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神代の間。
交錯する思惑と駆け引きが渦を巻く。
「流架と淡花はどういう関係なんだ」
風船ガムをぷぅ、と膨らませ、手には拳銃。
気後れなどという言葉は、彼――影野 恭弥(
ja0018)の脳裏になど無く。
「どういう関係かと申されましても……敢えて答えるのなら“師弟”でしょうか」
寸先には恭弥の銃口。奈落の底から喉元を捉えられているにも関わらず、御子神 菊乃の態度は落ち着いていた。不安定さなど微塵も感じられない。恭弥同様、場数を踏んでいる者の貫禄だ。
「質問を変える。淡花に命令出来る立場の者は何人いるんだ?」
幾つもの凍針が恭弥を射貫く。銃身を握る部位から発せられる微動な音にも、潜在している“菊”の御庭番衆は警戒の色を濃くしていた。
「其れを知って貴方はなんとします?」
「気になるんだよ。四十代目当主の奥方……本来ならあんたの時代はとっくに終わってるはずだ。なのに跡継ぎが次々死んであんたは今もこうしてトップに君臨している。都合が良いと思わないか。まるで、」
恭弥の次ぐ言葉を察した菊乃は、片目を細くして口端を歪める。
「誰がこの様な老いぼれを御子神の頂点に座したいと? 私にそんな力はありません。御子神家が衰退していくのを黙って見ていることしか出来ない……無力な老婆なのです」
音に淀みは無い。
恭弥は暫し、窺う眼差しで彼女を正視していた。不意に、銃口が天井へと向く。
「まあこの家で何が起きてようが俺には関係ないがね。だが万が一、裏で天魔と通じていることがあれば俺は容赦なく潰すぜ。例え誰であろうとな」
毅然とした表情で言を置いて、恭弥は座敷を後にした。
「――無礼な男」
恭弥が廊下の突き当たりに差し掛かかると、眦をきつくした娘――御子神 凛月が待ち構える様にして立っていた。恐らく、恭弥と菊乃のやり取りを耳にしていたのだろう。
何を返すわけでもなく、恭弥はじっと凛月を見たままガムを噛んでいた。怪訝そうに名を尋ねるものだから素直に答えると、
「恭弥、ね」
いきなり呼び捨て。
「恭弥は何故、此処に来たの?」
「? 淡花の対応にあたった縁で。あとは暇潰し」
「……そう」
恭弥の予想に反し、凛月は憂える眼差しで遠くを見据えていた。
「……外の人間の人生なんて、きっと死ぬまでの暇潰しなんでしょうね」
不思議と。
其れは嫌悪でも、疎外でも無く、何処か、“羨望”に似た音色を乗せているかの様であった。
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天井に張り付きながら屋敷内を探索するヒリュウ。其の視覚を共有しながら、森田良助(
ja9460)は、恭弥に一方的に物を言って一方的に去ってきた凛月と“交渉”を進めていた。
「もし僕が、るかりんに一泡吹かせる事が出来たらお話聞かせてほしいな。だから、敷地内での模擬戦を許可して欲しいんだ」
「其れをして私に何の得があるというの?」
「得? えーと、そうだね。あ、るかりんの悔しがる顔が見れるかもしれないよ。君、るかりんの事をあまり良く思っていない様だから」
「そ、それは……」
うまく同意出来ずに言葉を濁した凛月に、良助は手応えを感じた。
「君の為に、るかりんが地に平伏すところを見せ――」
「へぇ、俺が? 跪くって?」
良助の大福の心臓が鷲掴みにされ、中身の餡をぶち撒けられたかの様な威圧が良助の背後から襲ってくる。最早、振り返らずもがな。
「言ってごらん? 俺が、誰の前で?」
「は、ははは……やだなー先生。冗談ですよ、じょーだん。
……え、えーと、話を聞いていたのなら早いですね。“先に攻撃を当てた方が勝ち”っていう簡易ルールで僕と勝負してみませんか? 簡単なゲームでしょ。射程はハンデって事で……」
