●
――赦していいんだ。
**
抑えつければいいのか。宥めればいいのか。
忘れられない想い出に乗り遅れてしまったのは、ダレ?
ねぇ、教えてほしい。
今、私は貴方の心にいますか?
「皆、色々知りたい事はいっぱいあるけど……全員で学園に帰りたいっていう皆の想いは真実だよ……」
常塚 咲月(
ja0156)が、藤宮 流架(jz0111)のパノラマを廻る。
刀身の長い日本刀を地へ刺し、重心を預けようとしている彼の体勢は、とてもではないが意識の余りに猶予があるとは思えなかった。
しかし、それは彼の意。
咲月は暫し切なげに眉を寄せて彼を見つめてから、語りを続けた。
「先生……私は色んな事を考えてる、伊藤先生や流架先生の考えは複雑で……分からないけど……けど、流架先生も、伊藤先生の事が大事……?」
「……なに?」
「先生は、伊藤先生に赦されたいのかな……?」
「……――黙れ」
「あの時……皆を傷付けてしまった事……今でも苦しんでる……?」
「その口塞がれたいのか!!」
地を這う低音な怒号が飛び、咲月は右の頬を手荒く捉えられる。
彼女を引き寄せたその力は酷く不器用で、掌から伝わる温もりは涙に溺れたかのように冷たく――触れた彼の血が、咲月の涙堂を染めた。
――刻は“あの日”へ廻る。
咲月は慕わしく双眸を細めて囁いた。
「私……言ったよね……? 先生になら首だってなんだって渡す、って……。今度は先生が私のこと……奪う……?」
流架は目を眇めて睨めつけたまま、何か反論したそうにしたものの、思い直したのか、顎を斜めに引いて俯く。咲月の頬を拘束していた掌が、ぎこちなく離れた。
「私……赦すも赦さないもないよ……? あの時負った傷は、自分で選択した事だから……後悔も無いよ……貴方や、柊……私の世界の人達を守れるのなら……」
貴方の宵に呑み込まれるのなら――。
「大したことない……」
長い溜息の末、流架は頭を緩く二度振ると、片手で前髪を掻き上げた姿勢のまま、細い声音を唇から零した。
「歪むのは何時だって、見えない心だ」
黒糸な髪がはらはらと微風に攫われ、流架が首を起こして咲月を見る。
「どう考えても、現在(いま)の俺の立ち位置は負荷が大きい。それが……癪に障る」
「んぅ……?」
「咲月、俺を見て請うな。――……赦してしまいそうになる」
「……」
淡い今が続けばいいと願った。
だが、重たい宿業から目を逸らし続けることを望む先に――未来はない。
咲月は認めていた。彼は自分の荊の棘の残酷さに嫌悪しながらも、周囲を傷つけ、血を流させ、その荊で阻む。まるで、誰も彼の心に触れることが出来ないように――。
しかし、咲月は“語り合う”。
「例えその“棘”が先生そのものでも……私は、先生と同じ目線に立ちたい……」
体温で、
言葉で、
心で――伝える。
伝えることで逆に傷つけてしまうことになろうとも、伝えないことには何も始まらない。相手が自分にとって大切な存在なら、尚更。
「もう一つ、聞いてもいい……? 先生がこの状況に驚いて無いのは……何となく、気付いていたから……? 伊藤先生がする事……」
「……」
咲月に留まっていた視線が、ふぃ、と、逸れて、その横顔が苦く歪む。
「だから、伊藤先生に背中を赦したの……?」
――。
流架は左のこめかみを掌の腹で押さえて沈黙する。
その調べは、彼の答えであった。
「ん……分かった……。私の言葉、聞いてくれてありがと……じゃ……流架先生……行ってきます……」
咲月の胸元の水晶が星影に揺れる。
彼が極まり悪く視線を戻した時には既に、彼女の裾は蝶の羽のようにその場を羽ばたいていった後であった。
――癒しの鼓動よ、響け。
月が絶えず姿を変えるかのように、斉凛(
ja6571)が呼び寄せた息吹もまた――穏やかに味方を包んだ。そう、風は常に表情を変化させる。人と等しく。
で、あるならば。
「謳って……」
