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9月某日。四国中央市において失踪事件が発生して数日たったある日のこと。
「最近は行方不明者が増えているそうですね。くじらちゃんも、そちらの被害にあっていなければいいのですが……」
集合場所に集まったカタリナ(
ja5119)はぽつり、と呟く。
「そうですね」
機嶋 結(
ja0725)も彼女の言葉に同意する。
「遺体が見つかってないなら、まだ、希望はあるはずです」
黒井 明斗(
jb0525)はこれから潜入する学校の制服に身を包み、握り拳を一つ作る。
目的は依頼人である高知陽子の妹、高知くじらを見つけ出し、無事保護すること。
姉である陽子の気持ちを、彼には痛いほど理解できる。
もし自分の、何よりも大切に思う彼女が事件に巻き込まれようものなら――。
「必ず、見つけ出さないと」
明斗は決意を改める。
「失踪してからの日数を考えるに、あまり猶予はなさそうで御座るな」
虎綱・ガーフィールド(
ja3547)はそう言いながらも「しかし」と考える。
警察から得ている情報を鑑みるに、いくつか引っかかる部分がある。
「置いてく、ねぇ」
それはくじらのクラスメイトの証言であった。曰く「お姉ちゃんが私を置いてく、とかぶつぶつ言っててなんか怖い」。
これは一体、何を意味しているのか。
緋打石(
jb5225)も「ふぅむ」と黙考する。
今回、天魔による失踪事件に関わる依頼が複数出されていた。そちらに関する依頼情報をまとめ上げながら彼女は囁く。
「妙だな……日毎の失踪者が増加した日とくじらの失踪日がほぼ一致している……」
「何れにせよ、中学生と天魔が長期間身を隠せる場所なんて早々存在しないぜ」
小田切ルビィ(
ja0841)は一同に向かい、宣言するように言う。
「まずは足を使って調べていこうぜ。何処かで食いモンの買い出ししてるかもしれねぇしな。俺は事件発生現場周辺のビジネスホテル・コンビニ・飲食店を回って聞き込みしてくる」
「そうですね。では、私は先に高台へ向かいます。そちらはお任せしますね」
カタリナは携帯電話の設定を確認する。電話帳には「高知陽子」の文字。
(この番号を使うことにならなければいいのですが……)
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がさごそごろり、と。
高知くじらの部屋に不穏な物音が響いた。
「ふ〜むむむ……」
緋打石はくじらのベットに寝転がりながら、机上に置かれたPCのディスプレイに目を向けた。そこには某ネットショッピングサイトが写されている。
警察から公開されたくじらのクラスメイト達の証言に「防犯用にスタンガンが欲しいんだけどどこで買えるの?と聞いていた」というものがあった。
緋打石はベットの傍に置かれたゴミ箱からボール紙を取り出す。それはたった今開いているショッピングサイトの箱。
つまり、
「商品はもう届いているってわけか」
緋打石は考察を進める。
「ゲームソフトはどのみち電気の通る場所でなければ遊べない……であれば、電気の通ってそうなところにいるということか?しかし――」
彼女はがばり、と身を起こした。
そして購入履歴に羅列されたスタンガンとガソリン携行缶を見て彼女は眉を顰める。
「ずいぶんと物騒なものを買うものだな。スタンガンは防犯という名目上まあ、わからなくもないが……ガソリン携行缶なんて普通必要ないだろうに」
緋打石は唸る。考えても違和感は尽きない。
さらにもう一つの疑問に彼女は首を捻った。
「なんで、これがここにある?」
彼女は床に広げられた衣類を眺めた。
これらはすべてくじらの部屋にあった陽子の服だ。妹であるくじらが着るにはサイズが違いすぎる。
「体格が陽子に近い者を家に入れたのか……?なら、それは一体誰だ?」
思い当たりそうなのは今回の事件の犯人である天魔。
だが犯人に関する情報は未だ出てきてないのだ。彼女が思い当たる道理はない。
ふと、彼女は床に広げた衣類の一つを手にとった。
「陽子殿はこのような下着を着ているのだな」
それは一般的に“ブラジャー”といわれるものである。両端を握って彼女はしばしそれを観察する。
「……意外と大きいのぅ」
ごくり、と唾をのむ緋打石。
と、部屋のドアが唐突に開く。
虎綱が入ってきた。
「緋打石殿。なにか情報が――へぶ!?」
虎綱の顔面に枕が直撃する。彼は部屋の外まで吹っ飛ばされた。
「馬鹿者!女性の部屋に入るときはノックぐらいせんか!」
緋打石は急いで持っていたブラジャーをポケットに隠す。同時に他の下着類もまとめるとタンスの中にぎゅぅ、と押し込めるのであった。
「痛っつ……これは迂闊であった。すまん緋打石殿」
虎綱は鼻頭を撫でつつ、改めてノックすると部屋の中へ入った。
「ところで、自分の方で御座るが……」
虎綱は緋打石に向き合う形で床に座りこむ。
「台所の食料を図ってみたでござるが、やけに量が少のう御座った」
「ほぅ」
緋打石は興味深そうに頷いた。