若干うわずった早口の良助に視線を置いた後、やはり来たのか、という苦い笑みを浮かべ、藤宮 流架(jz0111)は気まずそうに佇んでいる凛月へ首を動かした。
「君が勝負を望むのなら」
「……っ。わ、私は……」
真摯に向く流架の顔から視線を外し、下唇を噛む。間の静寂。その時、まるで小動物が走るかの如く駆け足が響いた。流架の背からやってきた其れは、彼が身体を向けた瞬間タックル。
「――さ、咲月君!?」
「先生かくほー……心配した……」
飼い主の胸に飛び込んでくる猫の様に、常塚 咲月(
ja0156)は流架の温もりを確かめる。そして、小顔を傾けて彼の顔を仰ぐと、
「――……約束……憶えてる……? 見守って助ける……って……。だから、助けさせてね……? 何の力にもなれないかも……だけど……」
全てを見透かした様な微笑みを浮かべて、咲月は目で頷き返した流架の身体からそっと手を引いた。
「あ、居た。おや、人口密度高いね、此処。って、うわ。流架戦生君、何だいその頬は……。女の子でも泣かせたのかい?」
「……君も泣かせてあげようか?」
「いや、遠慮するよ。あ、でも偶然だね。おいらこんなモノを持参していたんだ。れーいーきゃーくーシートー。欲しいかい? 欲しいだろう?」
「ふふ、ありがとう。でも君が握っていなさい。ほら、協力してあげよう」
「うん、ごめん。受け取って下さい。おいらの指が悲鳴をあげている……ん? 斉 凛君、顔が赤いよ? 大丈夫かい?」
「……ふぇ、流架先生……わたくしの事でしたらいつでも虐めに……、――はっ。え、ええ、平気ですわ」
極度を上回る程に寒がりなフードの彼女、夏雄(
ja0559)の案ずる声に、斉凛(
ja6571)は朱に染まった目元を柔らかな銀髪で隠した。そして、繊細な指を口元に添えると、コホン。一つ、咳払い。
「わたくし、凛月様に用件がありましたの。殿方には申し訳ありませんが、レディファーストして頂けると有り難いですわ」
「あ、おいらも訊きたい事があるんだ。一緒していいかな?」
「え? ちょ、ちょっと」
「あの……凛月さんさえ良かったら、女子会しない……? お菓子、色んなの持って来た……甘いの、しょっぱいのとか……」
「――は? で、でも……」
「まあ、素敵ですわね。でしたら、お飲み物はわたくしにお任せ下さい。とっておきの紅茶を淹れて差し上げますわ」
「も、もう、勝手に話を……――流架さ、」
僅かでも縋り、口にしてしまった昔の名残。しまった、と思った瞬間、羞恥で顔が熱くなった。同時に、いつもと変わらない態度で微笑み返す流架の態度が堪らなく悔しくて。
「い、いいわ! 貴女達、ついて来なさい!」
凛月はキッと流架を睨んだ後、袖の振りを翻して、三人の美女を従えていった。
残された殿方二人組。
「……良いなぁ、女子か――じゃなくて、紅茶とお菓子。……あれ? 僕って結局スルー? えーと、先生、勝負の方は……」
「いつかの時みたいに鳩尾に一発喰らいたいのなら今すぐにでも(ニコリ)」
「は、はは……ドーモスミマセンデシタ」
――良助、平伏。
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「流架先生を想い人として死んだ戒音という少女の死因、下腹部を斬られ出血多量――という事で間違いないんですね?」
夏の風に深緑の長髪をそよがせて、翡翠 龍斗(
ja7594)は、あらゆるものを内包する様な自然の空間に居た。話の途中であるというのに、つい、感覚は御子神家の庭に奪われてしまう。
「おう。オレが脈の確認とったんだ。二言はねぇ。御子神の一族構成と凛月についても頭ん入ったか? 鎌倉から代々んなると、家系図なんて阿弥陀籤みてぇなモンよね」
「俺の家系も似たようなものですよ」
