夜が明けたばかりの商店街を、フィノシュトラ(
jb2752)は弾む足取りで歩いて行く。
皆で旅行、そう考えただけでワクワクドキドキソワソワ、もう寝てなんかいられないと早々に目が覚めてしまったのだ。
「集合一番乗りなのだよ!」
勿論、集合場所には誰もいない。ひとりぽつんと佇み、待つこと暫し。
もしかして時間や場所、はたまた日付を間違えたかと不安になり始めた頃になって、漸くオバチャン達が現れた。
「寒かったろ? ほら、お茶でも飲んで温まりな」
「朝ごはんはちゃんと食べたかい?」
早速、湯気の立つお茶と大きなおにぎりが差し出される。
「ありがとう、いただきますなのだよ!」
ちゃんと食べて来た筈なのに、それを見ると食欲がそそられるのは何故だろう。
「ん〜、おいしいー…」
そうこうしているうちに、生徒達や商店街の皆さんが続々と集まって来る。
「お誘い有難う、ございますー」
青空・アルベール(
ja0732)がぺこりと頭を下げ、その場の様子を早速写真に収めた。
「ああ、ほら。バスが来たよ。寒いから早く乗りな!」
その場をテキパキと仕切るオバチャン達、流石は商売人だ。
「みんなよろしくなのだよ! 運転手さんもよろしくなのだよ!」
ぺこりと頭を下げて、フィノシュトラはここでも一番乗り。
続いてオバチャン達やオッチャン達、生徒達が続々と乗り込んで行く。
「いやー、今回は賑やかで良いねぇ、嬉しいねぇ」
一応は幹事であるらしいリサイクルショップのオッチャンは、先頭の座席でニコニコと頷きながら、座席が埋まっていく様子を眺めていた。
「あの、参加者の一覧を見せて頂いても良いでしょうか?」
「ん? ああ、これか?」
獅堂 遥(
ja0190)に問われて、オッチャンは荷物の中から名簿を引っ張り出す。
それを見ながら、遥は参加者の名前と顔を覚えていった。
「今回の旅行、やっぱり危険よね」
そんな彼女に、東雲 桃華(
ja0319)が小声で囁く。
「門木先生は前に手紙で直接呼び出されたこともあるし、行動を監視されている可能性が高いわ」
「ええ、そうですね。途中で知らない人が紛れ込んでくる可能性もありますし…」
「それって天魔よね」
「ええ、恐らく」
二人は顔を見合わせ、頷き合う。
参加者の顔はしっかりと覚えておく必要があるだろう。
「でもまぁ、私達を誘ってくれたのは門木先生にしてはいい判断ね」
桃華は小さく肩を竦める。彼も前回の件で少しは反省したのだろうか。
「ところで…先生は?」
そう言えば、レイラ(
ja0365)の姿も見当たらない。
出発まで、あと10分。
「レイラさんは大丈夫として…先生はまさか寝坊でしょうか」
「やっぱり家まで起こしに行った方が良かったかしら」
二人はバスの外に出て、学園に通じる道に目を懲らす。
「え、先生まだなの!?」
その様子に気付いた他の生徒達も集まって来た。
「でも、家ってどこ?」
「誰か知ってる?」
「職員寮とかじゃない?」
「ちょっと電話…って番号知らないし!」
「携帯とかも持ってないんだっけ?」
「まさか科学室で寝泊まりしてるとか…」
その、まさかだった。
(商店街の皆さんと日帰り旅行ですか…何だか楽しみですね)
門木の住所を調べ、ワクワクしながら寮の一室を訪ねたレイラだったが…そこには生活感の欠片もなく、もしやと思って科学室に来てみれば。
ふらりと現れた門木の姿を見て、レイラはそっと溜息を吐いた。
「先生、旅行というものは、普段とは違う非日常の体験を得る為に行うものです。それに相応しい装いを選ぶ所から、旅は始まっているのですよ」
と言うか、白衣にサンダルは有り得ない。
「もし適当な服をお持ちでないなら、これを」
レイラが差し出した紙袋の中には、滑り止めの付いた靴と防寒の為のコートなどの衣類一式が入っていた。
流石に良家のお嬢様らしく、どれも仕立ての良い高級品の様だ。
「…靴は、あれで良いんじゃないか…この間の、足袋ブーツ…」
しかしレイラはきっぱりと首を振る。
あれは本来、和装に合わせる為の物だ。前回はコーディネートがどうこうと言っている場合ではなかったが、流石に今回は勘弁して欲しい。
「…人間の、世界は…色々と、難しいんだな…」
