依頼人、時田美香の現住所は福島県の南部にある町だった。
「まずは説得ですね」
待ち合わせ場所として指定されたファミレスを探しながら、天羽 マヤ(
ja0134)が依頼の内容を確認する。
その経緯を綴った依頼書を見る限り、依頼人自身は、どちらかと言えば知りたいと思っている様に感じられる。
「あとはきっかけというか、背中を押してあげるだけで大丈夫な気もしますが…」
「説得は皆に任せるよ」
龍崎海(
ja0565)が言った。
「その上でまだ迷ってる様なら、俺も何か言ってみるつもりだけど…もし不発に終わっても、調査だけはしておきたいと思う」
結果を聞くのは後日、依頼人の心が決まった時にという形でも良いのではないか。
「そうですね、もし拒否されても安否の確認だけはしておきたいです」
水屋 優多(
ja7279)が、声を潜めてそっと囁いた。
「よく言いますよね『人が本当に死ぬのはその人を覚えている人がいなくなった時だ』って」
もしも既に手遅れなら、誰にも気づかれないより事実を誰かが知っている方が良いのではないか。
「これこれ、縁起でもない事を言うでないぞ」
木花 咲耶(
jb6270)が、下から目線(物理)でやんわりと窘める。
大丈夫、願いはきっと通じる。
「そうだよね。ボク達が付いてるんだから、きっと大丈夫!」
犬乃 さんぽ(
ja1272)が力強く断言した。
「その為にも、まずは時田さんを説得しなきゃね!」
「ええ…何とか、決心をして頂かないと」
アストリット・ベルンシュタイン(
jb6337)が頷く。
何もしなかったことの後悔の重さは、身に染みて分かっているつもりだった。
(時田さん、でしたっけ。その方にまで、あの時に自分が感じた思いを味あわせる訳には行きません)
そして、背中を押すからには中途半端な仕事は出来ない。
結果はどうあれ、調べられる事は全て調べて、納得のいく報告をしなければ――
美香は撃退士達の姿を見るなり何度も頭を下げた。
「本当にすみません、こんな…」
ただの個人的な我が儘に付き合って貰うなんて。しかもまだ迷っているという体たらく。
「個人的な依頼? かまいませんよ」
見るからに人の好さそうな優多が、にっこりと微笑む。
「心残りをそのままにしていたら、きっと最後の時後悔すると思うんです。あの時ああしていればって」
「そうよね。それは、わかってるんだけど」
美香は目の前に置かれたアイスコーヒーに口を付けようともせずに、ただストローでグラスの中身を掻き混ぜていた。
カラカラと音を立てながら、氷が回る。
「10年前か…10年は遠いよね」
その様子を見ながら、黒須 洸太(
ja2475)はストローの袋を弄っていた。
袋を開いて丁寧に皺を伸ばし、五角形を形作る様に折っていく。
(やらないで後悔するよりやって後悔した方がいい…って、言うのは簡単だけど)
自分ならきっと、知った顔の墓はみたくない。
シュレディンガーの猫のように、死んでも生きてもない状態でそのままにしそうだ。
それが自分の為にならないと、わかっていても――
「出来た」
五角形の辺の真ん中を指でへこませると、ぷっくり膨らんだ可愛い星が出来上がった。
それを、美香の目の前に置く。
「すごい、どうやって作ったんですか!?」
目を輝かせた美香の反応に、仲間達も何事かと身を乗り出して来た。
「簡単だよ。教えてあげるから、やってみる?」
洸太の一言に、美香は勿論、仲間達からも声が上がる。
「じゃあ、まずは袋を開いて…」
見よう見まねで折り始める仲間達。
同じ材料で教えられた通りに作った筈の星は、様々に個性的な形に出来上がる。
「私も、星を眺めるのは好きです…」
新田 六実(
