しとしとと降る、冷たい雨。
その雨に濡れながら、無数のサーバント達が病院を取り囲み、解放の時を待っている。
骸骨兵士や聖傀儡、グレイウルフ。居並ぶのはそういった下位のサーバント達だけではない。サイクロプスやファイアレーベンのような上位サーバントさえもが、その暴虐に飢えた視線を目前の病院に注いでいた。
この大群が一たび解き放たれるや、病院の一つや二つ、あっという間に瓦礫の山と化すだろう。撃退士が中に居ようが居まいが、そんな事は結果に何の影響も及ぼさないに違いない。
銀甲冑の騎士に率いられた、怪物達の群れ。これこそが、自らの戴く使徒を迎えに降り立った天の軍団そのものなのだ。
だが、撃退士は恐れない。
強大な暴威を前にして、尚恐れず胸を張り、撃退士達は敢然と立ちはだかった!
「来たか、撃退士共」
銀甲冑が、閉ざされた面頬の奥で小さく呟く。
病院の正面口からは、まずは六名の撃退士達が姿を見せる。
先頭に立つは機嶋 結(
ja0725)と蘇芳 更紗(
ja8374)の二名。その後ろに並ぶはアリーセ・ファウスト(
ja8008)、青空・アルベール(
ja0732)、虎綱・ガーフィールド(
ja3547)、久遠 仁刀の四名だ。更に彼らの両翼を六名の撃退庁撃退士がカバーする。
撃退士が現れたのは正面口だけではない。
地上の機嶋達と歩調を合わせて屋上に姿を現す、こちらは四名の撃退士。九曜 昴(
ja0586)、平山 尚幸(
ja8488)、神城 朔耶(
ja5843)、武田 美月(
ja4394)。各々が魔具を構え、上空を旋回する二羽のファイアレーベンと対峙する。
「……降伏に来た、というわけでは無さそうだな、撃退士よ」
「当たり前だ。千本様を使徒にするなど、誰が黙って見ていられようか!」
冷刀マグロを雄々しく掲げ、銀甲冑に啖呵を切る蘇芳。
彼女の横では、機嶋が巨大な大剣を地に突き刺し、一歩も下がらぬ不動の構え。
「毎度ご苦労ですね、銀甲冑よ。肝心のギメルはどうしたのです? 姿が見えないようですが」
「このような雑事、ギメル様のお手を煩わせる事もない。最後の通告だ、撃退士共。そこをどけ」
「どかない、と言ったら?」
弄うような機嶋の言葉に、銀甲冑は無造作に右手を上げた。
「ならば、死ぬがいい」
銀甲冑の腕が前方に振り下ろされる。何気ない動き。けれど、荒れ狂うサーバントを解き放つにはそれで十分。
一方の撃退士達も瞬時にアウルを全開放!
爆発的に立ち昇るアウルの光が病院の前庭を明るく照らす。
戦いが始まった!