いや、難しくないから全然。
「あ、来たのだよ!」
バスの前で、フィノシュトラがぶんぶん手を振っている。
出発五秒前、レイラと門木はぎりぎりでバスに滑り込んだ。
「あら章ちゃん、女の子と一緒にお出ましなんてまぁヤダー!」
「まあまあ、ダメよぉ教え子に手ぇ出しちゃー」
オバチャン達の席から盛大な笑い声が弾け飛ぶ。
しかし、本気でその関係を疑う者は一人としていない様だ。
まあ、実際に何もないのだが…ただ、自分も行けば良かったと密かに悔やんだ者が何人かいた様な気は、しないでもない、様な。
その様子を見て、照葉(
jb3273)が安堵の溜息を吐く。
「門木先生には、結局いつもハラハラさせられるのだな」
「まあ、順調に通常運転といった所だね」
刑部 依里(
jb0969)は小さく肩を竦めた。
あの先生と付き合っていると、高度な危機対処能力が自然と身に付きそうな気がする。
「よーし、全員揃ったなー! んじゃ、しゅっぱーつ!」
オッチャンの声と共に、バスのドアが音を立てて閉まった。
エンジンの音と車体の揺れが次第に大きくなる。
「楽しい旅行になるといいねぇ」
青空の声に応える様に、大型バスはゆっくりと走り出した。
バスの中は、のっけからハイテンションだった。
「ほら、オバチャン色々作って来たからね、いっぱい食べな!」
サロンのテーブルに、次から次へと広げられる食べ物の数々。
ふかしたサツマイモやカボチャの煮付けなど、とてもオシャレとは言い難い素朴な品揃えだが、若い子には却って新鮮かもしれない。
「ほれ、あんたなんか育ち盛りだろ! しっかり食べないと大きくなれないよ!」
ばしばし。肉厚の手で背を叩かれ、七ツ狩 ヨル(
jb2630)は表情も変えずに人外の瞳でじぃっと見返す。
だが、オバチャンに動じる様子はなかった。
「…俺、怖くないの?」
「そう言って、誰かに苛められたのかい?」
「…え?」
「オバチャンに言ってごらん、そいつぶっ飛ばしてやるから!」
予想外の反応に、ヨルは戸惑いの色を隠せなかった。
頭を撫でられ、はぎゅされて、一緒に写真に収まって…これは一体、どうした事か。
嫌な感じはしないが、どう反応すれば良いのかわからない。
わからないけれど、とりあえず…
「…これ、あげる」
ヨルは荷物からカフェオレを取り出し、オバチャン達に差し出してみた。
「これ、あんたのおやつじゃないの?」
「いいから、あげる」
ありがとうの言葉と共に、お返しのお返しで三倍のお菓子がヨルの手に押し付けられる。
「弄られるのは好意的な証よ」
思わぬところでカフェオレを消費したヨルに、遥がカフェオレプリンをそっと手渡した。
「煩わしいかも知れないけど…でも嫌いな物に手は出さないわ…でしょ?」
「…ありがと」
別に煩わしくは…ない気もするけれど――度を超しさえしなければ。
「ほらほら、あんたもまぁこんな細っこい体して!」
向こうではコロッケを5個も6個も手渡された青空が、そのパワーに圧倒されている。
「こんなに食べられないよっ」
しかしオバチャン、聞く耳持たない。
「そこのボクも、ほら。揚げたては美味しいよ?」
ボクと呼ばれたのは、ひとり窓の外を眺めていた周防 水樹(
ja0073)だ。
彼女達の辞書に「物怖じ」という言葉はないらしい。
(旅行…この前の事が無ければ先生の気分転換にも良い話だと思うのですが…)
そんな様子を眺めながら、カノン(
jb2648)はひとり物思いに沈んで…いられる筈もなかった。
「そんな難しい顔してないで、お嬢ちゃんも一緒に楽しみましょうよ、ね?」
声をかけたのは、オバチャンと言うよりもおばあちゃんといった感じの御婦人だった。
(…とはいえ、人々の善意を無碍にするわけにもいきませんか)
丁度始まろうとしていたババ抜きに呼ばれ、カノンは輪の中に入る。
「ええ、ありがとうございます」
その善意を向けてくれる人達の為に、最善を尽くす。とりあえずは、一緒に旅を楽しむという形で――
「ところで、ババ抜きというのは…?」
トランプのゲームらしいが、抜きと言いつつご老人が輪の中に混ざっているのは何故だろう。
え? そういう意味じゃない?