心地良いせせらぎの如き音で唱え、咲月が緩慢に瞳を閉ざした。包容なる烙印の風が彼女自身と、親友の鴻池 柊(
ja1082)へ慈悲が下る。
咲月は小さく息をつくと、繊細な指先を、そっ、と、心臓に添えた。
開いた瞼、千歳緑の輝きが芯な決意を秘めて視界を映した先には――彼。夢(うそ)と現(ほんと)の狭間へ雲隠れしてしまいそうな空気で佇む、流架の姿が。
「――月。“約束”はした。だが、あの人のことだ。有形が全て無形になるとは限らないぞ」
「んむ……分かってるよ、ひーちゃん……。でも、譬えそうでも……今、私の傍に在れば……指切りの未来、繋いでいける……」
どうか、貴方に安らぎの春が訪れますように――。
小指の彼から贈ってもらった蒲公英色のシュシュを、きゅっ。琥珀な髪と共に想いを纏めて、蝶は戦場へ――舞う。
●
此度の終幕、ひとふりするにはまだ早い。
――又は、こう唱えよう。
「その終わりちょっと待ったー」
と。
「ダイナマ保険医君とベアトリーチェ君の末路な勝負、僭越ながらこのおいらに暫し預けさせ――」
「夏雄、歯を食いしばっておけ」
一応、と、語尾に付け足し。
翡翠 龍斗(
ja7594)は当て身技に用いる掌底に《ライトヒール》を込めて、夏雄(
ja0559)の背中へ打ち込んだ。文字通り物理的に。ということは、
「――ぎ、」
夏雄ミサイル発射。
「ぃやああああああああああああーーーーー……」
只今の決まり手は突き出しでした、というレベルではない。阿修羅系殲滅男子(命名by夏雄)の回復(物理)は、相当なGであったと推定する。
だが、ご安心なされ。
頑丈な身体つきの柊が、衝撃吸収材の役割でもって夏雄をキャッチ。彼も又、龍斗に物理な回復を受けていたのだが、夏雄への対応とは打って変わり、龍斗のその動作と云ったら、
「(肩を軽く叩くように押し出されただけだったが……結局、夏雄の投下地点へ先回りした俺は一体……)」
そもそも。
夏雄が思いきり突き飛ばされ、柊が軽く押し出された方角へは、もう一つの根拠があった。
彼らに近い位置で自己回復に努める、森田良助(
ja9460)の眼差しと気配。それが、領域の意を物語っている。
「……なにアレ。コメディアン?」
「白い鼠小僧の方は否定しねぇ」
「おい、ちょっとそこの裸白衣……! 今聞き捨てならない台詞をハンカチ落とすみたいにぽろりと言っただろう……!」
状況が状況なだけに、柊への礼もそこそこに。
夏雄小僧は表情の窺えないフードを目深に被ったまま、物怖じしない足取りで此度の中心人物――ダイナマ 伊藤(jz0126)とベアトリーチェの間合いへ進入した。
雑談を交わしていたかのような彼らの意識が、目線ではなく、赤く昇る陽炎のような熱で向けられる。
それは、研ぎ澄まされているような幾多の罠のようで。
愛情と憎しみを織り成す前に、彼の――ダイナマの真意を明かす。良助は治癒の灯火を掌に、右肩を彩る朱の痕を抱きながら問うた。
「先生、あの子との関係は? 反撃とはいえ僕は傷を付けられたんです。教えてもらいますよ!」
彼に次いで申し出るのは、夏雄。
「ダイナマ保険医君。
此処での今、君は彼女を赦せないと。
それは分かった。
けど。
君はもっと別の何かも動かそうとしているんじゃないのかい?」
「あァ?」
「例えば、彼と彼女の心と未来とか。
赦せない者の末路として、大事な人を失い、大切な人を切り捨てた者の成れの果てにでもなるつもりかい? それで悟らせるつもりかい?」
――宵月に愁う、罪な兎へ。
「……」
「ま、別に君の考えがそうでもそうでなくても、今回の事に彼等……いや、皆はきっと、君に物申すことだろうね。その辺だけは私、バッチリ信じてるから。
だから、君も言いたい事を言うべきだ」
「おう。じゃ、早速」
「うん」
「誰だお前さん」
「失敬な。紛うことなきおいらだよ」
「今さっき“私”って言ってなかったか?」
