食堂の一角で、生徒達の一団が何やら深刻な面持ちで額を寄せ合っていた。
「わざわざ呼び出したり人質取ったり、前に会ったリュールの感じからあんま想像できないな」
やり方が余りにも違う気がする。大天使とは一度顔を合わせた事がある青空・アルベール(
ja0732)が、どうにも釈然としない様子で首を傾げた。
「うん、なんだか話に聞いてるリュールの性格と行動が一致しない」
七ツ狩 ヨル(
jb2630)も、あの最初の事件については報告を読んでいた。
「電話をかけて来たのがナカムラじゃないのも、変」
ナカムラがリュールの使徒なら、その命令を受けて実行に移すのは彼の役目である筈だ。
「リュールと電話の主は、今回繋がっていないように思えるね」
青空が頷く。
「何か裏がありそうな気がするけど…」
今のところ、それが何なのかは見当も付かない。
そうである以上、今は向こうの指示に従うしかなかった。
「いつまでもあちらのペースでは、いずれ失敗する時を待つしかない…という事にもなりかねませんね」
カノン(
jb2648)が声に悔しさを滲ませる。
しかし、このまま向こうの思い通りに事を運ばせる訳にはいかないのだ。
「人も守り、先生も傷つけさせないのは大前提、その先の成果を手に入れないと」
その為に打てる手は全て打っておく事が重要だろう。
「電話の男子生徒は、前に門木先生を呼び出した人と思われますが…」
使徒ナカムラの手下か何かだろうかと、照葉(
jb3273)が言った。
しかし、リュールとの接点がわからない。
大天使リュールと、その使徒ナカムラ、そして謎の学園生。
この三人が、それぞれにどんな役割を持ち、どんな思惑で動いているのか…まずはそれを知る必要がありそうだった。
「聞き役は、先生にお願い出来ないでしょうか。直接、思いの丈を伝えてみては如何かと」
それを聞いて、門木が顔を上げる。
「先生は囮くらいにはなるだろうと仰いましたが、流石にそれは危険すぎますし」
照葉の言葉に、フィノシュトラ(
jb2752)が頷いた。
「そんな事しなくても、住民のみんなはちゃんと助けるのだよ!」
勿論、門木もしっかり守る。
「だから、先生はリュールさんとしっかり話し合ってほしいのだよ…」
「そうですね、当人同士しか通じ合えない事ってあると思いますし」
東雲 桃華(
ja0319)が言った。
話し合いで解決出来れば、それに越した事はない。
「ただ、それで先生が向こうに下るのは絶対に認めませんから」
例え門木が自らがそれを望んだとしても。
そんな素振りを見せようものなら、殴ってでも目を覚まさせてやる――と、桃華の視線からそんな思いを感じ取った門木は、小さく苦笑いを浮かべた。
「…大丈夫、だ。戻る気は、ないし…それに、俺はここに居ても…良いんだよ、な?」
「当たり前です!」
自分がどれだけ慕われているか、まだわかっていないのかこの人は。
本気で一発ぶん殴ってやりたい衝動を堪えつつ、桃華は門木を睨み付けた。
「…そうか。うん」
だが、妙に嬉しそうな様子で頷いた門木を見て、視線のトゲはあっという間に丸くなる。
そんな顔をされたら、ついつい保護欲をそそられてしまうではないか。
「…だが、素直に聞いてくれれば…良いんだが、な」
「大丈夫です」
獅堂 遥(
ja0190)が請け合う。
「私が援護しますから」
それに、遥自身にもリュールに対して問い質したい事があった。
「…わかった。頼りに、させて貰う」
門木は頷き、自分を取り囲む生徒達の一人一人と目を合わせる。
「…カドキ、十分気をつけてよ」
少し心配そうに見上げたヨルの頭を、門木はぽんぽんと軽く叩いた。
