「私はこっちがいいかな。オフロードっぽい車体にぶっといタイヤが可愛いし♪」
そう言って橘 和美(
ja2868)がオレンジ色のストリートバイクに跨ると、チッチッチ、と指を振った虎綱・ガーフィールド(
ja3547)が傍らの、一回り大きく、腰の座ったバイクを誇らしげに指し示す。
「なんのなんの。バイクといえば、旧車風の丸目ネイキッドが王道でござろ。400ccのエンジン性能も抜群。こいつがあれば、峠の黒犬などぶっちぎりでござるよ」
ハッハッハ、などと笑いあう二人。
峠の入口に残る、今は廃業したコンビニの駐車場跡地が、久方ぶりの車両の群れに湧いていた。
幾台もの警察車両に、撃退庁の公用車。
そして駐車場の一角を占める、今回の立役者とも言える作戦用車両達!
「……作戦用……といっても……これって……」
月水鏡 那雨夜(
ja0356)が、前に停まっている、味も素っ気もない薄いグレーのクルマに目をやった。
「これって、よく会社にある奴だよね。これで峠走って大丈夫?」
【遅そう!】
神喰 朔桜(
ja2099)と、更科 雪(
ja0636)の歯に衣着せぬ(もっとも、更科はそもそも筆談だが)感想に、その他の面々も一抹の不安は隠せない。
今回の作戦で使われる車両は、バンが一台にバイクが三台。
これらの車両に八名の撃退士が分乗して乗り込み、峠の山道を激走。スピード好きな天魔を誘き寄せ、しかる後に撃退しようというのが、今回の作戦の大まかな概要である。
問題は、バイクはともかく、峠道を高速で走り回るのにこの「ライトバン」はあまり向いていないのではないかと言う事だった。
ボンネットのないワンボックススタイル。高い車高、広い荷室こそは商用車の証!
多人数を詰め込むだけならお手のものでも、お世辞にも山道の急カーブが得意だなんて車ではない。とは言え、撃退士の人数と運転手の都合上、じゃあこれでと決まってしまったのだからしょうがない。
「車高高い車で峠攻めるとか……下手な絶叫マシーンよりスリルあるわね」
登山用ザイルを片手に、冴島 悠騎(
ja0302)が後ろから荷室に上がって中の様子を確認する。持ち込んだザイルは、いざという時に体を固定するための文字通りの命綱。最後列シートを外して広く取った荷室の中では、当然シートベルトなんて結構なものも存在しない。
「まあ、なるべく事故らないように運転するさ」
前部の運転席では、桐生 直哉(
ja3043)がドライブ前の調整作業に余念が無い。クルマ班、全五名の撃退士の命は、運転手である桐生の腕一つに掛かっていると言っていい。彼の責任は重大だ。
「……安全運転とは行かないだろうけどな」
続いてこっそり呟かれた桐生の言葉を、バッチリ聞いてしまった冴島。ザイルを固定する彼女の腕にも思わず力が入る。
一行がそれぞれに車両を弄り、作戦について打ち合わせをしている最中、軽快なエンジン音とともにワインレッドのバイクに跨った蘇芳 和馬(
ja0168)が駐車場へと滑り込んで来た。どうやら辺りを随分走りこんできたらしく、この様子なら、タイヤもエンジンもさぞかし温まった事だろう。
つまりは、準備は万端整ったというわけだ。
蘇芳が戻ったのを機に、撃退士達はそれぞれの担当する車両へと跨り、あるいは乗り込んで行った。
一台の車と三台のバイク。鳴り渡るはガソリンエンジン四重奏。
警官達が峠の入口に置かれた通行止めのバリケードを脇にどけると、バンを先頭に、撃退士達は続々と峠の山道へと乗り込んでいく。
●
岩壁と深い谷に挟まれた僅かな隙間を縫うようにして、一車線分だけの細い舗装路がうねうねと続く峠道。