「……。…………さぁ?」
「……」
「……」
沈黙の中で押し寄せる感情が実に――痒いところに手が届かないような。
言い間違えたのか、それとも意識をしていなかっただけなのか。それは、夏雄自身も定かではなかった――のかもしれない。
というか。
「(この裸白衣はおいらの話をちゃんと聞いていたのかな。おいらが試みようとしていたのは、ダイナマ保険医君とベアトリーチェ君を“楽しいお喋り”の席へ着かせる事だったんだけど……。なんだかなぁ)」
心音の治まり具合を余所に、自分にしては珍しい“歯痒さ”がサイズの合わないフードみたいに気持ちが悪かった。が、ふと。
ダイナマが振り返り、夏雄を見る。
内心、かなりの不意打ちであった。ぼんやりと眺めていた後頭部が突然向きを変えたことに夏雄は驚き、咄嗟に一歩後退する。その様子に、ダイナマは小さな苦笑いで返してきた。
「――ホント、夏雄はいつも“都合の悪ぃトコ”突くわね」
「ん? 後頭部のことかい?」
「何の話してんだよ。イカれた茶会に招待してくれたんじゃなかったのか?」
――どうやら、問いかけは虚しい色で終わってはいなかったようだ。
「んん? ――うん。お茶もお茶請けもないけど、ゆっくり話していってほしい。君もだ、ベアトリーチェ君」
「……? 私、ネズミコゾウと話すことなんてないよ?」
「違う……! 話してほしいのは主にそこの裸白衣とだけど……それは違う……!」
不毛に終わることが分かっていても、釈明はしておきたかった。
だが、此処は唐暮れの坂。
鬼の首が転がる呪いの坂――。因縁という“言霊”が漂っていそうな気配がして、夏雄は、ふぅ、と一度深呼吸をしてからフードの縁を整えた。翳になる虎眼石な瞳を、感情の窺えない金緑石の色彩が結んで逃がさない。
それは、僅かでも天秤を傾けていた。
「――ダイナマ保険医君。人を慮るのも良い事だけど、自分の心も少しは労わると良いと思うんだ」
彼女の鍵穴を探しながら、夏雄はダイナマの鍵穴へ螺子巻きを挿し込む。
例え、“フリ”でも。
「恍けるのは無駄だ。ひどい表情だからね。何なら鏡を見るかい? 笑えるよ?」
「折角だけど遠慮しとくわ。ナルシーやってる暇ぁねぇしよ」
「確かにそうだね。そんな時間はなかった。あっちでは龍斗君達が都忘君と武闘会を開いている。招待されてないけど、とりあえず行ってみようと思うんだ」
場面なりの緊張感など期待するな。
只、夏雄は螺子を巻く。キリキリ、キリキリ、と。
「ダイナマ保険医君」
「あいよ」
「“赦す”というのは難しい事だ」
「……そうだな」
「とても尊く、苦しく、馬鹿みたいな事だ……。迷う事だろう」
「――迷わねぇ。哀れと思われてもな」
「けど、大切なのはその先だ。赦さず得るものと、赦した未来を想えば、決意の力が湧いてくる」
「――」
「かもね」
「どっちだよ」
「――うん、全くだ。でも、私は根拠がなくても信じようと思う。君を。流架戦生君を。それが、君達の生きる力に繋がるのなら」
「、」
「私は未来を見たいし、明日を信じたいよ。
ダイナマ保険医君。
曲がってもいい。
――ただ、
折れてはほしくない」
パチン。
心のゼンマイは切れてはいない。
少なくとも彼は――ダイナマは、守りたかったのではないだろうか。自分以外の“彼”を。“彼”の“過去の行い”に踊らされる“彼女”を。“彼ら”の未来を――。
だから。
「それ故に貴方は、貴方自身がこの世で最も愛する藤宮先生を刺したんですか? 凛月に見せつける為に」
忍軍隠れをした夏雄から螺子巻きを託され、柊が朝露のような清しさでダイナマを見据えていた。
なんの憤りもない木蘭な色彩と、心の面。
「憎しみと愛は表裏一体、とはよく言ったものですよね。
実際、貴方と凛月はよく似ている。似過ぎている。だからこそ、凛月には誤った道を進ませたくなかった。違いますか?」
――穢れている?
