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「う、卯月先輩、もうちょっとペース落としてもらって良いですか?」
「――わ!ごめんね、すみれちゃんっ」
山の頂上を目指して水場を駆けていた卯月 瑞花(
ja0623)は、ペアを組むことになった菊開 すみれ(
ja6392)の声に慌てて速度を落とし、振り返った。肩で息をしているすみれの様子に、瑞花は一旦立ち止まる。
「大丈夫?ごめんね、ペース調整考えたつもりだったんだけど」
「いえ、すみません。お気を遣わせてしまって。…授業のことで頭がいっぱいでしたけど、この川、水がとっても綺麗で気持ちよさそうですよね」
すみれは風で遊ばれる柔らかそうな髪を耳にかけながら、上流の方を見上げる。随分登ってきたように感じるが、先はまだ長いようだ。
ピピピ、ピピピ。
瑞花の体操服のズボンから規則的な機械音が鳴る。
「わお、もう十五分ですかぁ〜」
時間把握の為に、スマホのアラームを十五分毎に鳴るようセットしていたのだ。
「さすが先輩!準備ばんた――」
瑞花に向けられた言葉は突如不自然に途切れ、すみれは何か違和感を感じているかのように辺りに視線を巡らせていた。彼女の様子に、瑞花も神経を集中させる。
改めて辺りを見回す。静かだ。水のせせらぎだけがこの不安をかきたてる状況下の中、心地よく耳に響く。虫が辺りを飛んでいるがそれ以外に動くものは無い。
(…なんだろ、何か変です)
と、瑞花が一歩踏み出した時だった。何かの気配がする。
「――見つけました卯月先輩!奥の岩場の影です!」
瑞花はきらり、と双眸を輝かせ、瞬時にしてすみれが探知した場へ間合いを詰めた。岩と岩の僅かな隙間から、ズルズルと何かが動いているのを瑞花も視認する。蛇――ではない、太く硬そうな緑色の鱗、尻尾だ。間近で見た瑞花は確信する。リザードマン型のディアボロだと。
前髪をなびかせながら、瑞花は涼しい顔をして空高く跳躍した。
「うふふ♪すみれちゃんが攻撃しやすいように移動してもらいます〜」
フワリと落下する瑞花。彼女の身軽な見た目とは裏腹に、着地と同時に行った攻撃はその場に潜んでいたリザードマンを十メートル以上吹き飛ばした。ひらけた砂利の上にその姿が露わになる。
リザードマンが立ち上がると同時に、瑞花はその周囲を縦横無尽に走り抜けた。勿論何もせず、なハズがない。後に目に見えぬ脅威をリザードマンは知る事となる。
ハ虫類のような独特な咆哮を上げながら、リザードマンは瑞花に狙いを定め、体勢を低く構えていた。だが――。
「ぶー、はっずれーなのです。キミの脅威となる本命は…あ・ち・ら♪」
悪戯な笑みを浮かべて、ちらりと目線だけ彼女の方へ向けた。そう、勿論彼女とは――。
「私も、卯月先輩の足を引っ張らないように頑張ります!えーい!」
ガンガンガン!!
すみれの華奢な身体は、放った攻撃の反動にぶれることはない。目標に向かって握られたオートマチックP37はリザードマンの硬い鱗をも撃ち抜いていた。その凛々しい様は、内面にも一本の美しい芯が通っているように見せる。
銃声はなおも続いた。辺りがリザードマンの血飛沫で染まる。だが銃の的はペーパーターゲットではない。リザードマンは身体を前傾にし、弾丸の雨をかい潜りながらすみれを襲う――つもりだったのだろう。
すみれに向かって突進したと同時にその身体は鋼糸に絡めとられ、肉を斬り裂かれていく。もがくたび、己の肉体を非情なまでズタズタに。
「残念☆見事にひっかかっちゃいましたね〜」
嘲笑混じりに岩の上からリザードマンを見下ろす瑞花。――そう、これこそ、先程彼女が仕掛けておいた罠なのだ。
「ふわ、痛そう…すごいです、先輩。――じゃあそろそろ、さよならです!えいっ!」
すみれの銃弾がリザードマンの頭部と心臓を貫く。その衝撃に半身を激しく仰け反らせたリザードマンは、どっ、と地面に倒れるとそのまま動かなくなった。
「やったー!さっすがすみれちゃん♪」
「い、いえ、そんな…卯月先輩の援護、素晴らしかったですから…」
「えへ、そんなこと――」
カプ。
「…?かぷ…?」
突如、聞き慣れない変な音が瑞花の耳に届く。いやに発生源が近い。
「――きゃあっ!せ、先輩!後ろっ、うしっ、ピ、ピラニアがっ!」
青ざめた顔で叫ぶすみれ。後ろ?と上半身をひねって瑞花はすみれが指差す場所を見た。その場所とは、瑞花のお尻。なんと、一匹のピラニアが彼女のお尻に齧りついていたのだ!
