「全く、あのはg……ギメルには振り回されっぱなしなの!」
千本家の方角へと一人走りながら、九曜 昴(
ja0586)は思わず声を漏らす。
天使ギメルがやって来ました―――
麻美から送られてきたそのメールに、彼女の護衛に当っていた撃退士達はちょっとしたパニックに陥った。連絡を受けた学園側は急遽護衛の増派を決定。千本家、及び麻美の通う中学校へと複数の撃退士を送り込む。目的は勿論、あらゆる被害を防ぐ事、だ。
「もしもし、こちら昴なの。現在、麻美の通学路を千本家へと向かって逆走中! 今のところ周囲に銀甲冑や、その他のサーバントは見当たらないの」
走りながら、携帯電話を掛けながらも、九曜は周囲への目配りは怠らない。
ともかく先ずやるべき事は、麻美の両親の安全確保。そしてその次が銀甲冑を始め、ギメル配下のサーバントの動向を確認する事だ。ギメルの狙いが不明な以上、状況への過信は禁物。銀甲冑の所在は未だ確認されてない。
「はい、こちらアルベール。今、蘇芳、レグルスらと一緒に、中学校に入ったところだよ」
携帯に応えながら、青空・アルベール(
ja0732)は仲間とともに校門をくぐる。
「……思ったよりも人が多いな。こんなところでもしドンパチが始まれば、大騒ぎになるぞ」
「銀甲冑の、あの見かけで人前を出歩くのは無理でしょう。人気の少ない、隠れ場所の多いところを中心に探しましょう」
校内の様子に目を走らせる、蘇芳 更紗(
ja8374)とレグルス・グラウシード(
ja8064)。
九曜が校外の担当なら、青空を含めた彼ら三人の担当は学校内部。三人は互いに短く言葉を交わし、校内各所へと散って行く。
「今のところ九曜に、青空達が三人。そして教室には俺達二人か」
「……欲を言えば、内部にもう少し人手が欲しい所ですね」
久遠 仁刀(
ja2464)の言葉に、機嶋 結(
ja0725)がそっと周囲の喧騒を窺った。
二人のいる教室の中は、『麻美ちゃんの親戚』の登場で興奮の坩堝と化していた。流石に直接父兄(ギメルの事だ!)に集まるのは気が引けるらしいが、その分、麻美の周囲は黒山の人集り! 麻美は周囲からの質問を何とかはぐらかし続けているものの、級友達の興奮は容易には収まらない。
久遠と機嶋、二人の現在の身分は、麻美と同じく二学期からの転入生。護衛としては最適な立ち位置だが、出来る事なら授業中、ギメルを直接監視出来るような人材が欲しかった。
「はいはい、皆さん席に座って下さい、一時間目が始まりますよ〜?」
授業開始のチャイムに合わせて担任の女教師が教室に入って来ると、子供達はざわめきながらもそれぞれの席へと戻っていく。やむなく自らも席に着こうとした久遠はそこで、教室の後ろの扉から中へと入る女性達と目が合った。長髪と、銀髪ショートの若い二人。どちらもバッチリスーツを着こなした女性達。
「こんにちは、ギメルさん。お忘れですか? 以前何度もお世話になった神喰朔桜ですよ♪」
長髪の女性、神喰 朔桜(
ja2099)が、そう言って真っ直ぐにギメルの右隣へその身を置くと、反対側の左隣りは銀髪ショート、狗月 暁良(
ja8545)が身を占める。
「パーパ、そう一人で勝手に行かれちゃ困りマスワ?」
言って、狗月はまるで父娘のように、ギメルの側へと身を寄せた。
教室内に四人、教室の外に四人。
彼ら撃退士八人、ギメル対策専従班。
戦いを最大限回避しつつ、出来ればギメルの抱く真意を探る。史上嘗てない困難な参観日が、今始まった!