「だから……貴方一人で、罪を背負おうとしたんですか?」
――罪深い?
「想い人を殺され、その仇を憎み――仇を想ってしまう。……本当に拗らせていますね」
しかし、過ごしてしまったから。
彼との刻を。
記憶を。
「俺は、貴方は本当に優しい人だと思っていますよ。歪んでいる俺達の中では常識的ですしね。信じろって言われなくても信じてますよ」
「それ以上口説くな。惚れるぞ」
「それは勘弁ですね。――伊藤先生、怪我は大丈夫ですか?」
「愚問」
「なら、安心です。……先生。恩人だった。って言う前に、もう少し話をしてみたらどうですか? 先生の逆鱗に触れても……先生を救ってくれたんでしょう?」
ダイナマは返事をしなかった。ただ、強い面持ちで景色の一点を見つめていた。
想い、沈む。
それは、彼だけではなかったのかもしれない。ベアトリーチェの目が一瞬、傷ついたように歪んだのを良助は視認していた。
「――俺も行きます。
そうだ。先生の愛称好きに決めて良いって言われたので“アレク”にしました。不満があれば学園に帰ってから聞きますよ」
月影に鬼灯の姿を忍ばせて。
柊は良助と目配せを交わすと、その場を後にした。
「(しかし、ベアトリーチェは誰かに似ていると思ったら……月に似てるのか)」
世界の狭さ。
そして、自分の大切な者の為なら自分を犠牲にする事を厭わない――その感性。
「(まぁ、善悪の判断はつくけどな。……万が一に逸れる事があっても、“彼”がそれを赦さないだろう)」
●
侵掠すること火の如く。
「既に魂は其処にはないのだろう? だが、今は“人”として、いや、“淡花”として滅してやる」
文字よ、連なれ。
記号よ、満ちろ。
「――瀑布に呑まれろ」
龍斗の体躯が空を切る。
開眼したその煌めきに宿るのは、現世の虚ろを喰らう――修羅。
既に、初手の足止め――良助が召喚したパサランの《のみこむ》から解放されていた都忘は、標的への攻撃を開始している。
左右に二本ずつ、計四本の腕。
四つの意思を支配下に置き、地を滑走するように距離を詰めてきた都忘は拳を振るう。同じく、敵の真正面から風の如き様で仕掛ける龍斗も又、
「(――来い。俺の本質、暴けるものなら暴いてみろ)」
狙う。
互いの拳が交叉する刹那、龍斗は攻撃の腕を回旋させるように引いた。その遠心力を利用して、左の肘鉄を都忘の胸部へ食らわせる。
――。
龍斗は読んだ。僅かな敵の身じろぎすら逃さない。
都忘の腹を足場に跳躍し、目標の首目掛け横蹴りを繰り出した。都忘の体勢が、ガクン、と、大きく後ろへ崩れる。そこへ、雷光一閃。都忘の死角より、眼帯な薔薇が一輪――狙撃する。
描いた軌跡は都忘の腕へ。
「(容赦致しませんわ)」
駒よ、牙を剥け。
渇望の果てに倒れ朽ちてゆくがいい。
それは貴女が招いた罪。既に腐敗した身体と魂であっても、面を寄越したからにはチェックを宣言する。それが掟。それが戒律。それが、我が主の為の――メイド。
「(――……ご主人様)」
夜風が耳朶を擽る。凛の長い白銀な髪をふわりと踊らせ、華奢な首筋を露わにした。
――沁みるような熱。
首に遺された彼の温度が、何時までも凛の心を奪っていた。
馴染んだ“痛み”に、今しがたの記憶を馳せる。
『――ご主人様、お慕いしております』
片膝をついて意識を保とうとしている流架の心身を案じ、彼の傍らへ両膝をつけば、言葉(こころ)が自然と口を衝いた。
