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「見つけたよ。30mくらい先、一人で歩いてる」
ヒリュウを介し、斥候していた奏の眼に映ったのは、天突く金髪、額に浮かぶ三つ目、見るからに粗暴な雰囲気。すべてが通報内容と合致する。
二匹の召喚獣を従えているとの情報もあったが、今のところその姿は見当たらない。
視線だけを交わし、一同は挟撃する為に散開し。林の中へと身を溶け込ませてゆく。慎重に、気配を隠し。だが歩みは俊敏に。
(あのクソガキが動き始めたか…)
亀山 淳紅(
ja2261)が思い浮かべたのは、童顔な顔つきの天使『トビト』。感情を映さないはずの瞳の奥で、微かに険しさが滲む。
「…さすがに先の事件からは間が空きすぎているな」
嘗てこの地で撃破した天使を思い出しつつ、紫鷹(
jb0224)は関連性を否定。今でも鮮やかに蘇る人々の笑顔が、仲間たちと肩並べた経験が、頬撫でた風の感触が、彼女に伝えている。あの時とは違う、と。
だが一方で、何かが起きようとしていると、嫌な予感が胸の奥で纏わり付いている。
「ザガエロから目的を聞きださないといけませんね」
同じことを感じていたのだろう。淳紅が紫鷹に頷きかけた。
心配事は他にもある。得体の知れない通報者だ。
「大波さんは情報に手を加えていないとは言っていたが…」
ここに辿り着く前、紫鷹は旧知の仲である大波に確認を取っていた。
第三の眼、能力、そして名前。情報と言うには、知りすぎている内容。果たして一般人がそれらの情報を入手できるものなのか? 仮に入手できたとして、その存在が赦されたままでいるのだろうか?
「何とも不可思議な話ですねぇ」
怪訝な顔を浮かべながら、百目鬼 揺籠(
jb8361)が呟く。
いずれにせよ、天使の存在が本当であるならば無視できるものではない。
「どこの誰が流した情報かは知りませんが、いまは乗るしかないですね」
黒井 明斗(
jb0525)が木々の向こうへと目を細める。何か視線を感じるのは、気のせいだろうか。
「真意はともあれ、通報してきた奴は天使が佐渡に来るのは困るってことか」
「まだ見ぬ脅威から人々を守るのも貴族の務めですわね」
向坂 玲治(
ja6214)は不意打ちを警戒して周囲に目を走らせれば、長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)はこの先の戦いを見据えて気高き眼差しを真っ直ぐと前に。
傍らでは、水無月 ヒロ(
jb5185)は銀髪揺れる小柄な背中に優しい眼差しを向ける。
「また子供たちに危険が及かもしれないし、頑張ろう、とき……奏ちゃん」
「…うん…そうだね…」
距離を縮めようと勇気を出した少年の声に、奏は上の空で頷き。意識をヒリュウに集中していた顔が不意に曇った。
「ザガエロがこっちに気付いたみたい」
●
「はっ! お前らかぁ? こそこそしてやがったのは」
姿を現した撃退士たちに、三つ眼の天使が声を荒げる。対峙するのは淳紅、玲治、明斗、奏の四人。他のものは周囲で身を潜めていた。
「けっ、他にもまだいるんだろが?」
気付かれてはいても、位置までは特定されてない。ならば、まだ挟撃のチャンスはある。
「ザガエロさん、ですよね?」
淳紅の問い掛けに眉間に皺を寄せる天使。後を付け、行く手を塞ぎ、名まで知っているという事実。それは天使に警戒を促すには十分すぎた。
「お前ら、何モンだ?」
ピリピリと肌刺す大気。チリチリと身を焦がす威圧感。睨み付けてくる視線を前に、身体中が粟立つ。
(怯むな! ザ……エロ天使の魔の手から守るんだ!)
銃握る掌に勇気を添え、茂みの裏でヒロは戦士の心を鼓舞。
(相手に不足はありませんわ)
(こんな感覚久しぶりでさ)
木陰で身を隠すみずほと揺籠は各々スキルを発動。アウルを纏った布が翼を騙り、背に集いしアウルがゆっくりと蝶の羽を形取り。
単身、天使の足止めを担う紫鷹が深く、ゆっくりと息を吐く。事前情報はあれど、危険は計り知れない。
(紫鷹さん、絶対に無理しないでね?)
