夜。空には月。
「まったく手のかかる後輩ね」
神埼 晶(
ja8085)は髪を巻くバンダナを撫で上げた。
黒髪が男子制服の腰元で揺れている。整った顔立ちをしているが立ち居振る舞いかしてまるで男性のよう。
「嫌な予感はしておったが……天道め、内なる獣に取り込まれたと見える」
彼女と並んで歩く小田切 翠蓮(
jb2728)。
横顔をネオンの光が照らす。その神妙な表情から真剣さが窺える。
翠蓮は数週間前の光景を思い浮かべた。
強くなりたいと望んだ天道に修行をつけてやったことを。
天道が不良グループのリーダーを返り討ちにし、地面に叩きのめしたあの時の姿を。
――どこか恍惚とした表情でそれを眺めていた天道の表情を。
「どうやら我等は獣を野に放ってしまったらしいぞ?」
「あんまりいい気分じゃないね」
晶は苦々しく言葉を吐き出す。
「ならば、その責任は取らねばなるまい」
「そうね」
翠蓮の言葉に晶はそっけなく答えた。
「今はまだ相手を選んでるみたいだけど……」
自分の姿を見直す。軽量男子制服を少しだけ着崩し、なるべく不良っぽく見えるように調整を施した。
桂川天道は街をうろつく不良を襲っている。これならがいずれ彼の方から食いついてくる可能性もあろう。
だが、いずれは無差別に人を襲うかもしれない。
そうなる前に――。
「危険な“獣”は捕まえないといけないわね」
「うむ」
2人は華やかな街の闇を覗き込むように歩いて行った。
●
雪風 時雨(
jb1445)はデパートの屋上から見下ろす。
繁華街の夜はこれからだ。街灯や店の明かりが人々の顔を映し出している。
だが、それでも路地裏の闇を見通すことはできない。彼は地図を見ながら電話を掛けた。
「そちらはどうであるか?」
「星杜殿の言われていた通りで御座った。こちらは工事中で御座る」
虎綱・ガーフィールド(
ja3547)の声。プレス機の喧しい音が響く。
事前の調査により彼のいる地点では今夜、道路工事が行われることがわかっていた。
これは天道が事前に知っているものではない。
「ならば、天道をそちらに追い込むのもよさそうであるな」
時雨は地図に丸印をつける。そこには工事現場となっている地点に対する書き込みが多く書かれていた。
「それにしても星杜の事前調査は恐れ入るな」
「うむ。それでは我はこの周辺を少し探索しているで御座る」
「奴とて久遠の生徒、自分が狙われる事位は想定済みであろう。気をつけてくれ」
「わかって御座る」
通話を切った。寒風が彼の耳を撫でた。
真冬の夜は撃退士といえでも寒い。ましてや、デパートの屋上という高所にいれば一塩であろう。
雪風はフードを深く被り金網に指を掛ける。
――兆候はあった。
今思えば不良共を倒したあの時からおかしかった。
いじめグループを撃退できるほど強くなった天道を褒め称えたあの時。
微妙な笑みを浮かべていた天道の姿を思い出す。
「責任は取らねばなるまい」
金網の軋む音が響く。
彼は天道の部屋や彼の依頼状況を調べていた。天道が豹変した原因を調べるためだ。
教えられたレシピの材料が入った冷蔵庫。室内用トレーニンググッズ。そして天道は絶え間なく戦闘依頼をこなしていた様子。
飽くなき力への要求が窺える。
「……そうであって欲しくないという我の甘えかもしれんが、な」
●
それは気のせいではなかった。
星杜 焔(
ja5378)とエルフリーデ・クラッセン(
jb7185)は路地裏からはっきりと聞き取れた悲鳴に顔を向きあわせる。
2人は走った。
ナイトビジョンを持つ焔が先行し、それを見失わないようにエルフリーデが走る。
やがて街のネオンすら届かない暗闇に入る。同時に生臭さが彼らの鼻を包んだ。
