「また呼び出し、か…。いい加減なんとかしないとキリが無いわね」
知らせを受けて集まった科学室の一角で、東雲 桃華(
ja0319)が腕を組む。
「でも、リュールの真意は見えてきたわ…」
「つまり、中村さんは私達を強化する為の踏み台として用意された、かませ犬というポジションになるのですね」
レイラ(
ja0365)が言った。
「そう考えると、少しだけ哀れにも思えて来ますね」
「でも、中村が自由に動くようになっちゃったら、いっぱいいっぱいみんなが傷付いちゃうのだよ…」
報告書に書かれた彼の行動を思い出し、フィノシュトラ(
jb2752)は悲しげに目を伏せる。
「街のみんなを守るために、中村との決着をつけるのだよ!」
「ええ。ここで足を止めている場合ではありません」
カノン(
jb2648)が頷いた。
最低限のゲート破壊は叶ったが、その程度では求められる力には届かない。
まだまだ、最初の敵役として用意されたシュトラッサーの段階…それとて、まだ超えられた訳ではなかった。
「これ以上、彼の醜さが他人を傷つける前に斃しましょう」
「最悪の結末を迎え無い為にも、気張らないとね」
レイラと桃華が決意に満ちた表情で頷く。
「でも作戦はどうする? 向こうの要求通り、先生を連れて行く方向で良いのかしら」
「俺はそれで良いと思う」
周防 水樹(
ja0073)が言い、少し離れた所で話を聞いている門木の方をちらりと見た。
視線を向けられて、門木は意味もなく弄っていた何かを机に置いて背筋を伸ばす。
「そうですね。多少危険ではあると思いますが…」
カノンが言った。
向こうが出して来た条件を考えると、連れて行かない訳にはいかないだろう。
「先生の身は私が守りますから」
「私も、先生の護衛に回らせて貰いますね」
桃華が申し出たその隣で、獅堂 遥(
ja0190)も口を開きかける。
だが、結局そのまま黙ってしまった。
「…どうした?」
門木に問われ、遥は何でもないと首を振る。
不思議そうに首を傾げる門木に、青空・アルベール(
ja0732)がぺこりと頭を下げた。
「危ないことさせてごめん。先生もちゃんと自分の事、守ってね」
「…俺は、大丈夫だ」
足手纏いになりそうなのは申し訳ないが、皆が頼りになる事は知っている。
青空の癖毛をくしゃくしゃに掻き回し、門木はその場にいる全員に目を向けた。
「…お前達、こそ…無茶は、するなよ」
「それは、約束できん」
答えたのは蛇蝎神 黒龍(
jb3200)だ。
「中村が荒れた一件はボクのせいやからね、仇というには可笑しいけど拳の1つぐらいはかましたい」
多少の無茶でもしなければ、拳は届かないだろう。
それに…天使でなくとも、ディバインナイトでなくとも、自分の身体で護り推し通す事を知ったから。
糸の様に細い目が、傍らの少年に向けられる。
ずっと護りたかった、唯一無二の存在。秤にかける事の出来ない大切なモノ――
「悪魔が騎士にやなんて、おかしいやろか?」
「別に。悪魔にも騎士階級はあるし」
その問いに、七ツ狩 ヨル(
jb2630)は素っ気なく答える。
「いや、そないな意味やのうて…」
まあいい。例えおかしな事だとしても、この決意は変わらないのだから。
「…よし。じゃあ行こうか」
刑部 依里(
jb0969)が気合いを入れて立ち上がる。
「皆、終わったら僕が飯を奢ろう。全力で、フラグを握りつぶそうか」
大人なお姉さんが奢ってくれると言うからには、高級料理に違いない。
これは期待せずにはいられなかった。
「待て、それじゃ僕の財布が重体になるよ」
高級店での値切り交渉はまず無理だし。
でも大丈夫、財布のダメージはきっと誰かが肩代わりしてくれるさ!