奏の心配そうな呼び掛けに微笑み返し、研ぎ澄ましす集中力。
準備整える撃退士たちの気配を感じ取ったのか、ザガエロは対抗するが如く虚空に吼えた。
「はっ! まぁ何でもいいぜ、相手してやらぁ!」
それを戦いの合図に、二体の召喚獣が撃退士たちの目の前に出現。存在を得ると同時に赤い虎が口を開き、白い鷲が甲高い鳴き声をあげる。
対して撃退士たちは慌てる事無く、迎撃態勢へと移行。
「攻撃が来ます!」
明斗は警告を発しつつ、白鷲の放った超音波攻撃を危なげ無く回避。続いて赤虎が炎を吹き出せば、淳紅は瞬間移動で攻撃範囲から離脱、玲治はシールドを展開して炎を防いだ。
「あぁん?」
ほとんど被害もなく、素早く態勢立て直す姿にザガエロが顔をしかめる。初めて相対するにも関わらず、召喚獣の不意打ちにも、その後の攻撃にも驚きや戸惑いがまるでない。
「なんだァ? お前らと何処かでヤリあった事あったか?」
「お前の事を知っている。それだけの事だ」
声に反応し、頭上を仰いだザガエロに迫るは、木々を伝い宙を翔ける紫鷹。
「どこへ行くつもりか知らないが私達の相手をして貰うぞ、ザガエロ!」
閃く刃の中で二人の視線が衝突すれば、天使の頬に一筋の赤が流れ落ちた。
「てんめぇ…」
怒りと苛立ちに満ちた眼と対峙しながら、紫鷹は忍刀の切っ先を天使に突きつける。
「まさかとは思うが…、たかだか人間相手に逃げはしないだろうな?」
「はっ! 笑わせんなよ!」
舞い散る落葉の中で、挑発と嘲笑、暴拳と凛刃が交錯。
(何処まで持つか分からんが、召喚獣のどちらかが片付くまで耐えてやる!)
技も型も無い粗雑な拳を、紫鷹は紙一重で躱し続ける―――。
●
「Canta! ‘Requiem’」
淳紅の厳かな歌声に反応し、赤虎の足下で浮かび上がるは血色の図形楽譜。不気味な輝き放つ音符より現れた無数の死霊の手が、我先にと赤虎の躯を群がった。
だか赤虎はそれには意を介さず、唸り声を一つ上げ。足元で生じた火花が、まるで導火線の様に地表を伝って行動直後の淳紅に迫りゆく。
「やらせないんだから!」
奏がヒリュウへ指示を飛ばし、その進路をサンダーボルトで妨害。束縛の効果も相まって、進路を逸れた火花が、二人の背後で爆発音と倒木音を響かせた。
「常葉さん、ありがとうございます」
「さっき亀山さんが対処案を教えてくれたからだよ」
淳紅が魔力を錬成し直せば、赤虎は全身から噴き出した炎で死霊の手を焼滅。互いに距離を保ちつつ、行動のタイミングを計る。
「自分らの相手をしてもらいます」
気を引く為、挑発とばかりに鼻っ面へと声の衝撃波を叩き込み。これに赤虎は咆哮混じりの炎のブレスで対抗。
感情沈めた柘榴色の視線と本能剥き出しの赤の眼光が、熱く冷たく交錯した。
●
「皆さん、お願いしますわよ」
みずほは大樹の陰で息を潜めていた。見上げる視線の先には、木々の間を縫って飛ぶ白鷲。近接攻撃が主体の彼女には手が届かない――今はまだ。
「すぐに落としますんでお待ちくだせぇ」
攻撃態勢のまま力溜めるみずほを視界の片隅に、揺籠は陽の光を背に白鷲へと接近。気付かれるよりも早く薄朱の布で片翼を絡め取り、左手で頭を鷲掴む。
「トンで頂きやしょう」
――百目ノ鬼ガ視セル夢――
幻覚による数多の視覚情報が流れ込む錯覚に、白鷲は目を回して地表へと降下。その動きに合わせ、ヒロが茂みからショットガンの銃口を向けた。
「ここで落とすんだ!」
散弾が乱れ飛ぶ中、他方では明斗が星の鎖を発動。
「その翼を奪わせて頂きます」
アウルで紡いだ鎖が白の翼を縛り付け、飛行能力を奪われた白鷲が大地に叩き伏せられる。
「今ですわ! 向坂さん、参りますわよ!」
ここで漸くみずほが始動。放出したアウルが羽根広げ、大地を滑るように蝶が舞う。
クキェェェ!