血臭である。
「この匂い……」
エルフリーデは眉を顰めた。そして焔が足を止める。
「いた」
ナイトビジョン越しに写るその姿。
月を見上げ、凝り固まった悪意のような白い息を吐く男。
――桂川天道。
その口は幽鬼のように大きく広がっていた。
彼の足元には血塗れとなった久遠ヶ原の生徒が転がされている。傍らに落ちた携帯の明かりが天道の顔を薄らと照らしていた。
「桂川君」
ゆったりとした声に天道はびくり、と肩を震わせる。徐々に視線をこちらへ向け、脅えるように「どうして」と声をあげる。
「なぜ、ここに……?」
「やりすぎちゃったみたいだね〜。俺達は君を止めに来たんだ〜」
「止めに?」
「そう」
エルフリーデは天道の前に立つ。
「どうして生徒を襲うの?」
「どうして……?」
彼女の言葉に天道は身を屈める。そしてニタァ、と口を歪めた。
「すごく……すごくすごくすごく!」
天道は一気にエルフリーデと距離を詰める。彼女は咄嗟に身構えた。
「気持ちがいいからだよ!」
天道のタックルに合わせてエルフリーデは膝を出す。そのまま迎撃――。
「きゃ!?」
天道はポケットに手を入れ、中に入れていたものを振りまいた。
それは砂。エルフリーデの視界を奪い天道に攻撃のチャンスを作る。
「エルフリーデちゃん!」
咄嗟に焔は光翼を広げ、エルフリーデを包み込んだ。
攻撃が焔に吸収される。それを見て天道は拳のナックルに紫焔を集中し一閃。
焔は心盾によりダメージを抑えこんだ。攻撃の隙を突き焔とエルフリーデは距離をとる。
「大丈夫〜?」
「うん。ちょっと目に砂が入っちゃたけど」
目を擦りながらエルフリーデは再び対峙する。
そして焔は電話から一斉にコールを掛けた。
「見つけたよ〜!場所は……」
「あ!」
エルフリーデが慌てて声をあげた。天道は踵を返し路地裏の奥へと逃げ出したのだ。
●
道端にある障害物となりそうなものを片っ端から撒き散らし、天道は路地裏を走る。
長いこと暗闇に身を隠した天道にとって闇は味方であった。僅かな月明かりさえあれば、何処に何があるかぐらいはわかる。
追ってくる2人は散らばった障害物に手間取ることだろう。
だが、
「ふむ、きちんと教えを守っていただいているようで何より」
重力に逆らうように走る虎綱にとっては無意味である。彼と並走するように虎綱は建物の壁を壁走りで駆け抜けていた。
咄嗟に天道は近くにあったゴミ袋に穴を開け虎綱に投げつける。飛び散った生ごみが虎綱を襲う。
ゴミを躱しつつ彼は天道の前方を塞ぐように地上に降り立った。
「ゴミ捨て場がそこにあるのは星杜殿の調査で知ってたで御座る。奇襲は相手が油断しておらねば役に立たんぞー」
彼は天道の目を覗き込んだ。狭い路地に拍手が響き渡る。
「いい目だ!才もある!しかし汚さが足らん!」
「なぜ」
天道は顔を覆いながら訊いた。それはまるですすり泣くかのよう。
「なぜあなた達は俺に構うんだ。なぜ……」
「『俺』で御座るか」
以前、彼の聞いた天道の一人称は『僕』であった。
「おぬしの力の使い方は間違ってはおらぬ。おらぬからこそ我らが討伐に来た」
虎綱は諭すように語った。
ぴくり、と天道は肩を震わせる。
「まあ討伐というてもなにも殺すわけではない。今ならまだ――」
「だめだよ」
天道は覆っていた顔を上げた。その瞳に獣性が宿る。
「戦う前は自信満々に威嚇する奴らがさ、俺に殴られた途端に泡吹いて逃げ出すんだよ。そんな楽しいこと覚えちゃったら――」
天道は動いた。拳を振り上げ虎綱に襲い掛かる。
「止められないんだよ!」
轟音。ナックルに包まれた拳がコンクリートの壁を穿つ。
