●
2月某日。それは久遠ヶ原島内で起こった出来事である。
興奮する友人に手を引かれカタリナ(
ja5119)は急ぎ現場へと向かっていた。
友人は彼女にこう言った。「made Servant!《サーバントが作られた》」と。
駆けるカタリナ、そして見える群衆。人垣をかき分け彼女は一際広いところへと飛び出した。
「――これは」
大勢のメイドが、これまた大勢の人々と戦っている光景。
見れば撃退士だけでなく一般人と思われる人もメイドと戦っている。本来なら一般人などサーバントにとっては鎧袖一触のはず。
(相手の実力と同等になる能力……?)
「ならば……!」
動く。足を強く踏みつけ地面を蹴る。まずは一体。倒した。
そのままの勢いを保ち彼女は次へ狙いをつける。
「あ、ちょ、ちょっと待ってくださーい!」
呼び止める声。それは今さっき倒したはずのサーバント(?)。
「お強いんですねお嬢様!チョコレート、どうぞ!」
「えっ?……えっ……?」
「アリガトウMaidサン!」
「……あ」
その言葉で完全に理解した。
友人はMaid‐Servant《女中さん》と言っていたのだ。決して「Made Servant」ではない。
勘違いって怖いね。
「あら、カタリナさん?」
そんな彼女に近づくメイドさん。月臣 朔羅(
ja0820)。
「月臣さん!?」
「カタリナさんもイベントに来てたんだ」
「……イベント?」
「ええ。この近くにあるメイド喫茶が『チョコが欲しかったら私に勝ってからにしなさい!』だったかな?そんな感じでイベントをしてるの」
「へ、へぇ。それで月臣さんメイド側を?」
「私は単に乱入しただけよ。これだけ人が多いと知らない顔が急に増えても気にしていられないみたいね」
「そうなの……?」
ぐったりした様子で彼女は答えた。
「それにしても驚きね。カタリナさんそんなにメイドさんのチョコが欲しかったの?」
「え、いえ違」
「カタリナお嬢様♪」
朔羅は猫なで声をあげた。そして軽く居住まいを正す。
「そんなにチョコレートが欲しいなら、私から差し上げあげましょうか?」
スカートの裾を摘まみあげてにっこりスマイル。カタリナは赤い顔で頬を膨らませた。
「……もう、人をからかって!」
そして人ごみをかき分け、どこかへ行ってしまう。しばらくすると彼女の声と共にメイドの悲鳴があがった。
「あらあら、カタリナさんったらヤケになってチョコ集めてるわ」
くすくす、と朔羅は笑う。そんな彼女に声が掛かった。
「そこのメイドさん、チョコちょうだーい!」
どこかしらキラキラした爽やかな青年、清純 ひかる(
jb8844)。
「あら私でいいの?他の子からもチョコレートいっぱい貰ってるんじゃないですか?」
「う」
意地悪そうに朔羅は言う。そんな彼女にひかるは軽くたじろいでしまう。
(……言えない。学園に来たばかりでまだ一個貰えてないからとか、言えっこない)
不自然に目が泳ぐひかるであった。
「じゃあ」
何を感じたのか、朔羅は彼に微笑みかける。それは軽く芝居がかった様子で。
「私に勝ったら、チョコを差し上げますよ。頑張ってくださいねご主人様」
「面白いね」
そんなセリフが彼の心に火を点けた。ひかるは挑戦的な笑みを向ける。
「折角の催しだ、勝ってキミのチョコは僕が貰うよ」
風が吹く。不可視としている彼の翼を力場として彼のマントが翻る。
「いくよメイドさん!」
ひかるは舞いあがった。同時に朔羅は近くにそびえ立つ灯を足場にジャンプ。
スカートがひらめく。周囲から歓声が上がった。
見えそうで見えない!
