ギィ〜〜〜イィ〜〜ギキキ―――〜ッ!
傾く廊下、破断する金属ボルト。
建物全体が不気味に軋む音に合わせて、過重に耐えかねたボルトがボギンボギンと泣き叫ぶ。
「わ゛ー、ちょっちょっちょっと待ってってばーっ!!」
鳴動し、急速に傾斜を増していく廊下を御子柴 天花(
ja7025)が必死に走る。叫び出したくなるような、笑い出したくなるような。一歩進むたびに体が斜める、奇妙な浮遊感が臓腑に染みる。
「……きゃっ、わぁ、とっ」
傾く廊下の上に載っているのは、こちらの新名 明日美(
ja0222)も同じ事。傾斜に耐えかね、慌てて廊下の手すりにしがみ付くも、手すりも一緒に傾いている今の状況下であまり賢明な行動とは言い難い。そうこうしてる間にもどんどん角度は増していく。
「新名さん、ここはダメだ、飛び降りるぞ!」
言うなり、森ノ宮陶里(
ja2126)が新名を抱きかかえるようにして立ち上がる。
愚図々々してはいられない。狙うは先に敷いておいた安全マット。体操部から借りてきた分厚いマットだ、多少勢い付けて飛び込もうとも擦り傷程度で済むだろう。多分。
「おおお?! 何事だ、地震か、はたまたディアボロの仕業か?」
若槻 治五郎(
ja5211)の目の前で、コンクリートブロックの壁面にビシリと大きな亀裂が走る。驚いて部屋から飛び出そうとした若槻は、扉の直ぐ外にあった筈の外廊下が無くなっているのを見てもう一度ビックリ。
その彼の足元で、更に一本、金属ボルトが甲高い銃声のような音を立てて弾け飛ぶ。
風化したコンクリートと、錆びた鉄の奏でる狂想曲。
曲の始まりは唐突で、曲が終わるのはあっという間。
最後のボルトが破断するのと同時に、外廊下は外階段を道連れに、轟音をと共に久遠ヶ原の大地に倒れ伏す。
誰かの叫び声。
何かが砕け、折れ、潰される音。
立ち込める土煙が、クラブ棟全体を覆う。
●
旧クラブ棟が轟音と土煙に覆われる、そのきっかり一時間前。
当然の事ながら、クラブ棟はまだ建っている。
中等部旧校舎に併設された、旧クラブ棟の化けネズミ退治。今回集まった撃退士達は総勢八名、これが天魔相手の初実戦というメンバーも多い中、彼らの意気は軒昂だ。
クラブ棟の見取り図を前に、あーでもないこーでもないと額を集め、互いの携帯電話番号を交換し、ホイッスルで交わす合図の打ち合わせ。森ノ宮などは、二階から落ちても平気なように、わざわざ体操部から分厚いマットまで借りてくる程の念の入れようである。
「よし、基本の作戦はこの段取りで行こう」
領原 陣也(
ja1866)が皆の意見を盛り込んだ作戦概要をノートにまとめる。
その作戦は、一言で言えば「一階を両サイドから挟み込むように掃討して行き、其の後二階に追い詰めた残敵を駆逐する」というもの。これに包囲から漏れた敵を始末する役、阻霊陣役なども加えれば、撃退士の布陣としては完璧だ。
「仲々良さそうな作戦じゃねェか。腕が鳴るね、全力で大暴れしてやるぜ!」
水洛 律(
ja3844)が、荒くバンテージを巻き付けた拳をバンバンと叩き合わせる。
「それじゃあ、俺は裏側を見張っておく。表はみんなに任せるよ」
「えっと、その……力の及ぶ限り精励致します」
不破 玲二(
ja0344)が手入れを済ませたリボルバーをホルスターに収めて立ち上がると、東恩納 柚子花(
ja6435)ら、残りの撃退士達も三々五々に立ち上がり、旧クラブ棟へ向かって歩き出す。
たかだかネズミ退治なれど、相手は天魔。
撃退士のアウル能力がなければ、例え軍隊が挑んでも歯が立たない理外の怪物である事には変わりない。バックアップ役として控えているという他の撃退士達も、依頼そのものにはノータッチ。彼らが出てくるのは、この八人が揃ってネズミにやられた後の事だ。
見届け役としてやって来た土屋直輝 (jz0073)少年が、クラブ棟へと向かう八人を見送り、首から下げた懐中時計で今の時間を確認する。
「現在時刻は0時20分。それでは、旧クラブ棟の化けネズミ退治を開始して下さい」
●