「ここで引き下がる訳にはいかない。皆、覚悟はいいか?!」
青空の言葉に、アリーセが笑う。
「正直、荒事は苦手なんだけど……大丈夫、たまにはね」
「みんな、狙うはファイアレーベンだよっ!」
武田が、屋上でオートマチックP37を構えた。
彼女の隣では、九曜がガルムSPをファイアレーベンへと向ける。
「……何でもいい。片っ端から撃ち落とす、の」
●
「どうやら始まったようですね」
佐々辺柊吾の言葉。
外の闘争の気配はここ、四階のICU(集中治療室)にまではっきりと届く。
佐々辺を始めとした龍崎海(
ja0565)、神喰 朔桜(
ja2099)、マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)、土屋直輝(jz0073)ら五人の撃退士に十二名の医療スタッフ、麻美の両親、そして未だ目覚めぬ千本麻美。現在外で戦っている十六名の撃退士を除き、病院内に残っている全ての人員がこのICUに立て篭っていた。
病院全体は阻霊符の力によって守られている。また久遠を始めとした撃退士達の事前作業により、正面口以外の全ての出入り口は封鎖され、応急的なバリケードで塞がれていた。
それにも関わらず、外から伝わる闘争の気配を遠いと感じた者はこの部屋には一人もいない。事実、天使軍の狙いがまさにこの部屋にある以上、サーバント達の襲来は時間の問題とさえ言えるのだ。
「どうです? 治療は出来そうですか? 龍崎さん」
「今やっているところです」
佐々辺に答える龍崎。
龍崎は今、クリアランスによる麻美の治療を試みていた。可能性は低い、分かってる。だが麻美の容態がもし回復すれば、彼女が天使に頼らざるをえない状況は改善される。戦いそのものの意味も消えるのだ。例え可能性は低くとも、挑戦する価値はあった。
「治ればいいですね、彼女の為にも」
……その言葉に、龍崎はつと視線を上げた。ベッドの上で眠る麻美に、傷まし気な視線を注ぐ佐々辺の表情は、心底麻美の回復を願っているように見える。だが……
「ねえ、柊吾君」
そんな佐々辺に、神喰はにっこりと微笑みかける。
「あなた、麻美ちゃんを殺すつもりなんでしょう?」
邪気のない笑顔。
佐々辺もそんな神喰に微笑み返す。
「やだなぁ、バレましたか? そんなにガッついて見えるかな。やっぱり私は向いてませんね」
「本気なの?」
「勿論ですとも」
神喰の真正面からの切り込みに、佐々辺は簡単に頷いた。まるで、コーヒーにクリーム入れる? なんて聞かれたかのように、何の気負いもなく、平然と。
(土屋さんの話通り。撃退庁からの応援が少ないは、やはりそれが理由なのか……!)
龍崎は、小声で交わされた二人の会話を聞いていた。
麻美の使徒化を防ぐ事自体に異論はない。だが「先手を打って使徒候補を殺す」事は、龍崎にとっては今後の無制限の魔女狩りにも通じる、危うい方策としか思えなかった。
(今はこれを続けるしかない)
内心の思いを押し殺し、龍崎は麻美にクリアランスを使い続ける。
アウルディバイドで自らを回復させ、更にクリアランスを、もう一度。
●
正面玄関前に布陣する撃退士へ向けて、最初に突っ掛けてきたのはグレイウルフ達だ。
小柄ながら、速力を生かした突進の破壊力は侮りがたい。何よりその数の多さで、サーバント達は撃退士を正面から揉み潰そうと襲い掛かる。
「無理をしないで、厄介な相手はこちらに回してくれて構いません」
身の丈程の大剣を振るいながら、機嶋が撃退庁のルインズブレイドらに指示を出す。防衛戦だ。まずは戦線を維持する事が最重要。撃退庁撃退士達は機嶋の言葉に頷き、突っ込んでくる狼達をなんとかその場で食い止める。
「こらまた、中々にド迫力で御座るなぁ……っと!」
虎綱の『雷遁・雷死蹴』が正面から迫るグレイウルフらに直撃! 電撃に麻痺した数匹のグレイウルフがその場で派手に転倒するが、その体を踏み越え、後続の骸骨兵士達の集団が虎綱目掛けて襲い掛かる。
「あら、ちょっと待つで御座る! 順番、順番に……っ!」
勿論骸骨達は待ってくれない。振り回される刀槍を、虎綱は首を竦めて何とか躱す。続く別の骸骨兵士の攻撃に、だが際どい所で青空からの助け舟。アサルトライフルから放たれたフルオートの弾丸が、虎綱に槍を向けた骸骨兵士を撃ち砕く。
「頑張って! ここで食い止めなきゃ、麻美は助からない!」
「そうとも、ここが私達の正念場だッ!」
青空の叫びに、蘇芳が和する。冷刀マグロのフルスイングが、迫る骸骨共を吹き飛ばす。
「……その為にも、まずはあの一つ目をやっつけないとね」
弓を射ち、呟くアリーセ。
群れる骸骨共の後ろに控える、サイクロプスの圧倒的な体躯。体長十メートル超というそのサイズは、五階建ての病院が霞む程の巨大さだ。今の所、サイクロプスが先頭に立つという状況にこそなっていないものの、いつ襲いかかって来ても不思議ではなかった。
アリーセに、巨人を食い止める手立てがないではない。だが、確実を期す為には仲間の協力が必要だ。
「術が発動しません?!」
「こっちもです!」
撃退庁から派遣されたダアトの二人が、アリーセの横で悲鳴を上げる。
アリーセはとっさに空を見上げる。
いた!