「ご主人様達、顔が赤いですよ?」
残念。
だが、そう言っている間に2人は空中で激突した。
ひかるの拳が彼女に襲い掛かる。それを軽く跳ね上げ、そのまま彼の首筋に手刀を当てる。
着地。一瞬の出来事であった。
先ほどまで歓声をあげていた人々が一斉に押し黙る。
「ご主人様、今ので1回目の天国行きです」
朔羅はひかるの背に語りかけた。
手刀の形にした手。その人差し指と中指の間に小さなチョコが挟まっている。
「あー、くそ!なかなかやるね……それなら僕も!」
「ふふ、頑張って下さい。もう少しですよ?」
●
麻生 遊夜(
ja1838)は手に持った携帯電話に文字を打ち込んでいた。
「とりあえず……到着、と」
メールを送信。送った相手は後輩の来崎 麻夜(
jb0905)である。
「麻夜が来いっつーから来て見たが、すげぇ人だかりだな」
しばし観戦すること数分。
「だーれだ?」
くすくす、という鈴のような声と共に彼の視界が奪われた。
「だーれだじゃねーよ。んなことすんのは麻夜、お前さんくらいだ」
「せいかーい」
「はいはい、って」
つい息を飲んでしまう。麻夜の服装がいつもの真っ黒なものではない。白いブラウスに紺色のエプロンスカート。そして頭には揺れるカチューシャ。
「……何でメイド服?」
遊夜は呆れたように声をあげた。
「もう、つまらない反応だなぁ」
麻夜は不満げに頬を膨らます。どうやら褒めて貰いたかったらしい。
気を取り直して彼女は肘に掛けた駕籠に手を入れる。中にはたくさんのチョコレート。
スカートの裾を摘まみあげ、腰元のエプロンにチョコを落とした。すらりと伸びたおみ足が実に眩しい。
「それはね……さあ、ボクと戦ってチョコを手に入れるがいい!」
キリ!
「ああ、イベントに参加したかったと」
ひょい。
「あ」
もぐもぐ。
「むぅ、なんか今日の先輩ノリがわるーい」
「いや普通に渡せよ。つーか毎度毎度手の込んだことをしおってからに」
ぐりぐり、と彼女のこめかみを拳で締め付ける。妙に彼女は嬉しげだ。
「やーん」
「やーん、じゃないわい!」
「あ痛!」
最後にデコピン一発。おでこを抑える麻夜を背にし遊夜は人ごみに向けて歩き出した。
「まったく……で、どうすんだ?とりあえず中に入らねぇと遊べないぞ」
「わーひ」
彼の後ろを麻夜は嬉しそうにトコトコ、とついて行った。
「さぁ、ボクと遊ぼう」
「へいへい、お相手仕りますよ。周りに迷惑かけないように、だがな」
「分かってるよーそのくらい」
「じゃ、行くぞ」
遊夜は腰から1対の拳銃を取り出した。当然ながら弾は込めていない。
右手に握る銃のトリガーガードに指を通して反転、銃身を握り込んで銃底で麻夜を殴りつけた。
避けず、彼女は左手で受け流す。遊夜は左手の銃を彼女に差し向けた。
空砲を発射。だが彼の左手が手刀で跳ね上げられる。銃口は明後日の方向を向いていた。
右手の銃を今度は横薙ぎに払う。その手を抱き留めてくるり1回転。舞うように彼の背後へと回り込む。
身を捻り、背中の麻夜に左手の銃を差し向けた。
麻夜は屈む。その勢いをそのままに彼女は抱きついてきた。
遊夜は彼女を抱えたまま2転転、3回転。それはまるでタンゴを踊るかのよう。
周囲の人々は賞賛の拍手を2人に送るのであった。
●
里条 楓奈(
jb4066)はチョコを齧りながらベンチに座っていた。なぜメイドさんの彼女がチョコを貪り食べているのか。
曰く、
「私は自分用のチョコを買いに来ただけだ」
以上。
「そもそも何故メイドにさせられねばならんのだ」
チョコが貰えると聞いて彼女はノコノコとやってきた。だが、気付けばメイド服を着て参加する羽目に。
チョコを貰いに近づいてくるご主人様すら追い払う始末。
