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「やっと終わったわね」
八神 翼(
jb6550)は、ディアボロ討伐の任務についていた。
親友と共に、標的を今仕留めたところだ。
「きつかったー。 帰ったらいつものオープンカフェに行かない? 新メニューのパインサラダが美味しいのよ」
「あなたそれ、何のフラグよ」
帰路につこうとしたその時、曇天の向こうから不気味な羽ばたきの音。
鳥や羽虫のそれではない。
「新手みたいね」
二人でどうにか出来る域を、遥かに超えた気配。
「くる!」
翼が叫ぶと同時に敵が、炎の彗星を飛ばしてきた。
轟音!
そして地面に、土埃が舞う。
土埃が晴れた後、目に映ったのは無残に抉られ、クレーター化した大地。
そして、
「こいつは……まさか……」
闇夜の色をした巨躯、蝙蝠の翼、二本の角。
何よりも、忘れえない鮮血色の瞳。
あの時、家族を殺した天魔!
「だめよ、翼!」
何も言わないうちから、親友に叱られた。
冷静に見えて、いざという時に熱くなってしまう。 そういう性格だと見透かされている。
「言いたい事はわかるけど、退けないわ! 例え、刺し違えてでも……」
機先を制して言い返した時、再び炎に襲われた。
今度は、炎の流星群!
距離があるので躱せるが、周りの大地が次々に割られていく。
背筋に走る寒気。
寒気が、頭の奥を冷静にしてくれる。
(ここは一度退いて、味方の増援を得てから戦うべきね)
だが、それを口にする前に、体は仇に向かって走り出していた。
「だめよ、翼! 戻って!!」
大地を蹴り、宙を舞いながら放つは雷光纏いし拳!
「くらえっ! 雷帝虚空撃!!」
右拳が深々と、胸に突き刺さる。
互いの右拳が互いの胸に。
「ぐっ!」
仇の口、己の口、双方が同時に血を吐いた。
「翼!」
親友の声が、やけに遠くに聞こえる。
もう終わりだろう。
想いのままに駆け、無念を晴らせたのだから翼はこれで満足だ。
だが、コイツはわからない。
コイツの胸に無念が残っていたのなら、それを八つ当たり的に晴らすため、親友を道連れにするかもしれない。
それは絶対にいけない。 己の胸に、新たな無念が出来てしまう。
「もう一撃!」
力を振り絞って、左拳で仇の右胸を打ち貫いた。
仇にはもう、呻く力もない
力の根源を完全に断った。
翼自身の力も。
(父さん、母さん、私やったよ……)
唇が、笑みを浮かべてくれたのを感じながら、意識は空の果てへと遠ざかっていった。
空の果ての向こうは、自室のベッドだった。
「……あれ!?」
枕元でモバイルが鳴っている。
着信音で目が覚めたのだ。
開いてみると、親友からメールが来ていた。
『いつものオープンカフェに行かない? 新メニューのパインサラダが美味しいのよ』
指が光速で断りの返事を打ち込んでいた。
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ウェル・ウィアードテイル(
jb7094)は海辺の小さな家で、人生最後の一日を過ごしていた。
本来長命なはぐれ悪魔ではあるが、学園に来た時点で、さほど時間は残っていないと告げられていた。
元々、虚弱である肉体に無理、無茶、無謀の積み重ね。
学園に来てから数年もすると、光纏を解除するたびに目に見えて体調が悪くなるようになった。
心配する友人たちの視線を振りほどき、無理矢理戦い続けたのだ。
当然の帰結といえる。
賭け事狂いだったのに借金を整理出来ただけでも、殊勝な人生だったと言えよう。
「あの子たち、どうしているかな」
少女のような顔をした優しい青年、可愛い顔して腹黒な少年。
親しくしてくれた彼らも、まさか車いすがなければ動けなくなったウェルが、一人でこんな遠くまで逃げるとは思いもよらなかっただろう。
