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自分の鼓動が聞こえた。
静寂の中を息づき、波紋すら浮かばない。彼――影野 恭弥(
ja0018)にとっては平素通りの夜。
「あの動き……忍軍か。だがしかし、相手が悪かったな」
何を話しても、何を言の葉に乗せても、恭弥にとっては何も変わらない。
ので、あれば、
目標を只只、撃て。
「――あら、優れた間合いと命中を誇りになさっているのですね。ですが、逢瀬の邪魔をするとは何とも不躾な殿方」
刀と刀の闘戦は不意に、音の違う銃撃の音符へと変化する。
浅紫の長髪が荒れた海を彷彿させる様に空を泳ぐ。“連射”とだけ言うには生易しい程の恭弥の攻撃を、淡花は並外れた動体視力と感覚で圧倒的な“圧”を掻い潜っていた。時に、稲妻が走った後かの如く絶妙な距離を取られては、弾丸を弾く忍の苦無が恭弥の頬や服に朱を浮かせる事を許してしまう。
盾と名の付く能力を付加させるも、全てを銃身で受けきれる程――相手の攻撃は温くない。
「――、」
絶対零度に咲く金色の瞳は僅かな感情すら見せず。
宵の中で、僅かな光が蛇行しながら恭弥に向かって突進する。浅い踏み込みでは埒があかない、ならば、致命傷を与えうる間合いまで踏み込む。淡花が逆手にした忍刀は速く、鋭く――縦横無尽に恭弥の身へ。そして、
「不味そうだが丁度いい、少し喰わせろ」
恭弥の身体が低く沈み、空気が鳴った。
文字とすれば、喰らう尾――恭弥のアウルを凝縮させた硬質な其れは淡花の左肩を穿ち、生命の赤で尾を潤す。
斬るか、斬られるか、喰うか――喰われるか。
既に辺りは、地を掃く様に飛び散る血の跡。此度の件に縁を繋いだ藤宮 流架(jz0111)との凄惨な戦いがあった事を示していたが、其れは過去の時。
微塵の躊躇すらも、容赦すらも指先には無く。
恭弥は只、トリガーを引く。眼前の的を滅するが為に――。
・
・
・
「――動く」
自身の喜劇を反映させたかのような仮面で面を飾った少年――森田 良助(
ja9460)の索敵の糸に、もう一人の獲物が掛かる。
恭弥と淡花が激しい音を奏でる中、良助の探りは当たった。
同時に、淡花への狙撃も行動としていた良助の距離近くに佇むのは流架。恭弥のリズムを迂闊に崩さぬよう、尚且つ淡花のリズムを破壊出来る機会を窺っている。
しかし時折、右手にぶら下げた刀を不規則に揺らす流架のその様は、妙に不安定な液体の様で――。
良助、そして、流架の背面で漣 悠璃を介抱する翡翠 龍斗(
ja7594)は、彼の危うい心をせき止めなくてはならない衝動に駆られた。
「(この手口……まさか、な)」
親愛なる妻への贈り物を下見していた帰り道に受信した一通のメール。緊迫したその内容に、龍斗は身体中の神経がジェットコースターの様に軋む音を立てているのを感じた。
――杞憂であればいい。
ただ、流架の周囲ではあまりに人が傷つき、人が消える。彼との時間と追憶の欠片を、龍斗なりに共有してきた故に不安が翳るのだった。
「……?
あの女……動きが流架先生と似ている? まさか、以前に彼から体術を教示されたとでもいうのか?」
遠目に、しかし“彼”と戦場の斬り合いに身を晒した事のある龍斗は瞬時に感ずる。
彼が其の解を得るには、僅かに時を進めてからの事。
「――手短に、もう一度確認しますね。
頭は手練れの御庭番衆、淡花。漣さんの首を狙う……流架先生の元“教え子”――で、いいんですよね?」
「ん、まあ。因みに、気配を表にした子は若菜……だったかな。昔から魔法に優れていた子だったから、注意してね」
「了解です。……後で、ちゃんと話して下さいね。先生の物語」
返答は“敢えて”待たず、良助は戦線へ飛び込んだ。
キンッ! キンッ!