jb6311)はにっこり笑うと、皆で作った星を星座の形に並べてみた。
「オリオン座って、確かこんな形でしたよね」
星のひとつひとつ、その名前までは知らないけれど。
そう言った六実に、美香はそれぞれの星を指差して名前を教える。
「これがリゲル、ベラトリックスに、ミンタカ…そして、ベテルギウス」
「ふむむ〜、ベテルギウスといえば九州におる大天使もそんな名前じゃったかの〜」
ハッド(
jb3000)が呟きながら、星座を覗き込んだ。
「ところで、王の星はどれじゃ? 我輩はバアル・ハッドゥ・イル・バルカ3世。王である! 王たる我輩が作ったこの星は、王の座に据えるのが当然であるぞ!」
思い切り胸を張り得意げに差し出した星は、少しばかりヨレて歪んでいたけれど。
「オリオンにはそういうの無いなぁ。でも…」
折り紙教室のお陰で緊張が解れたのか、美香は饒舌に語り出した。
「バビロニアや古代アイルランドでは、オリオンは王の星座って呼ばれてたみたい。それに、獅子座のレグルスには『小さな王』っていう意味があるわ」
これも全部、受け売りなんだけどね…そう言って、美香は少し寂しそうに微笑む。
「それなら一緒に探そうよ!」
さんぽが身を乗り出した。
「素敵な星の話をしてくれた人だもん、絶対もう一度会えるよ…その為に、ボクも力になるからっ」
美少女風味の美少年が、にこっと笑う。
こんな素敵な思い出なのだ。是非とも力になって、絶対2人を再会させてあげたい。
「七夕は曇っちゃってたけど、確か旧暦っていうんだっけの織姫さんと彦星さんなら、きっとボクらに力をくれる! 見えてる星は消えてないよ」
「うん…だと、良いけど」
緊張は解れても、相変わらず弱気な織姫は、再びコーヒーを掻き回し始めた。
氷はもう、殆ど溶けてなくなりかけている。
(知りたいと思う心と知らないままがいいと思う心…か、難しいね)
その様子を眺めながら、日下部 司(
jb5638)は思う。
だが、このまま諦めてしまっては…きっと、後悔しか残らないのではないか。
「俺は探すべきだと思います」
司は正面に座った美香の目を真っ直ぐに見つめ、言った。
「でも大切なのは美香さん、貴方がどうしたいのかだと思います。…偉そうに言って済みません」
「ううん、いいの。自分でもね、カッコ悪いなぁって思うのよ」
自分がどうしたいか、それはもう決まっている。
でも、その結果を受け止める覚悟が…
「星に限らず、生あるものはいつか消える」
ぽつり、咲耶が言った。
テーブルの縁から漸く顔が出る程の背丈と、ピカピカの一年生にしか見えない幼い容姿だが、流石は天使。言う事には年古りた樹木の如き重みがある。
「それは誰にも変えられぬし、いつなのかも分らぬ。ずっと立ち止まって、綺麗な思い出だけを抱いておるのも良いぢゃろう。しかしのお…」
咲耶はテーブルの上に広がる星座の右肩を指差した。
「星はまだ見えておるではないか」
消えてしまったかどうかなど、その時が来なければわからない。
「お主が銀河を探しておるように、銀河もまたお主を探しているのかもしれぬ」
思わず顔を上げ、美香は咲耶の瞳を覗き込む。
「でも、そんな…」
だったら良いな、とは思うけれど。
「そんなに都合が良く行く筈がないと思うぢゃろうが、悪くも行かぬのが人生よ」
諦めるのはまだ早い。
「咲耶が天駆けて必ずや晴れさせて見せようぞ。織姫と彦星が再び逢えるようにの」
「…晴れる、かな…」
美香が掻き回すグラスからは、既にポチョポチョというという音しかしない。
「前から不思議だったんですけど」
マヤが言った。
「曇りだと織姫と彦星は会えないって話ですが、宇宙はいつも晴れですよねー」
目を丸くした美香に、マヤはにっこりと微笑む。
