エンジンと、タイヤの音を軋ませながらの急発進。
白のライトバンは二人の強盗を乗せ、大金の詰まったボストンバッグを乗せ、人質の女の子を乗せ、ついでに強盗達の夢と希望と未来への甘い皮算用を満載にして銀行前から走り去った。
行員の投げたカラーボールは当たらない。
通報ボタンは押されたが、警察が来るにはまだまだ数分以上は掛かるだろう。
それまでにライトバンは何処まで走る?
隣の街まで、警察の手の届かぬところまで、もしかしたら強盗達が高飛びを志す、南欧の陽光あふれる白砂ビーチにまで突っ走ってしまうのかもしれない。
「……それは、なんか気に入らないなぁ、ボクは」
雨宮 歩(
ja3810)が走り去る車を見遣りながら呟くと、宇田川 千鶴(
ja1613)も頷きながら同意する。
「そうやそうや。南欧のビーチとか、強盗風情が千年早いで」
言いながら、爪先をトントンと地面に当てて靴の履き具合を確かめ、同時に軽く膝を伸ばしてストレッチ。何せ、これから車道の『追い越し車線』を走るのだ。足元には万全を期しておかないと。
「おいおい、皆、本当にやる気か? 一応管轄外ではあるんだが……」
「……お仕事ではないし、面倒な人はここで待っててもいいと思うの……」
「馬鹿を言え」
領原 陣也(
ja1866)が、九曜 昴(
ja0586)の言葉を言下に否定。
「念の為、皆の意思を確認しただけだ。俺だって、あんな安っぽい強盗がいい気になってパンパン撃ちまくってるのは気に入らん」
「すいませんが、そのカラーボールをわたくしに投げさせて頂けませんか?」
フェリーナ・シーグラム(
ja6845)が、逃げる車を悔しげに見送る行員にニッコリ笑顔で声を掛け、彼からもう一発の赤いカラーボールを受け取った。既に車は五十メートル以上も遠ざかっている。ただの遠投だとしても一般人には相当きつい距離だが、別段彼女に焦りの色は見られない。
「心配しないで下さい。直ぐに私達が銀行強盗を捕まえてきますから」
カタリナ(
ja5119)の呼びかけに、銀行の前で地面に手をついて伏せていた母親がはっと顔を上げる。だが目前の、警察には見えぬ、線の細い見知らぬ女性を見て、彼女は直ぐに当惑気な表情を浮かべた。
「あ、あの、貴方達は……?」
「私達ですか? 私達は……」
「それでは、行きます!」
カタリナの背後で、フェリーナが腕を大きく振りかぶってカラーボールを投げた。
それは、唸りを上げる豪速球!
ボールは弾丸の如き猛烈な勢いのまま、狙い過たず、遥か遠いライトバンの白いバックドアに命中して赤い飛沫を散らす。同時に銀行の前にまで響き伝わる、まるで鉄球を叩きつけたかのような破裂音。冗談ではなく、ボールがぶつかった瞬間、確かに車体が傾いた!
「よし、命中です♪」
フェリーナの常人離れした投擲に目を丸くする母親に向けて、カタリナは決然と言葉を重ねる。
「私達は、通りすがりの撃退士です。待っていて下さい、あの子は私達が必ず助けます!」
●
「おおぉっ?! 何だ今のは! サツが撃って来やがったのかっ?」
一方、逃げるライトバンの中では強盗達が大騒ぎ。
すっかり上手く逃げ切ったと思った瞬間、『何か』に車をどやされた。
まさかカラーボールを投げられただけだとは夢にも思わず、一体何処から狙撃されたものかと、慌てて車の周囲に目を凝らす。
「兄貴、見ろよ、後ろから何か追いかけてくるぜ!」
「なにぃ!?」
兄貴と呼ばれた強盗の片割れが、後部座席からリアウインドを振り返る。
初めは、特におかしなものは見えなかった。後ろに見えるのは、片道二車線の比較的空いた国道で、流れる車列も安全運転の大人しい車ばかり。てっきりパトライトが束になって押し寄せてきたかと緊張した兄貴分は、直ぐに安堵の溜息を漏ら……そうとして、気が付いた。
違う。追いかけてきたものは、車ではない。
兄貴分は後ろの窓を覗いて目を見張る。
それは人だ。確かに人だった。四人の男女が、追い越し車線を物凄い勢いで走りながら追いかけてくる!