「きゃーーーっ!ちょ、えっ!?やん、い、痛くない!?痛くないけど――!」
瑞花はわしっ、とお尻をかじかじするピラニアを鷲掴みにすると、
「乙女のドコ齧ってるんですかぁーーーっ!!」
ぺちーん!と岩肌に叩きつけた。
バシャバシャッ。
見ると、川の水面が異様に盛り上がっている。嫌な予感。
「も、もしかして、リザードマンの血の匂いを嗅ぎつけて興奮してるのかも…」
すみれの言葉の通りだった。地面の砂利を通い、リザードマンの血が川を汚している。
「わわっ、えっと、あたしが水面走って囮になるから、すみれちゃんは全力で跳びはねてくるピラニア倒してもらっていいですか!?」
「は、はいっ!わかりました!」
他者がバシャバシャと跳ねる水音だけ聞けば、恐らく子供が水遊びをしているのだと思うだろう。しかし。
「そ、そこら中から水音が迫ってくるっ!?想定通りだけど結構怖いですー!」
「数打てば!下手な鉄砲も当たるんです!」
「ギャグ漫画みたいな死に方は御免なのですよぉー!やーん!」
死闘である。
●
「悪い山登りなんて絶対にない!きっとこの山登りも絶対に楽しいはずだよっ!」
…と、張り切って指差すクレア(
ja0781)の腕は、真っ直ぐ山のてっぺんを向いていた。
「頑張ろうね、楓君!」
クレアが爽やかな笑顔でパートナーの黒椿 楓(
ja8601)に挨拶する。彼女の明るさは天性のものだ。こちらまでつい釣られて笑顔になる。楓は片時クレアを見つめた。そして僅かな表情の変化だったが、楓なりの控えめな笑みを置いて、静かに頷いた。
「ええ、よろしく…。うちらはペア…、何があっても…、諦めず進むわ」
道を進むのにひどく苦労させられた。そもそもろくな道もないうえに、傾斜は激しく滑りやすい。それでも二人は悪態をつくこともなく、無理矢理に自らの先を切り開いて行った。
山の麓から約一時間が経過した時、二人は異変に気づく。
辺り一帯に生える涼やかな草の香りに混じり、何か、生々しい匂いが二人の鼻腔についたのだ。風で奏でられる草々の音と共に、異質な音と気配が周辺の風景を変化させる。
「うちが、貴方の背中…、守るね…」
「ボクも勿論、楓君に怪我はさせないよ!」
背中合わせに迎撃の構えをとる二人。
かさかさかさ…
周囲の草むらから、数十の「生き物」が身をよじりこちらへ近づいてくる、不気味な音。そして――。
「来るわ」
自分たちの置かれた状況下を把握した、冷静な楓の言葉の直後、八方から間断なく蛇型と鼠型のディアボロが襲いかかってきた。
「――あははっ!こういうのもまた堪らないねっ!狩りを思い出すよっ!」
クレアは嬉々と発し、二つ一組のトンファーで自分の腕から肘を覆うように構えて、鼠達の小さな牙を防御した。そしてそのまま手首を半回転させ、殴り飛ばす。
「はあああっ!」
更に回転させ勢いをつけ、地面を這う蛇の頭部を正確に叩きつけ、足元の自由を確保していく。正に、攻防一体。
「うち…、剣上手く使えるかしら…」