「それに、陽子殿はくじら殿がもしもの為にいくらかお金を家に置いておいたようで御座るが……いささか少なく感じたで御座る」
「それは持ち出された可能性がある、ということか?」
「そうで御座るな。まるで、どこかへ長期外出しているような……くじら殿は何がしたいのであろうか」
脳裏にいくつかのワードが翻る。長期に及ぶ姉の不在。変身願望、もしくは一日千秋。
「この事件の真の解決は高知姉妹の絆を取り戻すことだろう」
唐突に緋打石が言った。
彼女も、虎綱と同じような考えであるらしかった。
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「よ……っと」
焼却炉の入口に身を収めるようにして明斗は中を探った。残された灰をかき分けつつ彼は確認作業を続ける。
しばし探ってみるが、特にめぼしい物がでてこない。
『生命探知』を使ってみるものの、感じるのはねずみや周囲の小動物の気配ばかりである。
明斗は一旦体を引き上げた。体中に付いた灰を手で打ち払う。
「うーん、ここはハズレでしたかねぇ……まあ、証言が拾えただけ良しとしましょうか」
ポケットから手帳を取り出して成果を振り返る。
明斗の年齢はちょうど中学生の頃合に入る。
生徒に聞き込みをするにも、警察や教師など、大人には話しにくいことも話しやすいこともあろう。
実際、高知姉妹の生い立ちについての情報を得ることができた。
くじらが小学生だった頃、彼女達の両親は他界している。原因は天魔による魂の収奪。
そして明斗はある感想を抱く。
「くじらさん……ちょっとお姉ちゃんに依存しすぎじゃないかな」
素直に、そう、素直にそう思った。
『お姉ちゃんっ子といえばそれまでだけど、あれは、ねぇ……』
『“好き”の範囲を超えてない?マジ怖すぎなんだけど!』
クラスメイトの証言から気付くくじらの異常性。単に唯一の肉親だからか、それとも――。
と、明斗の着る制服のポケットが震えだした。
中から携帯電話を取り出す。メールが受信されたのだ。送信元には“カタリナさん”の文字。
「え、くじらさんが?」
明人はメールの本文を読んで驚きの声をあげた。
彼は中学校で得た調査結果を本文に書き込み返信する。
「あまり時間をかけると厄介ですね。くじらさんの我慢がどれだけ続くか……」
電話をポケットに突っ込む。そして荷物を纏めると、一直線に校門を飛び出していった。
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時間は少し遡る。
カタリナはひとり、海を眺めていた。
ここは陽子の話にあった高台。陽子とくじらの姉妹は、両親に連れられてよく散歩に行っていたらしい。
風に靡く髪を抑えながら、
「確かに……これはいい景色ですね」
太陽の光を反射してきらきらと光る海を眺める。今も一隻の漁船が湾内に入っていった。
平和そのものの風景。しかしその裏で、日々失踪事件が起こっているのもまた事実。
「……こちらに思い出があるとのことでしたが」
海に背を向け、彼女はすぐ傍にそびえる防護壁を見上げた。山肌は落石防止の為、コンクリートによって覆われている。
彼女は壁のでっぱりに足を掛け、上まで登ってみた。
その時である。
壁の上からがさり、と梢を揺らす音が聞こえてきた。
「?」
(動物でもいるのかしら?)
最初はそう思う彼女。だが、すぐにその考えを改める。
ちらりと見上げた崖上には、こちらを確認するように一瞬だけ顔を出した“何か”がいた。
それは、紛れもなく“人”であった。
「ふっ!」
防護壁を勢いよく蹴りつけ、その反動で一気に上まで登り切る。あまりに常人離れした動きに、崖上にいた人物は対応が遅れたようであった。
セーラー服に身を包んだその体をぴくり、と震わせる。
そして、
「くじらちゃん、ですね」
カタリナの言葉を受け、その人物は逃げる足をとめた。
「……だれ」
彼女――高知くじらは暗く、低い声で答えた。
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「探しましたよくじらちゃん!無事でしたか?」
カタリナはくじらに笑顔を向ける。
だが、
「こないで」
一歩足を近づいた瞬間、くじらは彼女を拒絶した。
「安心してください」
くじらを不安にさせないよう、カタリナは笑顔を張り付けたまま言葉を繋ぐ。
「私は高知陽子さんに依頼されて、あなたを探しに来たんです」
「……おねえちゃんの?」
「ええ」
陽子の名前を聞いて落ち着いたのか、くじらは逃げようとする姿勢を止めてカタリナと相対した。
その表情は明るい。
「おねえちゃんはどこ?」
くじらは言った。
「お姉ちゃん、すぐ来てくれると思いますよ」
『紳士的対応』で彼女は答える。そしてカタリナはメールを送るべく携帯電話を開いた。
まずは全員にくじらの発見報告を。そして陽子にもその連絡をしなければならない。
そう思っていると、
「おねえちゃんはどこ?」
再びくじらは言った。
「あ、ちょっと待っててくだ……」
「おねえちゃんはどこ?」
さらにくじらは聞く。日が陰り、顔に影が指した。
カタリナの表情に付けていた笑顔が消えた。