「おい、何だあれ? いやいい、何でもいいからとにかく逃げろ!」
「ガッテン兄貴!」
●
「……どうやら私達に気が付いたようですね」とエリス・K・マクミラン(
ja0016)。
「では、こちらももう少し急ぎますか」
鳳 幸村(
ja4953)の言葉に合わせて、強盗の車を追走する撃退士達は更に足を早める。
道行く人はおろか、行き過ぎる車の運転手までもが口をぽかんと開けて見送る撃退士の全力疾走。はっきり言って、これではスピード違反ではあるまいか? エリス、九曜、宇田川、鳳の四名の撃退士達が、真っ向駆けっこ勝負でライトバンを追いかける。
「皆、ほら見てみぃ。あれ、人質の女の子や」
一際速い俊足で一行の先頭を走る宇田川が、車の後部座席、強盗の片割れらしき男の横から、窓越しにこちらを見つめる女の子の姿に気が付いた。強盗達も幼児一人と高を括っているのだろう、見る限り、特に縛られたり猿轡を噛まされたりといった様子も見られない。
彼我の距離は三十メートル程。
宇田川が走りながら大きく手を振ると、女の子も直ぐに気がついてぶんぶん手を振り返してくる。
「なかなか賢うてエエ子やん。待っとってや、今直ぐ木っ端強盗叩きのめして、お母はんのところへ帰らせたるさかいな!」
言って、宇田川が足を速めるのと同時に、その体からは白銀と黒の混じった二色のオーラが噴き上がる。
鬼道忍軍たる彼女の足は、本気で走れば仲間の撃退士に比べてさらに一回りは速い。なんとなれば、このまま車を後ろから追い詰め、脇道にまで追い込むつもりだ。
ピリリリリッ〜♪
「あ、電話。僕のなの」
爆走する宇田川の後ろを走りながら、九曜が懐の携帯電話を取り出す。
全力疾走中に携帯を扱うのは、これが意外に難しい。危うく携帯を取り落としそうになるも、九曜は何とか携帯の通話ボタンを押す事に成功。通話状態の携帯を耳に当てる。
「……ん。もしもしなの。フェリーナ……?」
●
「―――はい、そうです! 現在カタリナさんと二人、バイクに乗って大通りを東進中! もうしばらくしたらそちらに追いつけると思います!」
タンデムシートのフェリーナが風に負けじと大声で電話をしている間にも、カタリナの操るバイクは次々と周囲の車を抜いていく。真っ赤なフルカウルの大きなバイク。これを駅前にいた若者から平和的に徴発した際、何とかというバイクの名前も一緒に聞いた筈だが、バイクに大した興味もないカタリナはあっさりスルー。差し当たって、強盗の車に追いつけるだけの速さがあれば、バイクが馬であっても構わない。
直接追い掛けた四人組に比べてスタートダッシュは出遅れたが、追跡が長引いた際にはカタリナ達の乗るバイクが力を発揮する筈である。常人離れした身体能力を誇る撃退士であっても、流石に長距離となればやはり車には敵わない。
「しかし、意外に良い方でしたね! このバイクを貸してくれた人……きゃっ」
ビュン、ビュン、と右に左に風を切るバイクに、フェリーナはバランスを崩しかけて慌ててカタリナの細腰にしがみつく。
「紳士にしか効かないスキルが効きましたから、きっとあの方は紳士なのでしょう。バイクも壊さずに返して差し上げないと……出来れば」
「えっ! なんて言いましたか!? カタリナさん!」
「……ペースを上げるから、しっかりしがみついてて下さいと言ったんですっ!!」
言いながら、カタリナはアクセルを回してバイクを一気に加速させる。
今しがた、車列の間から赤い飛沫の飛んだ白いライトバンが目に入った。思った程に遠くはない。カタリナは腰にしがみついてくるフェリーナの重さを感じつつ、更にバイクをかっ飛ばす。
●
「おお、皆走ってるねぇ」
横に流れる雨宮の視界の中で、先頭を走るライトバンにその後ろを追い掛ける四人組、更に後ろから猛追を掛ける二人乗りの真っ赤なバイクがはっきりと見える。何で横の視界に見えるのかというと、雨宮は今、大通りに面して建つ高層マンションの外壁を走っているからである。
まるで重力自体が横向きに変わったかのような、鬼道忍軍奥義「壁走り」。この場合、マンションの足元を走る仲間達は「眼下に見える」というべきだろうか、それとも「眼ヨコ」?