表情一つ曇らせず、落ち着いた雰囲気の少女には不釣り合いな程の大剣。両手で柄を握り、しなやかな身のこなしでやっかいな小型の攻撃を回避していく。敵の攻撃の後の僅かな隙を狙い、一体一体素早く仕留めて数を減らす楓。焦らず、的確に急所を。サイドテールで結われた長い髪がさらさらと舞い、青空に映える美しい様だった。
「ほらほらぁ!狩ってあげるからおいでよ!」
自らに迫り襲ってくる敵を、クレアはビュン、と身体を半回転させ振り払ったり、時にはトンファーの長い棒の部分へ持ち替えると、握り部分を鎌術の要領で器用に敵を攻撃したりしていた。クレアの口の端に浮かぶ笑みには冷酷さが垣間見える。純粋故、それがひどく「黒く」引き立っていた。
「那由他の果てに、お還り…」
クレアが払い飛ばした敵を、楓が弓に切り替え距離のある内に射止めていく。性格は対照的な二人だが、息の合った連携が見事であった。瞬く間に、ディアボロの集団を殲滅したのである。
「…あれ、もう終わり?意外とあっけなかったねー」
「元々、強さは弱めと聞いていたし…、クレアはんとの連携の相性がよかったのも…、あるわ」
「にゃは☆ボクも君がパートナーでよかったよ!――じゃあ!引き続き、山登り楽しもーっ!」
楓が持参していたスポーツドリンクを二人で分け、水分補給をしっかりした二人は、再び自然と闘いながら頂上を目指すのであった。
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「――おっと、やらせはしねぇぜ!」
最後のルート、森の中を進んでいた向坂 玲治(
ja6214)と神城 朔耶(
ja5843)は、熊型ディアボロの奇襲を受けていた。
数十分前に遡る。
そこは緑の空気に満ちた原始な森。天高く聳える木々達は太陽の光を遮り、昼なお暗く、どこか神秘的な表情で静まりかえっていた。木々の根元や倒木に、そして所々地面に薄緑色の苔が生えている。道自体はそれほど険しくはなかったのだが、何分暗く、岩や影が乱立する木々のせいで見通しも悪い。
「予想以上に視界が悪いな…足元にも注意しろよ」
振り返らずに、前方を見据えたまま先頭を進む玲治は、自分の少し後ろをつく朔耶に注意を促した。ぶっきらぼうな彼の口調は勘違いされがちだが、本来は仲間の様子を気にかける温厚な性格。授業開始時に朔耶にかけた言葉、
『いざという時は俺がカバーする。だから背後は任せたぜ』
これも相手を信用しているからこそ。朔耶はその玲治の真意を理解し、彼の背中に微笑みかけた。
「はい、ありがとうございます、玲治様」
朔耶は周囲の僅かな雰囲気の変化にも注意しながら玲治の後を追う。巨大な岩やその影、ユニークな形の枝、それらがまるで生きもののように見え、色んなものが潜んでいるような気配を生みだす。
(…暗いです。これでは敵への先制攻撃はおろか、探知も難しいです…)
その時だった。ピンと張り詰めた空気が、ほんの僅かに振動した。二人は感覚を研ぎ澄まし、更なる警戒に努める。場所は特定できない、だが威圧的な気配だけが闇の奥で感じられた。
ガアア!