赤い炎を纏い、魔法殺しの結界を展開させる巨鳥、ファイアレーベン!
「来たね。あの鳥がいる限り、こちらは魔法の一つも撃てやしない。頼むよ、屋上班」
●
「神兵を使います!」神城が叫ぶ。
「皆さんは、なるべく私から離れないようにして下さい!」
「そうは言っても、相手が飛び回ってて……」
上空からファイアレーベンの吐き出す火球を、武田は屋上を駆け回りつつ何とか躱し、お返しとばかりに銃を連射。が、当たらない。手の届かない高さでもないのに、撃退士達の飛び道具は幻を撃っているかのように、まるで掠りもしなかった。
それでも、撃退士達は諦めない。
京都でも大勢の撃退士達を苦しめたファイアレーベン。この巨鳥の発する魔封じの結界は、特に集団戦において恐るべき効力を発揮する。撃退士達が戦線を維持するにあたっては、屋上班がここでファイアレーベンを討ち果たす事が絶対条件なのだ。
「はっはー! さあ、食らえ食らえ喰らえッ!」
平山の猛弾幕が、空に浮かぶファイアレーベン目掛けて噴水のように吹き上がる。更に神城の強弓より放たれた矢が、風を切って巨鳥に襲い掛かった。
それでも尚、撃退士達の攻撃は当たらない。だが火線の集中を受けたファイアレーベンは、回避の為の機動を繰り返す内に、知らず知らず、特定の方角へと誘導されていく。
やがて、自らの向かう先に一人の人間が待ち受けていた事で、巨鳥は自分が追い込まれていた事を自覚した。慌てて身を翻すも、人間の構える銃から一瞬早く、無数の弾丸がアウルの奔流となって降り注ぐ。
「そう。誰が相手だろうと関係ない、どんな敵でも来るがいいの……僕はその全てを撃ち落とす」
火を噴く九曜のマシンガン!
翼を撃ち抜かれた巨鳥が悲鳴を上げるが、それでも九曜は引き金を緩めようとはしない。
(そうだ。相手が誰であろうと関係ないの)
九曜は撃ち続ける。
天使でもサーバントでも。何となれば、それが撃退庁の差し向けた佐々辺でも。
麻美の未来を決めるのは、麻美自身の力であるべきだと彼女は思う。残酷なようであっても、その他の力は不要だった。まして、このような焼き鳥如きに、彼女の未来を左右させる訳にはいかない!
二発目は右の翼に、三発目は胸の真ん中に。
回避力が売りのサーバントも、一度崩れれば脆いもの。蜂の巣になったファイアレーベンは、大量の羽を撒き散らせながら九曜のすぐ横に頭から墜落。激しい衝撃が屋上の床を揺るがした。
「今の僕は太陽でも撃ち落とす、のよ」
●
龍崎はクリアランスを使い尽くした。
やれるべき事は全てやった。それでも麻美は目を覚まさず、その容態にも回復の兆候は見られない。
「駄目ですか、残念です。……さて、ではそろそろ、僕もお仕事を始めるとしますか?」
佐々辺が刀を抜く。
流麗な大太刀。人一人を斬るのには大袈裟な程の業物だ。
咄嗟にマキナは拳を握り、佐々辺の前に立ち塞がった。
「佐々辺、遂に牙を向いたか!?」
龍崎も十字槍をヒヒイロカネから呼び起こす。例えこの依頼の結末がどうであれ、麻美暗殺だけは許さないというのは、学園撃退士全員の総意である。神喰や土屋までもが決意と共に身構えるのを前に、だが佐々辺は笑って片手を振ってみせた。
「え? ああ、やだな。違いますよ、仕事とはこっちの方で……」
ズバンッッ!!
