異物の気配。妖かしの吐息。
人に非ざる存在感。
午前零時を過ぎた頃、火鉈 千鳥(
jb4299)はその気配に気が付いた。
「ん。そろそろ来たみたいだね……★」
距離はそう遠くない。
彼女は狭い裏通りを音も立てずに走り出す。
不思議な事に、街灯の灯りにも月の光にも、彼女の姿はチラリとも照らし出されはしなかった。
「あれ、もう来ちゃったかな?」
塀の影で、リコリス・ベイヤール(
jb3867)は顔を上げる。
まあ、こんなものか、今のところ。彼女はぺろりと舌を出す。
本当はもう少し千隼ちゃんをペロペロしていたかったけど(……何をしていたかは秘密だ!)、標的が現れたとあっては仕方ない。なんたって私は、ほら、場を弁えた、空気の読める女だから!
リコリスは何故かドヤ顔で、傍らに立つアッシュ・スードニム(
jb3145)に合図を送る。その合図にアッシュは無言で頷き、相棒たるヒリュウ「イヴァ」を高速召喚。
ややあって。
『それ』が道の向こうからその姿を表した。
和傘を差した、下駄履きの一本足。
話に聞いた通り。むしろお伽話や漫画で見たままの、由緒正しい唐傘お化け。
傘は閉じている。サイズは思ったよりも大きい。全体の背丈は人と同じ位だが、傘だけならビーチパラソル程もあるだろう。その傘に貼り付いている、手の平程もある大きな一つ目玉と、長い舌。傘を支えるゴツい毛脛が弾み、唐傘お化けはピョンと大きくジャンプする。
ガランッ
夜道に響く、下駄の音。
唐傘の視線の先に、一人の少女が俯き加減で歩いていた。
月夜に映える長い金髪、立ち振舞もどことなく品が良い。唐傘にとっては手頃な獲物だ。唐傘は少女に向かって、下駄を鳴らしながら距離を詰める。
唐傘はまだ気がつかない。
目の前の少女が誰なのか。裏通りを、自らを囲むようにして走る者達が何者なのか。
ガランッ ガランッ
唐傘が少女に迫る。
少女はしかし、逃げようとはしなかった。目の前でピョンガランッと飛び跳ねる毛脛の唐傘に、幾ら何でも気が付いていない筈はない。それなのに少女は逃げるどころか、顔を上げようともしないのだ。
漸く唐傘は訝しみ、立ち止まる。
不審げに目玉をグルリ。舌をベロリ。
そんな唐傘に対して、金髪の少女―――長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)は遂に顔を上げた。
強い眼差し。
獲物では有り得ない、闘志に燃える青い瞳。
長谷川は拳を突き出し、目前に立つ唐傘に宣戦布告を叩きつける。
「全女性の敵たる不埒な天魔! これまでの被害者に成り代わって、撃退士であるわたくし達がお仕置きですわ!」
●
長谷川の宣告と同時に、周囲に潜んでいた撃退士達が次々とその姿を表した。
真っ先に潜伏場所から飛び出したのは火鉈を始め、碓氷 千隼(
jb2108)、白陽 ジンフィンス(
jb4337)ら鬼道忍軍の三人だ。長谷川一人を囮役とし、他のメンバーは身を潜めて不埒な唐傘を待ち伏せようというこの作戦。その成否は第一に、如何に素早く、唐傘と遭遇した長谷川を救援出来るかに掛かってる。
「よし、さくら2号、仕事だぞ。アッシュさんの所に飛んでいけ!」
神野コウタ(
jb3220)は自慢の白いヒリュウを呼び出すと、長谷川を挟んで反対側の通りに布陣するアッシュへ向けて送り出す。鬼道忍軍の仕事が飛び出す事なら、アッシュと神野、二人のバハムートテイマーの仕事は後方からの支援体制作りだ。二人が互いのヒリュウを連絡役に使う事で、唐傘を締め上げる包囲網はぐっと確度を増すだろう。
「成る程。あれが妖怪と呼ばれる種族なのですね。とはいえ、その中身は天魔に間違いなし。天魔なら阻霊符が効く筈です!」
言うなり、札を片手に光纏したのは草薙 タマモ(
jb4234)。
光輝が彼女の体から溢れだし、力を受けて輝く霊符が、周囲五百メートルに渡って天魔の透過能力を封殺する。草薙の手中で阻霊符が輝き続ける限り、唐傘はもはや捕捉不能な「お化け」ではなく、実体のある、ただの一本足のヘンタイだ。
「ま、皆から愛されるペロリストとしては、やっぱ毛脛剥き出しは不味いよね−? 真のペロリストの称号は、小悪魔ガールなこの私、リコリスにこそ相応しい」
女の子を舐め回すのに、そんなに毛脛は不味いのか?(不味いです
小悪魔ならばペロペロしても許される?(ダメです
魔界出身、正に小悪魔。リコリスは手の平を空にかざして光の呪文。掌中に生み出された淡い光球が、周囲の闇を駆逐する。
「というわけで、ばびゅーんと断罪タイム! 闇夜の提灯とはコレの事、リコリスちゃんのトワイライトを受けてみよ!」
●
草薙の阻霊符に透過能力を封じられ、頼みの闇夜も薄れて消えた。
空飛ぶヒリュウ。走る来たるは撃退士。
全ての出来事の真ん中で、長谷川は不埒な唐傘お化けに天誅という名の拳を振るう!