「実は内緒で会ってたりして」
「それは…考えた事なかった!」
言われてみれば確かにそうだ。目から鱗とは、この事か。
「そうよね、宇宙はいつでも晴れてるのよね!」
俄然、上手く行きそうな気がして来る。
「よし、会える! きっと会え…うわ、まずっ!」
一気に飲み干したアイスコーヒーは、薄まりすぎて殆ど味がしなかった。
「さて、人の縁とはまっこと面白きものよの〜」
何杯目かのアイスティーを飲み干すと、ハッドは鷹揚に言った。
「ここはひとつ王の威徳を示さねばなるまいて〜」
という事で。
「美香んよ、銀河んの元の住所はわかるかの?」
「みかん!? ぎんがん!?」
「ま、気にするでない。それで、どうなのじゃ? 知っておるのか?」
ついでに手紙や電話でのやりとりが続いていたのはいつごろ迄だったかと、それも尋ねる。
「住所はここ。半年くらい経った頃、引っ越した先も天魔に襲われて…それから音信不通」
「連絡が付かないって気付いたのはいつ?」
洸太が訊いた。
「10日くらい経ってから、かな。電話が通じなくて…今の家に落ち着いてから手紙も出したけど、宛先不明で戻って来たの」
それが一ヶ月ほど後の事。
「ふむ、それならば銀河んの家もほぼ同時期に何かあったと見るべきかの」
「何か…って」
「これから、それを確かめに行くのじゃ。美香んも一緒にの」
「私も!?」
それを聞いて、美香は再び怖じ気付いたらしい。
「で、でも、あの辺はまだ天魔も出るって…!」
それに、思い出の場所が無残な姿になっているかと思うと、やはり見るのは辛い。
「大丈夫ですよ、坂本さんの家には私達だけで行きますからっ」
マヤが安心させる様に微笑みかけた。
続いてアストリットが話しかける。
「でも、北海道の方には時田さんもご一緒して頂きたいのです」
「え、どうして…」
「そこから逃げる時に、かなり慌ただしかったと伺いました。坂本さんのヒントだけでなく、ご自身の忘れ物なども見つかるかもしれませんから」
「でも、危なくない? って言うか、足手纏いなんじゃ」
周辺は未だに天魔が闊歩していると聞いた。
「そこは、私達がお守りします。手分けは行いますが、北海道の方には人を多めに割きますから」
「美香おねえさんが同行してくれれば、思い出の品が見つけやすくなりますし…頑張って守りますから、一緒に行っていただけませんか?」
六実も胸の前で手を組んで、お願いのポーズを取ってみる。
「思い出の品、かぁ」
家族のアルバムや、銀河からの手紙。天文関係の本や、大事にしていたぬいぐるみ。当時の服は、流石にもう着られないと思うけれど。
「うん、取りに行けるなら…行きたい、かな」
「じゃ、決まりだね!」
さんぽが言った。
「坂本さんちの方は、ボク達が責任持って調べて来るよ。その為に、少し思い出話とか聞かせてくれるかな?」
プライベートな事にまで首を突っ込む気はないが、情報もなく何かを探すのは難しい。
「細かな事でも教えて貰えたら、手がかりになると思うんだ…たとえば、どっかの親戚の家に遊びに行った話してたとか」
「どこかの高原とか天文台とか、星を見に行った話なら散々聞かされたけど」
それ以外の事、何か話したっけ?
「ごめん、覚えてない」
「そっか、うん、大丈夫」
彼の避難場所の候補を増やせるかと思ったのだが、それならそれで地道に調べ上げるまでだ。
それから暫く、美香は問われるままに思い出話を披露し続け…
「さて、そろそろ参るかのう」
ハッドが立ち上がった。
「美香んの想い人の銀河んの消息をつかも〜ぞ」ω<)b
「ちょ、想い人とか違うから! そんなんじゃないから!」
美香は真っ赤になって反論するが。
いやいや、今のは完全に惚気話だったし!