言うなり、佐々辺は治療室の扉を一刀両断!
分厚い扉が真一文字に切り裂かれ、支えを失った上半分が耳障りな音を立てて床に落ちる。
そして、部屋の中に居た全員がそれを見た。
扉の向こうに立ち、扉と同じく切り裂かれた、ピンク色をしたウサギのぬいぐるみの姿。ウサギは一歩足を踏み出そうとして、糸が切れた人形の様にその場で崩れ落ちる。
伏したウサギの横から、新たに顔を出すぬいぐるみ達。小さなものから大きなものまで、無数のぬいぐるみが姿を現し、二つになった扉越しにICUを覗き込んではケタケタ笑う。
「いたいた! 麻美ちゃんもちゃんといるぞ!」
「邪魔な撃退士は追っ払え♪」
「聖傀儡……天使の操る人形ですか。一体何処から入ってきたのか……」
扉近くに居た医療スタッフが悲鳴を上げて下がるのと入れ替わりに、マキナは扉の前へと身を移す。前の廊下には既に何体もの人形が集まり、こちらの様子を伺っていた。その数も見る間にどんどん増えていく。
廊下に溢れる人形達を前に、マキナは拳を握る。
彼女とて口にこそ出さないものの、撃退庁の方針を全て首肯しているわけではない。眠れる少女の行く末は、少女の人生に関わった者が導くべきだと思っている。
「……だから、お前達ではないのですよ、人形達よ」
マキナが戦闘態勢を取るのに合わせて、佐々辺も大太刀を人形へ。
「残念だけど役者不足。君等じゃ、僕に裏の仕事を急かす事はできませんよ?」
●
ドシンッ!
衝撃。ファイアレーベンの巨体が病院の前庭に墜落した。
同時に、通信機から聞こえる平山の声。
『それで二羽目。鳥は全て片付けましたよ!』
「機嶋ちゃん!」
アリーセの言葉に、機嶋が頷く。
条件は全て整った!
機嶋は防衛戦の先頭に立ち、タウントを使用。サーバント達の視線が一斉に集中する中で、彼女は大剣をホームラン宣言よろしく高く掲げ、サイクロプスを正面から面罵する。
「そこのサイクロプス! 薄らデカイだけのデクノボーがぼんやりと、何時まで突っ立っているつもりです?! 悔しかったら掛ってきなさい!」
自棄になった?
とんでもない、これは撃退士の作戦なのだ。こうしてサイクロプスを誘引し、アリーセの拘束術にて動きを封じる。どれだけ巨大な相手でも、動きを封じれば対処は容易だ。ファイアレーベンなき今、サイクロプスを倒せば撃退士達の勝利も夢ではない。
タウントが効いたか、機嶋の罵倒が堪えたか。
サイクロプスは怒りもあらわに機嶋目掛けて突進する!
ドンッ! ドンッ! ドンッ!!
先程のファイアレーベン墜落の衝撃を上回る巨大な地響きが連続し、馬鹿げた大足が一歩毎に地面に大穴を穿つ。サイクロプスは機嶋目掛けてまっしぐら! 蘇芳や久遠達は機嶋の周囲で、同じくタウントに引き寄せられた骸骨兵士達を食い止める。雑魚に構っている暇はない。
「来たね、一つ目。魔法殺しの結界はもうないんだよ?」
アリーセの詠唱。
サイクロプスが見上げる程に間近に迫った瞬間、彼女の『異界の呼び手』が発動。同時に地面より湧き出した無数の腕がサイクロプスの下半身にしがみ付いて、その動きを拘束し……
ブヂィッ!!
「何だって?!」
巨人の想定外の膂力は、異界より呼び出された無数の腕をまるで紙切れのように引き千切る。慌ててアリーセは再度呪文を唱え始めるが、間に合わない。サイクロプスは走り込んだ勢いそのまま、巨大な足で機嶋の身体を思いっ切りに蹴りつける!!
機嶋は防壁陣を展開。クレイモアによる受け防御も見事に成功。だが、両者の身長差は十倍近く、質量差は千倍以上! 足を受け止めた大剣ごと、機嶋の身体はまるでサッカーボールのように蹴り飛ばされて、轟音と共に病院の外壁へと叩き付けられた!
