いは終わりを迎えた。
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「ユウ先輩、大丈夫ですか?」
「‥‥うん、それよりどいうことか説明して」
ユウが、穂鳥に説明を求める。が、事の顛末はいささか芳しくないものであった。
迫る銀狐の群れに耐え切れなくなった囮班は撤退し、追いすがる銀狐を振り払いながら下山した。
そこで駆けつけてきた他の撃退士から支援を受け、追ってきた銀狐を撃退。
今度は回収班を支援するべく、予定ルートに囮班が、最短ルートに応援の撃退士が回って救援に来たというわけだ。
先ほどの衛星携帯電話への着信もそれに絡んだものだったのだろう。
「ちょっとお粗末な展開にはなりましたが、カードは回収したし、成功は成功だね」
「‥‥結果よければすべて良し」
「まあ、次はスマートに行きたいですけどね」
「‥‥‥おつかれさま‥‥飲む?」
「もう、ユウ先輩ったら」
そう言って苦笑する撃退士たち。
彼らの物語はまだまだ始まったばかりである――