「逃がしませんわよ!」
ナックルダスターを装備した長谷川は、ボクシングスタイルで素早く唐傘に踏み込むと先制のワン・ツー。石火の発動に合わせてジャブより繋げた右ストレートが傘に鋭く抉り込む。
まずは一発。
殴って分かる。敵はサーバントで間違いない。阿修羅の長谷川とは噛み合う敵だ。
だが噛み合うのは向こうも同じ。
長谷川のパンチに、唐傘も長い舌を伸ばしての反撃だ。長谷川は体を振って躱そうとするが、一旦避けたと思った舌先は長谷川の背後で反転、まるでブーメランの様に戻ってきた長い舌に巻きつかれ、上半身を拘束される。
更に、べろりんちょ。
「ちょ、ど、何処舐めてるんですのッ!?」
慌てて長谷川は舌を振り解こうとするが、巻きついた太い舌は半端な力では外れない。
「ひあぁッッ!?」
再び巨大な舌先で顔を舐られ、長谷川は思わず叫ぶ。
あわや長谷川、乙女の危機か!?
ヒュオンッ!
ドスンッ!
危機を救ったのは、風を切って飛来する一本の矢。唐傘の後頭部(まあ、傘に頭があるとして)に矢がブッスリ突き立つと、唐傘は堪らず舌を解いて距離を取る。
「変態は撲滅、オシオキの時間だー!」
射手はアッシュ。翼と尻尾をピコピコ揺らし、肩に止まるは神野の相棒さくら2号。彼女はハイテンションそのままに、後方から唐傘目掛けて速射を重ねる。
「悪い子はお仕置き! 許可なくペロペロは禁止でーす」
「ほほう? つまり許可があればペロペロも許される、と」
リコリスの質問に、アッシュはにっこりマジレス。
「……変態も勿論お仕置きだよ?」と。
●
長谷川、そしてアッシュの弓矢に気を取られている内に、唐傘は逃亡のチャンスを失った。
火鉈、碓氷が長谷川の元に到着し、少し遅れて白陽も走り込んで来る。この時点で四対一。一介のサーバントにとっては厳しい数字だ。
「おらぁ、変態傘野郎! 長谷川君に近寄るんじゃねー!」
走りながら、白陽は唐傘目掛けて影手裏剣を投擲。
アウルによって生み出された真っ黒な棒手裏剣が、傘の部分を突き破る。
「女を舐め回して喜ぶなんて、男の風上にも置けやしねー。俺が男の心意気って奴を教えてやる。歯を食いしばれ!」
唐傘は果たして男なのか。歯はあるのか。手裏剣相手に歯を食いしばっても、無駄なんではなかろうか?