●
―――とは言え、ギメルは特にこれといった動きを見せようとはしなかった。
大胆に両脇にはべった狗月達は元より、中学生に身をやつした久遠や機嶋の存在にも、ギメルが気付いていない筈がない。顔だってとうに面割れしてる。例え何をする気でなかったとしても、己をあからさまに監視する撃退士は不快であろうに、ギメルはまるで彼らの存在が当然であるかのように、気にした素振りさえ表そうとはしない。
授業中、感心した様子で、壁に貼られた学生の発表文や習字作品に目を通すギメル。
そんなギメルに、神喰は横合いから話しかける。
「随分大人しいんだね。今日来た理由は、いつも通りの勧誘? 騎士様は一緒じゃないのかな?」
「一つ目の質問に関しては、Нетだ。二つ目の質問に関しては……まあ何処かその辺におるだろう。奴の姿は、人界では多少目立つからな」
ギメルの返答。
そしてまるで自分は目立っていないかのような口振りに、神喰は少し笑う。
ギメルがこの学校に現れたとの報告が寄せられた時、学園や撃退庁がどれだけの大騒ぎになったか……今ここで教えてあげたら、この天使様はどんな顔をするだろう?
そんな二人の一見何気ない会話に、機嶋や久遠は耳を大きくそばだてて聞き入っている。
彼らとて、ギメルが今ここで暴れ出すとは思っていないが、天使に無防備な背中を晒して授業を受け続けるのは、針の筵よりも尚ヒドい。いっその事、素直に殴りかかって貰った方がまだしも楽に思える程だ。
(天然なのか、作戦なのか……。だが事実として、私達は碌に動けぬまま、こうしてギメルに麻美への接近許している。策だとしたら、なかなかの智慧者と言えますね)
何気ない素振りで、機嶋は教室の後ろに立つギメルに視線を送る。
彼女の目から見ても、ギメルのリラックスした様子からはどのような意図も読み取れない。
「なあなあ、久遠。あのおっさん、筋肉すごくねーか?」
「……別に、外人だとあの程度は結構普通みたいだぞ?」
「へー、そんなもんかなぁ」
隣席の男子生徒からのひそひそ話に、殊更興味のない風を装って見せる久遠。
ギメルの狙いは未だ不明だが、とにかく、クラス中の注目が麻美やギメルに向いている、今の空気は打破したかった。単純にここは話題を変える一手だと、久遠は先程の男子生徒に言葉を返す。
「それよりお前、見た? 昨日のドラマ……」
「―――それじゃあ、この問いに関して、久遠くん、答えてくれる?」
突然の、教師からの指名。
「あ、はいっ!」
反射的に久遠は立ち上がってたものの……正直、授業の方はまるで頭に入っていなかった。グルグルと思考が無為に回転するが、質問が分からないのでは答えようもない。
「……すいません、聞いてませんでした」
「も〜、久遠くん、よそ見してちゃダメですよ? それでは折角ですし、どなたか父兄の方にお答えを……真ん中の、背の高いそこの方……」
「え゛っ?」
「げっ」
「うわっ」
教室のあちこちから聞こえる、撃退士達の悲鳴。頭を下げて席に着こうとした久遠も、中腰の姿勢のまま凍りつく。
(よりにもよって、どんな巨大地雷だっ!??)
久遠の口から、思わず悲鳴が漏れそうになる。
真ん中の背の高い父兄なんて、ギメル以外に有り得ない。プライドの高いギメルの事だ、「我にこんな問題を解かせるのか!」等と言って、突然暴発する事も考えられる。久遠を初め、四人の撃退士達が一瞬後に繰り広げられる最悪の修羅場を覚悟した時、教室に、ギメルの低いバリトン・ボイスが朗々と響き渡った。
それは道徳における質問だった。
苦しいだけの人生に絶望し、今まさに自ら死を選ぼうとする一人の若者。
彼は生きるべきだろうか? 命とは何なのか?
