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羽上山の上空を突如、雨雲が覆った。
山全体を蜂の巣にせんとばかりに、鋭い雨が打ち下ろされてくる。
係留しているボートの様子を見に来た湖の管理職員が、レインコートの下で顔を歪めた。
「可哀そうに……おかしくなっただね」
雨が降る前に、湖畔でバーベキューの用意をしていた若者たちがいた。
すぐに帰るだろうと思っていたのだが、
「ひゃーーーっ雨だーっシャワーだ、ぬっれるうううう♪」
「うひゃ〜♪ 土砂降りぃぃぃ〜♪」
「おいしいですねー! 肉とか超濡れてますよ、美味しいですねーっ!」
「イエッス良い天気!! 土砂降り!! さぁどんどん喰おう!!!」
「冷やしたビールぅまーいぞー! かけっこー、かけっこー!」
「肉―! 野菜―! どんどん焼きますよー! むしろ茹でますよー!」
土砂降りの雨で、大はしゃぎし続けているのだ。
管理職員は、絶望的な顔で彼らの傍から去った。
「日本はもうダメだ……」
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このはしゃいでいる若者たち全員、久遠ヶ原学園の生徒である。
俗に、撃退士と呼ばれる者たちだった。
「低いよー! テンション低いよー! いけるよー! もっとあげていけるよー!」
最もテンションの高い、銀髪の少女は卯左見 栢(
jb2408)。
タンクトップに包まれた百九十七センチのスレンダーな肉体が眩しい、十九歳の大学生である。
「す、少し寒くなってきました――私も透過能力が使えたらいいのですが」
雨に体温を奪われ唇を震わせている黒髪の和風美人は草摩 京(
jb9670)、二十歳。
普段は雅やかな和装に身を包む戦巫女だが、雨を吸って重くなってしまったため、今はやむをえず付け下げと呼ばれる薄着姿になっている。
「すみません、私たちだけ……その分、努力して騒がせていただきます! ……わーい!」
真面目な人が、無理やりテンションあげてる感じがありありなのが、山科 珠洲(
jb6166)。
彼女ははぐれ冥魔のため、触れられるものを選択可能な、透過能力が使えた。
そのため、雨には濡れない。
「透過能力便利ですよね、私も使ってみましたー」
スク水姿の娘はパルプンティ(
jb2761)、彼女もはぐれ冥魔である。
「でも、パルプンティさん濡れてますよ?」
全身ずぶ濡れだった。
「あと、足元に、何か引っかかっているようですが?」
なぜか、脱げたショーツが落ちていた。
「あ! 透過させる対象間違えましたーー!」
スク水にショーツを付けている時点でいろいろ間違っている気がする。
「おねーさん方、水も滴るセクシー姿じゃ、ルル、大興奮じゃー!」
金髪巻き毛のショタっ子はルル(
jb7910)。
ませた事を言っているように思えるが、やはりはぐれ冥魔で実際はン百歳らしい。
「ばなーなっ↑」
焼き石鍋で熱したバナナをひたすらもぐもぐ食べているのが、Unknown(
jb7615)。
その名の通り、正体不明っぽい姿をしたはぐれ冥魔だ。
この六人は、焼き網の上に傘を取り付けるとか、いろいろ工夫して豪雨の中でバーベキューパーティを開いていた。
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「メックジーナちゃん来ないねー、早く会いたいー!」
長身をさらに伸ばして叫ぶ栢。
「はー、こんな事で、本当にサーバントをおびき寄せられるのでしょうか?」
根が真面目な珠洲は、テンションを保ち続ける事に疲れて来ているようだ。
「え?飯食うだけの依頼ではなかったのか」
Unknownなど、もはや依頼内容を忘れている。
「誘き寄せようという下心のせいで、はしゃぎ切れてないのかもしれませんね」
