今日は聖バレンタインデー。
そのせいか、街にはカップルの姿がやたらと目立つ気がする。
微妙な居心地の悪さに、何処か良い避難場所はないかと街を彷徨うこと暫し。
(…ここ、見るからに大人な雰囲気のお店よね…)
一件のバーの前に佇み、並木坂・マオ(
ja0317)は自分の服装を確かめてみた。
こんな格好で入っても良いのだろうか。いや、その前に…
(アタシの歳で入って良いのかも怪しそうだけど)
しかし、背に腹は代えられない。
学校は更に酷いし、寮に帰る気分でもないし――
(えいや!)
音もなく開いたドアの向こうに見えた店内の様子は、やっぱりオシャレでオトナな雰囲気だったが…
「いらっしゃい」
マスターの声が余りに自然な感じだったせいか、マオは吸い寄せられる様にカウンターに席をとった。
注文を迷っていると、目の前にノンアルコールカクテルとオードブルがそっと置かれる。
カクテルに口を付けてみると、柑橘系と玉子をミックスした様な甘い味が広がった。
外の様子がアレなせいかもしれないが、ここに座っていると妙に落ち着く気がする。
「カレシカノジョとか、正直よくわかんないんだよね。ミンナで仲良くやれればいいし、今は強くなるのでイッパイイッパイだし」
マオはカウンターに置いた帽子を見つめる。
(そうだよ。強くならなきゃいけないんだ)
この帽子をくれたあの人…今ならわかる。あの人もきっと、アウルの力を持ってたんだ。
あの人と、胸を張って再会できるように。
(強くなったよ。今度は、アタシがあなたを助けたい)
帽子をぎゅっと握り締めた所で、はっと我に返った。
途端、顔に火が点く。
(なんなんだろ、この気持ち)
帽子に顔を埋めてもだもだしているマオの脳天に、こつんと何かが当たった。
それは大きな氷の入ったレモネードのグラス。
頬に当てると、心地よい冷たさが広がった。
続けて入って来た、目の下までぐるぐる巻きのマフラーに埋もれた女性は、真っ赤な椿だけを揃えた大きな花束を抱えていた。
「未成年なのに入店してしまってすみません。でも少し一人になりたかったもので…」
その女性、牧野 穂鳥(
ja2029)は初めて入るバーに緊張し迷う様子を見せながらも、落ち着いた視線をマスターに向けた。
「紅茶をいただけますか、何も入れずにそのまま」
良い香りのするカップを両手で包み、冷えた手を温める。
ふと周囲を見渡すと、ここは様々な想いを抱えた者が集まる場所なのだろうか、小さな呟きが漏れ聞こえて来る。
それに背中を押される様に、穂鳥はぽつりと呟いた。
誰に聞かせるともなく、傍らの花束をそっと撫でながら…
「…私の、世界で最初の恩人に贈るものなんです」
振り向きもせずに手を動かしているマスターは、背中で聞いているのだろうか。
「毎年この時期に。命を救ってくれて…大事なものを見つけろと生きる道まで示してくれた人に…。私の身代わりに病室に眠ったまま、二度と目は覚まさないでしょうけれど」
花束は宅配で送るつもりで持ち歩ていたが、マスターに頼めるならばその方が良いだろうか。
「入院患者に捧げるには向かない花でしょう?」
唇だけに笑みを乗せて、穂鳥はそっと花束を差し出した。
「いいんです。どうせ手に取るのは本人ではなく彼の周囲の人たちなんですから」
首の落ちる花の不吉さを、わざわざ眠る身内に届けはしないと知っていての…自分の親族でもある者達への恨みを込めた嫌がらせ。
本当に届けたいものは、別にあった。
(ありがとう。ありがとう。会わせてもらえない以上、側で伝えることさえできないけれど、私が生きている限りこの気持ちは消えない)
花束に手を添え、穂鳥はそっと想いを込める。
(私の持つ幸せは全てあなたがいたからこそのもの――)
「あら、こんばんは。今日はお一人ですか?」
ふらりと飲みに来たらしいカタリナ(
ja5119)は、カウンターに見知った顔を見付けて声をかける。
「マスター、チョコレートいただけますか? あちらに」
日本式のバレンタイン、その独特の「作法」を思い出したカタリナは、ひとりグラスを傾ける星杜 焔(
ja5378)に差し入れをひとつ。
「バレンタインですしね」
「ありがとう」
礼を言った焔に笑みを返すと、カタリナは早々に会話を切り上げて席に着いた。
(こんな時に恋人が近くに居ないというのは、やはり寂しいものですね)
そもそも、チョコレートではなく花を、男性が女性に、しかも本命しかないのが自国の文化 だ。
その意味で、日本のバレンタインは――今年で二度目ではあるが、まだ少し違和感があった。
(でもお世話になった人や、恋愛でない好意を寄せる人に少しばかりのプレゼントをする機会としては、とてもいいのかもしれませんね)
例えば、遠く離れた父親に…とか。
勿論お菓子屋サンの思惑なども知りつつも、こういう商戦略なら皆に喜ばれるのではないかと思う――いわゆる非モテと言われる方々は別にして。
(そういえば、そんな文化でどうして1個も貰えないと嘆く人がいるのでしょう?)
