●
――紐が蝶々を結ぶ前に。
貴方の、
貴女の、
彼の、
彼女の、
綴ってきた物語が、“あなたたち”の行く末を照らすささやかな光の架け橋になることを祈って――……。
●
神風が一陣。
到着。
Spot――温泉テーマパーク。
「ついたー……温泉ー……」
「渋滞がなかったから意外と早く着いたわね」
「あ……悠璃さん、久しぶりー……。遅くなったけど、退院おめでとー……」
車から、とん、と靴を鳴らして降りた彼女――常塚 咲月(
ja0156)が、はぐぅ。喫茶店「Cadena」の店主、漣 悠璃が別のワゴンから下車した途端の抱擁であった。
二人が唐暮れの坂で交わしたのは短な刻。
だが。
何かが“類似”していた。
そんな二人。
親しみの温度がほかほか。ああ、暖かい。夏雄(
ja0559)が、すすす、悠璃に改めて挨拶へ。二三の遣り取りをしたのち、咲月と夏雄は乗せたままの荷物を取りに車へ戻った。
一連の光景を濃な紫水晶の瞳に宿し。
は、と息をついて掌を胸元に添えた後、黒田 紫音(
jb0864)は控えめな足取りで悠璃の許へ。
「漣さん、お久しぶりです。怪我の具合は如何ですか?」
「――うん? ふふっ、ありがとー。私ならへーき。じゃなきゃ来ないわよん」
「そうですか……? 差し出がましいようですが、介助が必要なら仰って下さいね。後遺症とか……意外と油断出来ないですから」
「介助……。そういえば、先日のことなんだけどね」
「はい?」
「業務用スーパーに行ったら普段行ってるスーパーに比べてめちゃ安かったのよ。つい買い過ぎちゃって」
「はい」
「両手にパンパンのスーパーの袋が重いのなんの。更にブラの紐が両方ずれにずれて腕付近まで落ちてきちゃって、もうあの時はほんと助け――、」
「ユウ」
「ッ、……セクハラー」
「あ、流架ママ」
「ほら、車に忘れ物がないか確認するからさっさとお行き。それと、この子にくだらないこと言うんじゃない」
「はいはーぃ。行こっ、紫音さん」
手を引かれ、銀の癖毛が波を打つ。
気強い温もりが紫音の細い指に、すっ、と沁みた。上目に窺った悠璃の様は、以前に紫音が映した“そのもの”。朗らかで――眩しい。
「(……あたたかい人。流架ママは自分が恵まれているって理解しているのかしら?)」
ちょっぴり唇を尖らせて。
だけれど。
紫音の胸に差した翳も、ほんのり柔らかに「……ふふっ」と和らいだ気がした。
「(私は“月”……今は静かに見守るよ)」
●
温泉に着いたら先ずは、湯!
――の、その前に。此処での普段着=浴衣に召し替えてしまおう。
各々はチョイスした浴衣を手に、割り当てられた大部屋への通路を辿る。
その身内の流れにやや足取り遅れて、可憐な花――斉凛(
ja6571)が、はふぅ、と失の吐息を零した。
今日の彼女の装いはメイドな白ではない。ふんわりと広がるフレアな裾は妖精の羽のように。レースな花が咲く、モードとナチュラルテイストの黒ワンピース――そして、薔薇のモチーフのホワイトタイツで黒と白の魔法をかける。
凛が所持する数少ない私服の中でも“特別”。
愛する“友人”が自分の為に選んでくれたから。愛する“彼”が美しいと称えてくれたから――。
だけれど、“彼”の笑顔は他の生徒へ向けられていて。
