●
ラリラ、ラリラ。
血で錆びた螺子を巻いて。
耳に障る不変な奏がオトを立てる。
嫌なら降りればいい。
だが、“彼等”は最後まで見届けるだろう。
馬鹿面(ファニーフェイス)な教師達を定義するなど、不可能であったということを――。
●
宵の空、
調べ舞う。
風来の跡。
立ち竦む彼女――常塚 咲月(
ja0156)、冷静に佇む彼――鴻池 柊(
ja1082)へ、護が翔ける。
「……っ! 流架先生……っ、何で……っ」
「月、落ち着け」
「んん……流架先生との記憶と想い出、沢山あるから……ある、から……」
「上手く忘れろ――とは言わない。綺麗事は選ばなくていい」
「……」
「――行けるか、月」
「……。ん……私が思う限りを、やる……」
唐暮れ坂に呪いを吐いて。
その身弾ませ、夏雄(
ja0559)が傾斜をてるてるころりん。
「うん、痛い。蛇のくせにやるね。
……しかしだ。色々と余裕がないね今回。……いや、今回も? って、何寝てんだあの桜餅……起きろ王子様。早くしないと桜餅星の首脳会議に遅れるよ」
美しい弧を描いて“清廉潔白”が翻る。
英雄神話なる弓を華奢な身体に添え、斉凛(
ja6571)が端整な顔立ちに翳りを宿した。
「やはり、簡単にはお許し頂けませんのね。わたくしのご主人様の許へ――は。
いえ、まさか……ダイさんまで洗脳された……なんて事はないわよね。何にしても……ご主人様に手をかけた時点でギルティですの」
彼に対して、同情も罪悪感も皆無。
追撃に備えた一撃をキメラの頭部――山羊に既の所でかわされ、翡翠 龍斗(
ja7594)は漆黒の大鎌で火炎弾を受け流しながら後退した。
「人を斬ると殺すとでは、意味が全く異なる。
己の拳や武器がどれほど敵の血に濡れようとも、俺はもう誓っているんだ。貴方は……貴方達の十字架は、なんと応えている?」
無機質な仮面の穴から覗くのは、狂想曲。
武具の知識を唱えていた森田良助(
ja9460)が、黒鼠で腐敗なる弾丸を蛇へ撃ち込んだ。
「――よし。目標、早期排除。ぶっころしてやりましょう、マジぶっころす。
るかりんのことは信頼する味方に任せて、僕は僕のすべきことをする。殴る。ダイナマ絶対ブン殴る。だから、救うんだ」
眠れる荊な束縛を植物の蔓へ這わせて、咲月の腕が獅子へ向けて撓る。
「私達の邪魔、しないで……っ」
しかし、逸早く山羊の火炎弾が牽制。
直撃は免れたものの、熱気は彼女の肌を刺すように容赦なく攻めた。「んっ……!」と、咲月は両腕を盾にして顔を背ける。その瞬、キメラの身体は闇の気配へ融合し、再び姿を現した獅子の頭部は牙で咲月に触れようとしていた。
「させるか」
暗青の鱗が、宵に浮かんだステンドグラスのように煌めく。
青い世界の燐光の竜――ストレイシオン。
「王手を決める為には、起こりうる事象を何通りも考えておかないとな」
柊の命により、竜のブレスが場を支配した。
だが、巨体でありながら、キメラのその俊敏さよ――。
旋回し、体勢を整えてからの跳躍。キメラの行動に間合いを取りかねたストレイシオンは、狡猾で隙のない蛇の餌食となった。
「……ッ」
共有する生命が負で出現する。
重く鋭い顎で噛み砕かれなかったのは幸運であった。ストレイシオンが身を捩り、牙から脱したのだ。
「うりゃー」
鉄パイプきらり。
フードに隠れた表情が捉えている本質は何であるのか、跳躍した夏雄がバッターよろしく振りかぶる。
月の如き半円きらり。
色素の薄い柔らかな髪が“誰”かの指のように目尻を撫で、咲月は憂いを含んだ千歳緑で射る。
続いて、龍斗と良助の手数。
獣か、人か、幾重の咆哮が響いた。