「えぇい!喚くな!泣くな!そも、何故私が主らにやらねばならんのだ!」
これはひどい。
「おぉ楓奈さん!」
そこへ田中 裕介(
ja0917)が通りかかった。
「楓奈さんもこのイベントに参加してたんですね」
片眉あげる楓奈。やはりな、という表情で彼を眺めた。
「祐介か。まぁ……」
「メイド服風『衣装』とはいえ楓奈さんが着るとやっぱり似合いますね!私としてはロングスカートにフルレングス丈のしか認めませんが、たまにはこのような現代風のメイド衣装も……」
「この手の企画で祐介が現れぬ筈はないか」
怒涛のメイド話に花を咲かせる祐介。それを彼女は呆れ顔で見つめた。
「……というわけで結論、楓奈さんのメイド姿は素晴らしいということです。惜しむらくは撮影禁止というところでしょうか」
「そうなのか?」
「メイド喫茶は基本的にそういうルールですから。なので脳内撮影で我慢です。今度正式のメイド服を用意しますので、ぜひとも着てくださいね」
「断る。私だって本当はここに来る予定は――ちょっと待て」
彼女は祐介の右手を掴んだ。その手はまっすぐ彼女の隣に置かれたバスケットへ。
「そのチョコは私のものだ。やらんぞ」
「えー?」
祐介は残念そうな顔で答えた。
「そう言わずにチョコ下さいよメイドさん」
「誰がメイドさんだ誰が。これは私が残していた最後の1個だ」
「なら楓奈さんに勝ってチョコを貰うのみです!」
「おわ!?」
掴んでいた手が急に持ち上げられた。
「この、何をする!」
咄嗟に彼女は蹴りを繰り出す。が、その瞬間に周囲から歓声が上がった。
主に男性からの。
「ぬぐ」
楓奈の足がぴたりと止まった。今の彼女はメイド喫茶のメイドさん。ひらひらのミニスカートなのだ。
思いっきり足をあげようものなら――お察しください。
その隙に雄介はチョコの入った駕籠を奪い取るのだった。
「これでチョコは僕の――あれ?」
「甘いな」
楓奈は意地の悪い笑みを浮かべた。その手には籠にあったはずのチョコが。
「言っただろう?これは私が食うと」
「むぅ、残念です」
「とはいえ」
彼女はバツが悪そうに呟いた。
「駕籠は取られたからな。負けは負けか……受け取れ」
そして実に名残惜しそうにチョコを差し出すのであった。
●
――なぜ、こんなところにいるんだろう。
鑑夜 翠月(
jb0681)はメイドさんの格好をしたまま佇んでいた。
たまたまその場に居合わせた翠月。その可愛らしい見た目から、なぜかメイドさんに引き込まれたのであった。
「どうぞなのです!」
そんな翠月に差し出されるチョコ満載のバスケット。手渡すのは聖蘭寺 壱縷(
jb8938)である。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして、なのです」
壱縷の表情は人見知り故か少々硬い。だが、それでもこのイベントを楽しもうという気概は高かった。
「これが憧れのメイドさん!沢山張り切るのですよ♪」
「……まあ、今更水を差すのは申し訳ないですよね」
こうなったら精一杯楽しもう。翠月もそう思うことにした。
そんな2人の元に丁度ヴィルヘルム・柳田(jz0131)が通りかかる。
「いらっしゃいませなのです、ご主人様」
壱縷は彼に声を掛けた。
「えっと、チョコが欲しければ、僕に勝ってからにするのです!」
「……別にイベントに参加する気はなかったのだがな」
面倒くさそうに彼は頭を掻く。とはいえ、乗りかかった船。
「仕方ない。チョコを手に入れる為だ。いくぞメイドさん」
「はい」
翠月も軽く戦闘態勢に入った。
「こうなったら僕も全力で楽しみます。行きますよご主人様」
そうして3人は戦闘を行う。行おうとした。
「きゃーーーーーー!」