「…お前達、こそ…気を付けろ、よ」
相手は大天使だ。本気で来られたら、戦いに慣れた彼等でも無傷では済まないだろう。
だが、生徒達の様子には気負いも緊張も見られなかった――少なくとも表面上は。
「では、先生はまずこちらへ」
レイラ(
ja0365)が門木の袖を引く。
「袂を分かったとはいえ、リュールという方は門木先生の恩人であることには変わりがありません」
よって、いつもの格好は却下。
「先生には、どこにいっても恥ずかしくない様な盛装をして頂きます」
にっこり。
指定の日時まで、まだ時間がある。その間に衣装を見繕い、本人にも磨きをかけるのだ。
先日の旅行では時間が足りず、この跳ね回るボサボサ頭までは手が回らなかったが、今度は細部まで手抜かりなくきっちりと。
その間に、周防 水樹(
ja0073)ら数人の仲間は援軍の手配に動く。
学園生からの依頼という事であれば電話でも用は足りるし、その信憑性を疑われる事はないだろう。
だが、彼等は自分の足で直接出向く事を選んだ。
その背を見送り、カノンはひとり呟く。
「サーバント全てから人々を完全に守りきるのは、この人数では無理…」
それは承知している。
要請に従ったとはいえ、それで本当にサーバントが動かない保証はない事もわかっている。
「であれば外部の撃退士の協力は必須ですが…」
やはり時間までは連絡を入れたくないというのが彼女の本音だった。
「内部に敵がいるのが確実なこの状況で、完全に内密に準備を進める事はできませんし」
相手に知られたら、どうなるのだろう。
その時点ですぐにサーバントを動かされたら、自分達も間に合わないかもしれない。
「それはそうだけどね」
眉間に皺を寄せたカノンの肩を、刑部 依里(
jb0969)が軽く叩く。
「内通者がいるなら、今この状況も筒抜けなんじゃないかな」
通報禁止と、住民に危険を知らせるな。相手の要求はそれだけだ。
「章治先生を連れて来なかったら皆殺し、そうでなければ不明…だったら、場の空気を掴んだ方が勝ち、だ」
「そういうものでしょうか?」
カノンの問いに、依里は「さあね」と肩を竦める。
「ただ、人質を殺してしまえば交渉の決裂は避けられないだろう?」
人質は自分の要求を通す為の、言わば最後の切り札だ。
普通、それを最初から切って来る者はいないだろう。
「だから、そう心配する事もないと思うよ」
まだ腑に落ちない様子のカノンに、依里は小さく笑いかける。
「良かったら、今度カードゲームでも教えてあげようか」
トランプには様々な種類の遊び方があるのだ――ババ抜き以外にも。
「…なるほど、大体の事情はわかった」
水樹、ヨル、フィノシュトラ、そして照葉。
彼等の話を聞いて、応対に出た撃退庁の職員は頷いた。
「こっちの事前の動きを制限するって事は、事前に動いた場合、それを察せられる位置にいるって事だよね」
彼は多分、外部撃退士か一般人の中に紛れてる筈だ。ヨルはそう考えていた。
「事前行動の察知が出来るなら、一般人の方が可能性は高いかもしれないけど…」
消臭される撃退士達の中に紛れ込んでいないとも限らない。
「出来るなら、参加者の身元確認を徹底して頂きたいのですが」
照葉の言葉に、職員は少し意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「身元が確認出来れば安心なのかい?」
「…と、仰いますと?」
「例えば、学生証を見れば君の身元はわかる。でも、君が心の中で何を考えているか、そこまではわからないだろう?」
だから、身元の確認だけで白黒は決められない。