金属が弾かれる音。宵に身を浸した若菜が恭弥に狙いを定めて放った投げ苦無が二つ、地面に転がる。良助の見立ては銃の腕と共に命中した。
「――聞いても面白くないと思うけどな」
唇に滲んだ血を舐めて。
良助が予想したであろう通りに、流架は殺伐と薄く笑んだ。
甲高い声の様な金属音が再び二、三回続くと、良助と相対する様に忍装束に身を纏った女性が姿を現す。黒い頭巾の下に覗く碧い瞳と白い肌。
「僕は森田 良助。るかりんの部下ってところかな? キミの名前は知ってるよ。若菜、だよね? うーん、キミ可愛いね。今度僕とデートしな――ヘブロンッ!?」
若菜の返答は声の無い風の刃。
謎の悲鳴を木霊させながら、良助は非常口マークを彷彿とさせる回避ポーズで何とか直撃を免れる。そして、小石の如く地面へ転がった体勢を整えると、赤毛の頭をわしゃわしゃと掻いて若菜を正視した。
「冗談は置いといて――っと。キミ達は何者? その“月”の焼印、何かの組織の印かな?」
「――っ!?」
良助は只、非常口に逃げていたワケではない。回避のその瞬間も狙える反攻は逃さず、穿つ。
若菜が細く息を吸い込んで、自らの左上腕に視線を落とした。弾丸が掠った布生地は夜風に靡き、印された月が白い肌に鮮明と刻印されている。
「“宵桜の首狩り”ってやつも関係があったり?」
「……藤の君の教え子は何も知らぬのか。師が昔、何と呼ばれていたのかすら」
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唐暮れ坂を流れる、夥しい程の命の川。
その周囲には、其れをせき止めようとする四人の撃退士が位置していた。
「ダイナマ保健医君にきちんと連絡はついたから、もうそろそろ着く頃だと思うよ。ジェラルド君の方は――」
「ハイ、抜かりないよ☆ 救急車の手配は勿論、輸血の準備に受け入れ先の病院、サイレンを消しての走行と到着時の待機位置、全て連絡済みだよ♪ コッチも来る頃かな?」
「おー、完璧だ」
「やれやれ、可愛い子ひっかけてこれから、って時に……☆ 穴埋めに、漣さんとセンセ、今度三人でデートね☆」
「おー、チャラーい……」
持ち前の彼のチャラさ。だが、ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)にとっては正義。場にそぐわない道化染みた言動は、今宵、お気に入りの悠璃の為に傀儡となる。
「死なせるものか」
龍斗は、先程から幾度も悠璃の傷口に向かって生命の光を放っていた。その様子を見て、救急箱を片手に夏雄(
ja0559)も参戦。出来る事は限られているが、其れでも。
「あぁ、くそっ……怪我じゃなくて重傷って書いとけ桜餅! それに……」
目深に被っているフードからチラリ、戦線を見やる。
時折、此方の近範囲に淡花の侵入を許してしまうのだが、恭弥と流架がそれ以上を許さない。飛び道具でしか攻撃を仕掛けられない淡花の攻撃は、ジェラルドが操る鋭いワイヤーによって、蜘蛛の糸の様に絡め取られてしまう。
「なんて顔で戦っているんだい、流架戦生君は……あれも矜持なのかなー……真似出来そうにないけど、覚えておこう」
凛々しく、雄々しく――殺気の猛るままの彼が眼に焼き付いてしまうが故に、夏雄の胸中は妙に苛ついていた。
「あーもう。
一体何なんだ……さっきから時折聞こえる首狩りやら御子神って? おいら達が戦っている相手は何者だ? 誰か……知ってそうな人は……あ、」
その時、夏雄は僅かなブレーキ鳴きを耳にした。
吐息も、
体温も、
鼓動も、
悠璃を抱く彼女――常塚 咲月(
ja0156)は、自身の両腕から生命の糸がすり抜けていくような感覚を覚えていた。大量の血液を失った為、悠璃の瞳は虚ろで、生と死の境界を彷徨っているのは確かである。だが、微動する彼女の唇は必死に“何か”を求め――、