危険を察知した白鷲は、不快な鳴き声にスキル封じの呪念を乗せ、周囲に拡散。しかし、
「オレがいる限り、やらせねえよ」
追随していた玲治の庇護の翼によって、みずほが封印効果を受けることはなく。
「これがわたくしの拳ですわ!」
捻りを加えた左フックが白鷲へと叩き込まれた。
崩れ落ちた白鷲が大地に転がり、撃退士たちは畳み掛けようとしてふと気付く。
「ひょっとしてもう終わりですかい?」
拍子抜けする揺籠だったが、もはや生命の残滓すら漂わない肉塊を前に、直ぐに気持ちを切り替え転身。淳紅の下へと援護に向かう。
一方、みずほは自らの手で撃破した敵を見下ろし、浮かんだ疑問に首を傾げていた。
「帰還しませんわね?」
普通、召喚獣はこの世界で与えられた命を失えば存在を消失する。けれど、目の前にあるそれは只の骸として、そこに在り続けている。
「召喚の仕組みに、撃退士とは異なる点があるようですね」
眼鏡の奥で、明斗が目を細める。
だが興味を引かれたのはほんの一瞬。次の瞬間には、全身に悪寒が駆け巡っていた。
「けっ、コソコソ探り入れてやがって。うざってえ!」
声の主を探して振り向けば、依頼書を無造作に破り捨てるザガエロ。そしてその足下には、濡羽色の髪を広げて大地に横たわる少女の姿。
「紫鷹さん!」
呼び掛けにもピクリとも反応を示さず。目を凝らしてみるものの、紫鷹の肩や胸元は微動だにしていない。
「まさか呼吸…してない?」
ヒロの言葉に、撃退士たちの間に動揺が走った。
「お前に気を取られて、召喚獣を一匹失っちまっただろうが!」
尚も天使は、無防備な身体へ向けて容赦のない蹴撃を。これを咄嗟に玲治が庇護の翼でカバーリングし、更には明斗がライトヒールを飛ばして回復を試みる。
その行動を目にしたザガエロは玲治たちを冷酷な眼で一瞥。
「何勝手な事してやがる?」
徐に紫鷹の頭を踏みつけ、その身に唾を吐き捨てた。
(早く助け出さないと…)
明斗が焦るのも無理はない。一度回復したことで紫鷹は呼吸を取り戻していたが、まだ安心はできない。重体で済めばまだしも、その先の可能性がまだ残されている。
「はっ、いつおっ死ぬか賭けてみねえか?」
心境を弄ぶ様に、天使はにやにやと笑み浮かべ、爪先で紫鷹の頭を小突く。
(隙はきっとできるはず…!)
(今、私にやれることは…)
ヒロは銃把を握り、瞬きすら忘れザガエロを注視。みずほは何時でも飛び出せる様、ゆっくりと身を沈め。
機は一瞬。刹那の先に―――。
●
「Ti abbraccio.‘dolciss.’」
爆ぜる火花を巨大な炎の腕で握り潰すと、淳紅が再び赤虎へと向き直る。
「厄介なやつですね」
先程から束縛、朦朧状態を付与しているが、赤虎の躯から噴き出した炎によってそれらの効果は直ぐに打ち消されていた。
「いい加減、倒れてよ!」
奏は天使側の様子が気にかかるのか、無闇にヒリュウへと突撃の指示を出している。
「ダメです! 炎のブレスが―」
牙の奥に渦巻く紅蓮を吹き出さんと、赤虎が口開く――と、その直後。
「加勢いたしやしょう」
上空から急降下してきた揺籠が、赤虎の後頭部へと左の掌底突きを打ち下ろした。そのまま鬼術を発動し、叩き込む幻覚の奔流。
「さっさと片づけましょうや。あっちは芳しくないことになってそうですぜ」
揺籠に促され、淳紅が視線を巡らせるが、木々が邪魔をしていまいち状況が掴めない。
「連携して攻撃を畳み掛けましょう」
ならば一刻でも早く。
淳紅は透る歌声で激しい風の渦を巻き起こし、揺籠は毒帯びた右手を赤虎の眉間へと殴打。
一転、攻勢に転じた撃退士たちへ、赤虎は一際大きな炎を噴き出して威嚇を示し。今まで以上に激しい交戦の音が林の中に鳴り響いた。
●
「あっちは盛り上がってるみたいじゃねえか」
木々の隙間から見える赤光に、ザガエロが興味深そうに視線を向ける。
――バッ!