「手を変えるか。――許りろ、鬼灯」
――《鬼遊び・壱》
紅緋の体表、花緑青の円らな瞳。柊の命に呼応するかのように、それは「キィ」と鳴いた。見目はヒリュウ、柊によって付けられた名は鬼灯。
闇を割いて上空へ位置させ、旋回を命じた。万が一の為、視覚共有で周囲の警戒を行う。
柊自身は番いの黒式銃を手に味方の援護――の、筈が、離れて位置する凛の叫び声に意識の糸を引かれた。凛のコトバが、“彼女”の名を紡いでいたからだ。
「お待ちになって、りつ! わたくしを信じて!」
「――やっ、ああ、あんなに血を流して……行かないと、早く行かないと流架様が死んでしまう!」
「駄目よ! りつがダイさんに攻撃されないという保障はありませんわ! お願い、りつ。りつは守るわ、わたくしが必ず。大切なお友達ですもの。だから――、」
「凛……貴女なら分かるでしょう!? 目の前で音無しに沈む彼を見て……貴女の“主人”を見て、凛の心は凪いでいるとでも言うの!?」
「――ッ」
切な動揺に緩んだのは事実で。
制していた凛の掌がするりと解けたのを代わりに、柊の力強い掌が彼女の腕を掴んだ。
「――どうして此処に来た、という台詞は言うだけ野暮か。まあ、藤宮先生の電話口で異変があれば凛月が来るのは予測出来たが……凛月、そこまでにしておけ。斉の心境も察してやれ」
ッ。
下唇をきゅっ、と、噛み。
眦きつく、桃染の瞳で柊を射たまま一呼吸置いて。
柊を仰ぎ眇める御家人の娘――御子神 凛月(jz0373)のその様は、狂い咲きをした桔梗のようであった。
「放しなさい、柊。貴方に私を止める権利はないわ」
「ああ、ない。だが、凛月の心身を案じる権利はある。俺は凛月と出逢い、縁を結んだ。赤の他人とはワケが違う」
「……ッ、だったら! 貴方は私の“我が儘”を許しなさい! 許して、私の“友”と導なさい!」
「……そうきたか」
柊にしては珍しく、虚を衝かれたような感覚であった。
清々しいくらいの言。
自分を抑えられない正直さに感心した。少なくとも、柊は“嫌い”ではなかった。だが――、
桜、ひらひら。
灰色に暈した世界で一人の男が仁王立ちをし、赤で描かれた絵画に一人の男が腰を落としていた。
狂乱(くる)った交わりが二人ぼっちを薄紅に染める――。
朱で飾った大鎌を筋骨逞しい肩へ担いだ彼――ダイナマ 伊藤(jz0126)
の、背。
身体を任せるのは、宵の灯りに淡く浮かぶ桜の木。満開の下、彼の――頭を垂らして微動すらしない藤宮 流架(jz0111)の鼓動に合わせて、花弁を散らせているかのように。
彼の現状を生々と傍らで見せるのは、流石に気が咎める。包帯で血止めを施されていると云えど、その行為がダイナマの真意の表れであるのか、柊には判断が出来なかったからだ。
凛月がダイナマとキメラの標的にならないとも言い切れない。
しかし。
凛月の切実な言葉を無視出来るほど、柊は“お人好し”でもない。
「――行くなら行くで構わない。けど、何があっても動揺するな。藤宮先生が危険な状態なのは……分かっているよな? それと……心に隙が出来れば……魔に取り込まれるぞ」
揺らがない筈がない。
焦がれない筈がない。
「……今更よ、柊。私の心は、心臓は既に取り込まれているわ。彼という魔に」
木蘭な瞳に映ったのは。
憎悪の中へ宿している、信仰であったのかもしれない――。
・
・
・
「ぎゃー」
余裕のある悲鳴は、余裕のない衝撃を与えた。
ごんごろりん。
夏雄の身体へ。
「……なんだろう。今夜のおいらは厄日なのかな。おむすびな厄日。因みに好きなおむすびの具は鮭と梅干しだ」
「腹の減る話題は止せ。……向こうも手古摺っているようだな。全く、バイクで拾ってやったのは間違いだったか」