大きな図体を木陰に落ち着けた保健医、ダイナマ 伊藤(jz0126)の低く通る声が、龍斗の僅かな意識のずれを戻した。そして、苦笑していた口元を引き締め、龍斗は彼の正面へ歩を移す。
「淡花の主、凛月という娘は心臓移植をしていたんですね。だから生き永らえた。其れが十年前……と言うと、戒音が死んだ時期と重なりますね」
「おう、そうね」
「……ダイナマ先生。医師免許を持っている貴方なら知っていますよね。心臓移植はABO血液型の適合や、ドナーとレシピエントの体重差が少ないこと――など、臓器移植における適合性はとても重要です。適合性が良ければ拒絶反応は起こりにくいですからね」
「へぇ、よく勉強してんじゃねーの」
「本職の貴方にそう言われて光栄ですが……俺なりに調べ、推論した結果を述べます。HLAは兄妹姉妹でなら25%の確率で見つかりますが、非血縁者では数百から数万分の1の確率、だそうです。――故に、」
此れは仮説だ。
そう、呼吸をひとつ置いて、龍斗は厳かに尋ねた。
「死亡した戒音と凛月には血縁関係があったのでは?」
「――あん?」
驚きの声が口を衝く。龍斗の唐突な推測に、ダイナマは思い掛けない顔をして「戒音と凛月が?」と聞き返した。顎を引く彼を前に、ダイナマは少し考える様な間を空ける。
「只の“推測”に“結果”はついてこねーんだぜ? マジに聞きてー事は何なんよ。ハッキリ言ってみ?」
戸惑いなど微塵も滲んでいない返事に、龍斗は“ハズレ”たのだと直感した。逆に問いかけてくるダイナマの眼差しに、固唾を呑み、唇を引き結ぶ。
「貴方を責めるつもりはないんです」
ひっそりした声で、どこか独白する様に。龍斗は切れ込んだ瞼を閉ざしたまま。
「只、もし其れが真実なら……今の流架先生にとって、唯一に残酷な事なのかもしれない。
御子神家の“コネ”とは、ダイナマ先生の事なのですか? 流架先生の腕の中で死んだ、戒音の心臓を提供したのは――」
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イグサと白檀の香。
十二、五畳の広々とした和室が醸し出す落ち着いた空気。不思議と、気分を鎮めてくれる。――いや。無意識に心音を乱してしまったら、築こうとしている信頼という砦を崩してしまいそうでならなかったのだ。
「……そうかい。流架戦生君が凛月君の兄を」
「私もね……兄さんと姉さん大好き……。凛月さんも、お兄さんは大好きで憧れだったんだね……」
咲月の正面で正座をし、畳の一点を見据える凛月は厳しい表情で顎を引いた。着物の裾を握り締める彼女の様子を見て、咲月は哀愁を秘めて切に告げる。
「でもね……先生は意味もなく、自分の大切な人を殺さないと思う……。理由……聞いてる……?」
「そうですわよね。先程から拝聴しておりますが、凛月様のお兄様と流架先生との仲に蟠りなどは無かったご様子ですし。――百千代様。貴女、何かご存じありませんの?」
一人、座敷の障子近くに距離を置いて位置していた百千代に視線が集まった。咲月が廊下で出会った彼女に声をかけ、招いていたのだ。伺いを立てた凛へ、百千代は顔色ひとつ変えずに首を横へ振る。
「いや、私は」
「――いいのよ、百千代。私に気を遣うことはないわ。彼女達に話してあげなさい」
百千代はちら、と凛月を横に見上げた。気丈な調子、凛然とした横顔に、はい、と彼女に頷く。
「貴女らの解釈に偽りはない。泉流様と藤の君に、因果関係など存在しなかった。其れは、亡くなった泉流様が最も御所望していた事――」
百千代は語った。詩を朗読するかの様に。
「……そっか……泉流さんは天魔との戦いで傷を負って、ヴァニタスに……。でも、彼は望んだんだね……人としての死を……」
「なるほどだ。自分の首を、旧知の友である流架戦生君の手に任せたのか。……なるほどだ。
