久遠ヶ原商店街の一角に、昼間から営業している居酒屋がある。
学生達にも馴染みのその店は、一般的な合コンから闇鍋に至るまで、あらゆる状況に完璧に対応してくれることで人気を博していた。
「…というわけですのでぇ…」
二階の座敷、カラオケ店以上に防音設備の整った個室で月乃宮 恋音(
jb1221)が口を開いた。
「…人前では話し辛い内容もあるかと思いまして、手配させていただきましたぁ…」
さすがは敏腕マネージャ、いつもながら良い仕事をしてくれる。
集まったのは、恋音の他に袋井 雅人(
jb1469)、礼野 智美(
ja3600)、点喰 因(
jb4659)、いずれも風雲荘の顔馴染みである。
と、そこに――
「なんかー、先生が奢ってくれるってゆーから来ちゃった!」
「タダ酒と聞いてっ!!」
ばーん!
「「…ん?」」
開け放った戸口で顔を見合わせる二人は、稲田四季(
jc1489)とヴェズ(
jc2530)。
二人とも直感した――同類の匂いがする、と。
「稲田四季だよー。みんな、よろしくね!」
「ヴェズだよ、よろしくー」
二人はさっさと上がり込み、空いた場所に自分で座布団を敷いてメニューを覗き込んだ。
「ねーねー、サラダ頼んでいい? シーザーサラダと大根サラダどっちがいいかなー」
「両方行っちゃえば? 僕はお酒なら何でもいいや、まだこっち来て日が浅いから何でも珍しいんだよね」
「サラダなら…ああ、来たな」
智美が言いかけたところにタイミングよく、夏野菜のサラダが運ばれて来る。
「さっき畑で採れたばかりだ、良かったらどうぞ」
大皿に山と盛られたトマト、胡瓜、茄子、ピーマン、オクラ、ズッキーニ。
ここに来る前に畑仕事をしていた智美は、収穫の一部を持ち込んで調理を頼んでいたのだ。
今日は冷蔵庫にぬか漬けセットを持ち込んで、玉葱と春じゃがいもを収穫して部屋の中に干しておいた。
空いた場所に堆肥を鋤き込み、去年と同じものと、去年忘れていた薬味用の青紫蘇の植え付けも終わったし、後は枝豆とブルーベリー、南瓜や瓜、西瓜、玉蜀黍が育つのを待つばかり。
「冷蔵庫にこれもあったから、持って来た」
智美は茹でた空豆をテーブルに出す。
「この店は対応が柔軟なんだ」
そんなところもまた、人気の秘密らしい。
「じゃ、せっかくだから夏野菜サラダもらっちゃうねー」
四季はサラダを小皿に取り分けて、飲み物はビタミンCたっぷりのアセロラジュース。
さすが自称健康オタク。
「人の金で飲むお酒って美味しいよねー」
その間に、ヴェズは既に「とりあえず生」を飲み干していた。
「次は何にしようかな…うん、まぁちゃんと話はするから安心して。役に立つかはわかんないけど、ほら、こういうのって雰囲気作りが大事でしょ?」
「そうそう、今日はみんなとお酒を飲んで色々とグチりながらの飲み会ですからね!」
酒の入った雅人がすぱーんとラブコメ仮面に変身する。
あれ、これってそういう集まりだっけ?