「うん? ――ああ、凛月君かい? まあ、感情的になるのはしょうがない」
「がっつく者は防御出来るとしても、食わない者をどうするか……だな。過去の恨みを晴らすならば、首を刎ねればそれで済む。少なくとも……俺ならば、そうする」
「え? ああ、なるほど。相変わらず龍斗君はキッパリというかハッキリしているね。
さて、進展がないのはこちらも同じだ。どうしようか。諸々覚悟で来たから、おいらが特攻隊よろしく突っ込んでもいいんだけど」
「よし、それで行くぞ」
「――うん、わかっ……え?」
「安心しろ。骨は拾ってやる」
というわけで。
夏雄、行きまーーーす。
「――辛辣の雨を喰らえッ!!」
応戦していた良助が弾丸に乗せて吼える。
キメラの意識を常に奪うかのように――対象を決して“目移り”させない。《専門知識》を再度唱え、小柄な少年は黒き銃を携えて死力を尽くしていた。
「(ダイナマ先生。
何があったか知らないけど、この状況……僕達に説明してもらえるのかな? いや、説明させる!)」
彼の過去に触れたことのある良助は複雑な心境であった。
だが、今回の“思い”は――譲れない。
場へ、白き忍軍が飛来。
手頃な長さでしっくりと手に馴染む武器、彼女の言わずもがなが鋭く、滲み、重厚に――《対象の頭部目掛けて繰り出される渾身の一撃》が文字通り割り入ろうと、し、
「(あ、獅子と目が合った。うん、明らかに物理担当って感じだ)」
そんな余裕は今いらない。
翼を持たない空中の夏雄は、格好の獲物であった。キメラの前脚が浮く。獅子の大口から奈落の底が見えた。だが、捉えたのは――、
「天魔、お前という悪夢を終わらせる」
龍斗だ。
龍帝であり死神――漆黒の大鎌で“軌道修正”。三匹の死角へ潜り込み、地と擦れ擦れの平行一閃を獣の脚へ。バランスを崩したキメラへ、夏雄の一撃。
「――おや。山羊、君の居場所はそこじゃなかったんだけど」
獣と云えど、その判断は厄介であった。
夏雄の目下は獅子の頭部であったのだが、移動の主を山羊が庇ったのだ。
威力は浅かったが、意識の混濁を奪ったのは利。
その機を眼帯のメイドは逃さない。ダイナマの動きを警戒しつつ、光の矢撃を山羊へ浴びさせた。
夏雄は着地すると同時に後退、パーカーはためかせて上な傾斜を駆けた。向かい風にフードがふわりと踊り、覗いた虎眼石と彼――構えを崩さない龍斗の藍宝石が一瞬、目配せを交わす。
「(行ってこい)」
背を押され、夏雄は心置きなく情報を整理し始めた。
・
・
・
現実(ジゴク)へ、ようこそ。
「近づいたら射殺しますわ……ご主人様のメイドとして」
言の前に、一発の警告。
凛はダイナマの足下へ、容赦の欠片も与えないという意味を含めた威嚇射撃をした。
凛月からの連絡後、凛は御子神本家へ警告を伝達。しかし、凛月の身を黙認している状況下で本家の精鋭が動くとは到底思えなかった。
「――へいへい。別にオレはお前さんらに用はねぇからよ。いいぜ、ほら。ストーカーなんてしねぇからとっとと帰んな。まだ“間に合う”ぜ」
「関わるなって言われて引くような生徒だと思ってました?」
「いんや、思わねぇ。全くよ……冷えたツラして意外と熱いわねー、鴻池」
「貴方には敵いませんよ。
――先生。先生にどんな思惑があるか分かりませんが……。分かる所は分かりますよ。大切なモノを護る為なら、いくらでも残酷になれますからね」
「あん? まあ、そーね。歪んでるのは“お互い様”ってな。――だろ?」
「ええ、否定はしませんよ。ただ……貴方は藤宮先生を死なせない、と公言した。だから、俺達に帰れと」