「もっとも、心にやましい事を抱えた者はそうしたチェックを嫌がる事が多い。心理作戦としては有効だろうね」
職員はそう言って、身元確認の徹底を確約した。
「他には?」
「敵がすでに潜伏している可能性がある。それに、こちらが時間までになんらかの行動を起こすと敵が攻撃を開始する可能性もある。以上の点から、慎重に、時間が過ぎてからの行動をお願いしたい」
臆する事なく言う水樹の態度は、高校生とは思えない程に落ち着いていた。
「敵の動きに合わせるのは癪だと思う。俺もだ。だが、迂闊な行動で敵を刺激したくない。どうか、よろしくお願いする」
「それで、こちらの役割は?」
「住民の避難を手伝ってもらいたいのだよ!」
フィノシュトラが答える。
「約束の時間まではこっそり隠れていてもらって、時間になったら住民のみんなの避難誘導をしてもらうのだよ!」
「こっちが攻撃して敵を引き付けるから、その間に一般人避難させて」
ヨルがこくりと頷きながら付く加えた。
「撃退士達には、町内のどこかに潜伏して貰うのは可能だろうか?」
水樹の言葉に、職員は町の地図を机に広げる。
「どこかって言ってもなぁ…小さな町だ、隠れるにしたって限度があるぞ?」
避難誘導を担うと言うなら、少なくとも百人程度は必要だろうか。
観光客を装ったとしても、人目に付く事は避けられそうもない。
「山の中なら、いくらでも場所はあるが」
だが、水樹は首を振った。
「そこには敵が潜んでいる可能性がある。恐らく、敵の大部分は山側から来るのだろう」
「だったら、バスに乗っていて貰うのはどうかと思ったのだよ!」
フィノシュトラの言葉に、全員の視線が集中する。
「観光バスなら町の中を走っていても怪しまれないし、気付かれずに準備できそうなのだよ! 避難する人をバスに乗せるのも良いと思うのだよ!」
「なるほど、嬢ちゃん頭良いなぁ」
頭を撫でられて、フィノシュトラは子供じゃないと抗議するが…それは受け付けて貰えなかった。
「サーバントが山側から来るなら、住民の皆さんには中央の幹線道路にまず避難してもらうのが良いでしょうね」
照葉が地図の中央を走る道路に指を置く。
「避難場所が近くにあるなら、そこに纏まって頂いて…なければそのままバスに乗せて安全な場所へ避難して頂くという事でどうでしょう」
「後は情報漏れがないように気を使ってもらわないとだね?」
「…指揮を執るのは、おじさん?」
ヨルの問いに職員は頷き…ついでに「お兄さん」と訂正してみるが、そちらは勿論あっさりと聞き流された。
「何か不測の事態があったら教えて。それと、名前」
怪しい奴を全員調べてる暇は無い。だからせめて、何かあった時に少しでも早く対処出来るようにと、ヨルは小池と名乗った職員に携帯の番号を教えた。
これが役に立つ様な事が、なければ良いけれど――
そして当日。
小さな町には、普段と同じ平穏な時が流れていた。
一時間に数本、乗客を満載した観光バスが走り抜けて行くが、その乗客が撃退士である事は勿論、そのバスが町の外で折り返し、何度も通り過ぎている事に気付く者もいない様だ。
「正午と指定している以上、それまでは動かないだろう。散歩してくるよ」
まだ時間はあると、依里は仲間から離れる。
住民の様子や、避難経路などを組み立てる為だ。
「バックパッカーでね、この町の地図があれば貰えないかい?」
観光案内所で簡易地図を受け取ると、依里は山の方へ向かう。
同じ頃、照葉もまた町の様子を見て歩きながら、地図に目を落としていた。
「この町は南北に長いのですよね」
出来れば南北に分かれて数人ずつの組になり、お互い補完できればと思ったが、どうやらサーバントに対しては各個撃破の流れになっている様だ。