道の両側を緑の木立に挟まれ、やたらとカーブミラーの立ち並ぶ見通しの悪い登り坂を、桐生の運転するバンは勢い良く駆け上がる。
「皆、振り落とされないようにしっかり捕まってろよ!」
「おおおおおっ!?」
【こわい】
思わず声を上げて助手席のシートにしがみつく神喰の後ろでは、後部座席の更科が左右に振り回されながらも、懸命にホワイトボードに現在の心境を書き綴る。ましてや荷室でザイルにしがみつく冴島や月水鏡などは、キツイどころの騒ぎではなく、まるで大きな攪拌機の中に放り込まれたかのような塩梅だ。
車内から攻撃を仕掛ける都合上、窓は開けられ、側面のスライドドアもフルオープン。邪魔なリアウィンドはガラス窓自体が取り外されており、車内で安易に転がると、そのまますぽーんと外へ転がり落ちるのは間違いない。ターボ犬以前に、このまま普通に死にそうだ。
「ねぇ、桐生君! 今でスピードどれくらい!?」
「まだまだ、八十キロッ!」
「えー?」「わぁ!」【しぬー】「……そんな」
桐生の言葉に、車内から一斉に上がる非難の声。
そんな事を言われても、まだまだ序の口だから仕方がない。バンには比較的強い馬力を誇るエンジンが備わっているが、峠の急な登坂では、おいそれと狙いの時速百キロなんて高速度を達成するのは難しい。それでも桐生は天性のスピード感とハンドル捌きに物を言わせ、アクセルを床までべた踏みに、ジワリジワリと速度を稼ぐ。
「あっちは楽しそうねー」
一方こちらは、バンの数十メートル後ろを追走する橘ら三名のバイク班。
エンジン音や風の音で何を喋っているかまでは聞こえないが、ドアも窓も開け放したバンの車内で、皆が何やら大騒ぎをしている事はよく見える。
いーなー、やっぱり私もクルマに乗せて貰えばよかったかしら? 等と思いながら橘がバンの後ろを走っていると、隣を並走していた虎綱が片手を上げ、親指で背後の道を指し示した。
「?」
橘はカーブの合間合間に首を後ろへ向けて、背後の様子を確認する。
……いる。
まだ遠い。
音は勿論、気配だって感じ取れない。
それでも、彼女は見た。今し方、自分達が通り過ぎたヘアピンカーブの奥の奥、遙か後ろを追いかけてくる黒い影。作戦実行中は一般車両は通行止めだ。この峠道を追いかけてくる相手がいるとしたら、それこそが件の天魔、ターボ犬に違いない。
●
「皆、行くぞ! これで登りは終わり、下りに入れば百キロオーバーだ!」
桐生がそう言い終わる前に、坂の頂上で車体が大きく大ジャンプ!
一瞬の嫌な浮遊感に続く、激しい着地の衝撃。そのままクルマは頂上の僅かな平地を爆走すると、道の先、峠道の残り半分、目も眩むような急な下り坂へと突入する。
「九十キロ、九十五キロ!」
登りでは幾らアクセルを踏んでも出なかった速度が、下りに入った途端に跳ね上がる。桐生は重力を味方に、カーブでも殆ど速度を落とさず、僅かな直線を逃さず加速。それに連れて、勿論車内に掛かる横Gの恐ろしさだって跳ね上がる。
エンジンの轟音、軋み、白煙を上げるタイヤ。
吹っ飛ぶように流れる外の景色。
ベルトやザイルにしがみつく手を少しでも緩めれば、即座に車外へ飛び出そう!
それでも撃退士達は目を閉じず、来たるべき瞬間を前にその神経を弛めない。
そう、その瞬間はもうすぐそこに迫ってる。
「……来たな」
初めに気が付いたのは蘇芳だった。
何か、タイヤに依らない、足で地を蹴る何者かが、猛烈な速度で一行に肉薄する気配。同時に、彼の全身から噴出す激しい光。光纏のオーラが、彗星の如く尾を引いて峠の道に輝きを残す。
「随分勿体つけた登場だ。……精々、こちらも楽しませて貰うとするか」
言って、蘇芳はアクセルを開ける。
次の瞬間、峠の天魔、スピード喰らいの黒犬が遂に姿を現した!