「…ここも手がかりなし、か」
北海道への移動中、洸太は二人が住んでいた町の役所に電話を入れていた。
現在の町の様子や避難、或いは疎開の現状など、役所であれば確認が取れるかと思ったのだが。
問題の役所にも、その近隣の行政機関にも、電話が繋がらない。
漸く通じた所で聞いた話によると、その辺りの市町村は殆どが役所の機能を他の土地に移したという事だった。
「おまけに、役所の方でも住民の移動を把握し切れてないらしい」
襲撃の際に、余程の混乱があったのだろうか。
「こちらも空振りでした」
どこかにかけていた電話を切って、マヤが首を振る。
天文学や宇宙関係の分野に強い大学を調べて、銀河が在籍していないか問い合わせていたのだ。
「そんな学生はいないそうです」
同行している美香には聞こえない様に、そっと洸太の耳元で囁く。
本当に在籍していないのか、それとも個人情報保護の壁に阻まれたのか、それはわからないが。
「まあ、ダメ元とは思ってましたけど」
こうなれば、やはり手がかりは現地で探すより他にない様だ。
『うん…悪いけど、そっちで頑張って貰うしかないね』
「わかった。大丈夫、こっちも何か見付けたら連絡入れるから…じゃあ、また」
洸太からの通話を切ると、海は仲間達に向き直った。
「そういう事、らしい」
坂本家の捜索に回った海、優多、さんぽ、ハッド、そして咲耶の五人は、廃墟と化した町に向き直る。
高台から眺める町は、とても見晴らしが良かった。
立ち並ぶ家々の殆どが崩れ、生い茂る雑草の中に無残な姿を晒している。
ひび割れた道路のアスファルトからも、勢いよく草が伸びていた。
「…とにかく、坂本くんの家を探そう」
さんぽが先頭に立って歩き出す。
海の生命探知で状況を確認しつつ、遁甲の術を使って気配を消しながら…
「と、蜘蛛の糸だ…危ない危ない」
少し進んでは、後続の海と優多をそっと手招きする。
「戦闘は出来るだけ避けたいですよね」
慎重に歩を進めながら、優多が言った。
「戦闘の騒ぎで敵増大の可能性高いですし」
「大丈夫、この辺りにはいない」
海が頷く。
「糸にさえ引っかからなければ、やり過ごせるだろう」
一方、自前の翼を持つハッドと咲耶は、上空から目指す家を探した。
ハッドはついでに蜘蛛の糸が張られた場所を、手持ちの地図に書き込んでいく。
「ふむ、あれじゃな。銀河んの家は」
覗き込んだ望遠鏡に、TVの受信用にしては大きすぎるパラボラアンテナが映る。
近くに敵の姿がない事を確認すると、ハッドは上空から安全なルートの指示を出した。
「銀河さんの家は二階建て…でしたよね」
現場を前に、優多が呟く。
だが、目の前の家は一階部分が潰れ、二階だけが辛うじて形を保っていた。
「まさか、この下敷きに…とか、ないよね?」
想像したくない事を想像してしまったさんぽが、ごくりと生唾を飲む。
しかし、大丈夫。
透過を使えるハッドと咲耶が中に入って調べたが、幸いにもそこには瓦礫以外の何も埋もれてはいなかった。
代わりに咲耶が見付けたのは…
「カレンダーぢゃ!」
…え?