「外部の救援もある事ですし、そこは大丈夫そうでしょうか」
顔を上げた照葉の目の前を、観光バスが走り過ぎて行く。
あのバスにも撃退士達が乗り込んでいる筈だ。
手配したバスは他にも何台かある。それぞれのバスが指定時刻には全て町の中に入っている様に、運行時間を調整していた。
道を挟んだ反対側では、水樹が春休みを利用して観光に訪れた学生のふりをしながら、町の地理を確認していた。
学校に公民館、病院や役所など、避難場所になりそうな建物は幹線道路沿いに並んでいる。
この辺りを歩いている人達に関しては、避難させるのはそう難しくなさそうだった。
問題は、そうした設備のない町外れにいる人々だが…
「そんな場所を集中攻撃されたら、防ぎきれないな」
水樹は足を速め、郊外に急いだ。
「俺はただ、敵を食い止めるだけだ」
後はきっと、仲間達が上手くやってくれる。
「リュールは厳しいけど優しい人って印象だったけどな」
住宅街を歩きながら、青空はその地理を頭に叩き込む。
その合間に考えるのは、やはりリュールの事だった。
「本当に門木先生を殺したいんだろうか」
そうは見えなかったし、殺すつもりもなさそうに思えた。
自分達に対する攻撃もかなり手加減している様子だったし…
「掟ってそんなにもどうにもならないものなのかな」
天界の事も、天使が考える事も、よくわからない。
「…でもこちらも人質とられてる」
退くつもりはなかった。
「全員助ける、そのつもりで行く」
門木も人質にされている人々も、助けたいのだ。
暫く後、周囲の山に潜んでいる筈のサーバントの姿を捉えようと、依里はヒリュウを召喚した。
山裾の林の上をふよふよと漂うヒリュウの目に、何か白いものの姿が映る。
それは自らの翼で体を覆い、半ば木の幹に埋もれるさなぎの様な姿でじっと命令を待つ、顔のない天使達の姿だった。
「あれが例のサーバントかい」
五体ほどが纏まっている様だ。残りはまた別の場所に隠れているのだろうか。
その場所を地図に記し、依里は索敵を続行すべく、その場を離れようとした。
と――
「ピンク色のヒリュウとやらは、目立つものだな」
背後から良く通る澄んだ声がした。
「偵察とは、秘密裏に行うものだ」
「…っ!」
振り返った途端、淡い水色の瞳が依里を射る。
腰まで届くプラチナブロンドのストレートヘアに、透ける様な白い肌、そして眩い純白の翼。
大天使リュール・オウレアルが、そこに居た。
「指定された場所は、ここですか…」
何か歯車が合わない様な不安な気持ちを抑えつつ、レイラは町の野球場に足を踏み入れた。
しかし、自分達がしっかりしなければ門木は守れない。
その門木は今、レイラ言う所の「どこに出しても恥ずかしくない服装」である、銀色にも見える淡いグレーのタキシードに身を包んで、緊張の面持ちで後に続いている。
元々身長もあり、今日は髪型にも気を遣った事もあって、なかなかの男前に見えた。
そして左右を遥と桃華、そして背後をカノンに守られ、両手に花どころか花に囲まれたハーレム状態…と言いたい所だが、今はそれを喜んでいる場合ではない。
指定の時刻までは、あと一時間ほど。
リュールは約束通りに現れるだろうか。そして、兵を退いてくれるだろうか――
(門木先生…、狙われるのはやっぱり…堕天したからなのかしら)
隣の様子をちらりと見上げて、桃華は思う。
それとも、それ以外にも何かあるのだろうか。
(…いえ、今は理由なんてどうだっていいわ。護るしかないんだもの、私達の先生を…)
その頭に、大きな手がそっと置かれた。
そこから伝わって来るのは、信頼と、心配と…それに、申し訳なさが少し。
だが、不安は感じられなかった。
