●止まらないしゃっくり
千里のしゃっくりは未だに止まっていない。ヒック、という情けない声が出る度に泣きそうになる。そんな千里を救うべく撃退士たちはそれぞれ胸中にとっておきのプランを用意していた。
「みなさん、ありがとうございます……私なんかのために、ヒック」
「しゃっくりの辛さは私も分かります。絶対にびっくりさせますから、安心して下さい」
「き、期待してます……ヒック」
カタリナ(
ja5119)が安心させるように声をかけた。心なしか千里の表情はひきつっている。昔から怖いものは苦手なのだ。
「しゃっくりが続くと死んでしまうらしいからネ。ククク」
「しゃっくりで死ぬのか? 人間ってわけわかんねぇな」
長田・E・勇太(
jb9116)が早速とばかりに脅しをかけ、傍らでは逆廻耀(
jb8641)が小首を傾げた。
「きっと大丈夫だから。ごめんね」
「なんで謝るんですか、ヒック?」
「ととと、とにかく今のうちに言っておこうと思って」
両手を不自然にモミモミさせながら双城 燈真(
ja3216)は謝罪した。これから千里を待ち受けている運命がいかに過酷であるかと想像するだけで、申し訳ない気分になる。
「さてと、とりあえず始めましょうか。僕はこう見えてもマジシャンでしてね。驚かせるのは得意なんですよ」
何も持っていなかったエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が軽く右手を振ると、箱入りのトランプが現れた。慣れた手つきで開封しカードをシャッフルする。
「このトランプには意志があります。まるで生きているみたいに動くんですよ。千里さん、カードを一枚抜き出してもらえますか」
芝居がかった口調で扇状にカードを広げる。
「えと……じゃあ、これで」
「分かりました。ふむ、ダイヤのエース。これは目立ちたがり屋なカードですね。いつでも自分が一番輝く場所にいようとする」
マステリオの白く長い指先が千里の選んだカードを束のなかに入れた。指をひとつ鳴らす。
「一番上のカードをめくってみて下さい」
「はい」
千里がおずおずと手を伸ばすと、間違いなく束の真ん中に差し込んだはずのダイヤのエースが出てきた。一緒に観覧していた撃退士たちからもどよめきが上がる。
「すごい、ヒック」
「これは前座です。今回は特別にとっておきのマジックを用意しました」
蝋で口の閉じられた便箋を渡し、甘い笑みを浮かべる。
「カードを一枚選んでください――それでいいですか。では戻してカードを切りましょう。そいつには放浪癖がありましてね、すぐいなくなってしまうんですよ」
マステリオがトランプの束を広げると、千里の選んだカードだけが消えていた。手元の便箋を指さす。
「彼はこの中に隠れています。どうぞ確かめて下さい」
千里が緊張した面持ちで便箋の口を開いた途端、乾いた破裂音がいくつも鳴り響いた。悲鳴を上げて尻もちをつく千里に種明かしをする。
「爆竹を仕込んでおいたんですよ。しゃっくりは――」
ヒック。
残念ながら止まっていないようだ。やれやれ、とマステリオは肩をすくめた。
「よし。次は僕の番だね」
鈴代 征治(
ja1305)は腰を抜かしている千里に手を差し伸べた。
「僕もとっておきの驚きを用意してあるんだ。ちょっと中庭まで来てもらえるかな」
有無を言わさずグイグイと引っ張っていく。
目を白黒させている千里とともに校舎から出たところで頭上を指さした。
「あれ、なんだろう」
「どれですか?」
つられて千里が上を向いた瞬間、征治は階上にいる仲間に合図を送った。事前に採集していた小さな虫が雨のように降り注ぐ。もちろん人体に害のある昆虫ではないが、虫嫌いの千里には効果てきめんだろう。