彼らだけではない。その場にいた全員は一斉に悲鳴の出所に目を向ける。
そこではメイドさんがメイドさんに襲われていた。
まさかの仲間割れ。
――否。
「ごしゅじんさまー」
ふんわり甘い声でフルカスサイスを振り回すメイド服姿のマーシュ・マロウ(
jb2618)。
「地獄にご案内致しますねー♪」
にっこり笑顔でマーシュはメイドさんを追いかけ回していた。
「……ふむ」
その隣にはチョコーレ・イトゥ(
jb2736)。彼もメイドさんを影縛の術でメイドを縛り上げていた。
「戦闘服にしては動きづらいな。人間の文化はよくわからんな」
そんな彼の服装もまさかのメイド服。男のメイド服とか、そんなのただの冥途服です。
彼らはその日近くを散歩していた。そして例の如くこのイベントを見つけた。
そしてチョコーレは言った。
「めいどとやらの格好をして戦えば、ちょこれぇとがもらえるらしいぞ?……ここはひとつ、共闘といくか?」
その結果がご覧の有様である。チョコーレは束縛したメイドさんからチョコを奪い取るのだった。
膝を落とす。その時、スカートから引き締まった紫色の太ももが覗いていた。こっちみんな。
「チョコーレさんのお衣裳、とってもお似合いですね」
マーシュは相変わらずほんわか、とした表情である。
「お用意した甲斐がありました。あとでお写真を撮っておきましょう、萌え萌え☆キュン」
「そうしてもらうか。しかし、普段は購買で簡単に買えるちょこれぇとだが、実はこれほどまでに苦労して手に入れなければならないモノだったのだな」
「そうですねぇ。このマシュマロももしかして……あ、チョコーレさん」
彼女はモーニングスターを取り出した。そしてチョコーレを取り押さえようとしいるメイドさんへと振りかざす。
「危ないです!」
――ドゴォ!
催事場に小さな穴が開いた。
「せっかく手に入れたチョコを取られたら大変です。チョコはちゃんとキープ、です」
「そうであるな。まさかしかし『しゅくめいのらいばる』に助けられるとは」
「困ったときはお互い様です」
和やかな雰囲気のメイドさん2名(内1名男性)。そして、それを慎重に取り囲むメイド喫茶のアルバイトであるメイドさん。
メイドさん対メイドさんの壮絶な戦いが今、始まろうとしていた。
「素晴らしい」
それを見て感心するように呟く者が一人。
芹沢 秘密(
jb9071)はメガネを引き上げてその光景を見つめていた。
「ちょっとあなた!何をぼさっとしてるの!?」
そんな彼女を叱りつけるメイド喫茶のメイドさん。どうやら同じアルバイトの子と勘違いしているようだ。
「早くあの2人を止めに行きなさい!」
「え、行きませんが?」
「はぁ!?」
メイドさんは素っ頓狂な声をあげた。
「このような盛り上げ方は初めてです。私も1枚噛ませてもらいますね、では」
その言葉を残して彼女は目の前に立つメイドさんの足を払う。
「ああ、ごめんなさい」
そして秘密は芝居がかった声でハンカチを噛み締めた。
「ご主人様を裏切ることはできない。だから――私が戦うべきは貴女方。さあ、お相手してもらいましょうか」
そうして秘密はメイドさんへと襲い掛かった。ついでに彼女はぼそり、とメイドさんの耳元に呟く。
「あ、報酬はチョコ1枚で構わないよ」
「ふ」
「ふざけんなーーーーーーー!」
「メイドさんがキレたーー!?」
周囲のお客さんたちもこの突発的なメイド対メイドの催し(?)に釘付けになっている。
この場はまさに冥途状態。
「これって、戦い?面白そう……」
そんな人々の間をすり抜けつつ朝日奈 優翔(
jb8404)は混乱のど真ん中へ駆け抜けていく。
手には真っ白のパイ。ただし、
「……てい」
唐辛子入りの、だが。
「きゃあ、何!?って辛!!」