「…も、申し訳ありませんっ!」
思わず謝ってしまった。お陰で何を考えていたのか、すっかりバレてしまった気がするが…それでも、老婦人はニコニコと微笑んでいる。
きちんとルールを教わって、いざ勝負。
「先生誘ってくれてありがとなのだよ!」
フィノシュトラが門木の手札を取りながら笑いかけた。
「鍾乳洞初めてだからすごい楽しみなのだよ!」
「…うん、俺も…初めてだ」
「いっぱい楽しむのだよ!」
めいっぱい楽しんで、もし邪魔する敵が出てもみんなをしっかり守って、嫌な思い出なんて作らせないのだ。
「あ、先生の負けなのだよ! 罰ゲームはカラオケで一曲なのだよ!」
「…ぅ、歌う、のか…」
「先生はどんな歌がお好きなのですか?」
照葉に訊かれ、門木は目を泳がせる。
「…その、歌は…あまり…」
「カドちゃん、テレビの主題歌ならイケるだろ!」
「あ、暴れん坊ご隠居のテーマ入ってる」
オッチャンの言葉に、青空が曲を呼び出す。軽快なイントロが流れ出すと、門木はぼそぼそと歌い出し…
「カドキ、声が小さいよ」
「そうだよ先生、こういう曲はノリノリで歌わなきゃ!」
ヨルと青空に煽られて、門木はヤケクソに声を張り上げ――
その破壊力は、危うくバスが引っ繰り返る程だったとか何とか。
「先生の歌唱は、その、独特でいらっしゃるのですね」
ストレートに音痴とは言わない照葉の優しさが心に染みた。
そんなこんなで目的地に着く前から盛り上がりまくった御一行様が、流石にちょっと疲れを見せ始めた頃。
「あらあら、旅のしおりですって」
「何だか懐かしいわねえ」
そのタイミングで配られたレイラ自作の小冊子は、上手い具合にオバチャン達の目に留まった様だ。
そこにはあぶくま洞の簡易地図や見どころ、独自にリサーチした周辺のグルメマップなどが書かれている。
それと共に、緊急時の注意事項などがさりげなく記載されていた。
「慌てない・騒がない・係員の指示に従って迅速に避難する…うん、なるほどねぇ」
オバチャン達は真剣な面持ちで頷いている。だが、本当にちゃんとわかっているのか、その辺りは心許ない気がした。
「先生、皆さんに予め何か話しておいたりは…してないんですね、やっぱり」
門木に尋ねた桃華の言葉は、途中から溜息に変わる。
ならば、自分達が注意を促しておくしかない。
「このご時勢ですから、いつ如何なる時も天魔対策は必要だと思います」
皆を代表して、照葉がバスガイドよろしくマイクを取った。
「天魔がでたときには慌てずこちらの指示に従って下さい。けれど、余り神経質になっても折角の旅行が台無しになってしまいますから」
「何時の時代も気構えは大事ですよね、という事です」
「そうそう、備えあればウレシイナ、なのだよっ!」
照葉の隣で言葉を継いだ遥にフィノシュトラがツッコミを入れるが、これはマジボケなのか、それともウケを狙ったものか。
「私たちもおりますので、安心して旅行を楽しんで下さい」
照葉がそう締めくくると、オバチャン達から剛毅な声が上がった。
