「――先生っ!」
廃墟に誰かの声が響く。
だがその声は犬達の声に掻き消され、門木の耳には届かなかった。
野犬の様なディアボロの群れは、まるで狩りを楽しむ様に適度な距離を保ちながら獲物を追い続ける。
恐らく足を止めたが最後、一気に襲いかかって…そこから先は余り想像したくない。
「…ライオンに追われるシマウマの気分、だな…」
などと呑気な感想を漏らしている場合ではなかった。
自慢の足もそろそろ限界に近付いている。
それを感じ取ったのか、一頭の犬が先回りをして行く手を塞いだ。
方向を変えようとして門木の足がもつれ、そのまま膝をつく。
犬達は嬉しそうに包囲の輪を縮め――
「先生から離れるのだよっ!」
フィノシュトラ(
jb2752)が走りながら魔法を撃った。
『ギャンッ』
種子の弾丸に弾かれた一頭が、怒りの声を上げて振り返る。
その鼻先で、今度は獅堂 遥(
ja0190)が放つアサルトライフルの銃弾が弾けた。
邪魔が入った事に苛立ったのか、何体かが威嚇する様な唸り声を上げて、撃退士達の方にゆっくりと近付き始めた。
しかしまだ大半の犬達はその場に残り、門木を狙っている。
巨大な斧を携え、周防 水樹(
ja0073)は全力で走った。
(俺は天使は好きじゃない。だが見る限り先生は襲われていて、そして先生は人の味方だ――)
味方を助けるのに、好き嫌いを問題にしている暇はない。
(今は割り切るんだ…多数の天使が学園に生徒として来たとき、割り切ると決めたのだから)
だが、いくら急いでも敵との距離が瞬時に縮まる訳ではなかった。
その代わりに一刻も早く自分に注意を向けさせようと、水樹は走りながらタウントを使う。
「お前らの相手はこっちだ!」
同時に足元に転がる瓦礫を叩き壊し、その破片を周囲に弾き飛ばす。
その派手な音に、犬達の苛立ちが一段と激しくなった様だ。
低く唸り、牙を剥き、邪魔者を睨み付ける。
「とにかく、この数の差を早くどうにかしないと」
別の方向から走り込んだカノン(
jb2648)もまた、タウントで敵の目を引き寄せた。
自分もディアボロ相手ではあまり狙われると厳しいが――
「それでも、戦闘力のない門木先生をいつまでも狙わせるよりはマシです!」
自分に引き付けつつ門木から離れる様に距離を取り、牙の届く距離まで近付かれる前にフォースで押し返す。
スキルによってますます開いたカオスレートの差によって、カノンの攻撃は面白い様に決まった。
その間に他の敵に狙われた場合はかなり厳しい事になりそうだが、今は自分の事になど構っている暇はない。
「門木先生、加勢は必要でしょうか?」
宙返りで群れの中に飛び込んだ東雲 桃華(
ja0319)は、急降下と共に痛烈なキックを放った。
着地と同時に門木を振り返る。
「まぁ、何と言われても、問答無用で助けますが…その前に、手当が必要ですね」
見れば普段から薄汚れてあちこちに綻びが出来ている白衣は、白い部分など見付からないほどに汚れていた。
大部分は泥の様だが、赤い色もあちこちに散っている。特に右肘の辺りが酷かった。
敵の牙から頭を守ろうとして、やられたのだろうか。
とは言え、自分には応急手当のスキルもない。
「照葉先輩、ここはお願いね」
駆けつけた照葉(
jb3273)に手当を頼み、桃華はその場を離れた。
「応急処置が終わったら、気配を抑えて少しでも敵の目から隠れて下さい。そして詳しい事情、これを片付けたら話して貰いますよ…っ!」
門木の前に膝をついた照葉は、とりあえず傷口にタオルを巻いてみる。
が、それだけでは如何にも心許ない…と言うか、それを手当と呼ぶのは無理がある様な。