この一年は、ベッドで本を読みながら、この日が来るのを待っていただけだ。
寂しくないといえば嘘になるが、誰かを巻き込まなかっただけ良かったように思える。
窓から見える空と海はひたすらに広く、蒼く、一瞬も止まる事無く動き続けている。
自分がいなくなった後も、この営みは変わらず何万年、何億年と続くだろう。
「気持ちいいくらい青い空だねぇ……」
満足げに呟くと、最期の眠りが優しくウェルを包み込んだ。
「気持ちいいくらい青いお札ですねぇ……」
不満げに呟くと少年は、ウェルが渡したポチ袋の中身をジーッと藪睨みした。
「もう少し茶色っぽい色のお札でも、僕はいいんですよ?」
正月の朝、夢を見ていたら、友人の腹黒少年に起こされて、お年玉をせびられた。
あげく、この反応である。
起きなきゃよかったと本気で思った。
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歌音 テンペスト(
jb5186)は、百歳を超えてなお、現役の撃退士かつ女芸人だった。
普通の人間のため、見た目からとんでもないBBAである。
テンペスト師匠がゲストで番組に呼ばれると、普段は調子に乗っている若手芸人や、威張り腐った司会をする大御所芸人(と、いっても60程度の若造)が緊張しておどおどし始める。
そのリアクションがTV的に面白くて、度々呼ばれる。
だがギャグ自体は文字通り前世紀のもの、下手げに放つと、
「いやー、テンペスト師匠、お元気ですねー」
などと、お茶を濁したリアクションをされる。
場に笑いは起こるが、古い笑いである事を笑われている事くらいBBAの頭にもわかる
必ず、新しい笑いの旋風を巻き起こしてやると誓う。
【テンペスト師匠入院!】
その見出しが芸能誌を飾った。
撃退士として戦いの最中――と、いってもコメディ戦闘――で、相手芸人が投げたコケシに当たって倒れたのだ。
ウケ狙いで当たったのだが、百を超えた肉体は思っていたより衰えていた。
とはいえ、入院してもまだまだお元気。
女の子への欲望は、若い頃と変わらない。
若いナースに、
「自分で起きられないので尿瓶を……」
などと弱弱しい声で頼んだりする。
しかしナースには大した症状でもない事がバレバレで、やってもらえない。
そこで同じ芸能事務所の女性アイドルを見舞いに呼んで、同じ事を頼んでみる。
理不尽な頼みなのだが、芸歴がものを言う芸能界。 80年以上も先輩の頼みを断れない。
潤んだ瞳で尿瓶を持つアイドルの横顔を、至福の笑みで眺める。
「ごめんね、若い娘にこんな事をさせてしまって、最期の想い出に……」
「とんでもない、師匠のお世話をさせて頂き光栄です」
などと会話をかわしたアイドルだが、病室を出たとたん『はよ死ねBBA!』と、発狂し出した。
それを聞いたアイドルのファンが病院に忍び込み、テンペストの食事に毒を仕込んだ。
ころりと一発、それでエンドである。
病院側も警備上の手落ちを騒がれたくないのか、死因は衷二病という病名にされた。
百を超えた人間が中二病を発症すると起こる新しい病気という名目である。
死ぬ瞬間は、テンペストも芸人になるきっかけを作った少女の事を走馬灯に見たりした。
だが、口には出さない。
芸人が世に提供すべきは涙ではない、笑いである。
最後の舞台である己の葬式に、全てを賭ける!
「出棺のお時間です」
葬式の最後、葬儀場からテンペストの棺が運ばれようという段階。
最後のお別れをしようと遺族が蓋を開けた瞬間、棺に仕掛けていたバネが作動した。
バビューンと棺から天高く飛び出す、テンペストの遺体。
そして、遺体に仕込んでおいたボイスレコーダが作動する。
「出棺だけにな!」
参列者から笑いが起こる。
恐怖から起こる笑い。
それは、テンペストにとって今までにない新しい笑い!