……何てことを考えながら壁を走っていると、懐の携帯電話がヴィヴィと着信振動。
横向きに走りながら、雨宮は器用に携帯を耳に当てる。
「ああ、領原か。車の現在地? ボクの少し前の方、まだ大通りを元気に驀進中だよ。そろそろ狭いところに追い込んで先回りしたいんだけど、右か左か、どっちに曲がるかが問題で……あっと」
雨宮の眼下で(眼ヨコはやっぱり辞めとこう)、前方を走るライトバンが突然激しく蛇行を始める。どうやら九曜や宇田川達が、車を脅して強引に左折させようとしているらしい。
『どうした?』と領原の声。
「ん、どうやら動きがあったみたいだねぇ」
見ている間にも、車は猟犬に追い立てられた兎の如く、ふらふらと右に左に尻を振り、遂には赤信号の交差点を無理やり左折。道の狭い住宅街へと飛び込んだ。
「今、前の赤信号を無理矢理左折したよ。住宅街の方だ」
『左か、了解。急ブレーキの音が俺のところにも聞こえてきた。適当に音を聞きながら先回りをしておこう。何かあったら連絡宜しく』
ぷつん。と領原が電話を切ると、雨宮も懐に携帯を仕舞う。
(さて、どうしようかなぁ)
住宅街の方は基本的に低層の建物ばかりで、今のように高層マンションの壁面を走って追い掛けるというわけにもいかない。雨宮は閑静な住宅街に鳴り響く、車とバイクの殴り合いのような激しいエンジン音にしばし耳を傾ける。
「……音か。ボクもそれで行くかな」
●
「さあさあ、遂に追いついた。後悔したってもう遅い、泣いたり笑ったり出来へんようにしてやるで♪」
「……あくまで威嚇だから、当ててはダメなの……」
「九曜さん、判っとる、判っとるて……!」
なんて言いつつ、宇田川が楽しそうに投げる影手裏剣は車体の塗装を削りとらんばかりにギリギリだ。横では九曜、そして追いついてきたバイク組のフェリーナが、それぞれにピストルを構えて威嚇射撃。その度に車は住宅地の狭い路地を右往左往。運転手は必死にアクセルを踏んで撃退士達を振り切るつもりなのだろうが、住宅街の狭い道に追い込まれた時点で、速度は先の国道での半分以下に落ちている。
勿論、それもこれも全ては撃退士達の作戦通り。決してパンパンパラパラ、ストレス解消気分で適当に乱れ撃ってるとか、そういう訳では全然全くまるでない。
「こなくそーっ! 一体何なんだお前らーっ!!」
プレッシャーが過ぎたのか、怒声と共に、後部座席の窓から銃を握った男が顔を出す。
「バンバンバンバン気楽に撃ちやがって、銀行強盗舐めたら怪我するぞっ!!」
「……老婆心ながらに忠告しますが、大人しく降伏した方が傷は浅いですよ?」
「うるせーっ!!」
パンッ! パンッ!