「ああ。再三言ってんじゃねーか」
「死なせないとは、どういう意味での死なせないって事ですか?」
「……あのなぁ、鴻池。予習もせずに回答を求めんな。甘ぇんだよ。はい、お前さんへの授業は終了」
経過はフラット。
凛の形の良い眉が僅かに歪んだ。
ダイナマの牽制に状況は好転しない。言わば、彼の後ろに位置する流架は人質のようなものだ。強引に事を進めるのにはフォークが足りない。故に。
――心は急いていた。
赤薔薇に咲いた瞳へ映り続けるのは、親愛する主の労しい姿。俯いた面からは表情が窺えず、流架の長い前髪が微風でせせらぎのように揺れていた。
凛月の衝動に、自分も重なりたい――。
しかし、
「――お訊きしてもよろしいでしょうか?」
「あんまよろしくねぇんだけんどもよ、どうせ続けるんだろ? 言ってみ、斉」
「ご主人様を洗脳したのは貴方の関係者かしら? 貴方がその人間の策に嵌まっているとは考えないの?」
「あァ?」
彼には不可解な点が多すぎた。
洗脳の件、そして、彼ら――流架とダイナマに関する報告書を視野に入れての調査を独自に進めていた凛。そして、眼前に広がる“結果”。彼女なりの推測が成り立っていた。
「ご主人様が貴方に背中を向けた理由……お分かりですか? ご主人様が貴方に背中から刺された事柄……お分かりですか? その“意味”を、貴方は、」
「――ああ、“知ってる”」
「……え?」
――彼の表情は一瞬、悲しみとも迷いともつかない深い憂いを帯びたような気がした。
「だからオレは、ルカの“隙”に甘えたんだ」
彼の言葉に偽りはなかっただろう。
故に、幼稚な残酷さで。
「――ッ、でしたら何故! その“信頼”を裏切ったのですか! ご主人様が……わたくしのご主人様が貴方に何をしたというの!?」
「お前さんの物差しで語るんじゃねぇよ。事実しか目に見えねぇようなら、ルカのメイドはやっていけねぇぜ?」
「なッ……!」
「それになぁ、関係者だの嵌まっているだの……あー、ちくしょうッ。取り決めの時間が過ぎちまったじゃねぇか」
「取り決め……? やはり、ダイさん……貴方は」
切れ長の双眸は、濃い苛立ちの色。
カーキ色の長髪を大きな右掌で乱暴に掻き乱し、反対の手首の腕時計へ向けて舌打ちをすると、ダイナマは凛の声で視線を此方に戻した。
「つーワケで、オレとルカは“美女”とデート。ガキには刺激が強過ぎるだろうからな、回れ右して寝とけ。OK?」
「……ふふ、ご冗談を。ご主人様のお相手はわたくしが務めさせていただきますわ。それに、ダイさんは罪を背負って消えるおつもり? それは“我が主”が許しませんわ。半殺しで連れ帰りますの」
愚かなことを嘲笑うかのような黒化なメイドは、次いだ言の反応に違和感を覚えた。
「それとも……ダイさんの狙いはりつ? りつに用意された心かしら?」
「――、」
意識したのは、彼。
あどけなさと危うさが混在していたのは、意図。
ナニかが、揺れた。
――もしかして。
と、凛の眼(まなこ)が俄に膨らむ。
自分を守ることなど端からなく。
意図して誰かを傷つけようとしているんじゃない。だが、彼の弱さが結果として傷つけてしまう。その言葉が強ければ強いほど。
あざといのではない。
頭で考えるのではなく、必然的で単純なだけであったのではないだろうか。
「ダイさんは……りつの“ココロ”を守ろうとして下さったの……?」
宵月の下、大鎌を片手に佇む彼の返答はなかった。
しかし、その様、気配、バラバラのような感じで、同化している一体感は――……、
「懺悔でもしているのかい? ダイナマ保険医君」
音を奪うのは忍軍の特権、だろうか。