薄暗い廃工場の中に、ゲートが放つ青白い光が揺れている。
「…何だよ、奴は来ないって…どういう事だ、おい高松!」
その光に横顔を照らされた中村は、携帯に向かって叫んだ。
「お前、何とかするって言ったじゃねぇかよ!」
『結果を保証するとは言ってない』
返って来る冷ややかな声。
『それに、取引が失敗したのは俺のせいじゃない。お前、舐められてんだよ』
「…んだと!?」
『負け犬の遠吠えにビビる奴がいると思うか?』
「…く…っ」
確かに前回は負けて逃げ帰った。悔しいが、それは紛れもない事実だ。
「だったら…引きずり出してやる」
サーバントの大群をバラ撒いて、この町をメチャクチャにしてやる。
「奴に、そう伝えてくれ」
わかった、という短い返事と共に通話は切れた。
ゲートの出現後すぐにコアが破壊され、サーバントの拡散もなかった為に、今も避難指示が続いている地域はそう広くない。
解除前に勝手に戻って来る住民も多かった。
「舐められてる、か。確かにそうだな」
中村はゲートの残骸に向き直る。
「だったら、そいつを後悔させてやる!」
下僕達が溢れ出し、廃工場の壁をすり抜けて四方八方に散らばって行く。
それは、十人やそこらの撃退士で対処できる数ではなかった。
「…でも、何か妙なんだよな」
通話を切って、高松はちらりと校舎を振り返った。
科学室の窓の向こうには、門木の姿が見える。
出掛けて行ったのも生徒達だけだ。
ただ…
「一人、見慣れない奴が増えてたんだよな」
単に戦力を増やしただけとも思えるが、或いは何か仕掛けて来たのかもしれない。
「念の為、確かめておくか」
高松は公衆電話を探しに、商店街の方へと歩いて行った。
足の速い獣達が次々と壁をすり抜けて行く。
少し遅れて鈍重な鎧武者もその後に続き、壁に向けて一歩を踏み出した。
しかし――
ガンッ!
その体は壁に跳ね返され、たたらを踏む。
続いて次々とぶち当たるその振動で、廃工場がビリビリと揺れた。
「何だ!?」
突然の透過能力喪失に、中村は慌てた様子で周囲を見回す。
と、そこに。
「残念だけど、そうそう思い通りにはいかないよ…ヤマト」
破れた天井の隙間から、声が降って来る。
同時に入口の大きなドアがギイギイと耳障りな音を立てて開き、廃工場に白い光が差し込んだ。
その中に浮かび上がる、撃退士達の影。
彼等は混乱したその場に飛び出すと、サーバント達を一気に蹴散らして中村までの道を作る。
あっという間の出来事に思考が追い付かないのか、中村はただ呆然と事の成り行きを見守っていた。
「町の人は避難させた。それに、この場所は撃退士達が取り囲んでる」
空いたスペースにふわりと舞い降りる、黒い翼。
その影に寄り添う様に、もうひとつの翼が付き従う。
「撃退庁のコイケに頼んで、援軍を出してもらった。外に出たサーバントも、彼等がすぐに始末してくれるよ」
「ボクらは残ったキミと、取り巻きだけを相手にすればええっちゅう寸法やな」
何が起きるかわからないと考えたヨルの読みは当たった。
傍らの黒龍は、まるで自分の手柄の様に誇らしげに胸を張る。
「約束通り、カドキは連れて来た」
その声に応え、撃退士達の一団の中から門木が歩み出た…が。
「誰だ、お前?」
中村がそう言ったのも無理はない。
今日の門木は金髪に赤と緑のメッシュ、無精髭を綺麗に剃った肌は小麦色で、至る所にキラキラ光るアクセサリをぶら下げていた。
ちょっと見、チャラい兄ちゃんといった所か…ただし、ちょっと老け顔の。
「まあボクの変装にも騙されるくらいやから、わからんでも無理ないかー」
黒龍がくすくすと笑う。