「寧ろ、あたしゃ嬢ちゃん達の活躍を見てみたいねぇ」
「そうそう、カッコイイとこ見せとくれよ!」
天魔の襲撃さえ、彼女達にとっては単なるアトラクションなのか。
それだけ信頼されているという事かと、隅の方で展開を見守っていた依里が小さく頷く。
(しっかりこなすさ、仕事だからね)
信用第一、これを機に実績を積みたいところだが…
(しかし、他人のトラブルがメシの種と言うのも、皮肉なことだ)
それならせめて、心から喜ばれる様な仕事ぶりを見せたい。
依里は車窓を流れる景色には目もくれずに、手に入れておいた洞窟内部の平面図に見入る。
避難経路を頭に入れておけば、いざという時に慌てずに済むだろう。
「備えあれば憂いなし、後は喫煙所。何を忘れても喫煙所」
洞内は禁煙だとしても、周囲には煙草を吸える場所くらいあるだろう。
貰った地図には何の表示もないのが気がかりではあったが…。
やがて高速を降りたバスは山間を縫う様に走る一般道に入った。
曲がりくねった山道を登り、いくつもの案内表示を通り過ぎて――バスはあぶくま洞の駐車場へ。
とりあえず、周囲に怪しい影などは見当たらない様だが…
(とは言え、注意して行かないとね)
バスの中で意気投合したオバチャン達に手を貸して降車を手伝いながら、桃華はそっと辺りに気を配る。
他愛もない会話で盛り上がるうちに、皆の名前と顔はすっかり覚えた。フォローが必要そうな人も見当が付いている。
「ずっと座りっぱなしで疲れてない? 大丈夫?」
「気分が悪くなった方はいらっしゃいませんか?」
照葉も皆の状態はしっかり把握していたが、それでも念の為に訊いてみた。
「洞内には細い階段道もあります。怪我をしたり、体調がすぐれない時は遠慮なく言って下さいね」
仲間達が皆を集めて点呼を取っている間、依里は管理室に回る。
ここにも警備員はいるが、いずれも一般人。天魔の襲撃に対する備えは皆無と言って良い状況だった。
「それなら、監視カメラで不穏な輩がいないか見張って貰うだけで良いんだが」
持ち前の交渉力を発揮して、丸め込…いや、お願いする。
「なに、管理のついでだろう。ちょっと情報を流してくれれば、いいだけさ。戦闘の余波で、鍾乳石が壊れるよりはマシじゃないかい?」
ついでに内部向けの詳細な地図もコピーさせて貰って、後はレストハウス脇で見付けた喫煙所で一服して…よし、準備完了。
「みんな揃ってるわね。トイレとか、行きたくなった人はいない?」
先頭に立った桃華の言葉に、オバチャン達の笑い声が弾ける。
「では、参りましょうか」
ガイド役のレイラがそれに続き、一行はぞろぞろと洞窟の中へ入って行った。
「オフシーズンと聞いたが、一般の観光客も結構いるのだな」
照葉はさりげなく周囲を観察しながら、列の後ろを歩いていた。
もし何かが起きれば、一般の人々も守らなくてはならない。果たして、彼等はパニックを起こさずに、自分達の誘導に従ってくれるだろうか。