想うほどに、一方通行のように遠く感じられて。
「(……)」
胸に押し当てた浴衣の音が、きゅっ、内で切なく響いたような気がした。
・
・
・
チョイスイメージは――獅子舞しながら竹割りました。
浅緑地に唐草模様の浴衣を纏ったSISIMAI夏雄。プラスα、パーカーという謎の出で立ち。
「……貴女、本当にパーカー好きね。ごわごわしないの?」
隠すことを知らない彼女の表情は、怪訝。
御子神 凛月(jz0373)は小首を傾げて夏雄の面を窺った。反応として「HAHAHA」と、フードの陰に明かりが差す。
「うん。すっごいごわごわするね、これ。でも、おいらにとっては大事な物なんだ」
ぽん。
と、パーカーのポケットに触れて。
「ふーん……?」
理解しかねる眉根具合と声音が実に正直であったが、別にいい。
ポケットを叩けば何時かの鳥のブローチが羽ばたいてくるけれど。今は、凛月の目に触れなくてもいい。なんか恥ずいし。
「――さて、昼食までまだ時間があるから各々好きになさい」
大広間に全員が到着したところで、藤宮 流架(jz0111)の号令が掛かった。
「食事! 温泉! 花火! 今回は沢山遊ぼうね!」
成長期であろうと思われるちっちゃな身体が持ち前のポジティブさで、ぴょぃーん、と跳ねる森田良助(
ja9460)。仮面を外した顔を久しぶりに眺めたような気がして、ダイナマ 伊藤(jz0126)は苦笑した口許を掌で隠した。
弾む心音に声音を重ねて、ふさふさな睫毛がにっこりと笑む。木嶋 藍(
jb8679)が纏う優しい香りが、ふわり、と空気を色付けた。
「温泉巡りだよ、なっちゃん! あ、凛月さんも一緒に回ろう!」
「え? わ、私も?」
「うん、凛月さんさえ良かったら。あ……あと、りっちゃん、て呼んでいい? え、ダメ?」
「Σは!? り、りっちゃ……、ん、んん……す、好きに呼べば!?」
「わ! 嬉しい! よーし、しゅっぱーつ!」
「――わかった。藍君、わかった。ちゃんと温泉巡りするから引っ張らな――、なー……」
ずりずりりーん。
水浅葱地に貝殻、桔梗地に兎は獅子舞をえっほえっほしながら湯巡りへと向かっていった。
「さぁて! 僕達はサウナへ直行ですよ!」
振り向いた良助のウザ顔が実にウザい。
てへぺろにウィンクしてサムズアップの標的は――、
「「は?」」
流架とダイナマであった。
「コーヒー牛乳を賭けて、お二人に我慢比べの勝負を挑みます。町内夏祭り我慢大会準優勝の僕が負けるはずがない」
――優勝じゃないんだ。
とりあえずその一言は呑み込んだ。
キリッといなせを演じる良助は彼らの返答も待たずに、ぱったぱったとスリッパを鳴らして一番乗りか――と思いきや、彼らと充分な距離をあけたことを視認すると。
ヘッ、と口角を上げて、
「ふはは! 桜餅教師がなんだってんだ! 僕は恐れない! 和菓子の最強は大福! 故に僕! 僕なのだぁーーー!!!」
……遠ッ。
だが、可能な限り大声で。
鴻池 柊(
ja1082)と、翡翠 龍斗(
ja7594)の表情が揃って「(あー……)」と、失笑に似た何とも云えない面差しになる。そして、そろり――宣戦布告された“彼”の様子を窺えば。
「……」
をや?