「でも、今度は本物やで? ほれ、こうして並べば違いは一目瞭然やろ…それともボクの顔忘れたん?」
「証拠は!?」
問われて、門木は片方しかない白い翼を展開する。
その特徴を持つ者は極めて珍しいと、それは中村も大天使から聞かされていた。
「なるほど、確かに本物っぽいな…って事は、あいつも騙されたって訳か」
「あいつって、誰の事なのだよ?」
フィノシュトラがさりげなく訊いてみる。
だが中村は答えず、ふんと鼻を鳴らした。
「教えねぇよ。俺は頭は悪いがな、恩人を売る様な下衆な真似はしねぇんだ」
「恩人?」
問い返した言葉を無視して、ゲートの前に立った中村は門木を指差す。
「来い。俺の仕事は、お前を大天使の所に連れて行く事だ。お前がここに入れば、俺も大人しく引き下がってやる」
だが、その視界から門木の姿を隠す様に、桃華とカノンが立ち塞がった。
「先生、だめですよ」
「行ってはいけません」
二人の声に、門木も神妙に頷く。
「おいおい、それじゃ約束が違うだろ?」
中村が大袈裟な身振りで首を振って見せたが、ヨルは静かな声で言い返した。
「指定の場所はあくまで『この前のゲートがあった所』でゲート奥じゃない筈だよ」
「屁理屈こねてんじゃねぇ、このクソガキ!」
中村はそう叫ぶと、自らゲートに飛び込んだ。
入れ替わりにサーバント達が湧き出して来る。
「そいつを渡さねぇ限り、こいつらの増殖は止まらねぇぞ!」
その声に、撃退士達は顔を見合わせた。
「引き籠もっちゃったね」
「でも、わざわざ向こうの有利になる所に飛び込んで行くほど、私達は甘くないのだよ!」
青空とフィノシュトラが何やら含み笑いをしながらレイラを見る。
「これは、あの作戦を実行に移すしかない様ですね」
真面目かつ真剣な面持ちで頷いたレイラが厳かに取り出したのは、くさやの干物。
「出来ればこんな非道な手は使いたくなかったのですが…」
非道と言うかシリアスブレイクと言うか。
世界一臭い食べ物と言われるシュールなんとかの缶詰は値段の壁に阻まれて用意出来なかったが、これでも威力は充分だろう。
「慣れていない方には生理的に耐えられないニオイなのだそうですよ」
レイラは慣れている…らしい?
それに火を点け、煙が出始めたところでビニール袋に入れて、密閉すればニオイ爆弾の出来上がり。
それを持って、レイラは走った。
迫り来るサーバント達の群れを華麗にかいくぐり、ゲートの中に――ぽいっ。
そして待つこと暫し。
「…げほっ! ぐほぐへがはっ!!」
ゲートの中から咳き込む声が聞こえ…
「くっせえぇぇぇっっっっっ!!!」
中村が転がる様に飛びだして来た。
その機を逃さず、レイラは横合いからの烈風突で思い切り突き飛ばし、ゲートから遠ざけた。
「げほっ、ぐはっ!!」
まだ咳き込んでいる中村の周囲を撃退士達が取り囲む。
「さあ、決着を付けようか」
依里が呼び出したスレイプニルが、開け放されたままの出口を塞いでいた。
反対側にあるもう一方の出入口は扉が閉ざされたままになっている。
他に通れる場所はなく、阻霊符を使われた今、中村と配下の下僕達はこの狭い空間に閉じ込められた形となった。
「この後、皆に飯を奢る約束があるんでね。ランチタイムに間に合う様に倒されてくれないか?」
「ふざっけん…げほっ!」
ふらふらと立ち上がった中村は、涙目で撃退士達を睨み付けた。
ニオイ爆弾に殺傷力はないが、別な意味で色々とダメージが大きかった様だ。
少し可哀想な気もするが、立ち直る前に一気に決めてしまおう――
その頃、科学室には二人の生徒が残っていた。
「何だ、これ?」
高松の目を誤魔化す為に門木に化けた緋伝 璃狗(