ギメルは言う。
「疑いようもなく、命は大事なものなのだ。
何故なら、それが全ての始まりであるが故に。
生きる喜び、生きる苦しさ。万象の認識は全て、まず生が先にあってこそ。
命とは未来の同義であり、可能性の謂である。
生き様、生の有り様などは、所詮二義的に添加された属性に過ぎん。
まず、生きる。生の有り様に悩めるのも、生があったればこその話なのだから」
ギメルが発言を終え、口を閉じた途端―――
嵐のような拍手と子供達の驚きの歓声が、地鳴りのように鉄筋の校舎を揺るがしたっ!
「……麻美ちゃんの親戚って、何か色々と凄いね……!」
「うんっ」
級友の言葉に、麻美も思わず頷く。
だが。
だけど。
万雷の拍手の中で、撃退士達はギメルの言葉に一抹の不安を覚える。
ただの言葉だ。取り立てて耳新しい内容でもない。けれど、それはギメルの、天使からのメッセージ。
「ねえパーパ。……おっさんは、本当は一体何しに来たんだ……?」
「聞いてないのか? 初めに言っただろう。麻美の、人としての生活を見届けに、だ」
●
「用があるなら出てきたらどうだ? 撃退士よ」
その言葉に、蘇芳達は飛び上がる程に驚いた。
出るか、逃げるか?
逡巡は一瞬。四人の撃退士達は目で頷き合い、隠れ場所の階段室から校舎の屋上へとその身を晒す。
彼らを待ち受けるは、甲冑に普く身を包んだ銀色の騎士。
銀甲冑の所在を見つけるのに、それ程時間は掛からなかった。
撃退士の予測通り、甲冑姿のサーバントが騒ぎを起こさず潜伏出来る場所は、校内には限られる。千本家の無事を確認して戻ってきた九曜と合流した蘇芳らは、程無く、校舎屋上に佇む銀甲冑の姿を発見。階段から銀甲冑を監視しようとして……冒頭の仕儀と相成った。
青空、蘇芳、レグルス、そして九曜。
四人は十文字槍を携えた銀甲冑に対して、慎重に間合いを測る。彼らの目的はあくまで強力なサーバントである銀甲冑の監視であり、戦闘をするつもりはない。だが、相手も同じつもりかどうかは分からない。
「君は、話が通じる相手だと思って話すの……今回、僕達は戦闘するつもりはないの」
非戦の意思表示のつもりで、V兵器を収めたまま銀甲冑に語りかける九曜。
だが九曜が続きの言葉を舌に載せるよりも早く、銀甲冑は俄に腕を振り上げ、手中の十文字槍を九曜目掛けて勢い良く投げつける!
「九曜さん、危ない!」
「わぁっ?!」
咄嗟に身を屈める九曜。盾を顕現し、九曜を庇おうとするレグルス。
しかし九曜に向けられたと思われた槍は、二人の頭上を大きく逸れた。そのまま槍は空を飛び、九曜達の背後の空に浮かんでいた黒い影を貫き通す。小鳥のような悲鳴をあげ、バラバラに飛び散る影。
「……ディアボロだ」蘇芳が呟く。「蝙蝠のような、低級の……」
「奴らも、時が近い事を察しているのだろう。気が付かなかったか? この建物が今も悪魔共から見張られている事を」
銀甲冑の言葉に、青空が声を上げた。
「じゃあ、お前はディアボロから麻美を護る為にここにいるというのか? それに、時が近いって、どういう……」
「先程のはついでに過ぎぬ。ギメル様が側についておられる以上、木っ端ディアボロ如き近付く事も出来ぬ。精々が遠巻きに様子を窺うのみ。我はただ、運命の糸が編まれる様に立会いに来ただけの事―――」
「またそれだ!」
青空は一歩足を踏み出し、叫ぶ。
「一体麻美に、何があるっていうのだ? 運命の糸って何だ? 何故お前達は麻美に付きまとう?!」
「そうだ。何故ギメルは年端も行かん少女を使徒にしようとする? よもや、あのご面相で幼い女の子が気に入った、等とは言わんだろうな」
青空の言葉、そして蘇芳の挑発にも銀甲冑は答えようとはしない。
彼が漏らした言葉は、たった一言。
