すごい。ワニ、でっけー!
……と言うのが、そのワニを見た時、ヒロ君(五年生)が初めに思った事だった。
体育館の脇にある自然庭園には木や草が沢山生えているけど、その分ちょっと地面が盛り上がっていて、そこからは西門の様子がよく見える。だから庭園にいたヒロには、西から学校の中に入ってきたそのワニの姿が手に取るように見えていた。
ワニはとにかく、デカかった!
背中には分厚いウロコが生え並び、体の色は黒にまだらの深緑。
車どころか、尻尾を含めればトラックよりも長い体をくねらせて、ずるりと西のフェンスを「すり抜け」ながら、ワニはゆっくりと学校の敷地の中へと入り込む。
「ほら、みんな、見てみろよ! 怪獣だぞ、カイジュー!」
ヒロは興奮した声を上げて、校庭でドッヂボールをしていた友達連中に声を掛ける。
パッと見、ワニの動きはノロクサしていて、あまり素早さそうにも思えない。だから、誰かが先生を呼んでくる前に、みんなで少しくらいワニを見物しても大丈夫だろうと思ったのだ。
だけど、ワニが鈍いように見えたのは、その最初の時だけだった。
頭を左右にゆっくりと巡らしていたワニは、やがて視線を自然庭園にいたヒロ達に向けると、突然! まるで飛び跳ねるようにして、今までのが嘘のような猛ダッシュで襲いかかってきた!
ワニの獰猛な動きにようやく危険を悟り、ワッと逃げ散る子供達。
だが、ワニの動きは巨体にも関わらず速く、鋭い。子供達はロクロク逃げる事も出来ないまま、あっという間に巨大ワニに追いつかれる。子供達はこのままなす術もなく、ワニの昼食前のデザートとして一飲みにされてしまうのだろうか? このリプレイもバッドエンドでもう終わり?
「なっ、わけあるかっ! 子供達には、私が尻尾一本触れさせませんっ!!」
その強い声は、子供達の頭上から閃いた!
叫び様、六道 鈴音(
ja4192)は逃げる子供達とワニとの間に強引に着地すると、眼前に迫るワニに対して光纏全開。光の奔流となって噴き出すオーラとともに、掌の召炎霊符をワニへと向ける。
一方のワニも、相手が誰でも頓着しない。構わず一飲みにせんとて大顎を開き、口腔晒して六道へと襲いかかる。
子供達を背に、彼女はこの攻撃を避ける事は出来ない。避けるつもりもない。
がぶりと、霊符をかざす彼女の右腕に半ば胴ごと齧り付いた大ワニに対し、六道は霊符の力を爆発させた。外しっこない、霊符はワニの口の中!
「いったいっ! けど、痛くない!! くらえ、六道呪炎煉獄!」
霊符から溢れた紅黒二色の火焔が、螺旋の旋風となって巨大ワニに叩き付けられると、ワニの図体は地響き立てて庭園の向こうにまで吹き飛んだ!
「遅くなってすまないな、飛ばされた場所が遠くて、来るのに少し手間取った」
「子供達と……六道さんは、後ろに下がっていて下さい。……大丈夫、力なら……ワニにだって負けません」
火焔の衝撃から頭を振って立ち直ったワニは、いつのまにか二人増え、三人となった撃退士達を前に、一瞬躊躇いの気配を見せた。
天風 静流(
ja0373)は洋弓を構え、鴉守 凛(
ja5462)は両刃の大剣を手に。二人は子供達、そして六道を庇うようにして前に出る。増えたと言っても、僅か三人。それでも撃退士達は恐れげもなく、大口を開けて唸るワニの威嚇にもビクともしない。
「ほらほら、お姉さん達が足止めしている間に、みんなは逃げて逃げて! 大丈夫、私達は撃退士。みんながちゃんと逃げてくれさえすれば、あんなワニコロなんかに負けないんだから♪」
……六道と呼ばれたそのお姉さんが、子供の前でやせ我慢をしているのは判ってる。
右腕の傷だってひどいものだ。
それでもヒロは思った。撃退士って、ワニよりすげー! かっこいい!