ja0014)は、机の上に置かれたガラクタを見付けて手に持ってみる。
「ああ、さっき先生が弄ってた奴だな」
レコーダーをセットした電話を部屋の隅に移動させながら、ミハイル・エッカート(
jb0544)が答えた。
「作りかけのオモチャにも見えますけど」
「この間の夢で、似た様なロボットを見た気がするな」
門木も同じ夢を見たのだろうかと、ミハイルは首を傾げる。
「と、場所はここで良いか?」
「そうですね、そこなら窓からも死角になってますし」
ミハイルの姿は外から見えない様に、代わりに門木(代理)の姿が目立つ様に。
璃狗は素の状態でも伊達眼鏡にくすんだ緑色のカツラを付け、ファンデーションで肌の色を近付けていた。これで万が一変身が解けても、遠目くらいは誤魔化せるだろう。
出入口には例の看板が立ててある。もし誰か生徒が訪ねて来ても、不在だとわかる筈…
「あれ、先生いるじゃん! 居留守?」
まあ、たまには看板の後ろを覗き込む、こんな生徒もいる訳だが。
そんな時には璃狗の口パクに合わせて、ミハイルが門木の声色で答える。
「…すまん、今は、ちょっと…手が離せない」
「あれ、今なんか別の場所から聞こえた気がするけど…まあ良いや。また後で来まーす」
よし、完璧。これならきっと、高松も騙せる。
暫く後、部屋の隅に置いた電話が鳴った。
机の上で璃狗が電話を取る真似をし、手元に置いたレコーダーのスイッチを入れる。
「…俺だ」
『先生、本気で行かないつもり? どうなっても知らないよ?』
「…大丈夫だ。俺は、生徒を信じて…いる」
『へえ、それはそれは…』
茶化す様な笑いを含んだ声が聞こえる。
「…お前、つらいのだろう? …救いたい…から、少しでも…話をしないか」
『先生、安っぽい学園ドラマの見過ぎだよ』
名前は、と訊く前に通話は切れた。
「七ツ狩、獣型は任せた」
ヨルの戦法は恐らく範囲攻撃だろう。そう考えた水樹はゲートから際限なく湧いて来る鎧武者にリボルバーの照準を合わせた。
「じゃあ、いくよ」
やはり敵は中村を護る様に密集している。
ヨルはヘルゴートで自身を強化すると、そこに炎の花を咲かせた。
踊り狂う炎を裂いて、水樹が放ったアウルの銃弾が飛ぶ。
上空からはフィノシュトラが魔法の槍を生み出して、炎に巻かれた敵に追撃を加えた。
「皆の邪魔はさせないのだよ!」
依里もスレイプニルの存在を誇示するかの様に空中からの攻撃を指示する。
「一人では出来ない事も、召喚獣がいれば出来る事も多くなるものさ」
中村の周囲に空間が出来る。そこにレイラが飛び込んで行った。
闘気を解放し、大太刀でその足元を薙ぎ払う。
だが中村も、そういつまでも守勢に立たされてはいなかった。
「舐めてんじゃねぇぞテメエら!!」
手にした槍でその攻撃を受け止めると、そのまま押し返し、衝撃波を放つ。
「渡す気がねぇなら奪い取るまでだ。後悔させてやるぜ、素直に渡しときゃ良かったってなぁ!!」
中村は黒い翼で宙を駆けると、門木との距離を一気に詰めた。
だが、彼を護る者達はそれ以上の接近を許さない。
緑火眼を使って敵の群れに紛れた青空が、その攻撃を避けながらアルニラムを放つ。
(強くなって、ちゃんと守れるようになる。リュールが安心して私達の仲間になってくれるように)
青く光る蜘蛛の糸が、中村の体を絡め取った。
(だから、ここで仲間を傷つけさせる訳にはいかない)
青空の狙いは翼をもいで飛行能力を奪う事。
だが、天魔の翼は実体を持たないエネルギーの塊。ダメージを与える事は出来ても、もぎ取る事は出来なかった。
「なら、引きずり下ろす!」
中村の腕に絡めた糸を思い切り引く。
「ってぇなこの野郎っ!」