しかし思っていたような悲鳴が聞こえない。征治が横を見ると、恐怖のあまり虚ろな表情で金魚のように口をパクパクと動かしていた。
「できればこんな方法はしたくなかったんだけど……」
心の底から申し訳なさそうに、千里の制服に着いた虫を取り払う。
女の子をこんな悪趣味なやり口で驚かすのは性に合わない。だが彼女のしゃっくりを止めるためだと自分に言い聞かせ、さらなる策を実行する。
「おーい、大丈夫かい」
「む、虫……」
「ちょっと刺激が強すぎたかな。もうお終いだから校舎に戻ろう」
紳士的に肩を抱いて促す。
その際にこそり、と防犯ブザーをポケットから取り出し、背後で紐を引いた。不審者撃退用のブザーがけたたましい音で騒ぎ立てる。仕掛けを施した征治さえ面食らうほどの音量だ。
しかし、千里はそれに負けないほどの絶叫で走って行ってしまった。
「……これで良かったのかな。たぶん良かったんだよな」
わずかな疑問を胸に征治は防犯ブザーを止めた。千里の姿はもう見えない。
――来た。
廊下を疾走してくる千里の姿を確認した燈真は一つ深呼吸をした。
『緊張してんのか? だらしねえな』
脳内で語りかけてくるのは燈真と正反対の人格、翔也だ。二重人格である彼らは自由に意識を入れかえることができる。
「女の子にヒドイことをするのはやっぱりどうかと思うんだけど」
『男だったら役得と割り切って楽しめよ。ほら、来るぞ』
「あんまりやり過ぎたら怒るからね」
翔也に釘を差し、廊下の角からタイミングを見計らって千里にぶつかる。頭を打たないようにさりげなく抱きかかえるように押し倒した。
燈真の役割はここまでだ。入れ替わりに翔也が意識の表層に上がる。右手に柔らかな感触があった。
「ほほう、意外とやるじゃねえか」
(偶然だから! 事故だからね!)
「分かってるって。後は任せろ」
燈真を意識の隅に追いやって、翔也は口元を歪めた。ついでに慎み深い胸を鷲掴みにしている右手も動かしておく。この方がリアルだ。
「おい、しっかりしろ。怪我はないか」
「す、すみません。……あの」
「どうした。どこか痛むか」
「その、手が……ヒック」
まだしゃっくりは続いているようだ。翔也は気合を入れて醜悪な笑みを作った。
「グヘヘ! お嬢さん、男女が絡み合ってんだ、これからどうなるかわかるよな! グガガガ!」
「い、いや……」
「さてどこから味わってやろうか!」
千里の顔が青ざめる。もうひと押しだと翔也が言葉を続けようとするのを燈真が強引に遮った。
「やり過ぎだ翔也! ごめんね、こんな事言わせるつもりはなかったんだ……本当にごめん!」
しきりに謝罪を繰り返しつつ燈真は千里から離れ、廊下を走った。しばらく走ったところで、気付く。
「――ヒック」
しゃっくりって感染するんだっけ。言葉には出さず、燈真は翔也に問いかけた。
「……はあ、ヒック」
ひとりになった千里は小さくため息をついた。しゃっくりは止まらないし、止まっても寿命が二十年くらい縮んでいそうだ。
そこに猫耳を付けた青髪の男がやって来た。妙に似合っている。出会うなり一声。
「にゃー」
ぽかんとしている千里に耀は猫耳カチューシャを渡した。
「お前もやれ。にゃー」
「にゃ、にゃあ」
「完璧な猫だと思うぞ」
「あの、これは一体……」
「依頼だから仕方なくやってんだからな! 勘違いするなよ!」
「はあ」
これでしゃっくりが止まるのか怪しいところだが、真面目な顔で猫の鳴き真似をしている耀に訊くのも躊躇われた。おとなしくにゃあ、と復唱しておく。
「次は早口言葉だ。生麦生米にゃまたまご!」
「いま噛みましたよね」
「か、噛んでねえぞ!」