「これを見れば、避難した大体の日付けがわかるぢゃろう?」
瓦礫の中から引っ張り出したそれを得意げに指差す。
「美香の避難先が襲われたのが、9月の半ば。そしてこのカレンダーも9月で止まっておるのぢゃ」
という事は、この家が襲われたのも9月中。東北と北海道、双方の襲撃がほぼ同時期に行われたと見て良いだろう。
「ならば、美香の祖父母の家へ、銀河からの手紙が届いてる可能性があるのぢゃ」
或いは逃げる時に急いでいて出さず終いの、連絡先を記した手紙が残っているかもしれない。
「じゃあ、ボクは二階の部屋を探してみるね」
瓦礫の中は天魔組に任せ、さんぽはそっと二階部分へ。
「子供部屋って大抵は二階にあるものだよね。持ってき損なった日記とか、2人の思い出のアルバムとか…」
部屋の中はガラスが割れて吹きさらしになっているものの、机が置かれた位置は雨にも濡れていない様だ。
さんぽは床に転がっていた天体望遠鏡を拾い上げる。大丈夫、レンズは割れていない。
机の引き出しからは現像の袋に入ったままのネガや写真が見付かった。
「この頃はまだデジカメじゃなかったんだ」
ちょっと失礼して中を見ると、その殆どが天体写真。
アルバムに整理されていない所を見ると、失敗作だろうか。
「それでも手がかりになるかもだし、何より思い出が大事だよね」
傍らでは優多が室内のあちこちを見て回っていた。
「余裕がある時に避難したのなら物が少なくなっている筈ですけど…」
望遠鏡まで残されている所を見ると、どうやら慌ただしく家を出た様だ。
日記らしきものが見当たらないのは、付ける習慣がなかったのだろうか。
「これが日記の代わりだったのかも?」
さんぽが見付けたのは、暦と天文のページにびっしりと書き込みの入った理科年表だった。
これも思い出の品として届けてあげよう…転居先がわかれば、だが。
「お父さんは地元のエンジニアでしたっけ」
優多が言った。
勤め先が大企業なら本社にデータがある可能性が高いが、中小企業の場合は難しいかもしれない。
見た限り、転居先を記した貼り紙の類も見当たらない。
あったとしても保存状態が問題だ。
「ご近所も似た様な有様ですしね」
ラミネート加工の貼り紙が残る家もあったが、それらは皆、余裕のあるうちに越して行ったのだろう。
「余り期待は出来ませんが」
そう思いつつ、優多はそこに書かれた連絡先をメモしておく。
と、そこにハッドの声がした。
「電話の脇で良い物を見付けたのじゃ」
瓦礫をすり抜けて外に出た彼が手にしているのは、古びたアドレス帳だった。
家族で使っていた物らしく、親戚や近所の人達の連絡先が書かれている。
これで親戚に連絡が付けば、一家の消息もわかるに違いない。
「ここでの収穫は、もうこれくらいぢゃな」
暫く後、咲耶が捜索の終了宣言を出した。
五人の手元には、瓦礫の中から引っ張り出したアルバムや時計、オルゴールなど、思い出が染み込んでいそうな物が山積みになっていた。
後はアドレス帳の連絡先に、片っ端から電話をかけてみれば良い。
「俺はちょっと、時田さんの家を見て来るよ」
海が言った。
「もしかしたら、避難する時にそっちに何か残してくれた可能性もあるし」
後は念の為に学校にも寄って、名簿を調べてみたい。
「坂本さんと他に親しかった人の事も、時田さんに聞いてるから」
彼女は名前とクラス程度しか覚えていなかったが、それだけわかれば充分だ。
名簿を調べて、その中にもし連絡が付く人がいれば、その中の誰かが彼の行方を知っているかもしれない。
「一人では危険ですから、私も行きますよ」
優多が申し出て、二人はハッドの「蜘蛛避けルートマップ」を元に学校へと向かった。
「じゃあ、ボクは思い出の場所を調べに行くね」
さんぽが言った。