それを力任せに振りほどき、中村は槍を大きく一閃させた。
白熱した刃が飛び、周囲のサーバント諸共に青空の体を切り裂いていく。
「…っく…っ、でも、負けないのだよ!」
青い風が巻き起こり、中村の体を捉えた。
「桜、見にいきましょう。ね? 先生」
遥はそう言うと、ふわりと中村の前に出る。
(本当は先生を護りたい)
閉じた瞳に映る笑顔。伸ばされた手が桜吹雪に覆われる。
(けれど今は中村を屠る為刃を振るおう)
何時か現実にする為に。
鋼色の瞳は開かれ、紅色に染まる。
「力では負けるかも知れない、でも、私達には心があり言葉があり繋がりがある、それを束ねて剣に盾に、そして空翔る翼にへと、そうすれば何時か貴方達にも届くでしょうか」
黒龍のナイトミストによってその身を深い闇に包んだ遥は気を練り上げ、次の瞬間それを爆発させた。
「はあぁぁっ!」
両刃の直剣が頭上から振り下ろされる。
一瞬、それを槍で受けようとした中村の動きが止まった。
「…黒糸霧奏、なんてな」
それは黒龍が張り巡らせた黒い罠。
効果は一瞬でも、僅かに遅れた防御は遥の一撃を止めきれず、中村は額から血を流す結果となった。
目に入りそうになった血を拭い、中村はひとまず空中へ逃げる。
それを見上げ、依里は考えた。
(僕自身が打って出るのは難しいだろうね)
しかし、中村が焦っているのは青筋を立てたその表情を見ればわかる。
この場合、弱い者から確実に潰して数を減らすのがセオリーだろう。
(召喚獣のいないバハムートテイマーなんか絶好の標的だろうね)
つまり、自分だ。
スレイプニルは既に還し、戦力としては物の数にも入らない。だが召喚獣という切り札を温存していると見れば、潰しにかかる筈だ。
(――数で劣る以上、フルボッコにされる可能性もあるか)
それでも自分を狙わせ、その間に他の仲間に攻撃して貰う。
その為に、耐える。目的の為には手段を選んでいる場合ではなかった。
だが、中村の焦りは依里の想像を超えていた。
ここで何らかの成果を出せなければ、もう後がないのだ。
「くそっ、俺は…こんなもんじゃねえ! 止められるもんなら止めてみやがれっ!!」
得物を剣に持ち替えた中村は、上空から衝撃波を放つ。
交差する刃が、真っ直ぐに門木に向かって飛んだ。
同時に獣達が四方八方から飛び掛かる。
「俺は、もっと…もっともっと、力が欲しいんだ!!」
壊す為の力が。他人を不幸にする為の力が。
だが、撃退士達がそれを許す筈もなかった。
「させません!」
門木の前に立ったカノンは防壁陣を展開し、盾を構える。
これは以前見た直線貫通攻撃。盾で受け止めても、ダメージは後ろに突き抜ける。
ならばと、カノンは二人分の痛みを纏めて受ける覚悟で庇護の翼を広げた。
ただでさえ重い一撃が、倍になってのしかかる。
だが、カノンは耐えた。
そう何度も耐えられるものではないかもしれないが、仲間達とて腕利きの者ばかり。そう何度も攻撃を通すほど甘くはないだろう。
「危険な戦いになるけど…護りきってみせる。負け犬の好きにはさせないわよ!」
襲いかかる獣達を蹴散らしながら、桃華は中村を睨み付けた。
カノンが止めているとは言え、門木をこれ以上狙わせる訳にはいかない。
「私の事、覚えてるでしょ? 忘れるわけないわよね、泣きながら逃げ帰ったんだから」
あれは油断して受けた傷、中村にとっては胸糞悪い過去に違いない。
そこをつつけば挑発に乗って来る筈だ。
しかし、中村の狙いは変わらなかった。門木と彼を護るカノンに向けて、白熱の刃が容赦なく襲いかかる。
飛翔を続ける中村に桃華の戦斧は届かない。仕方なく飛燕翔扇を投げ付けるが、余り効いている様には見えなかった。