犠牲者1号のメイドさん、見事に顔面に受けました。合掌。
「まだ欲しい……?たくさんあるよ?」
次々とパイを放り投げる優翔。その上でちゃっかりとチョコをゲットしていく様は見事としか言う他にない。
「よし……じゃあ次……」
優翔は駆ける。そして目にかけたのはメガネっ娘メイドの秘密。ちょうどメイド同士で戦っているので狙いやすい。
「てや」
「ぶ!?」
投げたパイが当たった。
――秘密と戦っていたメイドさんに。
「おっと。これはこれはお戯れをご主人様?」
難なくパイを避けた秘密はメガネをくぃ、と引きあげて優翔と対峙する。
手にはメイドさんから取り上げシルバートレイが握られていた。
「……む」
これではパイを投げても簡単に防がれる。しかも手加減前提である正規のメイドさんと違い、秘密には隙がない。
「あー、お前らそろそろいい加減に……」
そんな2人の元へヴィルヘルムがやってきた。さすがにこの冥途状態は放っておくことができない。
メイドさんたちにとっては数少ない協力者。いや、
「あ……ちょうどいい」
飛んで火にいる夏の虫。
「え」
ヴィルヘルムの襟を優翔は掴んだ。同時にパイを秘密に投擲。
「辛いな。や、違う。甘いな」
案の定トレイでパイを弾く。逆にトレイをフリスビーのように投擲。
「お、おい待て!?」
がぃん、という鈍い音。ヴィルヘルムを盾に優翔は秘密へと接近。
2人の壮絶な戦いが始まった。
●
「あーあー」
翠月はそんな混沌を呆れた様子で眺めていた。今はとりあえずそばにいる壱縷を守るだけで精一杯。
「あの……これは大丈夫なのですか?」
「どうなんでしょうね」
だんだんと不安になる2人。だがそれを気にしても仕方ない。騒動を収めるのはメイド喫茶のちゃんとしたメイドさんにお任せしよう。
「おう、そこのメイドさん」
「はい?」
翠月は振り向いた。ディザイア・シーカー(
jb5989)がそこに佇んでいる。
「あんたのジョブはなんだい?」
彼は唐突にそう尋ねた。
「え?えっと……ナイトウォーカー……ですけど」
「そうかそうか!」
力強く頷いた。そして彼は握り拳を翠月に突き出す。ぶら下がったビニール袋。中にはいくつものチョコレートが入っていた。
「ナイトウォーカーのメイドさんはまだ倒してないんだ。よかったらぜひ付き合ってくれねぇか?」
ディザイアは翠月に挑戦状を叩きつけたのだ。見れば彼の全身はかなりボロボロになっている。
今まで何人もの高レベルメイドさん達に挑戦してたらしい。
「実を言うとな、あんたからチョコを貰えば全部揃うんだ。このままコンプリート目指してやんぜ」
くくく、と笑みを浮かべるディザイアである。それを受けて翠月は「いいですよ」と頷き返した。
「やる気になってくれてうれしいぜ。さあ、お手並み拝見、ってな!」
その言葉と同時にディザイアは翠月に接近戦を挑む。
「行きます」
それに対し翠月は軽いステップを踏んだ。そして周囲をテラーエリアで漆黒に塗り固める。
「ぬ!?」
瞬く間に彼は闇に呑まれ、そして視界が奪われていった。
その背後から翠月が襲い掛かる。予測防御を働かせ、掌で攻撃を受け止める。
だが、
「残念でしたねご主人様♪」
次の瞬間、翠月は簡単にディザイアの脇をすり抜けていった。夜の番人は暗闇を駆けるには最適。
暗闇が消失する。そこには彼の背中に人差し指をちょこん、と押し付ける翠月の姿があった。
「むぅ……ここまでか」
連戦で傷ついた体も限界に近い。ディザイアは残念そうに呟いた。
「さすがだな嬢ちゃん。今の動きはまったく予測がつかなかったぞ」
「いえいえ、ご主人様もよくがんばりました。なので……」
そう言って翠月は籠の中からチョコを取り出す。それには文字が飾ってある。
『はっぴーばれんたいん☆ご主人様、お嬢様♪』