京の呟きが的を射ているように思え、皆は頷いた。
「もう、メックジーナとか来なくてもいいですよ〜、せっかくのピクニックですから遊びましょう〜」
「ルル、日本のお山は初めてだぞ! 楽しいぞ〜!」
パルプンティとルルは開き直り、リミッターを外して、はしゃぎだした。
誰かが羞恥心を捨てると、他の面子もハメを外しやすくなる。
浴びると頭がおかしくなる雨なんじゃないかと疑われるほどの、勢いで撃退士たちはしゃぎ出した。
「あぁーー! 豪雨の中でバーベキューとかヤバすぎる! さいこーーー」
「シェイク! シェイク! ビールかけっこー!」
「吾輩! 焼けた炭とか食べちゃうぞ〜〜! はふっほふっ! はぐう!」
「あはっ! Unknownさん、舌こげてます! めっちゃ焦げてますよ! アッハハーーっ!!」
「私、泳ぎますよー! 水着で地面にダイビーンーー!」
即、病院に通報されるレベルである。
「草摩 京 脱がされてみましたーー!!」
京が、ニコニコしながら叫んだ。
見れば、服が背中側からほとんど解けている。
白くたわわなな両胸は、手ブラで隠している状態だ。
「京おねーさん! エッチなのじゃー!」
「脱がしたのは、誰だぁーー!?」
「メック! ジーナ!」
湖を背に立っていた京が、大きく前にジャンプをした。
その向こうに二mはあろう、巨大なナメクジが姿を現す。
「あ!」
京を含め何人かが、我に返った。
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「そんなにジメジメして雨まで降らせて……気持ち悪い、お山の大将気取りのニートブサ蛞蝓なんですね」
今まで脱がされて喜んでいた京が、急にジトッと冷たい目をメックジーナに向けた。
「ぎゃあああ! 京ちゃんのその目イイ! あたしも見下されたーーい!」
栢は、元々がハイテンションのせいか、まだ戻り切っていない。
「まずは、水の中に落としましょう!」
根が真面目な珠洲は、戦士の目に戻り切っていた。
水中で雷撃を浴びせ続け、回復する暇を与えない。
それが珠洲の作戦だった
仲間の冥魔四人揃って翼を広げ、空を舞った。
「マル=デ=ナメクジ……我輩はビールを所望する」
Unknownが、右手の缶ビールを飲みながらメックジーナに缶ビールをぶつけた。
とたん、熱したフライパンの上に落としたバターかのように、アルミ製の缶ビールが溶けて消えた。
中身のビールも、メックジーナの体に吸収されてしまう。
「金属があっさりと!」
「ルルさん! 捕まってはダメです!」
小柄ですばしっこいルルは、囮になろうというのか、メックジーナの鼻先を飛び回る。
「ええ匂いじゃろ? てんねんこーぼじゃー!」
さきほどまで、やたら自分の体にビールをかけていたのは『ナメクジはビールに誘引される』という習性にあやかったものだった。
その効果かどうかわからないが、メックジーナがルルに食いついてきた。
空を舞うルルを追い、湖に飛び込むメックジーナ。
そこに、珠洲が雷の剣を叩きこむ。
「え、えーと、今はショーツじゃなく十字架を落とすんですよね? 間違っていませんよね?」
パルプンティが戸惑いながら、クロスグラビティを放った。
水を薙ぐ光の剣に対しても、空から降り注ぐ闇の十字架に対しても、メックジーナは回避すらしようしない。
素直に、その威力を浴びた。
「やる気がないのでしょうか?」
溶けかけた服を捨て、胸にタオルを巻きながら京が分析した。
メックジーナは、反撃もしてこない。
「ふむ、誘き出すのが大変なだけで、大した敵ではなかったのかもな」
冥府の風を纏ったUnknownが落とした闇の十字架も、メックジーナは反応なく受け止めた。
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楽勝の予感も一瞬の事。
雨に撃たれたメックジーナの肉体が、ぬるぬると再生し、瞬時に元の姿に戻ってしまった。