「……が、ふッ……!」
血を吐きつつも、機嶋はまだ生きていた。だが二発目には耐えられないだろう。
立ち上がる事も出来ぬ機嶋に、サイクロプスが近付いて―――
『危ないッ!』
そのサイクロプスの前に、蘇芳が、そして青空の二人が同時に声を上げて飛び出した!
「このデカブツ! こっちを向くのだ!」
青空の左半身に浮かび上がる黒い刻印。
噴き上がる黒いアウルが、アサルトライフルから炎となってサイクロプスに襲い掛る。
『禍つ焔』。対天軍向けに彼が練り上げたその真っ黒なアウルは、だが、サイクロプスの足を止める事すら出来ないようだった。撃ち続ける青空を物ともせず、巨人は機嶋から目を離そうともしない。
……ああ、やっぱり私はヒーローには向いてないのかもしれない、と青空は思う。私の本当のアウルは真っ黒で、その上こんなにも非力なのだ。ちっともヒーローになんて向いてない。
青空は、走りながら撃ち続ける。
もっと私に力があれば、もっと私が本当にヒーローなヒーローだったら、麻美に違う未来を見せてあげる事が出来ただろうか? 使徒になる以外の幸せになれる方法、見つけてあげるって、そう言ったのに。
でも、まだ私は諦めない。
少しでも長く穏やかに麻美と家族が居られるように。
この弾丸はその為に撃っている。
青空の想いが通ったか。足元で弾丸を撃ち続ける彼に、機嶋のタウントに囚われたサイクロプスの注意が、少しだけ逸れる。僅かな時間、だが十分な戦果だ。その一瞬の隙を突き、蘇芳は倒れた機嶋の元へと辿り着く。
「機嶋様、大丈夫か!」
「……に、逃げなさい。まだ私にはタウントの効果が……」
「冗談! 婦女子を置いて逃げる等男子の名折れ!」
強引に機嶋に肩を貸し、彼女を立たせようとしたその時、蘇芳は頭上に迫る圧倒的な質量に気がついた。
足だ!
巨大な足が高々と持ち上げられ、二人を今にも踏み潰そうとしている!
(何という、暴虐で圧倒的な力だ!)
サイクロプスの足の裏を見上げながら、蘇芳はある種の感嘆さえ覚える。
使徒になった人間は永遠の命を授かり、この巨人を超える力さえその身に得られると聞く。だがそれは、果たして人の生と呼べるものだろうか?
否だ! 蘇芳の魂が断言する。それは人ではない、人の成れの果てだと。
蘇芳は病弱で、だけど優しい少女である麻美の事をよく知っている。彼女を、こんな化け物の仲間にさせるわけにはいかない。例えそれが押し付けやエゴであっても。
ズズ―――ンンッッ!!
サイクロプスの足が、蘇芳達の上に振り下ろされる。
悲鳴。振動。立ち込める土煙。
絶対絶命の危機の中で……だが二人は生き延びた。蘇芳の防壁陣と斜めに構えた大盾が、巨人の足の力を僅かに逸らし、蘇芳が機嶋と共に逃げる刹那の時間を生み出したのだ!
「……生きてるな、機嶋様。言っておくが、もう一度やれと言われても無理だからな」
●
「あれ! 下を見て下さい!」
平山が屋上の手摺から身を乗り出して地上の様子を指し示す。
覗いて、武田は思わず蒼くなる。そこから見えるは、手傷を負いながらもサイクロプスと必死に戦う仲間の姿。蘇芳達は一度目の踏み潰し攻撃は何とか躱せたようだが、巨人は追撃の姿勢を崩さない。
「皆さん、下の方達を助けませんと!」
言って、神城はサイクロプスへ向けて強弓を速射。
九曜、平山も加わり、屋上からサイクロプスへ矢弾が雨霰と浴びせ掛けられる。
「だめだ、まるで効いてない! ここは一旦下に降りて、地上の皆と合流を……」
「……んー、時間もないし、一丁行くか! 皆、援護よろしくねっ!」
「え? ちょ、ちょっと武田様?」
神城の止める間もあらばこそ!