カノンも同じ不安を感じている様で、張り詰めた様子で周囲を気にしているのが傍目にもわかった。
その目は珍しい鍾乳石ではなく、見通しの利かない分かれ道の先や、隠れ場所に適していそうな暗がりばかりに向けられている。
「…お嬢ちゃん」
そんな様子を見かねたのか、先程の老婦人が声をかけた。
「手を貸してくれるかしら。ここはちょっと登りがきつくてねぇ」
「あ、はい…」
その手を握りながら、老婦人はカノンに質問攻めにする。それは周囲の案内板を見れば書いてある様な事が殆どだったが…
(少なくとも何かあるまではあまりピリピリしても仕方ありません、か)
質問に答えるうちに、カノンにも景観を楽しむ余裕が生まれて来た様だ。
(こちらの緊張のせいで、商店街の皆さんが楽しめないのも申し訳ないですし)
いざとなれば身を挺してでも守る。けれど、それまでは自分達も存分に楽しんで構わないだろう。
「あれは妖怪の塔と言うそうですよ」
「あらほんと、何かの顔みたいに見えるわねぇ」
やがて一行は白磁の滝を過ぎ、天井が低く狭い通路へと入って行く。
(こんな所で挟み撃ちなんかされたら逃げ場がないけど…敵が隠れる場所もないか)
青空は咄嗟の事態にも対処できる様に周囲を警戒しつつ、しかしオバチャン達にはそんな素振りを見せずに歩く。
「カドキにくず鉄にされる前に、鍾乳洞見たかったんだ」
ここまでの行程では次々と現れる様々な形の鍾乳石に夢中になりながらも、そんな発言が飛び出す程度には余裕のあったヨルだが…広い空間に出た瞬間、彼は言葉を忘れた。
いきなり高くなった天井から垂れ下がる無数の鍾乳石。色とりどりのライトに照らされたそれは、まるで天上から降り注ぐ光の柱にも見えた。
「長い年月が作る神秘、心に来るものがあるのだよー…」
フィノシュトラが感嘆の声を上げる。
いつもはボンヤリしている門木でさえ、ここでは活き活きとした表情を見せていた。
「研究以外でも、そんな顔をされるのですね」
出口側の通路に立った照葉が小さく笑みを漏らす。
と、その時――
地の底で何かが動いた。
まるで泥の中から生えて来る様な、人の形をした何か。
その「何か」の正体を確かめる間もなく、照葉はまず外部との連絡役を務める依里に意思疎通で急を伝える。
それを受けた依里は管理事務所に一方を入れると、その場にストレイシオンを召喚して壁を作ろうと試みた。
しかし高架式の通路は狭く、却って逃げ場を塞ぐ様な格好になってしまう。
そればかりではなく――
「キャアァァァッ!」
周囲から悲鳴が上がった。
一般の観光客だ。事前に何の説明も受けていない彼等にしてみれば、いきなり現れた暗青の鱗を持つ竜に驚くのも無理はなかった。
「大丈夫なのだよ! みんな落ち着いてなのだよ!」
「大丈夫。絶対に皆無事に、逃げて貰うから」
フィノシュトラが光の翼で宙に舞い上がり、青空が笑顔で語りかける。
商店街の人々は落ち着いた様子でその指示に従ってくれたが、問題は一般の観光客だ。
彼等の耳に、言葉は届かなかった。
ピィーッ!