「悠璃さん、しっかり……大丈夫、今すぐ――、
……え? ……ん、分かった……安心して……」
捉えようとしていた。
訪れる静寂へ逃げ込む前に。
「――オレ、参上。後は任せな」
「ダイナマ先生……! 間に合って良かった。俺の能力ではそろそろ限界でした」
「おう、翡翠。慣れねぇコトしながら良く繋いだじゃねぇか。上出来だ。救急車ならもう到着してっから、オレが運ぶわ」
「あ……私も手伝う、警護も兼ねて……」
医療のプロ、ダイナマ 伊藤(jz0126)が到着したこの安心感。平素の身なりはアレだが、医師としての“誓い”を立てた者の貫禄は伊達ではない。
悠璃を腕にしたダイナマと彼に付添う咲月の背を、龍斗と夏雄は強い面持ちで見送った。
「おや、そう言えばジェラルド君は――」
「彼なら俺と入れ違いで良助君の加勢に向かったよ。きっと、気を利かせてくれたのだろうね」
言葉に遅れて、気配が二人の背を撫でる。首を動かすと、流架が視線を遠くに、唇を憂いの形にしていた。視軸の先は言わずとも――。
「……随分と無茶をしたようですね、先生」
「やや? ――いや、全然?」
「先生」
「君は目から入った情報に支配を受けやすい様だね。注意し、」
「――落ち着け、藤宮 流架。あの程度のアバズレに手こずる程に弱ったか? 俺が壁とする奴がこの程度では困るな」
「……ふふ。
――理屈じゃねぇんだよ。他人に曲げさせる気なんてさらさらねーぞ。……なんてね?」
明瞭な感情が場に蟠る。
無意識に一歩引いていた足を半歩進めて、蚊帳の外をきめていた夏雄はピンク色の物体を握り締めると、
べちょっ。
流架の顔面にホームラン。
「……何してくれるのかな?」
「ああっ! フードを取るな引き千切れる寒い! 龍斗君に手を出さないでおいらに手を出すとは何事だい……!」
「なんとなく」
「ひどい桜餅だー。 ……これ、コンビニで買った謎の夏限定桜餅。食べられる芳香剤だ。……普段の流架戦生君は諄い位その匂いをさせているし、少しは調子が戻るんじゃないかと思って」
「……そう、かい」
意想外に目を丸くして、流架が短く礼を伝えた。苦笑した龍斗が切り出す。
「――御子神家、というのは誰です? 古い家柄に聞こえますが」
「あ、おいらも知りたい。首狩りって何だい? あの二人は何者だい?」
「はいはい。
――まあ、今は状況が状況だから手短に説明するね」
流架の胸の中に在る、未だ色褪せない記憶。
色褪せたくとも、忘れようとして適わぬ傷の一つなのかもしれない。
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「――へぇ、なるほど☆
センセって、現役の頃は“宵桜の首狩り”って呼ばれてたんだ☆ 天魔の首を落とす様が宵に咲き乱れる朱の桜の如く……かな? 情緒的で素敵だね♪」
鬼灯の如く赤と、闇夜の如く黒が混じり合った甘い夢。
ジェラルドの身が、死を撒き散らす陽炎の様に滲む。良助と連携しての若菜への対処は、澱み無い捕獲。
「御子神家は鎌倉幕府の頃から続いてきた御家人の旧家、ですか。淡花と若菜が仕えているって事は、今回の件は否応なしに御家が関わってる感じですかね?」
「決めつけるにはまだ早いぞ。流架先生が掻い摘んで語るには、先生が現役の頃に世話になっていたという御子神家――。だが、縁を断ってもう十年になるらしい。俺としては、命令が下った、というよりも……私怨に近いのではないだろうか。例をあげれば、先生の友人を狙った淡花――とかな」
「確かにそうですね。由緒正しい御家が一般人の暗殺を目論む、とはちょっと考えづらい……か。だとしたら、今回の件ってやっぱりるかりんを――、っとと!」
「話は終いだ。続きは敵の口から吐かせればいい」
「了解ですよー! るかりんや漣さんの為にも王手を決めてやります!」