ちまちま階段なんて使ってられない。武田は十字槍を手に、小天使の翼を生やして病院の屋上から躊躇なしに飛び降りた。狙いはサイクロプスの脳天、重力を味方にしての垂直アタック!
「いっけーっ!」
武田の十字槍は狙いを僅かに逸れつつも、サイクロプスの肩口へと深々と突き刺さる。
流石の巨人もこの攻撃には堪らない。怒りの声を上げながら、サイクロプスは蝿を払うかの様な手つきで武田を大きく弾き飛ばす。空中で避ける事も出来ず、大ダメージを負う武田。だが彼女の行動は無駄ではなかった。文字通りに降って湧いた大チャンスを、地上の撃退士達は見逃さない!
「機嶋様、立ち上がれるな? もう一撃頑張って貰うぞ! じゃなきゃ、二人揃ってノシイカだ!」
「……やるしかなさそうですね」
屋上班からの援護射撃に加え、青空、虎綱らの攻撃もサイクロプスの右足に火線を集中。そして、アウルの輝きと共に身を起こした蘇芳と機嶋の二人が、最大の力で、サイクロプスの右足に魔具をフルスイングで叩きつける!
「先程の蹴りのお返しです」
「これで、ワンダウンだ!」
右足に集中攻撃を受けたサイクロプスはバランスを崩し、切り倒された巨木のようにゆっくりと横に傾いていく。足下の多くのサーバントを巻き込みながら、大音響と共に崩れ落ちるサイクロプス。その身体目掛けて再びアリーセが『異界の呼び手』を放つと、無数の腕は今度こそ、サイクロプスの身体を大地の上に固定する事に成功する!
大金星! ……とは言え、撃退士達の受けた被害もまた大きい。
前線の要である蘇芳と機嶋の二人が大怪我を負ってしまった以上、今後の戦線維持は難しい。サイクロプスの拘束も直に切れる。次、また巨人が立ち上がれば、二度目の進撃を食い止める事は不可能だ。
「皆、ここは一旦退くで御座る!」
虎綱が叫ぶ。その声に、撃退士達は顔を見合わせて頷き合った。
潮時だ。
彼らは負傷者を庇いながら病院内へと後退。今後は遅滞戦闘を繰り広げつつ、四階ICUの仲間との合流を目指す事になるだろう。
撃退士達が下がるのに合わせて突出したサーバントに対し、アリーセは殿からアーススピアを発動。病院の狭い入り口に密集した集団に、彼女の置き土産は最上のタイミングで炸裂。地面から湧き出した鋭い土の槍が、多数の怪物達を刺し貫いた。
進軍を止めるサーバントを尻目に、撃退士達は院内の階段を駆け上る。
●
ICU前でも、撃退士達の戦いは続いていた。
撃退士達の先頭に立ち、黒焔を纏った拳でもって次々に人形を叩き伏せていくマキナ。だが、その横で伴に戦う佐々辺は、そんなマキナを上回って尚底知れぬ実力を秘めていた。彼の大太刀一振り毎に、人形は確実にその数を減らしていく。龍崎や神喰の援護もあり、初めは圧倒的な数の優位に余裕を見せていた聖傀儡達は、気が付けば最早半分も残ってはいなかった。
「……それだけの実力ある撃退士に、何故撃退庁は暗殺などを……」
思わずそう漏らす龍崎に、佐々辺は首を振ってみせる。
「決まってますよ。使徒は僕よりさらに強い。病弱なあの子が使徒になった時、一体どれだけの力を持つ事になる事やら! だから、麻美ちゃんは死ななければいけない。とても手には負えませんからね」
「正直なんだね、柊吾君は」
人形に雷槍を放ちながら、神喰は言う。
「そう言うの、嫌いじゃないよ。変な欺瞞を言われるよりも、よっぽどいい」
神喰の考えは、一面で佐々辺とよく似ている。
麻美を救うなら彼女が使徒となる事を望むべきで、麻美に死を求めるなら自らの意思の元、彼女をその手で殺すべき。それが彼女の『当然』だった。
麻美自身が自らの死を望めば、確かに何も起こらない。
……だから、私達に面倒かけずに死んでくれって説得するの?