「あの、それでは阻霊陣、使います」
言って、クラブ棟中央正面に立った新名がその場から阻霊陣を発動させる。これで建物全域に渡って、天魔お得意の物質透過能力は使えない。阻霊陣の発動を確認した撃退士達は手筈通り、不破と新名の二人を後詰に残し、三名ずつ二班に分かれて建物両端へと散って行った。
「ふむ、随分荒廃しとるようだな。ここは一つ、慎重に行くか……」
呟く若槻。
こちらは建物西端に向かったA班、若槻、森ノ宮、御子柴の三名である。間近で建物を見上げながら、若槻は班の先頭に立って慎重に101号室へと近付いていく。崩壊の進んだ東端と違い、建物の西側は比較的損傷も少なく、外観に大きなダメージは見受けられない。
……というか、むしろ崩壊したのは「慎重に」という若槻の予定の方。
「うわーボロっちー。ここがラットのハウスだよね?」
なんて言って御子柴は、用心深く内部を窺おうとしていた若槻の隣にさっさと並ぶと、そのまま容赦無くドアノブを音高く鳴らして部屋の中へ入ろうとする。部屋に入る鍵? 勿論、彼女はそんな繊細なものは持っていない。
ガチャガチャガチャ……ボッキンッ
「あ、あいた♪ よっしゃー、あたいが一番乗り!」
「開いたって、こらっ、せめて鍵を使わんか、鍵を!」
聞き捨てならない効果音に、若槻のツッコミもなんのその。御子柴は外開きの扉を躊躇なく全開にし、さっさか部屋の中へと入り込んだ。
「わ、御子柴さん、待ってくれ!」
驚いたのは男性陣の二人。むしろ度肝を抜かれました。森ノ宮と若槻は慌てて武器を構えながら、御子柴の後に続いて部屋の中へと足を踏み入れる。
そこは、コンクリートの地肌がそのまま露出した薄暗い部屋の中。
扉の向いの壁には、ひびの入った窓が一つ。元の部室の名残か、ドアの外れた空ロッカーが横の壁一面を占めている以外は、黴びた匂いのするだけのガランとした何もない空間だ。幸い、大きなネズミが飛び出してくるなんて気配は感じられない。
「……どうやら、この部屋にネズミ共は居らんようだな」
「やれやれ、良かった。肝が冷えたよ」
「なんだ、ハズレかあ。よっし、次にいこー、次!」
ほっと息を付く男性陣の隣で、御子柴は元気よく後ろを振り返って部屋を出ると、意気揚々と隣の102号室へと向かっていった。察するまでもなく、先程のエクストリーム入室を再度敢行するつもりであろう。
彼女はこの後、若槻と森ノ宮の二人から普通に怒られた。
●
一方のこちらはB班。東恩納、水洛、領原の三人。
A班とは逆に、クラブ棟東端の106号室から順に部屋を検めて行く手筈であるが、捜索は早くも106号室、105号室を終え、次の104号室へと進行しているところであった。と言っても、こちらの段取りがそこまで優れていると言うわけでもない。単純に、106号室が無かった為である。
「……完全、外だったもんなァ、106」
「うむ。一体何をどうしたら、建物があのように破壊されてしまうのか」
呆れたような水洛の言葉を、領原も首肯する。
部屋そのものが斜めに断ち割られていた106号室は、残っているのは扉のついた壁一枚といった有様で、幾らかの瓦礫が散らばっている他は一目瞭然に何もない。壁の半分が辛うじて残っている程度の105号室も、居住性という点では大差はなく、ボロボロだとか言う以前に、まるで戦場跡の残骸か何かのようだった。肝心の化けネズミも屋根もないような吹き晒しではお気に召さないらしく、106、105の二部屋共に空振りである。
こうなると、水洛などは本当にネズミが居るのか逆に心配になって来る程であるが、斥候役の東恩納は無言で次の104号室内部の様子に聞き耳を立て、気配を探り、与えられた仕事に余念がない。
……と、その東恩納の動きが、止まった。
そのまま背後の二人に指を二本立てて見せる。ピースサインではなく(当たり前だ!)、内部にネズミが二匹居るらしいという彼女の合図。
その合図に、口をつぐんだ水洛と領原の二人が忍び足で104号室の扉に近寄ると、東恩納は無言で104号室の
扉を開ける。と同時に、部屋の中に飛び込む水洛!