『命令に背いても、どんな手段を使っても、恨まれ憎まれようとも、貴方の大切なものは何一つ失わせない。それがわたくしのエゴですわ。ダイさんはご主人様の大切な人でしょ?』
何があっても迷わないと決めた。
揺らがないと心にした。
今、自分が成すべき事をするまで――芳醇な香りが満ちるように。
『わたくしもイカれておりますの。
わたくし……ご主人様に首を絞められたあの時、恋に落ちた。イカれて歪んだ“貴方達”をわたくしは愛したのですわ。だから、もうご自分を赦してさしあげて』
貴方も、
貴方の“友”も、
『大切な人を諦めないで』
一度、心に傷を負った者は乗り越えることを知っているから強い――。
そう思わせてくれるだけでいい。
それだけで、愛おしめる。
流架は終始、ひたむきな面差しを凛へ向けていた。
そして、ふと。
拝聴の姿勢を崩した流架の指先が、そろり――凛の首筋を確かめるように触れる。跪いているその様は、白薔薇の令嬢をワルツに誘うかのようで。
『……なら、誓え』
俺に――。
密やかな囁きが、凛の睫毛と心臓を揺らした。
『――守れ』
唯、ひとこと。
しかし。
指先から伝わるのは、彼の熱。
言葉で抱かれるのは、彼の戒め。
ああ、この充足感――。
凛は首に残る“痕”な余韻を引き摺る声で、唯一の主人へ微笑みかけた。
『ご主人様のお心のままに従いますわ。それが、わたくしの役目ですもの』
脳裏を現実へと引き帰させ、凛は背面の距離で位置する良助達――ダイナマへ向けて、想いと僅かな挑発を発した。
「背中、お守り致しますわ。メイドのお仕事ですの。それに……“恩人”と早く決着つけませんと、ご主人様の唇奪いますわよ」
一人の背中を“確保”し、
「都忘の腕……鴻池様や翡翠様も狙っていらっしゃいますが、やはり剛腕ですわね。どうにかして墜とさせなければ――、ッ!?」
もう一人の背中が不意に、凛の視界を過ぎった。
ダイナマによって置かれた此度の状況下、その把握に努めていた彼女――御子神 凛月(jz0373)が凛に抱き止められる。
「お待ちなさい、りつ! 何をなさる気!? 厳しいことを言うようだけど、貴女が戦場で出来ることはありませんわ! 大人しくわたくしの後ろへ戻りなさい!」
凛の叱咤は正確であった。
故に、凛月は戦慄く唇を引き結ばせることしか叶わず。凛の腕を握り締めて項垂れた。
「りつ! 都忘はもう貴女の部下では、」
「そんなこと分かってるわッ!!」
最後まで言わせずに怒鳴り返す。
その事柄の“乱れ”に、龍斗達と相対していた都忘が反応した。機と踏んだのか、此方へ滑走してくる。
「くッ……!」
凛が弓を構えたと同時、凛月もその機を逃さなかった。凛の叫ぶ声が聞こえたけれど、駆ける足は止まらない。
凛月は、先程の柊の言葉を思い出していた。
『凛月。俺が月達の為なら他者を切り捨てる事を厭わないのも、月が自分の世界の色を護りたいと思うのもエゴだ。――誰かにとって、それが正義でも。誰かにとっては悪だって事もある』
だから、
『真実が知りたいんだよな? 俺達の戦闘は見なくていい。ちゃんと聞きたい事を聞け。自分の思っている事を言え』
後悔するな。
「凛月!!」
柊の声に、都忘が起こす疾風な音が重なった。
四本の拳が炎を纏い、空を奏でる。
「……この、」