なんて、白陽がそんな細かな言い訳聞くわきゃない。見かけは少女でも、胸にはサラシ、心にフンドシ。男装女子の気迫も勇ましく、白陽は得物を八角棍に持ち替えて近接の構え。
「まあ一本足に腕もないんじゃ、そりゃ舐め回す以外やりようがないのは分かるけどね。取り敢えずはあたしは足狙い。悪いけど、ガンガン蹴らして貰うから!」
「……残念ですが……死んで頂きます。まずは骨を一本ずつ折って、折り畳み傘に……」
白陽の横合いから襲い掛かる、碓氷と火鉈。
影手裏剣にバランスを崩した唐傘の足を、碓氷のローキックが薙ぎ払う。
痛打!
一本足を払われ、もんどりうった所を火鉈の忍鎌が切り裂いた。
無表情な口調と殺気を込めた視線は、仲間に見せていた最前の笑顔とはまるで逆。トワイライトの淡い灯りに、火鉈の体から洩れる闇色のアウルが影を落とす。
三人の戦闘に長谷川も加わり、もはや戦いは一方的。
倒れて立ち上がる事も出来ない唐傘お化けの頭上に、四人の女性陣によるストンピングの嵐が吹き荒れる。
痛い、辛い。きつい。
文字通りに手も足も出ない唐傘お化け。ペロペロの代償は、斯くも厳しいものなのか?
「わ、ひゃ、痛そー! からかさお化けさん、やっぱり女の人は舐めちゃ駄目だよ。これに懲りて、成仏してね」
同じ男性として、神野が合掌。
「この場にペロリストは一人でいい。お前の遺志は、私が継ごう」
同じペロリストとして、リコリスも合掌。
四人の前衛陣も。合掌した二人も。後方から状況を見守るアッシュと草薙も。
誰もが依頼成就を意識した、その瞬間。
撃退士達は忘れていたのだ。報告にあった、唐傘お化けの特殊能力の事を!
唐傘お化けの目玉が光り、一瞬、間近にいた四人の体が硬直する。
「何だぁっ?!」
白陽が叫ぶ。
身体の麻痺は致命的なものではない。むしろ虚仮威しに近い代物だが、その一瞬の隙を唐傘お化けは見逃さなかった。一本足を弾ませ、立ち上がってピョンガランッ! 傘を精一杯大きく広げ、舌を宙にニョッキリ伸ばす。
初め、撃退士達はその仕草が何を意味するものなのか判らなかった。
判ったのは、数瞬後。
―――激しい豪雨が、四人の頭上に滝となって降り注ぐ!
●
「わ゛ー!? 何だよ、この雨?!」
「ま、前が見えませんわ? お化けは何処に行きましたの!?」
「皆、落ち着こう。そんな遠くに逃げられる筈がないし、多分だけど」
「……“解す”……」
慌てた、慌てた。
リアルに痛い大雨に、前の四人は瞬時に視界を塞がれる。更に轟々と降り注ぐ水音が、唐傘の下駄の音すら掻き消した。下手をしたら溺れそう。あんなとぼけた顔の痴漢専門サーバントに、まさかこんな大技があったなんて……
……そんなわけはないのである。
「あれ?」
陰り一つ無い静かな月の下で、、四人は濡れそぼった互いの顔を見つめ合う。
雨は数秒、範囲はほんの数メートル。所詮は痴漢専門サーバントのやる事だ。大雨招来というよりは、バケツで水を引っ掛けて撃退士達が驚いた隙に逃げ出した、という方がむしろ実情に近かった。
「あー、うんうん、イヴァ君の視界から今見えてるね。じゃあ、こっちもさくら2号に頼んで、そっちに案内して貰うから、それじゃ、頼んだよー」
「……アッシュさん、その電話はどなたからですの?」
ずぶ濡れの長谷川が、すぐ傍らで電話をするアッシュに不思議そうに問い掛ける。
「ん? コウタ君だよ。逃げた唐傘を、ちょうど今ボクのイヴァ君で追いかけてるところなんだ。草薙さんとリコリスさんの二人も、羽生やして空から追跡してくれてる所。じゃ、さくら2号、案内してくれる?」
白いヒリュウを鳴き声をあげて頷くと、パタパタと上空へと舞い上がる。
ヒリュウを追って、長谷川達は視線を夜空へと向ける。
いた。
初めに目に入ったのは、明るく輝くトワイライトの灯り。光球を手に空を飛ぶリコリスと草薙。二人の前方に浮かぶ、小さなヒリュウの姿。
撃退士達は、敵を見失って等いなかったのだ。
さくら2号は飛んでる途中で振り返り、地上のアッシュ達に向かっておいでおいでを繰り返す。
●
「みんな、いたよー!」
上空を飛ぶリコリスが、地上を跳ねる唐傘お化けを再発見。
随分ダメージを負っているようだが、向こうも必死。透過能力を封じられたまま、唐傘はぴょんぴょんと毛脛を弾ませ全力で通りを逃げていく。
「あー、逃げる逃げる。をを、ケッコー速い? タマモちゃん、どうしよっか?」
「私が足止めしますから、リコリスさんは皆を連れてきて下さい!」
「りょ〜かいっ!」
空中で、リコリスと草薙が二手に分離。
リコリスは地上を走るアッシュ達を出迎えに、一方草薙は翼を畳んで急降下。唐傘の頭上で旋回するイヴァを追い越し、逃げる唐傘目掛けて高空からのドロップキック!