柔和な眼差しに口許。ゴゴゴと渦巻くオーラも漂っていない。――分、得体の知れない具合に、柊と龍斗は薄気味悪さを感じた。
だが、当の良助は二人の不安など露知らず。
「へーぇ、るかりん成長したね!」
――踏んだな、地雷。by 柊&龍斗
「ふふ、そうだね。ああ……全くだ。よし、良助君。一皮剥けた先生と一緒に遊ぼうではないか。鬼ごっこでいいよね?」
「え、ちょ、」
「――いいよね? はい、行くよー。よーい……」
どおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉんッッッッッ!!!!!(訳:狩りが始まりました)
「Σ待って待って待って待ってちょっ、ほんとちょっと待っ――あべえぇぇぇぇぇしッッッ!!!??」
ぇぇぇぇぇし、
ぇぇぇし……、
ぇぇ……、
――。
早くも、柊達の脳裏に「ぱーどぅん?」な良助の遺影が浮かんだ。
「――つーワケで、オレとルカはサウナ行ってくっから。なんかあったら連絡しろよ」
通常運転な良助と流架を見届けたダイナマが肩越しに顔をやって柊達に告げると、悠長な足の運びで彼らの後を追う。が、「ダイ先生。今、少しいいですか?」と、瞼を閉ざした沈着なる声音が彼を呼び止めた。
「おう。どしたん、翡翠」
「いえ、小説でいえば幕間……なのでしょうかね」
「あん?」
「――先生。今更、個人情報として隠したりしませんよね? 俺達をここまで引き込んだのですから」
「主語を言え、主語を」
「凛月のことです。凛月と戒音の心臓の適合率――貴方は事前に知っていたんですか?」
「、」
――。
面影が振り返ったような気がした。
だけれど。瞬きを一つすれば、もう何処かの風へと消えている。
何時か途絶える命の果てを“把握”しよう真似が“あの時”自分に出来ていたら、恐らく、縋ったりなどしなかっただろう。であるが故に、ひっそりと確認してきた龍斗へ憮然と顔を向けた。
「知ってたワケねぇだろうが」
強い語気で主張する。
ダイナマの面に留まっていた視線無き面が、ふっ、とこざっぱりに揺れた。
「不必要なことを思い出させてしまいました。すみません。――とりあえず、過去との決別が済んだのなら何よりです。ま、俺のように最悪な過去にならなくてよかったと思いますよ」
「あ?」
「いえ、俺は昔――」
「最悪かそうでないかは所詮テメェで計るもんだからな。だから、オレの最悪っつーんわな、まだねぇのよ。あっちゃいけねぇってコト、気付かせてくれたんだわ」
「? 誰が、ですか?」
ダイナマは黙したまま、くっ、と右の口角を上げると、結い上げられた龍斗の髪をわしゃわしゃと撫でたのであった。
・
・
・
「縁日に……お化け屋敷まであるのか」
「Σ!? おば……け屋敷……?」
「入るか?」
ふるふるとかぶりを振る咲月の毛先が、白緑地に映える蝶を揺れて見せた。その振動に、肩にかけたバッグの中身がカタカタと存在を主張する。薄く苦笑した柊の足が、散策していた空間の出口へと向かった。
咲月のスケッチブックと色鉛筆が活躍する場を求めて、ぶらぶらり。
●
旬の食材をふんだんに使った昼食を全員で間食したのち。
(しかし約一名、サウナでミイラ化しそうになったところを全身に珈琲牛乳注がれて復活した赤毛な男の子が昼食中ずっと珈琲牛乳臭をぷんぷんさせていたが)
凛の誘いで、凛月は再び露天風呂を味わっていた。
美しい乳白色のお湯が二人の白な身体を優しく包んで、日々の疲れを吸い取ってくれる。温めの温度に凛月の視線がぼんやりと馳せるが、追ってしまうのは凛の肌。
一度目にした“痕”の責任を思い知る。
「この怪我、気になりますの? ふふ、これは友を護れた証。――と言っても貴女は気に病むでしょうから、今度りつの奢りでケーキを食べに行きましょう。其れで貸し借り無しですわ」
悪戯っぽく、柔らかな微笑みが凛月の心を溶かしてゆく。
凛の目線はそのまま。
意思を宿して。
彼女は密やかに、凛月へ“意志”を囁いた。
「わたくしは覚悟を決めましたの。
傍に生き、
彼を救うわ。