幾つもの影が“焦点”へ結集し、
「軟弱者ッ!!!」
凛月の嘆きが柘榴の実の如く、爆ぜた。
「あぅッ……んぅ……ッ!!」
「り、……凛ッ!?」
――閻魔。
地獄の火で煮え滾る拳が、一撃。
凛が防衛した弓へ直撃したが、その振動は彼女の身体へ鈍い悲鳴を上げさせた。
そして、二撃三撃。
四撃――、凛月の盾となった小さき身体へ猛攻が浴びせられる。
純白なメイド服を朱に、凛の身体は弧を描いて吹き飛んだ。
乱打の追撃を制したのは、柊と龍斗。
「悪趣味にも程度ってものがある……!」
「俺も同意しますよ、柊先輩。都忘の面は――毒だ」
瞼を緩やかに持ち上げると、痛ましさで歪んだ凛月の表情を認めた。
「凛……ごめんなさい、私……私――」
五体満足の彼女の姿に、凛の瞳が安堵に細まる。そして、力なく持ち上げた掌を、ぺちり、凛月の片頬へ。
「凪いでいるか、ですって……? 荒れているわよ。それでも……自分の心より大切なものの為に闘うの。――りつ。もう、ご主人様が嫌いだなんて……言わせませんわ。復讐……? そんなつまらないもの、捨ててしまいなさい。わたくし達、ライバルでしょう……? 甘えは許さないわ」
凛月は涙堂を押し上げた目で凛を見つめ、ある瞬間、ふつりと糸を切ったように淋しく笑んだ。
「――感謝する、凛。後のことは任せろ」
抱擁なる主の声音。
流架の温もりに支えられ、凛は畏まる余裕もなく彼の胸に顔を埋めた。
――。
そこへ、都忘の攻撃によって飛来してきた龍斗が流架の傍らへ着地をする。
既に手負いの状態だが、それが龍斗の“常”。
「こんな状況ですが、やっとアンタと言葉を交わせる。
俺達に刃を向けた事に後悔している、だと?
――女々しい男だ。実に下らん。戦場で会えば、学園での関係性など無意味。加えて言うなら、あの時のアンタが本気なら、俺達はここにはいない。残念だ……戦うなら手負いの今の方が何倍も楽しそうだというのに」
「言葉に気をつけろよ、餓鬼。這い蹲りてぇのか」
「ふっ……それでこそ流架先生だ。
只、それでも悩むのなら、出来の悪い生徒にスパルタ補習をしたと思えばいい。という訳で、的確な指示を頼みたい。此方が泣きたくなるような、とびきりキツイ指示を」
互いの視線は戦場へ据えたまま。
本能に従う旋律でもって――、一掃に蹴散らせ。
「囮が必要だな――」
●
内なる声に従えば、行動を制御出来る。
「……ダイナマ先生。手を取り合えなんて言わないけど、干渉しないことは出来ない?」
赦す限り、時間は経過していた。
だが、今最も必要なのは言葉。想いを伝える意志。
良助は対峙するダイナマとベアトリーチェへ、ほとり、踏み出す。
「二人にとって“ラギ”って人が今回の……いや、二人の主軸なんだって分かる。でも、今はお互いに“相手”を見てほしい。辛辣な感情に囚われないでほしいんだ」
散らばる想い出をかき集めてほしい。
「遅くはない。遅いなんてことはないんだ。――ねぇ、ベアトリーチェ。君はダイナマ先生と決別して悲しくないの?」
「……? 悲しい……?」
「ダイナマ先生。僕は、もっと色々と話してほしいです。彼女と。先生の言葉なら、――先生の言葉だから届くことは沢山あると思います」
「……」
在りし、“あの日”の“あの微笑み”――。
潜り、沈んで、夢の底で揺蕩い、現実への助走にすればいい。