「やだぁ、メックジーナちゃんぬるんぬるんかっわいーー!!」
どういう感性なのか、巨大ナメクジが気に入ったらしい栢がゴーストアローを放つ。
すると、メックジーナは、突如、恐るべき速さで地を這い、栢に襲い掛かってきた。
余りのテンポの違いに対応出来ない栢。
「!?」
宙にいたUnknownが、栢の前に飛びおり、逞しい胸にその攻撃を受ける。
粘液が張り付いた胸板を溶かした。
「っつ!」
「ちょ! あんのん大丈夫!?」
栢はUnknownの手を引き、全力疾走で後方へ退避する。
ニコニコしながら、手を振るUnknown。
「いやだってほら我輩褌だから大丈夫ですしいいいいいい――ってぇええええ!! 」
ねっとりした気配に振り向いたUnknownの目に、 メックジーナの姿が映った。
物凄い勢いで、栢とUnknownを追いかけてくる。
全力で走っている撃退士と互角か、それ以上の速度だ。
攻撃すら避けようともしない戦闘ニートだった頃からは、想像もつかない。
「メックジーナちゃん、なんでそんな急にやる気全開なの!?」
一方、珠洲は、地上にいる京の元へと降り、作戦の練り直しにかかっていた。
「水で再生する以上、水に落とすのは、有効とは言えないようですね――落とすのなら、やはりあそこですか」
「はい、かなり苦心しました、うまく働くと良いのですが」
京は、昨夜の苦労を思い出しながら頷いた。
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昨日、京は一人でこの山に来ていた。
この湖畔から少し下った場所にある山林に深く、大きな穴を掘るためだ。
本当は、栢も手伝いを申し出たのだが、二人で作業して、うっかり会話が弾んだりするとメックジーナが、大雨を降らすだろうので、一人で来ざるをえなかったのだ。
体長二mと報告を受けているメックジーナ。
しかも、ナメクジモチーフなら壁に張り付くのはたやすいだろう。
一度、落ちたら簡単には這い上がれないような、大きさ深さにしなければならなかった。
作業は朝に始まり、夜中まで続いた。
夜闇の中、雅やかな着物を着た髪の長い女が、人気のない山林で黙々と穴を掘っている。
その姿を、仮に見た者がいたなら、一生もののトラウマになったに違いない。
出来上がった穴に太い枝を網のようにかけ、スチロール片と土で蓋をして、落とし穴は出来上がった。
さらに、三十キロほどの塩をゴミ袋に詰め、落とし穴直上の太枝に吊るした。
何度か試運転をし、安定して作動するものが出来た頃には明け方になっていた。
京がそこまでするのは
『ナメクジさんが怖くて、頭の蛇さんが全部抜けそうにょろ!』
と、怯えていた、幼いはぐれ天魔・ニョロ子を安心させるためだ。
単純に母性本能のなす業なら、手放しで褒められる行為なのだが、京の場合、母性本能の『母』が抜けているのではないかと疑われる言動が稀にあり、何とも評価しがたいところだった。
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「問題は、どうやって落とし穴の上まで誘導するか、ですね」
「まずは、無難に私がタウントで引き付け――」
言いかけた京の前を、栢とUnknownが物凄い勢いで駆け抜けていった。
そのすぐ後ろを、メックジーナが凄まじい速度で追撃している。
「この子! 恐! 恐カワイイよー! アハハハハッ!」
「いやん、そのぬとぬと、今はお断りしまっすーーー!」
二人とも、恐怖でまたテンションがおかしくなっている。
メックジーナは、真面目に作戦会議をしていた珠洲と京を完全スルーして栢とUnknownを追っていった。
「これは」
メックジーナの行動パターンを、珠洲は若干の疲労を以て理解した。
「落とし穴に誘導するためには、またあのテンションが必要という事ですか?」