「どなたか、救急箱をお持ちではありませんか?」
その声に応えたのは、レイラ(
ja0365)だった。
「とりあえず消毒だけでもしておきましょう」
手早く処置を終えたレイラは、荷物から足袋ブーツを取り出して門木に手渡した。
「こちらに履き替えて頂けますか?」
「そうだよ、眼鏡をはずすのはいいけれど、足元もちゃんと考えなきゃなのだよ?」
敵との間に立ち塞がったフィノシュトラにも、そう言われてしまった。
「…うん…でも、な。これで、慣れてるし…汚れる、し」
「良いんです、差し上げますから」
と言うか、サンダルのままでは見ている方が危なっかしくて落ち着かない。
「さあ、早く。敵は私達が抑えていますから」
そう言われて、門木は慌てて履き替える。
「チョコ科学室においてきたので帰ったら食べて下さいね…とりあえず此処をぬけましょう」
空中から襲い来る敵を撃ち落としながら、遥が言った。
他にも言いたい事は色々あるが、とりあえずそれは後回しだ。
遥は精度よりも手数を優先させて銃を撃ちまくる。
ある程度の組織だった動きをしている様だが、特にどの個体がリーダーという事もないらしい。
それなら、とにかく数を撃って足を止め、近付けさせない事が重要だ。
空中の敵は、なるべく敵の群がったその上に撃ち落とす…と、そう上手くは行かない様だが。
「シールドをお持ちになった方が良いのではありませんか?」
照葉の言葉に、門木は首を振る。
「…ありがたい、が…これだけ、護衛がいるからな」
遥にレイラ、それにフィノシュトラ。すぐ傍に付いている者だけで三人もいる。
残る水樹、桃華、カノンの三人が敵を引き付けてくれているし、門木の所まで攻撃が届く事はないだろう。
「…それより…自分の身を守ってくれ」
「承知いたしました」
一礼した照葉は、門木の護衛を仲間に任せて攻撃側へ回る。
右文左武を抜き放ち、最も敵とのレート差があるカノンを援護すべく、光の翼で上空へと舞い上がった。
飛行技術には自信がある。この足場の悪さでは、地上よりも動き易いだろう。
それに、全体を見渡しやすいという利点もあった。
逆に言えば自分も狙われやすくなるという事だが、地上の仲間が注意を引き付けている間はその心配もなさそうだ。
「上空からの攻撃には、今が好機ですね」
敵の背後から音もなく迫り、追い立てる様に斬り付ける。
待ち構えていたカノンが放つ光の波に自ら突っ込んだ敵は、一撃でその命の大部分を削られた。
「これなら魔法に適した武器をもってくるべき、でしたね…」
もう少し威力があれば、余計な手数をかけずに済んだかもしれない。
とは言え、その一撃を喰らったものに攻撃に転ずるだけの体力は残されていない。
トドメは後回しにして、カノンは次の標的へ。タウントを使い切るまでは、この戦法で行けそうだった。
「先生の保護は上手くいった様だな」
水樹は敵の攻撃にカウンターを叩き込みながら、ちらりと後ろを振り返る。
僅かずつだが戦場を離脱しつつある門木達に追いすがるものも何頭かいる様だが、それは護衛の三人に任せておけば大丈夫だろう。
今はここを抑えて、これ以上の敵が向こうへ行かない様に食い止める事だ。
水樹は戦斧を短めに持って、敵の突進を待ち構える。
敵の攻撃が当たるのに合わせてタイミング良く戦斧を振り上げて一撃を加え、続けて思い切り振り下ろした。
肉を切らせて骨を断つ様な戦法に水樹自身のダメージも増えるが、リジェネレーションでの回復が間に合わない程ではない。
もしもの場合に備えてタウントを一回分だけ残して使い切った後は、一度に多数の相手をする事を考えて得物をアルビオンに替えた。