水洛はファイティングポーズのまま、素早く部屋の内部に視線を飛ばす。
比較的原型のままの部屋、何故か乱雑に転がっている椅子と机。そして机の上で犬よりも大きな二匹の巨大ネズミが、突然の闖入者に威嚇の声を上げて振り向いた。
間違いない。水洛は拳を固く握る。求めていたディアボロはこいつらだ!
「皆居たぜっ! おォら、先手必勝ッ!!」
叫びざま、水洛は体内のアウルを拳に集め、全霊を込めた大パンチをネズミの顔面に叩きこむ。名付けて「俺の鉄拳(ブツリコウゲキリョクヲタカメテブツリデナグル)」! ネーミングはともかく威力の方は保証付き。避ける間もなく、ネズミの一匹はまともに鉄拳を食らって壁際にまで吹き飛んだ。
「はっはー、どーだネズ公! 俺の拳の味は!?」
上機嫌で咆える水洛の横から、領原が拳銃でもう一匹のネズミを射撃する。
弾は見事に命中し、ネズミは甲高い悲鳴を上げた。
更にそのネズミに対して東恩納が影手裏剣を投げ放つが、こちらは惜しくも外れ。だが銃弾を受けた化けネズミは早くも戦況の不利を悟ったらしく、一声鳴くと部屋の窓目掛けて走りだす。
「あ、こいつ、待ちやがれっ!」
そう言われて待つネズミはいない!
バリンッ!
乾いた破砕音と共に化けネズミは窓を破ると、そのままクラブ棟の裏の広場を一目散。ネズミが破った窓から東恩納が続いて飛び出すが、ネズミは早くも彼女の影手裏剣の射程外へと走り去ろうとしている。
このまま、撃退士達はネズミの逃亡を許してしまうのか?
「……な、わけないだろう。ディアボロは一匹でも、逃したら事だ」
言って、発砲。一発、そして二発。
逃亡阻止の為、事前に裏を見張っていた不破の銃弾が走る化けネズミに命中すると、流石の巨大ネズミももんどり打って倒れ伏す。
東恩納、水洛らが走り寄ってくる中で、不破は自らが仕留めた化けネズミに視線をやって呟いた。
「しかしデカいネズミだな……撃退士じゃなければ逃げ出すとこだ」
●
「それでは、後半の阻霊陣は俺が引き継ぐ。皆は二階を頼んだぞ」
一階の掃討が一通り終了した時点で、阻霊陣役は新名から領原へバトンタッチ。
結局一階にいたネズミはB班の遭遇した二匹だけ。事前に目撃されたネズミの数は三匹で、まだ二階には最低一匹、おそらくは二匹以上のネズミが潜んでいるに違いないが、初陣の手応えを掴んだ撃退士達の士気は揃って高い。
阻霊陣役が交代したのに合わせて、他の撃退士達も再度班を組み替える。
二階へ上がるのは、若槻、新名、森ノ宮、水洛、御子柴の計五名。領原を含め、不破、東恩納の三人は二階から逃げてきたネズミの逃亡阻止係である。
油断のない、中々に入念な布陣と言えるが、問題はむしろ二階に上がる外階段にあった。
ギー〜ィ ギシッ
「……わ、すごい、ボロボロです……」
小柄な新名が一歩階段を登るだけでも、錆びた鉄階段は大きく軋む。階段と廊下部分は、一体となって繋がっており、廊下の上で余程暴れでもしない限り崩落の危険はないだろうが、戦闘中に薄い鉄板を踏み抜きでもすれば厄介な事態になるだろう。念の為、鬼道忍軍である若槻が先行して足場の確認を行った末、おっかなびっくり、残りの四名も何とか二階の端、201号室の手前にまで辿り着く。