背を共有していた良助と龍斗は同時に散開。
良助は、ジェラルドと衝突している若菜への最終対応を開始する。
既に、良助のマーキングにより潜行の利は奪われている若菜。其れに加え、ジェラルドの放たれたワイヤーで全身を赤い線で染めていた。「痛いよねぇ☆ 大丈夫、縛り方は優しくしてあげるから……多分☆」と、甘く、裏腹に毒のある言葉を呟くジェラルドのその様は正に鬼畜。
「さぁ、イってみようか☆」
猛烈な一撃が若菜の視界と痛覚を襲う。激流の渦へ身を投じさせたかの衝撃を与えたその瞬間、
「今だ、パサラン!!」
白いもふもふ、大口を開けて登場。
前以って良助が潜行させておいた召喚獣、パサランが若菜を口内へ。
「ふふ☆ 堕ちるかな☆」
・
・
・
――愚鈍め。
淡花の唇の艶やかな赤が僅かに歪んだ気がした。
「目の前の敵を無視するとは随分と余裕だな。――其処は俺の領域だぞ」
一滴。
自らの血の雫を鍵に、恭弥の足元に魔方陣が現れる。噴火の如く黒色のアウルが出現すると、其れは大型の犬を模した獣へと変化した。
「まあ、涼しい御顔立ちの割に妬いて下さっているのですか? 嬉しゅう御座います」
彼女の軽口など、皆無。
無数の地獄の猟犬が淡花へ目掛け――そして、淡花も自らの意思でその領域へ入り込んでゆく。何か狙いがあるのか――。たちまち、獣達の爪と牙が彼女へ殺到する。
「――申し訳ありません。貴方との逢瀬はまた、後日に」
其の意図。
「おっとと☆ 最後の悪足掻きかな? ふふ、濡れたサマが可愛いよ♪」
瞬時同じく、パサランの縛から解き放たれた若菜は、渾身の抵抗を風刃で示したようであった。対象とされたジェラルドだが、致命傷を避け、手の甲に伝った血を舌先で舐めながら調子を言う。
其れが、生きた若菜と視線を交わした最後であった。
たゆたう。
赤い月に、髑髏の瞳の様な夜空に。
「あー……あ☆ 折角、気持ち良くさせてあげようかと思ったのに☆」
物言わぬ若菜の首の代償は決して軽いものでは無かった。
荒々しい猟犬の貪りは、淡花の白い柔肌を無情な程に赤黒く穢している。だが、毅然としたその様。そして、ひらり、淡花はガードレール端の喬木へ跳んだ。
「今宵は退きます。淡花が刎ねて差し上げたかった首は異なりましたが、そんな首で宜しければどうぞお好きに。――では」
「待って……」
凛を含んで制したのは、咲月。
「一つ、訊きたい……。流架先生に帰って来て欲しいの……? 貴女の居る世界に……」
「……お美しいこと」
淡花がうっとりと双眸を細めて囁く。
「愛しいのなら、傍を離れてはなりませんよ?」
闇の中へ身を躍らせる間際、淡花は凛然と言葉を置いていった。
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夜風が、各々の温んだ吐息を攫っていく。
「先生……大丈夫……?」
意識が僅かに現を離れていたのか、気づくと咲月が気に病んだ様子で此方を窺っていた。
「ん。年をとった分、拗らせているだけだよ」
「そう……? ねぇ、先生……今の世界に居るのは痛くて苦しい……? ――だとしても、一人で耐えなくていいと思う……。私も、皆もいるから……。
それと……悠璃さんが先生に伝えて、って……“私が死んだら、口づけをして起こして”――そう、柔らかく微笑んでた……」
呼気で笑む流架の音を聞いて。未だ、柄を強く握り締めている彼の右手に、咲月は両の手を重ねた。
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「――さて、おいらも阿呆面晒して知らないと悩むのはもう飽きてきたんだ。君とは珍妙な縁だが、最期まで付き合ってあげるとしよう――流架戦生君」
心を過去に。
謎はまだ、解けていないのだから――。