夏雄がダイナマの背後に位置していた。心の距離感を表すように、酷く“曖昧”な間合いであったが。
「君の事を調べたよ。
君の恋人の事も。その人の最期と最後も。
本当、ゾッコンだったようだね。是非ともこの目で見たかった。美人だったかい?」
「クリソツなヤツなら桜の下で寝てるぜ」
「なるほどだ。……え? 見た目が、ってことだよね? 見た目“だけ”なら、まあ、確かに美人だ。主食が桜餅のおかげなのか、もち肌みたいだし」
持ち前であったかどうかは忘れた。だが、夏雄のその気さくさは、崩れそうな空間を包んでいた。
さあ、お喋りをしよう。
突然の呼び出しに呪われた坂――なんだ、いつも通りじゃないか。
「君……本当は、救えなかった恋人に自分を咎めてほしかったのかい? もしくは、そこの桜の花弁布団の上で転がっている桜餅に。
――いや、もっと現実的な話にしよう。いつぞやの話の続きを聞かせてくれないかい? “今がその時”だと思うんだけど?」
ダイナマが肩越しに顔を向けると。
かくり。
聖職者を彷彿とさせる白なフードが右へ傾き、問うていた。
「――ああ、お前さんの阿呆面予防か」
「なんで今ソレ引っ張るんだい……!」
「かわえーな、夏雄は。――いいぜ、お前さんはヤマを張った」
包帯の縁が有用となる。
夏雄は閃きを覚えるように、衝動が湧き立った。
「女の名前はベアトリーチェ。ラギのジィさんが最も信頼を置く隷属――ヴァニタスだ。んで、オレの恩人」
「恩人?」
「――“だった”、だな。弟のフランの件で、まー……あれよ、日本に来た時に色々世話になったんだわ」
「親しかったのかい?」
「そんなん聞いてどうす――、……あー、先言っとくぜ。淡花の件については、オレは一切干渉してねぇからな。淡花が独自のルートで調べたんだろ」
「ふむ、なるほどだ。
その話を聞いて一つの仮説が立ったよ。聞いてほしい。もしかして君……誰かを何とかしたいのかい?」
「あ?」
「――彼が邪魔をするような“誰か”を、君が親愛する“彼”の為に」
――。
一瞬。
ダイナマは地面が揺らいだような気がした。
推測か。
直感か。
信念か――。
紡ぎ出した言葉が点滅するかのように。
例えそうだとしたら、どう考えても彼の負荷の方が大きいというのに。それはまるで、
「ダイナマ保険医君は、信仰のような戀をしているんだね」
一歩、前へ進めたような気がする。
しかし、戦いの喧噪は未だ止まない。
焦燥は唐暮れ坂を支配する誰の顔にも表れていた。
凛月を背後に、凛。
そして、柊。大柄な彼が戦闘の音へ“調子”を合わせるように半歩踏み出すと、使い慣れた武器の構えを強く、ダイナマが位置する方角へ駆け出した。
薄紅な雪の下、凛達に緊張が奔る。
だが、ダイナマの姿勢に変化がなかったのは、柊の視線が捉えている道筋を悟っていたから。戦場である。故に加勢へ、と――、
――――掛かった。
「――おぉう!?」
花弁、舞う。
足音が一斉に響いた。
凛は主の許へ。
凛月は仇の許へ。
夏雄は説得の許へ。
柊は獣の許へ。
そして――、
「――おいおい、オレをルカと間違えてんじゃねーのか?」
彼女、咲月は欠けがえのない存在の“片割れ”の許へ。
「キメラがなかなか墜ちねぇからコッチに来ちまった、なんて言うんじゃねーだろうな」
「んん、森田君が託してくれた……。それに……私が思う限り、色々やらないといけないと思ったから……」
柊の陰に寄り添い、連ね疾走してダイナマの虚を衝いた行動は見事であった。
彼の堂々たる体躯へタックルな勢いで腕を回し、放すまいと力を込める。そして、仰いだ両の瞳に哀を宿しながら、淡々、事実と祈りを述べた。