●
子供達の騒ぐ気配が、小学校の敷地外にまで伝わってくる。
人によってはそれを、騒がしい小学校だなと聞き逃してしまうかもしれないが、きちんと耳をそばだてれば、子供達の声に恐怖の色が混じり込んでいるのが判るだろう。
「……出遅れたか。誰か、上手く校内に転送された者が居ればいいが」
蘇芳 和馬(
ja0168)はそう呟きながら、小学校へと向けて舗装された並木道をひた走る。
ディメンションサークルによる瞬間転送は、緊急事態への即応性には優れているものの、肝心の転送精度自体は高くない。転送目標に対し、数百メートル程度の誤差が出るのは当たり前で、今回のような状況で撃退士が上手く小学校敷地内へと転送されるかどうかは、殆ど運次第と言っていい。
出掛けに確認した周辺地図からして、蘇芳の転送地点は目標の小学校から幾分南側に逸れた場所だった。撃退士の足なら、走れば一分と掛からぬ距離であるが、小学校へ侵入したサーバントがその一分でどれだけの惨劇を引き起こせるかを考えれば、とても安閑とはしてられない。
「あ、蘇芳さん、あなたもこっちに飛ばされたのね!」
走る蘇芳の後ろから、橘 和美(
ja2868)が同様に疾走しつつ声を掛ける。
「橘先輩か。……未だにルインズブレイド二人がここにいるのは、あまりいい知らせではないな」
「大丈夫! 戦える人はまだまだ沢山いるし、それに本当にワニが大暴れしてたら、子供達の悲鳴はとてもこんな程度じゃ済まないからね!」
言って、橘はにっこり笑う。
焦りがないわけではない。二人は既に光纏済み。彗星のようにオーラの尾を引きつつの全力疾走は周囲の通行人達からひどく注目されるのだが、そんな事には構ってられない。こうして僅かに稼ぐ時間に、沢山の子供達の命が掛かっているかも知れない、そう思えば尚更の事。
それでも、転送後のメンバーの動きに関して、事前の打ち合わせはやっている。人事を尽くした後は、仲間を信じて気を強く保つ事だって、撃退士の仕事の内なのだ。
流れ星のような勢いで道を駆ける二人の前に、遂に小学校の南門が姿を現した。門を超えれば、左手には体育館と校庭が、右手には第二校舎が建っている。ここからでも、第二校舎のベランダに立ち、校庭を指差して何か騒いでいる子供達の姿がハッキリと見えた。
「私は、取り敢えず中に入ったら、始めに来たっていうデカワニの足止めに回るつもり。あなたは?」
「……こちらは、近場の建物を中心に二匹目のワニを探すとしよう。通報の職員が言っていた「二匹のトカゲ」の話が本当なら、とても放って置きは出来ないからな」
●
「……あ、あの、放送の準備が終わりました、けど……」
「どうもありがとうございます。このマイクでいいんですね?」
そう言って石田 神楽(
ja4485)は、微笑みながら音声調整卓のマイクに口を寄せる。
ここは小学校、第二校舎二階の放送室。
学校敷地外へと飛ばされた石田が、まず初めに向かった先がこの放送室であった。丁度休み時間の放送の準備に詰めていた放送部員達の手を借りて、石田は滞りなく全校放送の為の準備を完了させる。
ボリュームスイッチをオン。
一息ついて、石田はマイクへ向かって口を開けた。
「―――こちらは久遠ヶ原学園、撃退士の石田神楽です。緊急事態につき、臨時の全校放送を行います。
現在、校庭西門付近に、巨大なワニ型の天魔が侵入しました。大変危険ですので、児童生徒の皆さんは直ちに校舎内へと避難し、決して外へは出ないようにお願いします。また、校舎内においても、一階付近は危険です。避難の際は出来るだけ、高い階へと逃げるようにして下さい」