何とかあれを地上に落とさないと――
「任せるのだよ」
青い風に乗せて、青空が放った蜘蛛が飛ぶ。それは中村の足に絡み付いた。
「逃がさない。これ以上好き勝手は、させない!」
青空は青く光る糸を思い切り引っ張る。
(仲間の攻撃に繋げ確実に打たせる、それが私の為すべきこと)
その同じタイミングで、中村の背後に巨大な影が現れた。
「スレイプニル、地面に叩き付けろ」
依里の命令に従い、馬竜はその後ろ足で強烈な蹴りを見舞う。
「ぐぁっッ」
糸に引かれ、叩き落とされて、中村は地面に膝をついた。
その機を逃さず、駆け寄った桃華が戦斧を振り下ろす。
「させるかッ」
中村の足元にシールゾーンの魔法陣が展開されるが、桃華は構わず突っ込んで行った。
「同じ轍は二度と踏まないわ…あなたと違って」
回避は出来なくても、弱体化が予測出来れば慌てる事もない。
それに、スキルが封じられてもゲートでの戦いよりはマシだった。
振り下ろされた戦斧を、交差させた二本の剣が受け止める。
反撃に転じようとしたその背中にスレイプニルの蹴りが飛んだ。
桃華に前を塞がれて逃げ場を失った中村は、その攻撃をまともに受けて膝をつく。
その右には遥、左には黒龍が立ち塞がり、逃げ場を塞いだ。
しかし中村は背後を抑えるスレイプニルの腹の下をかいくぐり、包囲網を脱しようと走り出す。
が、そこにはレイラが待ち構えていた。
「何処へお出でですか?」
おもてなしはまだまだこれからだと、烈風突で元の場所へ押し返す。
残された逃げ場は上空のみ。
だが、舞い上がるそぶりを見せれば、その体はたちまち青く光る蜘蛛の巣に捕らえられるだろう。
その間にも、サーバント達の攻撃は続いていた。
ゲートから湧いて来る鎧武者には水樹がリボルバーを撃ち込んで、その出鼻を挫く。
「だが、いつまでもここに貼り付いている訳にはいかないな」
湧き出るサーバントはきりがない。
ある程度の所で見切りを付けて全体の数を減らしていかなければ、廃工場の全体がサーバントで埋め尽くされそうだ。
もっとも、敵の密度が高ければ有利な点もあった。
ヨルが放った炎は多くの敵を巻き込んで踊り狂い、耐久力の低い獣達はそれだけで動きを止める。
残った鎧武者も戦斧に持ち替えた水樹の追撃を受けて次々と崩れ落ちて行く。
無傷なものにはエメラルドスラッシュでダメージを増加させ、水樹は一体ずつ確実に仕留めていった。
ヨルは炎が切れれば氷に切り替えて眠らせ、それも尽きれば斧槍に持ち替えて殴る。
とは言え、全体攻撃が切れれば火力不足の感は否めなかった。
ゲート内での戦いに比べれば楽になったとは言え、何しろ数が多いのだ。
水樹は一斉に振り下ろされる二刀流の攻撃を戦斧で受け流し、払いのける事で敵の態勢を崩そうと試みる。
上手く行けば自身だけではなく、味方の攻撃も当てやすい状況を作れる筈だ…が。
敵が一体だけならまだしも、複数で同時に襲いかかって来られれば流石に防御も厳しくなる。
それでも何とか体勢を整え、押し返しながら、攻撃の隙を見付けては反撃に転じた。
水樹は受けたダメージをリジェネレーションで回復しつつ、可能な限りの敵を相手にして、中村と対峙する仲間達の元へは通さない覚悟で戦斧を振るい続ける。
しかし、そんな彼の思惑を嘲笑う様に、獣達は足元をすりぬけて行った。
「獣型までは手が回らない…フィノシュトラ先輩、お願いします!」
「わかったのだよ!」
フィノシュトラが上空から槍の雨を降らせ、獣達の足を止めさせる。
「私は獣型サーバントの退治に専念するのだよ! 噛みつかれて麻痺になったら大変だしね?」
空中からの攻撃なら動き易いし、相手の牙も届かない。