貴女も生き、彼を救えたなら……りつの中に在る“彼女”の心も赦してくれる。過去より未来の大切さを教えてくれるはずですわ」
「……凛」
「ふふ、何方が彼を幸せにすることができるか――恋敵さん、勝負よ」
ちゃぷん。
二人の間で跳ねた湯が、二人の瞳を交わした。
・
・
・
嗚呼、温泉って温かい。
嗚呼、温泉って素晴らしい。
湯巡りで身体も心もほっこり忍軍させた夏雄が、マッサージチェアで寛いでいるダイナマを発見。
「やぁ、ダイナマ保険医君。調子はどうだい?」
そう声をかけながら、彼の傍らへ。
「――おう?」
「いや、体の風通しとか」
「クールビズやってます。――で、どしたんよ」
「いや、少しおねだりに」
直立したままも何だし、と、隣りのチェアに腰を下ろし、夏雄も彼に倣って重心を背凭れに預ける。
「後日談をね」
彼女の前置きを、ダイナマは可笑しそうに息で笑った。
「ダイナマ保険医君。赦した未来の居心地はどうだい? 燻る想いはないかい?」
「あら、心配してくれてんのか?」
「まぁね」
「ルカがいて、お前さんらがいる。欠けたもんは何一つねぇわよ」
「それは何よりだ。じゃあ、もう一つ。凛月君に何を想い、何を願っているんだい?」
「“何を”、か」
「これでも坂を転がり白熊を失った私だ。ちょっとは訊く事が出来ないかな、って」
互いの視線は平行に。
「死人の記憶に添いながら死人になるより、仇を殺して虚しく生きていくより――美しいもんが在るんだよ。この世にはな」
互いの想いは――“ ”。
・
・
・
凛月は小走りに向かっていた。
凛からの贈り物を仕舞った巾着袋を大切そうに胸に抱えて。
――それは、丁寧に刺繍されたハンカチであった。紫地に15本の黄薔薇、そして、月と兎。糸に想いを籠めた、宝物。
「――ん? 凛月、走ってきたのか。そんなに急がなくても良かったんだぞ?」
「んっ、んん……待たせるの、嫌だったから……。あ、ありが、とう……誘ってくれて」
「ああ。駄菓子屋とか甘味の店、興味あるだろうと思ったからな。声をかけて良かった。ほら、行くぞ」
聞こえてくるのは太鼓や笛の音色。
しかし、差し伸べてきた柊の掌に重ねた鼓動の方が弾んでいたような気がして。凛月は俯くようにして、頷いた。
其処へ、偶然通りがかった蝶が一匹。
「ひーちゃん、みっけ……。縁日、行くの……? あ……凛月さん、こんにちは……」
「月か」
「は……デートの約束してた……?」
「Σッ!?」
「デート? 一応、そうなるのか?」
ぱしぃん!
紺青地に咲いた白椿な彼の背中が、幾分か散ったようであった。
あんず飴をしゃくしゃく、
麩菓子をまふまふ、
金平糖をころんころん。
――お次はかき氷。ライムシロップに挑戦してみた柊であったが、やはり身体が\甘いもんなんて食えるか/と拒否。一口で撃沈されたかき氷は、凛月の腹へダイブした。通して食べていたのは略、凛月一人。だが、柊は年相応に白い歯を零す彼女を眺めては、穏やかな微笑みを湛えていた。
一通り楽しんだところで、スペースに設けられた長椅子に腰を掛けて小休止。
柊はそれとなく尋ねた。
「――何かあったのか?」
「え?」
「前に言っただろ? 思っている事を言え。後悔するなって。悔やんでも、悩んでも、人生は一度きりだ」
凛月の浮足立った“心臓”の具合など、既に見抜かれていた。
――。
視線をゆらゆらと惑わせながら、凛月は風に吹かれたしゃぼん玉のように薄い声を漏らす。
「私……私、は、“私”として……生きていいのかしら……」
「……」
「流架様は何時だって私の中に“彼女”を見ている。私……それが、それが……」
「――凛月、もう一度訊く。自分の未来をどんな未来にしたいんだ? 誰の心臓であったにせよ……先を希えるのは今の凛月だけだ」
自身の心臓が息吹いている。
ならば、
「答えはもう在るんじゃないのか? 自分が自分の人生を大切にしないでどうする」
それが、誰かによって存えた命でも。
「凛月は、凛月だ。俺が出逢ったのは、今の凛月なんだぞ」
「柊……。……うん、……うん。……私、私ね――、」
ひゅうぅぅぅ〜〜〜〜〜ん。
――ん?