放送を聞いた校内は、きっと今頃大騒ぎになっている事だろう。
だが防音壁と防音ガラスに囲まれた放送室には、外の騒めきは聞こえない。
「また、ワニは今見られている一匹だけとは限りません。皆さんが二匹目以降のワニを万が一発見した場合、決して近寄らず、お近くの教職員の方、または撃退士まで御連絡を。現在、一匹目のワニに対しては既に撃退士が対処中です。状況が変わり次第、改めて放送しますので、それまで校舎内にてお待ち下さい」
ピンポンパンポン♪
お馴染みのチャイム音とともに、放送が終わる。
一先ずはこれでいいとしても、ぼやぼやしてはいられない。なるたけ早く校内を巡り、安全を確認する必要があった。もし二匹目のワニとやらに不意をつかれれば、厄介な事態となるだろう。
石田は愛用のスナイパーライフルを肩に担ぐと、立ち上がる。
●
「こりゃまた、すごい怪物ですね!」
七海結愛(
ja6016)はそう言って、斧槍を振るう傍ら、暴れ回るワニの姿をカメラでパシャリ。
彼女の横では、唸り声とともに振り回される強靭な尻尾を、鴉守が防壁陣を展開し、何とかブラストクレイモアで受け止めていた。メンバーの中でも際立った重装備を誇る鴉守でさえ、まともに一撃貰えば無傷で済むとは言い難い。ましてその他のメンバーでは、一発一発が大怪我間違い無しの大攻撃。サーバントとしては滅多に見ない大物だ。
鴉守との押し合いで一瞬動きを止めた大ワニに、サイドから天風が長大な斧槍を叩きつけると、ワニの鋼のようなウロコが弾け飛ぶ。痛みに声を上げ、堪らず距離を取ろうと下がる大ワニだが、後方で剣林を築いた橘、七海がワニの自由な行動を妨げる。
ワニは強い。
当初は出動した撃退士の内、ワニの撃退には二〜三人のみを割当て、残りは児童の保護と誘導、二匹目以降のワニの探索に回すつもりが、ワニの予想外の強さに急遽予定変更。鴉守、天風の二人に、後から現場に到着した七海、橘、二人のルインズブレイドをも巻き込んで、何とか互角に近い戦いを繰り広げていた。
子供達の避難役に回った六道が、校庭中の子供を校舎内に押し込めて回っているのを横目に確認し、天風は仲間達に声を掛ける。
「みんな、次で勝負に出るぞ!」
頷き、初めに飛び出したのは鴉守と七海。
前後からの同時攻撃に対し、ワニは辛うじて七海の斧槍を避けたものの、鴉守のブラストクレイモアの直撃を受ける。
「これでも、まだ……耐えられますか……!?」
剣刃と硬いウロコが噛み合い、一瞬弾け飛ぶ火花。
ワニが苦し紛れに放った尻尾の一撃がなんとか鴉守を大剣ごと薙ぎ倒すが、撃退士の刃はあと二つ!
「相手がサーバントじゃなかったら、天狼剣が使えるんだけどなっ、と!」
鴉守に注意が行ったワニの無防備な脇腹を、横から橘の剣が断ち割った。頑丈な背中と違って、脇腹のウロコに撃退士の剣を弾き返す程の硬度はない。
絶叫!
「橘君、サーバント連中には、君の綺麗な剣技では合いにくいかもしれないな。そう、例えばこいつらには……」
天風の斧槍に、仄暗く輝く紫焔が集中していく。
殺意で塗り込められた技、壱式「鬼哭」。天風はまるで物干し竿のように長い斧槍を真上へと振り上げ、悶え苦しむワニの頭目掛けて一気呵成に振り下ろす!
「……こんな暗い剣技が、こいつらは苦手なんだよ」
貫き、断ち割り、抉る音。
絶叫が、止んだ。
●
何とか巨大ワニを叩きのめした撃退士達。
皆大なり小なり傷を負いはしたものの、意気は軒高。子供達にも被害はなく、これで何とか一安心……?