鳳の、実に親身な忠告に耳を貸さず、男は撃退士目掛けて発砲した。もっとも、揺れる車内から腕だけ出して撃ったような弾が、走ってる人間に当たる筈もなく、しかもお返しは三倍返しと来たものだ。
こういう時、残弾が物理量に依らないV兵器は実にド派手な武器である。撃退士達の遠慮も容赦もない弾幕に、強盗達は半泣きだ。
「ぎゃー! な、何だ、何だよお前らっ?!」
「兄貴っー、俺怖い!」
あまりに派手な弾幕に、車を運転していた弟分までもが思わず顔を伏せた―――その瞬間を撃退士達は見逃さない。九曜とフェリーナが目配せを交わしてピストルを構えるのに合わせて、宇田川は声を上げて車内の女の子に呼びかける。
「頭抱えて、椅子に伏せぇ!」
リアウィンドから撃退士達を見ていた女の子がその言葉にさっと姿を隠すのと同時に、九曜とフェリーナの二人は発砲。今度の弾は威嚇ではなく、弾丸は彼女達の狙い通りに左右の後輪を共に破裂させる。
既に自転車以下の速度にまで減速していたライトバンにとって、そのタイヤの破裂が止めとなった。
操縦不能となったライトバンは、ガリガリと車体後部をアスファルトに引き摺りながら、激しい音を立てて道脇の電信柱に激突する!
●
「だいじょうぶですか!?」
電信柱を傾けて停車したライトバンに、エリス、鳳の二人が駆け寄った。ついでカタリナもバイクを止めて、車の側方に回りこむ。事故としては然程大したものではないが、何しろ中の女の子が心配だ。それに上手くいけば、強盗達が目を回している隙に女の子を助けだせるかもしれない。
……だが。
「おらっー! お前ら、どいつもこいつも近寄るなっ! こっちには人質がおるんだぞ!」
バンの中から千鳥足で降り立った強盗は、目を回してもいなければ、降伏するつもりもないようだった。小脇に暴れる女の子とボストンバッグを抱え、拳銃を女の子に突きつけて周囲の撃退士達を威嚇する。
「ホントだぞ! 撃つからな、撃つからな! はは、どーだ、お前らが誰か知らんが、これで形勢逆転だ!」
「兄貴、すげー、格好良いっ!!」
「馬鹿っ! お前も見てないで、銃出せ銃! 俺は白砂のビーチに行くまで諦めんからなっ!!」
兄貴分はここに至ってなお意気軒昂。周囲を囲む六名の撃退士達を前に、この啖呵はいっそ小気味のいい位!
しかし、彼の粘り腰もそこまでだった。兄貴分は最後まで知らなかったのだ。撃退士は六人ではない、全員で八人居ることを。
「……残念だったな、強盗。ビーチの夢は諦めろ」
「そうそう、人生甘くない。油断大敵ってねぇ」
バギィィンッ!
「ぐっ!?」
別行動を取り、先に現場へ回り込んでいたのは二人の撃退士。
領原の撃った弾丸が兄貴分が持っていた拳銃を弾き飛ばし、衝撃に思わず手を押さえた兄貴分を、背後から忍び寄っていた雨宮の鞘が打ち倒す。雨宮は、気絶した強盗に代わって女の子を抱き止めることも忘れない。
「……しっかり掴まってな、お嬢ちゃん。もう大丈夫だからさぁ」
●
銀行強盗二人組の夢は、ここにこうして潰え去った。
人質の女の子は無事に母親の元に帰され、強盗達が盗んだ金も銀行に戻る。ちゃっかりカタリナが、お金を持ち逃げされた会社員から軽く『誠意』をせしめた程度は許されてもいいだろう。
そうして用事を済ませ、学園に帰ろうとする八人を、最後に引き止めたのは女の子だった。
そう。彼女には、どうしても聞きたいことが一つだけあったから。
「ねぇ? おにいちゃんたちって、『だれ』なの?」
車よりも速く、壁を走り、銃弾だってなんのその。幼い彼女の判断基準に照らし合わせてさえ、おにいちゃん達が普通でない事くらいははっきり判る。
彼ら八人はお互いの顔を見合わせ、やがて彼女に笑顔を向ける。
―――そうして女の子は「げきたいし」というヒーローの名前を知ったのだった。