今、人魂じゃなくて人塊が視界を過ぎっていったような。
「味わえ、絶望がお前の終着点だ」
ちゅどぉぉぉん!!!
――壁という名の終着点に辿り着いたようです。
「と。柊先輩と凛月か。デートか?」
「うるさい」
「翡翠は……一体何があったんだ?」
「性別を間違えられてナンパをされていただけですよ。ひと時の代償として、屋台の品を沢山買ってもらいましたが」
え……代償……>終着点
「丁度良い。凛月、たこ焼き食べるか?」
「……食べてあげてもいいわ」
「話しもある」
「……」
龍斗から受け取ったたこ焼きを頬張りながら、無言の凛月。
だが、気配から察するに「話しなさい」ということらしく。苦く吐息で笑んだ柊が「飲み物を買ってくる」と、席を外した。
龍斗は凛月の正面に佇んだまま、次ぐ。
「お前、移植された心臓について悩んでいるのだろう? 心臓移植は簡単なものではないし、十年後生存率もある。そして、お前も免疫抑制剤を飲んでいるのだろう?」
「……」
「一般的な量は、ダイ先生に聞けば教えてくれる筈だ。――それでも、悩むなら言っておく」
龍斗は淀みなく言った。
「自身が悲劇のヒロインと思っていやしないか?」
「――ッ!?」
目を剥いた凛月が仰ぐ。
「確かに、お前は生かされたのかもしれん。だが、今日まで生きてきたのはお前自身の生きようとする力だ。生きるってのは、迷い悩み前を見て歩く事じゃないか?」
龍斗の諭しに、凛月は肩を縮こまらせて唇を真一文字にした。
「俺は、闇の世界の方が長い。他人の可能性を奪い、生き延びてきた。ディアボロになった親友もこの手で殺した。今でも、その事を悩む……生きるってのは、そんなもんさ。多分な」
消さないでいいんだ、と。
自分という灯火を。
今日という空を、明日に手渡せばいい。
「……龍斗なんてきらい」
「前にも言われたな、それ。まあ、いいさ」
「……」
凛月は黙ったまま、龍斗を睨み据えていた。そのまま毅然として立ち上がると、迷わずに彼との距離を詰めて有無を言わせない“一撃”。
「む、ぐぅ」
「――前は、ね。今は、少し変わった……かも」
龍斗の口に放り込まれたたこ焼きは、少し温く、だが、不思議と口に馴染んだような気がした。
・
・
・
その頃。
凛は座敷で開催されていた茶会の後片付けをしていた。凛手製のマカロンをお茶請けに、出席者は彼女とダイナマの二人。
ソーサーの重ねに気を配りながら、凛は数分前の過去を遡る。
彼を“アレクさん”と呼び、
あの時、“ルカのメイドはやっていけない”と告げられたことが、どんなに悔しかったか。
故に、
いつか彼のメイドに相応しいと言わせてみせる。
だから、
次は一人で抱えずに頼ってほしいと、青地に15本の橙薔薇の刺繍ハンカチと共に想いを添えた。
「――やや、凛君?」
その呼び声に、凛の心臓と首筋が競い合うようにして脈打った。
この衝動は驚きではない。
無償の愛とは程遠い、妄執なるときめきであることは自覚していた。だからこそ、今日の自分は――、
「流架様。
今日のわたくしはメイドではなく、貴方の為の薔薇ですわ。此方でひと時、お喋り致しませんか?」
彼女の柔らかな呼びかけに目笑で頷いて、流架は座敷の縁に腰を下ろす。凛は、ふわり、と湯気の温みを感じた。
一斤染地に桜柄の浴衣姿な彼。湯上がりの濡れ髪に、再び凛の心臓が鳴る。
「……正直に申し上げますわ。
あの言葉……わたくしに“誓え”と仰ってくださったこと、胸が震える程に嬉しかった。あれは信頼の言葉ですから」
凛を見つめる瞳を真摯に見つめ返すと、凛はトートバッグに入れておいたものを二つ取り出した。
一枚は赤地のハンカチ。
彼の片手をそっと取る。
柄は、
「999本の白薔薇と桜、ですわ。