ブィ〜 ブィ〜 ブィ〜
森ノ宮の携帯電話がマナーモードで振動したのは、丁度若槻が201号室の扉の鍵を開けた時。踏み込もうとする仲間に一旦停止の合図を送った後、森ノ宮は電話に出る。
『おい、まだ大丈夫か?!』
電話の向こうから聞こえてくる、領原の緊迫した声。
「何だ? 領原さん、何かあったのか?」
『あったのかじゃない、そちらはまだ気付いていないのか? 今、下で鋭敏聴覚の技を使ったんだ。居るぞ、そちらの直ぐ近くに、ネズミ共が何匹も!』
「何だってっ!?」
……森ノ宮が返事を返すのが早かったのか、それとも、ネズミが姿を表すのが早かったか。撃退士達の先手を打ち、201号室の扉を内側から押し開いて雪崩出たのは、都合五匹の化けネズミ!
●
扉の正面に立っていた若槻を踏み越えるようにして、ワラワラと溢れ出る巨大ネズミ。一瞬浮き足立った撃退士達だが、その反応は素早かった。
中でも、最も素早く対応をしたのは、電話を受けていた当の森ノ宮である。
「危ない、若槻さん!」
咄嗟に携帯電話をポケットに仕舞うと、ロングボウを緊急活性。若槻に跳びかかろうとしていた一匹に対し、アウルの尾を引く矢を射込む。
森ノ宮のロングボウに、水洛の鉄拳、御子柴の大太刀が続くと、後はもう乱戦である。
初めこそ多少の手傷を負ったりもしたものの、地力で勝る撃退士達が直ぐに体勢を盛り返し、若槻、新名らも戦闘に加わると、ネズミは一匹、また一匹とその数を減らしていく。
……だが、やはり撃退士達は慌てていたのだ。彼らは忘れていた、廊下の上で暴れるとどうなるのか! もっとも、五匹のディアボロに不意打ちを喰らい、それでもおしとやかに行動しろと注文を付ける方が無理というもの。
撃退士達は悪くない。
悪いのは不意打ちを仕掛けたネズミ共と……
ボギンッ!!
……五人と五匹の加重に耐えられなかった、金属ボルトであろう。
初めの一本が破断すれば、後は勢いを増すだけだ。連続して鳴り響く不穏な音に撃退士達が注意を逸らした瞬間、最後の一匹のネズミが脇をすり抜け、徐々に傾く二階の廊下を走って逃げようとする。流石に撃退士達が追うのを躊躇する中、追い掛けたのは我らが脳筋娘、御子柴天花ただ一人!
「御子柴さん、危ない! 引き返さないと、廊下が崩れるぞ!」
「だいじょーぶ!」
森ノ宮の警告に彼女は自信満々に答えるが、大丈夫なワケがない。廊下を建物本体に止めていた金属ボルトが折れたのだ。廊下自体が建物から分離し、傾斜していく中で、御子柴は無謀七割根性五割、逃げるネズミを背後から大太刀一閃真っ二つ!
そして勿論、その後のことなど考えていないわけで―――
……斯くして、冒頭の騒ぎとなった次第。
●
旧クラブ棟は、外階段に外廊下、ついでに二階と一階の其々一部がぶっ壊れた程度で何とか済んだ。
そして御子柴が倒した七匹目のネズミが、どうやら最後のディアボロであったらしい。その後の撃退士達の再探索に別のネズミが見つかる事もなく、土屋少年の確認の元、依頼は無事に完了する。
傾きかけた夕日の中、錆と土埃で真っ黒になった撃退士達はお互いの顔を見合わせる。
「……取り敢えず顔でも洗って、そのあとで皆で飯でも食いに行くか?」
不破の言葉に、一同揃って頷いた。