「にゃまたまごって」
「うるさい! 噛んだって言うならお前もやってみろよ!」
顔を真赤にして否定する耀の猫耳がぴょこぴょこ揺れる。
実に可愛い。千里は早口言葉も忘れて猫耳に手を伸ばしていた。
「さ、触るなよ!」
「だって可愛くて……」
「可愛い? そんなわけねえだろ、それならよっぽどお前の方が可愛いよ」
「え?」
唐突に褒められて千里はきょとんとした表情になった。
耀はこことばかりに声を低くし、千里の耳元で囁く。
「綺麗な髪だな……。照れてるのか? 顔こっち向けろよ」
「そんな、わた、わたし」
照れているのではなく可愛らしい猫耳が大接近して興奮が止まらないのだと弁解したかったが、千里はなんとか言葉を飲み込んだ。
本当のことを言えば耀が傷ついてしまう。そんな配慮だった。
「ヘイユー。まだまだ甘っちょろいネ」
妙に発音のいい横文字で割って入ったのは勇太だ。
「なんだよ。もうちょっとだったのに」
「レディーを口説くにはこうするんだヨ」
勇太はあまり効果の見られない耀に代わって千里を口説きはじめる。
「とても美しい瞳をしているネ。それに口元がすごくセクシー。思わずキスしたくなる唇だヨ」
「あ、ありがとうございます、ヒック」
「オヤ、シャックリかい。シャックリにはこれがいいって聞いたヨ」
大人っぽい艶やかなムードを作りつつ千里との距離を詰めていく。お互いの顔がくっつきそうな近さまで来て、勇太は隠し持っていた銃を喉元に突きつけた。
「え?」
「悪いネ。ミーは上層部にオマエを殺せと言われているんダヨ」
黒光りする銃は本物を使っている。弾丸は抜いてあるので心配ないが、千里にはそんなこと分からないだろう。
親指でゆっくりとセーフティを解除する。
「最期に遺言を聞いておこうか。何か言い残すことはあるかネ」
「お父さんとお母さんに育ててくれてありがとうって――」
「承知した。それじゃ、サヨナラだネ」
引き金を絞るのと同時に「バン!」と大声を出す。青ざめた顔で崩れ落ちる千里を眺めつつ、勇太は銃をしまった。
「ユーは意外と度胸あるネ。気に入ったヨ」
「……ヒック」
「ユーのシャックリもずいぶんタフだネ。それだけタフじゃお手上げダヨ」
アメリカ仕込みの仕草でホールドアップ。
自分にできることはやった。銃で脅かせない人間を怖がらせる手段は色々と知っているが、それを一介の女子生徒に試すのはやめておこう。
ヒック、と小さなしゃっくりの音がしていた。
「ここまで止まらないとなると、病気の可能性もありますね。一度保健室へ行ったほうがいいかもしれない。月ノ宮さん、彼女を連れて行ってくれますか」
依頼仲間たちの善戦むなしく千里のしゃっくりが続いているのを憂いて、袋井 雅人(
jb1469)は顎に手を当てた。
「……心配のしすぎとは、思いますけれどぉ……しゃっくりはガンの兆候かもしれませんしねぇ……」
月乃宮 恋音(
jb1221)が豊満な胸を揺らしながら頷く。
「脳卒中や肺炎という可能性もあります。軽くでも検査を受けたほうがいいでしょうね」
「そ、そうなんですか。やっぱりわたし死ぬのかも……」
「……大丈夫ですよぉ……袋井先輩がきっと助けてくれますからぁ……ね」
「僕がいれば安心です。大船に乗ったつもりでいて下さい」
どん、とこちらは普通レベルの胸板を叩いて笑う。
そして千里が恋音と一緒に保健室へ向かい始めたところで、大きく息を吸った。
「わっ!」
「――さすがに、もう慣れました」
数多くの衝撃を経験してきた千里が苦笑しながら告げる。
「は、はは。やっぱりダメですか。そろそろびっくりし過ぎで負担になるんじゃないかと思って」
「優しいんですね。ありがとうございます」