二人が一緒に行ったという、絶好の観測スポット。そこにも何か手がかりはないだろうか。
そこは悪魔の支配エリアではない様だ。もしかしたら、今も一人で見に来ていたりするかもしれない。
「ならば、我輩も共に参ろうぞ」
ハッドが、何故か偉そうに胸を張った。
東北組が捜索を終えた頃、北海道に向かった者達は漸く目的地に辿り着く所だった。
「さすが北海道は広いですねぇ…夜はきっと星もきれいなんでしょうね」
遁甲の術で先行したマヤからの連絡を待ちながら、六実は天井の隙間から空を見上げる。
彼等をここまで乗せてきたレンタカーは、町外れにある農場の、壊れかけた車庫に駐められていた。
「まあ、人工の明かりも殆どないし、星好きには堪らないわよね」
車の中で美香が苦笑いを漏らす。
ここから少し行けば、隣の家まで車で何分という世界だ。
もっとも、祖父母の家があるこの辺りの人口密度はそこまで低くない。
それでも天魔の標的となる事が不思議なくらいの辺鄙な場所ではあったが。
「だから、ここなら安全だって思ってたんだけどね」
何の備えもせずに安心しきっていた所に、突然の襲撃。
「それで、何も持ち出せなかったんですね」
六実の問いに、美香は「そういう事」と頷く。
今になってこんな機会が来るとは思わなかった。
それは素直に嬉しい。
けれど…
「やっぱり、怖いな」
今頃、銀河の家に行った皆は何を見付けているのだろう。
或いは、何も見付けられなかったか…それとも、最悪のものを見付けてしまったか。
「まだ迷ってるの?」
その様子を見た洸太が声をかける。
「今悩んでるなら、今日止めてもきっとこの先気になって探そうって思うよ」
「そうなのよね…星なんて、見ないようにしてたのに」
一度思い出して見上げてしまったら、もう止まらない。
きっと毎年、冬が来る度にオリオンを見上げて想うのだろう。
「だったら、今のほうが早く終わるよ」
洸太がそう言った時、携帯の呼び出し音が鳴った。
「咲耶だ」
電話に出た洸太は、何度か頷き…やがて笑顔になった。
「手紙、来てるかもしれないよ」
通話を切り、美香に告げる。
「内容はわからないけど、もしかしたらそこに引っ越し先の住所が書いてあるかもしれない」
そうと聞けば、美香もじっとしてはいられない。
しかし――
「あれは厄介ですね」
空を見上げてアストリットが呟く。
相手は空を飛べる上に、敵を集めるタイプだ。探知されずに速攻撃破するのは無理だろう。
「あのカラスは夜目も利くらしいよ」
現地の撃退士から聞いた情報だと、司が言った。
「それなら、夜まで待っても意味はない…寧ろ視界が悪い分こちらが不利になりますね」
アストリットがそう言った時、マヤが転がる様に車に飛び込んで来た。
「あのカラス、しつこすぎますっ」
何とか彼等の目に触れずに移動できないものかと色々試してみたが、上手く行かなかった様だ。
「建物の陰を進んでもダメだった?」
洸太の問いに、マヤは思い切り首を振った。
それに、この町には姿を隠すのに充分な数の建物はない。
人口密度どころか、建物の密度も低いのだ。
「うーん、ダメか…」
なるべくなら戦いは避けたかったのだが、と洸太は溜息を吐いた。
「一緒に現れるという狼の気配はありませんでしたけど…でも、カラスに見付かったら狼も出て来るんですよね」
「これはもう、覚悟を決めてさっさと片付けた方が良いかもしれないね」
司が言い、誰か阻霊符を持っていないかと尋ねる。
「それなら私が」
「ボクも持ってるよ」
アストリットと洸太が答えた。
「それなら、美香さんには車で付いて来て貰いましょう」
阻霊符を使っておけば、車の中はまず安全だ。
「窓を閉めて、出来れば目も閉じて貰った方が良いですね」
少しばかり刺激が強いだろうから。
そうと決まれば善は急げ、撃退士達は通りに走り出た。