そんな、口に出したら全力で泣かれそうな事を考えつつ…
『と、日本にはそういう文化があるそうです。それに倣って、チョコレートを贈ります』
故国の父親に充てた簡単な手紙を書き終えたカタリナは、チョコと一緒にマスターに託す。
折角の日に恋人といられないのは残念だが、こういうバレンタインもいいのかもしれない。
とは言え…
(来年は――もう少しがんばって、色々楽しんでみようかな)
三度目の正直と、日本語では言うのだったか。
「良い雰囲気のお店ですね…落ち着くな 。成人したら是非お酒も戴きに来たいですね」
ドリンクも美味しいと、ノンアルコールカクテルの素材を次々に言い当てた焔は、その舌を褒められて少し照れた様に微笑んだ。
「子供の頃は、毎日美味しいものを食べて育ちましたから」
料亭を営んでいた父の手料理、その味は決して忘れない。
それが突然奪い去られてからも、子供なりにできる限り様々な料理を食べて、レシピを研究して、料理の腕と知識を磨いてきた。
孤独を知らなかった頃の思い出の味を自分のものにする為に。
他の誰かが食べたいと願う味を作れるようになる為に。
「アウルに目覚める前は…この目は青く、髪は雪の様に白い銀でした」
そんな白い雪の日。いつもの様に施設の皆に晩御飯のリクエストを貰ってバイトに出かけて。
「…皆楽しみにしてくれてました、俺の作るカレーライスを。カレーは…生家で最後に食べた思い出の味で…天魔の結界が、施設を飲み込んで…俺は買い物で遅れて助かって…」
その日も皆で食べる筈だった。
「…美味しいものってすごく幸せになれるんです…俺は幸せにできないまま一人だけ助かってしまった…」
食べさせて、やりたかった。
カサリ、傍らに置いた買い物袋が音を立てる。
「材料は、揃ってるな」
マスターが勝手に袋の中を覗き込み…
「厨房なら、空いてるぜ」
カウンターの奥を、顎で指し示した。
草薙 胡桃(
ja2617)は、行く宛てのない手紙の行き場所を探していた。
淡い桃色の封筒と、真っ白い便箋。そこにはまだ、何も書かれてはいない。
「…拝啓? はじめまして? …なんか、おかしい気がする」
ふらりと入ったバーの片隅で、ペンを片手に逡巡する。
封筒に宛名は書けない。名前を知らないから。
渡せる人もいない。その人がどうしているのか、生きているのかも、知らないから。
(相手は…私のほんとの、父さんと母さん)
でも、会った事もないし覚えてもいない。挨拶の仕方なんて、わからない。
それでも、頑張って書くって決めたから。
一言だけでも。書けるように。
胡桃はノンアルコールのホットエッグノッグで身体を温めると、白い便箋に向き合った。
言葉のひとつひとつに想いを込め、丁寧に――
――
お父さんとお母さんへ。
お父さんとお母さんが、どんな名前をくれたのか、分からないけど。
今、私は『草薙胡桃』っていいます。
私、学園に来て、家族が出来ました。
父さん、母さん、お兄ちゃん達に、お姉ちゃん。弟と妹。
それから。
とてもとても、大切な人も。
今、すごく幸せです。
お父さん、お母さん。
産んでくれてありがとう。
モモより。
――
書き終えて、大きく息を吐く。
そっと封をして、マスターに手渡した。
「ごめんなさい。中を一度だけ読んで、燃やしてもらいたいです」
「読んでも、良いのか?」
問われて胡桃は頷く。
「この手紙を届けたい人は、きっともういないから。形に残す必要はないの」
ただ、誰かに読んで貰えれば、きっと想いは届く――
そんな気がした。
ギィ・ダインスレイフ(
jb2636)は、ナッツを摘みながらサラトガ・クーラーのグラスを傾けていた。
「物心つく頃には既に、養父である嘗ての主と共に戦場に身を置いていた」
誰にともなく呟く。
「俺の本質は、戦いに愉悦を覚え、生命を搾取する悪魔だ。ひとたび抜き放てば、標的の命果てるまで戦い続ける…与えられた魔剣の名、そのものの生き方をしてきた」
首級を上げ、流す紅で大地を染め上げる事こそ主の誉と思い、信じていた。
老齢で主が戦線を退いてからも、ずっとそうしてきた。
だが、ある時――
『お前は、もう私の傍にいる必要はない』
『此処にいては、お前はいつか返り血で錆びゆくばかりだ』
主人にそう告げられた。
「俺の力不足だったのか、俺が知らず不興を買ってしまったのか…ともかく、俺は主から打ち捨てられた道具となったのだと、感じた」
そうであるなら魔界に留まる必要もない。
主の為に戦えぬなら、陣営も最早関係なかった。
ただ己の本質から、より強き者を求め、狩り場たる人の世を訪れた。
「そこでも、同じ生き方しか出来なかった…彼に会うまでは」
戦う以外の考えを教えてくれた、新しい主。
「遠き理想郷を夢見、敢えて葛藤多き道を選ぶ彼の信じるものを遂げさせる為、俺は彼を護ろうと思った」