ホイッスルの甲高い音が響く。
レイラと依里、そして青空が殆ど同時に鳴らした音の三重奏に、パニックに陥った人々の動きが止まった。
(色々な可能性を考えるから、パニックになるんだよね)
今、彼等の頭は驚きで真っ白になっている事だろう。
その何も考えられない状態の所に、依里の言葉がするりと入り込む。
「こっちに非常通路がある。大丈夫、そこに敵はいないよ」
それはモニタを見つめる職員が確認済みだった。
通路は隠れる場所もない一本道、敵の発見直後に阻霊符を展開しているから、壁に潜む事も出来ないだろう。
「俺が引き付ける。その間にこの場から脱出を頼む」
水樹は真っ先に前に飛び出し、逃げ遅れた者に声をかける。
「離れている人がいたら、すぐに合流してくれ!」
既にこの先の出口から脱出した者もいたが、中には足が竦んで動けなくなっている者もいる様だ。
「わかった、それは私が任されよう」
出口付近に立っていた照葉が、合流ついでに彼等を回収していった。
「今のうちに逃げるのだよ!」
フィノシュトラに促され、既に御殿の中頃まで移動していた人々はゆっくりと動き始める。
非常通路はこの滝根御殿から少し入口側に戻った所にあった。だが通路が狭い為に、一度に多くの者を逃がす事は出来ない。
少しずつ纏まってなどと言ったら、最後尾あたりの人々はまたパニックを起こすのではないだろうか。
ここが青空の笑顔スキルの見せ所だった。
「大丈夫、慌てなくて良いよ。必ず守るから、ゆっくり…ね」
その、まさに青空の様な笑顔に励まされ、一般の観光客も次第に落ち着きを取り戻し始める。
「足場に注意して。怪我した人はいない?」
幸い、足場の下から湧き出た敵が上がって来る迄には、僅かだが猶予があった。
「大丈夫ですから焦らずに、転ばぬように気を付けて下さい」
照葉もまずは避難が先と誘導に回る。
その間に少しでも避難の時間を稼ごうと、足止め役の仲間達は積極的に攻撃を仕掛けていった。
「誰一人、傷つけさせるわけにはいかない…相手は俺だ! こっちへ来い!」
大声を張り上げつつ、水樹は通路の下に飛び降りる。周囲の崖を這い上がっていた何体かが注意を惹かれて動きを止めた。
崖に貼り付いた状態から、首だけをキリリと回して真後ろを向く。次の瞬間、跳んだ。
大きく腕を振り上げた異形のものが、上から迫る。
「あの腕を振り払えば…」
水樹は短く持った斧を振り上げ、それを下から薙ぎ払った。
出鼻を挫かれた相手は、予想通りに胴ががら空きになる。
「そうなれば、そこを…断つ!」
横薙ぎに斧を振り抜くと、それは体をくの字に折り曲げて吹き飛んだ。
普通の生物なら背骨が折れて動けなくなる所だろう。しかし、それは泥人形の様にのそりと起き上がると、腰を折り曲げたまま足を引きずる様にして水樹に迫る。
「意外に打たれ強いな…」
だが、効いていない筈はなかった。
それが動きを止めるまで、水樹は何度でも斧を打ち振るう。
「いきなり胴に行っても効果は薄いのね」
ならばと、遥は首を狙ってみる。
相手がサーバントだけに、阿修羅の攻撃は通りが良い。一撃で首が転がり落ちるが――
「まだ動くの?」
胸囲の生命力に驚きつつ、今度は腕を狙う。
同時に桃華が足を狙って斬り付けると、それは手足を跳ね飛ばされて地面に転がった。
しかしそれでも尚、短くなった足で立ち上がり、走り、付け根だけになった腕を伸ばそうとする。
「すごい執念ね…」
足腰を潰せば行動に支障が出るかと思ったが、そんな気配は微塵もなかった。
どうやら、地道に生命力を削っていくしかなさそうだ。面倒な相手だが…
「先生達の所へは行かせないわよ、ただの一体もね」
桃華は華麗なキックで自身に注目を集めた所で発勁の衝撃波を浴びせ、次いで目にもとまらぬ一撃を放った。
それでも足りなければ打ち止めになるまで繰り返し、スキルを入れ替え、それも切れれば後はひたすら巨大な戦斧を振り回す。
レイラは闘気解放で強化しつつ、時雨を発動させて纏めて斬り刻んでいった。