「あの子……私の“弟”に言われたよね……? “辛くて苦しい過去があるんだろうけど……今此処で向き合わないでどうする。自己完結する前にもっと言葉を交わせ”って……言葉交わしたの……?」
「懐かしい言葉を背負ってきたじゃねぇか。――でも悪ぃな。刺して交わしたんだわ、オレ達は」
ダイナマは心身の微動すら感じさせなかった。
彼への抗いなどないのだろう。
彼への後悔などないのだろう。
誰よりも命の重さを知る彼だからこそ――、
「弟に言った、“記憶や想い出さえなければ、こんな複雑な思いせずに済んだのに”って……今までの事を言ってるの……? 複雑な思いをするのは人だからだよ……? 記憶と想い出があるから強くなれる……」
「お前さんはオレ達みてぇにイカれてねぇからな。マトモじゃ駄目なんだ。イカれた世界はイカれたヤツじゃなきゃ理解出来ねぇ。――オレはオレの世界に在る。事態は変わらねぇんだ」
彼なりに、正面から向き合って応えていた。
寂しげに祈りを捧げるような切れ長の双眸――反面、その身に宿るモノは流架と等しい。幾度も流架の温かさに触れた経験が、咲月の心に罪悪な色を灯す。
「罰が当たっても……私のする事が罪でも……二人が賑やかなの、好きだから……。流架先生の事、どんな風に思っててもいい……。――けど……私の色を……世界を奪わないで……お願い……っ」
罪を重ねても、罰を受けても。
例え、叶わぬ運命上であっても――祈りをやめてしまえば失ってしまう。
正気も。世界も。
咲月は唯々、懇願した。
――。
夜覆う桜色に沈黙。
夏雄は己の間合いでダイナマを警戒しつつ、反応を窺っていた。
しかし、その身構えが応じるよりも早く、
「――そりゃ、テメェのエゴだ」
ダイナマの膝が咲月の身体を突き上げていた。
羽をもがれた蝶のように、咲月は為す術もなく宙を描いて地面へ転がる。
「……ッ!」
夏雄に躊躇はなかった。
だが、鉄パイプを彼の頭に振り下ろそうとしていた体勢は動きを止める。
「――流架様!!」
悲鳴にも似た、凛月の声。
朧げに、夢遊を漂っているかの如くその様――しかし、その背中から滲む強さと安心感に偽りはなかった。
「……悪ぃ、ルカ。エゴはオレとルカもだったな。――お前さんはどうだ? なぁ? “凛月”」
「――え……?」
突如、焦点として問われた答えなど持ち合わせておらず。
凛月は呆然としていた。
居合からの抜刀を思わせる、低い姿勢。妖と煌めく長い刀身の切っ先を揺れることなくダイナマの首に当て、一呼吸を絞り出すかのように息吹する。
ダイナマを仰ぎ射る瞳は、前髪の翳からも負の性質がひしひしと感じられた。
「ごっ、ご主人様! 無理をなさらないで下さいませ! まだ傷が――」
狼狽した凛が流架の傍らへ添った時、既に彼は凛の腕の中に沈んでいた。
血止めに不正確などなかったが、負った箇所が箇所なだけに出血も多かった様子。流架の意識が朦朧としているのは間違いがなかった。凛は悲痛な面持ちで癒しを送る。
「ああ……ご主人様、ご主人様……! 申し訳ありません……わたくしがもっと早くお傍についていれば……」
「……、……りん……」
名を、呼ばれた。
「君の……凛の、存在を……感じた……」
混濁しているのだろう。
だが、彼の調子、音質、発音。
例え、現世が描く夢見であっても――心は繋がっている。
「ご主人様……」
凛は俯くことで喉を塞ぎ、流架の体温と存在を身体で感じていた。
・
・
・
「質問。アンタは敵か?」
「お前さんはどう思うんだ? 翡翠」
「考えあぐねています。
今回の件は愛憎の果てに……か。――いや、初めから殺す気だったら、血止めはしない。貴方は、何がしたい?」