――凛月君。彼の、流架戦生君の現状は知っているかな? 穏やかじゃない。いや、命の危険だって有り得る」
夏雄は正座の膝頭を凛月の方へ向けた。目深に被ったフードから、真摯たる表情を覗かせる。
「泉流君の死は、誰もが望んでいなかったと思う。妹である君も、彼の右腕であった流架戦生君も。今のご時世、死ぬ訳ないと信じる人はあっさりいなくなるんだ。君が己の手で自分の思いに決着をつけるその時まで、流架戦生君には生きてもらう必要がある。だから、淡花君の思惑に心当たりはないかい?」
凛月の真っ直ぐな視線は、逸れることなく夏雄の面に当てられていた。
自身に説く語り口調で、凛も疑問を口にする。
「流架先生に害為す存在は排除しなければいけませんわ。でも……何故、流架先生を襲ったのか。其れをわたくしは知りたいんですの」
そして、真剣な面持ちで凛月に訊いた。
「淡花は拷問でも口を割らないとか。飴と鞭。味方のフリをすれば割るかもしれませんわ。淡花が捕縛されている鍾乳洞への出入りの許可を下さい。流架先生を襲ったのは貴女の指示ではないのでしょう? 其れを証明して下さいませ」
「――其れは出来ないわ」
即座、凛を見ずに鋭く言う。
「何故ですの? 彼女が殺し損ねた流架先生がすぐ側にいると知れば――」
「“殺し損ねた”ですって? 違うわ。そんな生易しいものじゃない。淡花にとっても藤宮 流架は泉流兄さんの仇なのよ」
「? でしたら、相違ないのでは? 淡花は流架先生を、」
「貴女達は彼女のことを知らないのよ! もし、私の考えが最悪へと当て嵌まってしまうのなら、貴女達は此処へ来るべきではなかったわ。淡花の狙いは、流架様に貴女達を――、っ!?」
ド ォ ン ! ! !
地響きと轟音。
突如、屋敷内が騒がしくなる。何の前触れもなかった事態だが、咲月達はすぐさま腰を浮かせた。
「――あ、凛月君。最後にもう一つだけ。
自分の心臓を“理解”しているからこそ、淡花君より先に流架戦生君を殺そうと思ったのかい?」
「え、――……」
心が決まっていた彼女の表情。間違いなかった。
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「随分タイミングの良い……淡花の襲撃は流架を此処に呼び寄せる為でもあったのかね。まあ奴らの狙いが分かれば真相も見えてくるのだろうが」
先に応戦していた恭弥は感覚を鋭利とし、ハーピーの死角に入っていた。
遅れて到着した咲月達は迅速に情報を共有し、撃退士として手慣れた行動に移る。空の魔鳥は優美に旋回し、喉を震わせる隙を窺っていたが、
「少し黙っててくれないかな」
光を纏った良助の弾丸がハーピーの口内を容赦なく吹き飛ばした。そして、障害物の影から銃口だけを露わとした、正確無比な恭弥の白銀の退魔弾が対象の頭部を完璧に粉砕。
「お見事です。でも、何だか奇妙だな……この襲撃。――あれ? 斉ちゃん?」
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屋敷の裏手、鍾乳洞。
騒ぎに乗じたのだろう。手薄となった見張りは、流架の目の前で昏倒していた。
「――先生、どちらへ?」
凛が切なげに眉を寄せて質す。流架は振り向かない。
「やや、凛君か。天魔の対応はどうしたのかな?」
「オーガも直きにチェックメイトされますわ。――先生、真実をお知りになったのですね。凛月様の、移植された心臓の事を。伊藤先生に殴りかかったと翡翠様からお聞きになりましたわ。
……先生、お願いです。自暴自棄になるのだけはおやめ下さ、」
「凛君」
流架は、凛を視界に入れず、
「君が作った桜餅、食べてみたかったな」
其のまま消えた。
凛の意識を、混乱と絶望に手放しながら。
騒ぎが鎮静化した後、鍾乳洞に流架と淡花の姿は無かった――……。