なおラブコメ仮面についてはもう慣れたのでツッコミはありません。
「いやいや、ちゃんと門木先生の悩みにも真剣に耳を傾け自分なりの考えを述べるつもりですよ!」
「ところでさー、門木先生って何の先生なの?」
「何でしたっけ、免許は持ってるって言ってましたよね」
四季の問いかけを受けて智美が更に質問を重ねる。
「高校の物理、化学と数学は教えられる。授業は受け持ってないが」
「じゃあわかんないトコとか教えてもらっちゃおうかなー」
「構わないが宿題は手伝わないぞ?」
「もー、それくらい自分でやるよー」
そんな他愛ないお喋りを小一時間ほど。
そろそろネタも尽きた頃合いで恋音が切り出した。
「…改めてお伺いしますが…門木先生の現在の状況は、どういった具合なのでしょうかぁ…」
門木の答えをそれぞれが腹に落とし込む間、暫しの沈黙が訪れる。
最初にそれを破ったのは雅人だった。
「私には天使の血も悪魔の血も流れていませんが『ラブコメ仮面』という正義と変態の心に目覚めました」
それは、目覚めて良かったのだろうか。
「良いも悪いもありません、ただそう在ることそれ自体が尊いのです!」
あっはい、すみませんでした。
「きっと誰でもみんな自分の中に全く違う別の自分を持っているもんなんじゃないでしょうかねー」
そして大抵、目覚めは予想もしない時に予想もしない形で訪れるものだ。
「そー、あたしも天魔ハーフなんだってー。だからなにってわけじゃないんだけどー」
四季が夏野菜サラダをもぐもぐしながら話し始める。
「ちょっとね、遊びに行った帰りに遅くなったから急いでたの。自転車だったからさー、スピード出しすぎてて横から車来ててー」
普通は自転車の方が飛ぶと思うでしょ?
でも違ったんだなー。
「やばーいと思ったらバンッて車が飛んじゃって。なんかそれ、あたしがやったらしいのね。そのときは意味わかんなかったんだけど」
よくある危機に瀕して能力が、ってやつ?
「救急車とか警察とか来て、撃退士か天魔かとか聞かれても全然そんなんじゃないしって感じでさー。あ、ウチ親が撃退士なんだけどー、いろいろあって預かった子供があたしなんだって言ってた」
自分にそんな出生の秘密的なものがあるなんて知らなかったよねー。
「実は天魔だし人間じゃないって言われても、いや人間だしって感じなんだけどー。本当は親とも友達とも違うんだなってゆーのは、なんか悲しかったよねー」
悲しそうに聞こえない?
そりゃだって昔のことだもん。
「まー、それでこの学園に来てみたわけなんだけど。いろんな人がいるんだって実感としてわかったし、やっぱりあたしはフツーのあたしでいいんだなって思ったの」
とまあ、そんなわけで。
「だから先生もさー、あんま気にしなくていいと思うよ! 今まで通りにいかなくても絶対、悪いことばっかりじゃないし!」
ほら、災い転じてナントカって言うじゃない。
「血筋とかそーゆーの関係ないよ! コラーゲン飲んでも体内でコラーゲンになるかはわかんないんだよ!」
でもコラーゲン鍋は食べるけどね!
「んまあ、覚醒する見込みがわかってるだけでもこうして支度はできるから良いのかもしれませんねぇ」
江戸切子のグラスに注いだ冷酒をきゅっと飲み干し、因がゆるゆるとした口調で話し始めた。
「私の場合もある日突然にってやつで、心もちは『人』のまま変わらずでした。まー、体の変化に、心が置いてかれるもんなので、ちぐはぐぶりに困ることもありますけど…」
「どんな?」
「んー、飛ぶ時とか…必要があって透過を使った後で、切り忘れてうっかり壁に、とかですかねぇ」
後戻りが出来ない以上、その辺りはおいおい慣れていくしかないだろう。
「なってしまったものは、まずは受け止める。そこから、その変化を受け入れるか拒むかは当人次第かなぁと」
「まあ、そうだよな…」
門木は手にした酒に口も付けずに、因の話に聞き入っている。