門木を見上げ、桃華は笑顔を返す。
と、その時…レイラの携帯が鳴った。
「もしもし…刑部さん?」
相手は偵察に出ていた依里だった。
『すまない、ドジを踏んだよ』
サーバントが動き出した――依里がそう言い終わらないうちに、野球場の上空に白く輝く姿が現れる。
続いて、町の各所に設置された防災無線が鳴り響き、緊急事態を告げた。
それは突然動き出した。
白い蛹が蝶に羽化するが如く翼を広げ、山腹のあちこちから湧き上がる。
「撃退士の娘よ、その行動は反則だ」
リュールは口の端を歪めて僅かに笑みを見せると、高度を上げた。
「約束は違えられた。遠慮無く攻撃させて貰うぞ」
「待て!」
だが、リュールは依里を無視して町の北東へ飛んで行く。
その辺りには、門木達が待つ野球場がある筈だった。
依里は仲間達に連絡を入れつつ、その後を追う。
周囲からは白い天使達が次々と現れ、依里を追い越して町へとなだれ込んでいた。
その白い姿を目にした時、照葉は咄嗟に近くの交番に駆け込んだ。
ただならぬ様子に何事かと立ち上がった警官の手に、持っていた手紙を押し付ける。
「天魔の襲来です、そこに書いてある指示に従って下さい!」
そう叫ぶと、照葉は再び外へ。
光の翼で空に舞い上がり、全体の状況を確認する。
サーバントの数は全部で30ほど。数体ずつが組になって、あちこちに散らばっていた。
上空から仲間の姿を探し、合流する。
「まだ、時間じゃないのに…」
山腹から湧き上がる白い姿を見て、ヨルは撃退庁職員の小林に連絡を入れた。
予想外の事態に、小池の声にも焦りの色が感じられた。
『現時点で町に入っているバスは一台しかない。残りも急がせるが、それまでは少ない人数で頑張って貰うしかないな』
「わかってる」
言われなくても、一般人には指一本触れさせない。
「…こっちだ、来いよ」
闇の翼を広げ、ヨルは建物の間を縫う様に飛ぶ。
その脇を、白い光球が掠めて飛んだ。
「あいつ、遠距離攻撃できるんだ…?」
杖を手にした一体に目標を定めたヨルは、すれ違いざまにゴーストバレットを放ちつつ素早く背後に回り込み、拳銃の引き金を引く。
カオスレートの恩恵の故か、それだけで敵は浮力を失って地に落ちた。
それを下で待ち受けていた青空が、ガルムSPで穴を開ける。
「人の命を脅かすなら、消えて貰うのだよ!」
町の人達を傷付ける訳にはいかない。
魔糸によってその存在を捉えた青空は、すぐさま次の標的に狙いを付けた。
その左半身いっぱいに黒い刻印が浮かび上がり、左目が赤く染まる。
全身に纏った黒い焔が業風となって敵に襲いかかった。
飛んでいるものを落とすのが最優先だ。その上で、魔法を使うものを叩く。
「飛行と遠距離攻撃さえ封じれば、この人数でも対処は可能なのだ!」
この場で対応するのは、青空とヨル、そして照葉の三人。
今、人々の避難誘導に向ける余力はない。
だが、山裾に近いこの場所で叩いておけば、町には被害を出さずに済む筈だ。
その時、防災無線のサイレンが鳴り響いた。
照葉が渡した手紙を読んだ警官が指示を出したのだろう。
続いて、撃退士の指示に従って避難するようにとのアナウンスが流れる。
そのアナウンスを、水樹は自らも周囲の人々に避難を促しながら聞いていた。
幸いここには援軍が間に合い、住民の避難誘導には外部の撃退士も力を貸してくれている。
水樹は彼等の指示に従う様にと声をかけながら、自分に注意を向けさせるべく迫り来る敵のもとへ走った。
「向こうがどうなるか心配ではあるが…今は目の前のことに集中しよう」
まずは飛んでいるものを落とそうと、翼を狙ってワイヤーを投げる。
だが、それは地上5mの高さに浮かぶ敵には届かなかった。