同じく空を飛べる中村の動きが気になる所ではあったが、そちらは仲間達が抑えてくれていた。
だが、動きの素早い獣達は彼等の攻撃をかいくぐり、中村の命令に従って門木に襲いかかる。
彼を背後に庇ったカノンはユルルングルウィップを猛獣使いの様に振るい、獣達の接近を防いでいた。
その攻撃で飛び退き、着地した所をフィノシュトラの魔法が狙う。
カノンが自由を奪われたら、門木を護る手が足りなくなってしまう。
それだけは絶対に避けなくては。
「先生には手出しさせないのだよ!」
光の翼が続く限りフィノシュトラは飛び続け、獣達を屠り続けた。
数に限りがある彼等は次第に数を減らし――
「さて、そろそろ償いをして貰う時間やね」
残るサーバントが湧き続ける鎧武者のみになった頃、黒龍が言った。
撃退士達に取り囲まれた中村の足元には大きな血溜まりが出来ている。
だが、彼はまだ自分の足で立っていた。
「死ななくていい人間の命を『ただのウサ晴らし』で失った業の償いを」
その言葉に、中村は鼻を鳴らす。
「俺はただ…真似をしただけだ。お前達、天使の」
そう言われれば、天使達には返す言葉もない。
彼等の陣営は、確かに中村と似た様な事をこの世界の各地で行っていた。
そして、今も。
だが、ここにいるのは皆、それに抗して堕天した者ばかり。
現状を変えたいと願う者ばかりだった。
それに、変化を望むのは堕天使達ばかりではない。
「ヤマト、この間の質問だけど」
一つ訂正したいと、ヨルが言った。
「改心とか別に考えてない。俺はヤマトや電話の男の事、何も知らないから」
だから、償いも要求しない。ただ…
「戦う理由とか、もっと知りたいから聞いた。それだけだよ」
「戦いなんかじゃねぇ」
中村はポケットから携帯を取り出した。
その中には、例の電話の男に関する情報も入っている筈だ。
「戦いは、好きじゃねぇんだ」
特に、こんな負け戦は。
「俺がしたいのは、殺戮だ」
「それは、何故?」
青空が尋ねた。彼は何故、使徒になったのだろう。
「破壊こそが生きる理由とか、あんまり楽しくねーと思うのだよ」
「俺は楽しかったぜ?」
他には、楽しい事など何もない。
「…あいつは命の恩人だが…命を救われる前には、俺にもそれなりにあったんだよな」
楽しい事って奴が。
だが、残った唯一の楽しみも…もう続けられそうにない。
「人間やめりゃ、もっと壊しまくれると思ったんだがな」
手から携帯が滑り落ち、廃工場の固い床にガシャリと音を立てる。
それを、中村は無造作に踏みつけた。
「…あ!」
フィノシュトラが思わず声を上げる。
名前だけでも聞くことが出来れば、門木の事も守りやすくなるのに。
「言っただろ、教えねぇって」
中村は乾いた血がこびりついた唇を歪めた。
「さあ、最後の殺戮と行こうぜ」
もっとも、今度は自分が殺戮される側に立っている事は、中村にもわかっていた。
依里はスレイプニルに替えてヒリュウを呼び出すと、残ったサーバントに向けて威嚇の声を上げさせた。
最後のトドメに無粋な邪魔はさせない。
それで注意を引ける数は限られているが、依里は近くに居た数体を引き連れてその場を離れた。
包囲網の中では、中村が最後の悪足掻き。
レイラに痛打され、膝をつきながらも、両手の剣を一閃させる。
十字にクロスした白熱の刃が狙うのは、やはり門木だった。
防御スキルを使い果たしていたカノンは、その袖を引いて共に上空に逃れる。
追いすがろうとした中村はしかし、青空の放った糸に絡め取られ、失速した。
地に落ちた所にフィノシュトラが異界の呼び手を使う。
以前は全く効かなかったこのスキルが、いとも簡単に効果を発揮した。