その後から、美香がゆっくりと車を走らせる。
途端に、巨大なカラスが鳴き声を上げながら頭上を旋回し始めた。
「まずは、あれを墜としませんとっ」
とは言え、マヤには遥か上空のカラスまで届く武器がない。
「それなら私が!」
攻撃力は心許ないが、上から叩き落とすくらいなら出来る。
六実は光の翼でカラスの上を取ると、百科事典から風の刃を撃ち出した。
刃が黒い翼を捉え、カラスはその高度を下げる。
「これなら届きますっ」
下で待ち構えたマヤが、影手裏剣を投げ付けた。
更に高度を下げたカラスは、次いで司が投げたディバインランスに貫かれる。
「もう一羽、来るよ!」
空を見張っていた洸太が声を上げる。
それに応え、六実は再び上空へ。上から下へ、息の合ったボレーが続いてカラスは地上に堕ちた。
まだ息のあるそれに、アストリットがパルチザンでトドメを刺す。
と、そこに獣達の荒い息遣いが聞こえて来た。
町のあちこちから姿を現す狼達。アストリットは集団で襲い来るその先頭に狙いを付け、サンダーブレードを撃ち放つ。
大型の獣は一声吠えると、四肢を釘付けにされた様にその場から動かなくなった。
動きを止めた一頭に堰き止められる様に、後続の獣が足を止め、或いは回り込もうと方向を変える。
流れが滞った所に、待ち構えていた司が封砲を撃ち込んだ。
撃ち尽くした後はダメージを受けたものから順にランスを突き刺していく。
身体が大きく数も多いが、相手は特殊な攻撃も持たないただの獣。一般人には恐怖でも、歴戦の撃退士達にとっては苦戦する様な相手ではなかった。
「今のうちに家を調べましょうっ」
とりあえず目に付いた敵を蹴散らして、マヤが言った。
カラスはまだ他にもいるかもしれないが、姿の見えない今のうちなら狼が増える事もないだろう。
「ボクが見張ってるから、皆は中に」
洸太に言われ、仲間達は目的の家へ。
人が住まなくなって久しいその家は相応に古びてはいたが、手入れをすればまだまだ住めそうな程にしっかりと建っていた。
「待って…中で敵が待ち伏せているかもしれません」
車から降りようとした美香を、アストリットが止める。
「奇襲を受けないよう、私達が先行した方が良いでしょう」
美香から鍵を受け取り、玄関を開けた。
続いて司とマヤが奥に入り、部屋の中を確かめる。
「大丈夫、敵が潜んでる気配はないね」
司が言い、続いて美香に声をかける。
「美香さんはポストを確認して頂けますか。何か届いているかもしれませんから」
「その間に、必要な物は私達で運び出しますねっ」
マヤに言われ、美香は膨大な数のリストを手渡した。
「ごめん、家族に話したら皆であれもこれもって…」
つまり、両親や祖父母のリクエストも含まれているという事だ。
「無理そうなら、上の方に書いてあるのだけで良いから」
「問題ありません、任せて下さいっ」
満面の笑みで応え、マヤは早速リストの品を探し始める。
「えーと、ジャズのLPレコード…」
これはきっと、祖父のものだ。
「手紙を纏めて保管している場所などありますか?」
アストリットが尋ねる。
後は銀河との思い出の品でも見つかれば、広く情報を集める手掛りになるかもしれない。
「私のは自分の部屋…だけど」
「じゃあ、私もお手伝いしますね。お部屋は二階ですか?」
それを聞いて、六実も階段を上がろうとする…が。
「いい、自分で探す! 恥ずかしいから入っちゃだめーっ!」
二人を慌てて止めた美香は、ポストから出したばかりの手紙の束を持って二階へ駆け上がった。
自分の部屋のドアを開け、中に飛び込む。
懐かしいと感じるほど長く暮らした訳でもないが、馴染みの家具や小物に囲まれると、やはり気持ちが落ち着くものだ。
そこで初めて、手紙の束を見る。三通のうち、二通はDMだ。そして残る一通は…