「ただ、その変化のせいでそれまでの自分が大切にしてたものや、積み重ねたものを害するようになる恐れがあるなら…私なら他の手を借りてでも止めてもらう、かなぁ」
止めるとはどういう意味か、それも何となくわかる気がした。
自分も、もしそこまでの変化があるなら同じ道を選ぶだろう――選べる意思が残っていたなら。
「今のところ、杞憂で済んでいるのが幸いですねぇ…それに、知られた時も思ったほどは驚かれませんで」
祖父は家の祖が悪魔であると知っていたらしい。
そこに天使の血まで加わることになるとは思ってもみなかったようだが。
「あー、でも。家業の方で『固い方』もお相手するもんだから、家にいると不味いかなぁって。ちょっくら行方不明になろうとしたんですが、祖父にばれまして」
手酌で注いだ冷酒を喉に流し込み、悪戯を見咎められた子供のように笑う。
「生まれ持ったものはどうしようもないし、人間同士でも『違い』を気にしないやつも、とやかく言うのもあるのだから、そんなつまらんことをするなって怒られちゃいました」
「ああ、それは天使も同じだな」
「悪魔だってそうだよー」
ヴェズがグラスに残った氷をカラカラと振る。
今度は彼が話す番だ。
「僕の場合は、えーと…まず魔界の生まれだから普通に悪魔だと思ってた」
髪も翼もいかにも悪魔という感じに真っ黒だったという。
「でもそれがある日突然白くなったんだ。きっかけは…うん、これといって何もなかったと思う。内面的には特に変化はなかったかな」
変わったとすれば周囲の反応だ。
「元々が鴉の羽っぽい感じだからそれが白くなったらまぁお察しだよね。戦場に出たらどさくさ紛れに味方に攻撃されるし、周囲のウケもそりゃあ悪くなるし――ああ、勿論、嫌がらせは全部倍にしてやり返したけど」
仕方ないよね、周りがそういう目で見るなら、期待に応えてあげるのが親切ってものだし。
「ところが真逆の反応する奴がいたんだ、一人だけね」
それが変な奴でさ、とヴェズは笑う。
「三白眼でこう、じーっと睨み付けてさ、いや、睨んでたわけじゃないんだろうけど、『悪魔の血も、天使の血も、その捻じ曲がった性根も、何もかも全て合わせて貴様だろう』って、本当に当たり前のように言うんだよ、そいつ」
捻じ曲がった性根はないよね、と本人は不満そうだが、それを話す口ぶりはとても楽しそうだ。
「…とまぁそんなワケで、この酔っ払いから門木センセーへ一言授けよう!」
ばん、ヴェズは門木の背中を叩く。
「その身に流れる血も、その気弱さも、コーラからくず鉄生み出す謎の技術も、全部ひっくるめて門木センセー、君は君だ!」
なんてね。
「くず鉄は勘弁してほしいけどな…」
「それはこっちの台詞ですよ」
智美がくず鉄に反応した。
「俺の場合全く縁がない覚醒ってなに状態ですけど」
前置きして、ウーロン茶を一口。
「万一中身が変わっても、殴ってでも元に戻そうとする人達ばっかりじゃないですか? 先生の周囲の人って。それに先生自身『あんなのにはなりたくない』って思ってますでしょ?」
不安になって話を聞いたりしているのがその証拠だ。
「自分が嫌だって強く思う事で抵抗の一助になると思いますし…後、ある意味もう覚醒してるからそれ以上にならないって可能性の方が高いんじゃ?」
「え?」
「だって、兵器のLV上げ出来るのって先生だけだけど、ある一定の確率でくず鉄にして生徒の心折ったりしてるじゃないですか(笑」
「うっ」
「一時ある程度まではくず鉄にならないぞー、ってやっても時間が経つとまたくず鉄生産するし(笑」
「ぐっ」
それか、それが言いたかったのか。
さすがに少し可哀想になったのか、智美は最後にフォローも入れておく。
「第一、先生って大抵うだうだ悩んでても、周りの尽力で大抵上手く行ってるじゃないですか。先生は周囲を信じて『祖父がなんだ』と笑っていればいいんですよ」
「…私の場合は少し違いますがぁ…」