「残念じゃの。おぬしは心根が真っ直ぐすぎる」
虎綱は建物の壁を走り抜け天道と距離を取った。その隙に天道は路地裏を駆ける。
同時に、竜の咆哮が響いた。
「己が憎んだ相手と同じ存在に成り下がって何とするか!」
時雨がスレイプニル:電を連れて天道の前を塞ぐ。威嚇する電を天道は獣の瞳で見つめ返した。
「他に逃げ道がないのは星杜が調査済みである。さあ来い天道、脅えるなと教えた我の言葉を思い出すがよい!」
天道は時雨との距離を詰め懐に入りこむ。時雨は避ける気配を見せなかった。
「バハムートテイマーの防御能力はディバインナイトに匹敵する事も可能……そしてこれも教えておらんかったな!」
傍らに立つ電が雷光を放つ。サンダーボルトの一撃が天道を襲った。
しかし、
「なに!?」
天道はそれを予期していたかのように体を滑らせる。時雨への攻撃と同時に急激に体を動かしサンダーボルトをかわす。
サイドステップ。スレイプニルの行動を読んだ動き。そのまま天道は時雨の横を駆け抜けた。
時雨は急ぎ振り向くがその間にも天道は路地裏から大通りへと逃げ出そうとしていた。
「――血に飢えた獣が一匹」
天道の進路を再び、今度は2つの人影が塞ぐ。彼は足を止めた。
翠蓮と晶であった。
「『対の先』を読んだか天道。だがそれはこちらも同じことぞ」
翠蓮はネオンの明かりを背景に闇の翼を背負う。悪魔的なシルエットが天道を包むように広がっていた。
「我等はおんしを獣にする為に戦う術を教えた訳では無いぞ天道よ……」
翠蓮の言葉に天道はたじろぐ。背後からは虎綱と時雨が追い付いてくる。
さらにその後方からも障害物に手間取っていた焔とエルフリーデが到着する。
天道は完全に包囲されていた。
「ひさしぶりね、桂川君」
晶は毅然とした態度で天道を見据える。
「星杜さん達を振り切って安心したんだろうけど、このあたりの地理は彼が一番よく把握してる。もう逃げられないよ」
天道は焔達から逃げ切った。だが、闇が彼に味方するなら焔は情報を味方とした。
焔の徹底した事前調査により彼の行先は手に取るようにわかる。故に2人を先回りさせることに成功できた。
「あなたも」
晶の言葉に天道が重ねる。
「俺を捕まえに来たんだね?」
「桂川君のはちょっとやりすぎちゃったみたいだけど」
彼女は着ていた男子制服の襟を引き締める。
「こんな事件にまでなったのは相手の不良がダサいだけよ。身に付けた力を試してみたい。そこは否定しない」
視線は逸らさず、あくまでも天道を見つめ続ける晶。
「けど、もうちょっと健全な方向にもっていきなよ。例えば――」
「無理だよ」
天道は首を振った。
「俺はもう知ったんだ。敵を倒すことの喜びを。あれだけ威勢の良かった連中が殴れば大人しくなるんだ」
人の肉を喰った獣は駆除されるという。それは人の味を知った獣は以後も人を襲うからである。
では“力”という味を知った人間《獣》はどうなるのであろうか。
彼は笑う。かか、と嗤う。まるでケダモノのように。
「あなた達だって同じじゃないのか!?」
獣――天道は吠えた。
「人に限ったことじゃない!天魔を倒してみればすぐにわかる!この手で!倒せば叩きのめせば殺してしまえば!素晴らしい心地よさが味わえるんだ!これ以上楽しいことがどこにある!」
「それは本心で言っておるのか?」
翠蓮の言葉に天道は動きを止めた。
「……、え」
「本心なのかと聞いておる。以前のおんしは他者を傷付ける事、自分が傷付く事を恐れる子羊であったと云うに……」
言葉遣いからしても今の天道はまるで狼のようである。だがその内面はどうだ。
その遠吠えの奥底には――いまだ泣き声をあげるひ弱な姿があるのではないか。