「どうぞご主人様♪」
翠月は輝かしいばかりの笑顔を見せた。
●
「ふぅん……要するにチョコレートを取られたら負けの模擬戦闘か」
水竹 水簾(
jb3042)は催事場に入る。会場は(一部混乱はあるものの)非常に盛り上がりを見せていた。
「……え?違うの」
不穏な言葉に反応した一般客が彼女にイベントの趣旨を説明する。
あぶない。危険があぶない。
「そうか……まあいいや」
気にしたら負けである。
「どれ、自分もちょっと参加してみようじゃないか」
そんな彼女の格好はミニスカートの戦闘用メイド服。やる気ばっちり。
「さあご主人様!どこからでも掛かって来い!」
水廉は軽くおどけるようにポーズをとった。
「きゃーーーー!」
黄色い悲鳴が上がった。
「……と、なんだ?」
正直このイベントで何度目の悲鳴だという感じだが、彼女にとっては最初の1回目だ。
現場に行ってみるとメイドさんが俯けに転がっていた。ちょっと背が低い、彼女好みの女の子。
「なるほど水色ですかー。可愛らしいですね」
そんなメイドさんの耳元で男が一言。囁かれたメイドさんは赤い顔でまた悲鳴を上げる。
その隙に男は次のメイドさん目掛けて走って行くのであった。
「……」
その背を黙って見つめる水廉。彼女は静かに拳を合わせた。
●
「この場、この時、この瞬間!僕は――僕達は転倒士です!」
間下 慈(
jb2391)は拳を振り上げた。
転倒士とは!
四国の某メイドさんへの作戦に命を懸けた者達のことである!
メンバーを紹介しよう!
「間下慈!」
「以上や」
「え」
慈は思わず振り返った。そこには実に愉快そうに笑うゼロ=シュバイツァー(
jb7501)と崋山轟(
jb7635)。
「冗談や冗談。それにしてもまっさんも好きやなぁ」
「もちろんですよー」
改めて慈はテンションを上げた。
「あの時はドロワーズに阻まれましたが、今日の相手はメイド喫茶のメイドさん!すなわち転倒イズ浪漫なんですよー」
「ま、おもろそうやから手伝うけど」
「でもさぁ」
轟は慈を心配そうに見つめていた。
「あんた重体中だろ?怪我の方は大丈夫なのか」
「重体?関係ないで(ごばぁ」
(……不安だ)
「ま、まあとりあえず。俺もやるだけの事はやるぜ!」
「せやな休憩スペースも確保しとるし、俺もサポートはするで」
「それは助かりますー。では、行きましょうか【転倒士】のみなさまー」
「「おう」」
そして彼らは戦場へむかう。ここにはメイドさんがいっぱい夢いっぱい。
「さあて、いっちょ腕試しといきますかぁ!!」
轟は真っ先に突撃した。
「おらおらぁ!どいたどいたぁあ!!」
イベントに集まった一般人をかきわけ進む。狙いは真っ先に目に入ったメイドさん。
なんかやけにキラキラしてるのはなんであろう。
「さぁ、ご主人様!あたしはここネ!!チョコが欲しければかかってくるが宜し!!」
それはメイドとしてイベント乱入していた双狐(
jb5381)であった。キラキラは星の輝きの効果である。
「熱き魂の撃退士・崋山轟!お相手願うぜっ!!」
勢いそのままに轟は双狐に拳を向ける。薙ぎ払いの一撃が彼女へ襲いかかった。
「不肖、この双狐がお相手申すアル!!」
その拳を手持ちの槍で受け止める。轟の足元を払うように振り払う。
「甘ぇな!」
軽くジャンプ。そしてそのままタックル。
「おっとっとー?」
彼女は体制を崩した。仰向けに倒れてしまう。
「ぶ!」
スカートが翻った。健康的で、程よく日に焼けた足が日の下に晒される。
だがそれ以上に轟は慌てて目を逸らした。
「み、見てない!俺は見てないから!」
下は白褌。思春期男子には刺激が強すぎるらしい。
「ちゃーんす、アル」
「あ」