「おい!くじらが見つかったってのはマジか?」
崖下からルビィの声が聞こえてくる。
それだけでない。カタリナの連絡を受けて続々と仲間たち集まりだしていた。
「残念ですが、陽子さんはここにはいません。でも……」
カタリナの言葉を待たず、くじらは「そう」と呟く。
「こうすればおねえちゃん、帰ってきてくれると思ったのにな」
バチバチ、と音が響く。くじらは背中に隠すように廻していた手を前に出した。
その手には、激しく火花を散らすスタンガンを握られていた。
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防護壁を登った明斗は、スタンガンを手にするくじらを見てあぁ、と言葉をこぼした。
姉に対する異常なまでの執念。そして、ここ最近の言動。
傍らに立つルビィは「やっぱりか」と呻いた。
「状況証拠から推測するとくじらは無理矢理に拉致されたんじゃない――とは思ってたぜ」
拉致されたのではない。
つまり魅了によって操られているか、自分からに天魔に協力しているか、ということだ。
そしてもし自ら望んで協力しているのだとしたら。
「動機としては『多忙な姉に構って貰いたい』とか、そんな感じか?」
ルビィの問いかけにくじらは肩を震わす。
くじらは、泣いていた。
「おねえちゃんは……わたしが必要じゃないの?」
涙に濡れる顔には相変わらず影が指している。
「わたしには……ひっく……おねえちゃんしかいないのに」
くじらは幼子のようにしゃくりあげた。
「おねえちゃんがいない間……わたし、我慢したよ?ずっとお姉ちゃんの服の匂い嗅ぐだけで我慢して……必死に……愛媛の事件で帰れないのはわかってた……けど……けど!!」
涙声に慟哭が混じりはじめる。
「だから天使さんが……わたしのことを攫ってくれたら……天使さんのことを手伝えば……おねえちゃん……ひっく……来てくれると……」
天使。
その単語が意味するものは他でもない、失踪事件を引き起こした犯人である。
「そういった事情でしたか」
努めて、紳士的にカタリナが話しかけた。
「それは違いますよくじらちゃん。お姉さん、とても心配しています」
「じゃあ、なんでおねえちゃんは来てくれないの!?」
くじらは言った。いや、吠えた。
「わたしが大事なら、わたしのことが心配なら、来てくれるはず!絶対!絶対!!」
「まるっきり子供だな。自分の事しか見えてないじゃないか」
緋打石はやれやれ、と肩を竦める。
「陽子殿の様子はよろしくない。あのままではいずれ病院送りだぞ」
「……?」
くじらは、緋打石の言葉が理解できないという風にきょとん、という表情を向けた。
「病院……おねえちゃん……が」
「君は間違っていないさ」
虎綱も彼女に優しく語りかけた。
「むしろ良くやったよ……君の頑張りは此処にいる皆と君の姉さんが知ってる。
だが、このままだと君は大切な姉さんを傷つけてしまうことになる」
「なんだったら、本人に聞いてみるといいですよ」
明斗は電話をくじらに差し出す。それを彼女は受け取った。
「もしもし……?」
『くじら……くじらなの!?』
細々とした声が聞こえてくる。それは間違いなく高知陽子の声であった。
明斗から話が行っていたのであろう。陽子はくじらを優しく説得する。
だが、
「……どうして来てくれないの?」
暗い声が響いた。
「わたしはおねえちゃんに来てほしかった。来てくれれば……それでよかったのに」
『……ごめんねくじら。でもおねえちゃんも仕事が……』
「おねえちゃんはそればかり……!」
くじらは片手に持ったスタンガンをくるり、と半回転させて逆手に握る。
「じゃあ……こうすればおねえちゃんは来てくれるの?」
スイッチを入れた。スパークを上げるスタンガンがくじらの左胸に近づけられる。
「おい馬鹿な真似はやめろ!」
隙を窺っていたルビィは急いで彼女に駆け寄った。
撃退士としての力を足に込め、一瞬でくじらに肉薄する。
スタンガンがくじらの胸に当てられる前にそれを弾き飛ばした。くじらは弾かれた手の痛みに悲鳴を上げる。
同時に、接近した明斗が彼女を抑え込んだ。
「早まらないでください!それでは陽子さんを悲しませるだけです!」
「こちらに害意はない。もちろん君が守っている天使についてもだ」
虎綱は優しくくじらの頭を撫でた。
同時に、緋打石はその小さな体でくじらを包み込む。
「さあ……さっさと家に帰ろう……何、お前の姉ちゃんの仕事ぐらい引き受けてやる」
「う……ひっく……!」
くじらはただ、泣くばかりであった。
カタリナはくじらが落とした電話を拾い、電話の向こうで慌てる陽子を宥める。
「ええ。すぐに来ていただけると……はい。よろしくお願いします」
やがて久遠ヶ原学園の職員に連れられて高知陽子がやってきた。
久しぶりに陽子と対面したくじらは、2度と離さないと言わんばかりに抱きついた。
だが、その時間も長くは続かない。彼女が天使に協力して、失踪事件に関与していたのは事実なのだ。
連行された彼女から天使――イールの情報を聞くことができたのは、それから数刻経った後の事であった。