それを嘲笑う様に、杖を持つ敵が後方のバスを狙う。
バスは今、避難所の代わりとして人々を乗せていた。
「攻撃させる訳にはいかない」
水樹は自らの体でブロックすると、得物をアサルトライフルに持ち替えて反撃に出る。
と、その上空から黒い影の様な槍が伸びて、敵の体を貫いた。
その後を追う様に飛び込んで来る小さな影。
「お手伝いに来たのだよ!」
敵の位置情報を受け取ったフィノシュトラだ。
「地上と上空からの挟み撃ちの攻撃で気を散らすのだよ!」
「わかった」
フィノシュトラは相手の攻撃が届かない高空から魔法の槍を撃ちまくる。
高度を下げた所に、待ち構えていた水樹が攻撃を叩き込んだ。
その間に住民を乗せたバスは走り去り、入れ替わる様に援軍を乗せたバスが入って来る。
「ここは大丈夫だ、中心部に回ってくれ」
水樹に言われ、バスは再び走り出す。
そこでは仲間達が孤軍奮闘、敵の侵攻を食い止めている筈だった。
野球場には、大天使が降臨していた。
宙に浮いたまま、リュールは黙って門木を見下ろす。
「…以前より、多少はマシになった様だな」
やがて呟いたその声には、殺意も敵意も感じられない。
寧ろこの状況を楽しんでいる様にも聞こえた。
だが、それでもカノンは攻撃に備えて防壁陣を張り、庇護の翼で門木を庇う。
そして問いかけた。
「リュールさんの目的は、門木先生を、天界を裏切った堕天使を裁く、であった筈です」
少なくとも、表向きは。
「しかし、その裁き方は、先生を精神的に苦しめる為の物でしたか?」
返事はない。
構わず、カノンは続けた。
「少なくとも前回のシュトラッサーは、先生に関係のある人を襲う事で先生を苦しめるものでした。まして、ディアボロまで使うというのは、天界の意図として手段を選ばなさすぎるのではありませんか?」
「…ディアボロなど、使った覚えはないが」
「以前、あったのです」
遥が口を開いた。
「学園で天使が狙われる事件が起き、先生が呼び出されました。そこで狼ディアボロに殺されかけたのです。それはご存じないのでしょうか」
殺されかけたと聞いて、リュールの表情が僅かに動く。
どうやら本当に知らなかった様だ。
「大天使の与り知らぬ所で使徒が動いていると? それが本当なら、ゆゆしき問題なのではありませんか?」
カノンが重ねて尋ねるが、リュールは答えなかった。
そこで、遥が続ける。
「今回も貴女と先生を逢わせるお膳立した輩がいるのではないでしょうか」
或いは、これには裏があるのだろうか。
もしかしたら、纏めて殺害する事を狙ったのかもしれない。
「今回私達を呼び出した相手は、貴女にサーバントの進退についての進言が出来る立場にいるものと思われます。これが貴女の立てた作戦なら、私達を呼び出すのは使徒の役目である筈…」
しかし、今回それを行ったのは使徒ではない、他の誰かだ。
間接的アクションもある事から、複数いる可能性もある。
「天使に悪意を持つモノが、貴女の傍にいるのかもしれません」
もしもそうなら、それは自分達とリュール、共通の敵となる。
「ここで休戦し、共通の敵を倒してから…そこから始めませんか?」
だが、リュールの答えは巨大な光球となって返って来た。
足元の土が吹き飛ばされ、泥の雨となって降り注ぐ。
「私達は戦いに来たのではありません」
それでも、遥は食い下がった。
(信じてもらうしかない。私を、私達を、そして先生を。先生は何時だって信頼を得る為向かおうとした。だから私も立ち向かおう…本当の敵を知る為に)
必要とあらば、武装解除も厭わない。
「本当の敵は、貴女ではないのでしょう? それなら、私達が戦う事に意味はない筈です。寧ろ、その誰かを喜ばせてしまう…」