双狐は立ち上がった。そして逆に彼を突き飛ばす。今度は轟がひっくり返る番であった。
「おー、メイドさんの見事な逆転勝利ですね」
まるで解説者のように桐咲 梓紗(
jb8858)は語った。水色のメイド服を着た彼女、腕の「取材中」の腕章が揺れる。
「ではではーここで勝利者のメイドさんにインタビューしてみましょー。あのー、一言をいただいてもいいですかー?」
「もちろんアル」
双狐は嬉しげに答えた。
「目的は同人のネタ集めアルよ。今から夏が楽しみアル。心境はメッチャたのしいアル!もっと同人のネタが欲しいアル!」
「ご協力ありがとうございましたー。ではでは、この調子でどんどん取材していきましょー!」
梓紗は嬉しそうに催事場を駆けていった。そんな彼女に近づく影。
「もろうた!」
「きゃ!?」
ゼロは彼女の背後から足を掛ける。転倒、同時にスカートがめくれ上がった。
「お、黒のレースかいな。これはまた大人な――は」
殺気。
勢いよく梓沙は起き上がる。同時にゼロの腕を掴んだ。
「お、やるんか?お望みはこち」
「そやー!」
「らぁ!?」
見事な一本背負い。ゼロの世界は一回転し背中から地面へ叩きつけられた。
「おいたは駄目なんだよ、ご主人様ー♪」
そんな彼の額にピコハン一発。ユリア・スズノミヤ(
ja9826)はにこにこ顔で見下ろしていた。
「お、お怪我はないですかー」
梓沙は心配そうにゼロに声を掛けた。
「あ、さっきの黒あだ!?」
「あ、踏んじゃった。ごめんね?」
笑いながらハイヒールでゼロの足先を踏みつけるユリア。ある意味確信犯である。
「おおおお!!これは萌えてきたアル!!!」
双狐が興奮状態でそんな2人の姿をスケッチ。
「今描いている奴の続きはこんな感じにするネ!」
いいのかそれで。
「あ、あのー」
梓沙は果敢にもユリアへと取材を敢行した。ちなみにゼロはいまだ足元でユリアに踏みつけられている。
「みゅ、一度メイドさんの服着てみたかったんだー」
梓沙の質問にユリアはそう答えた。
「隠れてチョコ食べちゃおう……とか思ってないよ。あ、でもでも。私のご主人様は1人だけなんだよ♪」
その様は実に楽しそうである。
「ゼロさんもやられてしまいましたかー」
慈はメイドさんを次々と転倒させながらゼロの様子を窺っていた。そして、そんな転倒士達の活躍(?)を見て何をか思わん。
「あらあら」
斉凛(
ja6571)は困ったように微笑みを向ける。
「メイドのスカートの中が見たいだなんて、そんな不届きなご主人様にはオシオキですわね」
さすが本職、気迫がそんじょそこらのメイドさんとは格が違う。
じゃきり。
「正統派メイドのおもてなしを見せてさしあげますわ」
瞳が緑火眼の色に染まる。おっとりとした笑顔はそのまま。されども銃口は慈を射抜く。
「チェックメイトですわ」
アウルの弾丸が慈の足元を穿った。
「おっとー!?」
慈は予想外の射撃にたたらを踏む。
「あらご主人様、そちらではありませんわ」
連射速射、弾丸の雨、霰。それは慈の足元を正確に貫きとある場所へ彼を誘導。
その場所に立つはソフィスティケ(
jb8219)。
「今だよー!罠発動!」
星の輝きを合図に転倒させられたメイドさんたちん逆襲が始まる。
まずは大量のビー玉が慈の足元にお出迎え。中には癇癪玉も入ってます。
「わ、わわ!」
ぱーん、ぶちり。
「わー!?っとー!?」
張られた糸が切れた瞬間、どこからか矢が飛んできた。発射装置が見えない辺りどこぞのローグ風RPGのよう。
「あだだー!?」
最後に縄。電流を流すあたりどこ(ry。
「殺りましたねー」
ドヤァ。ソフィスティケ盛大にサムズアップ。字面が違うようだが気にしてはいけない。
「はいー」
そして凛と楽しげにハイタッチを決めた。
「あー、やられちゃいましたかー」