「……先輩は優しい人なんですよぉ……けど、浮気は許しませんからねぇ……」
恋音は彼氏に向かって意味ありげに微笑んでみせた。
●保健室にて
保険医に事情を説明し、恋音は千里と一緒に身体検査を受けることにした。制服を脱ぎ、検査用の衣服に着替える。胸を圧迫していたさらしを外すと巨大な二つの果実が正体を現した。
「……」
「……どうかしましたかぁ……?」
「世の中は非情だなと、いえ、なんでもないです、ヒック」
胸はこれでもかと言わんばかりに強調されているのに、腰回りは羨ましいほど細い。千里はため息混じりに自分の胸部に触れた。もう一度ため息をつく。
鏡で確かめて見ようと思い、保健室の隅にあった全身鏡の前に立つ。その様子を恋音は静かに見守っていた。
あらかじめ保険医と打ち合わせをして、鏡を湾曲したものに変えていたのだ。千里には自分の身体がいくらか太ったように見えていることだろう。
恋音の予想通り落ち込んだ様子の千里に、体重計に乗ってみるよう促す。
「……大事なことですからぁ……」
散々渋っていたがどうにか説得した。
この体重計にも細工が施してあり本来よりも5キログラムは重く表示される。さらに血の気をなくした千里を検査の結果が出るまで、と保健室の外に連れだした。
少しお手洗いに言ってくると千里を一人にしたところにタイミングよく雅人がやってくる。
「どうでしたか。検査の結果は」
「まだ分かりませんけど――少し太ったみたいでショックです……」
「スレンダーすぎるよりずっといいことですよ。少なくとも僕は好きです」
「男の人って月ノ宮さんみたいな女性がいいんですよね。ああいう大きな、ヒック」
「おっぱいですか。おっぱいは素晴らしいものです。僕も大好きです。でもそれ以上に人柄が大事じゃないかと思いますね」
上手くフォローを入れることができた。雅人は内心ガッツポーズを作った。
そこに、いつの間にかカッターナイフを持った恋音が戻ってきていた。千里と喋っている恋人を見て混乱気味にまくしたてる。
「……せ、先輩浮気ですかぁ……いいです、先輩がそのつもりなら先輩と千里さんを殺して私も死にますからぁ……!」
「ま、待って下さい、月ノ宮さん、それは誤解ですよ! 私は二人とも大切に想っています!」
「……やっぱり浮気ですねぇ……!」
「わたしひょっとして巻き込まれてる?」
呆然とする千里をよそに恋人たちは修羅場を展開し始める。
「落ち着いて下さい、千里さんに危害を加えてはいけません!」
「ナチュラルに危ないこと言わないでください!」
千里の懇願もむなしく、嫉妬に狂った恋人を演じる恋音はカッターナイフを構えて二人に突進した。ナイフは吸い込まれるように千里の胸を突き刺した――ように見えた。
「あれ?」
「……止まりましたかぁ、しゃっくり……」
「さすがに本気で刺したりしないよ。命あっての物種だからね」
ぐっと親指を立てる雅人。
千里は不思議そうに二人を見つめていた。しゃっくりがいつの間にか止まっている。まるで最初からなかったみたいに。
「ありがとうございます! おかげで助かりました!」
「いえいえ、お礼を言われるほどじゃ」
その時、どこからかヒック、と情けない声が聞こえた。
振り向くと燈真が泣きそうな顔で立っていた。
「今度は俺のしゃっくりが止まらないんだよ……ヒック」
「そういうことならミーに任せなヨ」
「マジックならまだまだストックがありますからね」
「大きく息を吸って、吐く。最終手段はこれしかない」
「猫耳使うか?」
一部始終を見守っていた撃退士たちが一斉に飛び出してくる。まだまだ欲求不満なのだ。
しゃっくり騒動はまだまだ終わりそうになかった。
FIN