突如、右手側の暗闇が轟き、その住人が姿を現す。
玲治が構えていた「庇護の翼」のおかげで、ダメージは最小限に止められた。にや、と不敵に笑った玲治は、瞬時にウォーハンマーを受けから攻撃への体勢へ転じ、対象へ振り下ろす。
「うおおっ!」
その隙に朔耶は後方へ跳んで距離をとり、気丈に弓を構えた。至近距離からの玲治の攻撃は、その巨体からは想像できない俊敏さで紙一重、かわされる。しかし、
「逃がしません!」
ぱぁん!と放たれた朔耶の弓矢が熊型の左足に命中。動きを鈍らせた。
「時間が無いんだ、さっさと堕ちろや!」
玲治は熊型の頭部を目掛けハンマーを振りかぶった。辺りにぶしゅっ、と何かが砕け弾ける音と、鈍い振動が彼のハンマーの柄を通して伝わる。致命傷――を与えたはずだった。
それは最後の狂気だったのか、肉食獣を思わせる獰猛さで熊型は玲治に飛びかかったのだ。鋭い爪が彼の両腕に食い込んでくる。
「ぐっ…あっ!」
「――玲治様!くっ、放しなさい!」
朔耶の闘気を込めた直進の矢が熊型の腕を貫き、腕を締め付ける爪が一瞬弱まった。玲治はその隙を見逃さない。がら空きだった熊型の腹部を蹴り飛ばし、爪の束縛から脱出する。
「やってくれるじゃねぇか、てめぇ!」
「…狙いは…外さないのですよ!」
二人の声が重なり、両者、渾身のとどめを放つ。がつっ!と肉と筋とを包まれた骨を断つ鈍い音と、まるで毬玉を射落とすかのような研ぎ澄まされた音。同時に響いた後、ごろり、と地面に落ちた弓矢の刺さった熊型の首は、森の闇へと消えていった。
「玲治様、大丈夫ですか!?今回復を――」
「いや、いい。見た目ほど傷は深くないんだ。…ただヤツが並の強さだったら、やばかったかもしれねぇけどな…」
くやしそうに呟いた玲治の顔が笑みの形に歪み、先を急ごう、と朔耶に促す。
「…お仕置き、受けずにすみそうですかね…」
進行のペースと戦闘にかかった時間を気にしながら、やや不安げな声で朔耶が言った。
「…どうだろうな。あの先生、何か得体しれないし」
「藤宮先生の考えている事はよく分からないのですよ…とりあえず、頑張るのみですが…」
森の中を走り抜ける二人は思い出していた。六人を山登りへ叩き込んだ時の流架の調子を。
『じゃあてっぺん目指して頑張ってね〜行ってらっしゃ〜い!』
まるでコンビニへおつかいを頼むような言い方。生徒を指導するべき立場とは思えない。だが教師。
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「やったー!到着〜!」
頂上へ一番のりしたのは、険しい傾斜を登ってきたクレアと楓だった。獣道と呼ぶにふさわしい急なルートを選択した二人だったが、見事な連携で戦闘時間を短縮できたことが大きかった。
「…まあ、素敵…」
目を細めて、楓がぽつりと呟いた。
そろそろ日暮れの時間。空は黄昏に染まり、広い広い草原と森の色を幻想的に変えてゆく。草の上を音をたてて風が通り過ぎていくのを、二人は気持ちよさそうに身体中で感じていた。そこへ、
「ひゃあ〜やっと着きましたぁ〜!」
「やりましたね、卯月先輩!私達良いコンビですよね!」
到着した瑞花とすみれがハイタッチ!お互いの健闘を祝う。そしてやや遅れ、
「ふぅ、やっと着いたぜ…神城、お疲れさん」
「お疲れ様です、玲治様!間に合いましたね!」
汗を袖で拭いながら到着した玲治と、ほっと胸を撫で下ろす朔耶の姿。その時、瑞花のスマホのアラームが、丁度午後五時を皆に知らせた。課題授業、無事全員クリアである!
「みんな、やりましたね〜!桜餅ちゃんもぎゃふんだ〜☆」
「桜餅…甘味もの、食べたいな…」
「ふふ、お腹すいてしまいましたね」
「ボクもぺこぺこ〜。今度はみんなでお弁当持ってきたいね!…ボク、作れないけど」
「…クレアはん、料理…苦手?」
「……あら?あれ、夏の大三角形ですよね?綺麗…ほら、皆さん」
すみれの声に皆が空を見上げる。空はいつの間にか深い濃藍の色へと移り変わり、夜の星々が瞬いていた。息を呑むほどの星の煌めき、吸い込まれてしまいそうな清浄な色。
今宵もまた、永久に衰えぬ、光。
(…藤宮先生が私達を『此処』へ目指せさせた理由、もしかしたら…)
すみれは得心した表情で柔らかく微笑んだ。もう少し、この真実は皆には黙っていよう。今はただ、この瞬間をもう少し――…。