その時、リュールの錫杖が再び光を放った。
今度は真っ直ぐに遥を狙っている。
だが、遥は避けようともせず――
一瞬後、遥が立っていた場所には巨大なクレーターが出来ていた。
これで死ねるだろうかと、遥はそう思ったかもしれない。
しかし…
「…俺も少しは、役に立つ…だろ」
門木の声が耳元で聞こえた。
ふと見ると、地面がずっと下の方にある。
遥の体は宙に浮いていた――門木に後ろから抱きかかえられて。
「…暴れると、落ちるぞ」
思わず取り乱しそうになった遥を、門木はゆっくりと地上に降ろした。
その時。
「何だか物騒な事になってるじゃないか」
背後から依里の声がした。
「さっきはどうもね」
リュールに向けて、依里は皮肉な笑みを浮かべる。
「さて、遅くなったけど…交渉に入ろう。そちらの要求は、章治先生を連れてくる事、此れは達成した。サーバントを下げてくれないかい?」
スレイプニルを召喚しつつ、依里は続けた。
「死者を増やしても、そちらの腹が膨れる訳でもないだろう」
だが、返事はない。
「前回の鍾乳洞での襲撃や、今回サーバントを配置させるように決めたのは、きみかい?」
「知ってどうする」
「わざわざ人間に被害が及ぶやり方をしているのを、不思議に思ってね」
その問いに、リュールは静かに答えた。
「それを防ぐのが、撃退士とやらの役目ではないのか」
まるで、防がれる事を期待している様にも聞こえる。
「今とて、そうだ」
リュールの錫杖が輝きを増す。
「町のひとつ位、軽く守って見せろ!」
今度は無数の矢の様な光が飛んで来る。
「やっぱり、戦うしかないみたいね」
桃華が闘気を解放し、門木の前に立ち塞がる。
大天使を相手に正直どこまで凌げるか分からないが、こうなった以上はやるしかない。
(例え私が倒れようとも構わない、学園の要である先生を失うよりずっとマシよ)
だが、更にその前にカノンが立った。
「ガードなら私の専門です」
防壁陣と庇護の翼で、リュールの攻撃を受け止める。
その隙に、依里はスレイプニルに攻撃を命じた。
黒と蒼の馬竜は跳ぶ様に宙を駆けると、リュール叩き落とす様に体当たりを仕掛ける。
しかし、それはいとも簡単にかわされ、反撃のダメージが依里に返って来た。
それを見て、遥が言い募る。
「先生は貴方と話そうと分かり分かち合おうとした、なのに貴方だけが子供の様に子供と話し合おうとしないのですか?」
「…もういい、遥」
それを止めたのは、門木だった。
「でも…」
「…後で、話す」
戦いの中でリュールが送って来た思念。
それは門木が初めて聞く、母の本音だった。
もう一方の戦場では、そろそろ決着が付こうとしていた。
水樹とフィノシュトラが合流して援護に回る中、纏めて引き寄せた敵をヨルが炎の狂想曲で焼き払い、照葉が魔法で追撃する。
生命力を削られて地上に降りたものは、援軍が叩きのめした。
そちらの手が足りていると見た青空は戦線を離れ、避難の手助けに回っていた。
住宅街を回り、拡声器を使って逃げ遅れた人を探す。
各自で阻霊符は使っているが、これだけ広いとカバーしきれない地域も出て来るだろう。
透過が出来なくても窓を破って侵入する恐れがある。
玄関が開いている家などは念の為に中も確認し、避難が終わった区画にはスプレーで印を付ける。
その他、避難ルートや避難場所を塀に書き残したり…勿論、スプレーは水性だから必要がなくなればすぐに落とせる。
その傍ら、青空は怪しい人影がないかも、それとなく探っていた。
使徒か、電話の主か。もし会う事があれば、何の為にこんな事をするのか聞いてみたい所だが。