最後の舞台はテンペスト師匠大勝利で幕を閉じた。
「ひくわー」
目が覚めて、夢のオチに自己嫌悪に陥る。
テンペスト師匠の笑いは、80年前の自分にすら理解出来ない。
●
一世紀以上先に存在する街。
裏通りを死んだ魚の目をした男が歩いていた。
死にかけているから、この目なのではない。
恒河沙 那由汰(
jb6459)だから、この目なのだ。
通り沿いでやけに姿勢のいい男に、パンフを渡された。
霊魂がどうの、転生がこうのと話しかけてくる。
何も言わず、パンフを捨てる。
そんなもの、生きている奴が自分に都合よく想像したものだ。
死んだ後の事なんて誰にもわからないし、知った事じゃない。
足が動かなくなり、道端に腰を降ろす。
悪魔だから見た目は若いままだが、年齢には勝てない。
知った事じゃない死が、おせっかいにも迎えにきている。
ただ、とんだウスノロ野郎で、那由汰の元に来るまでにはもう少し時間がかかりそうだ。
暇つぶしに昔の事を思い返してみる。
走馬灯とかいう奴が、珍しいものでも見せてくれるのかと期待する。
だが見えたのは、これまでも飽きるほど思い出してきた少女の事だった。
守ろうとして守れなかった、不愉快な思い出だ。
パンフの男が信じ込んでていたような世界は、とうてい信じちゃいないが、もし再び会う事が出来たら、アイツは何と言うだろう。
柄にもねぇって高笑いしそうだな……。
自嘲していると、人影が見えた。
お前かよ。
なんだ、お前が“死“だったのか。
冗談だよ、お前、ただの幻だろ?
こんなもの見る程、耄碌じじいになりたくなかったんだがな。
って笑ってんじゃねぇよ。
まぁいい……最後に一つだけ教えてくれ。
お前は幸せだったか?
覚えていない。
問いかけへの答えも、少女の表情も。
確かなのは、こうして目を覚ました以上、少女の事を繰り返し思い出してしまう毎日が繰り返されるという事だ。
「本当、うんざりするぜ」
鏡に映る死んだ魚の目。
そこに那由汰は語りかけた。
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生まれてくる確率。
出会う確率。
同じ時を過ごす確率。
これらの確率は自然界単位で見ると、どれも極めて低い。
全てが積み重なった奇跡の確率の上に目の前の生がある。
御堂・玲獅(
ja0388)は、そう考えている。
恐ろしく低い確率を潜り抜け、玲獅は老いを重ねる事に成功した。
今、自分が何歳なのか、夫はいたのか? 子供は、孫は?
それらは曖昧である。
頭を満たしているのは、医師の家系に生まれ、撃退士としても生きてきたという記憶。
体に満ちているのは、それをかなり酷使してきたという感覚。
撃退士は、常人を越えた身体能力を発揮する事が出来る。
だが常人とて、時として常人を越えた力を発揮する。
火事場の馬鹿力などと呼ばれるものだ。
いざという時に、肉体の負担を一切無視して発揮される奇跡の力。
だから、後で何らかの反動に見舞われる。
撃退士は、その負担を何らかの形で抑え込み、奇跡を発動し続ける事が出来る。
抑え込んできた反動の積み重ねが今、玲獅の体を包んでいる。
だが、満足している。
体にかかった負担の一割でも何かを、誰かを護り、救い続ける事が出来たのだから。
未練も後悔もある。
それでも、務めを果たした。
「疲れましたが、楽しかったです」
玲獅が遂げたのは死ではない。
生を全うし、遂げたのだ。
夢で見た終焉を話すと、紅茶友達の金髪令嬢に、
「生き方を結論付けるには、まだ早すぎますわ」
と、返された。
奇跡の極みは、まだ遠い。
●
久遠ヶ原学園卒業生、黒神 未来(
jb9907)はJAB(日本アウルボクシング)協会のSフライ級チャンピオンに君臨していた。
すわ明日にでも、世界挑戦かと噂されていた時、未来を翻意させる新たな挑戦者が乗り込んできた。
長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)。
英国出身の金髪令嬢は、未来にとって学生ボクシングで幾度も拳を交えたライバルである。
未来VSみずほのタイトル戦当日。
リングに対峙したみずほを見て、未来は驚愕した。
「長谷川クン、その姿は何やねん」
みずほの顔は、まるで幽鬼のように不気味に衰えていたのである。
毎日のようにラキスケを起こし、キャーと叫びながら男を殴り飛ばしていたみずほとは別人のようだ。
ボクサーが、こんな姿になる理由は一つしかない。
減量だ。
自分と戦うために、地獄のような減量を乗り越えてきたのだ。
美しかったみずほをこんな姿にしてしまった事を、未来は悔いた。
「すぐ楽にしたるからな、長谷川クン」
ゴングが鳴るとともに未来は、わざと隙を作った。
みずほが得意の右ストレートを打ち込んできたら、カウンターで合せ、一発KOを狙う。
それで全てを終わらせる。
仮に失敗したとしても、憔悴したみずほの拳に自分を倒す力があるとは思えなかった。
だが、直撃!