●
「皆、お客さんのお出ましよーっ!」
ガラスのない、素通しのリアウィンドから後方を覗いていた冴島が、三台のバイクの頭上を跳ねるように飛び越えて迫り来る、巨大な黒犬の姿をその目で確認、車内の皆へと警告を送る。
待ちに待ったターボ犬!
冴島の報に、車内の撃退士達は次々と光纏。オーラを纏い、ヒヒイロカネより愛用の得物を現出させる。
「きたきた、やっと来たっ! 散々怖い思いをした事だし、八つ当たりで悪いけど容赦はしないよー!」
「さすがに……速い……でも」
長物のスナイパーライフルを、共にずるりと取り出したのは神喰と月水鏡の二人。神喰は銃ごと助手席の窓から身を乗り出し、月水鏡はリアウィンドから長い銃身を突き出した。次いでサイドのスライドドアからはアサルトライフルを構えた更科が半身を外に。月水鏡の隣では、魔法書片手の冴島がリアウィンド越しに、アウルに輝く指先を後方の黒犬へと指向する。
「てーっ!!」
神喰の合図に、車内の四人が一斉砲火!
アウルの光弾が背後から迫るターボ犬へと集中し……だが、当たらない。とは言え、当たらぬのも道理、カーブの連続と車体の激しい振動で、車内の撃退士達は右に左に振り回されっぱなし。何より見通し距離の極端な短さが、遠距離からの射撃の難度を極端に引き上げていた。
「大変。ここまで揺れるのは誤算だったわね」
【もう少し真っ直ぐ走って】
「無茶言うなよっ?!」
困り顔の冴島に、桐生に向かって奮然と要望の書かれたホワイトボードを突き出す更科。
そう言われた(書かれた)ところで、カーブが来ればハンドルを回さなきゃいけないのがドライバーというものだ。それでも何とか車内からの射撃は継続されるが、弾の多くは明後日の方向に飛んでいくのみ。
「おやおや、締まらない話で御座るな。……されど心配御無用、頼って安心、こんな時こそのバイク組!」
ワーワーきゃーきゃー、派手に弾丸を撒き散らすライトバンを横目に、虎綱らバイク班の三名は、疾走をするターボ犬に対し、左右から挟みこむような位置にバイクを並べてV兵器を向ける。
「……しかし、これはまた、なんともまあ」
でかい。
間近で見る黒犬の姿に、虎綱は思わず息を呑む。
ドーベルマンのような鼻先の尖ったシルエットは確かに犬に似ているものの、その大きさは犬というよりかはむしろトラかライオンと言っていい。全長は三メートル弱、体重ともなれば優に三百キロは下るまい。下手に車体を寄せれば、乗り手諸共弾き飛ばされそうな程の迫力だ。
「はっ!!」
「やあっ!」
並走するターボ犬へ向かって、横から蘇芳が忍刀・雀蜂で斬り付けると、それに合わせて反対側から挟み撃つように、橘が片手で握ったブラストクレイモアを突き出した。ターボ犬は頭をすくめて蘇芳の忍刀を躱すが、逆側からの橘の攻撃までは躱せない。大剣の切っ先が、犬の腹を浅く薙ぐ。
「まだまだ! この高速では思うように動けまい!」
更に後方より、虎綱の陰陽護符による光弾が放たれる。だが、白黒に回転する陰陽玉が命中する寸前、ターボ犬は更に速度を増し、前に出る事で虎綱の一撃をやり過ごした。
「なんと! まだ加速するか!」
慌てて追撃姿勢を取るバイク組三名。
蘇芳、虎綱の二人は何とか追随するが、馬力に劣る橘のバイクはターボ犬の爆発的な加速に引き離される。
三台のバイクを引き回しつつ、ターボ犬は更に加速。
前に走るバンまでの距離は残り僅か十メートル。その距離まで近づいた時、幾人かの撃退士は気が付いた。バンの真後ろを走るターボ犬の口元に、赤い炎が光とともに溢れ出している事を!