「ギンタ…」
懐かしい筆跡に、思わず昔の渾名が零れ出る。
恐る恐る封を切り、手紙を広げた。
そこには――
「…いつもと同じ、星の事しか書いてなかったわ」
溜息混じりに階段を下りて来る美香の気配を感じ、階下に集まっていた撃退士達が一斉に振り返る。
「え? な…何?」
「時田さん、思い出の回収は後回しですっ」
携帯を手にしたまま、マヤが興奮した様子で言った。
仲間から何か連絡があったのだろうか。
「また後で来ますから、とにかく今は戻りましょうっ!」
目を丸くし、首を傾げたままの美香の手を引き、マヤは歩き出した。
「さあ、早く早く!」
六実もぐいぐいと背中を押して来る。
「ちょ、何!? 何なのよ!?」
強引に車に押し込まれた美香が何を訊いても、撃退士達はニコニコと微笑むばかり――
その少し前。
海と優多は中学校から小学校へと渡り歩き、名簿や卒業アルバムを片っ端から調べ上げていた。海は銀河の友人だと聞いた者の名前と住所を書き写し、優多はそのページを写真に収める。
それが終わると再び町へ戻り、二人は連絡先のわかる家を探した。
地図を頼りに歩き回る事、暫し。
「あった、この家だ!」
その廃屋に貼られた転居先の表示には、ラミネート加工が施されていた。
一方、思い出の場所に向かったさんぽとハッドは、近くの商店や住宅街で情報を集める。
「最近この辺りで若い男の人を見なかった?」
アルバムで見た十年前の姿から、さんぽは変化の術で現在の銀河を再現してみる。
「推定、こんな感じの背格好だと思うんだけど」
そして夜。
「ちょっと、こんな所まで連れて来てどうするつもり!?」
相変わらず何の説明も受けていない美香に、アストリットが一言。
「この場所に見覚えはありませんか?」
「え…?」
言われてみれば、ここは。
「昔、星を見に連れて来て貰った所…?」
その時、闇の向こうから声が聞こえた。
「諦めず突き進めば必ず光が見える。それを掴み取れるのは、進んだ者だけぢゃ」
小さな影が手招きしている。
「美香。お主が掴み取った手の中の想いという星は、夜空の星より何倍も強く輝いておる。それはこれからもずっと輝き続けるのぢゃ…消える事無くな」
とん、誰かが軽く背中を押した。
その向こうに見えた人影、それは――
「クラスの名簿から探し当てた友達の一人が、彼の連絡先を知っててね」
「親戚筋の方からも話を聞く事が出来たのじゃ」
北海道から戻った仲間達に、海とハッドが事の次第を告げる。
「それに、例の場所…」
つまりここだけど、とさんぽ。
「坂本さん、最近もよくここに来てたみたいで。避難先、わりと近くだったらしいんだ」
だから、思い切って呼び出してみたという訳だ。
「銀河さんのお父さん、何年か前に病気で倒れられたんだそうです」
優多が言った。
「だから、大学進学は諦めたそうなんですけど」
「つい先日、無事に退院したらしい」
海が心底ほっとした様に微笑む。
「今、受験勉強の真っ最中だって言ってたよ」
「じゃあ、今から大学に?」
マヤの問いに、海は嬉しそうに頷いた。まるで自分の事の様に喜んでいる。
「へぇ、すごいんですねえ」
六実が感心した様に呟いた。
受験勉強って何だろうと思いつつ、でも皆の様子からして賞賛に値する事に違いない。
「でも、織姫と彦星は似た者同士だったよ」
さんぽがくすりと笑みを漏らした。
「坂本さんも、怖くて探せなかったんだってさ」
満点の星空の下、二人は何を話しているのだろう。
案外、黙ったまま、ただ星を見ているのかもしれない。
「ああ、綺麗に良う晴れた」
夜空を見上げ、咲耶はひとり呟く。
「ほんに美しい星空ぢゃ。星好きの再会を祝うておるようぢゃ」
誰かの願いを乗せた星がひとつ、長く尾を引いて流れて行った。