「二人が殺し合うのは間違ってる。お互いのやり方はただ、悲しみを広げるだけだよ」
良助は静かに物申すと、微かに憂鬱な溜息を漏らした。
「……先生。もう怒らせないでよ。もう悲しませないでよ。せめて、僕の、僕達の言葉は信用して下さい。僕達には心を開いて下さい」
「森田」
「僕、未来にダイナマ先生がいないとつまんないよ。勿論、るかりんも凛月ちゃんも一緒が条件だけどね」
「もういい」
「先生、失ったら終わりだよ。全てが元通りになるとは限らないんだよ」
「森田!!」
「――ねぇ、僕は信じる。ダイナマ先生のこともるかりんのことも。だから……だから、」
鷲掴みにされたのは頭。
くしゃくしゃと乱された赤毛は、ダイナマの胸板に寄せられ。大きな掌も何かもが豪快で鬱陶しいのに、良助は唯々、彼の傍らで立ち尽くしていた。
「照らしてくれて、あんがとな。迷ってるつもりなんてなかったんだがよ」
選択肢は常にある。
何かをしなければいけないと決めることは、理由が存在する時だけだ。ならば――、
「ヴィア」
「……ん」
「お前の“答え”は」
「……」
「……」
「悲しいかどうかは……よく分からない。でも、アレクシスとその小学生の会話……感情……? 夢の終わりに瞳を閉じても、とても鮮明に映るのは……どうして、かな」
息を詰め、顔を上げた良助が目にしたもの。
それは、
「……いいな」
片笑む彼女の面に浮かんだ情。それは何を厭い、何を望んでいたのか。果たしてそれは、悔悟な色であったのだろうか。
それとも――……?
●
みしり、
と。
協和しない音源が鼓膜を衝く。
意図した行動に反して捕らえられたのは、龍帝の腕。
浅紫色の掌が果実を潰すかのように彼の上腕へ喰らいつき、その牙に添うもう一つの掌が、龍斗の回旋な逃れを許さない。
「ッ、」
ぼき ぃ、
月影に隠れて、歪んだ音が響いた。
頭(こうべ)を落とす椿のように――龍斗の腕はあらぬ方向へ圧し折れ、河の女神が懺悔をするかのように水な布が地面へと垂れる。
そのまま都忘は龍斗の身体を振り子の如き払いで振り上げると、慈悲の欠片もない威力で彼の身体を背中から叩きつけた。
「がッ……!!」
土埃が舞う。半瞬遅れて、龍斗の口から飛沫する血。
しかし、眼光は魂の投影のまま。
「貴様に見せてやろう、俺の本質を」
彼は、血の世で存続することを誓った身。折られた骨の位置を強引に引き戻すことなど、造作もなかった。筋肉でその部位を締め上げると、《吸魂符》を用いる。
腕を都忘に取られたまま、形振り構わずの一撃――損傷した箇所での肘打ちをお見舞いした。
――浅い。
目前の獲物を解放する意など、都忘にあろう筈がない。猛打な拳が雨のように龍斗へ降り注いだ。
――が、成し遂げず、終わる。
鬼神の如き肢体の腕が、一本。月明かりの空へ舞っていた。龍斗の視界で、“誠の鬼”の悠然たる様が映る。龍斗の笑みに酷薄が零れたのは、言うまでもない。
手許の獲物は囮――。
察知に瞬いた時には既に遅し。
接近の足に加速を乗じた夏雄が、都忘の間合いへ入る。白な椿は折らせない――。《空蝉》発動。攻撃対象の挿し替えは忍軍らしく丸太、ではなく、白熊の着ぐるみ。今まで温もりをありがとう。
一本を落とし、
二本目の腕を躱した事柄と重ねて、
三本目の腕を捕らえたのは、咲月の操るワイヤーであった。