わたくし、ずっと貴方をお守り致します。貴方の心を。どんな手段を使ってもですわ。例え血に汚れても、貴方の大切な人も守り抜きますの。勿論、わたくしも死にませんわ。流架様が……、
……だから」
今は唇にのせ得ぬ切な想い。
乙女なエゴ。
彼に似た甘美な毒棘を含む、信仰に相似した幼く醜い戀花。
「? ありがとう。君に迷いがないことは分かるよ。足掻いて立ち向かうのは、誉れだ」
凛は彼の温もりから静かに手を離すと、自らの手に視線を落とした。
その白地のハンカチには、赤薔薇が唯――1本。
俯くことで喉を塞いだが、震えた願望が口を衝く。
「明日にはメイドに戻り、貴方を甘やかしますわ。
例え、貴方が他の女性を選ぶ共……ずっとお傍におりますの。一人ではなき事、お忘れなさいませんよう」
それだけで、いい。
今は唯、貴方に甘えて欲しい。
共に重荷を分かち合い、共に生きていくことが出来るのなら。
「こういうのを、“絆”――と呼ぶのだろうか」
もう、堕とさせはしない。
●
夕餉の四季膳を味わったのち、一行が向かった先は満天の星の下。
「ふふふ、花火を持ってきたのだ。用意がいいでしょう」
「奇遇だね、森田君。おいらも線香花火とか、線香花火とか……線香花火を持ってきたんだ」
「え、まにあ?」
下手をしたら、良助が持参してきた花火より線香花火の方が多いのかもしれない。
が、楽しめればなんでもよし。
各々が一つ一つの花火を持って、しゅわしゅわ、と。
火の七色が彼らを照らす。
咲月と柊の並びは夏の風物詩の絵となっていた。
夏雄と藍、流架の三人は、ちょこん、と屈み、線香花火談義に花を咲かせる。
紫音と凛、悠璃は互いのトーンで会話を交わしながら、龍斗とダイナマはピストル型の花火で童心に返る。
「凛月ちゃん、花火どうかな? この旅行は楽しい?」
線香花火が放つ松葉を気抜けに眺めていた凛月へ、良助が声をかけた。
彼女の目線はそのまま、端整な横顔がゆるりと瞬く。
「ん、楽しいわよ。花火も、旅行も」
「そっか。なら、良かった。
……ねぇ、凛月ちゃん。生きてる間は楽しいことや悲しいことが沢山あるよね」
「……ええ」
「僕は……人生はそういうことの繰り返しだと思う。そして、色々なことを“皆で共有する”のが生きるってことだと思うな」
「共有?」
「うん。キミは一人じゃない。いつか絶対、自分が成すべきことが見つかる。キミが何かに迷ったら僕が導く。――約束するよ」
柳な火花に合わせていた視線が、二人ほぼ同時にお互いの面へ移る。
視線は結ばれたまま、黙。
手許の線香花火が散り菊となった瞬、良助は弱ったふうな笑みで口を開いた。
「……なんて僕には似合わない台詞だね。と、とにかく……今はこの時をいっぱい楽しもう!」
――ねぇ、光の向こうには何が在るのだろう。
与えられたのは今。亡き兄に託されたのは――未来、……ああ、そうだ。“心臓”は己の命取りで、何時か自分を死なせるものだと思っていた。
だけれど、こんなにもココロに響くのは――今を生きているから。
「……小学生のくせに生意気ね。本当に、生意気よ。……――でも、」
火花の明度が沈んだ空間に、それは、ぽたぽたと零れていた。
「ありが、とう……」
――大丈夫だよ。
キミが振り向いた時、みんなはきっと、キミのことを呼んでいるから。
「(御子神さん……もう少し人に頼ることをお勧めしたかったし、一人で悩んで勝手に暴走しなきゃいいなって思ってたけど……。……うん、良かった)」
紫音の口許が宝物の首飾りと同じく、穏やかな弧を描いた。
●
火薬の匂いが夜風に攫われる。
「花火、久しぶりで楽しかったな……」
「ああ。ここに居ると街中って事を忘れそうになる」
「うむ……デッサンの手、進む……。猫……蝶……紫陽花……」