人の世界で多くに出会い、魔界では到底無き事にも感銘を受けた。
「今なら…嘗ての主が、俺を敢えて手放した理由が…分かるような気がする」
ギィはグラスに浮かんだ氷を揺らし、ライムの香りがする液体を喉に流し込む。
「今はまだ会えぬ。いつか、その時が来れば…感謝を伝えたい」
アンティークな銀の懐中時計が、カウンターに置かれた。
「それまでマスター、贈り物は預かっていて欲しいんだ」
「…わかった」
それを手に取り、マスターは付け加える。
「引き取りは俺が生きているうちに頼むぜ?」
返事の代わりに、空になったグラスが差し出された。
(なんだかこのお店は落ち着くな)
照明を落とした店内に、静かなジャズのBGMが流れる。
漏れ聞こえる会話も、思考の妨げになる程ではなかった。
(みんなでわいわい過ごすのも嫌いではないが、こういう時間も時には必要だからな)
そんな中で黄昏ひりょ(
jb3452)が思い出すのは、学園に来る前の事。
一時期ふさぎ込んでいた自分に、立ち直るきっかけをくれた人がいた。
(あいつに出会わなかったら今の俺はいないんだよな…)
その人は撃退士ではないが、色々な分野に精通していた。
今でも世界を飛び回って、色々な人を助ける仕事をしているらしい。
(そうだ、折角こうして落ち着く時間が取れたんだし、あいつに手紙でも書いてみようか)
今は何処にいるのか、宛先もわからないが…
――
暗闇の中を彷徨っていた俺の前に急に現れたお前は
時に手を引きながら、時には二人三脚で共に歩いてくれた
暗闇の向こうにはいろいろな物が待っている事も教えてくれた
あの時お前に出会わなかったら今の俺はいないだろう
こうして今暗闇を抜け出した今
その前方見えないくらい前の位置を俺よりも速いスピードで走っていくお前がいる
先は見えないかもしれない
でも、いつか追いつきたい
一つの目標ができたんだ、お前に追いつきたいって言うね
ちゃんと追いついて「あの時はありがとう、おかげでこうしてここまで来れたよ」
って笑顔でお礼言うためにも、今は走り続けるよ
――
最後に猫のキーホルダーを入れて、封をする。
(あいつ猫好きだしな、気に入ってくれるといいが)
いずれ居場所がわかったら、この手紙を届けよう。
それまでに、少しでも近付ける様に――
「ココアなんて、子供っぽいやろか」
カップを両手で包む様に持った大和田 みちる(
jb0664)は、はにかんだ笑みを見せた。
「バレンタインやし、こういうのもええかなって」
帯に挟んだ猫の根付を何気なく弄ってみる。
それは、行方不明の兄が昔誕生祝いに買ってくれたもの。
伸ばした黒髪はまるで願掛けの様だ。
(今どこに居るんやろ。生きているんやろか…)
そんな不安を募らせながらふと立ち寄った店の雰囲気は、どことなく懐かしさ感じる優しい雰囲気に包まれていた。
「…兄に、会いたいんです」
ぽつり、呟いてみる。
封都の騒動が起きた時、兄は京都市内の大学に通っていた。
「うちが末っ子やから、兄もうちには甘くて。いろいろ買ってくれたり、時々おちゃめないたずらされたり…」
思い出して、小さな笑みを漏らす。
「嫌やったわけちゃいます。うちはそんな兄が好きでした。恋とかとちゃうけど、好きでした」
そんな兄が行方知れずになって、もう一年…
もしも会えるのなら、伝えたい。
精一杯のありがとうを。
心からの気持ちを。
「マスターは、そんな兄にどこか似てます。物静かなその纒う空気が」
「そいつは光栄だが…」
褒めすぎだぞと、マスターが笑う。
そこに、厨房からカレーの良い匂いが漂って来た。
「お待たせしました」
焔の特製カレーが客達に振る舞われる。
天国には届けられないけれど、代わりにここにいる皆に食べて貰えたら…この想いも伝わるかもしれない。
(…お兄さんと会えますように)
みちるの前には、そう祈りを込めながら皿を置いた。
「この味は、俺には出せないな」
それが出来れば店のメニューに加えたいところだと、マスターが言う。
焔にしか出せない、特別な味。
例えレシピを教えられても、同じものは作れないだろう。
やがて時が移り、客達はひとりふたりと席を立ち始める。
帰り際にみちるがマスターに託した手紙には、兄への想いが綴られていた。
――
兄さん元気ですか
いま、うちは撃退士として久遠ヶ原で一人暮らししています
びっくりするでしょうね
ずっと甘えん坊だったうちが一人暮らしなんて
しかも撃退士なんて
お伽話みたいなご縁あって
うちは今なんとかやってます
もちろん色々大変だけれど…
兄さん
もし再び会うことあったら
自慢の妹やっていってくださいね
――
小さく一礼して、みちるは店を出る。
(うちの知っている人がみな、幸せでありますように)
様々な想いと共に、バレンタインの夜は静かに更けていった――