奇跡で麻美の病気が治れば、それもいい。
……だけど治らなかったらどうするの? やっぱり駄目だねって、彼女に言うの?
十三歳の女の子が、生を望むのは当たり前。
それが不都合だというなら、不都合だと思う者こそがその手を穢すべきなんだ。
「……でも、だめだよ。麻美ちゃんは、柊吾君にはあげない。いざとなれば、私が彼女を殺すからさ、それでいいでしょ?」
佐々辺は神喰の瞳を覗き込む。
「本当ですか? いいですよ、僕の仕事が減るなら大歓迎です。でも、やるならそろそろ準備をした方がいいですね。どうやらクライマックスが近いようだから……」
耳を澄ますと、幾つもの足音が上から、そして下からもこの部屋へと近付いて来るのが分かる。地上や屋上で戦っていた仲間達が、この部屋へ集合しようとしているのだろう。
それは予め決められていた行動で。
―――つまりは、終りが近いという事だった。
●
撃退士達がICUに集まってくる。
まずは九曜ら、屋上班の三名が。そして次には武田を含む、地上班の十三名が。
集まってきたのは撃退士だけではない。地上班を追撃してきた、徒歩の銀甲冑に率いられた無数のサーバント達も、ICU前へとその姿を現した。
撃退士達の多くはボロボロで、一方のサーバント達の軍勢は、まるで尽きる事がないかのような有様だった。
絶体絶命?
馬鹿な、撃退士達はまだまだやれる! 有象無象の木っ端サーバント如き、何ダース来ようが物の数ではない。そうだ、相手がサーバントなら、撃退士達はどこまででも闘い抜いてみせるだろう。だから『彼』がその場に姿を現した時、撃退士達の全てが絶望を覚えて立ち竦む。
廊下に充満していたサーバントの群れが左右に割れた。
王のように、あるいは海を割る預言者のように、その男は悠々とした足取りで撃退士達の前へと歩を進める。
膝を突き、頭を垂れる銀甲冑。
『彼』は翼を広げ、金の錫杖を手にその姿を現した。
天使ギメル・ツァダイ。全ての元凶。爆炎を操る天使。そして麻美の声に応える者。
「撃退士共よ、たっぷり考える時間をやっただろう? 命とは何か。生きるべきか、死ぬべきか。我に、お前達の答えを聞かせて貰おうじゃないか!」
●
退くべきか、戦うべきか。
戦力は。陣形は。作戦は。
撃退士達の多くが凍りつく中で、最も早く言葉を口に出したのは機嶋だった。
「ギメル。貴方は麻美さんを目覚めさせる事が出来ますか?」
「無論だとも、撃退士よ」
「……では、ついて来なさい」
機嶋がそう言った瞬間、飛燕の如き速度で、佐々辺が治療室の中へと駆け戻ろうとした! だが一瞬早く、マキナが、虎綱が、そして銀甲冑が佐々辺の前に立ち塞がる。
「佐々辺さん、貴方は動いてはいけません」
「大人げないで御座るよ、佐々辺殿? 小娘自身がその口から何を語るのか、まずは聞いてみるくらいの度量が欲しいところで御座るな」
他の撃退士達も動かないのを見て、佐々辺は大太刀を仕舞って両手を上げた。どの道、ギメルがこの場に現れた時点で、良くも悪くも彼の仕事は終わり。天使相手に戦うくらいなら、使徒自身を相手にした方がまだマシなのだ。
ギメル、そして機嶋は、まるで何事もなかったかのようにICUの中へと進む。
(全く、私は何をしているんでしょうね?)
本当はずっと、機嶋はこの戦いの虚しさに気がついていた。
巨大な敵を屠り、サーバントの大群を押し留める。
何の為に?