縄の中、ぶらんぶらんしながら慈はぽつり呟く。それでも彼はどうやって抜け出すかの算段をつけていた。
「なにをやってるんだい慈さん」
「あ」
そんな彼の下にやってくるミスカニーソのメイドさん水廉。
「やー、水廉さんも来てたんだねー。今抜け出るので少々お待ちをー」
「いんや、そのままでいいんだよ」
「あのー……この忍刀は?」
「さっきさ」
水廉は素晴らしい笑顔を向けた。
「背の小さなメイドさんに変な事しなかった?水色ですかーって」
「あ、見てたんだー?」
「うん」
慈、最大のぴんち。
「小さな子の前でHENTAI★発言しやがった野郎は制裁しちゃうおうねー♪」
「ちょ、ちょっと待ってー。それならせめて縄を抜けてから正々堂々やりましょう。その方が水蓮さんもいいでしょ?そしたら僕が転倒させて……」
「残念、今日はあたしスパッツなんだ」
「じゃあ脱」
「HENTAI死すべし」
慈悲はない。
「ぎゃー!」
ざくり、慈は死んでしまった。
※死んでません。
●
「ほら、こっちだよ」
スカートを翻してロゼッタ(
jb8765)は一般人であるご主人様の猛追を躱す。その様はまるで闘牛士。
時間もだいぶ過ぎ、催事場の冥途っぷりもようやく落ち着きつつあった。
ロゼッタはわざと足をもつれさせる。
「おっとっとー」
その隙にご主人様は彼女へタックル。そのまま押し倒した。
「あはは、負けちゃいましたね。はいチョコをどうぞ」
小悪魔スマイル。そんな彼女の笑顔にご主人様は満足げに去っていった。
「黒や」
「黒ですねー」
「……いや、俺は見てねーぞ」
その様をゼロの作った休憩スペースで眺める転倒士一同。なぜか慈のみ正座。
「なんで僕だけ縛られてるですかー?ゼロさんや華山さんも同じ転倒士じゃないですか」
「あれだけメイドさん転ばせていればそないなるわな」
「俺はメイドさん相手に戦ってただけだし」
知らんぷりであった。
「あ〜あ、見られちゃった」
そんな彼らに近づくロゼッタ。その手には携帯電話が。画面には転倒士として活躍するが3人の姿が映し出された。
「楽しそうだよねぇ。あはっ、そんなに見たかったの?」
「はい」
慈は即答した。
「なぜ僕がこんな頑張るか?それは……僕が転倒士だからです!」
「なるほどー」
その言葉を梓沙は忘れずメモを取った。取材熱心なのはさすがというべきか。
「これ、他の人が見たらどう思うかなぁ……煩悩に身を任すのも楽しいけどぉ、後々の事も考えなきゃね?」
あはは、と彼女は笑うのであった。
「今日は、楽しかった……」
ホットコーヒーを飲みながら優翔は一息ついていた。
「僕は散々だったがな」
彼の隣でヴィルヘルムもコーヒーを啜る。優翔にひたすら盾にされていたのでかなり疲れた様子であった。
「お疲れ様なのす」
そんな彼らにチョコを渡す壱縷。最初にあったぎこちなさも、だいぶ取れたようなのは気のせいか。
「今日は一日頑張りましたので、お2人にご褒美なのです♪」
「ありがとう」
「……あり、がとう」
甘いものは嫌いでもチョコレートは大丈夫。優翔はチョコに齧りついた。
一方、別の場所では。
「いただきます」
マーシュは帰り道の最中、手に入れたチョコを口に含む。
ふわー。
「おい、また昇天しかけてるぞ」
がしり、光の翼で飛び上がる彼女をチョコーレが取り押さえた。
「ま、また昇天してしまう所でした、堕天使なのに……」
「苦労して手に入れたチョコだ。さぞかし美味いだろうな」
「はい、真っ赤な川が見えた気がします」
やがて西日が催事場を満たす。イベントの終わりの時だ。
最後にお店のメイドさんが一列に並ぶ。
「ご主人様、お嬢様、ハッピー・ヴァレンタイン♪」
その場にいた人たちに最上級の笑みを向けるのであった。