相手がそれだけ弱っているのだと思うと、つい手を緩めたい衝動に駆られる。
だが、例えここで改心したとしても、見逃す訳にはいかない。
彼は人を殺しすぎた。
「もう何処へも行かなくてええ、ボクらは落ちてきたけど、キミに堕ちる先はあらへん」
その姿を見下ろして、黒龍が言った。
「天国とか地獄とかそんなんのない、無にキミはなる」
シュトラッサーとは言え、元は人間。
同じ人間である仲間の誰かにトドメを任せる事は憚られた。
「慈悲はもうもろたやろ、あの天使さんに――」
呼び出す者を失い、鎧武者の出現も止まった。
残った武者達も統率が乱れ、もはや烏合の衆と化している。
撃退士達にとって、それらを片付けるのは難しい事ではなかった。
「私たちがもっと強かったら、リュールと一緒に堕ちてくることもできたのかな」
中村の遺体を前に、手を合わせた青空が言った。
誰も手を触れてはいない。何か手がかりを探したい所だが、遺品などがあれば専門の処理班が回収してくれるだろう。
「人間時代の知り合いとか、わかると良いのだよ」
フィノシュトラが言った。
そこから何か繋がりが見えてこないか、学園や外部の撃退士に調査を依頼する事も出来るだろう。
「私も接点を探ってみますね」
遥も独自に調査を進めるつもりの様だ。
「救えるのなら君も、救いたかった」
呟いた青空の肩に、そっと手が置かれる。
「…先生」
心配そうに見つめる門木に、青空は精一杯の笑顔を返した。
「うん、大丈夫なのだよ」
それより…ごはんごはん!
「ああ、わかってるよ」
依里が苦笑いを浮かべる。
財布の重体は確定だが、仲間に怪我人が出なかったのは何よりだ。
「足りない分の出資はミハイルに頼もう」
「…くしっ!」
科学室の撤収準備をしていたミハイルが、くしゃみをひとつ。
「エッカート先輩、風邪ですか?」
変装を解いた璃狗が尋ねる。
「いや…多分、誰かが噂してるんだろう」
という事は、作戦は上手く行ったのだろうか。
こちらも相手の声はしっかり録音されていた。
後は、これをどう使うかだが――
「それを考えるのは、皆が戻ってからですね」
「ああ、向こうでも何か収穫があったかもしれないしな」
とりあえず、お疲れさん。
二人は軽く拳を付き合わせた。
「あぁ、空気がおいしいのだよ!」
廃工場から真っ先に飛び出して来たフィノシュトラは、思い切り深呼吸。
「そう言えば、気にしてる余裕なかったけど…」
桃華が服の匂いを嗅いでみる。
「…ぁ」
クサい。これは、あの…
「くさやの匂い、ですね」
こくん、遥が頷いた。
「お食事の前に、お風呂に入りたいです…いえ、入ります!」
拳を握り締め、レイラが断固たる主張を唱える。
「…そうだな…どこか、銭湯にでも寄るか」
「でも、着替えはどうしましょう」
門木の提案に賛成しつつも、カノンは自分の服をつまんでみる。
「コインランドリーにぶち込んでおけば、上がる頃には乾いてるさ」
流石は依里、世慣れた交渉人はこんな時も頼もしい。
「その費用はやっぱり自腹ですよね?」
水樹が財布を確認する。
が、そこは門木が負担してくれるらしい。
「…食事代も、足りない分は俺が出す、から」
頑張ってくれた皆への、せめてものお礼だ。
「ヨルくんと一緒にお風呂やー」
無邪気に喜んでいる、約一名。
風呂上がりの一杯は勿論カフェオレで…そう思いながら、ヨルは廃工場を振り返った。
(…ただ言われた通りに戦うだけじゃ、あっちにいた頃と何も変わらない)
でも、いつか自由に行き来出来る事を望むなら…
色々と知らなきゃいけないんだと思う、多分。
それが何なのか、まだ具体的な形は見えないけれど――