不意にザガエロの額から飛び散った鮮血。
それは召喚獣との生命の共有によるものだった。
(今だ!)
ヒロがショットガンから黒光の衝撃波を撃ち放った。
隙を突いた一撃であったが、ザガエロはこれを反射的に回避。故に体勢は崩れ、紫鷹の頭に乗せた足から体重が抜けた。
そこへ舞い込むは金色の蝶。
「小汚ない足を退けなさいまし!」
爆発させたアウルに押され、拳が黄金色の尾を引いてザガエロの鳩尾へと突き刺さる。
「ウォッ!?」
勢いよく吹き飛んだ躯が大樹へと叩きつけられた。
「今回復します…頑張って下さい!」
解放された紫鷹の元で明斗が癒しの風を発動。死の影は完全に消えたものの、安全圏まで回復させるには、更なる癒しの力を重ねなければならない。
「もっと…、もっとです…」
「あんまり癒せないけど…私も……、だから…」
涙浮かべ、奏はヒリュウにヒーリングブレスを指示。二人は焦燥を押し殺し、全霊を持って癒し続ける。
「けっ、もう諦めたらどうだ?」
一方、ザガエロは尚も健在。擦り傷はあれど、三つの瞳には有り余る生命力が漲っていた。
「まだ終わりではありませんわよ! 向坂さん、フォローお願い致しますわ!」
再びみずほが疾駆。愚直に、気高く、真っ直ぐに。
対して、ザガエロも突進で応戦。二人の距離が肉薄すると天使の掌底が蝶の胸元へと突き出される。
「おっと、そう易々と抜かせないぜ」
「これ以上、エロ天使の好きにはさせない!」
庇護の翼を広げた怜治が衝撃を肩代わりし、ヒロの封砲がザガエロを飲み込む。そして、
「長谷川アレクサンドラみずほ、わたくしの名を、拳を、しっかりと頭に刻み込んでくださいませ!」
麗しき修羅が魅せる破壊の拳嵐。
冥魔の属性を帯びた攻撃のほとんどをまともに受け、ザガエロが吐血した。
手応えはあった。与えたダメージは決して軽くない。それでも――。
「くくっ、みずほっつったか? お前、いい。すげーいいぜ!」
みずほの肢体に視線を這わせ、何事もなかったかのように天使は下卑た笑みを浮かべている。
「さーて、もっと遊んでやってもいいんだが、どうせならちゃんとした場を整えてヤリてえな」
ザガエロは指を鳴らすと、未だ交戦中の赤虎を元の世界へと強制帰還。翼を広げると撤退の動きを見せた。
「待…て、お前の目的は…なん…なんだ?」
掠れ声に呼び止められ、意外そうな顔で意識取り戻した紫鷹をザガエロが見遣る。
「お前もなかなかじゃねえか」
鼻で笑い、わざと耳に届かぬ声で言葉を残し飛び去る天使。
(やは…り、佐渡への侵…攻、か…)
読唇術で読み取った言葉を噛み締め、紫鷹は再び気絶した。
紫鷹の介抱が続く中、合流した揺籠と淳紅が通報者について言及。
「しかし、これだけ情報が一致するとなると、依頼人も相当キナ臭ぇですぜ」
「天使が討伐されれば利益のある者……」
淳紅の脳裏に過ぎる火の鳥の事件。その先に見えるのは――悪魔。
「やれやれ、また一波乱あるなこりゃ」
口調はボヤけど、紫鷹の様子を視界の片隅に収めながら、玲治は血の気が引くほどに拳を握り締めた。
「次はこうはいかねえぞ」
今年最初の木枯らしが、林の中を吹き抜けていった……。