野に花咲く可憐な淡い紅のように、彼女の様を凛と魅せる。その絡めに相乗した連射は、足場の位置を高くとった良助の黒鼠。桜の花弁を調べに、木の枝を利用して《デスペラードレンジ》を駆使する。
「同情はしないよ。“掛かった”君が悪い。――じゃあね」
仮面から覗く瞳と口許が無邪気に笑んで、別れを告げた。
そう、
囮は――、
「名の下――また会う日まで、怨むがいい」
彼ら。
四本目の腕を拘束しているのは――龍斗。
殺気の存在しない質を下部から受け流すには、神速の反射を要していなければならなかった。
伝承の修羅は争う為、果てに拳を振るうのだから。
「…………さようなら、義姉さん」
誰かの“祈り”が十字を切るように、“彼女”の面は更けゆく宵闇に砕け散った。
●
チクタク、過ぎゆく時の中。
彼女――“永遠の女性”が心に募らせるのは、“あの日”もらった想い出。
例え拙い想いでも、ふと、目を開ければ。
「――……ご主人、さま」
一つの戦いに終止符を打ち。
凛達は縁の許へ集結していた。が、緊張を宿らせるのは、意識の危うい流架がベアトリーチェと対峙していること。ダイナマは彼の後ろで、聴従する面持ちで二人を眺めていた。
良助は、知らず開いた唇を、み、と結ぶ。
「(るかりんは皆の信頼を背負ってる。だから……大丈夫)」
一同は固唾を呑んで見守った。
「……フジミヤがやる気なら、私は相手をするだけ」
「……」
「アレクシスや小学生達が望まなくても。……壊したいのなら、壊せばいい」
「――……れ」
「?」
「去れ」
独り言のような抑えた声量で、彼は口を開く。
「お前達の関係など知らん。知りたくもない」
――違う。
柊はしめやかに瞬き、流架の背を見据えた。
「――その首、落としてやりたい」
龍斗や夏雄の表情は揺らがなかった。
「そうも、思った……。だが、俺にはこの子達がいる。親愛する生徒や友人達がいる。尊厳を保てる光が在る――。……だから、俺は、」
凛は胸がぎゅっと苦しくなるのを押し隠した。
「赦す」
彼の行いを。
彼女の行いを。
自身の行いを。
流架のそれはまるで、告白のようだった。
「それは……アレクシスの心に応えたから?」
「――心、だと?」
咲月は頬を傾けて双眸を細める。
その目線は穏やかで、語りかけた言を心へ伏せた。
――引かれているのは、互いに。
歪んでいるのが正常で、彼らにとってはそれが“共依存”の関係へと繋がっているのかもしれない。
「アレクシスの心を傷つけていいのは、俺だけだ。お前に居場所はない」
その宣言は残酷で、
幼稚で、
崩壊(きえ)ない想念を映しているかのようで。
眉根を絞り、狂おしく彼を見つめるダイナマの横顔を、良助は眉を下げた笑みで見つめた。
「――、……」
「藤宮先生!」
柊が介意の反応を示した時には既に、流架の身体はダイナマの胸元へ預けられていた。力なく両膝をつき、意思の窺えないその気配は、彼の意識が途切れたことを物語っている。
ベアトリーチェへ向けられたダイナマの背中は、押し黙ったまま――唯、一度、手を振った。
「うん。Addio……アレクシス」
交わしたのは、記憶。
消えゆく星の天幕の下、ベアトリーチェは色褪せた彼方へと消えた。
遠く響くのは、哀歌。
微かに聞こえるのは、何時もと変わらぬ居場所。
誰かの想いを手招きするように、光を灯す風が仲間の頬を優しく撫でた。
「……御機嫌よう」
――――織り成したのは、彼ら。