「危ない、こいつ、火を吹くつもりで御座るぞっ!!」
虎綱の叫びと、ターボ犬の炎は正に同時。
放射状に伸びる火炎ブレスが、バンと中の五人を包み込む!
●
炎の予兆に気付いていたのは、虎綱だけではなかった。
桐生の覗くバックミラーに映る赤い炎!
「皆、つかまれ――――――!!!」
言い様、桐生はハンドルを切ってアクセルを蹴飛ばし、先のカーブに横転覚悟のパワードリフトで頭から突っ込んだ!
ギギギギギギギギギ――――――ッッッッ!!
テールが流れ、車体が横向きのまま狭い峠道一杯に行き過ぎる。
「あちゃちゃっ!!」「転がったら大変ね?」【ふぁいあーわんわんお】「痛みは……一瞬」
車内の反応もなんのその。車体を炙る火炎をすんでに躱し、ガードレールにも貼り付かず、ライトバンは見事に窮地を脱出。下りの直線コースをハイペースでかっ飛ばす。
「冴島さん! 下りの最終直線コースだ、アレを仕掛けるなら此処しかないぞ!」
「了解、それじゃあちょっと張り切っちゃいましょう♪」
直線路を疾走するライトバンと、背後に再び迫るターボ犬。直線に入り、ターボ犬の疾走速度はいや増すが、条件が良いのはこちらも同じ。車体が安定し、彼我の距離も縮まった事で、車内からの射撃精度は飛躍的に高まった。
「―――創造≪Briah≫」
クロスファイアを構えた神喰が、己の魔力を開放。噴き上がる黄金の焔を弾丸に変え、迫るターボ犬を乱れ撃つ。更には月水鏡と更科の銃弾も併せて集中。先程までの鬱憤を晴らすかのような猛打撃だ!
「それじゃあ、少し痺れて貰おうかしら。そんなに痛くないから安心してね」
そして、浴びせられる弾雨を物ともせずに迫るターボ犬の鼻先が車体に触れる寸前、冴島は予て用意の魔術を解き放つ。
ターボ犬の体を走る、小さな紫電。
そう、それはごく当たり前のスタンエッジ。電気によって相手の体を短期間麻痺させるだけの初歩的なスキルだが、この状況下での効果は絶大。紫電にほんの一瞬足をもつれさせたターボ犬の体は、瞬間的に制御を失い激しく転倒。慣性の法則そのままに、道路側方の岩壁へと転がりながら激突する!
●
……轟音とともに、ガラガラと崩れ落ちる岩壁。
もうもうたる粉塵を囲み、撃退士達は車両から油断なく武器を構え、ターボ犬の動向を見守った。
時間にして、多分、五秒か十秒。
突如粉塵の中から跳ね起きた黒い影が、矢のような勢いでまっしぐらにバンへ向かって走り出す! ……が、その行動を予期していた撃退士達の銃火は適切で、濃密だ。忽ち蜂の巣に変えられたターボ犬は、堪らず進路を変え、後方に陣取るバイク組の方へと逃げ出した。
迎え撃つは、蘇芳のバイク。彼はジャックナイフターンを敢行し、前輪を支点に振り回した後輪を勢い良く犬の顔面へと叩きつける! 勿論、V兵器でないバイクでは、阻霊符の効能が有っても精々相手の行き足を止めるくらいが精一杯だが、今はそれで十分。バイクに殴られたターボ犬を、即座に虎綱の影縛の術が捕縛する。
「天のシリウスよっ、この剣に宿り貫け!」
バイクを降りた橘が、ブラストクレイモアを天に掲げる。大剣に宿るは、破魔の力を秘めた純白の輝き。虎綱の術によって捕縛されたターボ犬に、彼女の剣を避ける術は存在しない。
「天狼斬!」
真っ白に輝くクレイモアが振り下ろされたその瞬間、峠の黒犬騒動は終わりを告げた。
●
「……あんた、中々速かったよ」
フルフェイスのヘルメットを脱いで、蘇芳は、伏して動かぬ黒犬に言葉を投げかける。
スピードに身を焦がす男が紡ぐ、それは別れの言葉。
「次に生まれ変わったら、また一緒に走ろうな」