押されそうな時は薙ぎ払いで動きを止めておき、その間に数を減らす。
常に数の上で優位に立つ様に…とは言っても、敵は次から次へと湧いて来るのだが。
「折角楽しかったのに…邪魔しないでよ」
闇に紛れて近付いたヨルは、敵の密集地帯で炎の狂想曲を炸裂させた。
体に炎を纏わせたまま近付こうとするものを風の刃で切り刻み、氷の夜想曲で凍てつかせる。
「鍾乳石、壊したら…怒るよ?」
もう怒ってるけど。
一方、護衛に回った者達は一般人を背に庇いつつ出口へと向かう。
彼等を先導していたカノンは、隘路の入口に差しかかった所で防壁陣を展開した。
敵が待ち伏せているという情報はなかったが、こんな時には警戒しすぎる位が丁度良い。
予想通り、隘路から敵が飛び出して来る様な事はなかったが――
そこに、ひとりの男が立っていた。
「俺も一緒に、避難させて貰って良いかな?」
肩まである真っ赤な髪に、黒のロングコート。年の頃は二十代の前半位だろうか。
チャラ男臭くはあるがどう見ても一般人の様だし、だからこそ監視の目を逃れたのだろう。
だが、次の瞬間。
「で、門木ってのはどれだい?」
男が身に纏う空気が、一瞬にして変化した。
背中には黒い翼が現れ、手にはいつの間にか白熱する剣が握られている。
「みんな下がるのだよっ!」
フィノシュトラが割って入り、異界の呼び手でその足を止めようとしたが…
「そんなもん、効かねぇよ」
男は鼻で笑い、手にした剣を振り上げる。
咄嗟に、その前に人垣が出来た。カノンが再び防壁陣を展開し、照葉は庇護の翼を広げ、青空はリブラシールドを手にして足を踏ん張る。
更にその後ろではフィノシュトラが懸命に腕を広げ、男の目の前には依里のストレイシオンが現れる。
だが男は躊躇う事なく剣を振り下ろした。
白熱する刃が一直線に走り、壁を薙ぎ倒す。その攻撃は最も後ろに位置するフィノシュトラにまで届いていた。
「何、今の…!?」
サーバントの相手をしていた仲間達が振り向く。
だが、彼等も自分の敵に対するだけで手一杯で、応援に駆けつける余裕はなかった。
「何だ、大した事ねぇな」
男の目が門木に据えられる。
「で、お前か。お尋ね者の堕天使ってのは」
門木は答えない。だが、不安げな呟きが彼の周囲にざわざわと広がり始めた。
「耳を貸してはいけません、これは皆さんを混乱させるための口車です!」
カノンが叫ぶが、男は構わず続ける。
「そうだよ、あんたらが今こんな目に遭ってんのは、全部こいつのせいなんだぜ?」
「違うのだよ! 先生のせいじゃないのだよ!」
くってかかるフィノシュトラの鼻先に、白熱する剣が突き付けられた。
「おチビさんよ、今度は手加減しねぇぜ?」
「…もういい」
門木が呟き、前に出る。
「…俺が出て行けば、良いんだろう?」
「先生、ダメなのだよ!」
「こんな奴の口車に乗ってはいけません!」
フィノシュトラとカノンがそれを押しとどめ、青空は黙って門木の腕を掴む。
「おーおー、麗しの師弟愛ってヤツか? ったく、反吐が出るぜ」
男は唾を吐き捨てると、剣を収めた。
「安心しな、今日はほんの挨拶ってヤツだ。そう簡単に決着が付いちゃ面白くねぇからな」
黒い翼で舞い上がると、男は撃退士達の頭上を越えて出口の方へ向かう。
「俺の名前はナカムラヤマト、別に覚えなくても良いけどなぁ!」
鍾乳石の天井に、耳障りな高笑いが響いた。
「…全員、ご無事ですね」
点呼を終え、全員無事に怪我もなく出られた事を確認すると、照葉はほっと溜息を吐いた。
それを確認すると、青空とフィノシュトラは残った仲間を助ける為、再び洞窟に戻る。
「加勢に来たよ」
青空は水樹の周囲に群がる敵を黒い爆炎で吹き飛ばす。
一般人に被害が及ぶ怖れがなくなれば、後は鍾乳石の破損に気を付ければ良いだけだ。
(この可能性は考えないではなかったが、本当に罠とはな)
加勢を得て勢いづいた水樹は、敵を屠りながら考えを巡らせる。
(目的はやはり門木先生か…)