「直ぐに分かる」
●
三時間目の終わり。
休み時間に入るのと同時に、校内放送が掛かる。
「千本さん、千本麻美さん。ご両親がお待ちですので、至急職員室まで来て下さい。繰り返します―――」
それは予め、撃退士達が打ち合わせをしていた合図の放送。
慌てて席を立つ麻美に、機嶋が声を掛ける。
「麻美さん。呼ばれていますよ?」
「え、あの……」
「さあ、行きましょう」
休み時間の喧騒の中、麻美と機嶋は連れ立って教室を出る。
二人が出た後を、狗月、神喰の二人が、ギメルを促しながら後に続く。
ギメルと麻美、撃退士達。皆が出払ったのを確認した久遠は、最後に教室を後にした。
「おい、久遠。どこ行くんだよ?」
「トイレ」
●
撃退士達が麻美を、そしてギメルを連れ出した先は、校舎の屋上だった。
ギメルに銀甲冑、麻美と八人の撃退士。全ての役者が一同に会す。
「それで、折角の参観日に何のつもりだ? 撃退士」
「御巫山戯は辞めにしませんか、ギメル。私達は貴方に聞きたい事がある。何故、貴方は麻美さんを狙うのです? 他の童女ではいけないのでしょうか」
機嶋の問い。ギメルは答える。
「撃退士、貴様達は勘違いをしているよ。我が麻美を選んだわけではない。我は呼ばれたのだ。麻美の、命を求める声に」
「どうして、子供を使徒に? 大人の方が、強いじゃないですか」
レグルスの問い。ギメルは答える。
「使徒の強さとは、肉体の強さではない。思う心、願う心の強さが人を変えるのだ。物理的にな」
「天使様。それが麻美ちゃんに拘る理由なの? 彼女の思いが強いから、願う心が強いから?」
神喰の問い。ギメルは三度答える。
「そうだ。使徒とはな、なろうと思ってなれるものではないのだ。あるべき時に、あるべき思いが揃う。願いを強く、思いを強く。その時に、初めて人は使徒への壁を超えるのだ」
レグルスは声を荒げる。
「黙って聞いていれば、まるで麻美が進んで使徒になるような口振りじゃないですか!
今日貴方が見ていただけでも、学校が彼女にとってどんな大切な場所か分かった筈です。勉強が出来る、遊ぶ事も出来る、何より沢山のトモダチがいる。そんな宝石のような場所を、彼女が捨てようとする筈がない。尤もらしい事を言って、お前の言う事は皆まやかしだっ!」
レグルスの火を吹くような舌鋒に、ギメルは最後の答えを放つ。
いや、それは少年への答えではなかった。
ギメルは麻美に正面から語りかける。
「そうだ。我は見届けた。麻美の人としての生活を、強さを、生の輝きを。だからこそ、我は呼ばれたのだ。麻美よ、生への希望をもて。運命に抗ってみせよ! その時、我はその想いに応えよう」
―――ギメルの言葉に、麻美は何かを答えようとした。
何か。何か大切な事を。
けれど、駄目だった。
突然胸の奥から溢れ出たモノが、彼女の言葉を粉々に砕いてしまったから。
銀甲冑が告げる。
「運命の刻だ」
麻美が大量の血を吐いて倒れたのは、その次の瞬間の事だった。
コールタールの様な、真っ黒に粘つく血潮がコンクリートの床を汚す。
悲鳴。
誰かが麻美の手を握り、肩を支えようとしている。
麻美の視界が暗くなり、全ての感覚が遠くなる。
そして何も聞こえなくなる。
●
麻美は、撃退士の通報によって急遽病院へと搬送された。
病は治っていなかったのだ。
一旦は回復したように見えた病は、急激に劇症化し、飢えた獣のように麻美の命を喰い荒らす。
病院に駆け付けた麻美の両親と撃退士の前で、医師は言った。
「麻美ちゃんの症状は極めて重篤です。非常に稀な症状で、現代医学では手の施しようがありません。今後意識が戻るかどうかすら、今の段階では申し上げる事が出来ません。余命は……数日、長くても二週間といったところでしょう」