メックジーナはテンションの高い人間、楽しそうな人間を襲う。
その法則を、利用するしかなさそうなのである。
「だったら、ルルがやるのだーー!」
ルルが、段ボールを手に持って、嬉しそうに手をあげた。
ルルは走り出した。
湖のあるこの台地からから、その下にある山林まで、土がむき出しになった急斜面になっている。
段ボールをお尻に敷き、滑り降り始める。
角度が急すぎるので、むしろ、落ちると表現した方が的確なくらいだ。
豪雨で地滑りしているため、速度もとんでもない事になっている。
「うわっ! すごっ☆ はやいぞっ☆ こわいぞっ☆ るるるるるぅ!」
安全装置なしの、天然ウォータースライダー。
超速度に恐怖を通り越し、テンションが一気に限界突破するルル。
気配に気づいたメックジーナが、栢とUnknownを追うのをやめ、標的をルルに切り替えた。
崖をダイブし、一気にルルに追いつくメックジーナ。
「いけません、ここでルルさんが捕まってしまっては!」
「足止めですよー!」
珠洲が雷霆の書からの光の矢、パルプンティがセルベイションから黄金の炎を飛ばし、メックジーナを牽制する。
「アハハウフフ! めっくじーと鬼ごっこぞ☆」
京に教わっておいた落とし穴の位置を目指し、段ボールスライダーを操作するルル。
目印のある樹の前までつくと、背の小さな翼をぴよっ、と広げ、飛翔した。
地滑りする斜面で速度に乗っていたメックジーナは、すぐには止まれず、無人の段ボールスライダーを追いかけてゆく。
ルルは、京が仕掛けをした木の枝まで飛ぶと、罠を仕掛けた枝を折った!
三十キロにも及ぶ塩を包んだポリ袋がメックジーナの頭上に落ちる!
穴を覆う木網を破壊しつつ、メックジーナは穴の底へと落下した!
「だーいーせーこーーっ☆」
穴の上からメックジーナを覗き込むルル。
メックジーナは穴の底で食塩に包まれ、もがいている。
ナメクジのようにそれだけで死にはしないが、塩が水分を奪うので、一時的に回復は阻止出来そうだった。
「今のうちに!」
珠洲が翼を広げて穴に飛び込み、火炎放射器でメックジーナの表面粘膜を焼いた。
形の良い珠洲の額を、汗が流れている。
熱い上に、危険な行為だがこうしないと、粘膜で土を溶かして横穴を作り、どこかへ逃げかねないのである。
そんな、珠洲の決死行動を見ていたルルとUnknownは、
「メックジーナの塩焼きだ☆ 味見にチャレンジぞ!」
「ナメクジって焼いたら身は……じゅるるっ」
涎を垂らしていた。
やがて、火炎放射器を持った珠洲が、穴から飛び出てくる。
「体表面はある程度焼きましたが、殻にこもられてしまいました」
穴の底には、巨大なカタツムリの殻が落ちていた。
メックジーナの緊急防御形態らしい。
「おお吾輩の予想通り、エスカルゴだ!」
「でも、ここまで来たら簡単でしょ! みんなでフルボッコモード☆」
栢の合図と同時に撃退士たちは、思い思いの技を穴の底めがけ叩き込み始める。
殻が、ダイヤやオリハルコンで出来ているわけでもない。
逃げ場のない状態なら、文字通り袋叩きに出来るのだ。
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「ニョロ子ちゃん、お姉ちゃんはやりましたーー!」
羽上山の頂上。
ニョロ子のいる久遠ヶ原島に向かって、ハイになって叫ぶ京。
彼女が丸一日かけて造った落とし穴がなければ、かなり苦戦をしたのは疑いようもなかった。
もう雨は降らない。
メックジーナは、この山から完全に消滅したのだ。
「ひゃーーーっ晴れだーっ! 太陽っーだ、あちぃぃ♪ ピーカンってやべーきもちいーー!」
「お日様でぬくぬくになったビール! ぅまぁー!!」
「イエッス良い天気!! 快晴!! さぁ飯喰おう!!!」
一部の撃退士は無理やりあげたテンションが元に戻らず、以後、数日間は奇行を続けたのだった。