あのシュトラッサーのことを知っているかどうか確認を取るべきだろう。
(だが、おばさん達の旅行気分を害するのもあれだし…)
しかし、ここでもやっぱり女子は容赦なかった。
「さあ、門木先生。一連の事件での心当りを喋って貰いますよ」
洞窟内の敵を全て片付けた後、レストハウスの一角で門木に対する尋問が開始された。
「話して貰えるまでは開放する気なんてありませんからね」
だって、私達の大事な先生の命に関わる事だから…とは、心の中だけで。尋問中には甘やかしてはいけないのだ。
桃華に詰め寄られ、門木は背中を丸めて縮こまる。
「…心当たりは、あるが…奴の顔は、知らない」
恐らくリュールの使徒なのだろうが、この地上に降りてから得たものだろう。
「…かなりの力を、与えられてるのは…確かだ」
迷惑をかけてすまないと、門木はますます背中を丸める。
「だから、先生のせいではないのだよ! そもそも襲ってくる敵の方が悪いのだよ!」
フィノシュトラが腰に手を当ててふんぞり返った。
「あいつの顔は、覚えた」
名前は忘れたけれど、とヨル。
「おばさま方も、あの通りですし…」
照葉の視線の先では、オバチャン達が何事もなかった様に土産物を買い漁っている。
「あとはみんなで温泉にも入って戦闘の疲れをとるのだよ!」
という訳で――
「のんびり極楽なのだよ〜」
ぽっかぽかの温泉タイム。女湯は照葉の質問に端を発した美肌談義で盛り上がっていた。
「やだよこの子は!」
「そうそう、あんたの方がよっぽどぷりっぷりじゃないの!」
「ほら触ってみなさいよー」
「あらー、やっぱり若い子は良いわねー」
「きゃー!」
壁の向こうから響いて来る黄色い嬌声に辟易しつつ、男湯はまったりのんびり。
まだ少し反省モードで丸まっている門木の背をじっと見つめていたヨルは…
――ちょん。
つっついてみた。
「わひゃっ!?」
「カドキも刺青入れてるんだ」
「え、何だってカドちゃん、刺青!? そりゃマズイよ!」
オッチャンが指差した先には「タトゥーお断り」の表示が。
「痣って事にしときなよ、な!」
いや、本当に痣なんだけど。まあ良いか。
そして風呂上がりには定番のコーヒー牛乳。
「良いか、こうやって親指で蓋を押し開けてな…」
「…こう?」
「おお、上手いじゃねぇか! …カドちゃんは…ヘタクソだな、指突っ込んじゃダメだって!」
そして腰に手を当てて、一気にグイーっと! ヨルはコーヒー牛乳の正しい飲み方を覚えた!
お洒落に山葡萄ジュースを飲んでいる女性陣とは、えらい違いだ。
風呂から上がると、辺りはすっかり暗くなっていた。
「先生、ちょっと…良いですか?」
バスの準備が整う間、遥がそっと声をかける。
「夜空、綺麗ですよね…まるで一人きりのようです」
宝石を散りばめた様な星空を見上げた目を伏せ、遥は続けた。
「でも、先生だけは単独で動かないで下さい。天使時代に何があったかしりませんが、私が、私達がいます…もっと頼って欲しいです…」
門木の手をぎゅっと握り締める。
先程まで温泉に浸かっていたせいか、その手はどちらもぽかぽかと温かかった。
「…迷惑じゃ、ないのか」
その問いに首を振ると、遥はふと気が付いた様に筆記用具付きの手帳を差し出した。
カバーにはIDチップが入るポケットが付いている。補充可能な中紙の間には、文化祭で撮ったツーショットの写真が挟まっていた。
「忘れそうな事があったらすぐメモしてください…ね?」
「…俺、そんなに物覚えが悪そうに…」
「見えます」
きっぱりと答えた遥に、門木も思わず苦笑いを漏らす。
「…ありがとう」
星空に向けた呟きはきっと、この旅を共にした全員への言葉だったのだろう。
流石に疲れたのか、帰りのバスでのお喋りは誰もが控えめだった。
ヨルなどは気持ち良さそうに寝息を立てている。
青空はそこに毛布をかけてやり…ついでに寝顔を激写してみた。
洞窟の前で撮った集合写真と一緒に、後で皆に配ってあげよう。
楽しい旅行の記念として――