しっぽりと足湯に浸かりながら、咲月と柊の時間が流れてゆく。
「――月、お客さん」
「う……痛い……。……? あ……流架先生、こんばんはー……」
「はい、こんばんは。ふふ、集中していたようだね。お邪魔だったかな?」
柊の片手が咲月の額を押し上げると、目許を弛めて此方を窺う流架の姿があった。「んん、此処……どうぞ……?」と、咲月は自らの座り位置をずらして彼に促す。
「ああ、ありが――……?」
「むぅ……? ひーちゃん、なに……?」
二人の怪訝を余所に。
柊は咲月の両耳を掌で塞ぎながら、安堵した吐息を漏らした。そして、流架に微笑みかける。
「お帰りなさい。淡く儚い、居心地の良いぬるま湯の様な世界へ。――流架先生」
そう告げた柊の背中は、すぃ、と足湯の場から遠ざかっていった。
「――こんな所で何やってるんですか。アレク」
「ルカのストーカー」
「冗談に聞こえませんよ。ほら、ビール奢りますから行きましょう」
「おっ、マジで」
屋内と庭園の境での一齣。
恐らく流架と共に出向いたのだろうが、柊と同じ“意図”に終着したのだろう。「(本当に……この人は俺より食わせ者だな)」と、柊は自身の負けを認める。
「アレク。俺は全ての物事には原因と選択と結果があると思っています。――今回の物語は、アレクの望んだ結果になりましたか?」
結果の、問い。
ダイナマは鼻腔に抜ける“名残”を吸い込むと、飾り気のない表情で仰いだ。
「さぁな。
唯、生きることを望んだもんが今を生きてる。それでいーだろ」
――敵わないな。
柊は眉宇を顰めて口角を上げた。
「――先生の……貴方の今の立ち位置は、負荷はどう……? 少しは軽くなった……?」
「負荷?」
「うむ……もし、まだ大きいなら……少し位、負荷を小さくする手伝いが出来ると良いな……。それに……流架先生も、貴方もいっぱい、凄く頑張った……。偉い偉い……お疲れ様……」
だから――と。
咲月は、僅かにはにかみながら流架の頭を撫でた。
彼の黒糸を細い指で梳かし、慈しむ。きっと、色々な想いに耐えて腑を決したのだと――“赦した”のだと思うから。
「ありがとう。
だが、不思議と心苦しくはないんだ。……平気だよ」
「ん……」
しゃらん。
小音に、咲月は右手首のブレスレットを流架に見せる。
「死者の命は生きる者の記憶に留まる。――もし、誰かの身体で、何らかの形で生きてたとしても、その人はその人だから……」
彼女の心の持ち方に、流架はしっかりと此方を正視していた。
「先生、知ってる……? 蝶は輪廻転生の象徴でもあるんだよ……? ――そうだ……先生……掌かして……?」
「掌? ああ」
差し出された右の掌を、咲月の手が掬い上げた。そして、眼差しを伏せた彼女の唇が流架の掌へ口付けを置く。
「先生の……貴方の未来に、沢山の幸が訪れます様に……世界がきらきら輝きますように……」
「――それが、君の“懇願”か」
彼の睫毛の細波は、何を表していたのか。
●
「ふふふ。花札を持ってきたのだ。用意がいい(ry」
\旅行の醍醐味と云ったら大部屋でゲーム大会/
という良助の提案で、全員集合。
「負けた人が一枚ずつ服を脱ぐとかどうかな!」
良助が脱衣花札勝負を持ち掛けるが、ぐるりと冷めた視線を受ける前に、流架のひと睨みが大福ハートを石にする。
「なんちゃって! 普通の花札をやりましょう!」
そんな感じで、わいわいと。
しかし、言い出しっぺの良助だけが負けまくり脱ぐ羽目になったりしていたのはなんでだろう。こんなはずじゃなかったのに!!! by良助
「世の中の美しいものを全部僕の手で汚してやりたい……!!」
なにその変態発言。
「――まあ、何はともあれ。流架先生。これからもよろしく」
「やや? 何だい、改まって」