「逃げたら、ぶ〜―――っ飛ばすわよおぉぉーっ!」
ドッカンッッ!!
ドロップキックがまともに命中、大衝撃音!
……が、実はノーダメージである。
元々天界出身であり、これが堕天後の初実戦である草薙は、魔具を通してでないと天魔にダメージを与えられぬ体になっている事を、すっかりその脳裏から失念していた。
失念していたのだが、その勢いは止まらない。唐傘の反撃を躱し、足を高々と跳ね上げての踵落としにローキック。元々疲弊気味であった唐傘を、怒涛の足技で追い詰める(ノーダメージだが)。
「全ての被害者にィ〜〜〜!」
伸びた唐傘の舌をムンズと掴み、そのままグルングルンと大回転。
「〜〜懺悔しろっ!」
言い様、ジャイアントスイングで投げ飛ばす!
大技炸裂。結果的にノーダメージであるのが実に残念。これがプロレスならば、文句無しの試合運びではあるのだが。
だが、彼女の怒涛の攻めは生み出した。ダメージの代わりに、貴重な十数秒のその時間を。
「―――見てたよ、草薙。実にいい蹴りだった♪ だけど、次からはレガース着けるのをお勧めするよ、こういう風に!」
草薙の脇を駆け抜け、碓氷が走る。
立ち上がった唐傘に向かって、走り込みながらの回し蹴り。シャドウレガースを履いた碓氷の蹴りは、ボキボキと幾本かの骨をへし折り、今後こそ唐傘はダメージを負って吹き飛ばされる。
「全く、俺を良くもこんなに走らせてくれたもんだ。落とし前はつけてくれるんだろうな?」
「……永き夜に、永遠の眠りと安らぎを………」
白陽と火鉈の二人が、足元に倒れた唐傘お化けを見下ろした。
二人の手に光る武器。
―――唐傘は叫び。
そうして折り畳み傘として、その生涯を終えたのだった。
●
「わ、どうしたの? 長谷川さん。怪我しちゃった?」
慌てる神野に、長谷川は泣きながら頭を振る。
「怪我なんかホンのちょっぴりしかしていませんわ。違うんですの。今頃になって、お化けに舌でペロペロ舐められた事が恥ずかしくって、悲しくって。だって、わたくし、殿方にもそのようなことをされたことはありませんのよ……?」
真っ赤になって涙を流す長谷川。
彼女の言葉にリコリスが目敏く反応する。
「ペロペロが恥ずかしい? そりゃあいけない。よし、じゃあ私がペロペロし直して、みずほちゃんの経験を上書きしてあげる! ね、殿方じゃないし、いいよねっ! ねっ? 少しだけだから。味見するだけだから!」
長谷川に迫る、ペロペロの魔舌。
結局、長谷川を悪魔から救ったのは、火鉈だった。大騒ぎをするリコリスを猫の子のように掴み上げ、火鉈はチョコの入ったお菓子箱を泣きじゃくる長谷川に向けて差し出した。
「元気出してよ。チョコあげるからさ。あ、皆の分もあるからね★ミ」
そう言って笑う火鉈の顔に、先程までの冷徹な様子は最早微塵も見られない―――