やはり敵の攻撃に合わせる様に、先手を取って攻撃の延長線上にワイヤーを配してトラップを作る。
それに引っかかり動きを止めた所で、水樹はワイヤーを一気に引いた。
「待ちの姿勢は得意よ、どこからでも掛かってくるといいわ」
敵を挑発しながら、桃華は時間を稼いでいた。
雷打蹴で気を引いた相手の攻撃を甘んじて受けながら、より多くの敵を自身に集めるべく立ち回る。
「犬に集団心理なんてものがあるかは知らないけど、誰かが狙った敵に群がる習性はありそうよね」
だったら、注目を付けた敵をさっさと倒してしまうのも勿体ない。
門木が無事に戦場を抜けるまでは、敵の攻撃を避け、受け流し、時間を稼ぐ。
「ここで門木先生を失うわけにはいかない、絶対に護ってみせる!」
正直、少しきつい。だがカオスレートを考えれば、この役目を担えるのは自分しかいなかった。
「先生、転ばない様に気を付けるのだよ!」
そう門木に注意しながら、フィノシュトラは自分が転びそうになる。
が、足場が悪い所を後ろ向きに歩いているのだから、それも仕方がなかった。
レイラの指示に従って安全な場所まで門木を誘導しつつ、追いすがる敵に対処する。
「これ以上は近付けさせないのだよ!」
フィノシュトラは近付く敵の鼻先に魔法を撃ち込んで、その足を止めた。
闘気解放で己を強化したレイラが飛び出し、目にも留まらぬ一撃を叩き込む。
地上での戦いは不利と悟った敵は空中に舞い上がり、そこから急降下を仕掛けて来た。
だが、突っ込んで来るその鼻先に遥の銃弾が炸裂する。
落ちた所には、蛍丸を構えたレイラが待ち構えていた。
「これで最後の様ですね」
一刀のもとに斬り捨てたレイラは、刀を収めながら周囲を見渡す。
もうすぐそこに見える学園の敷地内では、大勢の生徒が心配そうに見守っていた。
「ここまで来れば、もう追って来る事もなさそうですね」
遥がほっと息を吐く。
「それじゃ、私は皆のお手伝いをして来るのだよ!」
止める間もなくフィノシュトラはひとり踵を返し、戦場へと戻って行った。
「先生がたは無事に廃墟を抜けられた様です」
上空から確認した照葉が皆に告げる。
「それじゃ、もう遠慮はいらないわね。纏めて斬り潰してあげるわ!」
反撃に出た桃華は発勁の衝撃波で敵の塊を串刺しにした。
タウントを使い切ったカノンはザフィエルブレイドでの正攻法に切り替える。
「元々天使の身です、これでもそこそこの威力は出るかと――」
だが、その威力は「そこそこ」どころではなかった。
堪らず上空へ逃れる犬達。
しかしそこで待ち構えていた照葉に翼を斬り付けられ、落下した所を水樹のワイヤーで絡め取られ…
「加勢に来たのだよ!」
フィノシュトラの魔法で撃ち抜かれ、最後は寄ってたかってタコ殴り。
「…相手に遠距離攻撃が無かったのなら、投剣で戦った方がまだよかったでしょうか…」
最後の最後に、カノンがぽつりと呟いた。
でもまあ、無事に片付いたんだし…そこは結果オーライという事で。
(先生も敵も、何故こんな廃墟に…)
敵の死骸を片付けながら、水樹は今回の事件について考えていた。
(あるいは最近の天使が攻撃される事件と関係…は無いか。こいつらに敵をえり好みするほどの知識はなさそうだしな)
だとしたら、単なる偶然か。
しかしこの辺りはぶらりと散歩を楽しむ様な場所でもない。
その同じ疑問は誰もが感じていた様で、校内の食堂に落ち着くや否や、門木に対する質問攻めと…ついでにお説教が始まった。
「先生はいったいこんなところに何の用があっていらしたのですか」
疲労回復の足しになるかと、いちごオレとカレーパンを手渡しながら、照葉が訊ねる。
「変な事件がはやっているのに、何だってお一人でうろついてるのです?」