恋音もまた「覚醒者」だった――ただし、少々特殊な。
「…私の家は、祖父が政界の有力者で…反覚醒者で作る政治団体の長を務めているのです…」
入り婿である父は研究者であり、その団体の幹部。
そんな環境で彼女は育った。
「…そのために、私は幼少時から未来の団体長として、各分野における過度の英才教育を施されていたのです…」
それが普通だと思っていた。
今にして思えば、当時既に微弱ながら覚醒しており、その体力等も理由だったかもしれない。
「…でもある時、覚醒が発覚して…結果、父の研究所で洗脳を施され…その後は団体の息のかかった私立の学校に通いつつ、帰宅後は実験動物という生活に…」
俄には信じ難い話だが、どうやらそれは本当のことらしい。
その後偶然とある撃退士に助けられ、紆余曲折を経て今ここ。
まあ、それで何が言いたいかと言えば――
「…精神は環境の影響を受け易いものですから…直接的な変化よりも、周囲の目が変化し、それで本人の精神状態が変化する間接的な変化の比率が高いと思うのですぅ…」
しかし門木の場合、そこは心配ないだろう。
「…先生の今の環境でしたら…ハーフに目覚めた位で周囲の目は変わりませんから…大丈夫ですよぉ…」
門木の恋音に対する印象だって、今の話を聞いたくらいでは変わらないだろう。
その胸も実験の影響なのかな、くらいは思ったかもしれないけれど。
「まー、いくら思い悩んでも結局は何事もなるようになるし、なるようにしかなりませんから」
因が言った。
「たとえそれが運命でも、自分と周囲がどう受け取るか…気の持ちようひとつで吉にも凶にもなる、といったところでしょうかねぇ」
「それにさ、門木センセーならとっくにいるんじゃないかな。丸ごとの自分を見てくれる相手」
ヴェズに言われて脳裏に浮かぶ、家族や友人達の顔。
「そういう奴が一人でもいてくれるなら、多少何かあっても自分は自分のままでいられるものさ」
「どう、少しは楽になった?」
四季の問いに、門木は「ありがとう」と頷く。
一人で考えても同じ結論に至ったかもしれない。
けれど、こうして皆の話を聞いてみると、その結論に強固な裏付けが出来たようで心強かった。
と、綺麗に纏めたところで本日は解散――
「待ってください! どうか私の悩みも聞いてやって下さいっ!!」
ラブコメ仮面がやおら立ち上がった。
「私はまだまだ戦い足りないんですっ!!」
いや、そんなこと言われても。
「私は天使も悪魔もネメシスも撃退庁も許した覚えはありません! あのインテリを気取ったマルコシアスとかいう筋肉だるまは絶対に倒します!」
倒すと言われると門木としては少々複雑な思いだが、気分的には赤の他人。
止める義理はないし、その気もなかった。
「とにかく!」
怪奇炎を噴き上げるラブコメ仮面。
「私はこれからもガチで何かと戦い続けますよ!!」
何かって何だろう、自主規制とかそういうアレかな。
「はい、ラブコメ仮面は永遠に不滅なのです!!」
「…あのぅ、袋井先輩…」
ひとり奇炎を噴き続ける雅人の腕を、恋音がつつく。
「…先日の神界の件の影響で、今は団体の権力が弱まっているのです…」
そう語る瞳は、雅人が見たこともないほどに冷たい。
「…現在、権力に従っていた支持団体の切崩しと工作を進めているのですが…近いうちに解体、此方で権力を取り込める状態に持ち込めるかと…」
「恋音の様子がおかしかった…というかあの妙な電話や部隊の人達と色々話し合ってたのはそのためでしたか」
雅人も何か気付いてはいたらしい。
具体的に何が起きているかまでは知らなかったけれど。
「いよいよ殴り込みをかけるんですね!」
それならお任せあれと、ラブコメ仮面は胸を張る。
「恋音、大暴れする時には私も参加させて貰いますよ。私は人間相手にだって一切容赦はしませんから!」
あ、でもそれってもしかして頭脳戦…じゃない、ですよね…?