「お前ら揃いに揃って質問攻めね。もっと色気のあること訊いてくんねぇかしら」
「色気なことは奥さんだけと決めているので。
――もう、この状況で帰れ、はなしですよ。死地に向かう人間のような科白は言うな」
「別に迷惑とは思ってねぇぜ。怪我すんのはオレとルカでいーのよ」
「……ああ、そうか。
ダイは、流架を殺す気だったのではなく、護る為に大怪我をさせたのか。共に死地に向かうならば大怪我で倒れている方が安全だし、黒幕がいるとしたら用意に懐に入り込める」
「……」
「だが、彼の性格上、無駄なこと。地を這ってでも死地に向かう」
「お前さんはホント……履き違えんじゃねぇぞ。こちとら命は張ってるけどな、死ぬつもりなんて毛ほどもねぇわ。――つーかよ。ツッコんでいーか?」
「はい」
「お前さん何でココいんの?」
「獅子に吹っ飛ばされましたが何か?」
戦いの旋律は止まない。
毒のブレスを吐く蛇は厄介であったが、回旋を込めた龍斗の《薙ぎ払い》がカガチの首を落とした。
一が沈み、残りは二。
現在では、柊、そして、終始に良助が応戦している。
此方の疲弊はそれほど深刻ではないというのに勝敗の決め手が得られない――その理由は明白であった。
「――そりゃ、そうだろうな。
化物の連携プレーの方が目ぇ見張るモンあるぜ。どしたんよ、お前さんら。一夜凌ぎなんは分かるけどよ……ルカと死合ってる方がよっぽどマシだったぜ。なぁ――“宵桜の首狩り”?」
幻が手招くように、鬼ゆらり。
「――――失策、だな…………」
案じる凛に背を委ね、流架の足は桜の追い風に浮き立つかの如く感覚で支えられていた。
右手に刀。
朱の唇に、名。
「……龍斗」
「――、はい」
「キメラの右腕。機動のある君が囮になれ」
「分かりました」
「凛」
「お傍に」
「君は凛月ちゃんを護衛しながら機を待て。……分かるな?」
「ご主人様のお心のままに」
「咲月」
「ん……いる……」
「背面……闇に乗じて、移動を封じろ」
「流架先生の言う通りに……頑張る……」
「――夏雄」
「うん。――ん? うん、おいらだ」
「左腕。鉄パイプで気を引け。味方の“繋ぎ”になるんだ」
「うん、やってみるよ。……なんかおいらだけ雑な感じじゃないかい?」
「やんのかやらねぇのか」
「よし。がんばろう。
――その前に、ダイナマ保険医君の時間を少し欲しい」
「おう?」
桜餅な“友人”の境界線も曖昧であったが。
伝えなければ始まらない。真実より確かであるかも不明だが、言葉は“繋ぐ”為にある。
「君が何を想い、何を始め、何を止めようとしているのか……悔しいが、今迄の君との会話ではおいらは解らなかった。
けど、諦めろ。
周りを見ろ。此処に駆け付けたお人好しの数を。
だから、もう駄目だ。諦めろ。
おいら達はもう関わった。無関係は有り得ない。
もう動かない。
君達を助けるまでは。
大人しく諦めろ。
思いを叫び、手を伸ばせ。
その手を握る人達が此処には居るんだ」
――ああ、恥ずい。
夏雄はフードをぐぐぃ。面を隠すように両手で引き寄せると、忍軍よろしく暗へと消えた。
「純情なトモダチじゃねぇか」
「五月蠅い」
「なぁ、ルカ」
「……何だ」
「刺し損になっちまって悪ぃ」
「……黙れ、馬鹿」
誰かを救うことは、他の誰かを殺すことになるのかもしれない――。
・
・
・
人と獣の局面。
唄は絡まりて、夜の空へと抜ける。
「――血の匂いが好きだろう。こっちだ、来い」
悪魔の刃へ自身の血を塗り、月明かりで滲ませキメラを翻弄する。
影と血の世界で生を過ごしてきた龍斗は、相手をどう陽動すればいいか明瞭であった。
「うん、翡翠さんナイスです。撃つべし、撃つべし、撃つべしッ!!」