「…いや、あの…」
口ごもる門木に代わって、遥がポケットから一枚の紙切れを取り出した。
「この手紙で呼び出されたのですよね?」
バレンタインのチョコを渡そうと科学室を訪ねてみれば本人は不在、机の上にはこんな物騒な置き手紙…
単なる置き忘れか、それとも助けを期待しての事なのか。
「先生、一人で危ない事するのはメッなのだよ!」
フィノシュトラは片方の手を腰に当てながら、小さな拳で門木の脳天をコツンと叩く。
「ちゃんと相談しなきゃダメなのだよ、みんな心配するのだよ!」
「…うん、その…申し訳、ない」
お説教を喰らった門木は、親に叱られた子供の様に背中を丸めて縮こまった。
「…だが、手紙には…一人で来い、と」
勿論、一人で行動するのが危険である事はわかっていた。
だからあの手紙を置いて来たのだ。
「誰かが気付いて、助けに来てくれるだろうと考えたのですか?」
遥の問いに、門木はこくんと頷く。
それなら約束を破った事にはならない。手紙には「読後焼却」とも書かれていなかったし――
「確かに、先生の居場所を知る事が出来たのは、この手紙のお陰です」
レイラが言った。
門木が行方不明と聞いて、その位置を捕捉しようと咄嗟にGPSを立ち上げたのだが、手がかりになる様な情報は何も出て来なかった。
「先生は携帯電話をお持ちではなかったのですね」
眼鏡に付けた発信器はあるが、だからといって常に居場所を把握されている訳でもない。
緊急事態なら警察や撃退庁に協力を仰いでその情報を開示して貰う事も出来たかもしれないが、今回はその前に手紙の存在を知る事が出来たのだ。
しかし、被害を出したくないのなら手紙は処分するべきではなかったのか…そう、遥は思う。
その思いが顔に出てしまったのだろうか。
「…そう、だな。生徒を、危険に巻き込むのは…教師のやる事じゃ、ない」
門木が言った。
ここには、自分を助けようと手を差し伸べてくれる者達がいる。
それが嬉しくてつい、甘えてしまったのかもしれない。
「…迷惑を、かけて…すまなかった」
「そんなこと、言ってません」
遥が首を振った。
「ただ、今度は一人で行動しないで、下さいね。何も言って貰えないのは…」
寂しい、悲しい…それとも、ただ困る?
「そうですね、物騒な事件も続いてる事ですし」
桃華が頷く。
最近頻繁に起こり始めた天使生徒襲撃事件。ひょっとして、今回のこれと何か関係があるのだろうか。
「でもこのディアボロは刃物傷を残すような種ではありませんでしたね」
「ええ、攻撃方法が違いますから…」
照葉の言葉に、自分も同じ事を感じていたと遥。
「門木先生は以前も大天使に狙われていましたが、その件との関連はないのでしょうか」
「天使が絡むなら、出て来るのはサーバントじゃない?」
カノンの問いに、桃華が答える。
「念の為に現場を撮影してみましたが、特に怪しいものは写っていませんでしたね」
「手紙を送ってきた誰かの痕跡がないか調べてみたけど、それも見付からなかったのだよ」
レイラとフィノシュトラが顔を見合わせた。
「門木先生に文を渡した生徒は、頼んだ方の顔を覚えているでしょうか…」
似顔絵を作る事が出来れば、何かの手がかりになるかもしれないと、レイラ。
まだ、何も見えては来ない。
だが――
「今回はどうにか退けましたが、何かが胎動している事には違いないのですね」
遥が言い、そして。
「ですから」
女子全員が、ちょっと萎れている門木に詰め寄った。
「「ひとりで勝手にフラフラしないで下さい!」」
「なのだよ!」
頼りになるけど、ちょっぴり怖い。
それが久遠ヶ原の女子パワーだった。