「……ソフィアさん、何処行ったんだろう?」
初めに、この場にいない一人に気がついたのは、橘だった。
いや、この場にいない撃退士なら他にもいる。だが、石田の声は校内放送で確認したし、蘇芳の姿はここへ来るまでに橘自身が確認済み。六道も子供達の避難誘導で、今もそこらを走っている筈だ。転送後、誰にも確認されていないのは、総勢八名の撃退士の中でも一人だけ……
それが示す内容に撃退士達が思い当たった瞬間、北の校舎裏より子供達の悲鳴が響き渡る!!
●
「逃げて、逃げて! もたもたしてると、でっかいワニに食べられちゃうわよ!」
実際、洒落になってない!
必死に校内へと駆け込む子供達を庇って、ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)はバシャバシャと小川の水を蹴立てるワニの眼前に決然として立ちはだかる。
別段、ソフィアがここに至る迄に何か変わった行動をとったわけでは全然ない。
小学校より北東方向に転送されたソフィアは、そのまま校舎北の裏門から小学校へと入り、北の小川沿いに西へと進んだところをこのワニに出会しただけの事。
そう、二匹目のワニだ!
当初から撃退士達は、隣の自然公園と一本で繋がったこの小川を警戒していた。多少なりともワニ型サーバントに「ワニ」としての習性が残っているのだとしたら、この小川はさぞかし魅力的に映るに違いないだろうから。そして、その懸念は見事に的中する。
「それなのに、あたし一人だけってどういう事なの! っと、ウィンドウォール!」
風の障壁を身にまとい、ソフィアは回避力を上昇させる。
強力な防御スキルであるが、本来後衛専門の彼女が巨大ワニとタイマン張ってる時点で分が悪い。分が悪いが、しょうがない!
「Spirale di Petali!(スピラーレ・ディ・ペータリ)」
かざした召炎霊符から風とともに吹き出した花びらが、螺旋状に渦巻いてワニの神経を狂わせる。事ここに至って愚痴を言ってもしょうがない。持てる力の限りを尽くし、子供達を守りながら仲間の到着を待つだけだ。大丈夫、仲間はきっと来てくれる!
ズドバキンッ!!
……それでも、痛いものは痛かった。
「くー、障壁と朦朧効果の二段重ねでも、当たるものは当たるのか。もう! 皆は何処行ってるんだよ!」
二発目の尻尾の一撃は何とか躱す。
だが、いつまでもこんな綱渡りをしていられないのは明らかだ。ソフィアの魔法攻撃だって着実にワニへとダメージを蓄積させてはいるのだが、何しろ体格差は一目瞭然。生命力の桁が違う。
小川の水を跳ね飛ばし、大口開けて飛びかかってきた巨大ワニ!
万策窮し、最早逃げる事も出来ずにいたソフィアの命を救ったのは、一発の弾丸と、一振りの刀。
「ソフィアさん、奮闘お疲れ様。後の事は私達に任せて下さい」
石田の放ったスナイパーライフルの弾丸は、狙い過たず、ワニの硬い鱗を貫通した。
そうして、怒りの咆哮を上げるワニに向けて、蘇芳が忍刀・雀蜂を振りかざす。
「遅くなった、ヴァレッティ先輩。……南門からここまで、随分走らされたが、ようやく目指す相手に巡り会えたよ」
●
その後ソフィア達に天風らも合流した事で、撃退士達はフルメンバーが集結。何とか犠牲を出す事なく、二匹の巨大ワニを殲滅する事に成功した。
―――激闘が明け。
気が付けば、背後の校舎ベランダに居並ぶは鈴生りの小学生達。
一体この学校の何処に、これ程多くの子供達が居たのだろう?
子供達の喜びと驚き、感謝と尊敬を込めた歓声が、戸惑う八人の撃退士達を前に沸き返る。
「ありがとー!」
「かっけー! まじかっけー!」
「俺も撃退士になるよーっ!」
なんて声に、撃退士達は嬉しいやら恥ずかしいやら。
その日、小学校に寄せられた騒音苦情の電話数は、開校以来の歴史的記録を更新した!