良助の射程。
黒鼠が巨大な獣を噛む最良のポイントを捉える。有する知識を限界まで唱え、腐敗なる弾丸を目標の山羊へ発砲。良助の攻撃からキメラが免れる術は、龍斗と夏雄が絶っていた。
人間のような悲鳴が実に悍ましく。
追撃。
速射な弾が刺突の嵐の如く。柊が無慈悲に、そして――。
「逝ってらっしゃいませ」
直撃でないとはいえ、一矢の火炎弾を白な身体で受けたのは“友”を守る為。
しかし、代償にすらならない。
凛の《スターショット》が凛然と。山羊の身体を躯へ変えた。
「残――、一」
龍斗の面に修羅が宿る。
牽制は“その”域を達し、此方への害すら与えない。
「ん、行く……荊に阻まれて……」
荊姫――咲月の束縛の鞭が、獅子へ命中。
俊敏さも潰えた。
さあ、“狩り”を終わらせよう――。
「大福食べたい症候群発動中。だって、ぶっころした。ぶっころしてやったよ。……さてと。“修正”に行かなくちゃ」
●
凛の慈悲な力が夜桜の下、幾度も灯った。
仲間の損傷が緩和されていく中。
「――ダイナマ先生」
決着をもアシッドの弾で功を奏した良助。
しかし、その黒水晶な瞳に歓喜の色はなく、対峙するような深い鋭利さで染められていた。
「僕、色々と訊きたいことがあったんだ。
今回のダイナマ先生の行動は、凛月ちゃんの心臓移植の件と関連性があったのか。そして、本当の狙いは凛月ちゃんじゃないのか……とかね。
うん、僕なりに考えたんだ。
――でも、本当は訊きたいことよりも言いたいことの方が沢山ある。
僕は今、本当に怒っている。
もううんざりだよ。
先生達はいつもそうやって僕達に本心を隠して、勝手に自分だけで答えを出して!
勝手に暴走して!
勝手に人を傷つけて!
そんなに他人を信用出来ませんか!
僕達には心を開きませんか!
だったら、僕は貴方を修正する!
――連れ帰って修正してやる!」
――。
抑えきれない怒りに彼の声は震えていた。
しかし、良助の心は確かに此処に在り、
――響く。
「馬鹿やろう」
良助は、彼の宥めるような笑顔が無性に腹立たしかった。
だが、自分でも愚かなほど、
「離れてても繋がってんだろうが。だから森田は、お前さんらは、ココに駆けつけてくれたんじゃねぇのか? だからお前さんらは――ルカやオレを信頼してくれてんじゃねぇのか?」
――彼の真っ直ぐな瞳に泣き出しそうになった。
良い映画の続編のように、親友が突然敵になるような展開はもう二度と御免だ。
頭が割れそうで、光が目に刺さり、心が引き裂かれる。
そんな想いは、もう――。
しかし、漸く“彼ら”の世界と向き合える。
良助は仕様がないな、と、笑み、求めている深い絆を手繰り寄せ――、
宵が、
「Buonasera――遅刻だよ、アレクシス」
時化る。
濁りのない透き通るような女性の声は、この空間とは異なる言の葉であった。
故に――牙を剥き、聞く者の想いを揺さぶり、
「――ッ!? 咆えろッ、黒鼠!!」
掻き乱した。
「ッ、よせ森田!!! 手ぇ出すんじゃねぇッ!!!」
消えゆく狭間を捉えるように。
気配の存在しない闇へ、良助の銃口が無慈悲に響いた。
もしもあの時、と考えても“今”が変わるわけではない。
だけれど、切に――。
願った。
「ダイナマ、せん、せ――……」
銃声と、もう一つの鋭利な“音”が交錯した瞬間、良助の世界が傾き、逆転した。
良助の右肩に朱が咲く。
そして、良助の“盾”となった“彼”の右胸にも良助と同じ――、一回り大きな風穴がぽっかりと開いていた。
「――アレクシス!!」
囚われた幻想を壊し、流架が彼の名を叫ぶ。
ラリラ、ラリラ。
――彼らの真実を壊すように“誰か”が嗤っていた。