「いえ。ただ、また女々しい事を言うなら容赦はしません。俺が敢えて開けなかった門を開けさせたんですから」
「ふむ。まあ、刃で交わすのも好ましいがね。俺は」
――龍と鬼。
互いに、笑む。
・
・
・
満ち足りた夜が更けていく。
だが、円らな瞳はまだぱっちり。
凛月を誘ってるんるんと散歩をしていた藍であったが、気付けば隣りにいたはずの夏雄がいない。
「さ、さすがの忍軍……! 見つけたらこっそり隠れて脅かしちゃおう」
「……何で」
と、藍が握り拳を作って角を曲がった矢先、いきなり対象発見。
二人はささっと後退して窺う。其処には夏雄と流架の姿があった。いつものデッドボール会話――と思いきや、そうではないようだ。身の置き場が少々悪いが、耳を澄ませてみる。
「――時に、流架戦生君。
前に君は凛月君と友達になってと言った。それは“凛月君”と? それとも、“あの子の心を持つ凛月君”と?」
藍の後ろに身を潜める彼女の吐息が聞こえた。
心臓の音が聞こえた。
彼の返答の間隔が、痛い。
しかし、藍の掌が凛月の不安を包むようにして両手を握る。
「私、りっちゃんと友達で幸せだよ。大好きだよ」
「……藍」
優しく囁いた彼女に、顎を引く。
その時、彼の声音がささやかに重なった。
「――凛月君と、だよ」
その一言に、万感の意が籠められているようであった。
夏雄は、ふむ、と頷く。
そして、ついでとばかりに「もう一つ」と。
「大抵の女の子は自分を見てもらえないと拗ねるものだよ。多分」
その言葉に、
とくん――、
と、音づいた鼓動は誰の想いであったのか。
「「あ、」」
――。
安堵が彼女達の脚を崩して、どてっ。
雪崩れて転がる彼女達の方向へ夏雄と流架が首を動かす。「大丈夫かい?」と夏雄が凛月に手を貸して、
「ほら」
と、流架の手がへたりと座る藍に差し伸ばされる。
「あ……ありがとうございます。えへへ」
温い機会にハッとして、藍は縮緬のバッグからストールを取り出した。
何時かの桜が香る。
藍はあの時の礼を添えて、告げた。
「これ、ありがとうございました。……ねぇ、先生。みんなの声、聞こえましたか? ――おかえりなさい」
滲む視界で小さく息を詰め、彼に微笑みかける。
流架が、ああ、と片眉を下げて破顔すると、彼女の目の縁に浮いた滴を親指で拭い、差し出されたストールを藍の両手に握らせたのだった。
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翌日。
空は快晴。
各々が帰宅前の自由行動を満喫している中、土産店に一際目立つ鼠小僧がいた。
大量の温泉饅頭と、一行メンバーの数+一個分のガラス細工のグラスを買い物籠に入れていたのは夏雄。通りがかった凛月が訝しげに声をかけてくる。
「お饅頭、沢山買うのね。グラスも」
「んー? うん、学園で待ってる親友がもりもりと食す子でね。グラスは……まあ、うん」
見られてしまってちょっと決まりが悪いけれど。
――だが。
折りのよさも巡ってきたことだし、と。夏雄は心を固める。
「(私は意地になっているのやも。
今迄の彼らとの関わりは、失わない様、折れない様にするばかり)」
得たのは――尊い結び。
「(だから、意地かもしれない。
その縁が失われない様、確かな良い日を彼女にも――っと)」
あの時と違って余裕はあるが。
だが、“縁”が背中を押してくれた。
「凛月君。友達になろうじゃあないか」
脆い足場を心で固め、彼女が彼女であると決めたなら――それはきっと美しい。
「……しょうがない、わね」
薄く唇を綻ばせて囁いた声音は、微かに揺れていた。
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さあ、帰ろう。
何時もの、あの、場所へ――――。