麻美が死ぬのを待つ為に、だ。
思えば甲斐のない仕事ではないか。少女が、家族と別れを言う間もなく死ぬ。その為だけに彼女達は命を賭けて剣を振るっていたのだから。
今まで麻美を護ってきたのは単なる仕事。彼女の死に、今更心を動かされる事もない。
だけど、今回だけは麻美を目覚めさせる為に動く。
……罰も甘んじて受けましょう。
●
「麻美よ。そなたの求めに応じて、我は罷り越した。人としてのそなたは、今日ここで消え果てる定め。人としての死を望むか、人としての全てを捨てて尚、生を望むか。告げよ。我はその声に応えよう」
麻美は目を覚ました。
それから長い時間を掛けて、ゆっくり、ゆっくり、腕で体を支えて身を起こす。
細い吐息。蝋のように白い肌。
見る影もない彼女の姿。だが、彼女はまだ生きている。
「……夢を見てたの。遊園地の夢、学校に通う夢。参観日の夢も見たし、撃退士さん達も出てきたわ。もっと違う夢も沢山見た。私にもボーイフレンドが出来て、大人になって、結婚して、子供も出来て―――」
それは夢だ。
麻美に訪れる筈だった夢。
麻美に訪れなかった夢。
「それでね? 私夢で気がついたの。ああ、私、まだ何もしてないんだなって。平凡な人生が欲しかった。でも、それだけじゃない。私は『何か』がしたかった。私が私として生まれた意味を見つけたかった。何でもいいの。私は、千本麻美というこの命で、生きた証を見つけたかった。
自分でも知らなかったな。私って、こんなにワガママだったんだ。……起こしてくれて、眠ったまま殺さないでいてくれてありがとう。私、撃退士の皆さんには本当に感謝をしています」
一言一言が、彼女に残された命そのもの。
これだけの言葉を、彼女は時間をかけて、震えるように吐き出した。
「麻美さん、感謝の言葉には及びません。私達は、これより貴方の敵となります。我が剣は、いつかきっと貴方を殺すでしょう。貴方を救う事ができなくて本当にごめんなさい。それではこれでお別れです。ご両親にも、何か言う事はあるでしょう?」
機嶋が、背後に立つ麻美の両親を指さした。
夫婦で手を握り合い、涙を流し、不幸な娘を見送る二人。
麻美はにっこり笑顔で微笑んだ。
「お父さん、お母さん。今まで育ててくれて有難う。手の掛かる娘でごめんなさい。親不孝な娘でごめんなさい。でも、私二人の事が大好きだったよ? 私、家族で遊園地で遊んだ事、きっと、絶対に忘れない」
「時間だ、麻美。そなたの答えを聞こう」
ギメルが麻美の前に立ち、聖句を唱える。
止める者はいない。
「千本麻美。汝は人としての生を捨て、天使ギメル・ツァダイの新たな使徒として、その命ある限り、いついかなる時もこれを敬い、忠誠を尽くす事を誓うか?」
麻美の答えは一言。
「誓います」
―――途端。
真っ白な光が、溢れ出した。
輝ける光。人を灼き尽くし、魂を清める浄滅の光明。
麻美の体が宙に浮き、物理的な圧力さえ伴う強力な光輝が部屋に満ちる。
「麻美ちゃん! 私、きっと会いに行くからね!」
ギメルと共に宙に浮いた麻美を仰ぎ見て、神喰は光の中で必死に声を張り上げる。
「麻美ちゃんが使徒になっても、人の敵になっちゃっても、私はきっと会いに行く。そして私が殺してあげる! 強くなって、もっと強くなって、麻美ちゃんがどんな怪物になってもきっと私が殺してあげるから! だから、約束だよ、また会おうね!」
瞼を透かし、掲げた掌さえも貫き通す白光の中で。
確かに麻美は頷いたように見えた。
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この日、人としての千本麻美は死んだ。
新たに生まれたのは、使徒としての千本麻美。
彼女がこれから何をするつもりなのか。そして新たな使徒を得たギメルが何をするつもりなのか。
今の時点で、その答えを知る者は誰も居ない。
撃退士達はただ、不幸な少女の冥福を祈る。
どうか安らかに、と。