(天使に恨みあるのかな)
しかし、それらしい人物とは行き会う事はなかった。
「ここの敵は、もう任せても良いだろう」
弱ったサーバントを援軍に託し、水樹は野球場に向けて走り出した。
「先生が心配なのだよ!」
フィノシュトラ、照葉がそれに続く。
ヨルは途中で潜行モードに切り替え、姿を隠しながら後を追った。
(…あいつ、カドキ達の近くにいるかもしれない)
見付けたら、目的を問い質してやる――
「倒せるだなんて思わない、だけど…」
桃華は両刃の戦斧を振りかざし、大天使に挑む。
もし叶うのなら、薙ぎ払いの一発でも当てて一矢報いてやりたい。
「やられっぱなしは嫌いなの、私は負けず嫌いだから…!」
だが、その思いは叶わなかった。
軽く反撃され、桃華は膝を折る。
その耳に、思いがけない言葉が響いた。
いや、耳にではなく頭に直接響く言葉。
『ナーシュはお前達に預けた…奪われるなよ』
「…え…?」
「どうやら、我が目的は達せられた様だ」
今度は耳に聞こえる声。
どういう事かと訝る撃退士達に、小池から連絡が入った。
『たった今、新たなゲートが出現したらしい』
場所は郡山の南、中心地からは離れているが、それなりに人の多い場所だ。
それを作ったのは…
「無論、我が使徒だ。その姿が見えぬ事に、疑問を抱かなかったのか?」
目先の事に気を取られすぎだ――リュールはそう言って、何故か小さく溜息をついた。
「…天界の階級制度の厳格さは、知ってるだろう」
球場のベンチに腰を下ろした門木は、周囲を取り囲む生徒達に向かって話し始めた。
それを堂々と破ったリュールは、一般的にはただの変わり者にすぎない。
人間界で言うなら、ペットに遺産を相続させる様なものだ。変人ではあるが、とりあえず周囲に害はない。
だが、中にはそれを天界の秩序を破壊する裏切り行為と見る者もいた。
ペットが人間の権利を侵害すると、本気で怖れ、怒る者達。
彼等の目的は、リュールと門木の双方に制裁を加え、最終的には始末する事。
だから門木を堕天に追い込んだ。
その後、人類に手を貸す事で門木は正真正銘の裏切り者となり、彼等の私刑は半ば公的なものとなった。
「…お袋は、更に上位の天使から命令を受けている。それに逆らう事は出来ないし、逆らえば…消されるだけだ」
リュールが消えれば、より強力な存在が討伐に来る。
「…そうなる前に、対抗できる撃退士を育てたい、と」
だから無理難題をふっかけ、無茶な戦いを仕掛け、強力な使徒をぶつけて来る…そのハードルを越えさせる為に。
それでいて手加減をしたり、或いは今日の様に彼等の体力を回復して去ったりするのは全てその為だ。
「…結局は、天界の内輪揉め…という話になる。だから、お前達を巻き込むのは申し訳ないとも思うが…」
それが天界の厳格すぎる階級社会を崩す一助になれば。
天界が変われば、この戦いから手を引く可能性もある。
戦いが終われば、地に堕ちた者も故郷に帰れるかもしれない。
「…自由に、行き来が出来たら…良いよ、な」
階級の垣根ばかりでなく、世界の垣根も取り払ってしまいたい。
「…だから、これからも力を貸して欲しい。…頼む」
これ以上の犠牲を出さない為にも。そう言って、門木は頭を下げた。
ただ、例の電話の主に関しては、中村を使徒に推薦した撃退士である事以外は、リュールも詳しくは知らない様だ。
結局、その姿は見付からなかったが…電話での脅迫はハッタリだったのだろうか。
「ここの桜は、まだ蕾なんですね」
山裾に見える桜並木を見て、遥が言った。
「花見…一緒に行けたらいいですね」
その為にも、まずはゲートを破壊しなければ。
まだ暫くは、厳しい戦いが続きそうだった。