反応出来ないほどの速度での右拳直撃!
背中から倒れる未来。
デビュー以来、初めてダウンを奪われたチャンプの姿に会場が沸き立つ。
「なんや死人かと思ったら生きとるやん」
驚愕しながらも、笑顔を浮かべる未来。
「わたくしは、黒神さんと戦うためだけに地獄の減量を乗り越えてきましたのよ。 本当に地獄の餓鬼にでもなった気分でしたわ」
フッと乾いた笑いを漏らすみずほ。
「お茶の時間に毎日三キロのフルーツタルトを食べる事を日課にしていたわたくしが、昨日は二キロ、たった二キロで我慢しましたの! 楽しいはずの時間が、地獄の苦しみに変わりましたわ!」
「それだけかい!」
そもそも未来とみずほは、体重が一キロしか違わない。
減量と呼べるほどの減量は、必要ないのだ。
「そんなんで苦しむような、根性なしに負けてたまるかー!」
「わたくしティータイムは、命より重いのですわー!」
二つの渾身の拳が、同時に放たれた。
未来の意識が戻った時、リング上には新チャンピオンが立っていた。
「おめでとう、長谷川クン」
握手を差し出す未来。
だが、その手がみずほに握られる事は永遠になかった。
「た、立ったまま死んどる!」
みずほの死因は、未来のパンチではなかった。
お茶の時間を優雅に過ごせなかったストレスが、みずほの内臓を一夜にしてボロボロにしていたのだ。
「うちのせいや、うちがもう一階級上やったら! おっぱいにあと一キロ肉がついていたら! 長谷川クンはあんな減量せずにすんだんや」
Dしかない自分の胸を恥じ入り、リングにあがれなくなる未来。
引退届を書きあげ、顔をあげた時、涙で滲む目にふと、金髪の少女の姿が映った。
「黒神さん、ラキスケですわ、黒神さんにはラキスケが足りませんの、だからD止まりなんですわ」
立ちあがる未来。
その目に、リングに向かう迷いはなかった。
数か月後、未来は形見のグラブを填め、世界のリングに立った。
その胸は、死亡時にEだったみずほのそれを超えるFに成長していた。
「ドヤァ! 夢とはいえ長谷川クンに勝ったで!」
拳闘部のリング。
スパーリングでみずほにKOされた未来は、ダウン中に見た夢を語り、胸を張った。
Dのままである。
笑顔のみずほ。
「素敵な夢だと思いますけれど、なぜわたくしを勝手に殺しているのかしら? ついでに腹ペコキャラにされているのも、納得いきませんわ!」
怒りの右ストレートが、未来の意識を遥か彼方へと飛ばす。
再び目を覚ます事があるのかは、わからない。
●
翼は、無念を砕く引き換えに。
ウェルは、待ち望んでいたかのように。
テンペストは、プロとしての本懐を果たすため。
那由汰は、無念に包まれるがままに。
玲獅は、奇跡の積み重ねとして。
未来は、ネタで。
皆、それぞれが手に入れた、死。
全てが同じものでありながら、全く異なる形をしている。
今回得たものは全て、幻であり仮のものだった。
いつか本物を手に入れた時、それはまた異なる形をしているのかもしれない。
どんな形をしているかは、それに至るまでの生の形によって変わるのだ。