「おんしは本当に力を振るいたいと思っておるのか?酒は人を酔わすが、悪酔いから醒めれば悪夢に苛まれる。天道――」
「それ以上言うな」
天道が一際大きく白い息を吐きだす。だが翠蓮は止めない。
「おんし、罪悪感を感じているのではないか?」
「アぁァ―――!」
獣は吠える。そして翠蓮に襲い掛かった。
「弱い犬程よく吠える。技と体が備わっても、心はまだまだ弱いのう」
翠蓮は飛翔。神埼が代わりに正面に立った。
天道のタックルを見切りバックステップで距離を取る。彼女の鼻先を天道の額が通り過ぎてゆく。
「教えた事を実践してくれてるんだ、うれしいな」
彼女はさらに距離を開けた。そのスペースへと翠蓮は交響珠の一撃を放つ。
「今のおんしの暴力衝動が過去の虐待から生じた心的外傷に起因しているのだとしたら――心の傷を乗り越えてみせよ。天道よ」
「あたしもまだまだ未熟だよ」
天道の後ろからエルフリーデが駆け寄る。天道は咄嗟に振り向き応戦した。
「でもね、敵を倒して気持ちいいなんて思ったことはない。あるのは“人を守る”ということ。だから――」
撃退士は人を守る職業。だからこそ父も母も賛成してくれた。
そこに迷いはない。
「君に打ち負ける要素は無い」
ぶつかる勢いでエルフリーデは天道の懐に入る。
「あたしの教えたこと覚えてる?まだデメリットを教えてなかったんだ」
体をわずかに傾ける彼女。そして足を大きく上げ、
「避けられなければ、迫ってくる拳が当たるまで見続ける羽目になるってこと!」
天道の横面を蹴り飛ばす。うめき声をあげて彼は地面に崩れ落ちる。その隙に神埼が天道を地面へと抑えつけた。
「柔軟、欠かしたこと無いんだ。日々の積み重ねが自分の武を形作る。君は、暴力以外に何か積み重ねた?」
力尽きた獣にエルフリーデは尋ねる。
「……彼の姿はある意味私の鏡」
力に溺れた者の末路。そうなるまいと彼女は心に刻み付けるのであった。
「強者に虐げられたそなただからこそ、同じ弱者を救うことに喜びを見出して欲しかった……」
大人しく捕まる天道に向かって時雨は語りかける。
「まだ心に燻る物があるならいつか戻ってくるがよい!」
「……戻って」
天道は呟く。
「戻って来れるのか?俺は――僕は今の自分が楽しくて仕方がなかったというのに」
「私ならいつでもスパーリングに付き合うからさ」
抑えつける背中越しに晶は語る。
「一度学園に戻ろう。事情を話せば停学ぐらいで済むでしょ。私も口添えするからさ」
「“痛み”を知るおんしならば、真の優しさを身に着ける事が出来ようぞ」
翠蓮は彼を見下ろす。
「――優しさこそが、真の強さ也」
「力の本質はの、不自由であると言うことだと某は考えておるよ」
不自由。それは己の好き勝手にはできないということ。虎綱は天道へ語る。
「不自由なればこそ、人は戦い方を選んだり互いに協力して力を発揮することができる。お主も我等もまだまだ途上の身、こんなところで終わっては詰まらんではないか」
「桂川君」
焔は天道の頭を撫でる。
「欲を満たすならいくらでも方法があるんだ〜。まずはそれを覚えていこう〜」
それぞれの優しが天道を包み込む。地面に点々と黒いシミが広がった。
それは涙。
「ごめん……僕は……っく」
天道は泣いた。獣の鳴き声ではなく、人の泣き声を上げて。
涙が流れると共に彼の獣性が薄らいでた。
「大丈夫。今度甘いおやつでも一緒に食べよう。それまで――」
焔は謳うように語る。
おやすみなさい。獣は安らかに瞳を閉じた。
●
それから数日後。
ようやく停学から解かれた彼は改めて6人に礼を述べ、そして共に修行へ向かう。
今度は力《獣》に飲み込まれないように――。